銀色のリエラは、やはり消えた。 どこへ消えたのか、それはわからない。 そのとき、確かに存在していた空間から突然にどこかへ。 それは空間の喪失のように。 そのとき、やはり近くにはフランがいた……という噂であった。
突然にどこかから現れ、突然にどこかへと消えながら、自存型と言われる矛盾した存在。それが銀色のリエラだ。 その矛盾について考えた者も、もちろんいた。 自存型と言われる理由は何か。それは非自存型であれば必ずいるはずのフューリアのパートナーが、その現れる近くにいないからだ。フューリアなくして具現化しているリエラ。それがすなわち、自存型と呼ばれる。 だが自存型はその存在の維持をまず第一の目的として、自ら現世の存在をやめるようなことはまずない。それが何故なのか……自存型であるリエラたちが、はっきり語ることはなかったが、異界への帰還は決まって彼らの望むところではないようだった。 なのでフューリアを失った自存型リエラは、個体差はあるが、大概は急いで次のパートナーを探すこととなる。自存型であれば単独の存在は危険視され、ともすれば『はぐれリエラ』として討伐されることもあるからだ。『高天の儀』で異界に帰されるのは、まだしも幸運な巡り合わせだったと言えるだろう。それも、本当は彼らの願いではないかもしれないが…… 安全に次のパートナーを得るためにか、代々続くフューリアの家系に添う自存型リエラもいる。エルメェス家のイルズマリが特に有名だが、他にもいる。もっとも家に寄添う彼らは、フューリアの側が求める『唯一運命が定めた、魂の呼び合うパートナー』ではないのかもしれない。 だが、契約の元に彼らはフューリアのパートナーを得る。契約は運命に勝るのか。その自存型リエラのパートナーを得たフューリアたちも、他のリエラと再交渉は成り立つことなく生涯を終えるのも事実だった。 自存型リエラに関わることは、突き詰めていくと、どこかが『本来のリエラ』である非自存型のリエラの法則と矛盾する側面を持っている。 どこか、無理矢理に本来の法則を捻じ曲げたような。 あるいは自存型リエラそのものが……矛盾した存在であるのかもしれない。
手近な矛盾に目を戻すと、消えている間、銀色のリエラはどうしているのかという問題があった。 ちまたで「消えている」と言われていたことを頭から信じていない者はいくらかいたが、その向こう側の真実を突き止めた者はまだいない。多くは消えていると言っても何らかの能力で姿が見えなくなっているだけで、その場には残っていると思っていたので……現場からその存在そのものの消失が確認されたことで、予測は振り出しに戻ってしまったのだ。 たとえば、“飄然たる”ロイドは考えていた。彼は常時暴走を続けているわけでは、ないのではないかと。もしも人の姿に擬態できるなら、そして暴走していない間には理性を持ち合わせているのなら、普段は悠々と街の人の群れの中に身を潜めているのではないかと。 手がかりのないその姿を、見つけ出すことはできなかったが……
「お顔の色が、お悪いですわ」 そう言ったのは、フランである。言われたのが、ではない。 何かと心労の続くフラン自身も、けして血色が良いとは言いがたい状態ではあったが……他の者からしたなら、表情も顔色もフランのほうが余程心配、となるだろう。だがそれは、フランが自分自身と周囲のほとんどの学生たちを信じられなくなって、それに挟み撃ちになっていることが原因である。原因となっている者たちには、どんなに心配しても正攻法ではフランを救えないので……なにしろ信用がないのであるから……どうにもならないまま、ずるずると他人との積極的な接触を拒むフランの精神的な沈降は進むばかりだった。 その余裕があるとは言えないフランに心配されているのは、この研究室の研究員の一人だ。自分がどういう状態であったとしても、フランは目の前の明らかな不調に配慮できないということはないようだった。 「また、お加減がよろしくないのでは」 エイムという名の研究員はどこか存在感の薄い青年で、何か病気を患っているのか、いつも幽霊のような青白い顔をしていた。実際に急に具合が悪くなったと言って、離席することも多い。 だが、フランにとっては顔なじみの研究員でもあったので、その様子は心配だった。彼との付き合いは、このアルメイスで時折自存型リエラの研究に協力し始めてからなので、もう4年にもなる。その間、彼の具合は段々と悪くなっていっているようにフランには見えた。 彼は一般的にはまだ若いが、人の命は無限ではない。天寿が他人よりも短めに与えられた者だって、いるだろう。 病を得てから4年以上もながらえているならば、幸福だと言えるのかもしれない。 4年以上も、ゆっくりと、じわじわと蝕まれているのであれば、不幸だと言うべきなのかもしれない。 「いいえ……大丈夫です」 エイムはしばらくうつむいて、呼吸を整えていた。 「お加減がよろしくないのでしたら、無理せず、お休みになられたほうが」 「いいえ、私のせいで遅れてしまっていますから」 「よろしいのですか?」 「レディフランには、ご迷惑もおかけしておりますし」 遅々として進んでいないようにも思えるが、それは自存型の彼らが自らの起源や、存在を続ける理由、また故郷である異界のことを語ろうとしないためであって、その生態等についての研究は長く続けられてきている。 「いいえ……学問のための協力ですもの」 「…………」 「エイムさんには、長くお世話になっていますわ」 「とんでもない」 「ずっと自存型の研究をなさっていらっしゃるのでしょう?」 「そんなことは……レディフランが、アルメイスにいらっしゃる少し前くらいです。私がこの研究に携わりはじめたのは」 「そうですの?」 「ええ、学生の頃には違う専攻でしたから。一度は軍属になったんですが、向いてなかったのか、すぐに戻ってきてしまいました」 それからです、と目を伏せる。ご心配をかけて申し訳ありませんと微笑んで、エイムはイルズマリへの聞き取りを再開した。 双樹会から改めて調査の依頼があった件は、自存型の自らの意思による『帰還』である。 イルの口は、やっぱりあまり軽くはなかったが、どうやらそれは『絶対に不可能なこと』ではないらしいようだった。もちろん、多くの自存型リエラはそれを望まないのであろうが……
「本当に消えるとなれば、作戦は考え直さなくてはならないでしょう」 マイヤは銀色リエラ捕獲に参加するメンバーを集めて、話をしていた。 「とはいえ、急には難しいですが。広く作戦案を集めてみましょうか」 いつ姿を消すかわからないのならば、アリーナに追い込むという作戦では難しい部分がある。 「もちろん、街や住民に被害を出す作戦は採用できませんが。良い案があれば、それを元に作戦を練り直し、実行しましょう。皆さんも、ご協力ください」 住民に被害を出さないことは最低限の条件であり、建造物への被害も最小に抑えなくてはならない。また、目標はいまだ捕獲であることに変わりはない。だが、これらをすべて満たせる作戦といえば、それを考えるのは難しいだろうか。 「それと……レアン・クルセアードが街に現れた模様です。何が目的か、まだ判然としませんが……警戒は怠らないでください」
「レディフランは、ずっと沈み込んでいらっしゃるようだ」 従者を前にして、アドリアン・ランカークは突然に語り始めた。ランカークの話が突然なのは従者にとっては慣れっこのことなので、ただ従者は「はあ」と気の抜けかけた相槌を打って聞いている。 「ここは一つ、レディフランをお慰めする茶会でも開いてみようかと思うのだが」 ……銀色のリエラの捕獲はどうするんだと、従者は喉元まで出かかったが、まだ時期尚早とその言葉を飲み込む。その間にもランカークは、自分の思いつきを自画自賛していた。 「うむ、我ながらいい案だ。我が家で準備をして、レディフランをご招待することにしよう。お慰めするのが目的だからな、余興をたっぷりと用意しなくてはなるまいな。色々と芸のできる者に声をかけ、人を集めよう……演奏、朗読……喜劇もいいな、私が脚本を書くことにしよう」 「えっ……」 「なんだ、何か不満か?」 別の意味で笑いをとる結果になるんじゃないかと従者は思ったが、いいえ別に、と取り繕った。 「役者を集めなくてはならんなぁ。忙しくなる」 さて、話がひと段落したかと見繕い、従者は控えめに物申した。 「あの、それで捕獲計画のほうは」 「ん? おお、そんなものもあったな」 これは、捕獲部隊のほうは空中分解か……と従者が思いかけたところで、悠々と茶を飲んでいたサウルが口を挟んだ。 「じゃあ、そっちは僕がまとめておこうか。君は茶会の準備をしているといい」 「なんと! ありがたきことです。よろしいので?」 「かまわないよ」 カップを置き、サウルは立ち上がった。 「みんなにも、言ってこよう。あ、と……」 サウルはランカークの部屋を出て行く扉のところで、足を止めて振り返った。 「もう、捕獲じゃなくてもいいと思うんだが、どうだろうね」 そしてにこやかに言う。 「レディが銀色のリエラの悪さに関わりないことは、捕獲したところで銀色のリエラから聞きだせるわけでもないようじゃないか。なら、始末してしまってもいいんじゃないかな」 それで、時間が経てばフランにかかる疑惑も薄れていくだろう、と。 「は……いや、サウル様のおっしゃるとおりで!」 「じゃあ、そういうことにしよう。そのほうが楽だよ、多分。始末した後、復活してくるかどうかはわからないんだしね」
少女は、やっぱりお迎えを待っていた。 寮の部屋にいても、窓の外を見て、おじちゃんの姿が見えるのを待っている。『おじちゃん』が誰なのかわかった今となっては、一部にとっては不思議に思うほどにラジェッタは『おじちゃん』になついているようだった。 問題は、『おじちゃん』はけっしてこの寮には迎えには来ないだろうということなのだが……仮に来たくても、さすがにここには来ないだろうと、多くの者には思われた。 ラジェッタに迎えは来ない。 そう思うべきなのかもしれなかった。 わからないことはまだまだある。 なぜ、ラジェッタは置き去りにされたのか。 なぜ、彼はラジェッタをこの地に連れてきたのか。 なぜ…… |
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