失われた聖域 第1話

「うっわ〜〜!! これが図書館?!」
 目をキラキラと輝かせながら、クレアが図書館を走り回る。
「……ちょ、ちょっと、クレア。もっと静かに……」
「ほらほら、ルー!! たっくさん本があるよ! あっ、あっちにも!!」
 黒髪の少女、ルーの制止をものともせず、クレアは資料室の端の方へ姿を消してしまった。
 ルーは小さく溜め息をつき、目の前の金髪の少女に深々と頭を下げる。
「……あの、ご、ごめんなさい。クレアが、あんなにはしゃいじゃって……」
「君子の憩いの場で、斯くのごとく気色ばむなど不謹慎である」
 金髪の少女、フランが答えるよりも早く、その肩に乗る鷹の姿をしたリエラ、イルズマリが不機嫌さを隠そうともせず答えた。
「いかに物知らぬ小子とはいえ、吾輩の純粋なる知的探求を阻害するなど……」
「イル!」
 フランの短い叱責が飛ぶ。
「う、うむ。些か言葉が過ぎる部分もあったが……」
 フランに注意を受けたイルが、言葉を濁しながらルーに向き直った。
「ここは公共の場であることを、いま少しご理解していただけるよう尽力してもらいたい」
「あ、はい」
 ルーは再び頭を下げて、居心地悪そうに身を捩らせる。
「イルの言ったことは気にしないで、ルーさん。……クレア先輩、ここは初めてなのでしょう?」
「…ええ。私が…本を返しに行こうとしたら、自分も行くって……」
 ルーがおどおどと伏せ目がちに言葉を紡ぐ。そんなルーの緊張を解きほぐすように、フランが努めて優しい口調で微笑みを投げかける。
「そういえば…、ルーさんはどんな本をお読みになられるんですか?」
「え、えっと……」
 フランの言葉に、ルーが真っ赤になりながら手元に置いていた本を胸元に抱えた。
「そ、そんな、大した本じゃないです…」
「しかし、レディ、吾輩の目が確かなら、その装丁はこの図書館に1冊しかないフィルローの進化論とお見受けするが」
 ルーが胸に隠すよりも前に、その本に興味を引かれていたらしいイルが、ちょっと得意気な様子で先を続ける。
「公用語以前の古い言葉で書かれたその本は、語句も語法も公用語とは一線を画する難解な書物。それを読んで理解できるのであれば、貴女は大変な教養の持ち主ということになる」
「そ、そんな。……とんでもないです。私なんて……」
 イルの賛辞の言葉に真っ赤になったルーが、慌てて首を横に振りながら席から立ち上がる。
「あ、あの、私、本を返してきますから……」
「ええ、ごゆっくり」
 フランはにっこり笑ってルーを見送ると、小声でそっとイルに話しかけた。
「イル…、フィルローの進化論って?」
「レヴァンティアース帝国成立前の哲学者、アルロス・フィルローが、塵は塵に、灰は灰に還るように、人は人に、エリアはフューリアに還る、と説いた学術書である」
「エリアは、フューリア…に?」
「人は須らく進化し、より新たな世界を歩む“存在”であると考えたフィルローは、書の中で【ラウラ・ア・イスファル】という語句を用いて、互いに競い合うことによる人の意識の高まりを呼びかけたのだが、結局エリアはフューリアになることができなかったばかりか、フューリアすら自身の力を失ったのだから、フィルローの方法論は失敗だった、というのが一般的見解である」
「ねぇ、イル。【ラウラ・ア・イスファル】って聞いたことないけど、どういう意味なの?」
「【ラウラ・ア・イスファル】とは、今の言葉に表せば……【人の革新】というのが、それに最も近い言葉である」
「【人の革新】……」
 フランがイルの言葉を噛み締めるように呟く。
 と、その時、資料室の方から騒がしい足音が聞こえ、何やら古い装丁の本を胸に抱えたクレアが談話室へ勢いよく駆け込んできた。
「あ、ありゃりゃ? ルーは?」
 さっきまでルーが座っていた談話室のソファーを、キョロキョロと見回しながらクレアがフランに尋ねる。
「ルーさんなら、先程本を返しに行かれましたわよ」
 と、穏やかな顔でフラン。
「なーんだ。いないんだ」
 クレアがガッカリした様子でソファーにボスンと腰を下ろした。その音、その仕草にイルがピクリと眦を上げ、いやに平静さを取り繕った声を上げる。
「たとえ談話室といえど、節度を常に保つことが真の親和への道と考えるが、貴女は如何にお考えか?」
「うーん。いっつも言ってるけど、イルって何が言いたいのかよく分かんないよ〜」
 イルの婉曲的な表現に対して、これ以上ないぐらい速球勝負で、クレアがそうとは知らずイルに喧嘩を売る。
「よく分からない?! それは吾輩の表現力に問題がある、とのことであろうか?!! 何たる侮辱! 何たる……」
「イル!」
 口角泡を飛ばすイルを、フランが鋭く叱責した。
「ここは談話室でしょ。あんまり騒いでは、他の生徒の皆さんに迷惑よ」
「ぐ、むむ。……と、当然である。真の紳士は、公共の利益に決して仇なさぬものである」
「にゃはは。相変わらずイルって面白いね!」
「面白い?!」
「……イル!」
 クレアの挑発的台詞に敏感に反応したイルを、これまた敏感に察したフランが先手を打って押し止めた。
「それよりもフラン、さっきそこで会った男の人から、本を貰ったんだけど……何の本だか分かる?」
 そういってクレアは、持っていた古い装丁の本をフランに差し出した。本は同じく古い紐で硬く縛られ、簡単に中を見られそうにない。
「…さぁ、随分古い本みたいですけど……」
 差し出された本を繁々と見つめながら、フランが困ったような声を出す。
「イル?」
「う、うむ。これは、……装丁だけでは何とも…」
「クレア先輩、開いてもよろしいですか?」
「いいんじゃないの、開くぐらい」
 フランはクレアの許可を得ると、机の上に本を置いて紐を解き始めた。
 ………
 フランが本を封印していた紐をようやく解き終えた頃、本の返却を終えたルーが談話室に戻ってきた。
「……あっ、クレア。…戻ってたの? ……えっ?」
 少しホッとしたような口調でクレアに話しかけたルーだったが、フランの手元に目をやった瞬間、笑顔が凍りついた。
「そ、それって……」
「ん? フランが持ってる本?」
「そ、そう。それ……」
「何だ。欲しかったなら、ルーにあげるよ」
「…い、いえ、そうじゃなくて……」
 ルーが言い淀む間に、紐を完全に解き終えて片付けてしまったフランが、本をゆっくりと開く。
 と、その瞬間、本の中から眩い閃光が迸り、何かが本の中から吹き出した!
 霧のように霞む法衣に、黒ずんだ赤褐色の王冠。
幽鬼めいた容貌の中に、紅玉のように爛々と輝く禍々しい双眸……
 その恐るべき姿をした『何か』は、一瞬の静寂の後、ふっと姿を消してしまった。
「……リジャーゼ・ストラウブ……」
 ルーが、その不吉な名をそっと呟く。
「リジャーゼ…、リジャーゼ・ストラウブ? あれが、……夢の王、リジャーゼ・ストラウブか?!!」
 ルーの言葉にイルの目つきが変わる。
「リジャーゼ・ストラウブ…って?」
 何が起こったのか、全く状況を把握できていない面持ちでフランが尋ねる。
「リジャーゼ・ストラウブは、人を、特に感応力が高いフューリアを夢の世界に幽閉し、その気力を糧として実体を持つ主なきリエラである。その禍々しき力が故に『高天の儀』によって還す事もできず、遥か昔に“霊珠”エロンテルによって書物に封印されたと聞く」
「そ、それじゃあ…これは……」
 フランが震える手で、古イシュファリア文字で何か書かれた書物を取り上げる。
「ふむ……確かにその時代の物であるらしい。古イシュファリア文字だが、……文法自体はもっと古く、頗る難解であるようだ。吾輩でも解読できるかどうか」
「あっ、…わ、私……」
「にゃー、大丈夫だよ。フラン」
 自責の念に駆られ、細かに振るわせるフランの手をクレアがギュッと握り締めた。
「大丈夫だよ。何とかなるよ」
「あ…。ありがとうございます。でも、私、何が起こったのか…」
「…後で説明します。それに、何が起こったかは……すぐに分かります」
 ルーもフランに手を重ねると、静かにそういった。

 それから幾程も待たず、ルーの言葉の意味を、フランやクレアはすぐにも実感することになる。
 図書館の中心部である談話室に、続々と学生たちが集まってきたのだ。偶然、この時、この瞬間に図書館に居合わせた、不幸な学生たちである。
「どうしたの、みんな?」
「どうしたもこうしたも、図書館から出られなくなったんだよ」
 やや不機嫌そうな顔で男子生徒が答え、状況を説明し始めた。
 その男子生徒によると、図書館から出ようと扉を抜けると、なぜかまた図書館に足を踏み入れている自分に気付き、何をどうやっても図書館から抜け出せなくなったらしい。
 そこで、今度は二階や司書室にある窓から、脱出できるかどうか試してみようとしているところだった。
「……あ、あの、多分、…無理です」
 それを聞いたルーが、伏せ目がちにおずおずと口を挟む。
「何でだよ!」
 苛立った男子生徒が語気も荒くルーに突っかかった。
「にゃー、止めときなよ。みっともないなー」
 クレアがルーと男子生徒の間に割って入り、男子生徒をルーから引き剥がして落ち着かせる。
「じゃ、説明!」
 張り切るクレアとは対照的に、ルーはゆっくりと深呼吸して息を整えると震える声でクレアとフラン、そしてイルから聞いたことの顛末、そして解放されたリエラ、リジャーゼ・ストラウブと、それに取り込まれたことを話して聞かせたのだった……。

「まぁ、何が起こったのかは大体分かったけど、それで一体どうすればいいんだ?」
 しばらくして、落ち着きを取り戻した生徒たちは、現状を打破する為の道を模索し始めた。
 が、聞くのも初めて、体験するのも初めての異常事態に、何をどうすればいいのか思いあぐねている様子だった。
「……えっと、そうですね」
 自然と、イルを除いてもっともその本とリエラに知識がある、と思われるルーの周りに生徒が集まってくる。
「まずその本に何が書いてあるのか、調べなきゃ…いけないと思います。…後、外と連絡を取るのも必要だと思います」
 ルー自身、この伝説的リエラに対して何をすればいいのか、その具体的な方策があったわけではないが、とりあえずできることを提示してみた。
 何も指針がないよりも、例えどんなものでも指針はあった方が安心する。ルーの言葉に、今まで意気消沈気味だった学生たちも勢いを取り戻してきたようだった。
「ルー〜。壁を壊して、新しい入り口を作るってのは?」
「えっと…」
 クレアの提案に、ルーが困ったような顔をする。
「…多分、ダメだと思うけど、…試してみるのも…いいかも…」
「よし! じゃ、分かれて作戦開始!」

 あなたは……
 1:禁忌の書を解読しようとする
 2:外界と連絡を取ろうとする
 3:壁を破壊して、脱出口を作ろうとする

中間報告1・禁忌の書

(「1:禁忌の書を解読しようとする」を選択)

 古イシュファリア語。それは既に失われて久しい言葉。
 レヴァンティアース帝国成立と共に複数の民族が統一され、新たなる公用語、即ち現在のイシュファリア語が作られると、帝国は厳しい言語統制を布き、この言語の普及と徹底に力を注いだ。その際、それ以前にあった書物は全て公用語で翻訳し直され、あらゆる人の目からその姿を消してしまったのである。
 その代表的な言語の1つが、この古イシュファリア語だった。
「ううぅむ……しかし……」
 談話室から離れた所にある司書室。イルとフランを含む学生たちはそこにこもり、リジャーゼ・ストラウブを解き放った書物を解読すべく努力していた。
 しかし、古イシュファリア語に関して豊富な知識を持つイルズマリをもってすら、解読は遅々として進まなかった。語句、語法の難解さもあるが、最も大きな原因は、余りに古い書物の為に劣化が激しく、所々文字が擦れて消えてしまっていたり、ページが虫に食われてしまっているところだろう。こればかりは、もうどうしようもない。
「ううぅむ。これ以上の解読は、時間的に無理である」
 結局、それほど厚くもない書物の6割強を訳した時点でイルが音を上げ、解読作業はここまでとなった。
「イル、お疲れ様」
 解読内容を書き留めていたフランが、優しい声でイルをいたわる。そして、フランは手にした解読結果を要約したメモに目を走らせて、読み上げ始めた。
「『“夢の王”リジャーゼ・ストラウブは、夢を自在に操る力を持つが故に“夢の王”と呼ばれる。夢の王は夢の領域に在り、誰もがその姿を知覚し、認識することができるが、誰もその姿を捉えることはできない。夢の王にまみえるには、自らも夢の領域に足を踏み入れねばならない。されど、それは生身でなくてはならない。何故ならば、夢の世界を旅する旅人は、すべからく夢の王の支配下に置かれるからである。狭間を抜け、現を越え、夢の王を捉えることができたなら、王の意思なしに送還することができるだろう』……ここからしばらく未解読の部分が続きます」
 そういって、フランは二枚目のメモ用紙をめくった。
「……『夢の世界は虚構に満ちている。答えを返すからといって、それが人であるとは限らない。暗き道を歩く時は灯火を掲げるように、夢の世界を疾く急ぐべし。なぜなら、夢には終わりがあり、夢の世界に囚われたものにとって、夢の終わりは道を失うことを意味するからである』」
「『時を告げる鐘の音に注意せよ。鐘は4度鳴り、1つは魔を誘い、2つは門を開き、3つは道を閉ざし、4つは終わりを告げるだろう。……(解読不能)……王の間への道は、我が霊珠アンリアルが照らし出す。何故ならば、アンリアルは人の心の現われだからである。“霊珠”エロンテル』……解読できた部分は、これで全てです」
 そうフランがいい終えたその時、図書館の中に濁った鐘の音が響いてきた。手入れを怠って、錆びてしまった鐘を無理やり鳴らしているような、どこか人を苛立たせる響きだった。
「これが……1つ目の鐘……?」
 と、その時誰かが悲鳴を上げる。見ると、司書室の影になっている部分から何かが滲み出てくる。黒い、シミのようなその影は、書棚、机、椅子、そして人……あらゆるものの影からゆっくりと染み出そうとしていた……!

中間報告2・這い寄る「音」

(「2:外界と連絡を取ろうとする」を選択)

 外部のフューリア、あるいはリエラと連絡を取るべく、談話室で円陣を組み交信を行っていたルーたちであったが、結論から言えばその試みは失敗であった。“夢の王”リジャーゼ・ストラウブがこの図書館に施した封印、あるいは呪詛は強力であり、寄り集めたフューリアの力をもってしてもその結界を越えて、声を届けることすらできないほどであった。
 リエラとの交信が完全に絶たれているのであれば話は分かるが、この図書館内において自分のリエラと交信することは容易に行えるし、さらに実体化させることもできるのに、外部と連絡を取ることだけは何故かできないのである。
 かといって物理的手段では、どうやってもこの図書館の外へ抜け出せないことは既に実証済みであった。
「ふ〜〜、少し休憩するか」
 最前から交信レベルを最大まで高めて頑張っていた男子生徒が、疲れたような声を出してソファーにもたれかかる。
 実際、疲れているのだろう。いくら戦闘行為を行わない、といっても、長時間交信し続ければかなりの体力を消耗する。その男子生徒に習うように多くの生徒が交信を中断する。誰の顔にも、うっすらと疲れが浮かんで見えた。
 その様子を見て、ルーの表情がわずかに曇る。まださほど時間が経っていないから誰も気にしていないが、このまま図書館に閉じ込められ続けたら、食料や水、仮にこの世界に夜が来るのであれば毛布、など様々な問題が浮上してくる。
 フューリアの体力は無限ではない。体力を回復できる保証がない状態で、徒に体力を消耗し続けたら……その先に待っているのは……。ルーは頭を振って、その不吉な考えを頭から追い払った。
 だが、このままではいけない。リジャーゼ・ストラウブと呼ばれる、太古のリエラが作り出した結界をどうしたら打ち破れるのか……。
 リジャーゼ・ストラウブは“夢の王”と呼ばれているが、その二つ名の由来は定かではない。夢を見せるのか、夢を見ている者を支配するのか、あるいはそのどちらもできるのか……、もしかしたら、既にリジャーゼ・ストラウブの夢の世界に囚われているのかも知れない。

 もし、そうだとしたら……。ルーの額を冷たい汗が滑り落ちる。
 もし、そうだとしたら……。

 と、その時、図書館に鐘の音が響いた。錆び付いた鐘を鳴らしたかのような、聞く者を不快にさせる音。
 それに続いて、談話室の南の扉、図書館の入り口から続く通路から、大きな足音と、何か重たい物を引きずるような、不気味な音が響いてきた。奇妙な唸り声が扉をビリビリと振るわせる。高く、低く、唸りを上げる音。
「気をつけろ! 何か来るぞ!」
 誰かが叫び声を上げ、生徒たちが身構え、リエラを実体化させる。
 不気味な音は扉の前で止み、一瞬の静寂の後、轟音と共に扉が破られ異形の怪物が姿を現した。その余りの禍々しい姿に、正視した生徒が吐き気を催し、目を逸らして手で口を塞ぐ。
 生徒の誰かが叫び声を上げ、翼を持つリエラから熱線を走らせる。
熱線は異形の怪物を貫き、跡形もなく蒸発させた。
「や、やった……?」
 生徒が肩で息をしながら膝をつく。が、まだ終わっていなかった。先ほどと同じ不気味な音が、再び聞こえてきたのだ。今度は、南の扉だけでなく、四方全ての扉、そして吹き抜けになっている階上から。
「くっそう! 技が使えれば……!!」
 誰かが舌打ちし、再びリエラから熱線を走らせる。技を使えば、周囲から這い寄る「音」を一掃するのは容易いだろう。しかし、同時にこの談話室に集まった他の生徒を一掃してしまうのも、同様に容易いことなのだ。
「バリケードだ! 椅子を積み上げろ!」
 扉の近くで誰かが叫び声を上げる。談話室は、一瞬にして混迷の渦に巻き込まれたのだった……。

中間報告3・扉の向こう側

(「3:壁を破壊して、脱出口を作ろうとする」を選択)

「よっし、こんなところでどうかな?」
 クレアはそのリエラ、ニムロードの実体化を解除すると、へなへなとその場に崩れ落ち、冷たい石畳の床に尻餅をついた。
「ふにぃ〜。いい加減疲れたよ〜〜」
 そして、そのままバッタリと大の字に寝転ぶ。
「おっと、足元失礼しますよ」
 クレアと入れ代わるように男子生徒が進み出ると、破壊された壁の残骸をバケツリレーで撤去し始める。
 もう、これで何度目の試みになるだろうか。壁を破壊して新たな脱出口を試みたクレアたち別働隊は、1階、2階、踊り場、裏口、およそ考えられる全ての方向性からアプローチを繰り返し、そしてことごとく失敗し続けていた。
 普通に歩いて出るのはもちろん、走ろうが、跳躍しようが、飛び降りようが、まるで鏡の中の世界に飛び込むかのように、気が付けばアプローチした方法で図書館の中に足を踏み入れている自分に気が付くだけのことであった。
 しばらくして瓦礫の撤去が終わると、クレアがガバッと勢いよく起き上がり、破壊された壁際に近づいた。今破壊した壁は2階の北側、資料室の奥の奥。壁の向こうからは明るい日差しと、太い木の幹がのぞいている。クレアは周囲の生徒にうなずいて合図を送ると、助走をつけて壁向こうに見える幹目がけて跳躍した。
 一瞬の光。何かが通り過ぎる、奇妙な感触。
「と、とと……」
 クレアは石畳につまづきそうになりながらも、微妙なバランス感覚で体勢を立て直した。そこは、先ほどと同じ薄暗い司書室の一角。さっきまで眼前にあったはずの景色は、一瞬にしてクレアの背後に回っていた。
「ダメだ、キリがないよ〜」
 クレアは本棚にもたれかかりながら、大きな溜め息をついた。図書館の中へ流れ込む風が、汗に濡れた肌に心地よい。
「にゃ〜、どうしてダメなのかな〜。……風は入ってきてるのにな〜」
 クレアは無造作に本棚から本を掴み、それを壊れた壁の向こうへ投げつける。が、壁の辺りで、本はまるで外から投げ込まれたかのように不自然な軌道を描き、そのまま資料室の床に落ちた。
「外から入る分には大丈夫だけど、中から出ることだけはできないんだな」
 床に落ちた本を拾い上げながら男子生徒がボソリと呟く。
「どうする? まだ続ける?」
「これ以上やっても、何か同じ気がするな〜。それに、あんまり穴だらけにしても、後で図書館の人が困るだろうしな〜」
 これだけ穴を開けてしまったら、後2つ3つ開けても大して変わらない、と誰もが思ったが、クレアのいう通り、これ以上無目的に穴を開けても意味がないのは確かだった。
「やっぱりルーのいった通り、壁に穴開けてもダメだったにゃ〜」
 クレアが頭の後ろで手を組みながら溜め息をつく。
「壁に穴開ける前に、非常階段とか試した方がよかったみたい」
「非常階段?」
 クレアの何気ない一言に、図書館で司書のバイトをしていたことがある女子生徒が反応した。
「クレア、非常階段……って?」
「えっ? 資料室の奥にある扉って、非常階段じゃないの?」
 クレアがキョトンとしながら、資料室の東奥を指差した。そこは、あの本を手渡した男と会った場所だ。
「そんな……。図書館の周囲を見れば分かるけど、非常階段なんて作ってないし、まして壁側に扉があるなんて話は……」
「じゃ、行って見てこようよ。すぐそこだし」
 かくして別働隊はクレアの案内で、所狭しと本棚が並べられた、まるで迷路のように入り組んでいる通路を通って、資料室の東の壁にたどり着いた。
 そこには……確かに、扉があった。ところどころ赤錆に侵食された鉄の扉。昨日、今日作られたような、そんな真新しさは欠片も感じない。
 クレアが取っ手を握り、グイッと回して少し引いてみる。鍵はかかっていなかった。
「いい、みんな?」
 クレアの言葉に、全員身構えながらうなずいた。それを確認すると、クレアは深呼吸してからゆっくりと扉を開いた……
 鉄の扉の向こう側。クレアたち別働隊の前に姿を現したのは、上へと続く石造りの階段。そして、天に張り付く上空から見た図書館の姿だった……。

(結果小説へ続く)