失われた聖域 第1話

 学園図書館に厳重保管されている禁忌の書。そこに書かれていたのは、逃れられない絶対的運命だった。フューリアを夢の世界に閉じ込める、太古に失われた姿なき大いなるリエラと、明示された破滅…。この悪夢を打ち破る術はあるのだろうか?



- 図書館 資料室 -


「行きますぞ! クレア殿、皆さん! 元の世界へ!」
 資料室の奥に出現した謎の扉。
 いかなる物理法則か……空中に向かって伸びる階段と、空に見える逆さ図書館。
 その超常的光景を前にしばし呆然としていた生徒たちの中から、大声を上げて真っ先に飛び出したのはロイド・ザビアロフ。その奇妙な口癖から、ガチョン太郎と呼ばれている青年だ。
 それに合わせるように、片刃剣を携えた不破 斗夜も階段に足を掛ける。
「にゃ〜、ちょっと待った〜ッ!!」
 クレアが慌てて2人の腰を掴んだ。腰を掴まれたガチョン太郎がジタバタと暴れる。
「離して下され! 不肖、この私ガチョン太郎、小さくまとまりたくないのです!」
「でも、無用心すぎるよ〜」
 クレアは長身とはいえ、女性とは思えない力で2人を資料室に引き戻すと、両手を広げて扉の前に立ちはだかった。
「そうだな。……逸る前に、まずやるべきことがある」
 クレアの言葉を受け、進み出たのはレオンだった。
「未知の領域を探索する。それも大事だが、俺達が得た情報を、他の生徒達に伝えることも必要なことではある。…そしてなにより、俺達にとって最も大切なのは時間だ。…ここは隊を分けるべきだろう。『先遣隊』と『伝令隊』にな。…何か異論がある奴はいるか?」
 そう言ってレオンは周囲を見回す。
「いや、妥当な線だ」
 アルカードがレオンに向かってうなずき返す。
「……決まりだな」
 他に意見がないのを確認し、レオンが決を下した。
「俺は『先遣隊』で出る」
「ウチらも、当然『先遣隊』やな。みんなが来る前に、“夢の王”を見つけ出してぶっちめといたるわ!」
 レオンに続いて桃竜、そして崑崙飯店のメンバーが名乗りを上げる。
「桃竜殿。威勢が良いのは結構だが、図書館の構造は頭に入っているのか?」
 今度は生徒達の中から銀髪、黄金の瞳の少年が進みでた。……魔竜だ。
「俺やクーザは足繁くこの図書館に通い、構造に関することであれば生家の庭も同じだ。我々も『先遣隊』の任に加わろう」
 魔竜の言葉に呼応するかのように、ダークロアの面々が『先遣隊』に志願する。
 それに続いて、バ・ルク、アスタル、スレイファン、ミント・プレサージュらが次々に名乗りを上げた。
 多くの生徒が、この先何があるか分からない階段へ向かおうとしている。だが、その一方で、扉の向こうに覗く怪奇現象に危険を感じ、進むのを躊躇う生徒が少なからずいたのも事実だった。
「わたくしは、談話室に戻ってこのことを、他の皆さんにお伝えしたいと思います。『伝令隊』ですわね」
 その雰囲気を感じとった“遠見の”クレアは、残った生徒達を引率して談話室へ向かう任務を進んで引き受けた。
 進むことに気後れしていた生徒達が、隠れてホッと胸を撫で下ろす。
「それじゃあ、司書室の方には俺が連絡しておこう。俺のリエラ、ウィザーラントなら人の足よりも早いし危険もない」
 腕組みをしながら本棚にもたれ掛かっていたパッセイジが、残る司書室への連絡役を買って出た。
 これで、この場にいる生徒たちの大体の行動方針が決まった訳である。
 『先遣隊』に志願した生徒達が、武器を携帯している者は武器を。携帯していない者は武器になるものを探して探索の用意を進める中、“遠見の”クレアは手早く談話室へ戻る生徒達を取り纏め、出発の準備を整えてしまった。
「それでは、わたくしたちは談話室に向かいますわ」
 アルカードは『先遣隊』に出発の報告を済ませ、資料室を出て行こうとする“遠見の”クレアにつと歩み寄り、その袖をそっと引っ張った。
「どうしたんですか、アルカードさん?」
「いや、…その、すまない。談話室に私の妹、マーカラがいるんだが、なぜかさっきから連絡が取れない。悪いが、私が『先遣隊』に加わったことを伝えてくれないか?」
 いい難そうに妹の心配をするアルカードに、“遠見の”クレアがにっこりと微笑み返す。
「分かりましたわ。マーカラさんに会ったら、ちゃんとお伝えしておきます」
「私的な用事ですまない」
 アルカードは軽く頭を下げると、そのまま“遠見の”クレアら『伝令隊』を見送った。

 それにしても、逐次連絡を入れるよう、談話室を離れる前に何度もマーカラに念を押しておいたのに、マーカラから何の連絡も合図もない。
 何も起こっていなければいいんだが……。

 この時、司書室と談話室は異形の存在によって襲われている真っ最中であったが、アルカードがそれを知る由もなかった。




- 図書館 司書室 -


 影、影、影。
 椅子、机、本棚、そして人の影から沸き上がる、真っ黒な不定形の……「何か」!
 それは湿っぽい音を立てながら、影の中からゆっくりと染み出して来る。
 生徒達がこの異形の存在に対して身構える中、いけだは染み出す影に向かって交信を試みてみた。
「答えを返すからといって、それが人であるとは限らない」
 フランが読み上げた一節。
 もしこの影が呼びかけに対して答えを返すなら、何か霊珠アンリアルの手掛かりが見つかるのではないか?
 そう考えたのだが、影はいけだの呼びかけに答えない。あるのは、ただ深い闇。口を開けた深淵だった。
 いけだは悲鳴を飲み込むと、すぐさま交信を解いて身構えた。影から染み出た異形の存在は、交信しようとしたいけだの存在を知覚したのか、ゆっくりといけだの周囲に群がってくる。
「ノーブルケイオス!!」
 いけだの周囲に群がる影に気づいたリーネが叫び、リーネの影の中から突如飛び出したカラスがいけだに群がる異形の影を分断し、霧散させた。
 しかし、異形の影は霧散した破片をより合わせ再び異形を形作ったばかりか、ノーブルケイオスが飛来してできた影からも新たに染み出してくる。
「おまえら…いいかげんにしろよ」
 その様子を見たカークスが、常に携帯している愛銃「メルヴェハンター」を抜き、異形の影に向かって弾丸を撃ち込む。だが、弾は司書室のカーペットに穴を開けるだけで、異形の影を倒すことはできなかった。
 そればかりか、飛び散った影、銃弾によって開いたカーペットの穴の影から、新たな異形の影が染み出してくる。
「こいつらが一つ目の鐘に誘われた魔か……。だとしたら、他のとこにもこんな奴らが…ッ、わりぃ、ちょっと俺行くわ!」
 ウィリアがそう一言残し、司書室の窓を乗り越えて廊下に飛び出した。
「おい、どこへ行くんだ?!」
 染み出す影から離れて、様子を見守っていたアーキが声を上げる。
「妹が心配なんでね」
 ウィリアはそう一言残すと、談話室目がけて走り出した。
 司書室から走り出るウィリアを目の端で追いながら、セイとアリアンロッドが身構える。
「ぜったいに…帰るぞ…アリア…」
「無駄に攻撃しても、徒に数を増やすだけである!」
 カークスに続いて攻撃を仕掛けようとしたセイ、ロデマス、そしてマヤをイルが制止した。
「影は切るに能わず、撃つに能わず。影を消し得るは……」
「強い光だね!!」
 イルの言葉を次いで、リズがそのリエラ、リアラースを実体化させ目も眩むばかりの光を発生させた。
 その強い光に晒された異形の影が、一瞬にして消滅する。
「影が……消えたわ!」
 フランが疲労に足をふらつかせるリズの体を抱き止めながら安堵の吐息を漏らす。
 が、それも束の間。
 そこに物体がある限り、影が消えることはない。一度は消滅した異形の影であったが、リズの光によって色濃く作り出された影から、より大きな、より異形の形をした影が染み出してきたのだ。
「ケイオス! 何とかならないのか?!」
 リーネが肩に止まるノーブルケイオスを視線でそっと促す。ノーブルケイオスは事象に干渉して、間接的に特定の事象を抹消する力を持つ。その力を使えば、異形の影を一掃できるかも知れないと考えたからだ。
 だが、ノーブルケイオスの答えはリーネの期待を裏切るものだった。
「それはできない、リーネ。この影は、影であって影でなく、我は力を得ることができぬからだ」
「影が……影でない…?」
 だが、ノーブルケイオスの答えをゆっくりと吟味している暇はなかった。染み出した影が足元ににじり寄り、リーネは小さな悲鳴を上げて飛び退いたが、着地して新たにできた影からも際限なく異形の影は滲み出してくる。
 通常の物理的な攻撃が通じない上に、光でも消し去り切ることはできない異形の影。
 排除しようにも、その具体的な攻撃方法が分からなければどうすることもできない。
 逃げようにも、自分の影からも染み出してくるこの異形の影から、どうすれば逃げ切れるのだろうか。

 その時、部屋の隅で思案気に顔を曇らせていたマドカが、震える声で周囲の生徒達に警告の声を上げた。
「みなさ〜ん、落ち着いてくださ〜い!」
 そして、自分の中にある1つの考えを信じ、マドカは勇気を振り絞って異形の影に手を伸ばした。
(これは、幻なんだ……。ただの幻、幻、まぼろし……)
 伸ばしたマドカの指先が異形の影に触れた瞬間、まるで最初から何もなかったかのように異形の影は薄れ、消滅してしまったのである。
 マドカの中にあった信念がまやかしを凌駕し、考えが確信に変わった瞬間だった。
「……やっぱり!」
 マドカは安堵の溜め息を漏らすと、手を伸ばして次々と異形の影を払いながら声を上げる。
「みなさん! この『染み出した影』は、まやかしです。僕たちの『不安な心の現われ』が、この異形の姿をとって出てきているんです!」
 マドカの言葉、そして現に異形の影を恐れもなく払っている姿を見て、俄然やる気を取り戻した生徒達が次々に異形の影を払っていく。
 司書室に溢れた異形の影を全て駆逐した頃には、もう影から新たな異形が染み出すこともなかった。

「なんだったのかしら、今の……」
 異形の影が撃退された司書室の中、エルザが椅子の影を注視しながら、微かに緊張した面持ちで呟く。
 いくら凝視しても、影の中から先程の異形の影が染み出してくる気配はない。
「“夢の王”リジャーゼ・ストラウブは感応力が高いフューリアを幽閉し、その気力を糧に実体を保つリエラと聞く。あの影は、我々の心の内にある恐れだったやも知れぬ」
 イルの言葉にシャザインがうなずいて、イルの言葉を補足した。
「おそらく今いる場所は、みんなの夢が溶け合った夢の世界。魔物は本当は存在しない、ただの創造の産物なんだろう。即ち……」
「我々は既に“夢の王”に捕らわれている、ということか」
 シャザインの言葉を受けてロキが苦笑する。
「道理でランディスやロザリアと連絡が取れない訳だ。……だが、問題はいつの間に眠ってしまったか、ということよりも、どうやって目を覚ますか、だな」
「それについては、僕……というよりも、レジーラさんに考えがあります」
 ロキの言葉に答えたランスロットは、優雅な身のこなしでフランの前に進み出ると、作法に則った完璧な動作で淑女に対する礼をとった。
 フランがにっこりと微笑んで礼を返す。
「こんな時にて、不調法をお許し下さい。レディー・フラン。貴女に力を貸していただきたいことがあります。この僕たちが捕らわれた世界、僕たちの力に依存しないリエラなら“夢の王”とも対等な存在なのではないでしょうか。この閉ざされた夢を打ち破る為にイルさんの協力が欲しいと、レジーラさんから頼まれました。勿論、それには貴女の協力も必要なのです」
 ランスロットの申し出にフランは躊躇いなくうなずく。
「お話は分かりました、ランスロット卿。それで、私はどうすれば宜しいのでしょうか?」
「僕と一緒に談話室へ来て下さい。レジーラさんが、そこで待っています。後は……」
 ランスロットの言葉に耳をそばだてていたさっちゃんが、飛び跳ねて自分をアピールしながら護衛を名乗り出た。
「ねぇねぇねぇっ! その実験に私雇わないっ?! 丁度いい具合に自存型リエラ持ってるし…てか、何より夢の王の夢を破るっていう、その実験っぽい部分が気に入った!!つー事で私も協力していいかな〜?」
「俺も行こう」
「一応、騎士としては女性は見捨てられないな(苦笑)」
「会長……格好付けすぎよ…」
 さっちゃんに続いて、シャザイン、ロキ、そしてエルザが、フランの護衛を名乗り出る。
「どうせ行くのなら全員で談話室へ脱出しましょう。ここに居ても危険なだけです。それに、解読された部分を他の皆さんにも伝えなければいけませんからね」
 フランと、フランの護衛達を見ながら、ファルクスがそう提案する。
 確かに、ファルクスのいうことはもっともだ。
 ここが“夢の王”の領域であるなら、次に何が起こるか分からない。だったら、バラバラに動くよりもできるだけ固まっていた方がいい。
「その意見はもっともだが、……俺はここに残らせてもらう」
 声の主はシュナイダーだった。そのシュナイダーに合わせるかの如く、ハロルドがその意図を明示する。
「同じく、私もここに残らせてもらおう。運命は……私がまだこの司書室で成すべきことがあることを告げている。フラン嬢が持つ『禁忌の書』。その究明と警護を」
 2人の言葉には、並々ならぬ強い意思が込められていた。
 フランは2人の目を見てうなずくと、胸に抱えた『禁忌の書』をハロルドに差し出す。
「解読の続きをお願いします。でも、……無理はしないで下さいね」
 ハロルドは差し出された『禁忌の書』を受け取り、どこから取り出したのか黄金のコインを指で弾いた。コインはキラキラと輝きながら『禁忌の書』の上に落ち、コロコロと転がって表向きに倒れる。
「案ずるに及ばない。見ての通り、今、運命は私に味方している」
「……まぁ、運命が味方しているかどうかは知らないけど。会長、僕も残るよ。霊珠アンリアルと“霊珠”エロンテルのことを調べないと」
 シュナイダー、そしてハロルドに続いてホーキンスも司書室に残ることを宣言した。
 その後も、パラパラと司書室に残る者がその旨を告げ、最終的に司書室にはシュナイダー、ハロルド、ホーキンス、かずな、カークス、フィルシィ、十夜、そしてジェイルの8人が残ることになったのだった……




- 図書館 談話室 -


「くっそ……! バリケードだッ! 早く、椅子を!!」
 扉を押さえる生徒が絶叫する。
 元からこういう風に使用されることを想定していない扉は、吹き荒れる力から身を守るのにいかにも心許ない。
 椅子を積み上げる生徒たちの必死の努力も空しく、木製の扉は破片を撒き散らしながら内側に弾け飛んだ。
 扉を押さえていた生徒が長い悲鳴を残し吹き飛ばされる。
 そして、部屋を震わす咆哮と共に、異形の怪物が再び姿を現した。
 何とも形容し難い、忌まわしい姿。
 その手と思わしき部位が扉の残骸に手を掛ける。
 と、その異形の怪物の影から黒い物体が立ち上り、まるで剣で切り裂くかのようにその胴体を2つに分断した。
 リンのリエラ、ルトだ。
 切り裂かれた異形の怪物は、いやらしい泡を立てながらグズグズと崩れ落ちる。
「弱いんだから前に出るなよ」
 足下に倒れる生徒を一瞥すると、他の生徒の制止の声を振り切ってリンは扉へ、その奥の廊下に向かって走り出した。
 群がる異形の怪物を避け、あるいはルトで蹴散らし、軽やかに廊下の奥へと姿を消す。
 そのリンの後を追うようにしてシーネも走り出した。
「こんな怪物……。フィー! リーネが……、リーネが危ない!」
「リーネにはケイオスがいるでしょ? シーちゃんは心配性だなぁ〜」
「つべこべ言ってないで、こいよ! フィー!!」
 シーネはスカーレット・フィーの腕を引っ張るようにして、突き出された怪物の腕を潜り抜け、一路司書室へ向けて疾走する。
 同時に、他の生徒には分からなかったが、鈴音もそのリエラ、奈菜の力を用いて姿を消し、シーネの後を追っていた。

 談話室に異形の怪物の咆哮が谺する。
 リン、シーネ、そして鈴音らが姿を消した後も、異形の怪物の襲撃は止むことなく続けられた。
 生徒たちは残された3つの扉にバリケードを築き、それを背に守るようにしながら、破られた東の扉と階上からなだれ込む異形の怪物と戦っていた。
「お願い! ユカの声に答えて!」
 迫り来る異形の怪物に向かって、少女が悲痛な叫び声を上げる。だが、ユカの声は異形の怪物には届かない。
 容赦なく振り上げられた腕を避け、最も手近にいたアルツハイムの背に隠れる。
「キックスお兄ちゃん助けて!」
「おいおい、人違いだぜ! ……そりゃ、よッ!!」
 アルツハイムが迫り来る異形の怪物を、僅か一閃で事も無げに切り倒す。無心一刀流剣術皆伝の実力、伊達ではない。
「でも、キリがないよ。アル!」
 軽やかなステップで身を交わし続けるシューティングスターが、アルツハイムに向かって叫ぶ。
「避けてばっかりいないで、お前もこいつらを倒せよ!」
 アルツハイムが巨体に似合わない素早い動きで、周囲に群がる3体を一瞬にしてなぎ倒した。
 そして、周辺を掃討して一息つくアルツハイムに、ゆういちがリュックサックを投げ渡す。
「そっちは任せるぜ……トウヤと一緒に、ちょっと出かけてくるわ」
「出かける…って、司書室にか?」
 ズッシリと重いリュックサックを受け取ったアルツハイムがゆういちに向かって叫ぶ。
 ゆういちはアルツハイムの言葉を背中で受けたまま、軽く手を上げて答えを返すと、トウヤと共にリンらが消えた東側の扉の奥へと消えていった。




- 図書館 資料室 -


「……貴方達では、足手まといです」
 空へ向かう石の階段に足を掛けた男子生徒を、八重花が鋭い眼光で睨み付ける。
「お、おう」
 八重花に睨まれた男子生徒は、ばつが悪そうに足を戻した。
 八重花は無表情のまま、その男子生徒の脇をすり抜けて階段を駆け上がる。
「……八重花も悪気があって言った訳じゃない、許してやってくれ」
 威圧された男子生徒にそう一声かけると、八重花の後をアルカードが追った。
「ま〜、ウチらが全部片付けたるさかい、大人しゅう待っとき!」
 続いて桃竜、マウリッツァ、ネジレッタの3人が階段を駆け上がり、レオン、シィ、スレイファンらが後に続く。
 その様子を見て、まだ動こうとしない魔竜にフィブリーフは怪訝な顔をした。
「いいの、魔竜君?」
「先陣を切らないことがか? 真理は到達するものであって、強奪するものではない」
「確かに。道を急いでも、それが真理へ続いているかどうかは分からないものね」
 フィブリーフは魔竜の言葉に納得すると、スッと目を閉じて眼前に腕をかざした。
 突然虚空から水が湧き出し、渦を作り、やがてフィブリーフの眼前に1つの弓の形を成す。彼女のリエラ、水蛇の影丸が作り出す武器、「水音弓」だ。
「言ってる意味はよく分からないけど、武器を用意しておくのは悪くないわね」
 どこから持ってきたのか、モップを担いだバ・ルクが、手をヒラヒラと振りながらアスタルと一緒に石段を上っていった。
「では、俺たちも行こうか」
 バ・ルクとアスタルを見送った魔竜は、ダーク・ロアのメンバーを振り返って合図を送った。
 そして、その場を神楽坂 葵に任せると、天空に聳える逆さ図書館へ続く石段に足を掛けたのだった。




- 図書館 談話室 -


 談話室で戦闘が発生して10エスト。戦況は不利になる一方であった。
 倒しても倒しても、いくらでも沸いて現れる異形の怪物。
 今では東の扉だけでなく、北、西と3つの扉が破られ、数をいや増す異形の怪物に防戦一方となり、散り散りに追い立てられていた。
 奮戦する生徒たちを嘲笑うかのごとく、新手の怪物が談話室になだれ込み、生徒たちを右に左に分断する。
 個人で高い戦闘力を持つ生徒たちも、その人海戦術の前に組織的に行動することができずにいた。
 その間隙を突く形で、戦闘力のないルーの元へも異形の怪物が押し寄せる。
「キャッ……!」
 振り上げられた怪物の腕にルーが小さな悲鳴を上げ、反射的に腕で頭をカバーした。
 が、そこに飛び込んできた小さな人影が、手にした片刃剣で怪物を抜き胴して打ち倒す。竜華だ。
 だが、まだルーの受難は終わらない。
 今度は背後からルーの首筋を狙って伸ばされた腕を、“光騎士”ランディスが懐剣で切り落とす。
「早く、私の後ろへ!」
 ランディスの声にコクコクうなずいたルーだが、恐怖で体が動かないのかその場を全く動こうとしない。
 ルーはこの戦いにあって、お荷物以外何者でもなかった。
 フューリアとして訓練を受けているからには、全員多少なりとも戦闘能力を有しているものだが、ルーにはそれが全くなかった。
 異形の怪物から身を守ることもできなければ、他の者がガードしやすいように位置取りする才覚もない。当然、立ち向かう勇気もない。
 が、いくらフューリアとはいえ、この少女にそこまで求めるのは酷というものだろう。
「他者を護るのが騎士の務め! 彼女は我が主の命により、私が護る!」
 動けないルーの腕を掴んで無理やり自分の後ろへ下げると、竜華と共に剣を振るって迫り来る怪物をなぎ倒す。
 この異形の怪物たちを全て打ち倒すのが先か、それとも疲労に負けるのが先か。
 とりあえず、今はただ戦うだけだ。




- 図書館 中央階段 -


 その男と遭遇したのは、司書室を出て談話室へと向かう中央階段の踊り場だった。
 一見して、20代後半の男。
 痩せすぎの頬、鋭い眼光。そして腰まである長髪に、焦茶色の軍用コートを着ている。
「誰だ……?」
 先頭に立っていたロキが足を止める。
「……誰? 卒業生だよ、この学園の」
 男は腰のサーベルをゆっくりと引き抜いた。
「お前たちの先輩だ」
「その先輩が、何の用だ?」
 引き抜かれたサーベルを警戒しつつ、油断なくロキが身構える。
「魔を呼び寄せる鐘。……その意味を正しく理解したお前たちに、褒美をやろうと思ってな」
 そういって男は懐から淡く輝く白い珠を取り出して、一行の前にかざした。
「これが、霊珠アンリアル。夢を操作する力を持つ、意思でできた宝珠だ」
 男の取り出した宝珠の輝きに、一行は言葉もなくその場に立ち尽くした。
 あれが、霊珠アンリアル。
 この夢の世界を解く鍵となる宝珠。
 が、隊列の後ろの方にいたナターシャの声によってその静寂は破られた。
「気をつけて! あいつは、…あの列車事件の時、学園を襲撃した一味よ!!」
列車事件の折、学園を襲撃したフューリアの話は誰もが聞き及んでいる。
「……あの時の娘か」
 ナターシャの声に男は口の端を歪ませると、突然手にした霊珠アンリアルを床に投げつけ、叩き割った。
 その余りに意外な行動に、攻撃をしかけようとしていたロキ、ランスロットらの動きが止まる。
「いいことを教えてやろう。霊珠アンリアルは、意思の力を具現化して夢を操る。だから、こんなこともできる!」
 その言葉と共に、男がヒラリと身を翻し、階下へ飛び降りる。

 一瞬の静寂。

 そして、次の瞬間。もの凄い揺れが図書館を襲い、中央階段がパックリと裂けた!
 足下に広がるのはどことも知れぬ闇の領域。
 突如出現した暗闇に、不意をうたれて次々と飲み込まれる生徒たち。
 それは、その手荷物の多さから、最後尾を務めていたエスとスルトも例外ではなかった。
 と、そのエスとスルトを、影の中から這い出してきた何かが掬い上げ、談話室へと続く廊下へと放り投げた!
 秘密結社ハジケの鍋パーティー用に用意していた、大量の野菜、そして肉の入った袋をかばいながら、2人は廊下に無事着地する。
 2人を救ったのは、リンのリエラ、ルトであった。
「リン!」
 エスが側に立つ隻眼の少年の姿に驚きの声を上げる。
「俺は、さっきのヤツを追います」
 リンはエスとスルトに軽く会釈すると、廊下の手摺を飛び越えて階下に身を躍らせたのだった。




- 図書館 司書室 -


 それよりほんの少し前、談話室に向かった一行とは別に、禁忌の書の解読、そして“夢の王”や“霊珠”エロンテルの調査の為、司書室に残った生徒たちは提示された情報の少なさに頭を悩ませている真っ最中であった。
 資料を探し出すことは問題なかった。
 膨大な書物を保有するこの図書館から、特定の本を探し出すことは難しいが、司書室にある司書用の書物分類整頓表から、必要な書物、文献が置いてある大体の位置を探し出すことは易しい。
 それさえ分かれば、どんな素人でもそれらしい資料を持ってくることが可能な訳である。そういた意味で、この司書室を作業場所に選んだのは正解だった。
 だが、どの資料もその内容が余りに漠然としていて、確たる答えが見当たらないのが問題なのである。
「結局、分かったことといえば、エロンテルがはぐれリエラを専門的に狩るハンターだってことと、霊珠アンリアルってのがエロンテルのリエラだってことぐらいか」
 “霊珠”エロンテル、そして霊珠アンリアルに関する資料を調べていたジェイルが、机の上に積まれた書物を、向かいの席のホーキンスに押しやる。
「……それより気になるのは、『霊珠アンリアルは“霊珠”エロンテルの意思を具現化する剣であり、“霊珠”エロンテルの燃え盛る情熱は炎となって刀身を形作った』という一文ですね」
 フィルシィはそういって、手にした書物を2人の前に開き、その下りを指で指し示す。
「……夢に関する記述がないばかりか、他者の精神に干渉する能力があるかどうかも不明です。それに形も、霊珠というぐらいだから球形をしている、と考えていましたが、実際には剣の形をしているようです」
 フィルシィの言葉にホーキンスが同意する。
「確かにそれは変だ。変だけど……、とりあえず得た情報を置き換えてみようか。霊珠アンリアルは“霊珠”エロンテルの意思の力を具現化するリエラなら、要は霊珠アンリアルは『“霊珠エロンテル”の意思の力』だから……」

「……(解読不能)……王の間への道は、『“霊珠エロンテル”の意思の力』(我が霊珠アンリアル)が照らし出す。何故ならば、『意思の力』(アンリアル)は『“霊珠エロンテル”』(人)の心の現われだからである」

「筋は通ってるみたいだな」
 ジェイルがホーキンスの訳に感心して声を上げる。フィルシィもそれにうなずいた。
「……その訳が合っているとしたら、誰でもアンリアル……と呼ばれる、夢を操作する、あるいは夢から身を守る力を作り出すことができるはずです。……だとしたら、多分、その直前にある未解読部分にその言及が成されているはず……」
 3人はその結論にある程度満足すると、禁忌の書を解読しているシュナイダー、そしてかずなに目を向けた。
 2人が何をやっているのかというと、かずなのリエラ、ジェルが持つ、物や人に残っている残留思念を読み取る能力「レトロダイブ」で、禁忌の書を走査し、その経過をシュナイダーが書き留めているのである。
 禁忌の書の解読不能部分は、まるでインクが滲んだかのように黒インクの線が幾重にも重なり合い、文字の判別が全くできなかった為、こうした手段を取った訳だ。
 しかし、レトロダイブの能力は残留思念を読み取るだけで、その意思疎通はジェルの発光によって行われるので確実性は薄い。が、他に方法はなかった。
 しばらくして、かずながレトロダイブを解除すると、シュナイダーが筆記の手を止め、書き留められた単語の羅列を組み合わせて大体の当たりを付ける。満足とはいえないまでも、充分意味が通じる文章になっていた。
 シュナイダーは1つうなずくと、司書室に残った学生たちを呼び集めて、解読結果を提示した。
「この未解読部分に当たる箇所を解読してみたんだが……、まぁ、聞いてくれ」

「夢の世界は変容する。変容は時として一様でないが、確たる形を伴うこともある。それは、意思が夢を形作るからだ。夢の世界を踏破するのは意思。意思は信条に発露し、望む形をとる。意思とは灯火なのだ」

「……単語を意味が通るように繋げただけだが、要は暗号解読みたいなものだ。この文章を在る程度信用してくれていい」
 暗号解読を得意とするシュナイダーは自信あり気に胸を張った。その言葉に霊珠アンリアルを調べていた3人も同意する。
「確かに、この内容だと僕たちが調べていた内容と一致する」
「……そうですね。霊珠アンリアルの謎が見えてきました。これを……他の人にも伝えなくては」
 フィルシィの提案に全員が同意し、ハロルドが禁忌の書を懐にしまって談話室に向かおうと足を踏み出した瞬間、不意に激しい衝撃が司書室を襲った。
 足元を襲う衝撃にかずなが倒れ、その拍子に眼鏡が外れて突如暴れだすのを、側にいたカークスが抑え付ける。
 全員が司書室の床に伏せ、次の衝撃に対して備えたが、衝撃は一瞬で終わってしまった。
「何だ、……地震か?」
「分からん……何が起こったんだ……?」
 生徒たちはソロソロと身を起こし、そして……今、目にしている図書館が、かつて自分たちが知っていたそれと違うことを認識したのだった。




- 図書館 外回廊 -


 談話室を襲った異形の怪物に追われるまま、ハイドラは図書館の外回廊を走っていた。
 手にした短銃の弾倉には、もう一発の弾丸も残ってはいない。戦い馴れない彼女は、最初に現れた怪物に全弾撃ち込んでしまったのだ。
 談話室に溢れかえる怪物から身を守る術もなく、ハイドラはただ、ただ必死に逃げ回っていたのである。
 そして、ふと気がつけば、彼女はたった1人囲まれていた。
 恐ろしい咆哮を上げる、異形の怪物の只中。守ってくれる者もなく、彼女1人。
「そんな……」
 ハイドラがヘナヘナと膝をつく。
「助けてよ…レナさんに会いたいよ……!」
 ハイドラが恐怖に涙を浮かべたその時、怪物の囲みを切り裂いてハイドラの元に駆けつける巨大な狼の姿があった。
 レナとそのリエラ、ヴォルフだ。
 ハイドラの危機を直感したレナは、“遠見の”クレアたちと別れ、1人ヴォルフの背に乗って談話室を目指していたのである。
「早く乗って!」
 レナはハイドラの腕を掴んで、ヴォルフの背に引っ張り上げると、怪物の囲みを突破しようと身構える。

 その時、異変が起こった。

 もの凄い振動と共に、白い輝きが回廊を走り抜け、その輝きに打たれた怪物たちは一瞬にして消滅してしまったのである。
 同時に、その白い輝きに照らされた回廊が、いつもの見知ったものではなく鉄灰色の異質なものへと姿を変えたのだった……




- 図書館 資料室 -


 天空にある逆さ図書館へ向かって、階段をのぼっていった生徒たちを見送ったウェイン、ルーネ、神楽坂 葵、ロザリア、ジェイド、アバ、ヘィゲル、カイル、セルフ、そしてクレアの10人は、逆さ図書館とこの図書館を繋ぐ階段、そしてその階段へ至る扉を警護する役目を負っていた。
 が、今の所、取り立てて危険はない。
 最初はその余りの異常性から、人智を超えた怪奇、危難を予想していたのだが、ここから見る分にそれらしき何かが起こっているようには見受けられなかった。
「ふぃ〜、こんな事なら珍しく学校の課題なんてやるんじゃなかったな〜」
 セルフが大きくノビをする。
「ところでクレア、本をくれた男ってどんな奴だったん? 本をくれたときなんか言ってなかった?」
「ん〜ん、別に〜。すっごく古い本だなぁ〜、って眺めてたら、読みたいのならもって行けって言われただけ。私は別に読む気はなかったけど、ルーがすっごい本好きだったから、後でルーにあげようと思って貰っておいたの。あっ、そうそう。それと、本をくれた人は、何か焦げ茶色のコート着た、ちょっと痩せ過ぎって感じの男の人だったよ」
 壁破壊作業の疲れから、『先遣隊』に加わらず資料室に残り、本棚にもたれて体力の回復を図っていたクレアが、セルフに向かってグッと親指を立てる。
 ノリはともかく、これだけでは殆ど何も分からないのと同じだ。
「クレアさんに本を渡した男の人も気になるけど、……もうそろそろ、『先遣隊』は逆さ図書館へ着いたのかなぁ……心配です……」
空を見上げていたルーネが不安そうにそっと呟く。
「大丈夫だよ! みんな強いもん!」
 ルーネを励ますように、クレアがドンと胸を叩く。
「そうそう。あまり気を病むと、可愛い顔が台無しになりますよ」
 クレアに続いて、先程から赤錆に侵食された扉を調べているアバが軽口を叩く。
「可愛い女性と一緒に密室にいるというシチュエーションはいいですが、どうせならもっとムードのあるところに行きたいですからね……。なんとかして、ここを脱出する方法を見つけてみせますよ…」
「その脱出する方法ってのは、あの逆さ図書館じゃなくてその扉にでもあるのかい?」
 アバの様子に、やれやれとウェインが肩を竦める。
「まぁ、そう捨てたもんじゃないですよ。何しろ、この扉は元の図書館になかったらしいですからねぇ……。例えば、これなんてどうです?」
 そういってアバは、ウェインに1本の錆びたネジを見せた。
「……? ネジだろ?」
「そうです。この扉の金具のネジです。じゃあ、こっちは?」
 そういってアバが懐からもう1本のネジを見せる。
「……? ますますもって分からないな。それも同じネジだろ?」
「そう、同じネジです。でも、最初に見せたネジはこの扉のもの。次に見せたネジは資料室の扉のものです。で、あるにも関わらず全く同じネジなんです。形も、長さも」
「おいおい。こんな時にもったいぶった物言いは止めてくれよ。言葉は、事実を迅速に、そして正確に伝える力もあるんだぜ?」
 苛立つウェインを抑えながら、アバは資料室にいる全員に見えるようにネジを掲げた。
「普通、金具やネジといったものは、用途に合わせて同じ規格を用います。その方が効率が良いし、大量に用意できるからです。しかし、後から増改築を行った場合、用途、場所に応じて適宜作業しますから、作業を担当した者によって微妙に規格が変わるものなんです。例えば、ネジなんて手に入りやすい、大量生産物は特にね」
 そういってアバは、開かれた鉄の扉をバンと叩いた。
「つまり、この扉は元からある。というか、この図書館が建てられた時からある可能性が高い訳ですよ」
 アバの言葉に、カイルが首を捻る。
「元からあったら、……どうなるんですか?」
 アバはニッと笑って、逆さ図書館を指差した。
「一番最初に誰かが言っていたでしょう? 発想の転換。あの逆さ図書館が私たちの知る図書館で、今私たちがいる図書館が……“夢の王”が作り出した偽図書館だとしたら?」

 その時、異変が起こった。
 図書館を震わす突然の衝撃と、走り抜ける白い輝き。
 そして、アバの言葉を裏付けるかのように、今まで目にしていた資料室の壁が異質な物へと変貌を遂げる。
 同時に、鉄の扉が弾かれたように勢いよく閉まり、今まで開かれていた空中階段への入口が一瞬にして閉ざされる。
「クソッ!」
 リエラ、零死騎を実体化させて待機していた神楽坂 葵が、咄嗟に零死騎の大鎌で扉を攻撃するが、まるで扉はそこに存在していないかのように手応えがなかった。
「どいて下さい!」
 零死騎の攻撃が無為に終わるのを見て、カイル、ジェイド、ウェインの3人が同時に扉に取り付き、力で扉を開こうとする。
 が、扉はどうやっても開かなかった。
 その様子を見ていたヘィゲルが、リエラ、ツヴァイクを眼鏡に憑依させる。
「こ、これは、一体?!!」
 扉の奥は、他と同じように資料室の壁に塞がれていた。それだけでない。壁が……脈打っている。
 一見してそうとは見えないが、ツヴァイクの力によって特殊な視力を得たヘィゲルは、壁の奥に流れる力を感じていた。
 まるで、植物が地下から吸い上げた水を葉へ運ぶように、何かが壁の内を流れ、息づいている!

 ヘィゲルは扉から飛び退くと、他に異常な点はないかと視線を巡らし……そして、本棚にもたれるようにして座っているクレアの上で止まり、その異常に気づいてしまった。
 クレアから発散されている、フューリアとしての能力。その力、その色、その輝きが、殆ど分からないぐらいに落ち込んでいるのだ。
 フューリアとしての能力は、体力や気力とは違う。
 いくら疲れていても、酷い怪我を負って死にかけていても、フューリアとしての能力は、フューリアである限り決して衰えないものなのだ。
 だが、そのフューリアとしての力が、クレアから殆ど感じることはできない。
「一体、何が……」
 ヘィゲルはそれ以上言葉を続けることができず、全てを胸の内にしまい込むと、眼鏡に憑依させたリエラを解除させたのだった。




- 図書館 談話室 -


 図書館を襲った衝撃、そして白い輝きは、談話室の怪物たちを一瞬にして一掃した。
 最初、何が起こったのか分からない学生たちは、これも何かの罠、あるいは攻撃かと、互いに顔を見合わせたが、いかなる理由かはともかく、当面の危機が去ったことが分かるとその場にゆっくりと崩れ落ちた。
 疲れていた。
 群がる異形の怪物を、何体倒したのか数える気にもなれない。
「でも、これでハッキリしたわね」
 肩で息をつきながら、レジーラがゆっくりと立ち上がる。
「いきなり、しかも際限なく現れ、そして一瞬にして消えてしまう。倒したという証拠も残らない。……つまり、現れた敵も夢。焦りと恐怖を生み、精神を消耗させるための偽りだったんだわ」
 異形の怪物が現れた時から、レジーラはそうではないか、と踏んでいたのだが、余りに素早い怪物の乱入によって孤立させられ、皆に伝えることができなかったことが悔やまれる。
 だが、今は過ぎ去った過去を悔やんでも仕方がない。
“夢の王”にうかうかと先手を取られてしまったが、この事態で自説に対する確信、そして裏付けが取れたのだから、レジーラにはまだ反撃の策があった。
「夢ってのは、何なんだ?」
 大の字に寝転がったまま、アルツハイムが声を上げる。
「私たちは気づかぬうちに眠らされたのかもしれないってこと。いつの間にか眠らされ、“夢の王”の領域、つまり夢の世界に連れてこられてしまったのよ。そうして、“夢の王”は恐怖や怯えで私たちを消耗させ、それを糧にしていたのよ!」
 レジーラの言葉に、アルツハイムははめられた悔しさを隠そうともせず、拳で床を殴ると身を起こした。
 そして、ゆういちが残していったリュックサック、そして自分のカバンの中から大量の食材と調理器具を取り出す。
「ちょっと……。それ、どうしたの?」
「こっちにもあるですよ!」
 突然現れた食料に目を丸くするレジーラの背後から、同じく秋華が大量の食料を床に広げた。
「仲間内でバイキングパーティーをしようと思って買い出した食材なんだが……。買い出しの帰りに、ちゃんと調理法を本で調べておくですよ!とか言い出したヤツがいたんで、な」
 そう言ってアルツハイムは愛用のトランペットを取り出した。
「夢の世界とやらで、腹を膨らましてどれだけありがたみがあるか分かんねぇが……。食前・食後の伴奏つきだぜ」




- 図書館 空中階段 -


「どうなってるんだ、一体……ッ!!」
 どこまでも続く石の階段。
 果ては見えているのに、階段は果てしなく続いていく。逆さ図書館、そして天へ。
 当初、あの逆さ図書館へ向かう最中に何らかの妨害があると考えて、リエラと交信しつつフルパワーで駆け上ってきたのだが、予想に反して敵は一切現れないばかりか、一向に逆さ図書館へ辿り着くことができなかったのだ。
「八重花……、どうする? いったん戻るか?」
 アルカードの問いに、八重花がうなずく。
 アルカードと同じく本当は疲れているのだろうが、その顔に疲労の色は全く見えなかった。こういう場合は、頼もしい限りである。
 2人は少し階段に腰を下ろして休み、徐に階段を下り始めた。
 しばらく階段を下りると、桃竜とマウリッツァ、そしてネジレッタの3人が見えてくる。
 チームリーダーの桃竜は随分元気そうだが、残る2人は完全にバテバテだった。階段に腰を下ろし、息を整えている。
「お〜〜、アルカードに八重花やん。どないしたん?」
 2人の姿を見つけた桃竜が元気に声を上げる。
「桃竜……元気ですね……」
「全く、我らがリーダーには頭が下がる」
 完全にグロッキーの2人は、桃竜の元気な声にゲンナリしながら軽く手を振る。
 逆さ図書館へと続く階段は、意外なまでに横幅があり、楽に4人が腰を下ろすスペースがある。アルカードと八重花は、マウリッツァとネジレッタの横に同じく腰を下ろした。
「上は、……どういう訳か果てが知れない。一度、引いた方がいいかもな」
「……そんな……」
「戦略的撤退もやむなし。そういうことか……」
 アルカードの言葉に、マウリッツァとネジレッタが天を仰ぐ。
「何しょぼくれとんねん。来た道引き返すだけやないか。それに……、まだ引き返すとも決めてないんやから」




- 図書館 玄関口 -


「……おいおい。どうなってるんだ、これは……?」
 ロキと一緒に図書館を訪れ、用足しを済ませにいったん図書館を離れていたゼロは、その異常事態の第一発見者となった。
 学生が倒れている。
 それも1人や2人ではなく、図書館にいた全員が倒れていた。
 死んでいるのか?
 ゼロは嫌な考えを押し込めながら、倒れた生徒に近づいて口に耳元を寄せる。
 呼吸はある。まるで、眠っているかのように穏やかな吐息。
 眠っているかのように……というか、眠っているのだ。図書館にいた全生徒が。
「おい、ロキ! ……ロキ! 目を覚ませよ!」
 ゼロは通路で倒れて眠り込んでいるロキを見つけると、その肩を激しく揺さぶって名前を呼んだ。だが、ロキが目を覚ます気配はない。
(コイツがこんな格好で眠りこけているなんて……面白い。写真に撮って後でゆすりネタにするか……って、そうじゃなくて、よっぽどの事態があったんだな。何があったか分からないが、何か手掛かりがあるはずだ……)
 ゼロはある確信の元にロキの体、その倒れた周辺を探る。が、何も見つからない。
 ゼロが諦めかけたその時、突然ゼロの頭の中に、まるで幻灯機を見るかのように、幾多の場面と台詞の渦が飛び交った。

 “夢の王”リジャーゼ・ストラウブ。
 司書室。
 染み出した黒い影。
「我々は既に“夢の王”に捕らわれている、ということか」
 中央階段踊り場に現れた焦げ茶色の軍服の男。
「……誰? 卒業生だよ、この学園の」
 暗転する世界。

 そして、広がる闇。
 闇。
 闇。

 ゼロはロキからのメッセージを確かに受け取った。
 “夢の王”に支配された世界から、“夢の王”の監視を潜り抜けて届けられた唯一のメッセージ。
 はっきりと意味は分からなかったが、これだけで充分だった。
 ゼロは意を決すると、この異常事態を報告しに双樹会会長室へ足を向けた………




- 図書館 何処とも知れない場所 -


 頬に冷たい風を感じ、ロキはゆっくりと目を覚ました。
 淡い光に照らされた、見たこともない鉄灰色の天井。
 ロキは慌てず騒がず身体機能を確認する。
 ……手、動く。
 ……足、動く。
 落下の痛みはあるが、身体部位に損傷は見受けられない。ロキはゆっくりと立ち上がった。
 ちょっとの間、ゼロの夢を見ていた気がする。夢の世界で夢を見る、というのも奇妙な話だが。
 ロキは苦笑すると周囲を見回した。
 幾人かの生徒が倒れているが、全員ではない。
 あの時、あの焦げ茶色の軍服姿の男が図書館を変容させた時、バラバラに分断されてしまったのだろう。
 倒れている生徒を助け起こそうと身を屈めた時、ロキは近づいてくるたくさんの足音に気づいてハッとなって身構えた。
「誰だ?!」
 通路の奥、闇の中に誰何の声を上げる。

 …………
 …………

「ロキ……さん、ですか?」
 通路の奥から、少女の声がロキに答えた。
 それは“遠見の”クレアら、資料室から談話室を目指していた『伝令班』だった。




- 図書館 何処とも知れない場所 -


「エルルケーニッヒ!」
 シャザインはリエラの名を呼ぶ。しかし、不可視の翼を持つ彼のリエラは、いつものように翼に揚力を得ることはできなかった。
 どうすることもできぬまま、シャザインは闇の中へ落ちる。
 真っ暗な闇の中。

 次にシャザインが意識を取り戻したのは、見知らぬ通路の只中だった。
 鉄灰色の壁。カント形式と呼ばれる幾本もの管をより合わせたような石柱は、故郷フェズランドの博物館を思わせる。
 シャザインは軽く頭を振り、エルルケーニッヒの名を呼んだ。しかし、答える声はない。落とされた時にはぐれてしまったのか。
 ゆっくりと立ち上がって周囲を見回してみたシャザインは、眼前にある不思議な光景に驚くと共に、しばし目を奪われた。
 フランが浮かんでいた。
 そのフランの身体を、球形に広がる青白い燐光に包んでいる。まるで、フランを守護するかのような青白い光。
 シャザインがその青白い光に触れると、光は収束してイルの姿を形作り、浮かんでいたフランの身体がゆっくりと通路に降り立った。
 そして、フランがゆっくりと目を開ける。
「大丈夫か、フラン」
 フランはシャザインをジロリと睨み付けると、ちょっと怒ったような口調で答えた。
「胡乱な男だな。儂は初見の人物に、儂の名を呼ばせるのを許可した覚えはない。アルディエル、この男は何者だ?」
 声はいつもと変わらないが、まるで別人が喋っているかのような感覚。
 様子がおかしいのはフランだけではない。イルも、まるで初めて見るかのように、シャザインの姿を下から上までねめつける。
「はてさて。姫様が存じぬ者を、いかにして私が存じ上げましょうか」
「ふむ。然様か」
 思案顔のフランはシャザインに向き直り、その名を尋ねた。
「では、改めて聞こう。卿の名は何と申す?」
「……シャザインだ。姓などない」
 正直、普段のフランからは考えられない奇矯な振る舞いを見せ付けられ、面食らっていたシャザインだったが、もう少し様子を見てみることにした。
「シャザイン……か。その物怖じしない態度。相変わらず胡乱な男だが、……気に入った。儂が卿をシャザインと呼ぶ代わりに、卿も儂を名で呼ぶことを許可しよう」
やはり、フランの態度はおかしい。フランばかりでなく、イルの態度までおかしいのが気にかかる。それに、フランは先程イルのことを何と呼んでいた? イルズマリ? 否。
 アルディエル。
 全く耳にしたことがない名前だ。
「話は変わるが……、シャザイン。ここは何処だ? なぜ、儂はここにおる?」
 それが分かるなら、こんな苦労はしていない。シャザインは首を横に振った。
「分からない。ただ1つ言えるのは、ここが“夢の王”の支配する世界の中だ、ということだけだ」
「“夢の王”? リジャーゼ・ストラウブか?」
 シャザインの言葉に、フランが敏感に反応する。
「斯くも下衆な輩の名が出てきたことよ。……あの異国の木っ端魔術師め。我らフューリアの叡智を盗み見するに飽き足らず、儂をその卑しき手に虜囚とするか」
「“夢の王”……リジャーゼ・ストラウブを知っているのか?」
 フランの口振りに驚いてシャザインが尋ね返す。フランは呆れたようにシャザインを一瞥した。
「帝政機関も当てにはならぬな。旧王家を『九老師(ガレニウス)』などと大層な役職に奉じる前に、我らフューリアの伝承を正しく伝える努力をすべきじゃ」
「姫様の仰せの通りでございます」
 イルがすかさず合いの手を入れる。いや、イルではなく、アルディエルか。
 少なくともイルズマリはフランと対等の関係を持ち、こうまであからさまにへりくだることはなかった。それに、「姫様」というのも気にかかる。
「まぁよい。儂が特別に話して聞かそう」
「リジャーゼ・ストラウブとは、エボン……今のフェズランド王国から流れてきた男の名でな、魔術と呼ばれる子供騙しの手術に長け、我らがフューリアの叡智を盗まんとした道化者だ。斯の道化はリエラを呼び出して己が身に取り込み霊的合一を成さんと企んだが、……結果は無残な失敗に終わった。見ての通り、本能のみで行動する危険なはぐれリエラが1体生まれただけじゃった。しかも、このリエラは斯の道化が操った魔術の力を持ち、厄介なことに我らの力を受け付けにくく、送還することが適わぬ。従って、時が流れた今でもはぐれのまま、という訳じゃ」
「それは、フューリアがリエラから引き出す力では、魔術の力に及ばない。と、そういうことか?」
 シャザインの言葉に、フランが疲れたように溜め息をつく。
「そうは言っておらん。リエラの力も魔術の力も、『無』から『有』を作り出す、という点で本質的には同じものじゃ。ただ、そこに至る『道』が違うだけのこと。『道』が違えば力は有効に働かぬ……要するに材料が同じでも、建て方を変えれば違う建物ができあがるじゃろ? 墓地は死者を弔う為の建物であり、商家は商いを行う為の建物。墓地で商いをしても、商家の様に人は集まらぬ。そういうことじゃ」
 フランはそう区切って一息つくと、イルを手元に呼び寄せた。
「ともかく、まずこの忌まわしき牢から脱出せぬことには話にならぬな。……アルディエル。空間を裂く力を持ち、交渉がもてるリエラは?」
 フランの言葉に、イルが即答する。
「ならば、なるべく近くに交信者がいるリエラの方が都合がよろしいでしょう。……Å、……斬像矛、……ハティ……。何れも御身の力であれば、結界を突破するのに問題ないかと」
 イルの言葉にフランがうなずき、目を閉じようとしたその時、シャザインは近づいてくる人の気配を察知し身構えた。
 現れたのは、シャザインとフランをこの場所へ叩き落した張本人。焦げ茶色の軍服姿の男だった。
「勝手なことをされては困るな、“奔放なる者(パティア)”よ」
「何者じゃ?」
 フランがスッと目を上げて男の姿を見る。
「俺は“運命改変者”レアン・クルセアード。人を教導し、人を革新し、蒙昧なる因襲を根絶する者だ」
「我らが叡智を因襲と呼ぶか、不遜なる者よ!」
 焦げ茶色の軍服姿の男の言葉に、フランが目から火を吹かんばかりに激昂した。
 昂ぶるフランに、イルが警告を発する。
「姫様! ご用心下さい。この男、アークシェイルと交渉を持つようです!」
「アークシェイルじゃと?! 小癪な!! ……うぬ、シャザイン! 引け!」
 息巻くフランの前にシャザインが進み出た。
 フランを背に庇う様にしてレアンと向かい合う。いくら様子がおかしいとはいえ、フランはフランだ。シャザインは腰の長剣をスラリと抜き放った。
「リエラを呼んだらどうだ? 無理はするな」
 レアンが嘲るように口の端を歪める。
 だが、彼のリエラ、エルルケーニッヒはこの場所に落とされた時にはぐれてしまい、側に呼びたくても呼ぶことができない。
 シャザインはレアンの言葉を黙殺すると、長剣を正眼に構えたまま、ジリジリとレアンとの距離を詰め相手の出方を伺う。
 相手の技量、そして能力が分からない内から攻撃を仕掛けるのは、実戦を知らない者がすることだ。
「用心深いな。だが、リエラの力を行使しながら、それに身一つで立ち向かうとは……」
 レアンがサーベルを振るい、刃から放たれた輝水が放射状に伸びる。
 シャザインは咄嗟にフランを抱え込み、地面に身を投げ出して迫り来る水の槍を交わした。しかし、倒れたシャザインの頭上に、放たれた輝水に乗って一気に間合いを詰めたレアンの影が映る。
「全くもって、……度し難い!!」
 身体ごと垂直に振り下ろされたレアンのサーベル。避ければフランが無事で済まない。
「どっけぇぇぇぇぇぇ!!」
 レアンのサーベルを払いのけようと身を捩るシャザインの耳に、誰かの雄叫びが聞こえてきた。
 地を蹴る音がし、1つの人影がレアンを弾き飛ばす。
 レアンのサーベルはそれ、弾き飛ばされたレアンは空中で1回転して音もなく床に降り立つ。
 リエラを実体化させているとは思えない身のこなしだ。それだけでも、このレアンという男が尋常ならざる高位の力を持ったフューリアだと伺い知れる。
 シャザインは素早く立ち上がり、フランを通路の奥へ逃がそうとするが、フランは輝水を避けた時に気を失ってしまったらしい。
 シャザインは軽く舌打ちして、再びレアンと向かい合った。
「どこから湧いて出た? この羽虫が」
 シャザインを無視して、レアンがスカーレット・フィーを伴って乱入したシーネを睨み付ける。
「羽虫? 聞き捨てならないな」
 シーネの背後からリーネが進み出た。その肩には黒いカラス、ノーブルケイオスがいる。
「……霊珠を探していたら、霊珠ならぬ大ネズミを見つけてしまいましたね」
「同感です」
「そうだな」
 伏兵はまだいた。
 談話室へ向かう一行とは別行動を取り、図書館内を歩き回っていたエドとレアル、そして十夜が、いかなる神の導きか、今、この場所、レアンの背後に姿を現したのだ。
「ここは夢の世界らしいが……。攻撃するってことは、裏を返せば攻撃すれば倒せるってことだ。お前が誰か知らないが、抵抗する気なら容赦しない!」
 シーネの言葉と共に、スカーレット・フィーが戦闘体勢を取る。が、レアンはシーネの言葉を鼻で笑い飛ばした。
「見たところ、お前の……いや、お前らが力と頼むリエラは、フューリアの力で実体化させたものではあるまい。考えなかったのか? リエラも夢を見る、ということを」
そう言い捨て、レアンが指をパチンと鳴らす。
「何を言っているんでしょうね、この人は。セルマ、目を覚まさせてあげなさい。料金は当然あちら持ちです」
「分かりました」
 セルマは手にした銃を構えて、レアンに狙いを付ける。セルマの能力は、この銃から水や空気の塊を打ち出す力で、当たればその威力は鋼鉄を貫通する威力があった。
 が、セルマの銃から発射された弾丸は、レアンのコートに当たって爆ぜ、空しく霧散してしまう。
「幻の力で人は倒せん。……現世に身を置く悲しさだな」
「なら、私のリエラなら……!」
 レアルが交信状態に入り、彼のリエラ、インヴィジブル・ビーストを実体化させようとする。だが、まるで分厚い布で声を遮られたかのように、彼の声はリエラに届かなかった。
 異形の影が染み出していた時は感じなかったが、今ははっきりと“夢の王”が交信を妨害しているのを感じる。よく鍛錬を積んだフューリアであれば、この妨害を乗り越えてリエラと交信できるかも知れないが、経験の浅いレアルでは大変な労力、そして時間をかけなければ、リエラと交信することはできそうになかった。
「夢の世界での死は、精神の死。人である意義の損失……」
 ゆらりとレアンの影が揺らぐ。
「根絶せよ!!」
 レアンのサーベルから放たれた輝水が十字形にシーネを襲う。
 横に転がるしかない!
 咄嗟の判断で横転して攻撃を避けたシーネ。しかし、そこに追撃はなかった。
 通路の奥から飛来した光の矢の為に、レアンは追撃の機会を失ったからである。
 風切る音が響き、再び飛来する三本の矢。
 レアンは輝水で紗幕を作り出し、その光の矢を弾く。
「皆…無事か?」
 姿を現したのはゆういちだった。
 続いて、トウヤ、シャーリー、ウィリア、リディ、ミハイル、ティク、鈴音の7人が姿を現す。
 異形の怪物によって談話室から追い立てられたリディとミハイルは、司書室を離れて談話室を目指していたウィリア、逆に司書室を目指していたトウヤ、ゆういち、シャーリー、そして独自に怪物の発生場所などを調査していた鈴音、ティクらと合流し、この変容した図書館の未知の通路を探索していたのである。
「気をつけろ! ここでは、【自存型】リエラは力を発揮できない!」
 リーネが7人に注意を促した。
 救援に駆けつけたとはいえ、レアンの言葉を信用するのであれば、実質的に戦闘能力を持っているのはゆういちとリディ、そしてウィリアだけ。
 いくら数で勝っていても、リエラの力と人の力では根本的な隔たりがあるのだ。
「…ここは任せて先に行け」
 レアンが新手に気を取られている隙に、十夜はリエラ、水月を刀の姿で実体化させ、その水に濡れたかのように美しい刃をレアンに向ける。
「すまん」
 シャザインは気を失っているフランの肩と膝裏に手を回し、その身体を横抱きに抱え上げると、通路の奥に向かって走り出した。
「…早く行け!」
 十夜はシーネやリーネ、そして他の【自存型】リエラを持つ生徒たちに撤退を促す。その声、十夜の覚悟を肌に感じたのか、生徒たちはコクリと1つうなずくと素直に撤退を始めた。
 奥へと走り抜ける生徒たちの中、ゆういちがリディとウィリアの2人にシャザインらの護衛を任せ、自分はその場に残る。
「俺も付き合うぜ」
 ゆういちは、レアンに向けて光の弓を引き絞った。
「後で、煙草でも奢ってくれよ……」




- 図書館 空中階段 -


 図らずもアルカード、八重花、そして崑崙飯店隊が休息を取っていた場所に再集結することになった『先遣隊』のメンバーは、もう一度状況を検討し、今後の行動を決定する為に、石の階段の上で作戦会議を開いていた。
 とにかく、まずは目的地である逆さ図書館に辿り着かないことには話にならない。
 だが、このまま無為に階段を上るという選択肢はあり得なかった。
 それを理論的に打ち出したのは、ダークロア隊の左翼を任されていたクーザである。
「実は、後で小説のネタにしようと思って、この天まで届く階段の数を最初から数えていたんだが……。一体、どれくらい上って来たのか分かるヤツいるかい?」
クーザはメモ帳を取り出して、何かをしきりに計算しながら言葉を続けた。
「ざっと、2000段。1段の高さが、まぁ、指計算で約4アーだから、単純計算で80アースは上って来た訳だ」
「それは……いくら何でも変ではないか、クーザ」
 クーザの示した数字に、魔竜が眉根を寄せる。
「街で最も高い建物である、時計塔でさえ30アース。俄かには信じられん数字だ」
 魔竜の言葉にクーザがうなずく。
「そう。信じられないけど、ホントにそれだけ上ってきちゃったんだな〜、これが。で、問題はそこじゃなくて、実はそれだけ上ってきたにも関わらず、あの空に見える図書館がちっとも大きくならないのが問題なんだ」
 クーザはそういって、指を2本立てて見せて、それを1本1本折りながら説明する。
「と、なると、考えられる可能性は2つ。1つは、あの逆さ図書館が想像を絶してばかでかく、ここからまだ何アーリスも離れてる場合。ま、山みたいなもんだ。で、もう1つは、この階段が古典的なトラップ、『沈む階段』だった場合」
「『沈む階段』?」
 耳慣れない言葉に、誰かが暗に説明を求める声を上げた。
「『沈む階段』ってのは、階段に滑車とベルトを仕掛けて、体重がかかると階段が一段下へ下がるトラップで、簡単に言えば、実はその場から一歩も動いていないのに上った気にさせる、って罠だ。ま、基本的には暗くしないとすぐばれちまうんだけど……」
こんな明るい場所では、なかなか使えるもんじゃない、と、クーザが肩を竦める。
「どちらがありそうかと言われれば、山のように巨大ってよりは、この階段が無限に続いている『罠』の方がありそうだな」
 仮に罠であったとして、現状ではその罠の実態すら見えていないのは問題だ。
 魔竜は思案の末、いったんクレアたちが待つ資料室へ戻ることを決心したのだった。




- 図書館 談話室 -


 見も知らぬ鉄灰色の回廊を抜け、“遠見の”クレアらが談話室に着いた頃、談話室は野戦地に急造された配給所の様相を呈していた。
 スルト、エス、そして秋華、アルツハイムの4人が持っていた食料と、ゆういちが供出した調理器具を使って、疲労した生徒の疲れを癒すべく、料理の配給を行っていたのである。
 調理の燃料は、バリケードに使用されて用を成さなくなったソファー、テーブルの残骸、そして掻き集められた本が使用され、セリア、エリ、クオン、エレン、ナターシャ、ロバート、レコナ、ファニス、ヘレン、楓、ポロリエッタらが配給の為に談話室内を駆け回っていた。
 また、談話室の一角が区切られ、そこにソファーの残骸やテーブルクロスなどが運び込まれて臨時の休憩所となり、腹を満たした生徒たちが雑魚寝している。
 エスの指揮の下、テキパキと効率良く行われるその仕事ぶりには、兵役経験者も舌を巻こうというものだった。

「どうぞ〜、お食事ですにゃ〜♪」
 そうした談話室の一角、“遠見の”クレア、レジーラら、図書館脱出計画の作戦会議の場に料理を運んでいたポロリエッタは、その場に流れる重い空気にちょっと言葉を詰まらせる。 「どうしたにゃ♪ 料理が物足りないなら、栄養満点、お味バツグンのコイツを進呈するにゃ♪ 心配しなくても、1日もほっとけば元通りにゃ♪」
 そういってポロリエッタは、背後に隠れていたDノワールをずずいっと前に押し出す。
「さすがのアッシも全部食べられたら死んじゃうんで…半分だけでヤンスよ?!(滝汗)」
 差し出されたDノワールを見ようともせず、シャザインが首を横に振った。
「止めておいた方がいい。この“夢の王”の世界では、【自存型】リエラは能力が使えない。身体が欠けても再生できないぞ」
「あんぎゃ〜〜!! じゃ、ダメでヤンスよ〜!」
 シャザインの言葉にショックを受けた……のかどうかは、その奇妙な姿からは想像できなかったが、いきなり泣き出したDノワールをポロリエッタは作戦会議場から連れ出して行った。
(全く、能天気なものだ……)
 シャザインは溜め息をついて、すぐ側に腰を下ろしているフランの様子を盗み見る。
 先程の、あの奇妙な言動は何だったのか?
 再び目を覚ましたフランは元に戻っていたし、どうやらその時の会話の内容も記憶していないようだった。
 これが一体どういうことなのか。談話室に向かう途中で合流した、エルルケーニッヒに尋ねてもみたが……エルルケーニッヒも満足な答えを返せないようであった。
(誰かに相談するのもいいが……、とりあえず事態が落ち着くまで、自分の胸の内にしまっておくことにしよう。それに、レアン。あの男も気にかかる。ゆういちたちが無事ならいいが……)
 シャザインは胸の内の不安を無理やり押し込めると、再び会議の内容に耳を傾けたのである。

「……じゃあ、自存型リエラにいったん自分の世界に帰ってもらって、外へ脱出してもらう、って方法は使えないわね……」
 シーネらによって伝えられたレアンの言葉、「リエラも夢を見る」。その意味する所は、フューリアの力に依らず、現世に実体を持つリエラも、フューリアと同様に“夢の王”の世界に捕らわれている、ということ。
 実際、エドのセルマは能力を発揮することはできなかったし、シャザインのエルルケーニッヒも満足に飛行することができなかった。どこまで本当なのかは分からないが、その能力が著しく制限されているのは間違いない。
 となると、「【自存型】のリエラなら“夢の王”の支配を逃れて脱出できる」というレジーラの考えは、むしろ正反対ということになるのだが……。
「とはいっても、基本的な考え方自体は間違っている訳ではない、と思いますわ」
 “遠見の”クレアがにっこりとレジーラに微笑みかける。
「“夢の王”の結界もリエラとしての力。同じリエラの力で力場を作り、干渉を引き起こせれば……」
「“夢の王”の結界に穴を開けることができる、……そういうことね」
 後を続けたレジーラに、“遠見の”クレアがコクリとうなずく。
「そうです。私のアイアンメイデンなら、長時間力場を生成し続けることが可能ですわ」
「なら、後はどこで力場を発生させるか、だ」
 現場指揮から戻ってきたばかりのエスが、図書館の見取り図を取り出しながら、要所要所をペンでチェックする。
「候補として考えられるのは、……正面玄関、裏口、集配口、北の回廊の大窓。こんな所か?」
「いいえ、場所はもう決まっています」
 クレアはエスからペンを受け取り、2階、資料室奥の壁を丸で囲んだ。
「資料室、東の壁。私の考えでは、ここが現実世界との接点です」




- 図書館 空中階段 -


 下りても、下りても終わらない階段。
 遥か下に見える資料室に向かって声を上げたが、その声は空しく空に吸い込まれていった。
 向こうがそれに気づいているかどうかは分からないが、遥か天空の逆さ図書館を見上げると、階段を上っているはずの桃竜たちの姿がすぐ近くに見える。
 お互い逆方向に進んでいるのに、これだけ歩いて距離が離れないということは考えられ ない。単に、どっちにも進んでいないのだ。
「……ロウ、悪いが皆を呼び集めてくれ」
 引き返すこともままならず、魔竜は考え方の根本的変換を余儀なくされる瞬間が、刻一刻と近づいていることを実感していた。
 自分たちがこうしている間に、下では一体何が起こっているのか……。

 罠。

 不吉な考えが頭を過ぎる。
 天空の逆さ図書館、そしてこの階段は、自分たちをそもそも分断するための罠なのか……。

 何にしても確認がいる。
 殿を務めていたロウが、上へ向かった生徒たちを呼びにいっている間に、魔竜は目を閉じて交信状態に入った。
 いつもとは違う、何か分厚い布を抜ける感覚。
 妨害……? “夢の王”が作り出した妨害物? リエラと交信させない為の?
 だが、豊富な経験を積み、フューリアとしての力に覚醒しつつある魔竜にとって、この程度の妨害は妨害の内に入らなかった。
 ゆっくりとしたペースで交信し、D・ドラゴンを実体化させる。
 空中階段の上空に、黒にも見える藍色の鱗と紫の三眼を持つ竜が姿を現し、ひと羽ばたきして魔竜の肩に降り立った。
「……状況は、今伝えた通りだ。どう思う、D?」
「そうですな……」
 D・ドラゴンと呼ばれる年経た竜は、その姿に相応しい威厳のある声で魔竜に答えを返した。
「魔竜、貴方に呼ばれてここへ出てくるのに、異質な結界の存在を感じました。“夢の王”リジャーゼ・ストラウブ……そう呼ばれている存在だそうですな」
「その通りだ、D。俺たちはどうすればいい? この“夢の王”の結界から抜け出すには?」
 魔竜が静かな声で尋ねる。この行き詰まった現状を打破すること、それがリーダーとしての彼の役目だった。
 だが、D・ドラゴンは首を横に振る。
「請われれば力を貸しますが、知恵を貸すことはできませんな、魔竜。なぜなら、人は考えることを止めれば人でなくなるからです。ですが……、ヒントを差し上げましょう」

 夢に支配されるのは、夢に捕らわれるからです。
 夢に捕らわれるのは、夢に用意された舞台で遊ぶからです。
 夢に遊ぶのは、目に見えるものを信じるからです。
 目に見えるものを信じるのは、見ようとする勇気がないからです。

 D・ドラゴンはそれだけ言い残すと、魔竜の肩から飛び上がり自ら姿を消した。
 強固な自我を持ち、限りなく【自存型】に近いリエラ、D・ドラゴン。自ら姿を消した、ということは、そこから先は自分で考えろ、ということなのだろう。
「見ようとする勇気……魔竜君、何のことか分かる?」
 フィブリーフが足元の石階段、その実在を指で確かめるようにそっと触れる。
「いや、そうすぐには……」
 ちょっと俯いた魔竜の視界の隅で、人影が不審な動きをしているのに気づいた。鬼叫だ。
「危ないぞ、鬼叫! すぐに離れるんだ!」
 石階段の手摺りに身を乗り出していた鬼叫が、魔竜の制止を振り切るかのように空中に身を躍らせる。
 鬼叫の側にいた白い狼、彼女のリエラ、ケルベロスも鬼叫の後を追って手摺りを跳び越えた。
「ケルベロス、なぜ止めなかった!」
 慌ててD・ドラゴンを実体化させ、鬼叫を救おうとした魔竜は、突然電撃に打たれたかのように動きを止める。

 上にも下にも無限に続く階段。
 だが、その無限に続く階段から足を踏み外して、落ちてしまったらどうなるのか?

 鬼叫が取った行動は、正しくその「どうなるのか?」だった。
 「階段」という目に見える物を信じ、階段の始まり、あるいは終わりにあるはずの、未だ見えない「床」の存在を信じていなかったのかも知れない。

「……そうか、Dはそのことを言いたかったのか」




- 図書館 談話室 -


「美形ユニット」

「アルツィングスター」

 給仕の手伝いをしていた楓は、談話室の外の廊下の影から聞こえてきた声に答えを返す。
「どうしたの、リン」
 楓に呼ばれて、影の中から姿を現したのはリンとパッセイジの2人だった。その2人の背には、ゆういちと十夜が担がれている。
「誰か傷の手当てができるヤツを呼んできてくれ」
 リンの言葉を待つまでもない。楓はすぐに、スルトを呼びに駆け出していた。

「よく無事で帰ってきたな!」
 そのままリンとパッセイジに背負われ、作戦会議の場に運ばれたゆういちと十夜は、そこで傷の手当てを受けながらシャザインらと握手を交わす。
「怪我の具合は大丈夫なのか?」
「まぁな。この程度の怪我」
 何でもないから、心配するな。と、ゆういちが軽く手を振る。
「それより、ヤツを逃がしちまった。手傷は負わせたんだけどな……」
 ゆういちの言葉にパッセイジがうなずく。
「あの男を追って、俺とリンが駆けつけた時には、既にどこかへ消え去った後だった。俺のウィザーラントでも追跡し切れない……ヤツは、一体何者なんだ?」
「分からん。だが、あの男は自分のことを“運命改変者”と呼び、レアン・クルセアードと名乗っていた。後で、マイヤ会長に聞いてみた方がいいな」
 シャザインは用心深く、言葉を選びながらそう答えた。
 その他にも、あの男は何を言っていたか?
 フランを「“奔放なる者(パティア)”」と呼び、あの時のフランをまるで知っているかのような口振りだった。

 フューリアでありながら、学園に敵対する謎の男。

「……あの、そろそろ、資料室へ移動しますけど……」
 あり物のテーブルクロスを寄せ集めて作られた、粗雑なカーテン越しにルーがオズオズと出発を告げる。
「…分かった」
 十夜が立ち上がり、リン、そしてパッセイジと共に休憩室を出る。利き腕に軽い怪我を負っただけの十夜はいいが、足に怪我を負ったゆういちはすぐに動くのは難しいかも知れない。
「……歩けるか?」
「それより、火を貸してくれよ」
 肩を貸そうとするシャザインを押し退けて、咥え煙草のゆういちはゆっくりと立ちあがった。




- 狭間 -


 空は歪んでいた。
 上にも下にも、どこまでも無限に伸びる階段。
 そこから足を踏み外したら「どうなるか?」。

 答えは簡単。

 まるで粘性の液体の海に飛び込んだかのような感触。
 重く纏わり着く空気の層を抜け、張り巡らされた階段の影を滑り、
 そして、上でもなく、下でもなく、どこでもない場所を過ぎ、

 そして、辿り着いた。

「うゅ…ドコですか……ここは……」
 目を覚ましたミント・プレサージュは、キョロキョロと辺りを見回した。
 そこは、図書館。談話室。
 テーブルやソファーが運び出され、床の上には学生たちが並んで寝かされている。
「……ってー、どこだ……ここ?」
 ミント・プレサージュの隣に寝かされていた、スレイファンが上半身を起こして頭を振る。
 辺りを見回すと、他にもアルカードやレオン、アスタル、シィ、崑崙飯店の3人、ダークロアの面々、要は『先遣隊』として出発し、魔竜の提案によって空中階段から飛び降りた生徒たちが、身を起こして周囲の状況を確認している。
「あの階段は……、逆さ図書館は夢だったのか? 夢から……覚めたのか」
 レオンが拳を確かめるようにきつく握り締め、立ち上がった。
「いや、夢じゃない……」
 そう、スレイファンは確信していた。
 空中階段から飛び降り、現実世界へ戻る、その狭間の世界で、スレイファンは2つの図書館の姿を目視していた。
 馴染み深い、自分たちが知る図書館と、白く濁った「ゆらぎ」に覆われた、鉄灰色の図書館。そして、その図書館に輪を作る空中階段を。

 談話室で次々目を覚まし、起き上がる生徒たち。
 誰かがそのことを伝えたのか、程無くして双樹会会長、マイヤが談話室に姿を現したのだった。




- 図書館 資料室 -


 談話室から資料室への移動は、それまでの混迷ぶりとは打って変わって、実にスムーズに、かつ迅速に行われた。
 トウヤが図書館内を歩き回り、その情報を元にエレンが地図を作り上げていたからである。
 あの突然の白い輝き、そして変容以来、異形の存在は出現せず、道さえ間違えなければ大した危険はなかったのだ。

「あっ! ロキ様!! 遅いですよ〜。一体、何やってたんですか〜?」
 資料室に移動した学生たちを最初に出迎えたのは、神秘研究会カオスの一員、脹れ面のロザリアだった。
「すまん。色々あって遅くなった」
と、苦笑するロキの脇をすり抜けて、マーカラがロザリアへ詰め寄る。
「あの、兄さんは……。『先遣隊』として、空中に見える逆さ図書館へ向かった、って“遠見の”クレアさんに聞いたんですけど…」
「ゴメンね……アタシにも、何がどうなったのか分からないの」
 必死な形相のマーカラに、ロザリアが困り顔で鉄の扉を指差した。
「ホントはあの扉の向こうに、逆さ図書館へ続く階段があったんだけど……」
 ロザリアの言葉に、慌てて駆け出そうとしたマーカラをロキが肩を掴んで押し止め、首を横に振って後ろに下がらせる。
 そして、ロキは空中階段へ続く鉄の扉の前に立って、すぐ後ろについて来ている“遠見の”クレアを振り返った。
「これを削ればいいんだな」
「ええ。結構ですわ」
 “遠見の”クレアが軽くうなずく。
 既に、作戦は決まっていた。
 ロキのリエラ、ハティの能力によって、空間を切断し、現実世界への道を切り開いた後は、“遠見の”クレアがアイアンメイデンで力場を発生させ、全員が抜け出すまで道を確保する。
 資料室に残り、扉の警護を行っていた生徒たちに“遠見の”クレアはそう説明した。
「説明は後。今は彼女に任せてちょうだい」
 レアンとの一件を知らない為、なぜそういう話になったのか、今一つ理解できないような顔をしている生徒たちを、レジーラが上手く言い包めて後ろへ下がらせる。
「にゃ〜、ゴメンね。こんな時に役立たずで……」
 疲れた顔をして、本棚にもたれ掛かっていたクレアは、ヘィゲルの肩を借りながら“遠見の”クレアに頭を下げる。
「そんな……謝らなくてもいいですわ。今は身体を労わって下さいね」
 “遠見の”クレアは全ての準備が整ったのを確認すると、静かに目を閉じて交信状態に入り、アイアンメイデンを実体化させた。同じく、ロキもハティを実体化させる。
 資料室に現れたアイアンメイデンとハティの力により、本棚が紙くずのように吹き飛ばされ、空気の渦が巻き起こる。
「アイアンメイデン。結界を!」
 “遠見の”クレアがアイアンメイデンの結界を、後ろに待機する学生たちに展開した。
 そして、ロキにうなずく。
「よし、行くぞ! 削り取れ! ハティ!!」
 ロキの命に従い、ハティが咆哮を上げて扉のある空間に「月喰らい」を使用した。
 轟音、そして湾曲する空間。
 しかし、結界は裂けなかった。捻じ曲げ、伸ばしたゴムが一気に戻るかのように、空間が揺り返しを起こしてもの凄い衝撃波が資料室に発生し、本棚、本、椅子、机、あらゆるものをまるでバターを裂くかのごとくズタズタにする。
 その光景を目にした学生たちに戦慄が走った。
 アイアンメイデンの結界がなければ、自分たちがあの姿になっていたのかも知れない。
「もう一度だ、ハティ!」
 諦めることなく、ロキは第二撃を命令したのだった……




- 図書館 資料室 -


 マイヤの指示の元、資料室の奥に置いてあった戸棚が動かされ、そこに鉄の扉が姿を現した。
「同じだ……。あの鉄の扉と……でも、待てよ……」
 本棚の裏に隠された鉄の扉を、つぶさに観察していたスレイファンが、夢の世界で見たソレと根本的な違いを発見する。
「やっぱりそうだ。これ、蝶番の位置が反対だぜ。間違いない」
「夢は、現世を映す鏡。そういうことが言いたいのかもな」
 扉から離れて立っていたゼロは、そう呟いて隣に立つエリスの横顔を盗み見した。
 エリスは……相変わらずいつもの厳しい顔を崩さず、じっと鉄の扉。そしてその先にある「何か」を見つめている。
 ゼロは事態を報告しに双樹会会長室へ出かけた後、マイヤに頼まれてエリスを呼びに行ったのだが……普段から孤高を常とする彼女が、なぜ双樹会、あるいはマイヤの要請に無条件で応えているのか。そこのところが分からなかった。
 と、エリスがゼロの物問いたげな視線に気づいたのか、小首を傾げて顔をゼロに向ける。ゼロは慌てて視線を逸らした。
「私が、なぜマイヤの要請に応えるのか……そんなに不思議?」
 まるで、心の内を見透かしたかのようなエリスの言葉。ゼロはちょっと照れたようにうなずき、ぶっきらぼうに答えた。
「あぁ。気になるね」
「……そう。でも、マイヤは余り関係ないわ」
「じゃあ……」
 ゼロがその続きを質問しようとした、その時。
 鉄の扉が震え、資料室内に轟音が鳴り響いた。

 1回、2回。

「今です!」
 鉄の扉付近で、バ・ルク、そしてカズホと何事か相談していたマイヤが合図する。
「とにかく、この扉を空間ごと裂けばいいのね!」
「分かったわ!」
 バ・ルクとカズホが最速でリエラを実体化させ、Åと斬像矛が唸りを上げて空間を切り裂く。


 鳴り響く2つ目の鐘の音。
 その瞬間。
 閃光が2つの資料室を駆け抜け、“夢の王”の結界が切り裂かれたのだった!



「よし! 開いたぞ!」
 何度目かの挑戦の後、ハティの能力によって遂に空間に裂け目ができる。
「アイアンメイデン! 広域力場展開!!」
 “遠見の”クレアの求めに応じ、鋼鉄の女騎士、アイアンメイデンは、ハティが作った空間の裂け目に手を入れると、それを一気に押し広げた!
 そのまま力場を展開し、強力な力で閉じようとする裂け目を固定する。
「早く! 早く脱出して下さい!」
 “遠見の”クレアが肩で息をしながら叫んだ。
「……すまん。先に行かせてもらう」
 まず、ゆういち、十夜ら、怪我をした生徒たちが裂け目に飛び込み、後は順に動ける者から裂け目に飛び込んでいった。

 次々と裂け目に飛び込む生徒たち。
 最後に残ったのは、力場を維持している“遠見の”クレアと、余り体調の思わしくなさそうなクレア、それに肩を貸すヘィゲル。そしてルーとランディスの5人だった。
「じゃ、私も先に行くよ?」
「ええ…! 早く!!」
 クレアはヘィゲルに肩を借りながら裂け目に近づき、ルーを呼ぼうと後ろを振り返る。
 と、その動きが止まった。
「後ろッ!!」
 クレアの叫びに、ルーとランディス、そしてヘィゲルが驚いて後ろを振り返る。

 資料室の入口に男が立っていた。
 焦げ茶色の軍用服を着た男。その左腕は袖の部分が切り裂かれ、手首に黒いリストバンドが巻かれている。

 レアンは腰からサーベルを抜き放ち、それを5人に突きつける。
「……クレア・エルグライド。お前のためにパーティーを開いてやったというのに、主賓が先に帰るのは許せんな」
 そう冷たく言い捨て、レアンが歩を詰める。
「ここは私に任せて! 早く裂け目へ!」
 ランディスが一歩前に進み出て懐剣を構えた。リエラを実体化させている暇はない。
「クレア!」
 と、ランディスの背後に庇われていたルーが、突然今までになく力強い声でクレアを呼ぶ。
 ルーの声にうなずいたクレアは、ヘィゲルから身体を離すと、ヘィゲルを裂け目の中へ突き飛ばした。
「な、何を……?!」
「ランディスさん。命は大事にして下さい」
 ルーは驚くランディスを、華奢な少女のものとは思えない力で裂け目へ突き飛ばした。
 同時に、クレアが“遠見の”クレアを裂け目へ体当たりして突き飛ばす。

 それは、ほんの一瞬の出来事。

 一体、何が起こったのか。
 突き飛ばされた“遠見の”クレアの目に映ったのは、喉元にサーベルを突きつけられたクレアの姿だった………


 “遠見の”クレアの悲痛な叫びは、狭間の中へ吸い込まれ、
 そして、裂け目は閉ざされた。



(第2話に続く)