月闇の女王

 月明かりの中、角灯を持って歩く少女。少女は霧を伴って現れ、その霧を吸い込んだものは例外なく深い眠りの世界へ誘われ、目を覚まそうとはしない。そして、夜の世界を支配する白い霧は次第に広がり、学園都市を覆い始めていた…。



- 一日目正午より〜蒼月の都 -


「うーん……」
 外に面した窓から射し込む陽光が宝石たちを煌かせている宝飾店『蒼月の都』は、その日妙な賑わいを見せていた。今店の奥でスケッチブックを前に首をひねっているのは、赤い髪のクレアだ。その手元を、さっちゃんとハーレーが覗き込んでいる。今は他にもたくさんの生徒たちが、クレアに注目していた。何人かはセリアの配ったお菓子をつまみつつ……なんだか宝飾店という雰囲気からは微妙に離れ、まるでサロンのようだった。
「できたぁ!」
 さっちゃんに頼まれて黒玉の指輪の絵を描いていたクレアは、高々とスケッチブックを掲げた。それを見て、ルーは少しだけ首を傾げている。
「……」
「あの指輪、そんなだったかしら」
 神楽坂葵と水那の相手をしていたカレンの方が、ちらりと見ただけで先にそう言った。
「似てないの〜?」
 困ったような顔のさっちゃんの言葉に、カレンはこくりと頷く。
「それじゃ困るんですが」
 同じくミハイルが本当に困った顔をしている。この情報を元に贋作を作ろうと思っていたからだ。
「そうだっけぇー?」
 クレアは口をむううと曲げて、自分の描いた絵を睨みつけている。今はスケッチブックはルーの手にあって、ルーが絵を描いている。
「あ、こっちの方がちょっとは似てるかしら」
 カレンもルーの手元を覗き込み、また感想を述べる。バイトのカレンの方が長く見ていたので、あの黒玉の指輪については記憶に強く残っているのだろうかだがルーの絵でも、ちょっとは、だ。
「じゃあ、カレンも描いてくれよ」
 しかしトーハがそう頼んでも、
「私、絵下手だもの」
 と応じてくれない。
 これではミハイルが贋作を作ることも、トーハやさっちゃんの調査も困難そうだった。
「……けふっ……ねえねえ、クレアちゃん。ランカークさんのところに連れていってくれない? 指輪、見てみたいの……」
 自分の描いた絵が似てないということに不機嫌になって、ぷーっと勝手にふくれていたクレアに、リアがそう持ちかけた。
 え、という顔をしているクレアに、ロザリアがたたみかける。
「……私もそんな綺麗な指輪なら、一度見てみたいな。あの馬鹿貴族が持ってるのやだけど……」
「そおかあ……じゃあ、行ってみようか!」
 クレアが素直にそう言って立ち上がる。それは、誰とでも友達気分の人懐こさのなせるところだろうか。アドリアン・ランカークとも友達気分なのだろう。ただしクレアがそういう気分なだけで、あちらもそう思っているとは限らないが。
 といったところで、クレアをデートに誘いに来ていたクラルが勢い込んで聞いた。
「クレアさんは、まだその指輪がほしいんですか!?」
「う、うん。でも、買われてっちゃったし……」
 クレアが頭を掻きつつ答えたのは、果たしてクラルの耳に入っていたかどうかはわからない。その次の瞬間には、クラルは、
「私が必ずクレアさんにその指輪をプレゼントしてさしあげます!」
 と叫び、店を走り出ていってしまったからだ。
「あ……行っちゃった」
 追いかける暇もない。
「まあ、ランカークのところに行ったんだろうしな……ルーはどうするんだ?」
 その場の一同が揃ってあきれたようにクラルを見送ったあと、ジェイドが苦笑いを浮かべつつ、ルーの方に訊ねる。ジェイドは、今回の一件のことでルーとクレアに協力を求めに来ていたのだ。
 ルーとクレアには、ミハイルとジェイドが知る限りのことを既に話している。だから黒玉の指輪がただ宝飾品ではないことは、クレアもルーも既に知っていた。
「わ……私は……クレアが行くなら……」
「にゃ! じゃ、いこ!」
 クレアに手を取られ、ルーも立ち上がった。そしてこれに着いて行く者たちと、他の場所に調査に向かう者たちが、一緒にぞろぞろと出ていく。
「カレンさんは一緒に行かないですか?」
 水那に訊かれ、カレンは本当に不思議そうに首を傾げた。
「どうして私が一緒に?」
 その様子に葵が逆に、首を傾げる。カレンが眠り病を撒く黒衣の少女ではないかと葵たちは疑っていたからだ。
「あなたたちこそ、一緒に行かないの?」
 と、カレンは店に残ったジェイルやレアルたちに向かって訊ねる。カレンの話も聞きたくて残ったのだという答えを聞いて、カレンは少々考えこんだ。
「……もう少しでバイトの時間終わるから」
 終わったら少しだけ、と約束してカレンは店の仕事に戻ろうとした。だがそのとき、また学園の制服を着た生徒が入ってきて。
「いらっしゃいませ」
「カレンさん」
 パッセイジがカレンに呼びかけると、カレンは少し息を吐いた。


 そんな「蒼月の都」をウェインは外から見張っていた。本当の目的が何かと言えば、行商人が来るのを待っているのだが、何かの手がかりになるかもしれないと出入りする者には十分注意を払っている。
 昼間のうちに学園の生徒はたくさん出入りし……さて、ずっと見張っていたウェインはそのすべてを見ていた。
 その最後に出てきた、カレンと葵たちのことも。
「ごめんなさい、私、ちょっと急いで行くところがあるの」
 まだついていこうとする葵たちに、カレンがそう言っているのがウェインにも聞こえた。そして、カレンは小走りに店の向こう側の路地を曲がる。
 しかし葵たちも、それを追いかけて行った。だが……
「あっ!」
 葵が素っ頓狂な声をあげたので、ウェインもふらりと偶然その後ろを通りかかったふりをして覗き込みに行く。
「……消えた……」
 どうやらその路地に入ったはずのカレンの姿が、煙のように消え失せたようだった。



- 一日目昼下がり〜ランカーク私邸 -


 生徒によっては学園寮に暮らさず、街に私邸を構える者もいる。アドリアン・ランカークもそのうちの一人だ。その豪奢な私邸は今朝から、にわかに賑わっていた。
「お初にお目にかかる、ハジケの首領の空牙です〜!」
 その日はそんな空牙の挨拶から始まり、この時点で主だった護衛は秘密結社ハジケの面々だった。リーダーの空牙を筆頭に、レン、リン、オードルといった顔ぶれがスルトからの紹介状をコネに屋敷に入り込んでいる。
「客人だ。例の指輪を持ってきたまえ」
 と、彼らに声がかかったのは、午後のティータイムというところだったろうか。
 実際のところ、このランカーク邸では本日の客人のいくらかは門前払いを食っている。指輪を見せてほしいと頼みにきたファルクスやウィル・スルト、そしてクレアとルーたちの一行などだ。カークスとフーガの二人組に至っては騒ぎを起こそうとしたことを護衛のレンに看破されて、忍び込もうとしたホムラ共々、ハジケの面々につまみ出されてしまった。
 さてランカークと会うこともできずに門前払いを食った彼らと、今屋敷に上がり込んでいる者との差は何かと言えば、コネか手土産か幸運だった。
 今も誰かが訪ねてきて玄関先で何か騒いでいるのが聞こえ、窓の外に目を向けていたリディも、ランカークが応接間に戻ってきたのに気づいて居住まいを正した。リディの座っている斜め後ろにはアルカードが護衛よろしく立っている。そしてリディの隣には、一緒に来たわけではないのだがレジーラが腰掛けている。
 今ランカークが黒玉の指輪を出してきたのは、ティータイムに手持ちの宝石を見せ合うという、いかにも貴族趣味な遊びをレジーラが持ちかけたからだった。もちろんレジーラも、自分の持っている高価な宝石をいくつも持参してきてのこと。
「ランカークさん」
 このタイミングに居合わせて指輪を前に話ができるというのは、リディにとってやはり幸運だった。こういった星の巡りの良さが、リディにはある。
「この指輪にまつわる話を、聞いていただけませんか……」
 黒玉の指輪とランカークの顔を交互に見て、リディは切り出した。


 結果を言えば、リディの交渉は失敗に終わった。途中でレジーラが代価に自分の宝石を出しても構わないと協力を申し出てくれたが、それでもランカークは首を縦には振らなかったのだ。自分の買った物だ、手放す気はない、という点から話は動かなかった。
 もっと高価な代価を用意したなら、あるいは……というところだったが、十分に高価な宝石3つとの交換にすら応じなかったのだから、これ以上をリディに用意することは困難だろう。
「もう良いかね……ふぁあ……失礼、なんだか眠くてな」
 あくびをしながらランカークは言った。黒玉の指輪をしまうと言うランカークを、それ以上引き留めることはできない。
 メイドがやってきて、指輪を持っていこうとする。
「待って、あなた」
 だが、そのとき指輪を持っていこうとする女中にレジーラが声をかけた。そして、ランカークに聞く……本当にこのメイドはこの屋敷の者か、と。必ず誰かが忍び込んで指輪を奪おうとするはずだ、と。
「そんなはずはない、怪しい者は雇わんぞ……む? おまえ、見ない顔だな」
 ランカークは顔を顰めている。
「ランカーク様お付のメイドではなかったのですか?」
 オードルに問われ、ランカークは違うと答えた。そのメイドはランカーク付のメイドとして、指輪を運ぶように言われたと言っていたのだ。
 万事窮す。
 そのときその偽メイド……ヘィゲルも、それを悟った。躊躇っている暇はない。ヘィゲルはそこから指輪を持って、逃亡しようとしたが……
「逃がしませんよ……残念ですね。今学期は病院の天井の染みを数える毎日になりそうですよ……あなた」
「あっ!」
 それを追うように、リンの革鞭がしなやかに唸った。指輪はヘィゲルの手から弾け飛んで、リンの手に納まる。
「さて……お楽しみはこれからですがね……」
 指輪の真贋を一瞥して確認すると、リンは酷薄に微笑み、今度はヘィゲル本人にむかって軽やかに鞭を振るった。



- 一日目昼下がり〜街の各所で -


「これは……」
 シーネの手元を覗き込んでいたのは、今は妹のリーネだけではなかった。
 夜闇の一族や真玉について、図書館に情報を求めに来た者たちのほとんどが、今はそこに集まっていた。
 夜闇の一族……それは帝国成立以前に姿を消した古きフューリアの一族。帝国の成り立ちの際にも、彼らは歴史の表舞台には現れなかった。実は、そういった古き血のフューリアの一族は多い。どこかで滅び去ったがゆえか、今も理由あって息を潜めているのかは、わからない。ただ、その者たちは帝国領内から出ていく道も選ばなかった。
 そのすべての理由までは、シーネとリーネの見つけだした写本にまでは書かれていなかったが……
「夜闇の一族の最も強き血を引く長が、ロシュコースとの契約を引き継ぐ……そうでなくては、ロシュコースはフューリアの制御を失うと同時に理性を失う危険な存在であるからだ。制御を失えば、災厄が振りまかれることになる。だが夜闇の長さえもロシュコースとの契約の証なしに、長い間はロシュコースを制御し続けることはできなかった」
 セイがシーネとリーネの訳した部分を読み上げる。疲れて居眠りしかけていたクリスナルスも、そこで顔を上げた。
「この契約の証っていうのが、秘宝か」
 レイヤの呟きに、ディスが頷く。
「ではこの災厄が、眠り病か」
「……制御を失っているのか? だから眠り病が」
 シーネが腕組みして考え込んでいる後ろから、クーザがぽんと肩を叩いた。
「いいや、まだ制御を失っているわけじゃないな。だが、もうじきなのかもしれない」
 次の満月までに秘宝を返せ……その余裕のない態度は時間がないせいなのかもしれない。時が過ぎれば、更なる悲劇が起こるからか。
「じゃあ、眠り病を撒くのただやめさせても」
 それは少女を改心させればいいという問題ではないのかもしれない、ということだ。シーネは更に眉間の皺を深くした。
「よし、これをみんなにも知らせて来てもいいか?」
 クーザはメモを取ると、その場の者たちに一応確認を取った。これを知れば、黒衣の少女を無理に攻撃しようという者は牽制できるだろう。それだけでは解決にならない、となれば。
「構わないわよね?」
 とリーネも問い、それに一同は頷いた。
「他にも、何かあったら知らせてくれ。これに関わってるみんなに色々知らせてるんだ」
 拾った情報と引き換えに、更なる情報を。そしてゆくゆく蓄積した情報は、クーザが黒衣の少女を見いだすのに役に立つはずだった。
「わかった。そういえば、病院の方にルーネが行ってるんだが……」
 シーネはもう一人の妹の行方を、クーザに告げた。
「何をしに?」
「眠りをぶっ飛ばして起こせないか、試しに」
 ひゅう、とクーザは口笛を鳴らす。
「出来てればいいな」
「今頃は結果出てるだろう」
「じゃ、ちと顔出してみよう」
 と、クーザは閲覧室を出て行く。他の者たちも、それぞれまた本を探したり調査へと向かっていった。


 さてクーザが病院に着いたとき、ルーネはリエラの連続使用で目を回しかけていた。
「ふ、フリッケラぁーイ!」
「おいおい、大丈夫か」
 倒れかかるルーネを後ろから支えてクーザが様子を窺うと、十何人かは既に目を覚まして医師の診察を受けている。だが、まだ全員には追いつかず、ルーネはとても解放してもらえる状態ではない。患者の家族たちが順番待ちで殺気だっている。
「落ち着いてくださぁーい」
 ミント・プレサージュが医師団の到着を待ちながら病院の手伝いをしているが、ふとすると一気に混乱しそうな状態だった。
 さて実はもう一人、シャーリーも眠り病に陥った者たちの解除に成功していたのだが、こちらはリエラのファームが夢に入り込んで精神操作して起こすという静かな方法だったので、眠りを殴り飛ばすという派手なパフォーマンスのつくルーネの方により注目が集まっていた次第である。
 目立たないのを良いことに、シャーリーはコネをつけておくと後々有利そうな人物を選んで、そこから起こしていっていた。マリーとネイ、そしてついでにキックス。 「キックスおにいちゃん!」
 マリーとネイを起こしてるのをユカに見つかって、キックスも起こさないと五月蠅そうだったから……というわけでは、多分ない。
「えらい目に遭いましたよ」
「私としたことが」
 起きた早々にそんなことを言っているぐらいだから副作用もあるまいと、早速シャーリーは『お礼』の交渉に入ろうとしていた……そこに、回りを落ち着かせてルーネを休ませたクーザが覗き込む。
「起きたのか。何か眠らされたときのことで覚えてることはないか、ネイ、マリー」
 しかしそれに答えたのは、患者の記憶を探っていたかずなだった。
「今見えたんですけど〜。あの黒衣の子、手加減してるか……力を押さえようとしてるみたい」
 本当は、もっとあのリエラ……ロシュコースは強いだろう。タイプとしてはシャーリーのファームやかずなのジェルと同じように、人の内側に入り込むものだ。そして起きて動く意志と力を食らっていく。それが全力で攻撃していたならば、ファームやフリッケライの力をもってしても、今ここにいる人々は目覚めることはなかったかもしれない。相手が全力だったなら……既に、そのすべての意志を奪われてしまっていたかもしれないからだ。
 今はほんの少し、抑え込まれていただけ……だが、そのロシュコースへのコントロールが怪しくなりかけていることも、シャーリーは精神の内側で接触したファームを介して感じ取れた。
「そうか……やっぱり時間がないのかもしれないな」
 少しずつ、情報は、危機を示唆している。もたもたしている暇はないのかもしれない……クーザはまたメモを取ると、次の場所へと病院を出ていった。


 街中でも、色々と生徒たちは走り回っている。そして、走り回るのは人だけではなく……噂という情報は人よりも速く駆け巡る。
「ないちちさんからおてがみです〜」
 と、ユリナはサァドに手紙を渡した。
「ナイチチさんからですか……どうも……」
 ここには多少の勘違いが発生しているのだが、とりあえず置いておくことにする。
「じゃわたし、ロランドまで行ってくるのでぇ〜」
 ほえほえとユリナは行ってしまう。これからロランドへ行くのは、帝都ガイネ=ハイトに行くより大変な気がしたが、とりあえずサァドはそれを黙って見送った。
 手紙を開くと、それはある噂を流してほしいという依頼が内容だった。
「ナイチチさん……」
 思うところはあっても、従ってしまう。まあ、彼はそういうものらしい。
 溜め息一つ、サァドは街の中心部へと向かい歩き出した……


「うーん」
 噂と言えばアルメイス・タイムス社だ。
 そしてこのときタイムス社に蓄積されていたこの事件に関わる噂と言えば、悪意も意図もない純粋なものだったと言っていいだろう。段々と噂というものは歪められていく運命にあるが……
「黒衣の少女が夜に出歩いている者を襲っているらしいですねー……それが眠り病の原因、と。それでぇ、明日の満月の晩までに、夜闇の真玉を持っていかないといけないんですね」
 エドとシュナイダーの質問に、女性記者はパラパラとレポートをめくりながら答えた。
「そして宝玉とやらは、アドリアン・ランカークの屋敷にあるらしいです。もう何人か交渉に向かって、追い返されたようですね。あっと、そうそう、さっき眠り病の患者を目覚めさせることが出来た学園生徒がいるという情報が入ってきてるんですよ〜」
 エドたちは礼を言ってタイムス社を出た。
 純粋な情報。それは、あまり深い情報ではないということでもある。
 ……真実も偽りも、これからが本番だった。



- 一日目夕刻〜噂の広まり -


 広場では、ウィリアが歌を歌っていた。だがそれは、今ひとつ美しい歌ではなかったが……
 眠り病の原因はランカークが指輪を手放さないことが原因だと、煽動するような歌だった。
 これが噂の出所の一つ。
「眠り病の解決の鍵はぁ、ランカークさんが持っているのですぅー!」
 噂の出所のもう一つ、るーじゅは場所を変えながら昼からずっとそんな演説を街中でしている。時々、やっぱり同じようなことを街中で訴えているアズラと場所がぶつかることがあったが、それとは場所を少し変えつつ……ランカークが指輪を持っていることを訴え、それを持ち主に返せば眠り病が解決するから、と。そしてランカークに指輪の返還をお願いする署名を、通りかかる人にしてもらっていた。
 署名だけなら、一人で集めているわりには、それなりに集まった方だと言えるだろう。問題はこれを持っていって、ランカークが動くかどうかなのだが。
 これを始める前に話をしたフィブリーフも言っていたが、今度のことではランカークには悪意も落ち度もないのである。ただ一般の商店にあった指輪を購入しただけだ。それを非合法な手段で奪うなら、正義はどちらにあるかという点で、お天道様に顔向けできなくなってしまう。
 それでるーじゅが選んだ道は、こうして署名運動ということだった。フィブリーフの方はランカークから指輪を買い取ってもらえないかと、今頃は学園に交渉に行っているはずだ。
 どちらも回りくどいやり方だが、効果があると信じるしかなかった。
「署名お願いしま〜す」
 そこで一人、通りすがりのおばさんが署名していってくれた。そのおばさんは、るーじゅが説明するまでもなく、眠り病とランカークに関わる話を噂として聞き知っているようだった。
「大変だねぇ、そこの広場で歌ってる人もいるし、さっきも泣きながら女の子が話してたよ」
 ああ他にもいるのかと、るーじゅは少し嬉しくなって、おばさんに署名のお礼を言った。


 泣いていた女の子……のはずのパルミィは、今は物陰から街の様子を見ていた。
 ランカークと黒衣の少女にまつわる噂を流している者はパルミィだけではなかったので、午後も遅くなってからは噂は加速度的に広まっているようだった。その様子を観察しているのだ。
 今のパルミィの視線の先には、サックとレーグがいる。その向こうにはナターシャが。三人はさきほどから、うろうろしながら聞き込みを続けていた……そして入ってくる情報は多くは、ランカークの元に向いている。ランカークの強欲さと、その危険さが、微妙に強調された噂だ。中には既に宝玉はランカークの元から奪われ市場に流れたという噂もあったけれど、やはり多くの者が知る噂はランカークがまだ所持している、そして手放す気はなさそうだというものだ。
 街にはいろいろな噂が流れていたが、半分は意図的なものだった。そして結局大勢を占めているのが、『指輪をまだ持っているランカークが悪い』という噂である。これは噂を流した者の数の……その出所の数の差だった。無意識であれ意識的であれ、ランカークを責め貶める噂を流した者の方が多かったということである。
 レーグはまだ慎重に粘るつもりだったようだが、サックはランカークのところへ行くしかなかろうかと思い始めていた。そして、そちらに向かおうと歩き始めたとき、同じように通りで聞き込みをしていた女生徒がサックに声をかけた。
「あの、ランカークさんのところに行くのなら、私も一緒に行ったら駄目ですか?」
 彩も同じことを考えたと言って……
 噂は、どんどんランカークを責め立てる物に変わりつつある。パルミィは思い通りの展開に、思わず唇に笑みを浮かべた。だが、そのときふと気配を感じ……
 パルミィは、その場から人通りの中へと飛び出した。人前で暴れられる者は、あまりいないからだ。振り返ることなく、パルミィは走っていく……それでも、小さな悪意の欠片の細工は残して。
 その直後、さきほどまでパルミィの立っていた場所に濃い青灰色の動きやすい服に身を包んだ人物が立っていた。
 今このとき、黒い衣装を着ていると噂の少女に間違われる。そのための配慮が服の色らしい。既に多少の人違いにあったような気がして、気を遣っているようだ……というのはさておくとして。
 その人影は、そこに落ちていたボタンを拾い上げた。それは、『秘密結社ハジケ』の制服のもの。
「アドリアン様は……」
 人影は、顔を顰めていた。何が真実であるかを判断しかねる……そういう顔で。
 彼女が判断に困る理由は、陰謀が多すぎるせいだ。情報操作は、多すぎれば混乱を招く。目的を異にする複数の仕掛け人がいれば、なおのこと……
 だが、それでも判断せねばならないとしたら、最も信憑性の高いものを選ぶべきだ。あるいは、証拠のあるものを。
「……ご忠告は、申し上げておかねば」
 その呟きを聞く者はそこには誰もいなかったが、パルミィが聞いたなら、また笑みを浮かべたかもしれない。
 そのボタンは些細なパルミィの陰謀ではあったけれど、半分は事実でもあった。
 指輪が既に市場に流れたという噂を流していたのはハジケであり、実際に贋作を骨董店に売って、それを売ったと人の噂に乗せていたのもハジケの構成員の楓だからだ。
 さて、これらの情報をすべて集めたならば……忠実なるランカークの下僕は、どのように判断を下すだろうか。



- 一日目夕刻〜帝都・エルメェス家 -


 蔵書の調査のためにイルズマリとフランについてきた者たちが、エルメェス家にたどり着いたのは、午後もかなり遅くなってからだった。
 これでも、速いほうだったのではある。ロキが素早く特急列車のチケットを手配してきたからだ。待ち合わせには紫苑が少し遅刻しただけで、それもどうにか間に合った。
 だが、彼らがエルメェス家に足を踏み入れた時刻は、もう午後のお茶には少々遅すぎるという頃合いだった。
 屋敷に足を踏み入れると、ランスロットとシャザインは礼を失しないように家人に挨拶をし、蔵書を調べさせて貰えるように改めてエルメェス家の主人に頼んだ。今日はこのまま、泊まり込んでの調査となるからだ。
「こちらです」
 その後、フランとイルに一行は屋敷の奥深くの書庫へと案内された……古い古い家柄だけあって、量でこそは劣るとも、そこにあった本の歴史はアルメイスの図書館にも引けを取るまいと思われた。
「すっごぉいにゃー……」
 天井まで届く本棚にぎっしり詰まった本に圧倒されて、ポロリエッタが感嘆の声をあげた。そのままふらふら見物に行ってしまう。
「ふむむ、あれはどこにいったか……」
 イルが少し飛び回っていたが、すぐに目的の本は出てこない様子だった。
「手分けしましょう……こら、アルフィ! イルさんの邪魔をするんじゃない」
 ルーブルはイルにまとわりついていた自分のリエラを下がらせ、この書庫の中で手分けして調査にあたることを提案する。隣にいたオルテガとユキも頷いた。
「みんなで頑張りましょー」
 なんだか緊張感の薄れるユキの激励だったが、生徒たちは書庫の中に散らばっていった。
 そしてめいめい、思い思いの本を手に取る。
「最も古い蔵書はこちらである」
 イルの案内についてきたのはロキとランスロット、そしてシャザインとスルトだった。そこは書庫の奥の奥、古びた小さな扉の向こう。まるで隔離するかのように、一間別になっている。そこへ、フランと共にイルは四人を招いた。
 こんな時だというのに妙にイルが上機嫌なのは、ロキに稀講本で買収されたかららしい。だが……フランはわずかに、その奥の間に入る折に表情を曇らせた。
「どうした……?」
 それを見咎めたシャザインが訊ねたが、フランはただ首を振っただけだった。


 そうして、奥の間でも、そして表の書庫でも、調べ物は始まった。ただ、誰もが黙々と調べている。
「そう簡単に見つかるものじゃないですね」
 ときに今のゼファーのもののような溜め息混じりの独り言が聞こえる以外は、紙の捲る音ばかりだ。
「あれ……これ、そうかも」
 だがゼファーは次の本を手に取り、しばらく捲ったあと……今度はそう呟いた。
「どれどれ?」
 と、近くにいた者たちがゼファーの元に集まってくる。
「これ……ここのところ」
 ゼファーの示した部分に、『夜闇』という言葉が読み取れる。だがそれ以上は解読が必要な古い言葉が多くて、すぐには読み下せない。
「確かに……」
 シンとマドカも、その部分が『夜闇の一族』のことを書いているものだということを認める。
「これは何の本だ? 夜闇の一族のことを書いた本なのか?」
「いや、それだけじゃなくて……帝国成立頃の歴史の本……の写本みたいだね」
 他のページをめくりながら、とうべいの問いに湊海璃は自信なげに答えた。資料の一つが見つかったのはいいけれど、この場にいる者ではちゃんとこの本を解読できない。
「誰か、こういうのが得意な人は……」
 静音がきょろきょろとあたりを見回し、少し離れたところで熱心に本を捲っていたマーカラと土御門敦を見つけた。それは出来る者は集中力が違うという、好例かもしれない。
「あの二人、呼んでこいよ」
 とネハンが言い、エリと如月茗は土御門たちのところへ慌てて走っていった。


「向こうで、何か見つかったみたい」
 ずっと奥の部屋では居心地悪そうにしていたフランが表の書庫の方の声を聞きつけて、そちらに向かおうとした。それを追うように、シャザインとスルトも席を立つ。
 シャザインは目的の物を調べることは出来ていなかったが、奥の本は表のものよりも更に難しく、いくらか見ただけでもシャザインには解読は無理そうな本ばかりだったのだ。
 挨拶の折に家人にそれとなく聞いてもみたが、色好い返事はなかった……かえって警戒されたようにも感じる。人間諦めが肝心と、そろそろシャザインも思い始めていたそんな折であった。
「おお、フラン、そちらであったか」
 そしてイルと、その手伝いをしていたランスロットもフランの後を追う。
 わずかの間にぱたぱたと全員書庫の表へ出ていって、その後奥の部屋に残ったのはロキ一人だった。
 そして今、ロキの手元には一冊の本がある。それは奇しくも、書庫の表で発見された本の原本であった。
 古い歴史書。奥にしまわれた原本と、表に出ている写本。その差は何かと言えば……闇に葬りたい歴史の差。
 それはエルメェス家の、フューリアの始祖たる一族の、真のフューリアたる者の闇……
 それは夜闇の一族がイシュファリアの歴史から姿を消したことにも、間接的に繋がっている。
 表でも裏でも……解読には、今しばらくかかるかと思われた。



- 一日目深夜〜少女の元に -


「ふう」
 帝都で兄が頑張っている頃、妹は夜の街をうろついていた。ゼファーの妹のシルファである。
「兄さんもお人好しよね……」
 兄に頼まれ、黒衣の少女の姿を探しているのだ。今日はシルファのように、てんでに少女を探している生徒が多く、見つけたかと思ったら人違い……なんてことも多い。
 疲れて道の端でシルファが一休みしている間にも、フィルシィや春日など数人がシルファの前を通り過ぎて行った。
 自分と同じようにあまりあてがないのだろうかと思いつつ、シルファは再び立ち上がるまで、通り過ぎる人々を眺めていた。
 実際のところフィルシィはともかく、通り過ぎた春日の方はまったくあてがないわけではなかったのだが……一から情報を集めて分析するには少々時間が足りなかったようだ。
 もっとも、彼らのように少女を見出せなかった者も少なくはなかったので恥じることはないだろう。満月まで後一日、月の光は明るい……
 エストも、少女の姿を求めて街を彷徨っていたが、やはり肝心の少女には出会うことはなかった。街のあちこちで、学園の生徒たちには出会うのだが。
 ガチョン太郎やロウフルのように一ヶ所で待ち伏せる者もいれば、春日のように自分であたりをつけて歩き回る者もいた。
 そうやって、一日目の夜はふけていく……


「この水飴と共に、君もカズホのお友達だ〜! カズホちゃんでも、なんでも好きに呼んでくれや」
 鬼叫を引き回しつつ、カズホも黒衣の少女を探していた。そして、夜の街で霧を纏った少女……と思しき後ろ姿を発見したのである。
 会ったら、お友達になろう、そう思っていた通りにカズホは水飴を差し出した。
 ……だが、少女と思われた者は振り返らなかった。そのまま、霧が迫ってくる。
「だ、だめなのかぁ〜!?」
「うふふ……眠りなさい」
 霧にまかれた後、ばたりと鬼叫とカズホは道に倒れた。ただ、鬼叫は最後に見えた黒衣の人物の顔が、以前にマリーと共に見た者のそれとは違う……そう思えた。
 霧をまとった黒衣の人物は、そのまま街を行く。そしてその後さらに、同じく少女や略奪者の姿を求めて街をうろついていた月雲やサッザを地面と抱き合わせていった。
 だが、情報は走る。
 黒衣の少女が現れたという情報に少女の姿を求める者たちが集まってきて、新たな犠牲者の出た場所から少女と思われる者を追いかけていく。
「よう、久しぶりだな、霧の女」
 難しいことを考えるよりも黒衣の少女を倒した方が手っ取り早いと考えたアーレスが、まずその前に立った。話しかけ、注意を引いた隙に剣型のリエラ、ランシュバイクで攻撃を仕掛ける。
 それを止めるように、そこにクレアと十夜が追いついてきた。更に梓とティクがきて、夜のざわめきは大きくなり始めている。
 それを時計塔の上から見ている人影も二つ。ミレイナとルシフェルだった。お互いに隣にいる人物には目もくれず、ことの成り行きを見守っている。
「街の治安は巡回班が守るれすー!」
 その場に更にファニスも加わって、睨み合いは加速するかと思われたが……
「先に仕掛けてきたのはこの女だぜ」
「そんなこと……! 事情があるのですわ。お話を聞くのが先です」
 アーレスの強行路線にクレアが反論する。
「いや、待て……こいつは……」
 最初に異常に気づいたのは、十夜だった。
 さすがにリエラの直接攻撃に対応するとなると、演技や他の者への攻撃には手が回らなくなる……リエラを利用した作った霧で視界を遮りつつ黒衣の少女に扮していたロバートも、さすがにぼろを出した。
「ぬお、少女とは偽りで、男だったのか!?」
「なんと〜! 街を騒がせていた犯人は変態だったのれすね〜!?」
「……いえ、それは違うと思いますけれど」
 アーレスとファニスのボケに丁寧にクレアがツッコミを入れていたりするが、ロバートにとってはそれどころではない。正体のばれた上、五人からの学園生徒に囲まれている状況は……さすがにロバートにとっても『万事窮す』だ。
「……空牙様ー!」
 その唐突な叫びに、はっと回りも瞬間的に身を退く。ここでアレがくるに違いないと、本能が危険を知らせたのか。
「ハジケ万歳ー!!」
 ちゅどーーーーん!
 ……そして、お約束の通り、ロバートは自爆スイッチによって星になったのだった……
 ……そして時計塔の上では、溜め息が二つ。こんなものが見たかったわけではないというところだろうか。
 ちなみにロバートの被害者たちは1ザーハンほど路上に転がっていたのち、全員目を覚ましている。


「何が……」
 どうしようかと、ホーキンスは迷った。騒ぎがあったら、そちらに向かおうと思っていたのだが……
 爆発音というのは、どうにも怪しい。そして、騒ぎは沈静化していくように感じられた。
 今夜の繁華街は、やはりなんだか騒がしい。どこかから、ギターの音も聞こえてきている。それはアバの奏でる子守歌で、普段なら静かな街に哀愁をもって響くところだろうが、伴奏が爆発音だったりするものだから台無しだ。
 ホーキンスは今の騒ぎとは異なる人の声を求めて、また歩き出した。


 その夜、最も早く黒衣の少女と接触を果たした者は、ゆういちだった。それでもそれは夜半を回り、最も闇の深い時刻。
「もう一度会えたな、お嬢さん」
 くわえ煙草を手に持ち直して、そう少女に声をかける。少女は足を止め、そして霧をまとった手を軽くゆういちへと向けた。
「待てよ……宝石は探してやる。だがな、俺には宝石の真贋の区別がつかねえんだ」
 だから一緒に来てほしいとゆういちに言われ、少女は少々戸惑ったように見えた。すぐに霧が向かってくることはないと踏んだところで、ゆういちは更に続ける。
「あんたに手を出す奴からは、必ず守ってやるよ」
 その言葉の真偽を見定めるような間が開いて……少女が口を開きかけたそのとき、
「私も話を聞かせてもらえませんか」
 ゆういちの後ろから声がした。少女は再び身を固くして、そちらを見る。
 ゆういちも軽く振り返ると、そこにはランディスが立っていた。そういえば、とゆういちは思う。
「尾行てたのかい」
 先程、妙な気配を少しだけ感じたな、と。
「すみません……」
「俺なんかを尾行ても、この子と会えるとは限らなかっただろうに」
 ゆういちの苦笑いに、ランディスは生真面目に答える。
「でも、会えました。……とりあえずは、話を聞かせてほしいんです。貴方の探している『夜闇の真玉』が戻らなかった場合……貴方の操るロシュコースが制御不能になる危険はないのかどうか」
 少女の表情は、一瞬はっとしたように見えた。だが、それもすぐに掻き消える。
「……もう時間はない。明日の満月を越えたら……もう……」
「やはり、制御不能になるんですね」
「……私を殺しても、やはり制御は失われる。どのみち……」
 それが答であるかと、ランディスは顔を顰めた。
 重い沈黙の中で遠くに声がする。ゆういちは、更なる人の気配に振り返った。
「……いた……!」
 学生が数人、走ってくる。ここはマリーの残した少女の現れる予測ルートの途中だったので、そこにヤマを張った他の者たちにも見つけられたのだ。
 そして、人が増えれば更に他の者にも発見されるだろう。
 どうするか、とゆういちが考えている間にも、最初の六人がその場に着いた。それは正確には、レオンとソード、ヴォルツウォイクの三人と、かなとカイルと不破斗夜の三人だ。
「やっと見つけたな……話がしたい」
 レオンの言葉に、少女はわずかに後退った。明らかな警戒の色を見せている。その霧を操る手を、いつでも掲げられるように身構えているようにも思えた。
 それでも先日のマリーの時のように、すぐに攻撃に移らないのは、敵か味方かを判じかねているからか。
 加えて、少女と最初に接触したゆういちとの間で関係がこじれなかったことが、何よりも幸いだった。今はゆういちは少女の前にさりげなく立ち、他の者の動きに注意を払っている。庇われているのが見て取れるから、少女はまだ強行手段に訴えないのもあった……話し合うにあたって、このわずかな余地を活かせるかどうかは……
 ソードは少女の警戒を解こうと、ギターで子守歌を弾き始めた。
 夜闇に響くそのメロディに、少女の手には逆に力が入った。
「やめておけ……これ以上人が増えれば、このお嬢さんはもっと警戒するぞ」
 ゆういちが、ギターを抑えて子守歌をやめさせる。リエラを操るフューリアたちに囲まれる危険を少女が知らないはずはない。仲間を呼び寄せるためだと思われても仕方がなく……そして音楽は事実、道標になるだろう。
「取り囲んで威圧して、話し合いもないもんだ」
 少女に危機感を持たせることは得策ではない。暗にそう告げ、ゆういちは更にはっきりと少女の前に庇うように立つ。それで不信と不安が和らげば、と。
「私も……あなたに何かしようなんて思ってません。ただ、あなたと一緒に指輪のある場所に行こうと思って、来たんです」
 かなが、そう訴えた。それはゆういちの最初の言葉と同じだったからか、少女はかなの顔を見る。
 だがやはり今のメロディで、少女を探している者の中で気づいた者もいたようだった。道の両側に人影が見え……
「見つけたですー!!」
 また賑やかなのが、と数人が内心で考える。巡回班の秋華が走ってきたのだ。
 ここに居続ければ、この調子で人が増えていくだろうことは想像に難くない。大事になって状況が自分のコントロールを受け付けなくなることを良く思わないカイルが、場所を変えることを提案した。これ以上、少女の警戒心を煽ることもなかろうと。
「どうでしょうか……」
 カイルが、そう言った時だった。
「あなた……!」
 女生徒が一人、そこに走り込んできた。
「犯罪者が被害者ぶらないでよね……っ!!」
 その女生徒、竜華は既にリエラのシューティングスターとの交信状態は上げてあり、更に一気にそれを引き上げて……シューティングスターは向かってくる。
 無論ゆういちやかなも、そのまま突っ込ませるつもりはなかったが。しかしゆういちのジェイクよりも速く、竜華の後ろから来たゼロのリエラ、クロウ・クルーウァッハがシューティングスターの動きを封じ込めた。
「いきなり何してんだよ」
 あきれたように、ゼロは言う。
 ゼロに背後を取られて、竜華は慌てて振り返った。
 その隙に直接秋華も竜華を押さえに行き、竜華は捕えられた。
「やはり、場所を変えましょう」
 その一方で、カイルは焦りを抑えて繰り返した。今の騒ぎのせいでか、また道の向こうに近づいてくる人影が見えている。これ以上はと言うカイルの言葉に斗夜も頷く。
「もっと、静かにお話出来る場所へ……」
 そしてこの場には不釣合いな花束を手に、頬を染めながら斗夜はそう続けた。
 ……斗夜のそれは、誰もが何か違うような気がしたが……反論する者はなく。なので、既に大人数となった一行は人目につかない場所を求めて移動することとなった。



- 一日目深夜〜ランカーク邸の攻防 -


「アドリアン様、ハジケの者を信用しすぎることは危険かと思われます」
「何を言っている? やつらは思ったよりも使えるぞ、昼間もくせものを捕えた」
 アドリアン・ランカークに仕える少女は、その勤めとして街で調べたことを報告し、そして忠告した。ハジケはランカークをはめようとしているのかもしれない、と。
 だが、ある程度は予想していた通りに、主はその忠告を聞き入れてはくれなかった。
「……お気を付けください。良い顔を見せているだけかもしれません」
 それでも、忠告はする。それが少女の勤めだと、少女自身が信じていたからだ。たとえ聞き入れては貰えなくとも……
 ランカークの元に忍んでいこうとしたオードルは、扉の前でそんな会話が聞こえて……今はまずいと引き下がった。そしてこれはハジケの他のメンバーにも知らせなくてはならないことだろうかと、思いながら。


「くせものだー!!」
 その夜賑やかだったのは、街だけではなかった。ランカークの屋敷も、絶え間なく……とは言わずとも、多すぎると言ってもいいほどには招かれざる客は多かった。
 そのうちの一人、桃竜は昼間の内に情報を集め、単身で屋敷に忍び込もうとした。だが手薄だと聞いた場所から忍び込もうとしたのに、あっさりと発見されてしまったのである。
 集めた情報に間違いがあったのかと考えながら、桃竜は追手をどうにかまいて逃亡した。
 本当のところは、その桃竜の聞きつけた情報は侵入者を引っかけるために秘密結社ハジケの協力者の流した偽情報だったのである。
 さて……侵入者の本命は、その後やってきた者たちだった。
 その手引きは、昼間に中の様子を直接自分の目で見て確認していったアルカードだ。
 だが、アルカード自身は表に近いところで少し目立つように屋敷の敷地内へと侵入した。アルカードは陽動であり、その裏でトリプルJと八重花、そしてもう一人の陽動であるウィルの三人が侵入し、指輪を奪取する計画だったのだ。
「あっちだ……!」
 声が交錯する月明りの中、アルカードは疾走する。しかしその行く手に細身の影が立った時、思わずアルカードは口元に笑みを浮かべた。
「……出てくると思っていた」
 その呟きは相手に聞かせるためのものではなかったようだ。躊躇うことなく、アルカードは剣を抜く。
「一度、君と戦ってみたかった……!」
 その振るわれた剣を無駄なく軽やかにかわして、今は前と同じ黒装束に身を包んだ少女はアルカードの懐に飛び込んでくる。間合いを合わせるためにアルカードは身を退くが、それでも素早く少女は間合いを詰めてくる。少女の短剣はアルカードを掠めたが、もろに食らうこともなかった。
 アルカードの剣が唸り、空を薙払う。わずかでも当たれば、少女程度の身体では剣圧を防ぎ切れるとは思えない。
 だが、当たらなかった。人の技がぶつかりあい……決着がつかぬままに、わずかな、そして戦いにおいては長い時間が流れる。
「なぜ君はランカークなどに仕えている? いや……ずっとではない、この事件が片づくまででいい、協力しては貰えないか……君の協力があれば」
 指輪のことを、ランカークに従う少女も知ってはいるようだった。顔を覆うスカーフから覗く目が、苦渋を浮かべる。
「できない」
 だが、くぐもった声に迷いはなかった。
「……主を裏切ることは万死に値する。どちらも同じ破滅ならば、私は主と共に地獄に落ちよう」
 揺らがぬ信念が、アルカードへの答えのようだ。
「ならば仕方がない……」
 アルカードは、剣を構え直した。


 その頃もう一人の陽動であるウィルも、足止めを食らっていた。いや、陽動なのだから足止めを食らうのが正しいのかもしれない。
「行かせないわよ!」
 ウィルの前に立ちはだかったのは、ハジケのメンバーとして後から入り込んだレナと、その助手としてのハイドラだ。
 陽動とはいえ、ウィルは出来れば指輪を持って帰りたかった。外で待っている幼馴染みのアーリアのところに、だ。頼りないと思われているのを、払拭したいと考えていたのだが……
 さすがに女の子とは言え、二人を相手にするのは辛そうだった。じり、と下がりつつ……ウィルは逃走を考え始めていた。


「これは違う……?」
 二組の陽動のおかげで、トリプルJと八重花は指輪の保管場所までたどり着けた。だが……
 トリプルJの秩序法典は、その指輪が偽物であると告げている。
「やられた」
 そう、誰かに先にやられたのだ。
 すでに、すり替えられている。
「……人がくる」
 そのとき、廊下を見張っていた八重花が告げた。
 やむを得ない、とトリプルJは脱出を決めた。二人は窓から飛び出し、そして月明かりの庭を駆け抜ける。風の音にも似た剣の唸りと、下草のざわめきが聞こえたところで、八重花とトリプルJは二手に別れた。
 八重花だけが、そのままアルカードの元へ行く。闇に溶けかけた八重花の姿を見つけて、戦いの中にあるままアルカードの方から八重花に問いかけた。
「首尾は……」
「偽物だった」
 八重花の答えに、アルカードは眉間に皺を寄せる。そして、少女の様子も窺った。
 その八重花の言葉は黒装束の少女も聞こえただろう。だが、驚いているようには見えなかった。
「知って……?」
 言いかけ、アルカードは言葉を飲み込んだ。今は問い質している時ではないのかもしれない。八重花と二人、間合いを取ると、そのまま逃亡に転じ……
 ランカークの下僕たるの少女は積極的に追ってこようとはしなかったので、二人はそのまま屋敷の敷地を出ることが出来た。



- 二日目未明〜少女と共に -


「俺はおまえの、他を犠牲にしてでも大切なものを奪い返そうというところが気に入ったんだがな」
 ヴォルツウォイクがそう少女に言ったとき、ソードははらはらしていた。その場にいた他の者は、微妙な表情をしていたからだ。止めるには及ばずとも、この少女を煽るような発言には、いささか思うところがあるだろう。
「そんな、乱暴なことをしなくても……みんなで指輪をランカークさんのところに取りに行きましょう?」
 かながそうなだめるように言う。だが、それにはレオンが首を振った。
「……秘宝を持っている男は、自分の身に災いが降りかからなければ手放そうとはしないだろう……」
 それは確かに誰もがそういう気がして、反論できない。続けてレオンは、今『夜闇の真玉』を持っているランカークについて、説明した。その内容は誰もが納得するところだったが。
「まあ、一つだけ言っておくんだが、そいつは君の言う『略奪者』じゃないんだぜ」
 ゆういちが一つだけと付け足した。
 それには少女は顔を向け、それは確かかと確認する。
「略奪者……いえ実行者は、アルメイスの者に命じられたと言った」
「それは本当ですか?」
 ランディスが聞き返すと、少女は頷く。嘘をついている様子ではなかった。
 ランディスが首を傾げる。
「ランカークが命じて……?」
「でも『蒼月の都』に行商人が売りに来て、ランカークさんは大金を払って買ったのでしょう? 自分で襲わせたならそんなことは……いえ、そこまでのことはなさらないんじゃ」
 かながランカークが指輪を手に入れた経緯を話すと、今度は少女が首を傾げている。
 少女の話はこうだ。
 少女の隠れ住んでいた里が襲われ、少女の元から『夜闇の真玉』が奪われた。その略奪の実行者は、アルメイスの高位のある者に頼まれたと言い残していった……
 少女はそれを追い、アルメイスへとやってきたのだ。
「もう、夜が明ける……今宵、その者の元へまいることとしよう」
 そして、少女は一人で去ろうとした。また、夜にと。だが、護衛をと申し出た者たちは幾人かだけでも連れていくように言う。
「全員じゃなくて、信用できるのを少しでもいいさ」
 ゼロとしてみれば、今は眠り病を撒くことをいったんやめている少女が心変わりしないように見張っておきたいというのもあったのだが。
 少女は迷った末に、ゆういちとゼロ、そして秋華とかなを選んだ。再び夜が来るまでは、彼らの護衛を受け入れると……



- 二日目夜明け〜帝都・エルメェス家 -


 帝国成立以前、特にその直前はフューリアとラーナ教信者にとって暗黒の時代であった。周辺諸国に圧倒され、支配され、特にフューリアは根絶やしを目指して虐殺された。『夜闇の一族』が姿を消したのは、このときである。だが姿を消したのは『夜闇の一族』だけではなく、他の名高いフューリアの一族も同じときに幾つもが姿を眩ませていた。
 それは戦いを避け諸国の虐殺の手の伸びない場所へと身を潜めたということでもあるかもしれないし、一人残らずが命を落とし系譜が絶えたということでもあるかもしれない。そのどちらであるかは、後の帝国の歴史に姿を見せるかどうかということで判断するしかなかった。
 そしてその古き弾圧の中で反撃の狼煙をあげた二人のフューリアの元に集った者たちが諸国を退け、今の帝国を築いたのである。そのときの指導者たる二人の血を引く者が、今の皇室ということだ。
 一方『夜闇の一族』は帝国が成立しても歴史の中に姿は現わさなかった。その存在は微妙であったが……歴史の上からは姿を消しながらも、『夜闇の一族』の制御を失っては危険なはずのリエラ、ロシュコースも歴史の中に姿を現わさない。ロシュコースがフューリアの制御を失っていないということは、『夜闇の一族』もどこかで存えている……そう考える者は多かった。この点がフューリアの歴史を研究する学者たちの間では、争点のようだった。
 ロシュコースは、眠りをもたらすリエラである。眠りに関わる力を持つリエラは数多く記録にあるが、その中でもロシュコースのもたらす真の眠りは絶対の眠りとされていた……それは、二度と目覚めることのない死と同義の眠り。それは、心の死と言い換えても良いだろう。ロシュコースの力は、心と意志に作用する。わずかの間意志を奪って眠らせることもできれば、心のすべてを喰らい尽くして、二度と目覚めないようにも……
 霧状の姿なき危険なリエラ、ロシュコースには、契約の証が存在していたと伝えられている。『夜闇の一族』の祖がロシュコースと最初に契約を結んだ折に、フューリアの力を高めるという特殊な黒玉に自らの命と力を封じ込めたという。……なので、その黒玉『夜闇の真玉』には意志があると言われている。所持者を自ら選び、相応しくない者が持てば必ず災いをもたらす。『夜闇の一族』の血に連なる者だけは『夜闇の真玉』の守護と補助を受けることができ、そしてそれなくしてロシュコースを制御し続けることはできないということであった。
「……そして『夜闇の一族』の血に連なる者は一生に一度、ある距離まで近づけば『夜闇の真玉』を手元に呼ぶことができる……これを行なえるのは夜の間だけだが……」  書庫の中では夜を徹しての解読作業が進められて、夜明け間近には屍々累々といった様相を呈していた。
 最後の一文を訳し終え、ヘレンがそれを読み上げたとき、幾人もから溜め息が上がる。
「つまり、私たちに取り返せないとしても……あの少女を近づけるだけでいいんですね」
 義兄のアルカードなどと情報交換を密にしていたマーカラは、大体すべての事情を把握している。『夜闇の真玉』を見つけさえすれば、あとは取り返すには少女をそこまで連れていけばいいということだ。
「でも略奪者については、何も書かれてなかったですね……」
 ただリィーシアだけはあてが外れた気分で呟いた。特に『夜闇の一族』が何者かと争ったという記録は出てこなかったのだ。リィーシアは帝都に残ったディッシュが何か情報を得られていればいいと思ったが……実際のところはディッシュも何も略奪者についての情報は得られていなかった。
「とにかく、早く、知らせましょう!」
 マーカラが立ち上がる。それには誰もが同意するところだった。
「終わったのか」
 そのとき、奥からロキが姿を見せた。表で得られた情報を告げ、何か別の情報があったかどうかとマーカラが訊ねる。
「いや……同じ本だったみたいだな。俺は一人だったんでな、そこまでも訳せてない」
 半分程度だ、とフランをちらりと見ながら言う……フランの表情が曇る。
 実はその半分には、別のことも書いてあったのだが。
「奥にあった同じ本を、半分であるか」
 イルもそのことに気づいたのか、眉毛を吊り上げる。
 ……大したことではないとロキは思った。しかしそれでもフランとイルがそれを気にしているのならば、言う必要もないことだろう。
「……違うことは書いてなかったようだ」
「そうですか」
 周辺諸国からのフューリアの弾圧と虐殺を招いた原因は、フューリアの始祖の末裔にして王であった者の狂気によるエリアの虐殺が引き金であったことなどは……真のフューリアとなる者は、契約のリエラによってはそういった狂気とも背中合わせになるということなどは……この場でロキだけが知ることであったとしても、今は問題ないだろう。
「帰るか……眠るのは列車の中でだな」
 懐から出した帰りのチケットを手にして、ロキは言った。



- 二日目夜明け〜少女の隠れ家で -


 ホーキンスは、ずっと少女とそれを取り囲む者たちをつけてきて、最後にその街外れの倉庫にたどり着いた。
 昼間だって、少女はどこかにいるはずなのだ。夜活動しているのなら、昼間寝る場所が要る。その場所を求めて、ホーキンスはやってきた。夜にしか活動しない理由があるとすれば、夜しか活動できないか、夜の方が強いからだ。
 そして、少女は自ら選んだ四人とこの倉庫の中に入っていった。
 それを見ていたのは、やなもだったが……こちらは観察するにとどまっていた。
 しかし、ホーキンスとしては、話をしなくては始まらないと思う。このタイプの倉庫ならば、中に入るのはリエラのヴィの力を使えば簡単であるだろうと思われた。
 そして……
「誰ですかー!」
 秋華の声がする。
 護衛に庇われるようにして、少女はいた。
 その前に、ホーキンスは近づいていき。
「って、おまえか」
 ゼロが同じグループのホーキンスを見て、息をついた。
「話はついたのか?」
 結局ホーキンスの見ていた限りでは、まだ眠り病を解いてくれるという約束は誰も取り付けていない。昨夜はとりこんでいたから広がらなかった、それだけに過ぎなかった。
「今、秋華が話してた」
 ゼロがそう秋華を示す。
 そして、そのときやっとホーキンスにも、その向こう側にいる黒衣の少女の顔がちゃんと見えた。


 どことなく、おどおどしたような表情に見えた。
「……こういう子だったっけ?」
「さっき、こういう子になったんです……」
 と、かなが説明する。
 つまり、夜の間はロシュコースに逆に支配されかかっているのだ。行動がいささか乱暴になるのは、その影響であるようだった。
「真玉が戻れば……夜の間も……」
 だが、逆を言うならば『夜闇の真玉』を取り戻さなければ、自分の力ではロシュコースを抑えつけておけない。そして、もう制御から外れての暴走は、目前にも迫っているのだ。
「今の君を説得しても、無駄ってことか」
 ホーキンスは頭を掻いた。
「そうだ、今眠り病を解くことはできないのか?」
 今のうちなら、誰彼見境なく犠牲にしてもいいと思っているような人格ではない。今解けるのなら、とホーキンスは思ったが。
「私……いえ、ロシュコースは、昼間は何もできないんです……」
 そうは問屋が卸さないようだった。
「いや待てよ」
 だが、ゆういちは考え込みつつ言う。
「今ランカークのところに指輪を取りにいくのはありだろう。夜まで待つ必要は、お嬢さんにはないよな」
 夜に行こうと言ったのは、夜しか動けないロシュコースの意志だ。
「そうです……行きましょう、ええと……」
 かなも、少女の手を取った。
 そこで、一つ疑問点がホーキンスに浮かぶ。
「君、名前は? ……誰か名前聞いたか?」
 秋華とゼロが顔を見合わせた。
「……名前ぐらい聞けよ。失礼なやつらだな」
 妙なところで憤慨しながら、ホーキンスは改めて、少女に訊ねる。
「……シルリアと申します……」
 それから、シルリアたちはランカークの屋敷に向かうことにした。……ランカークの屋敷にあった『黒玉の指輪』……つまり『夜闇の真玉』が既に偽物にすり替えられていたことを、まだ彼らは知らなかったからだ。
 そして。
 ……『略奪者』も、それは知らなかった。
 ただ、限界が来るより前に真玉に少女が近づくことによって、目的が果たされなくなるかもしれないことだけはわかっていた。
 シルリアたちが倉庫を出ていき、歩き出したとき……
「……きゃああーっ!!」
 それは後ろから、倉庫の上からだった。
 水の矢が、シルリアを守るべく後ろにいたゼロとゆういちの間を擦り抜けて、シルリアの肩を貫く。
「……あいつ!?」
 振り返った時には、倉庫の屋根の向こう側にその人影は消えるところだった。
「シルリアさんっ」
 倒れたシルリアを秋華が抱き起こしたが、傷は深そうだった……殺してもいいと思っていたのか。
 いや、急所は外している……



- 二日目朝〜商人に降りかかった災い -


「そうか、これは指輪の呪いなのか?」
 ユリシニアに向かう街道途中の宿に、蒼月の都に黒玉の指輪を持ち込んだ行商人がいた。
 事実から言うと、彼は何も知らなかったし、何の責任もなかった。ただ利用されただけだ。
 それなのに、今、彼は熱を出して寝込んでいる。それは、黒玉の指輪……『夜闇の真玉』の持つ災いの力、呪いの影響を受けてしまったのだ。
 最初に訪ねてきた魔竜の相手もおぼつかなかったが……
 客は、魔竜だけではなかった。
「あのう……」
 と、気がつくと、さっちゃんとハーレーが、魔竜が入ってきたままの半分開いた扉のところで覗き込んでいる。
「ここに行商人さんがいるって聞いてきたんですけど」
「ああ、だが、調子が悪いようだ……」
 更にぱたぱたと足音がして、その後ろからマヤとバ・ルクが顔を出した。
「ちょっとちょっと、指輪を売ったのはあなた?」
 ごちゃごちゃしたやりとりをできるほどの元気は今の行商人にはなく、さりとて今からアルメイスに戻れるほどの元気もない。なので、ただ聞かれるままに行商人は答えてくれた。
「あれは、アルメイスに運んで売ってくれと若い男に頼まれたんですよ……でも、持っているといつも眠いしだるいし……でも、どうにかアルメイスまで運んで売ったんですよ」
 それでも、まだ調子の悪いのが抜けないというありさまだ。
「どんな人だったの〜?」
 売るように頼んだのは……とさっちゃんが訊ねる。
「ええと……サーベルを下げた、二十代後半ぐらいの……」
 行商人は頭を捻りながら、ぼんやりした頭で、どうにかそれだけを思い出した。



- 二日目正午〜ハジケのアジト -


「病院!? なんでそんなところにいるんですか」
 リンは黒衣の少女、シルリアが病院に運び込まれたことを聞いて、こめかみを押さえた。ランカークの屋敷から持ち出された黒玉の指輪は、今はこの秘密結社ハジケのアジトに保管されている。
 夜になれば、出来るだけ秘密裏に指輪を少女に返す手筈になっていた。
 だがしかし……
 シルリアが襲われたことにより、病院では護衛がべったりくっついているらしい。
「ある程度は、仕方ありませんね」
 ランカークへの言い訳が必要になるだろうかと、リンは目を細めた。



- 二日目昼下がり〜ランカーク邸 -


「では、もう盗まれてしまったと」
 フィブリーフがマイヤを動かしたが、しかし時既に遅しというところだった。
 そのことに憤慨しているランカークを置いて、マイヤとフィブリーフはランカーク邸を後にした。
「なんてことでしょう……」
「悪意ある者が奪ったとは限りませんよ……むろん、盗みは悪ですが」
 玄関先にある階段を下りながら、憤慨するフィブリーフにマイヤは淡々と答えた。そこに焦りは見られない。
「でも……あら……」
 その階段の下で玄関先を見上げている二人の人物を見つけ、フィブリーフは儀礼的に軽く会釈をした。だがふと思い直して、その二人、御子柴夢幻と御子柴光に声をかける。
「あなたたちも、指輪を貰いに来たんですか……? でも、指輪はもうないんですって」
「えっ……それは」
「賊に奪われてしまったのだそうですよ」
 光と夢幻は顔を見合わせた。ここにないとなれば、リエラの力でランカークを改心させても無駄だからだ……


「うむ……やつらの仕業なのか」
 グラスを手に、ランカークは渋い顔をしている。
「まだ、そうと決まったわけではありませんが……しかし」
 誰かが夜闇の真玉を奪ってくれたことは、ある意味ランカークに従うその少女には幸いだった。少なくとも、所持しているということで、これ以上ランカークが責められることはない。
「スルトの手紙では、何か私によこすという話だったが」
 そしてこの強欲な主が破滅しないようにと望むなら、少々警戒してくれる程度の方が少女にとってはやりやすい。
「何をするつもりか、調べてまいりましょう」
「うむ、任せる」
 だが秘密結社ハジケの意図を正確に掴むことは、やはりランカークの下僕たる彼女にはできなかった。それは結局、理解できるような形にはならなかったことと……普通の人間には思いもよらないことだったからだ。



- 二日目夕刻〜駅にて -


 パレスとウォリディアはその足で、念のため別の街へと調査に向かうということだった。
 他の者たちは、どうにか真暗になる前にアルメイスに帰ってきたことに安堵し、そしてこれからどうするかをめいめいに話している。
「シルリアさんが病院にいるそうで……」
 だが、そこでアルカードと連絡を取っていたマーカラから、奇妙な情報がもたらされた。
 シルリアとは誰だ、というところから話は始まらなくてはならなかったが……それが黒衣の少女だとわかると、事情をいくらか知る者たちもざわめく。
 そして、指輪はランカークの屋敷から奪われ行方が知れないという。
「なんだか、帝都に行っている間に大変なことに……」
「フラン」
 不安を口にするフランに、シャザインは静かに近寄った。
「話があるんだ、ちょっと来てくれないか」
「あ、はい……なんでしょう。イル!」
 頷きながら、フランはイルを呼んだ。シャザインにとって更なる誤算だったのは、イルはランスロット共々に来てしまったことだ。自存型リエラを遠く離すようなことは、真面目なフランはしない。そしてこの道中ずっとイルとランスロットは一緒だったので、これは予想しうる成り行きではあったが……
「どうしたんです、シャザインさん」
 ここで、計画は詰まってしまった。
 レコナが見張っているのは、シャザインにはわかっていた。
 そして、近くに既にエスもいるはずだった。
 フラン自身も少々困った顔をしていたが、それを口に出すことはできなかったようだ。
「……かまわん、来てくれ」
 しばらくの沈黙ののち……シャザインには、そう言うより他になかった。人目につかないところにまで、二人と一羽を連れていく。
 そして……最初にどちらを眠らせるべきかと迷って、シャザインはまず予定通りにフランに眠り薬を嗅がせた。
「シャザインさん、何をするんだ!?」
 ランスロットのリエラは呼び出すには時間がかかるはずだったし、仮に急いだとしたら消耗するはずだ。ならば、フランが先。だが、シャザインの腕の中でぐったりしたフランを見て、ランスロットはすぐさま飛びかかってきた。
 その時には、エスとスルトも行動を始めていた。イルを拘束するためにだ。
『誰か……!』
 だが、ランスロットから悲鳴のような交信が放たれる。近くのフューリアの誰かは、それを間違いなく受けとめただろう。手加減している余裕はなく、シャザインはランスロットを殴り飛ばした。
 跳ね飛ばされ、地面に転がった状態でランスロットはリエラを呼び出したが……レーヴァテインがそちらに向かう。ランスロットはほどなく力尽き……
 しかし。
『離すがよい……下郎め』
 シャザインは腕の中が重くなったような気がして、ぞくりとした。
 気がつくとシャザインは、吹き飛ばされていた。何が起こったのか、わからないままに……目の前にはフランが立っている。いや、それは……
『儂に何用か……?』
 薄く笑うそれは、フランではない。
 今、彼女……パティアに従うものは、本来はランスロットのリエラであるものだ。それはエスの手に落ちかけたイルを奪い返した。
 彼らは『フランを誘拐する』という計画が狂ったことを、認めなくてはならなかった。
 何が目的で彼らがこんな行為に及んだのかは、当人たち以外にはわからないだろう。フランを誘拐して、それを盾に学園の支配権を要求しようなど思っていたとは……多分、誰も思いはすまい。そんな現実的ではないことを想像するのは、とても難しい。真面目に考えれば破滅的すぎて、正気の沙汰とは思えないからだ。それは結果的に、不幸中の幸いとなるだろうか。
 エスとスルトもさすがに、その場から撤退すべきかと思った時。
「何をしている……!?」
 ロキを先頭にして、駅にいた者たちがその場に現れた。ランスロットの交信が届いたのだろう……このままでは、逃げることも叶わなくなる。
 その場からエスとスルトは控えていたシューティングスターのリエラ、流星号に向かって走り出した。
 残されたのはシャザインと、倒れているランスロット。そして。
 そこでフランは崩れ落ちた。ロキがそれを抱き止めて、シャザインに強く問う。
「どういうことだ……? これは……」
 シャザインにも、説明は困難だった。保身を考えるならば、口にできないことが多すぎる……だがランスロットが息を吹き返したなら、隠し切れないことも多々あるだろう……



- 二日目夜〜病院にて…… -


 リンが病室を訪ねていく途中のことだった。
「まだ、それを渡してほしくはないんだが」
 その声は廊下の陰から聞こえた。どこでこのことを知ったのか、それはわからない。だが幾つかの情報を集めたなら、これは判断できることかもしれなかった。
「あなたは……」
 それ、というのはリンの持つ指輪だ。今から、シルリアの元に届ける……
 今渡さなければ、いつ渡すと言うのか。今日を越えたら、ロシュコースのコントロールは怪しくなる……それが、目的だったのかもしれない。
 略奪者……レアン・クルセアードの。
「はい、と渡すとお思いですか?」
「いいや……」
 レアンはサーベルに手をかけた。


 リンとレアンの交戦は、すぐさまにそのとき病院にいたフューリアの全員に知るところとなった。シルリアに会いたいと訪ねてきた者は多く……また帝都から戻ってきた者たちも病院に向かっていた。
 さて、このことは多くを慌てさせた。放っておけば、病院そのものが崩れるかもしれない。リエラを用いたなら、そういう戦いになるからだ。
 ゼロが病室を飛び出していく。
「私も行こう」
 既に夜が来て、シルリアの人格はロシュコースの支配が色濃くなっている。
「無理は……」
 かなはいったんは止めたが、しかしすぐに思い直した。時間がないのだ。ゆういちがシルリアを支えて、病室を出た。
 リンとレアンのにらみ合った場所は、病室の目の前だった。リンの持つ指輪の元に行くにはレアンを越えていかなくてはならない。ゼロが参戦したけれど、建物を考慮すると誰もが全力でどうこうできる状況ではなく……
 にらみ合いが続くこととなった。
「略奪者……!」
 後ろから来たシルリアが叫ぶ。今ここにいる男が、略奪者だ。その目的は……
「……アルメイスで、好きに暴れるがいい」
 レアンは酷薄な笑みと共にそう言った。
 わずかに均衡が崩れた瞬間、レアンはリンの懐に踏み込んだ。リンが吹き飛ばされ、そして指輪が高く宙に舞う。それにレアンが手を伸ばした時……
「呼べ! シルリア、指輪を呼べ!」
 唐突に、ゼロが叫んだ。
「呼ぶ……? ああ……!」
 シルリアは瞬間、意識が飛んだような表情を見せた。……後にわかったことであったが、彼女は先代からロシュコースを引き継いだばかりだった。そして先代は彼女にそれを伝える前に死亡してしまっていて、シルリア自身はこのことを知らなかったのである。
 そしてロシュコースには、真玉の強制支配から逃れようとしていた部分があった……そこがレアンにつけ込まれた理由。
「『夜闇の真玉』よ……!」
 突然『それ』を思い出したかのように、シルリアは真玉を呼んだ。
 いったんはレアンの手に納まったはずの真玉は、その瞬間にシルリアの手に帰ってくる。
「……それに頼り続ける限り、真なるフューリアへの道は遠いぞ」
 レアンはそんな言葉を残し、窓から飛び出した。夜闇に紛れ、姿はすぐに見えなくなり……
「間に合ったのか!?」
 その時、土御門敦を先頭に廊下を帝都に行っていた面々が走ってきた。ゼロに交信で先に伝えた者は、その分だけ遅れたようだったが。
「間に合い……ました……」
 シルリアが真玉を抱きしめるように、そう答えた。



- 二日目夜〜コンサート会場 -


「やっぱりか……」
 アルツハイムが会場を見回すが、観客ははにわばかりだった。
「いや、歌おう! 俺たちのコンサートだ!」
 シューティングスターも同意はしたが……
 しかし空しさの秋風が吹き抜けるコンサートではあった。



- 後日談〜道を違えた者の末裔たち -


「眠り病患者は全員、目を覚ましたのね」
「はい」
 マイヤは軽く頭を垂れた。
「眠りの期間が長く衰弱した者も、医師団の治療によって順調に回復しております」
「そう……便乗した騒ぎもあったようだけど」
「それについて、処分は如何なさいますか」
 学長は今回の事件に関わる情報を集めた報告書を、ぱらぱらとめくる。
「どれも、些細なことね……少々穏やかではないものもあるようだけれど……この程度ならば、様子を見ましょう」
 報告書を閉じ、学長はその上に決済の印を押す。
「このアルメイスの勤めと……例の計画を妨げぬ限りは、よろしいとします」
「……御心のままに……」


「ありがとうございました」
 怪我が癒えた後、シルリアはそう礼を言って、自分の故郷に帰っていった。
 そこにはもう一族も、ほんのわずかの者しか残ってはいないということだったが……万が一のために強すぎるロシュコースを人の多い場所にはおかないという、代々の決まりごとなのだとシルリアは言った。以前の代に禁を破り、暴走させたことが二回ほどあるのだと……
 そうして、歴史の中に夜闇の一族は沈んできたのだ。
 そうやって……力を求めぬフューリアたちは歴史の中に潜んでいるのだ。
 歴史の表舞台にあるものは、常に自ら求める者たち……