ネイとクランの「ここは料理百番街!」

 究極の味を求める女、ネイ。そこへ至高の味を体現する女、クライミー・シェレスタ(愛称クラン)が転入してきたことから話は始まった…。火花を散らす女2人に、超貴族的料理を標榜する貴族連合も加わり、学園史上かってない規模の料理大会が始まろうとしていた…。

 興味本位で協力を申し出た学生たちは、ネイ派、クラン派、そして象牙の塔派の三派に分かれて、互いに鎬を削ることとなったのである。

 勝負当日まで、…後、3日。


- 学園都市アルメイス 中央繁華街 -

 絶え間なく白い蒸気を煙突から吐き出しながら、10両編成の蒸気列車が学園都市へ近づいてくる。
 機関部を除けば、後の9両は全て貨物車両。
 機関部に、レヴァンティアース帝国の帝国章を付けたその蒸気列車は、月に3回やってくる帝都からの物資輸送列車であることを表していた。

 ネイとクランの意見の違いから発生した料理勝負まで後3日。この学園都市で手に入る、最高の鮮度の食材を手に入れる、最初にして最後のチャンスだった。
 特に、野菜を大量に必要とするクラン派買い出し部隊にとっては、料理勝負当日よりもこの日の方がはるかに重要であるに違いない。クランはそんなに鮮度を気にしなくてもいい、といっていたが、普通に考えれば、…やはり鮮度はいいにこしたことはない。

 そんなわけで、クラン派買い出し部隊、セフィーとエド、そして秋華の3人は早朝、まだ日も昇らぬ内から卸市に繰り出し、中央駅から物資が送られて来るのを今か、今かと待ち構えていた。
 しかし、三点鐘が鳴り響いたというのに、卸市には一切動きがなかった。
 普段なら、もうとっくに卸市に輸送物資が到着している時間だ。
 周囲を見渡してみると、やはり、同じく食材を買い付けにきたネイ派の学生、エルフィーネや、ホテル・エルティミーナの従業員が困り顔で立ち尽くしている。
 エドは卸業者に事情を尋ねてみたが、言葉を濁すばかりで要領を得ない返事しか返ってこなかった。
「どういうことなんでしょう…?」
 と、セフィー。
「駅までいってみようよー」
「そうだね。行ってみるか」
 仕方なく3人は中央駅にまで足を伸ばし、駅員に事情を聞いてみると……  数日前に、アドリアン・ランカーク名義で、食材を含めて、輸送物資のほとんどが買い占められており、すでにどこかへ運ばれてしまったらしい。

「きったな〜いっ!」
 秋華が頬をぷぅーっと膨らませる。
「正々堂々…、みたいな口ぶりだったけど、こんな直接的妨害をしてくるとはね」
 少し落ち込み気味のセフィーの肩を、元気づけるように軽く叩きながらエドが続けた。
「ユッコとロザリアがリットランドへ向かってるし、メリーやティクにも何か考えがあるみたいだったし」
「それに、街にはまだ売れ残ってる食材があるかも知れないし、そいつを探してみよう」
 エドの言葉に、セフィーはうん、うんとうなずき、2人は再び中央繁華街に向かって歩き出した。
(象牙の塔…許せないですぅ……!)
 秋華は拳を握り締めると、2人の後を追って中央駅を走り出たのだった。

判定結果
○「象牙の塔」買い占め部隊 vs ●「クラン」買い出し部隊 ●「ネイ」買い出し部隊


- 帝都ガイネ=ハイト 街区 -

 セフィー、エド、秋華、そしてエルフィーネらが、アルメイスでの食材調達に失敗した頃、そこから遠く離れた帝都、ガイネ=ハイトでは、象牙の塔の工作員として情報操作を試みるカイルと、メリー・フィルクの戦いが、水面下で密やかに行われていた。

 まず先手を取ったのは、先に帝都に侵入していたカイルだった。
 カイルは、レヴァンティアース帝国と対立するフェズランド公国が、ギルセア公国に圧力をかけて帝都へ物資、主に食料の輸出を差し押さえようとしている、という情報を作り、これを帝都に流したのである。
 もちろん、噂自体は真っ赤な嘘であるが、要は料理勝負までの数日間、それが真実でありさえすればいい。
 カイルは噂を広めるために、ギルモア公国から流れてきた若者を雇い、一部店舗で実際に物資を買い占めるなど、努力を惜しまなかった。
 その結果、噂は…ほんのわずかな間だけだが、それなりの信憑性を持って受け入れられた。
 学園都市アルメイスで、個人による物資の買い占めが発生して物資が不足している、との連絡を受け、すぐに追加物資を輸送しようとしていた帝国内政機関は、追加物資の総量の見直しと、帝都に流布する噂の事実確認のために1日列車を遅らせたのだ。

 これで、料理勝負当日まで、新たな物資が学園に届くことはない。
 カイルは己の作戦の成功を実感すると、長居は無用とばかりに、そのまま学園への帰路についた。

 ここに、隙が生まれた。

 学園都市で妨害工作が起こることを予測し、帝都に足を伸ばしていたメリーは、学園に輸送されない珍しい食材を探して帝都を歩き回る内に、カイルが流した偽情報を何度となく耳にして、その度に不信感を募らせていった。
「変だな〜」
 彼女の直感が、時期的なもの、政治的なもの、そういう面倒な事情を全て抜きにして、この情報の下に潜む作ため的な恣意を感じ取っていたのだ。
「こーゆう時のボクのカンは、まだ外れたことがないんだよね☆」
「とりあえず、…実力行使だッ♪」

 不信感が確信に変わると、彼女の行動は素早かった。
 噂を流していたギルモア公国出身の若者を捕まえて殴り倒し、その口から全ての事情を聞きだすと、メリーはその若者を連れて各店を回り、事情を説明して食材を調達し始めたのだ。
 カイルがこの事態に気づいて手を打っていれば、あるいはメリーの直情的な行動は失敗したのかも知れない。しかし、今、カイルは帝都にはいなかった。
 メリーが調達できた食材は決して多くはなく、結果的にカイルの企みは成功したのだが、その企みは白日の元にさらされ、帝国機関から学園に戒告が言い渡され、一般生徒の知るところとなった。

 これが、後から重要な意味を帯びてくることを、この時、カイルもメリーも知る由はなかった…。


- シュナイフス山脈 ベースキャンプ -

 リットランドとロランドの中間、ハルシニアの原野に広大な裾野を広げるシュナイフス山脈の一角、エーベル山の南斜面に仮設されたベースキャンプ。
 その急ごしらえの簡素なテントの中に、4人の学生が身を寄せ合っていた。
 カミル、葵、宗、そして、このテントの持ち主、ゆういちである。
 彼らを含む8人の学生は、学生課から5日分の外出申請の許可を受けると、鉄道に揺られてエーベル山に赴き、エレナがリットランドの猟師から聞き出した雪兎の狩猟場近くにベースキャンプを設置して、4人ずつ交代で雪兎を探していたのだ。
 今はエスト、エトス、しんぺー、エレナの4人が捜索を行っている。

 今までに得た成果は、雪兎10匹。数的に充分とはいえない。
「もう少し、簡単にいくと思ったんだけどなぁ」
 と、持ってきたショートケーキをつまみ食いしながら宗がぼやく。雪兎を誘き出すエサに持ってきたらしいが、少なくとも他の7人は雪兎がショートケーキを好む、などという話を聞いたことがなかった。
 まぁ、それはすぐに実証されたわけであるが。
「…後、3日」

 カミルが指折りながら日数を数えてみる。上手く蒸気列車を捕まえられたとしても、ここから学園に戻るには丸1日半かかる。
 つまり、今日、明日中に何とかしないことには、料理勝負に間に合わない。それは、誰もが理解している共通事項だった。
「間に合うかな、本当に…」
「任せとけって」
 ゆういちは胸ポケットから煙草入れを取り出すと、今日15本目になる煙草に火を付けた。
 多分、これが最後の一服になるだろう。もうそろそろ、交代の時間だった。


- 学園都市アルメイス 学食第二厨房 -

 料理勝負に合わせて、ネイが学食に頼み込んで場所を借りた第二厨房では、ネイの指導の下、厳しい料理修業が続いていた。
 とはいっても、全員、本格的な料理の修業などしたこともない素人である。ネイが求める魂は、技術とはまた別のところにあるのは確かだが、古人曰く「基本なくして応用なし」とはよくいったもので、まず最低限の技術を身につけることが肝要だった。
 この点では、大した技術を必要としないクラン側の方がはるかに有利だったが、……ネイは信じていた。
 人の気力は、経験を、時間を凌駕できることを。そして、ここに集まった有志たちのやる気を。
 舌は超一流品、しかし料理の技術自体に関してはまるで素人同然であるネイだったが、次々と作られる試作品、その全ての味見を行い、アドバイスを与え、それこそ不眠不休で活動してきたのだが、その努力の結果が、今少しずつ形になろうとしている。

 技術的に最も目覚しい躍進を遂げたのは、レヴァンとセリアの2人組だった。
 レヴァンの作る雪兎の柔らか煮は、「人の心を蕩けさす温かさ」と形容するにふさわしい出来栄えであり、まだまだ手順や調法にぎこちなさはあるものの、このまま精進すれば学食のメニューとしても立派に通用する、というのがネイの見立てである。
 他にも、実際に料理をするわけではないが、料理の下準備として材料の仕込みを担当するセイの存在も大きかった。常に無口で、黙々と作業をする彼がいなければ、ひょっとしたら今ある料理は成り立たなかったのかも知れない。
 ネイはピシャリと頬を叩いて気合を込めなおすと、再び指導に没頭していくのであった。


- 学園都市アルメイス 学園校舎施設 -

 中央繁華街、学食、はたまた遠く離れた帝都、エーベル山。
 この料理勝負に関わった者は、それぞれが、それぞれの場所、それぞれのやり方でベストを尽くすべく戦っていた。
 もちろん、象牙の塔に組するパルミィユ・O・ランビエールも、その一人である。

 だが、パルミィは、この料理勝負において異端の存在だった。

 彼女はネイやクラン、ましてやアドリアン・ランカークに共感を覚えて、この料理勝負に関わったわけではない。
 彼女は、この料理勝負そのものが気に入らなかった。
 ネイやクランのような、理想を盾に自分のエゴを押し付けてくる連中が気に入らなかった。
 そういう意味では、エゴを押し通すのに理想を盾としない、アドリアン・ランカークの方がまだ共感が持てたし、だから彼に協力して、この料理勝負を潰してやることにしたのだ。

「うふふ……、ねぇ、ねぇ、知ってるぅ〜?」
 パルミィは決して自分の手を汚しはしない。彼女は知ってる限りの『おしゃべりさん』に声をかけて回り、料理勝負に関してあることないことを少しずつ吹き込んでいった。
 本当の話の中に、ちょっとずつ嘘を混ぜ込みながら、少しずつ、少しずつ毒を流し込んでいく。
 パルミィは決して長いとはいえない14年の人生の中で、人は表しかなかったり、逆に裏しかないものに対して興味を示さないことを、半ば本能のように嗅ぎ付け、それを利用する術を身につけていた。
 パルミィから『おしゃべりさん』へ。そして、『おしゃべりさん』から一般生徒へと、パルミィの毒はゆっくりと、ゆっくりと進行していく。
 一般生徒から、さらに広がって関係者の耳に入る頃には、パルミィの痕跡は薄闇の中に伸びる影のように、薄れ、溶け込んでしまうことだろう。
 彼女はいつだって、無害な第三者であり、これからも第三者であり続けるのだ。

「パルミィはぁ、理想に燃える人がだーい好きです。だって、ちょっとつつけば勝手に動いてくれますからぁ♪」
 パルミィは無邪気な顔で囁き続ける。
「料理勝負がめちゃくちゃになってぇ、大事な料理もめちゃくちゃになってぇ、『のーこんてすと』になってしまえばいいと思うんですぅ」
 パルミィは無邪気な顔で微笑みながら、囁き続ける。
「そうなればぁ、だーい好きなみーんながひどい目にあってパルミィは幸せ、なんですの」
 ネイの理想も、クランの理想も、それに情熱を傾ける他の学生の存在も、彼女にとっては教室に散らかっているゴミのようなものだった。
 不快なゴミは、さっさと掃除して燃やしてしまうに限る。もちろん、掃除するのも燃やすのも、教室の掃除当番がやるべきなのだ。


勝負当日まで、…後、2日。


- シュナイフス山脈 雪洞 -

 雪兎を探しに出たエトス、エスト、しんぺー、エレナの4人は、暗い雪洞の中でまんじりともせず、じっと、救出が来るのを待ち続けていた。
 4人とも寒さに加え、連日の強行軍で疲労の色を隠せない。
 特に、エトスとエストはこれ以上ないぐらい真っ青な顔をしていた。無理もない。突然の雪崩に巻き込まれこの雪洞に逃げ込むのに、充分な準備もなしにリエラと『交信』してその力を行使したからだ。
 ここがいつもの学園であれば、ぐっすりと眠って体力を回復させるところだが…

 だが、今眠るという選択肢はあり得ない。
 エレナが運んできたカゴには、ここに至るまでに捕まえた雪兎が詰め込まれているが、……成果は生還して初めて称えられるものだ。現時点において、これは何の意味も持たない。
 唯一の希望は、定時になっても戻らないことを不審に思った仲間が、運良く彼らを発見してくれることだけだった。

 リエラという超常の存在と意思を疎通させ、その力を行使することができるフューリアとはいえ、『交信』できないことには一般人と何も変わるところはない。
 『交信』には、ゆっくりと精神集中できる環境か、あるいは多大な体力が必要だが、この凍えんばかりの寒さと疲労では到底その条件を満たせるとは思えなかった。
 無理に『交信』を行えば命の保障はない。この世界でリエラの力を発動させることは、一般の人たちが考えるよりもはるかかに重労働なのだ。

 それから、どれくらい時間が経ったことだろうか。
 いつの間にか眠ってしまったエレナは、頬にじーんと広がる痛みに目を覚ました。
 目の前に、心配げにのぞき込むアーリアの顔があった。
「ア、アーリア…!? どうしてここに…?」
「それだけしゃべれるなら大丈夫みたいね」
 ガバッと身を起こしたエレナは、そこに「良い水を探しに行く」といって分かれたアーリアと茗、そしてカミルたちに介抱されている仲間の姿を見つけた。
「水はどうしたの?」
「バッチリ」
 茗は水筒を取り出しながらウインクした。
「あなたたちを見つけるのより、ずっと簡単に見つかったんだから」
「終わりよければ、全て良しってね。雪兎も捕まえれたみたいだし、早速帰りましょ!」
 茗の言葉をアーリアが続ける。
 その言葉に、エレナは力一杯うなずいたのだった。

 一方、その頃。
 雪山で遭難しかけた面々とは違い、青背ボーロを釣りに向かった、アルカード、かおる、ブン、しえるの一行は実に気楽なものだった。
 リットランドまで蒸気列車の旅を楽しんだ後、リットランドから乗り合い蒸気自動車で近くの漁港まで行き、晴れ渡る凍った海に穴を開けて腰を下ろし、気長に糸を垂らしているわけである。
 一般的な青背ボーロの釣り方と何ら変わるところはなかったが、仮にリエラの力を行使するとして、誰も凍った海の下に対して有効な能力を持っていなかったのだから、ある意味仕方がない。
 それに、漁港で聞いた漁師の話によれば、上物の青背ボーロを釣れるかどうかは、腕の差よりもむしろ運に頼るところが大きいらしい。
 そんなわけで、焦ろうにも焦りようがないことが分かった4人は、今こうしているわけである。
「なかなか釣れませんね」
 いかにも暇そうに膝に肘をついて釣り糸を垂らしていたかおるが、あくびを噛み殺しながら隣にいるアルカードに話しかけた。
「運頼みなら、後は根気の勝負。ブン君やしえるちゃんを見習わないと」
 銀髪のアルカードは、穴を囲むようにして向かいに座っている2人をあごで差しながらいった。
 向かいに座る2人、ブンは相変わらず寡黙で何を考えているか分からないし、しえるはいつもと何変わらぬ様子で釣りを楽しんでいる。
 まぁ、真面目にやったからといって、すぐに反応が返ってくるわけでもないのが辛いところだ。

……

 何事もなく、穏やかな時が流れ続けていく…

と、ふいにアルカードは竿が今までにない勢いで引っ張られるのを感じた。
「おっ、おっ、おお!」
 取り落としそうになった竿をしっかりと握り、逃がさないよう慎重に竿を操る。ここら辺の手練は、さすが『釣り名人』の異名を持つだけのことはある。アルカードにぬかりはなかった。
 程なくして、今まで見たこともないほど上物の青背ボーロが釣り上がった。
「おお〜〜」
「お見事!」
「すごーい!」
 アルカードが釣り上げた青背ボーロに目を丸くする3人。
 と、その驚きも冷めやらぬまま、今度はかおるの竿が強く引っ張られた。
「何か、急に調子がよくなりましたね」
「まぁ、……世の中そんなもんですよ」


- 学園都市アルメイス 自治区ハジケ秘密基地 -

 同時刻、学園都市の自治区。
 多くのグループの拠点が集まるこの区域は、俗に「グループ棟」と呼ばれる集合住宅がひしめき合って、計画都市とはかけ離れた雑然とした異空間を形成している。学園都市のダークサイドといっても過言ではない。
 その自治区の奥の奥、地下活動を続ける秘密結社、ハジケの本拠地では、今回の料理勝負に乗じた勢力圏拡大作戦が展開され、それが少しずつ形になりつつあった。

 あの学食でのいさかいに居合わせた構成員から、学内でも有数の資産家、名門ランカーク家の次期当主が一枚噛むことを聞き及んだハジケ首領、空牙は、これをハジケ躍進の絶好の機会と捉え、ランカーク家に接近することを決定した。
 選抜されたのは、ハジケ選りすぐりの精鋭たち。
 料理勝負に際して、アドリアン・ランカークに接近し、その知己を得ることに成功したハジケ構成員、スルトは、アドリアン・ランカーク名義で学園へ輸送される定期物資を丸ごと買い占め、その際、同じくハジケ構成員、リンの助けを借りて、書類を偽造して食料以外の全ての物資をハジケの私物化せしめることを成功させていた。
 今、ハジケ秘密基地には、そうして不正に調達された物資が運び込まれ、所狭しと床を占領している。さすがに学園に送られる定期物資を、ほぼ丸ごと運び込んだのだから、その床面積占有率は70%を超過し、具体的にはハジケ首領である空牙でさえも、椅子に座るスペースは全くなかった。

「あの〜、首領…」
 ハジケ構成員、いや、ひょっとしたら学園ナンバーワンの美少女、「是非とも首領直属の秘書に!」の声も高いピュルカが、その傾城の美貌を汚す汗をハンカチで拭いながら、うんざりしたような声を上げる。
「いくらなんでも、狭すぎじゃないでしょうか」
 ピュルカに言われるまでもなく、この過密度200%以上の空間は想像を絶する辛さがある。
 もっとも、ピュルカの左右に陣取る男性構成員は、まんざらでもなさそうな顔をしているのが印象的ではあったが。
「さっさと横流しするなり、ばらまくなり、どうにかしちゃいましょうよ」
潜入工作の雄、パッセイジも、いつにない過酷な環境に相当まいっているようだった。
「まだダメだな。料理勝負が終わるまでは」
 広報担当のエスが、空牙に代わって答えた。彼女も汗だくだ。
「とにかく、料理勝負当日まで派手に動かない方がいいわ。今は我慢しましょう」
 今は我慢。エスの言葉に全員がうなだれて溜め息を漏らした。
しばらくはこのままなのか、と。


- 学園都市アルメイス 象牙の塔 -

「……で、なるほど。あの連中はそんなことをやっているのか」
 アドリアン・ランカークは、黒髪の少女から報告を受け取り、飲みかけていた杯を静かに机に置いた。
「それで、ハジケについてはいかがいたしましょうか?」
「好きにやらせておけ。どうせ学園での遊び金だ」
「あの小娘どもが不利益を被る、という点では連中は立派に役目を果たした。小僧の帳簿いじりに一々目くじらを立てていては私の器量を疑われる」
「しかし…」
「くどいぞ、カレン!」
 なおも言いよどむ黒髪の少女を、アドリアン・ランカークは一喝した。
「自分の立場をよく弁えることだな、カレニア・アークライト」
「…は、はい」
(しかし、ハジケの行動は行き過ぎています。他の一般生徒、住人たちを巻き込んでしまう程に…)
 カレンと呼ばれた少女は、口に出かけた言葉を胸の内に飲み込んだ。

「それよりも、パルミィだったか…、学園内で面白い動きをしているヤツがいるそうじゃないか」
「あ、はい。先日ご報告申し上げた少女ですが、学園内で巧みに情報操作を続けているようです」
「一度、この度の料理勝負を軽く批判して一般生徒の興味を引いた後、一転して料理勝負の理想や意義を流して料理勝負を擁護し、関係者を引っ張り出そうとしています」
「…それで?」
「多分、推測なのですが…。関係者を引っ張り出してその言質を取ってから、物資買い占めなどの不正を暴きたて、料理勝負を中止させる方向性で動くのではないかと。仮に関係者が表に出てこなかったとしても、その『出てこなかった』という部分を利用して……」
「もういい! 具体的な方策のことなど聞いていない。お前の見立てでは、それはどのくらいの公算があるんだ?」
「ハジケの動きのこともありますし、おそらく七分方は彼女の思惑通りになるかと」
 カレンの言葉を聞いたアドリアン・ランカークは、机に置かれた杯をつかむと、やおら中の液体をカレンに浴びせかけた。
「そうなると分かっていて、なぜ動かん? ん?」
 アドリアン・ランカークがカレンをにらみ付ける。
「小娘どもの主張に傷がつこうが、折れ曲がろうが一切構わんが、レイアル・カッシュには毛ほどの傷も許されない。行け!」
「…はい」
 アドリアン・ランカークの主命を受け、代々ランカーク家に仕える影の騎士、アークライト家の末裔は闇の中へ姿を消した。

勝負当日まで、…後、1日。


- 学園都市アルメイス 中央駅 -

 その日、まだ夜も明けやらぬ早朝。リットランドからの寝台列車が学園都市の門を通過した。
 乗っていたのは、リットランドへ買い付けに出かけていたユッコとロザリア。はるばる雪の都、ロランドまで足を伸ばしていたレイヤ。そして雪兎と青背ボーロを調達しに出かけていた一行である。
 寝台列車の後部2両には、彼らの努力の成果である食材が満載されていた。
 料理勝負まで、後1日。
 戦いは大詰めを迎えようとしていた……


- 学園都市アルメイス お料理研究会 -

 ユッコとロザリアによって、待ちに待った食材が自治区にあるお料理研究会に届けられると、クランは至急調理班の面々を呼び集めることにした。
「では、食材も届きましたし、皆さんにやってもらいたいことがあるのです」
突然のクランの召集で呼び出された調理班、桃竜、静音、ゼクス、コーネリア、ランスロット、リンの6人は、何事かと顔を見合わせる。
呼び出しがかかるということは、スケジュールにない不測の事態が発生したに違いない。
 不審な顔をする6人に、クランはにっこりと笑いながら言葉を続けた。
「届いた食材を、大きさごとに分別して、それぞれ別のカゴに入れて欲しいのです」
「??? 了解?」
 6人はクランの真意をはかりかねる様子だったが、とりあえずいわれた通りに食材の仕分けに取りかかった。
 幸い、というか、不幸にも、結局学園内で食材を調達することができず、ユッコとロザリアがリットランドから仕入れてきた食材がその全てであったので、全部を分類し終わるまで大した手間はかからなかった。

 仕分けが終わると、クランはカゴを1つ1つ検分しながら、何やら書き付けた紙を貼り付けていく。
「なぁ、クランちゃん。何しとるん?」
 傍で見ていた桃竜が紙をのぞき込んでみると、何やら数字や図が書き付けられている。
 よくよく見ると、下処理と調理の仕方、そして調理にかかる時間だった。
「これ、ひょっとして…」
「そうなのです。桃竜さんたちは、今までやってきたことを、何1つ変える必要がないのです」
 クランがにっこり笑いながら続けた。
「煮込み料理は、煮込む時間が命です。でも、食材は大きさがバラバラで、全部同じに煮込むと味が変わってしまうのです」
「普通なら、ちゃんと素材を同じ大きさ、同じ形状に下処理するのですけど、あれは結構技術が必要だし、時間もかかるのです」
「だから、こうして最初から仕分けておいて、そのカゴごとに同じ処理をし、ちゃんと時間を決めておけば、誰が調理しても必ず同じ味になるのです」

 クランの言葉に見え隠れする合理主義。それこそが、ネイとクランの最大の違いだった。

 ネイが指揮する調理班は、連日徹夜を繰り返し、血の滲むような特訓を続けていたが、クラン指揮下の調理班は、最初に調理工程全部の説明と、下準備の基本を行っただけで、料理修業と言えるものはほとんど行っていない。
 基本的には、あらかじめ立てた計画表に基づき調理の練習時間がキチッ、キチッと決められ、クランはそれ以上の練習を許さなかったのだ。
 料理が余り得意でないコーネリアなどは、「本当にこのままでいいのかしら?」と不安になってしまうほど、その基本方針は徹底していた。
「さ、これでお終いなのです」
 最後のカゴに紙を書きつけたクランは、6人を振り返って深々と頭を下げた。
「皆さん、ここまで付き合ってもらって、本当に嬉しかったのです。だけど、後もう1日。もう1日だけ頑張って欲しいのです」
 そのクランのばか丁寧さに、6人は毒気を抜かれたようにただうなずくのだった…。


- 学園都市アルメイス 学園校舎施設 -

 ネイ派、クラン派、共に最後の仕込みと調整を終え、明日に備えて寝静まった夜。
 月明かりの中、ネイ派の本拠地である学食第二厨房に忍びよる1つの影があった。
 象牙の塔に組する者、キシェロである。
 キシェロは第二厨房の窓の下に座り、注意深く周囲を見渡して人影がないのを確認すると、精神集中してリエラと『交信』を始めた。
 彼のリエラ、フェアヴィレンは特定の姿、能力を持たず、最後に戦ったリエラの姿形、そして能力をコピーする能力を持つ特殊なリエラである。もっとも、コピーした能力はオリジナルに及ばないが、潜入工作をする場合には便利なことこの上ない。

「……個人的な恨みはないけど、やらしてもらいますか!」
キシェロは意を決して、リエラの能力を行使した。
 フェアヴィレンから半黒色の吐息が吐き出され、ネイの第二厨房を覆い隠した。
 この半黒色の吐息は、前日にトレーニングをして仕込んできた即効性の腐食ガスである。オリジナルの威力は岩をも腐らせる凄まじいものだったが、フェアヴィレンの能力では、せいぜい食物を腐らせるのが限界だった。
 それが、この場合には丁度いい。

 仕事の結果を確認するまでもなく、キシェロは次なる目標、クランのお料理研究会目指して移動を開始した。


勝負当日

 かくして、運命の勝負当日。
 ネイ派、クラン派、両陣営から悲鳴が上がる。


- 学園都市アルメイス お料理研究会 -

 お料理研究会のグループ室に続々と人が集まる中、食材の異常に真っ先に気づいたのは、最終チェックにきたクランだった。
 専門的に鍛えられた「目」を持つクランは、見るまでもなく、その場に漂う臭いだけで食材の異常を感じ取った。
「こ、これは一体、どういうことなのです…?!」
 慌てたクランは、カゴを1つ1つひっくり返して食材を点検する。
 食材は、その大半が素人目にも分かるほどダメになっていた。ひどいものになると、触っただけでグズグズと崩れる有様だ。
 一夜で、こんなことができるのはフューリアしかいない。

「ひ、ひどいのです…」
 元々クラン派の集めた食材は、仕入れる段階で象牙の塔に邪魔をされ、満足な量すら確保できていなかったのだ。鮮度に関してはいうまでもない。
 そうであるが故に、これは深刻な状況だった。クランがガックリと肩を落とす。

 駆けつけた静音は、クランに優しく声をかけると、まだ使えそうな食材をカゴに戻し始めた。
「煮物でしょ? ちょっとぐらい痛んでいても、大丈夫だと思うし…」
「あ、ありがとうなのです」
 クランは静音に頭を下げると、涙を堪えながら食材を選別し始めた。
 こんなことには、絶対負けたくない!

 一方、学食第二厨房では、アルカードが釣ってきた青背ボーロの仕込みをしようと、早朝からやってきた八重花が第一発見者となった。
 即席の氷室から取り出した上物青背ボーロは、昨日の夜目にした青背ボーロとは、色、艶、臭い、締まり具合、何もかもが違っていた。
 無口、無表情、無感情で知られる八重花も、さすがにこれには多少の同様を感じたようだ。表情こそ変わらなかったものの、いつになく慌てた感じで表に出し、同じく仕込みにやってきた竜華とぶつかってしまった。
「あっ、八重花お姉さま。どうしたんですか♪」
 八重花の腕をしっかりとつかみ、何気に頬を染めてもじもじしている竜華を、八重花は強引に引き離した。
「……みんなを呼んできて下さい」
 突然の八重花の言葉にキョトンとしていた竜華だったが、八重花の無言の圧力の前に事の重大さを感じ取ると、みんなを呼び集めるべく走り出したのだった。

 しばらくして、ネイ派の全員が第二厨房に集まった。
「どうせ、仕掛けてきたのはクラン派か、象牙の塔か、どっちかに決まっている」
「まぁ、待て。落ち着いて、…席を立つな!」
 色めきたったライル、ウィル、エストなどの強硬派が腰の物に手を掛け、今にも飛び出しそうな素振りを見せるのを、慎重派のシュナイダーがおしとどめた。
「何だよ、止める気か?!」
「突っ込む前に、もうちょっと考えてもいいってことさ。…アークさん?」
 シュナイダーは、入り口付近に立っているアークに話を振った。
「そうだ。シュナイダーのいう通りだ」
 アークはこれまで、料理大会により多くの人が来てくれるよう、より多くの人に理解をしてもらえるよう、学園や寮を走り回って、著名な生徒を招いたり、有志を募って当日の会場警備を頼んだり、宣伝活動を続けてきた仕事人である。
「今、学園内にはおかしな空気が流れている」
「個人の主義、主張のぶつかり合いから、これだけ大がかりな料理勝負をすることに対して、他の生徒は懐疑的な立場をとっている」
「えっ? でも、一昨日までは、結構お祭り気分で、みんな楽しみにしてたんでしょう?」
 アークの言葉に、志貴が驚きの声を上げる。辛い料理修業も、皆の期待感があればこそ、耐えてこられたのだ。
「一昨日までは、確かにそうだった。しかし、昨日。料理勝負のための物資買い占めの発覚をかわぎりに、偽情報を流すなりして帝都やリットランド、他都市まで巻き込んだり、授業を休んで食材を調達に出ていたことなどが次々に取り沙汰され、多くの学生の間では『料理勝負を中止しろ!』という非難の声が上がっている」
「今ここで、問題、ましてや私闘騒ぎなんか起こしたら、すぐに双樹会の方から中止命令が飛んでくるとみて間違いないな」
「そんな……」
 アークの言葉に、集まった学生たちは絶句する。

「誰がやったかはともかく、食材がないんじゃ勝負にならない。まぁ、こんなこともあろうかと…」
 気落ちした学生たちを励ますようにシュナイダーが切り出した。
「俺の親戚筋に、雪兎や青背ボーロを扱う業者がいてね、質のいいのを当日に間に合うように届けてくれるよう頼んであるんだ」
 ハッと、学生たちが顔を上げてシュナイダーを見る。
「おっと、そこまで期待しないでくれよ。あくまで不測の事態に備えて、予備に頼んだだけなんだ。使わなかったら、そのままホテル・エルティミーナに渡すことになってるし、予定した量の半分も用意してないんだ」
「それでも、全然嬉しいです。ありがとう、先輩!」
 ちょっと元気を取り戻したネイが深々と頭を下げる。
「じゃあ、後は足りない分をどうするか、だな」
 ライルの言葉に、再び全員が沈黙する。

 と、その時、静まり返った仮設施設に、突如何もない空間から少女の声が聞こえてきた。
「あのー、おはようございます」
 それは食材調達の時に、「考えがある」といって単独行動をしていたエレンの声だった。
 彼女の実体を持たないリエラ、リュシオンが、いつの間にかこの仮設施設に上がりこみ、彼女の声を伝えてきたのだ。
「今頃、みんな料理の準備に忙しいんでしょうね〜。あはは」
「ちょっと遅れちゃったけど、腕利きの猟師兼漁師さんに頼んで、雪兎と青背ボーロを捕ってきてもらいました」
「多分、あと1刻ぐらいで列車が駅に着くから、料理勝負には間に合うかも〜? 使わなかったら、どうしよう…コレ…」
「ま、いっか。今さら役に立たないかも知れないけど、……ホント、遅れてゴメンね?」
「じゃ、ばいば〜い!」
 リュシオンはエレンの伝言を伝えると、まるで初めから何もなかったように忽然と気配を消してしまった。
 後に残るのは、嵐の前の静けさ。
「お、おおぉー!」
 そして、誰からともなくどよめきが起こり、やがてそれは笑い声に変わった。
 まだ、神は自分たちを見捨ててはいない。
 その言葉の意味を、彼らは身をもって実感していたのだ。

 救いの神は、ネイ派だけに恩恵をもたらしたわけではなかった。
 かろうじて使える食材を選別し終わり、残った食材でいかに料理を作るか頭を悩ませているクランの元に、学園都市近郊の農家に食材を仕入れに出かけていたティクが、リュックサックと手提げカバンに食材を詰め込んで戻ってきたのだ。
 所詮、個人が運ぶことができる程度の量でしかなかったが、今のクラン派の台所事情を考えればこれでも充分救いになる。
「おぉ? お手柄やないか、ティク?」
 桃竜が小躍りしそうな勢いで、さっそくティクが持ってきた食材の仕分けに取りかかる。
「僕の成果がお手柄になるようでは、先が思いやられますね」
 ティクは溜め息をつきながら、仕分けの手伝いをするのだった。

 そうして。
 ネイ派、クラン派、それぞれ最後の準備を終え、料理勝負まで後わずかな時間を残すのみとなった。
 双樹会の好意によって解放された、会場となる自治区の中ほどにある広場は、各派の仕入れ班の手によって食器やテーブル、簡易厨房などが運び込まれ、準備万端。後は始まるのを待つばかりとなっていた。

 妨害工作を働いてきた象牙の塔は、今だ動かず。

 秘密結社ハジケは、ひたひたと姿を隠しながら会場周辺に集結を開始し、否定、協賛、様々な立場をとる一般生徒たちは、事の顛末を見届けようとそれぞれの立場から昼休みが来るのを待ち構えていた。

 そして、今、最後の舞台の幕が上がる。


- 学園都市アルメイス 象牙の塔 -

 その日の一連の騒動の中で、まず一番最初に行動を起こしたのは、秘密結社ハジケの潜入工作員、スルトだった。
 彼は前日に、レイアル・カッシュの秘密を盗もうと象牙の塔に潜入したのだが、肝心のレイアル・カッシュは、当日、当時刻直前に、専用のシェフが専用の食材と共に学園に到着し、それまで料理の秘密はおろか、前菜のレシピすら手に入れることはできなかった。
 しかし、子供の使いで潜入しているわけではない。
 そのままスルトは、危険を承知で象牙の塔で一昼夜を過ごし、シェフの到着を待った。

 ……

 どれくらいの時間が経ったのだろう。
 臨時に増設された厨房の天井裏に隠れて眠っていたスルトは、下に人の気配を感じて目を覚ました。
 厨房にたくさんの人の気配を感じる。シェフ団が到着したのか?
 スルトが下の厨房をのぞこうと、身体を起こした刹那!
 身を貫くような殺気に襲われた。
 慌ててスルトが身を転がすと、今までスルトが居た場所に、鋭利な刃物の刃先が突き出した!

「どうしたのですか?」
 下から慌てふためいたシェフらしき男の声が聞こえる。
「いえ、天井に大きなネズミが潜んでいたみたいです」
 そして、それに答える少女の声。
 それはアドリアン・ランカークの懐刀、カレンだったが、そのことをスルトは知る由もない。
 直後、再び殺気が迸り、スルトは反射的に飛びのいた。またしても現れる刃先。
 スルトが着ていた長衣の裾が切り裂かれた!
 潜入工作には絶対の自信があったスルトだが、予定外のアクシデントで気配を殺すのを失敗したのかも知れない。
 わずかな逡巡の後、スルトは逃げ出すことを決意した。

 厨房から抜け出し、自治区の通りと続く裏道を駆けるスルト。
 だが、謎の追跡者は諦めない。
 スルトが先ほど感じた気配は、今もつかず離れずプレッシャーとなってスルトを圧迫する。

 スルトとて、だてにフューリアとして戦闘訓練を受け、日々模擬戦を闘ってきたわけではない。しかし、フューリアとしての能力がどの程度かは知らないが、追っ手個人の戦闘能力は紛れもなくよく鍛えられた兵士のソレであり、自分の戦闘力と差があることを…くやしいが、認めないわけにはいかなかった。
 『交信』に入る時間さえあれば、腰に吊るした一振りの片刃剣…リエラを覚醒させて何とかすることができるのに…!
 スルトは唇を噛み締めながら、今は逃げ切ることだけに意識を集中した。
 と、突然スルトの足がもつれる。
 ボーラ?!
 自分の足に絡みつく、捕獲用の投擲武器の存在をスルトは苦々しく認識した。
そうだ。自分は、倒れる!
 と、その時、上空に金色の鳥が舞ったかと思うと、スルトは次の瞬間には意識を失っていた。

「ふふ、戻っておいで。ディー」
 象牙の塔の近く、人気のない路地裏に身を隠したレジーラは、黄金の鳥を手元に呼び寄せた。
 黄金の鳥の姿を持つリエラ、ディーを指に止まらせたレジーラは、ディーがつかんでいた瓶を放させ、その中味が空になっているのを確認した。
 瓶の中身は、レジーラが作り出した即効性の睡眠薬。
 鼻腔から吸収され、効き目は早いが、短時間しか眠らせられない試薬品だ。
「レイアル・カッシュで釣った癖に、食べさせてくれないなんて! いいわ、そっちがその気なら、勝負の始まる前にこっそり食べちゃいましょ」
 レジーラはディーに向かってそう呟くと、悠然と象牙の塔に向かって歩を進めた。


- 学園都市アルメイス 象牙の塔 -

「あら、あらあら。まだできてなかったのね……レイアル・カッシュ」
 象牙の塔の厨房に足を踏み入れたレジーラは、そこにある作りかけと思われる料理と、シェフ団の姿を見て溜め息をついた。
「まぁ、いいわ。作りかけでも。いただいちゃいましょ……」
 レジーラが料理に手を伸ばした、その時、象牙の塔の入り口付近から爆発音が轟いた。
 ギョッとして、思わず手を引っ込めるレジーラ。

「ハジケ参上!!」
 大声で名乗りを上げる声が聞こえ、次々に爆音が轟く!
「ちょ、ちょ、ちょっと、何なのよ〜!」
 予定外の襲撃に慌てるレジーラに、追い討ちをかけるように高らかな声が鳴り響いた。
「ハジケ参上!」
 見ると、厨房の入り口付近にハジケ首領、空牙が立っていた。
 髪をオールバックにし、スーツに身を包んだ威圧感の塊……
 以前、彼と模擬戦を行ったことがあるレジーラは、空牙がすでにリエラを憑依させていることに気づいた。

 ハジケ首領、空牙のリエラは学園でもなかなか他に類を見ない特殊なリエラで、空牙はリエラを自分自身に憑依させ、自らの身体を媒体に力を行使する一体型リエラなのだ。
 レジーラはすぐさまディーを呼び出し、臨戦態勢を整える。
 本気になったレジーラと空牙の能力はほぼ互角。しかも、ここは闘技場ではないので、いざ本当に闘うとなると無事で済むはずがない。
 軽い気持ちで乗り込んだレジーラは、意外な展開に舌打ちしながらジリジリと距離を離す。

 そして、次の瞬間。2人の中間地点で、最初の攻撃が炸裂した。

 リエラの強力無比な一撃は、眠っているシェフを吹き飛ばし、厨房の壁を倒壊させた!
 当然、作りかけのレイアル・カッシュとて例外ではない。瓦礫に埋もれて、もう何が何やら分からない状態になってしまった。
 無残な姿になってしまったレイアル・カッシュに、一瞬だけ空牙が気を取られた隙に、レジーラは空牙の横を滑り抜け、象牙の塔の入り口に向かって走り出す。彼女ぐらいのレベルになると、『交信』しながらでも走るくらいのことはできる。
「まったく、もう。やんなっちゃうわね〜〜っ!」
 踏んだり蹴ったりのレジーラだったが、まだ彼女の受難は終わったわけではない。
象 牙の塔の入り口には、襲撃の音を聞きつけて飛び出した象牙の塔のメンバーを狙った落とし穴が、ピュルカの手によって作られていたのだ。
 しかし、残念ながら象牙の塔のメンバーは、最前レジーラ自身の手によって眠らされているので、必然的に落とし穴に引っ掛かるのはレジーラというわけだ。
 ようやく象牙の塔の出口にたどり着いたレジーラは、やれやれと一歩踏み出した瞬間、天地が逆さまになるのを感じた。
 が、すでに『交信』状態に入っていたレジーラは、一瞬でディーを呼び寄せ、その足に捕まって空高く舞い上がった。
 地上に、レナ、ロバート、ピュルカ、といったハジケの構成員が見える。
「もういいわ。行って、ディー」
 うんざりしたように呟くと、レジーラとディーは安全な場所を目指して空高く舞い上がったのだった……。

判定結果
△空牙 vs △レジーラ


- 学園都市アルメイス 自治区会場 -

 それと時を同じくして、ネイとクランの料理勝負は今まさに開始されようとしていた。
 ネイが鍛え上げ、即席とはいえ充分な力を身につけた料理人たちが、用意された簡易厨房で腕を振るい、食材を次々と調理していく。
 クラン派も同じく所定の配置につき、料理を開始しようとしたが…、そこにリンの姿がなかった。
 行き先も告げずに消えてしまったリンを探している時間はない。仕方なく、給仕に回るつもりだったクランが調理に入り、臨時に頼んだお手伝いに給仕をしてもらうこととなった。
 食材に次ぎ、調理の面でもトラブルが絶えないクラン派である。

 また、会場ではネイが考案した給仕班(女子はパラリエッタがどこからともなく調達してきたフリフリのエプロンドレスを身に纏い、暴走したパラリエッタが男子にもその姿を要請してきたが、男子はセシリアルの主張により、パリッとしたウェイター姿で落ち着いていた)が食前の演出で会場を盛り上げていた。
 中でも素晴らしかったのは、テーブルクロス1つにまで気を使ったルインのテーブルセットと、ミストが奏でるハーモニカの音色だった。
 最初は悪感情を持って見にきた生徒たちも、エスや、梓、真吾の曲芸めいたパフォーマンスと穏やかなメロディーに次第に態度を軟化させていくようだった。
「ん〜、いい感じじゃない。さっすがボク♪」
 パラリエッタが嬉しそうにうんうんとうなずく。
「あ、あの、パラリエッタ…さん」
 パラリエッタの隣にいたルーネが、顔を真っ赤にしながらもじもじと両手を後ですり合わせた。
「あの、…その、胸が…」
「ああ、コレ?」
 パラリエッタが自分の胸を指差す。そこには、普段の彼女では絶対にありえない膨らみがあった。
 ルーネが、うんうんと真っ赤な顔を上下させる。
「ん〜〜。教えてあーげない」
「そ、そんな〜」

……
 おおむね、料理勝負は順調だった。そう、この瞬間までは。


「ハジケ参上!」
 謎の叫び声と共に、会場に爆竹と火薬が投げ込まれたのだ!
 それと同時に、1台の蒸気自動車が唸りを上げ会場に乗り入れた。
 蒸気自動車は巧みな腕で蛇行を繰り返し、開いた窓から爆竹と火薬が次々と会場に投げ入れられる。
 突然の事態に慌てふためく生徒たちを尻目に、蒸気自動車はさんざんに爆竹をばら撒き、火薬を破裂させながら、嵐のように会場を乱して走り去った。
 それは、まるで嵐のように一瞬のできごと。
 一瞬の静寂の後、会場は文字通り爆発した。
 様々な生徒の怒号が会場に響き渡った。一般生徒からは責任追及の声が上がり、興奮した生徒の手によってテーブルは蹴り倒され、並べられた料理は試食を前に足下に踏みにじられた。
「…ひどい。こんなのって、ひどすぎる…」
 騒ぎを聞きつけて厨房から駆けつけたコーネリアは、ぐちゃぐちゃに踏みにじられたお手製のメニューを胸に抱き、静かな声で泣いていた…
 料理が余り得意でない彼女が、それでも精一杯作った料理は足下に投げ出され、少しでもみんなに楽しんでもらえるように、と真心を込めて作った手製のメニューは踏みにじられたのだ。

 それだけでは済まない。
 爆竹の爆発で火傷を負った生徒もいた。
 蒸気自動車を避けそこなって、怪我を負う生徒もいた。

 彼らの怒りが、走り去ってしまった突然の乱入者ではなく、この料理大会の主催に向けられたのは必然なのかも知れない。

 暴徒と化した一般生徒たちは、簡易厨房になだれ込んでネイとクランを引きずり出すと、必死におしとどめようとするウェインたちを押し退け、2人を殴りつけようと拳を振り上げた。
 何が彼らをそこまで駆り立てたのか。……ハジケの乱入は単なるきっかけに過ぎない。
 事前に広められていたパルミィの毒が、彼らを狂わせていたのだ。
 ただのお祭りに過ぎない料理勝負が、一方では金にあかせて一般生徒にも還元されるべき輸送物資を買い占め、一方では食材集めに学園を抜け出して好き勝手。しかも、帝都では怪情報を流して混乱を引き起こし、学園に戒告が下され、何の関係もない部外者に不利益をもたらした。
 一般生徒にしてみれば全く面白くない展開な上に、この乱入騒ぎである。
 多少、好意的な目で見ていた生徒でさえ、この仕打ちには我慢がならなかった。
 冷静に考えれば、もっと違う見方ができたのかも知れない。
 だが、彼らはそう信じて、……否、信じさせられていた。それが、パルミィの流した毒なのだ。

「やめろ、やめろーっ!! 女の子に手を上げて、恥ずかしくないのかッ?!!」
ネイとクランを取り囲む生徒たちの群れに、会場警護を任されていたしゅれんが必死の形相で割って入る。
 それに続いて、ウェインとアークが集めた有志たちが割り込んで壁を作った。
「2人を殴って、なんになるんだ!」
 ウェインの叫び声も、彼らの耳には届かなかった。
 聞こえるのはただ、怒号と悲鳴。
 生徒の拳が握り締められ、今まさに打ち下ろされんとしたその時……

 会場に光の輪が飛来し、生徒の振り上げた拳を光輪で縛り上げた。
「古式ゆかしい矢文で急かされて来てみれば、大変なことになっているみたいだね」
 万聖法典を捧げ持つ、エプロンドレスの少女の姿をしたリエラ、オルデ・コッタ・アリスと、腰に真剣を携えた少女、エリスを伴って、双樹会会長であるマイヤが会場に姿を現したのだ。
「手を下ろしなさい、ウリス。そのまま振り下ろしたら、自室謹慎処分です」
 全校生徒の名前と顔が一致する、と専ら評判のマイヤは、その噂に違わず生徒の名前をピタリと言い当てると会場の中心に進み出た。
 ウリスと呼ばれた生徒は、額に汗を浮かばせながら身じろぎもしない…、いや、正確にはできないのだ。
 マイヤのリエラ、オルデ・コッタ・アリスは、相手の名前さえ分かっていれば、強烈な抑止効果を発揮して動きを止めることができる能力を持つ。しかし、実際の戦闘能力は皆無に等しく、それ故に学園でも一目を置かれる実力者、エリスを伴って現れたのだろう。
 エリスが携えた剣の柄に手を置き、マイヤにつかみかかろうとする生徒を「寄らば斬る」と無言の圧力で威嚇する。
 その気迫の前に、暴徒は舌打ちしつつも引かざるを得なかった。

「もういいですよ」
 マイヤはウリスに掛けた光輪を解除すると、ゆっくりとクランとネイに近づいて優しくその手を取り、2人を立ち上がらせた。
「大体の経緯はさっき聞きました」
 マイヤは会場にいる生徒たちを振り返って声を大きくした。
「これは皆にも聞いて欲しいのだが、学園は…生徒の自発的な活動を否定するようなことは絶対にしません」
「やりたいことがあれば、自由にやればいい。やりたいことがなければ、他人の尻馬に乗ればいい」
「とはいえ……確かに、この料理勝負では、定期物資の買い占めや、帝都で怪情報を流すなど、度が過ぎたと感じられる行為があったことは事実です」
「もちろんそれに関しては、厳重な注意がされます」
「しかし、それは君たちも同様です」
 マイヤは割れた食器の欠片を拾い上げ、それを皆に見えるように持ち上げた。
「会場を壊してどうするんです? テーブルを蹴り倒してどうするんです? 主催者を殴りつけてどうするんです? 君たちが本当に怒りを向けるべき相手は、突然乱入して無法を尽くし、そして逃げ去った連中じゃないんですか?」
「度が過ぎた行為の責任は、これからネイ君、クラン君、そしてランカーク君ら主催者が取っていくことになるし、ここで暴力行為に及んだ生徒は、後からお呼びがかかって説教される。それは、もう今さらどうしようもない…」
 マイヤの静かな言葉は、少しずつ、少しずつ生徒たちの昂ぶった気持ちを静めていく。誰もしわぶき1つ上げない。
「でも、どうせ叱られるのなら、せめて楽しんでおいても損はない。そうは思わないですか?」
 痛いほどの静寂の中、ぐるっと顔を見回して生徒たちが落ち着いたのを確認すると、マイヤは手を軽くポンポンと叩いて静寂の呪縛を解き放った。
 同時にエリスも剣の柄から手を離し、警戒姿勢を解いて自然体となる。

「さぁ、いさかいはこれで終わり。早く会場を片付けて、勝負の続きをしましょう!」
「昼食はまだなのでしょう? 空腹も、過ぎればどれも極上の料理に思えてしまって、公正な審査ができなくなる」
 マイヤの言葉に、会場に集まった生徒たちは思わず忍び笑いをもらした。
 ようやく、ここにも和んだ空気が戻ってきたのだ。

判定結果
○秘密結社ハジケ襲撃部隊 vs ●会場警備(しゅれん、ウェイン、ミスト、秋華)混成部隊

 だが、この話はまだ終わらない。
 秘密結社ハジケの野望の成就のため(もっとも、その野望がいかなるものであるか、余人に知る由はなかったが)、ハジケ最後の妨害が始まろうとしていたのだ。
 ネイ派の給仕班に潜入したエスは、マイヤの登場によって会場の注意がそれた隙を狙い、会場に残った料理に、手当たり次第、あらかじめ用意したラージェンを混入していった。
 どんな料理であろうと、最強の激辛調味料、ラージェンを混入すれば、一般人にはとても食べられたものではなくなる。
 それと時を同じくして、蒸気自動車で走り去ったかに見えたハジケ陽動部隊が、混乱の間隙を突いて会場に潜入し、同じくラージェンを主体とした異物を混入し始めていた。
 先ほどの混乱に加えて、この料理を食べさせられたのなら、もうマイヤだろうと、例え学長その人であっても生徒の怒りは抑えられまい。
 料理大会はこれでお終いだ。
 工作を終え、会場からそっと抜け出すハジケ工作員たちは、作戦の完全なる成功を確信していた。

「〜〜〜〜っっつ!」
 だがしかし、ハジケの作戦は、思わぬ形で思わぬ方向に動き出した。
 つまみ食い癖という、余り褒められたものではない性癖を持つ、ネイ派給仕班、シータは、マイヤの立ち回りの最中に、不謹慎にもつまみ食いをして、その報いともいえるこの世の地獄を味わっていた。

 辛い、余りにも辛すぎる!!

 唇を真っ赤に腫れ上がらせたシータは、その異常を近くにいた秋華に伝え、そして秋華と会場を見回っていた数人の生徒が、料理を調べ、異物が混入された形跡がある料理は全て破棄してしまったのだ。
 秘密結社ハジケの最後の妨害は、意外な形で未然に防がれたのである。


- 勝負終わって… -

 かくして、様々な展開を見せた料理勝負は、比較的穏やかなひとまず幕を閉じた。
 途中、マイヤが八重花特製の青背ボーロを食べ、八重花特有のセンセーショナルな味付けに、白眼を剥いて卒倒しかけたことを除けば、であるが。
 さすがは双樹会を束ねる男、マイヤ。その時も、「……おかしいですね。こんなに美味しいのに……」と呟く八重花に、「レディー。君の情熱は僕には熱すぎるんです」とか意味不明な台詞を吐き、怒り出しもせずに、目を白黒させながら料理を全て食べ切ったりした。
 八重花の料理を、やはりつまみ食いして痛い目を見ていたシータは、その時の様子を後でこう述懐する。「会長は漢だった」と。

 最終的な結果は、やはり食材不足で当初計画していた料理を満足に作れなかったクラン派の敗北となったが、この騒動の後ではネイもクランも、そしてそれに関わった全員が、もう判定の結果などどうでもよくなっていた。
「食事は今だけでなく、これからも一生付き合っていくものだから、この時点で結論を出すのは性急すぎるんじゃないかな」と、最後にマイヤが締めて、料理勝負は幕切れとなったのである。

 多少余談にもなるが、象牙の塔が誇るレイアル・カッシュは、レジーラと秘密結社ハジケの乱入によって失われ、会場にその姿を現わすこともなかった。
 結果として、アドリアン・ランカークの望みは意外な形で(一部)成就したのだ。

判定結果
○「ネイ」派(4893point) vs ●「クラン」派(1903.5point)


 料理勝負は終わったが…

 買い占められた物資の行方。
 会場にいる生徒たちの怒りを買ってまで野望を推し進めた、秘密結社ハジケ。
 それらが今後どうなっていくかは、また別の話である。