忘れられた彷徨い人【2】
 銀色のリエラは、やはり消えた。
 どこへ消えたのか、それはわからない。
 そのとき、確かに存在していた空間から突然にどこかへ。
 それは空間の喪失のように。
 そのとき、やはり近くにはフランがいた……という噂であった。


 突然にどこかから現れ、突然にどこかへと消えながら、自存型と言われる矛盾した存在。それが銀色のリエラだ。
 その矛盾について考えた者も、もちろんいた。
 自存型と言われる理由は何か。それは非自存型であれば必ずいるはずのフューリアのパートナーが、その現れる近くにいないからだ。フューリアなくして具現化しているリエラ。それがすなわち、自存型と呼ばれる。
 だが自存型はその存在の維持をまず第一の目的として、自ら現世の存在をやめるようなことはまずない。それが何故なのか……自存型であるリエラたちが、はっきり語ることはなかったが、異界への帰還は決まって彼らの望むところではないようだった。
 なのでフューリアを失った自存型リエラは、個体差はあるが、大概は急いで次のパートナーを探すこととなる。自存型であれば単独の存在は危険視され、ともすれば『はぐれリエラ』として討伐されることもあるからだ。『高天の儀』で異界に帰されるのは、まだしも幸運な巡り合わせだったと言えるだろう。それも、本当は彼らの願いではないかもしれないが……
 安全に次のパートナーを得るためにか、代々続くフューリアの家系に添う自存型リエラもいる。エルメェス家のイルズマリが特に有名だが、他にもいる。もっとも家に寄添う彼らは、フューリアの側が求める『唯一運命が定めた、魂の呼び合うパートナー』ではないのかもしれない。
 だが、契約の元に彼らはフューリアのパートナーを得る。契約は運命に勝るのか。その自存型リエラのパートナーを得たフューリアたちも、他のリエラと再交渉は成り立つことなく生涯を終えるのも事実だった。
 自存型リエラに関わることは、突き詰めていくと、どこかが『本来のリエラ』である非自存型のリエラの法則と矛盾する側面を持っている。
 どこか、無理矢理に本来の法則を捻じ曲げたような。
 あるいは自存型リエラそのものが……矛盾した存在であるのかもしれない。

 手近な矛盾に目を戻すと、消えている間、銀色のリエラはどうしているのかという問題があった。
 ちまたで「消えている」と言われていたことを頭から信じていない者はいくらかいたが、その向こう側の真実を突き止めた者はまだいない。多くは消えていると言っても何らかの能力で姿が見えなくなっているだけで、その場には残っていると思っていたので……現場からその存在そのものの消失が確認されたことで、予測は振り出しに戻ってしまったのだ。
 たとえば、“飄然たる”ロイドは考えていた。彼は常時暴走を続けているわけでは、ないのではないかと。もしも人の姿に擬態できるなら、そして暴走していない間には理性を持ち合わせているのなら、普段は悠々と街の人の群れの中に身を潜めているのではないかと。
 手がかりのないその姿を、見つけ出すことはできなかったが……


「お顔の色が、お悪いですわ」
 そう言ったのは、フランである。言われたのが、ではない。
 何かと心労の続くフラン自身も、けして血色が良いとは言いがたい状態ではあったが……他の者からしたなら、表情も顔色もフランのほうが余程心配、となるだろう。だがそれは、フランが自分自身と周囲のほとんどの学生たちを信じられなくなって、それに挟み撃ちになっていることが原因である。原因となっている者たちには、どんなに心配しても正攻法ではフランを救えないので……なにしろ信用がないのであるから……どうにもならないまま、ずるずると他人との積極的な接触を拒むフランの精神的な沈降は進むばかりだった。
 その余裕があるとは言えないフランに心配されているのは、この研究室の研究員の一人だ。自分がどういう状態であったとしても、フランは目の前の明らかな不調に配慮できないということはないようだった。
「また、お加減がよろしくないのでは」
 エイムという名の研究員はどこか存在感の薄い青年で、何か病気を患っているのか、いつも幽霊のような青白い顔をしていた。実際に急に具合が悪くなったと言って、離席することも多い。
 だが、フランにとっては顔なじみの研究員でもあったので、その様子は心配だった。彼との付き合いは、このアルメイスで時折自存型リエラの研究に協力し始めてからなので、もう4年にもなる。その間、彼の具合は段々と悪くなっていっているようにフランには見えた。
 彼は一般的にはまだ若いが、人の命は無限ではない。天寿が他人よりも短めに与えられた者だって、いるだろう。
 病を得てから4年以上もながらえているならば、幸福だと言えるのかもしれない。
 4年以上も、ゆっくりと、じわじわと蝕まれているのであれば、不幸だと言うべきなのかもしれない。
「いいえ……大丈夫です」
 エイムはしばらくうつむいて、呼吸を整えていた。
「お加減がよろしくないのでしたら、無理せず、お休みになられたほうが」
「いいえ、私のせいで遅れてしまっていますから」
「よろしいのですか?」
「レディフランには、ご迷惑もおかけしておりますし」
 遅々として進んでいないようにも思えるが、それは自存型の彼らが自らの起源や、存在を続ける理由、また故郷である異界のことを語ろうとしないためであって、その生態等についての研究は長く続けられてきている。
「いいえ……学問のための協力ですもの」
「…………」
「エイムさんには、長くお世話になっていますわ」
「とんでもない」
「ずっと自存型の研究をなさっていらっしゃるのでしょう?」
「そんなことは……レディフランが、アルメイスにいらっしゃる少し前くらいです。私がこの研究に携わりはじめたのは」
「そうですの?」
「ええ、学生の頃には違う専攻でしたから。一度は軍属になったんですが、向いてなかったのか、すぐに戻ってきてしまいました」
 それからです、と目を伏せる。ご心配をかけて申し訳ありませんと微笑んで、エイムはイルズマリへの聞き取りを再開した。
 双樹会から改めて調査の依頼があった件は、自存型の自らの意思による『帰還』である。
 イルの口は、やっぱりあまり軽くはなかったが、どうやらそれは『絶対に不可能なこと』ではないらしいようだった。もちろん、多くの自存型リエラはそれを望まないのであろうが……


「本当に消えるとなれば、作戦は考え直さなくてはならないでしょう」
 マイヤは銀色リエラ捕獲に参加するメンバーを集めて、話をしていた。
「とはいえ、急には難しいですが。広く作戦案を集めてみましょうか」
 いつ姿を消すかわからないのならば、アリーナに追い込むという作戦では難しい部分がある。
「もちろん、街や住民に被害を出す作戦は採用できませんが。良い案があれば、それを元に作戦を練り直し、実行しましょう。皆さんも、ご協力ください」
 住民に被害を出さないことは最低限の条件であり、建造物への被害も最小に抑えなくてはならない。また、目標はいまだ捕獲であることに変わりはない。だが、これらをすべて満たせる作戦といえば、それを考えるのは難しいだろうか。
「それと……レアン・クルセアードが街に現れた模様です。何が目的か、まだ判然としませんが……警戒は怠らないでください」


「レディフランは、ずっと沈み込んでいらっしゃるようだ」
 従者を前にして、アドリアン・ランカークは突然に語り始めた。ランカークの話が突然なのは従者にとっては慣れっこのことなので、ただ従者は「はあ」と気の抜けかけた相槌を打って聞いている。
「ここは一つ、レディフランをお慰めする茶会でも開いてみようかと思うのだが」
 ……銀色のリエラの捕獲はどうするんだと、従者は喉元まで出かかったが、まだ時期尚早とその言葉を飲み込む。その間にもランカークは、自分の思いつきを自画自賛していた。
「うむ、我ながらいい案だ。我が家で準備をして、レディフランをご招待することにしよう。お慰めするのが目的だからな、余興をたっぷりと用意しなくてはなるまいな。色々と芸のできる者に声をかけ、人を集めよう……演奏、朗読……喜劇もいいな、私が脚本を書くことにしよう」
「えっ……」
「なんだ、何か不満か?」
 別の意味で笑いをとる結果になるんじゃないかと従者は思ったが、いいえ別に、と取り繕った。
「役者を集めなくてはならんなぁ。忙しくなる」
 さて、話がひと段落したかと見繕い、従者は控えめに物申した。
「あの、それで捕獲計画のほうは」
「ん? おお、そんなものもあったな」
 これは、捕獲部隊のほうは空中分解か……と従者が思いかけたところで、悠々と茶を飲んでいたサウルが口を挟んだ。
「じゃあ、そっちは僕がまとめておこうか。君は茶会の準備をしているといい」
「なんと! ありがたきことです。よろしいので?」
「かまわないよ」
 カップを置き、サウルは立ち上がった。
「みんなにも、言ってこよう。あ、と……」
 サウルはランカークの部屋を出て行く扉のところで、足を止めて振り返った。
「もう、捕獲じゃなくてもいいと思うんだが、どうだろうね」
 そしてにこやかに言う。
「レディが銀色のリエラの悪さに関わりないことは、捕獲したところで銀色のリエラから聞きだせるわけでもないようじゃないか。なら、始末してしまってもいいんじゃないかな」
 それで、時間が経てばフランにかかる疑惑も薄れていくだろう、と。
「は……いや、サウル様のおっしゃるとおりで!」
「じゃあ、そういうことにしよう。そのほうが楽だよ、多分。始末した後、復活してくるかどうかはわからないんだしね」


 少女は、やっぱりお迎えを待っていた。
 寮の部屋にいても、窓の外を見て、おじちゃんの姿が見えるのを待っている。『おじちゃん』が誰なのかわかった今となっては、一部にとっては不思議に思うほどにラジェッタは『おじちゃん』になついているようだった。
 問題は、『おじちゃん』はけっしてこの寮には迎えには来ないだろうということなのだが……仮に来たくても、さすがにここには来ないだろうと、多くの者には思われた。
 ラジェッタに迎えは来ない。
 そう思うべきなのかもしれなかった。
 わからないことはまだまだある。
 なぜ、ラジェッタは置き去りにされたのか。
 なぜ、彼はラジェッタをこの地に連れてきたのか。
 なぜ……

 フューリアは戦いの中で成長する。
 何がフューリアの力を伸ばさせるのか、あるいは眠っていた力を引き出すのか、その真実は明らかにされていない。
 だがそれは確かに事実であり、その性質を踏まえて『学園都市アルメイス』は存在する。アルメイスは、フューリアが滅びゆくことに歯止めをかけんと作られたものだからだ。
 戦いを模する訓練を積むことによって、フューリアは成長していく。
 その後、学園からフューリアの多くは戦場へと旅立つ。
 戦え、と。
 もっと戦え、と。
 その行き着く先に、何があるのか……
 忘れられたままに。

■迷走の交錯■
 銀色のリエラについての調査は、先日以降はかばかしくない。銀色のリエラについての根本的な情報が不足しているために、調査でわかる部分には限界があって、予測でそれを補うという状況になりつつある。
 だから“旋律の”プラチナムの提案した銀色のリエラに関する調査報告会で、主観によることなく報告をということは難しいことだった。実際にはそれぞれに既にマイヤには報告をしていたものを、改めて報告しあうこととなったわけだが。
「銀色のリエラにて交信は通ず、されど迷いを感じてそうろう」
 “深藍の冬凪”柊 細雪のように、直接銀色のリエラと接触し交信を試みた者でさえも、そこに主観の混ざることは避けられまい。
 それでも、細雪は銀色のリエラが追い詰められるに至るまでの子細を、極力ありのまま見たままに報告している。
「拙者から提案させていただくとするならば……封ずるのではなく、交信し、落ち着かせ、暴走させぬようにして、保護しては如何でござろうか。拙者の見たところ、銀色の者は敵意に突っ込んでいくように見受けまする」
 “抗う者”アルスキールはそれを聞いて、次の発言に手を挙げた。アルスキールも細雪とほとんど同じことを考えていたからだ。学科棟の教室の一室を使ったこの報告会の、普段は講師の立つ壇上に、アルスキールは細雪に続いて立った。
「銀色のリエラが変化しているにせよ、どこかに帰還しているにせよ、物理的手段でリエラ自体を捕縛するのは難しいと思います。それに、銀色のリエラの行動は主に逃走です。攻撃する場合も、攻撃されるか殺気に反応して防衛行動に出た結果のように思えます。ならば細雪さんの言うように、交信をして意思の疎通を図るべきではないかと」
 司会を勤めるプラチナムは教室の様子を見回したが、まだ賛同するにも反論するにも決め手は足りないということなのか、声は上がらなかった。マイヤも、まだそれにどうかというコメントはない。
「他にはありませんか」
 次に立ったのは“不完全な心”クレイだった。
「銀色のリエラがアルメイス内に出没するのは、契約するはずのフューリアがアルメイスに存在しているからではないでしょうか。また銀色のリエラが暴走しているのは、契約者がいないことが原因ではないかと思うんですが」
 だから、暴走する銀色のリエラの影響を受けている『契約すべきフューリア』がどこかにいるのではないか、と。
「確かにいるかもしれませんが……それが誰なのか、どう判断するのでしょう?」
 マイヤが首を傾げる。
「アルメイス在住でリエラを持たないフューリアを、調査してみるのが良いかと思います」
「なるほど。そういうことでなら。リエラと未契約の者ですね」
 実際、その条件に該当する数はとても少ないだろう。そしていたとして、おそらく10歳以下の幼い者ばかり。
 目覚めぬフューリアとエリアを、見た目で容易に区別する方法はないからだ。潜在的に素質はあっても、交信が如何なるものか理解できない間には、事実上交信ができない者もいる。そうなると、素質があってもエリアと同じなのだ。その判別は難しい。
 リエラを得て、フューリアとなる。これが基本であるからだ。
 逆を言えば……リエラを持たずして、無意識にでも交信のできる者。それはとても強い資質があるのか、あるいは目覚めの日……契約の日の近さを示しているとも言える。
「それで、その人に協力してもらえれば……契約者が近くにいたら、消えないんじゃないかと思うんですが」
「その方に、契約してもらうということですね。僕もそれは考えてはいました。捕まえた後でと思っていましたが。ただ……」
 だがそれには危険が伴うと、マイヤは告げた。
 幼いフューリアは、リエラの制御が難しい。すでに契約がなされてしまったのならば暴走のないように制御するすべを覚えさせるしかないが……させずにすむのなら、せめて10歳を越えるまでは契約して欲しくはないというのが、管理する側の本音だろうか。
 なにより自分で自分を守れない幼い子を、捕獲の乱戦に近い状態の中へ連れて行く危険は計り知れない。
 マイヤが銀色のリエラを捕獲することを提示し続けて来たのは、パートナーとなりうるフューリアの身の安全を図るためでもあった。
「え、いいえ。……これは推測ですけど、レアンは我々が捕獲のために契約を行わせることを予測して、それを狙っているんじゃないかと思うんです。だとしたら、契約は行わせるべきではないと……」
「それは、難しいですよ」
 マイヤは首を振った。今度は、断言だった。
「せっかく来ていただいたのですから、エイムさんのほうから説明していただきましょうか」
 今回の報告会には、自存型の研究室からフランと研究員の一人エイムも招待され、会場の隅には二人が控えていた。
 呼ばれて、少し困惑したように顔色の悪いエイムは立ち上がった。
「エイムさん、説明していただけますか」
「はあ……自存型の交信の最大距離は視界内、お互いの視力で確認できる範囲となります。視界外の認識は、そのリエラに付随する特殊能力に依存する以外ではできません。そして便宜上『契約』と呼ばれているものは、厳密には、普通のリエラであれば『交信によって実体化させられるか否か』で判断され、自存型であれば『第3段階まで交信状態を上げられるか否か』で判断されます」
 自存型でも第3段階に交信状態を上げるためには、交信準備に通常10エストほどかかる。後で消耗で倒れることを考えないなら、それは限りなく縮めることも可能だ。
 最初の契約……フューリアの心の内なる求めにリエラが応じるまでにかかる時間は、最大で10エスト。また、それ以下にも十分なりうるということを示している。
「パートナーになりうるフューリアを囮に使うということは、自存型リエラの視界内に置かなくてはならないということで……それでなおかつ契約させないということは難しいのです。これでよろしいですか?」
 マイヤに向かって、エイムは求められた説明と今の話に齟齬がないかと表情で訊く。マイヤはそれに、うなずきで答えた。
 囮に使うということは、いつの一瞬に契約がなされてもおかしくない状態に置くということ。
「見つかったフューリアとの契約を前提とするのならば、君の案は採用できるかもしれません。ですが、契約させないならば、できませんね」
 目を伏せながら、君の危惧も理解できますが……今のままならば契約は必要でしょう、とマイヤはしめくくった。

 その日の報告会は、そこまでだった。解散となると、ばらばらと三々五々に散っていく。
「マイヤ会長ー」
 マイヤもまた、戻ろうと教室を出たところで。
「ちょっとええやろか」
 それを待ち構えていた“笑う道化”ラックが、マイヤを呼び止めた。他の者が帰っていくのとは逆の方向で、ラックはマイヤを手招きする。
「なんでしょうか?」
 マイヤは迷うように足を止めて、それから音もなく方向転換をした。そしてラックの前に立ち、静かに問う。
 それは、人の気を引かぬように声を潜めているようにも思えた。
「ちょっと、聞いてもらいたいことがあるんやけど。ボク、レアンの目的について考えたんやけどね」
 ラックの方は、ごく自然であったが……
「レアンの目的は、銀色のリエラと連れてきた女の子を契約させるか、それに近いことやと思うんや。そうでなければ、このタイミングで女の子連れてきて、アリーナのところに置き去りにする理由はないと思うねん」
「なるほど」
 それは先のクレイよりも、一歩先に進んだ考えだ。レアンがアリーナに連れてきた女の子、と、その対象を限定している。そしてレアンが連れてきたという報告は受けていなくとも、アリーナで置き去りにされ、保護された少女が誰なのか、マイヤが知らないはずもない。
 そんなことは当たり前のことと言うかのように、ラックは話を続けていた。
「問題は、レアンが、あの子と銀色のリエラがなんで契約できると思ったかなんやけどね。……うーん、自存型リエラが家に付くって話、考えてみたんや。銀色のリエラの元々の契約者が、あの子の血族関係にある可能性があるんやないかなあ?」
 レアンによって異国から連れて来られた、フューリアの少女。リエラを持たず、しかし交信の能力はすでに開花を始めている。放っておいたとしても、近いうちには、その下に生涯を共にするリエラを喚ぶだろう。
 そのときが帝国の土地で、更にはアルメイスで訪れたのならば、それは異国生まれの少女にとっては幸運である。アルメイスは最もフューリアに理解があり、最もその対処の適切な街だ。
 レヴァンティアース帝国の民の系譜に連ならないフューリアは、いないと言われている。異国に生まれようともフューリアであれば、どこかで必ずレヴァンティアース帝国、あるいはその古えの一族に縁があるはず。そしてその血がまだ帝国に近いのなら、ルーツを割り出すことも不可能では……
「縁もゆかりもあらへんと、レアンやって見つけ出すのは難しいやろ。レアンの歳も、あのくらいの子がいてもおかしくないくらいやないっけ? ほなら、レアンと同期くらいの人で、ラジェッタが生まれるより前に外国に行った人って調べられへんやろか。ほんで、その後アルメイスに戻って来とる人やね」
「外国、ですか」
 マイヤは考え込んでいたが、それが半分はポーズであることも、ラックにはわかっていた。
 外国とは言っても、長く複数の隣国と戦争状態にあるレヴァンティアース帝国が外国に人を……しかもフューリアを送り出すとすれば、状況は限られる。むろん普通ならば、交易の続くギルセア公国にということもありうるが。それがアルメイスから出て行ったのなら……軍人や諜報員として、レイドベック公国かフェズランド王国に送り込まれたと見るべきだろう。
「ボク一人じゃ、こんなん調べきるのは荷が重いさかいなあ。せやけど、その人が銀色のリエラの関係者かもしれへんし」
「……わかりました。こちらでも少し調べてみましょう」
 マイヤはようやく、そううなずいた。


 マイヤの率いる銀色のリエラ捕獲作戦に対するものは、サウルの率いる銀色のリエラ殲滅作戦である。
 双樹会の捕獲班に参加している者がどう望もうと、殲滅作戦に先手を取られたならどうにもならない。捕獲作戦を進めるにあたっては……特に銀色のリエラを追い詰めないことを提案したアルスキールと細雪の二人の考えが正しいならば……殲滅のために動くサウルの下に集った者たちが目的のために動くだけでも、捕獲班側には不利益となるのだ。
 それを黙って見ていたのでは、始まるものも始まらない。聞いてもらえるかは別として。
 目的を同一とするアルスキールと細雪は、連れ立ってランカークの屋敷に滞在するサウルを訪ねた。
 その日はすでに先客として“鍛冶職人”サワノバが訪れており、サウルと話をしているところへ二人は訪れたのだが。
 サワノバは新聞部員としてこれに関わる記事を書くために、密着取材を申し込んでいた。そのままサワノバ自身も殲滅作戦に協力するという約束をして、サウルに今後の方針をインタビュー……というところで、二人の訪問に邪魔されたという次第だ。しかし先客に出て行けとは言わないことを見越して、サワノバは二人とサウルの会談に先を譲った。
 そこで、アルスキールは報告会でした話を繰り返す。
「なるほど。でもそれも推測にすぎないんじゃないかな?」
 サウルは一通り話を聞くと、まずそう答えた。語りかけて落ち着かせるという二人の考えも、根拠に乏しいと言われてしまえばそれまでだ。
「かの者が迷っていることは事実でござる。ならば、せめて時間をいただきとうござる。とるに足らなき者にも、僅かなりと魂はありますれば」
 せめて機会をと言う細雪の言葉に、サウルはとんでもない、と手を振る。
「とるに足らないなんて。僕は、かのリエラを軽んじているつもりはないよ」
 とんでもないと言うのは、か弱い虫を潰すようなつもりで討伐するのではないということだ。銀色のリエラは強く、討伐は困難を極めるだろう。サウルはそう言う。
「はぐれリエラは、単独で十分に脅威的な強さを持っていることが多い。また諸説あるが、リエラは基本的に不滅だと言われている」
「不滅でござるか」
「一度はぐれリエラとして狩られたものが、時を経て再度確認されたことは、いくつも文献に見られるね」
「それは存じておりまする。なだめることが成らずとなれば、幾度現れようと調伏するしかありますまいとも心得てそうろう」
 はぐれリエラが何度も復活を繰り返す、それ自体は有名な話だ。間をおかず、同じような場所に現れ続けることもある。だからマイヤは最初から、「極力討伐は避けたい」と言っていたのである。そういったいたちごっこのような状況にはまってしまった場合、事態を打開しにくくなるからだ。
 だが、どういう場合にも必ず、すぐにこの世界に戻ってくるというわけではない。はぐれリエラ自体の数が多くはないので、一般的にどうであるかと語れるほどのサンプルはない。だが記録の中には一度だけでその後姿を現してないケースもあり、長い時を経て姿を見せたこともある。繰り返し復活するものが有名なのは、頻繁に騒ぎとなるからだろう。
 討伐を提案したサウルは、こちらを根拠としている。その場しのぎという誹りはあるかもしれないが……『必ず戻ってくるわけではない』『リエラは不滅である』という、この二つの説に則るならば、相手を力尽きさせるのも、高天の儀で帰ってもらうのも、同じことという解釈になるということだ。
 それはいくつもあるリエラに関わる説の一つを、都合よく選んだ考えではあるが。
「ちょっと乱暴な手段かもしれないが、穏やかにお帰りいただく方法がない以上、ある程度はやむを得まいよ。だが、リエラを未来永劫に滅することができるなどと不遜なことは、考えていない」
 “宵闇の黒蝶”メイアが新しいお茶をいれてきて、細雪とアルスキールの前に置いた。サウルとサワノバの前の冷めたカップは新しい物と取り替えて、それからサウルの後ろに控える。
 サウルもその間は話を中断し、メイアに礼を言うと、それぞれに茶を勧めて自分もカップに口をつけた。
「だいたいね、はぐれリエラを捕まえて、その後どうするつもりなのかという問題がある。普通に、ここの学生たちで高天の儀をしようとしたら、次の機会は何十年後かわからないんだろう?」
 自存型リエラを異界へと送り返す『高天の儀』には必要な条件があって、今はそれが整わない。それがこの問題のネックたる部分だ。その条件とは皆既日食のことであり、それが次いつになるかはわからなかった。
 古い時代と比べて遜色ないほど十分に力あるフューリアの協力が得られるならば、その条件が満たされなくとも無理矢理に『高天の儀』を行うことも可能なのかもしれないが……残念ながら、そんなあてはない。
「何十年か待ってくれと、かのリエラに頼むつもりなのかい? だがパートナーのいない自存型のはぐれリエラに、帝国はあまり寛容ではないよ。臣民がみんな、抵抗する力のあるフューリアなわけではないからね」
 リエラは暴走の危険を秘めている。如何にアルメイスの自治が強くとも、次の皆既日食まではぐれリエラを存在させておくことが許されるとは思えない。治安面から考えて、それは非常識な話なのである。
 その存在を許す方法はただ一つ。
 リエラが、新たな契約者を得ること。
 そこで細雪とアルスキールは、黙って視線を交わした。
 それはここに来る前に、捕獲班での報告会でも話題になったことだ。だがレアンの意図がそこにあるのではないかとも、示唆されたこと。
 レアンの意図に乗るべきか乗るべきでないかを考え、銀色のリエラの存在できる方法を考える。
 レアンの意図に乗らずして、銀色のリエラを存在させ続ける方法がないならば。
「はぐれリエラにフューリアをあてがうというのは、どうなんだろう。納得していればいいけどね」
 レアンの意図がどうこうということは抜きにして、サウルは一般論として語っているが。
「それでも、納得ずくでという人がいるのなら。すでに十分に後手に回っている以上君たちに先を譲ることはできないが、僕たちが戦う前に……せめてその間に。もしも契約がなされたなら、僕が責任もって戦いを止めよう」
「リエラの戦いを止めることができるのですか?」
 強いリエラが力を解放したなら、容易に街一つ吹き飛ばす力が発生する。止めると約束して止められるのか、という疑問は当然のことだ。
 アルスキールの問いに、サウルは答えた。
「一時的になら、戦いを止めることができる。ずっとは無理だけどね。もちろん契約がなされ、銀色のリエラがパートナーに制御されていることが条件なのだから、そうなったときには誰にも戦う理由はないよね? 理由なく戦い続けようという者がいたなら、僕だけではなく、みんなも止めてくれるだろう」
 それで問題はないはずだと、迷いのない声には自信が垣間見える。それに根拠がないようには思えなかった。

 結論が出た以上、長居は無用だった。サウルは捕獲班の動きを待つことを約束しなかったので、細雪とアルスキールが……捕獲班がまず目指すべきは、銀色のリエラに契約者を与えるか否かを決めることだった。与えないとなれば、仮に保護した後であろうと、銀色のリエラを力尽くで帰還させるべきとしてサウルは手を出してくるかもしれない……そういうニュアンスも話には含まれていたのだから。
 フューリアの同意のもとに契約がなされ、銀色のリエラが安定化したならば、手を引こう。そうでなければ、今後の治安のために力で制する。仮に力を以って制したとしても、偉大なるリエラの存在を否定することにはならないのだから。
 この約束に、問題とするべき場所は今の時点では見当たらなかった。強いて言うのであれば、前提となる条件を『銀色のリエラは自存型のはぐれリエラである』と決め付けているところだろうか。だがそうではないとすれば、既にパートナーのフューリアがいるということ。それならば現状を行うフューリアの方の問題になるわけなので……
 そもそもランカークが、それがフランではないかと疑われた疑惑を晴らすべくして、双樹会とは別の捕獲部隊を作ったこと。それが、捕獲と討伐二つに分かれて今に至る元々だ。つまり元々ランカークに協力していたサウルも銀色のリエラを操る者はフランではないというスタンスであるわけで、他に可能性のある者の浮かび上がらない以上は、前提が自存型となるのも当然と言えば当然である。
 さて、事実上の代表であるサウルを論破できないのであれば、討伐をよしとしない者は意向を定め、討伐に向かう者たちよりも1エストでも早く銀色のリエラの身を保護するしかない。
 また、レアンの思惑がどうあれ、選択肢がないのならば……
 手段自体も、一つしかないように思われた。

「今後の方針……これについては先ほどのお客人との話からも、多少伺えましたかのぅ」
 捕獲班から来た二人が帰ると、サワノバは再びインタビューを始めようとしたのだが。しかし千客万来とは言ったもので、話を始めようかといったところで、次の訪問者にそれを邪魔されることとなった。
 少し考えたが、再度サワノバは次の訪問者にも会談を譲ることにする。
「殲滅作戦で忙しいところを邪魔するの」
「お話し中に、お邪魔じゃったかの」
 そして部屋に招きいれられた次の客人、“幼き魔女”アナスタシアと“探求者”ミリーはそう言いながら、勧められた椅子を引いたのである。
 二人揃って訪ねては来たが、示し合わせてきたわけではないらしい。どうも互いに、隣の席にいる者をチラチラと気にして様子を窺っている。
 しかしそれは、ある意味サウルも同じだった。
 サウルはサワノバとアナスタシアとミリーを交互に見て、考え込んではまた三人の顔を見て……を繰り返している。
「サウル卿、おぬしにちと聞きたいことがあるのじゃが」
「お二人で?」
「いや、こちらの御仁とは屋敷の前で一緒になっただけじゃ」
「そうなのかい。失礼、てっきり姉妹かと思ったよ」
「そんなに似ておるか?」
 アナスタシアはふと顔を顰める。
「いや……ああ、ええと、そっちの君も含めて、出身地が同じだったりするのかな?」
 君と示されたのはサワノバだ。
 複雑な面持ちで、三人は視線を交わす。
「我はダイネム出身じゃ」
「わしはダイネム出身じゃ」
 微妙にぶれてハモった声に、再びアナスタシアとミリーがぎょっと視線を合わせる。
「ダイネムってこんな訛りなのかい? 知らなかったなあ」
「いや……違うと思うがのう」
 サワノバはペンの尻で頭を掻きつつ、ぼんやりと答えた。
 余談はほどほどにしておいて、とサウルは用件を訊ねた。
「わしは、これよりこちらに参加させていただきたいと願いに参っただけのこと。サウル殿にお伺いしたいことはあるが、後でも良い故、そちらの話が終わるのをお待ちしようかの」
 ミリーは出された茶に、悠々と口をつけた。
 では、とアナスタシアが切り出す。
「……イルズマリは家に仕えておる。普通、リエラは人と一対であるのじゃがの。不自然な気がするのじゃ」
「そうかい? 有名な家がエルメェス家なだけで、『家についているリエラ』も探せばいるよ、多分」
「おるのか?」
 アナスタシアが顔を顰めると、サウルはにやりと笑う。
「我はこう考えたのじゃ。イルズマリの仕える存在が、エルメェス家の直系の血筋の中に眠っておるのだとしたらと」
 サウルの表情を窺うように、アナスタシアは続けた。
「それが始祖と呼ばれるものの正体ではないかの?」
 だが、やはりサウルは笑みを崩さない。
「脈絡のない話をすると思ってたら、突拍子もない想像をするねえ……とりあえず、『始祖』って言葉はもう一度辞書で調べなおしてごらん? あと、君にはイルズマリ殿とゆっくりお話してみることを勧めるかな。僕も話したことがあるけど、彼は一生懸命レディフランの守護者たらんとしている。そんな話をしたら、それはそれは怒るだろう」
 イルズマリが守るべきは、優しくか弱いフラウニー。
 だが、くっくっと喉の奥で笑いを噛み殺すように、サウルは笑っている。その笑いかたが、アナスタシアには癇に障った。
「きちんと話せば、イルズマリ殿の考えや認識はちゃんとわかる。そうすれば君も、『イルズマリ殿がレディフランに仕えているのではない』なんてことは妄想だと思うだろう」
「……妄想かの?」
「聞いてみるといい、直接。関係のない僕に聞くより、それが筋ってものだ」
 アナスタシアの話はそこまでだった。

 さて、一人が退席して、残る客は二人。ようやくサワノバのインタビューの再開である。こちらが、この場所で語られるには本題というべきものだろう。
「話を続けようか……方針だったかな。捕獲では、治安維持の面で問題があるということだね。形はどうあれ、安全になるのならそれでいいと思う。この問題に最善はないと思っているよ。討伐しても、再度現れるかもしれないという可能性は確かにある。だが、捕獲も捕獲したその後に、どうするかという計画性がないとね……ランカーク卿の目的はレディフランの潔白を証することだったから、それが果たされた後はどうするのでもかまわないのだろうと思っていた。だが、捕まえるのはより難しい。ならば一気に決着をつけるほうが、まだしも確実な方策ではないかな」
「そうじゃのう……捕まえるよりは、手を打ちやすいかもしれませぬな。しかし、敵は消えてしまえる自存型ですぞ。それについての対策はどうされるのじゃろうかの?」
「やってみないことにはわからない。消える理由が、帰還なのか能力なのかもわからないんだから。ただ……消えることがリエラの能力によるものならば、防ぐ方法はある」
 非自存型が異界に帰ることは止められないが、そうでないのならと。
「僕のパートナーは、リエラの力をキャンセルする空間を作る。その中では、転移の力も打ち消されるだろう」
「ほほぅ……」
 サワノバとミリーは同時に唸った。これは二人が、知りたかったことの一つだ。
「それは、サウル殿も自ら戦闘に参加されるということじゃろうか」
 今まで黙って聞くに徹していたミリーが、機会を得たとばかりに口を挟んだ。それを邪魔にすることもなく、サウルはうなずく。
「状況が許す限りね。今までも協力したいとは思ってたんだが……機会に恵まれなかった。そもそも遭遇できなければ話にならないし」
 そこで、もういいかな、とサウルは話を切り上げた。
「君たちが協力してくれることは、歓迎する。でもばらばらに動くのでは、追い詰められるものも追い詰められないからね……仲間の顔くらいは覚えておいてくれ」
 捜索に出ている者は後にするとして、屋敷に残っている者だけでも紹介しようと、サウルはメイアに声をかけた。
「休憩している者だけでいいから、呼んできてくれるかな」
 はい、と答え、メイアは部屋を出て行った。
 程なく捜索から帰還して休憩中の数人と、部屋に戻ってくる。
 メイアが連れて戻ってきたのは、“光炎の使い手”ノイマンと“闇司祭”アベル、“炎華の奏者”グリンダの三人だった。他は、今も外で捜索中だ。
 新しい仲間としてミリーとサワノバを紹介して、とりあえずの仕事を伝える。
 とりあえず、サウルが現場に追いつけたなら銀色のリエラが消えないことが期待できる以外には、以前の作戦や双樹会の捕獲作戦とも大きな差はない。
「何か質問はあるかな」
 そこでメイアはサウルに聞くか迷っていたことを、今聞くべきか……と、手を上げた。
「……あの、作戦とは違うんですが」
「なんだい?」
「差し出がましいことですけど、フランさんにはどうしたいか聞かなくてもいいんでしょうか? フランさんが銀色のリエラを倒すことを望まない場合は……」
「ふむ……正直に答えるべきかな。あまり外に出すべきものではないとは思うけど」
 サウルは、ちらりと新聞部のサワノバのほうに視線を向ける。
「僕は、レディフランに意思を問うつもりはないよ。レディフランの名誉を回復するには、銀色のリエラと関わりなかったと多くに思わせる必要がある。聞いたら逆効果になるかもしれないから、あえて聞かない」
 メイアは、えっという顔を見せる。それに慈しむような微笑を向けて、サウルは続けた。
「レディフランは心優しい女性だからね、自分の不利になろうとも銀色のリエラに情けをかけるかもしれない。だが、レディフランが討伐するべきでないと言ったなら、口さがない者はどう思うだろう」
「フラン嬢ちゃんが操っているから倒されては都合が悪いのじゃろうと、言われないとは限らんのう……事実ではなく、どう思われるかじゃからの」
 ううむ、と視線を向けられたサワノバが答えた。新聞部員であるサワノバだからこそ、事実と風聞に差が生まれることも良く理解できる。フランの答も見越して聞かないというサウルは狡猾かもしれないが……それをまったく考えないならば、甘いと評されるところだろうか。
「聞かなければ、レディフランがどう思っていようと、言葉が世に出ることはないだろう。結果的に我々が銀色のリエラを仕留めたとして……そのとき憐れみをかける分には、彼女の名誉という点には差し支えないと思う」
 フランは倒された銀色のリエラを憐れもうとも、倒した者を責め立てるようなことはしないだろう。自分のためにしたこともわかっているなら、礼の一つも述べるに違いない。
 それならおそらく、ただ優しい女性という評価ですむ。
 メイアもフランの名誉を守るためになら、銀色のリエラを倒すことに情けを挟むつもりはなかったが。
「……フランさんの気持ちとは、両立しないんでしょうか」
 ただ唯一気になっていたことが答の出せないことだと言われて、メイアはため息をついた。


■こどもの気持ち■
 ラジェッタの待っているおじちゃんがレアンであろうとも、ラジェッタの世話をしようという者の数が減ることはなかった。多少の入れ替わりがあった程度である。
 ただ、ラジェッタを見、そこで考えていることはまさに千差万別だった。彼らにひとつだけ共通点があるとするならば、この幼い少女が不幸にならなければいいと思っていること。しかし、そのための考えと手段は、なにもかもが違っていた。
「ラジェッタちゃん、うちとお勉強しよか」
 “のんびりや”キーウィはベッドの下から、長く眠っていた初等部の頃に使っていた教科書を引っ張り出した。古い初等言語学の教科書はだいぶ黄ばんでいたが、使用には耐えられそうだった。
「おじちゃんが教えてくれたのの、続きをしよか。ご本やお手紙も読めるようになるで」
「おてがみ、よめる?」
 ラジェッタは、勉強はいやではないらしい。キーウィの持ってきた教科書には、強い興味を示した。窓の外ばかり見ていた時間は少しだけ減って、言葉の勉強をしている時間が少し増えている。ずっと帝国語に囲まれているせいか、保護された最初の頃よりは語彙も増えてきて、かけられた言葉に対する反応も早くなりつつあった。
 ある程度意味を持った会話が成り立つようになると、今までよりも、もう少し深い内容の情報も得られるようになった。
「ラジェッタちゃんは、どんなところに住んでいたんですの?」
 “風曲の紡ぎ手”セラは、身の回りの世話をしながら、少しずつ話を聞きだしていった。世界がどれだけ広いのか知らないこどもには、自分の住んでいた場所を客観的に語ることはさすがにできなかったが……
「ままと、もりのおうちにすんでたの」
「ままと? おとうさまは?」
「……おとうさん?」
「パパですわ」
「ままだけ。ぱぱいないの。……にいっちゃったって、ままいってた」
「え? どこですの?」
「『せんそう』……あ」
 それがレイドベック公国やギルセア公国のあたりの言葉で、戦争を意味するとセラはようやく気づいた。
 そのときには、ラジェッタは失敗したという顔をしている。そして黙り込んだ。キーウィが顔を覗き込む。
「どないしたんや?」
「……おじちゃんと、ここのことばしかおはなししないって、やくそくしてたの……」
「どうしてですの?」
 そういえば、とセラとキーウィは顔を見合わせる。確かに、ラジェッタは帝国共通語が不自由な割には、生来の言語も口にしたことがなかった。
「……おはなししたら、いじめられるかもって、おじちゃんが」
 ラジェッタは半べそで、大きな瞳にじわりと涙を浮かべて、それだけどうにか言った。
 元々一つの国だったギルセア公国とレイドベック公国でも、今では言葉が少し違う。元々の国の言葉で話させれば、ラジェッタの生まれた国は特定できるのだろう。そしてそれがギルセア公国ならともかく……レイドベック公国であれば、まさに戦争中の敵国である。
 敵国の言葉で喋る、頼る者のないこども……世の中すべてが善人だとは言い切れない。
 他の理由でレアンにラジェッタの身寄りを隠す意図があったと見る者もいるだろうが、『虐められるかもしれない』という教えは間違っていると言い切れなかった。
「うちらは虐めへんよ! 安心しぃや。でも、そやね……おじちゃんの言ってることは正しいで。虐める人もおるかもしれへん。だから、これからもおじちゃんとの約束は守ろな?」
「うん」
 こくこくとラジェッタはうなずいた。
「ちょっといいかしら?」
 そこで、部屋の扉がノックされた。“求むるは真実”ラシーネが、扉のところから二人を呼ぶ。ラジェッタの面倒を見る者やおじちゃん探しをする人を集めて話がしたいので、集会室に来て欲しいと。
 ラジェッタを一人にして……ということにセラは少し抵抗を見せたが、寮内で、いつまでもべったり世話していられるわけでもないのだからと言われて、仕方がないと立ち上がった。
「ラジェッタちゃん、『おじちゃんに会わせてあげる』なんて言って、他の人に内緒で外に行こうって言う人は悪い人ですの。ついていってはいけませんわよ。お出かけは、みんなで一緒にまいりましょうね?」
「そやで。おじちゃんは今お仕事してるみたいやしな、お邪魔になったらあかんやろ。今はここで待っとこうな?」
 二人でよくよく言い聞かせ、それから集会室へと向かった。

 ……だが実は、その隙を見計らっていた者がいた。
 勉強もお話も中断されたので、ラジェッタは窓の外が覗ける定位置に移動した。椅子を窓際にずるずると運び、その上によじ登る。
 両手を窓枠に引っ掛けるようにして捕まり、窓の外を覗く。
「窓から見える景色は楽しいでござるか?」
 そのとき、思いもかけないところから声がして、ラジェッタはあたりをきょろきょろと見回した。最後に上を見上げて、声の主をやっとみつける。
 黒ずくめの装束で、天井板をはがしてさかさまに顔を出した“爆裂忍者”忍火丸はきょとんと見上げるラジェッタに向かって、にっと笑った。
「……だれ?」
「拙者は忍火丸でござる。窓の外ばかり見ていないで、拙者と一緒に遊びに行くでござるよ! サックマンも索もラジェッタ殿を待っているでござる」
 ラジェッタは考えた。
 天井から出てきた人……忍火丸はちょっと難しい言葉を使うが、遊びに行こうと言っていることはわかった。セラは『おじちゃんに会わせてあげるから内緒で行こう』と言う人にはついて行っちゃいけないと言ったが……
 それに、一人じゃないらしい。みんな聞いたことのない気がする名前だったが、ここでは知らない名前の人が親切にしてくれるようなことが、毎日のようにある。
 ラジェッタはよく考えた。
 その結果……忍火丸についていくことが、この寮に来てからの日常と違うことをすることだとは思えなかった。

 集会室は、ラシーネが集めてきた者たちで一画を占領されていた。ここに全員が集まっているわけではないだろうが、けっこうな数がいる。
 最後の二人が加わって、ラシーネは早速と話を切り出した。
「ラジェッタをこの後、どうしたらいいかの意見が聞きたいの」
「どうって。フューリアなんだから、このまま学園にいていいじゃない。身内が見つかったら、引き取ってもらえるように手配してもいいけど。『おじちゃん』はレアンだったわけで……」
「たんまやっ!」
 “待宵姫”シェラザードが、ラシーネに何を言って……とばかりにあきれたように語り始めたところで、キーウィが大声でそれを遮った。
「なによ?」
 発言を邪魔されて、シェラザードは不機嫌そうにキーウィを睨みつける。
「レアンて言っちゃあかん、『おじちゃん』は『おじちゃん』や」
「なによ……レアンなんだから、いいじゃないの」
「あかんて! もしかしたらおじちゃんは、レアンに変身しとるだけかもしれへんし!」
「あなた、何考えてるのよ」
 さすがに、シェラザードは頭を抱えた。
「せやけどなあ……おじちゃんがレアンやと広まったら、おじちゃんは悪人やてラジェッタに教える人もおるかもしれへんやろ? 大好きなおじちゃんけなされたら、ラジェッタ悲しむしなあ……」
 ここで一転手法を変えて、うるうると目を潤ませて、すがるようにキーウィはシェラザードを見上げる。抵抗しても無駄だと悟ったシェラザードは、安易な方法を選択することにした。
「……えーと。わかったわ、おじちゃんね」
 おじちゃんと呼ぶ、という。気を取り直して、と話を再開。シェラザードは中断された話を続ける。
「そのおじちゃんが、迎えに来るとは思えないでしょう?」
「そうね」
 ラシーネもそれには同意を示した。黙っている者でも、その意見に異論を持つ者はおそらくいない。
 その気があろうとなかろうと、少なくともレアンはここに迎えには来ない。だから、自分で探し出さなくてはならないのだと、おじちゃん……レアンを探す者たちは思っていた。
 たとえそれが、レアンからラジェッタに別れを告げさせることになろうとも。
「でも、レアン……おじちゃんにはけじめをつけてもらいたい。でないと、ラジェッタはずっと迎えを待ち続けるだろう」
 “憂鬱な策士”フィリップは、その二つ名の通りの憂鬱な顔で意見した。
「直接じゃなくてもいい、たとえば手紙でも」
 それには“路地裏の狼”マリュウも、“踊る影絵”ジャックも同意を見せる。
 だが、同意ばかりでもなくて、“土くれ職人”巍恩は顔を顰める。
「みんな何言ってるべ! あの悪党は、ラジェッタちゃん使って何かたくらんでるに決まってるべさ!」
 巍恩はここのところはおじちゃん探しからは手を引いて、ラジェッタの出身地を探している。だが遠方の、しかも異国の話。思っていたよりまったく上手くいかないので、余計にイライラしているようだった。
「決め付けは良くないけど、あの馬鹿がラジェッタちゃんをどう思っているかは重要ね」
 巍恩ほどには断定的ではないが、疑念を抱いているのは“銀の飛跡”シルフィスもだ。シルフィスは、忌々しげに眉根を寄せた。
「もしも本当に、あの子を道具としてしか見ていないのなら……許さないわ」
 ぎりっと噛み締めた奥歯の音に反応したのか、肩の上にいたハムスターのようなシルフィスのリエラが立ち上がる。そして落ちつけと言うように、シルフィスの髪を一筋引いた。
 そこで、後から集会室に入ってきた人影が、巍恩の後ろに立った。
「そりゃあ何か理由があって、ラジェッタを連れてきたんだろうが……悪い方向にばかり考えるのもどうかと思うがな」
 巍恩が振り返ると、そこに立っていたのは“黒き疾風の”ウォルガだ。
「俺はレアンがラジェッタを連れてきた理由に、悪意はないと思う」
「なんだべさ、なにか知ってるだか?」
 巍恩がそう問うのと同時に、そこでキーウィから『レアン禁止』の声が再びあがる。その勢いに一瞬たじろぎつつも、ウォルガは続けた。
「いや、俺も確認したくてレアン……あいつを探してはみたが、まだ会えてない。だが……今日、ここにラジェッタの世話をしている者が集まってると聞いたんで、お願いがあって来たんだ」
「お願い?」
 ここに集めた張本人、ラシーネが首を傾げる。
「俺はレ……あいつがあの日アリーナにラジェッタを置き去りにした理由は、銀色のリエラと出会わせるためだと思う」
 ウォルガの言葉に、集会場の一画はわずかにざわめいた。
 それは、ラックがマイヤに告げたことと同じ話だ。
「銀色のリエラが彷徨う理由は、フューリアを求めてじゃないかと思う。そしてそれはラジェッタなんじゃないだろうか。……あいつはそれを知って、アルメイスに連れてきたんじゃないか?」
 ウォルガの視点は、銀色のリエラを救う方法から出発している。ウォルガの考えがここに至ったときにはまだ大きく語られてはいなかったが、確かに彼の考えは、ある意味正鵠を射ていたようだ。
 銀色のリエラを捕獲したとして、結局契約者を与えるしかないという向きに落ち着きつつある。
 そしてそれは、サウルの率いる討伐隊に銀色のリエラが始末されてしまう前に行わなくてはならなかった。
「銀色のリエラの近くに連れ出す、危険は承知している。だが、怪我がないよう十分に気をつける。俺に可能な限り守る。……どうか協力してはもらえないだろうか」
「むむ……」
 巍恩は目を寄せて、顔を真っ赤にするほど考え込んでいた。
「おじちゃんの思惑……というのが気になるべ。乗っていいもんか? だけんど、ラジェッタを覚醒させるのがそれなら、やっぱりやらにゃあいかん気もするべ」
 巍恩はレアンの思惑に乗るまいと思いながら、ラジェッタの覚醒は促すべきだと思っていたので、それが両立はしないかもしれぬと聞いて……ジレンマに陥ってしまったのだ。
 他の者も即答できずに、考え込んでいる。
「頼む」
「私は……反対ですわ。契約とおっしゃってますけど、銀色のリエラには既に主人がいるかも……しれませんでしょう?」
 歯切れが悪いながらも、セラが反論した。それは、ラックから話を聞いていたからだった。ラックの考えは、途中までは同じだが……向かっている結論は実は違うからだ。
 だが反論もそれだけだった。
「私は、協力してもいいわ」
 そう言ったのはラシーネだ。
 再び、ざわめきが走る。
「一通りとはまだ言えないけど、ある程度みなさんの意見を聞いたわ。私の考えも聞いてくれるかしら」
 賛同してくれる人も、反対する人もいるとは思うけれど、とラシーネは切り出す。
「おじちゃんが迎えに来るとは思えない……でもラジェッタはそんなこと話したって信じやしないほど、『おじちゃん』を慕ってお迎えを待ってるわ。なら、どうにかして、ラジェッタをおじちゃんに会わせてあげたいの」
 ここまでは、賛同者も多い。仮に気が乗らぬとしても誰しも予想の範囲であり、むきになっての反論は、もう巍恩さえもする気にはならなかったようだ。いや……それでもシェラザードは一人、異論を唱えた。
「あなたの言うことも理解できなくはないけど、でもちょっと、状況ってものを考えなさいよ」
 危ないでしょう、とシェラザードは指摘する。レアンが現れる場所は、それだけで安全とは言えない。見つけたらすぐさま攻撃を仕掛けようという学生さえいるのだ。巻き込まれる危険だってある。
「危険なのもわかっているわ。でも、手紙でもいい……ってフィリップは言ったけど、手紙じゃダメだと思うの。だってまだ、字なんて読めないのよ? 彼の書いた手紙だって納得できるかしら? ……会う以外に、本当にラジェッタが納得できる方法はないわ……納得できないまま、どこにも行けないで生きていくなんて、生殺しよ。だから」
 その通りだと、内心でうなずく者も多い。
 だがここからが、問題と言えば問題だった。
「銀色のリエラが現れたら、その近くを探そうと思うの。彼は銀色のリエラの近くに現れたって聞くわ。探し出せたら、そこにラジェッタを連れて急行する……そのためには、私一人じゃ手が足りないの」
 レアンを探す者と、無事にラジェッタを送り届ける者。探す者は、多ければ多いほど良い。
 だがウォルガも言ったように、まさに戦場を駆け抜けるような危険を伴う。レアンにただ会うよりも、はるかに危険だ……そのかわり、おそらくそうでないときに探すより、きっと確実性が高い。
「ウォルガの言う通りなら、銀色のリエラの近くまで行けば、目的を果たすために自ら出てくるかもしれないけど……期待しすぎるのは危険よね」
 正直な話をするならば、ラシーネはこのために一人でも多くの人手が欲しいのだ。ウォルガも数に数えられるなら、協力もしようということである……これ以外の方法はラシーネには思いつかなかったし、たとえウォルガを拒んだとしても結果的に銀色のリエラに近づくなら、同じことになるのだから。
「自分も及ばずながら、お手伝いします。頑張って、探しましょう」
 “暴走暴発”レイは元々おじちゃん探しに協力して、手伝うつもりでいた。だから、ラシーネの方法が多少危険が伴うとしても……自分には、それほどの問題はないと思う。
「ああ、待てや待てや! 俺ももちろん行くで? 外に出るときには絶ーっ対に護衛させてもらうて決めてたんや!」
 問題があるのは、やはりラジェッタのほうである。“轟轟たる爆轟”ルオーは、この話に反対するべきか否かを頭の中でぐるぐる計算していた。だが、きっと反対しても連れ出す者はいるのだ。ならば、賛成してついていったほうがいい。
「でもな? あれやで? ラジェッタちゃんに黙って、危ないとこに連れて行くのはあかんと思うで?」
 それでも言うべきはと、ルオーはラシーネを窺いつつ続ける。
「ありがとう……もちろんその前に、ラジェッタには聞くつもりよ。危険もあるけど、彼がラジェッタに優しい言葉をかけるとも限らないし」
 ラジェッタに正しく考えられるかどうかはわからない……だが、怖い思いや嫌な思いをするかもしれないことを教えて、考えさせることは避けて通るわけにもいかないだろう。
 願いと表裏一体に試練があるならば。

 ラジェッタに話を聞くということになって、集会室にいた半分ほどが女子寮のラジェッタの部屋に向かう。残りの半分は、先に話をつけんとレアンを求めて外に出ていった。
「ラジェッタちゃん、おるん?」
 朗らかというか浮かれているというか、微妙な線のルオーが先頭を切ってノックをする。
 だが、返事はなかった。
「ラジェッタちゃん?」
「寝てるのかしら?」
 ラシーネが扉を開け、中に入る。
 そのどこにも、ラジェッタの姿はなかった。
「……あ! 天井ー!」
 長身のルオーのほうが、それを先に視界に入れた。気づいた途端に、悲鳴のような声をあげる。
 そう、部屋の一角の天井板がはがされて、ぽっかり穴が開いていたのである。

 その頃、ラジェッタ本人は時計等広場の噴水のところで、お絵かきをしていた。
 天井裏に上がるところから始まって、そこにたどり着くまではかなりの大冒険だったのだが、それは長くなるので割愛する。とりあえずとっても遠回りをしながら、ラジェッタは“風天の”サックマンの待つ噴水のところにたどり着いたわけである。忍火丸が言ったには一人足りないが、空羅 索は広場を見渡せる屋根の上でリエラのコリンと哨戒中だ。
 絵を描きながら、話題はおじちゃんの話……っぽいところだった。アルメイスの学生としては、そこが気になるのはやむをえないだろう。
 どうしておじちゃんと一緒に来たのかという問いには、ラジェッタは「ままがいったから」と答えた。そこからママはどうして一緒に来なかったのか、と質問が続く。
 ラジェッタが不自然に沈黙したあたりで、サックマンもまずい話題を選んだような気がした。自分から両親の話をしたことがないとは、チラッと聞いたことがある。
 母親の話題は微妙に鬼門らしい。
「ええと、ママとおじちゃんはお友達だったのか?」
 慌てて話を変えようとしたが、上手く母親から離れる話題がひねり出せずに、サックマンはどっと汗をかいた……
「……おじちゃんは、ぱぱとおともだちなの。ぱぱが、こどものときなの」
 だが、幸運にも話題はそれたようだった。ラジェッタの声が明るくなったのがわかって、ほっと胸をなでおろす。
「へ、へえ。そうなのか」
「ぱぱのことおぼえてないけど……おじちゃんてぱぱみたい」
 パパかー……と思いながら、サックマンは父親のことを覚えていないという言葉に引っかかった。どうやら父親の話題も鬼門らしい。
 試行錯誤の果てに、ろくな話が聞けないまま陽の沈む時刻が近づいていた。
 そして……陽の暮れる前には、大慌てでラジェッタの行方を捜索していた者たちに発見されることとなったのである。

 とっ捕まった三人が「勝手に連れ出すなんて!」とセラに説教を喰らっている横で、ルオーはラジェッタの無事に安堵の息をついた。ラジェッタの前にしゃがんで、視線の位置を合わせてから、用意していたペンダントをその小さな手に握らせた。
「無事でよかったで……あんなあ、これ持っててや。これは幸運のお守り言うてな、願いが叶うお守りなんや。こーやって握って元気な声でお願いするんや」
 大きな元気な声でやで? とルオーは念を押す。眉唾なお守りの効果に期待をしているのではなく、そこで大声を出して人を呼んでもらうことのほうが目的だからだ。
 小さな子の面倒をみたことがあればわかるが、突然の行動に大人が反応しきれないことはままある。土壇場の選択肢を増やしておけば、とっさのときにラジェッタが突飛な行動を取る可能性を減らせるかもしれない……そんな思惑があった。
 こくりとラジェッタはうなずいて、いそいそと首にかける。まったく疑っていないその様子に、ルオーは内心罪悪感に苛まれたが……
《お兄ちゃんは悪いお兄ちゃんや……堪忍な》
 謝罪の言葉は喉の奥へと押し返した。
 そしてラシーネに順番が回ってくる。聞くべきことを聞くということにキーウィあたりは抵抗も示したが、聞かずにはできない。
「……おじちゃんに会いたい?」
 ラジェッタは迷わずにうなずいた。
「すごく危ない、怖い目に遭っても、会いたい?」
 ラジェッタは、一瞬考えて……それでもうなずいた。
「会ったら、おじちゃんがさよならって言っても……会いたい?」
 ラジェッタは長いこと黙っていた。泣きそうな顔で……
「さよなら?」
「一緒に行きたい?」
 それには迷わずラジェッタはうなずいた。
 ここに来て、出会ったお姉ちゃんお兄ちゃんたちは優しかったけれど、おじちゃんを忘れて一緒にいたいと思った人はいなかった……ということだ。
「そう……叶うといいわね。……いい? おじちゃんに会ったら、自分で言うのよ。私たちには、約束してあげられないから」
 ラシーネには、理性的な面に加えて悲観的な部分がある。だがそこに気持ちがないわけではない。
 ルオーは、隣でラジェッタの願いを聞いてしまったことを少しだけ後悔した。
 聞いてしまったら、叶えてやりたいからだ。それがどんなに危険で困難でも。
 たとえそれが不可能な願いでも。


■紐解かれた記録■
「もう平気なんだけどさあ」
 にゃははと笑うクレアに、以前と変わるところはないように思えた。
 クレアは瓦礫で頭に怪我を負って、しばらく学校も休んでいた。今は出てくるようにはなったけれど……
「無理するんじゃない、後ろに下がっておけよ」
 “怠惰な隠士”ジェダイトは自分がクレアの穴を埋めるからと、クレアの手に幸運を呼ぶペンダントを押し付けつつ、まだおとなしくしているようにと言い含めた。ルーもその方がいいと言ったので、結局クレアは後方の仕事に移ることになった。
「ごめんねえ、シーナ。一緒に続けられなくって」
「大怪我だったんだもん、仕方ないわ。無理はしないで早く元気になってね! わたし、クレアさんの分も頑張るから!」
 “緑の涼風”シーナは「よし!」と気合を入れなおし、「行ってくるね!」と片手を上げた。駆けていくその後ろに、ジェダイトがついていく。
 今日も捕獲隊は街に出て行く。時間がいつと決められるものではないが、授業があるので、夕方から夜に最も人数が集中している。
 二人が行ってしまってから、“天津風”リーヴァはクレアにレアンの現れたときの話を聞こうとしたが……
「よく覚えてないんだ……ごめん」
 頭を打っているからか、他に理由があるのかはさておき、覚えてないものは聞き出せない。クレアのそばにいるルーは何も言わなかったが、陰鬱な目でリーヴァを睨んでいるようだった。
 話が得られないならと、リーヴァも長居はせずに立ち去る。
 そこからリーヴァも街へと向かったが、彼の探しているものは捕獲隊の他の者とは違っていた。

「この世界に現れたリエラに消滅するほどのダメージを与えても、リエラそのものは消滅しない」
 だからアリーナで戦うときには思い切りやってもよい、とサウルは続ける。
「全力を出すと、結界のかかっている施設もダメージを受けるだろうけど……多少なら直せばすむ。気をつけるべきなのは消滅したら帰ってこない物だね。一般の者を巻き込まないように、十分注意するんだよ」
 討伐隊の者たちを鼓舞し、街へと送り出す。
 だがアベルは、聞きたいことがあると残った。
「消滅しても、消滅しない、というのは事実なので?」
「学校じゃ教えないだろうね、研究途中だし。力尽くで消滅させるのって、はぐれリエラだけだから」
 確定するには、サンプル数が少ないわけだが……
「だがこの説は、フューリアとして優秀な人のほうが、より素直に受け入れられるようだ」
 サウルは胸のあたりを指して、
「魂は知っているというのかな。だから自分の胸に聞いてみるといい。納得できるかどうかはね」
「ほう……」
 そんな短いやり取りの後、サウルもメイアを連れて捜索に向かおうとした。
 だが彼が知るものに惹かれてくる者はまだ多く、屋敷を出たところで次にはジャックがサウルを呼び止めたのだった。
「おや、君は」
 サウルはジャックの顔を覚えていたので、話は比較的スムーズに進んだと言えるだろう。
「君には借りもあるから便宜を図ってあげたいが、ちょっと難しい相談だな。彼の隠れ家は多いからね」
 だが、それは望みが叶うこととは違った。
「数が多い?」
 ジャックの願いは、レアンの居場所の心当たりだ。
「元々、彼はこの街で育った……君にも今、行きつけの店や友人がいるだろう? 仮にこの先君がテロリストに身を落としたとして、今親しい者の全員が敵に回ると思うかい?」
 積極的に味方ではないとしても、知りながら通報しない者は多いということだ。そう、回り中が敵ならば、アルメイスに度々潜入するのは困難なはず。だが彼は悠々と街にいる。それが、既にそれを示している。
 ジャックは考え込んだ末に、訊ねた。
「数は多いけれど、知ってはいるんですね」
 それをすべて……とはいかないかと。
「こちらに割れていると思ったら、そのアジトはさすがに使わなくなる。君に晒すことでこちらのカードは白紙に戻るわけだから、ちょっと厳しいな」
「どこか一つだけでも……ダメですか」
「さて……今はきっと、繁華街のどこかではあるだろうなあ。たとえば、裏通りのカフェの2階とか……ああ、たとえばだからね」
 違っていても文句は言わないでくれ……と言ったところまで、ジャックは聞いていなかった。すばやく礼を言って、踵を返す。
 おやおやとそれを見送って、サウルはメイアのほうを振り返った。
「待たせたね。僕たちも行こうか」
「はい。……サウル様って、不思議ですね」
 だからメイアは、そばにいてみようと思ったのだが。
 しかしサウルは、飄々としたものだ。
「そうかい? 何も不思議なことはないと思うよ」

「結局自分で調べましたよ。サウルさんは第四皇子。今の皇室は継承権が下に行けばいくほど情報が出てこなくて……だから、第四皇子が『サウル』という名前であるというだけで、同一人物かどうかの確証はないです。皇室の特徴としては、大変優秀か、あるいは無能だと表に出てこなくなるらしいですが」
 “影使い”ティルは、調べたことを読み上げていた。聞き手は“飄然たる”ロイドだ。
「サウルさんは『無能』のほうらしいです」
 さすがに、無能という評価にはロイドも驚いた。
「特に、これといった失敗談はありません。役職は驚いたことに一昨年、十九歳という若さでアルメイスの憲兵隊長を勤めてます。一年で異動して、昨年は帝都で憲兵隊長を勤めてました。帝都は束ねなので、憲兵隊の一番上ですね」
「それで無能?」
 ティルは肩をすくめた。
 個人的に話をしたことがあれば、意外にも思っただろうし、納得もできたかもしれない。
「第四皇子が、無能という評判なんですね」
 『憲兵隊のサウル』個人の評判は人当たりはいいが変人だとかいう以外にはほとんど出てこなかったが、名前と高官という点から、仕事の履歴は手繰れた。経歴の最初はめっぽう若いが、それも皇族ならおかしくはないか。
「経歴としては、警邏から憲兵で、それ以外の部署には行ってません。出世のスピードは破格というより異常ですが、皇族ならまだ不思議ではないかと」
 憲兵とは、軍内部の犯罪や思想を取り締まる部署だ。防諜には噛んでいるだろうが……
 予測していたものとはどこかずれているような、ロイドはそんな気がした。


 “海星の娘”カイゼルも研究に協力するでもなく研究所にいる者が締め出しを食らったことは聞いていたから、もう後からでは入れないかとも思ったが、そんなこともなく無事に被験者として登録された。他に同時に“竜使い”アーフィも一緒に登録されているし、その前にはフランにくっついてきてなあなあの間に“七彩の奏咒”ルカが居座っている……結局、研究の邪魔さえしなければ、問題はないらしい。
 カイゼルは協力者になれたことを純粋に喜んだ。
「よかった……これから仲間として頑張るね」
「よろしくお願いします」
 “闘う執事”セバスチャンはそう答え、カイゼルの持ってきた差し入れに合わせて茶を用意しにいく。
「あ、私も手伝うよ! 疲れてるでしょ?」
 もちろん、カイゼルは自分のパートナーのシュレイアーのことをもっと知りたいという気持ちもあるが……協力者が増えることで、研究に携わる者たちが少しでも楽になればと思っていたので、最初からくるくるよく働く。
 この研究室に欠けていたのは、こういった無償の気遣いをしてくれる存在だったのかもしれない。けして明るい雰囲気ではなかった研究室に、一輪小さな花が咲いたように思えた。
 差し入れのパンケーキを分けて、休憩をしながらも、話は銀色のリエラのことだった。
「捕獲した後の対処法って決まったの?」
 カイゼルは、ここで気になっていたことを聞いてみる。
「検討中だそうですよ。未契約のフューリアと契約させる……しかないそうですが」
 相手として浮上しているのは、アリーナで保護された少女、ラジェッタ。これについては賛否両論あるが、討伐しないならば他に選択肢はないようで、このままなら賛成多数になりそうだという。
 だから、セバスチャンの提案した実験は保留となっていた。
 セバスチャンはラジェッタがリエラと契約を結べるように、研究所に呼び交信の訓練をさせようとしたのだが……その結果、他のリエラと先に交信が成立したら、別の候補を探さなくてはならなくなる。事件解決のためにという建前で交渉自体は一時上手くいきかけたのだが、結局そうでないところから建前を真っ向から崩す形で保留の要請が舞いこんだのだ。
「フランさん、パンケーキもう一つどう?」
「あ……ありがとうございます」
 フランが取り分けられた分をぺろりと平らげているのを見て、カイゼルは皿にもう一つ乗せてシロップをかける。
「食べるの好きだよな、おまえ」
 “蒼盾”エドウィンも、人のことは言えないスピードで平らげてはいるが。
「エドウィンさんも……」
 カイゼルが言い終わる前に、エドウィンは皿を恭しく前に出している。タダメシには感謝と、おかわりを。
「フラン、ランカークが招待してきた茶会に行きなよ。いいもん用意してるだろうから、食べて気分転換してこいって……エンゲルスが、静かな席をおまえのために用意してくれるように頼んだっていうからさ」
 うるさい奴は、ランカークがつまみ出してくれるだろうと。おかわりの皿をつつきつつ、エドウィンはまだちゃんと返事をしていないらしいフランに、茶会への出席を促した。
「いいですねぇ、エイムさんも一緒に行ったらどうですか?」
 ルカがエイムに向かって、一緒に行ってみないかと誘う。
「……私も?」
「気分転換したほうが、研究も成果が出ますよぅ。フランさんも疲れてるから……信頼できる人が一緒のほうがいいかなって思うんですけど……ダメですか?」
 ルカも、フランが他人を信じられずに苦しんでいるのはわかっている。ではフランにとって誰が一番信用できるか……と考えたとき、以前から変わらない者が良いと思ったのだ。
 変わらず、ずっとこの研究室にいて、ここに来れば会えるが、自分から追いかけることはない存在。
「まあ……フランさんがそのほうがいいのでしたら」
「フランさんはどうですか?」
 戸惑い顔のエイムに約束を取り付けて、ルカはフランを振り返った。
「……そうですね」
 まだ迷い顔だが、フランはうなずいた。

 休憩を終えると、エドウィンは一冊の本を鞄から出してきた。本自体はかなり古い感じはするが、表紙の装丁がどことなくこどもっぽい。
 それは秘密シリーズの一冊、『リエラの秘密』だった。初版で、本自体は稀少物だ。
「ここにある以上の正確なデータが書いてあるとは思えないけど、トンデモな伝承とかはこっちの方が詳しいかもしれないし」
 みんなで読んで、検証してみようというわけだ。この本自体は、エイムとイルは読んだことがあるというので、大した期待はせずに始めた。
 本を開くと、こどもでも理解できそうな易しい言い回しで文章が続いていた。隅には鉛筆やペンで誰かの書き込みが残っている……前の所有者のものだろうか。
「『リエラは、神さまのような強い力を持っています。それは、リエラが別の世界の神さまだからです。なのでおしゃべりはしません。神さまだから、なんでも知っているからです。遠い遠い未来のことも、遥かな昔の話もすべて知っています』……」
「自存型の話じゃないですね」
「……まあ、『リエラの秘密』だから」
「『リエラのいる世界では、なんでもわかるのです! あなたのおねしょの回数だって知っているんですよ』……」
 エドウィンはイルに向かって、「知ってるのか?」と聞いてみた。
「フラウニーのならば」
「イル!」
「な、なにを、フラウニー……むがぐぐ」
 結局それは、幼いこどものときからパートナーであったというだけだが。フランがイルを止めている横で、同じく物心つく前からパートナーであったエドウィンのカルコキアムがハイっと手を上げる。
「エドウィンのなら知ってるにゃ! エドウィンは」
「言わなくていい!」
 自存型の主たちは自分のパートナーを黙らせなくてはならなくなったので、セバスチャンが交代して本の続きを読み上げる。
「『リエラはフューリアが呼ばなくては、この世界を訪れません。ですがリエラの中には、自分の体を持って、この世界にい続けるリエラがいます。それは、この世界の肉体を手に入れたリエラなのです』……自存型の話が出てきたようですよ」
 口封じに暴れていた者たちも、ぴたりと止まって、振り返って耳を傾ける。
「『フューリアがリエラをわかって、限りなく一つになれればなれるほど、リエラはもともとの強い力を発揮できます。一度では、そんなに深く結びつくことはできません。何度も何度も呼び合って、段々と一つになっていくのです。ですが、完全に一つになってしまうと……フューリアは死んでしまいます』」
 息を呑む音が聞こえた。
「……『リエラと一つになってフューリアが死ぬと、リエラはフューリアを取り込んで、新しい力と肉体を手に入れるのです』……」
 その文章の横に、『喰われる?』と走り書きがある。それを読んだ誰かが書き込んだのだろう。
「アーフィ、こんなの聞いたことない……」
 アーフィが顔を顰める。
 エドウィンは腕の中にいたカルコキアムに、問いただした。
「本当なのか?」
「……わかんないにゃ。覚えてにゃい」
 カイゼルもシュライアーに視線を遣りつつ……呟く。
「私も、聞いたことないわ」
 誰も聞いたことのない話なんてと言う学生たちに、また顔色の悪くなっているエイムが苦しそうに答えた
「この本は何版か出ましたが、後のほうの版には、実はこの話は載っていません」
「えっ……」
「削られたんですね……初版が出たとき憲兵隊によって回収騒ぎになったのは、イルズマリ殿ならご存知じゃありませんか? 私はこれが最初に出たときには幼かったので、聞いた話ですが」
「うむ……児童向け解説書だったので、急いで入手はしなかったため、初版は持っていないのである」
「削ったってことは、事実だってことか?」
 エドウィンは、思わず握る手に力がこもる。
「いや、事実だから削ったとは、短絡な考えであろう。教育的問題……これを読んだこどもがリエラとの交信を嫌がるようになると、国策に支障が出るのである」
 俗説だとしても、アルメイスではけっして教えられることはあるまい。だから、誰も知らなかったのも、ある意味当然だ。
「だから削られた……か」
 自存型たちは口を揃えて覚えてないと言うので、その真偽を確かめることはできなかった。

 得られたものがあったかなかったか、微妙な気分で『リエラの秘密』は閉じられた。
 エドウィンが検証しようとしていた帰還については……フューリアを取り込んで肉体を得たリエラは、手に入れた肉体を消滅させなくては異界に帰れないが、再び呼ばれたときに再構成するのが難しいため、帰りたがらないのだとその本には書かれていた。
「再構成は、できないことではありません。それよりも……」
「なに? 教えて、シュレイアー」
「……帰りたくないのです。この世界から」
 それが理由と言えるのか難しいところだが、それよりもカイゼルは、シュレイアーがなんだか悲しげな顔を見せたことのほうが気になった……
 気を取り直して次へいこうというところで、もう二人学生が研究室を訪ねてきた。
 その姿に怯える顔を見せたのはフラン。フランを怯えさせる……それだけで十分に研究には邪魔者だと、エドウィンは舌打ちした。
「この本が参考にはならないかと思って、持ってきたんだが」
 それは、『フューリア〜始祖の伝説〜』とタイトルの打たれた本だ。
「ごめんなさい……私……」
「フランさん!」
 だが、そこでフランは席を立ってしまった。慌ててイルが追いかけて飛んでいく。ルカもリュームを肩に乗せ、走っていった。
「話を」
 “銀晶”ランドはそれを追おうとしたが、エドウィンがその肩を掴んで止めた。
「話なら、俺たちが聞いてやるから」
「フランでなければ、意味がないんじゃがのぅ」
 そうアナスタシアが言う。
「フランでなければ意味のないことなら、そりゃ自存型の研究の話じゃないだろう。研究の邪魔すんなら帰れ」
 お帰りはこちら、とエドウィンがフランが出て行ったのとは別の扉を示す。
 この二人が外で一緒になった時点で、二人ともこんな予感はしていたが……
「俺の話は、銀色のリエラにも関わってる」
 ランドはそう粘って、本を開いた。
 その本は薄かったが、丁寧に作られていた。内容はこども向けではないようで、細かい字で書かれている。移住してきたエリアの一族が、イシュファリアの地でフューリアの一族と出会って、フューリアを神の化身と崇めたところから話は始まっていた。
 フューリア(優れたる人)は神や悪霊の力を自由に使役し、神々しいまでに完璧だったと。
「トンでも本には変わりないな」
 と、エドウィンは自分の持ってきた本を思い返す。
「その頃は、北の大地イシュファリアに大きな国という概念はほとんどなかったらしい。ただ各地にフューリアの様々な一族がいて、徐々にその力を高めていた……力を高めることが、当時のフューリアの目的だったようだ。その中で最も強大な力を持っていた一族が、フューリアの王で、始祖の一族と呼ばれていた。最も古い一族でもあったみたいだ」
 始祖の一族はやはり完璧だったと、つらつらと書かれている。だが、突然なんの前置きもなく、話の調子が変わった。
「あるとき、始祖の一族の最も優れた一人が恐るべき力を無辜の民や仲間のフューリアへと向け、その命を奪い始めた」
「なんで?」
 突然の話に、アーフィは首を傾げる。
「……理由は書いてない」
 その後、それをきっかけに大戦争が起こり、近隣諸国にも被害と犠牲を出したが、生き残ったイシュファリアのフューリアとエリア、そして周辺の国々との協力で狂った始祖の一族は倒された……と終わっている。
「戦争は、習ったような気がするな……内乱が起こってるところに外国から攻め込まれたっていう話だった気がするけど……」
 エドウィンは、今度は歴史の授業を思い返す。その戦争の結果、イシュファリアの地はしばらく外国に支配されていた期間があるのだ。圧政が引かれ、ラーナ教は弾圧され、フューリアは発見されると殺害された時代。その暗黒時代の後、解放の戦いを経て、レヴァンティアース帝国と呼ばれる国が成立している……
「ねえ……狂ったのは一人だけだった……ってこと?」
「そうですね、この本が事実なら、いたずらに人の命を奪い、周辺諸国まで脅かしたのはたった一人のフューリアだとなりますね」
 セバスチャンは首を振りながら、しかし、と続けた。
「伝説ですから、事実とは限りませんが」
 それから、言葉に困ったようにランドを見た。
「これが、どういうところで銀色のリエラに関わるのでしょう?」
「これは、フランが二重人格かもしれないということからだが……強力なフューリアだったら、死しても残留思念が残るということはないか? フューリアの力は、交信能力……強力な思念の力なんだし」
 残留思念、ありていに言えば幽霊だ。幽霊の存在は、信じる者もいるし、信じない者もいる。
 だがふと、先ほど『リエラの秘密』を読んでいた者たちの胸には、符合するものがあるような気はした。
「銀色のリエラの主は、死んで……思念だけが残っていると?」
 死して、思念だけが残る……身体はリエラに飲み込まれて。
 それぞれ、自存型のパートナーを見る。それに応える視線はなかったが。
「……強引な推論ですね。それにレディフランの事情はまた違うようで、同列に並べて例とするのは間違っていませんか」
 フランはリエラではないのだから。
「拠り代にしたものが違うだけで、同じ残留思念のつもりだったが」
「だとすれば周辺諸国を脅かし、フューリアが迫害される原因を作った狂気が、フランに取り憑いていることになる」
 もう出て行ってくれ、とエドウィンは扉を開けた。
「聞くべきじゃなかったかもしれない。いや、聞かなかったことにしておく……でないと、俺たちが聞いたと知ったら、フランはここにも戻って来れなくなるかもしれない」
「待ってくれ、もう一人のフランがどういう存在かは確かめてみなくては」
「その本とおまえの話からは、そうでないと思うのは難しいだろ。言いふらすのはやめとけよ」
 ばたん。
 扉が閉まって、急に部屋は静かになった。
「……フランを探しに行ってくる」
 逆側にあるフランの出て行った扉に向かって、エドウィンは歩き出した。
「わ……わたしも!」
 カイゼルが、その後ろを追いかけていった。


 相変わらず逃げ帰るように、フランはフラットへと帰ってきた。最近は時々、引越しも考えるようになっていた。
 以前は他人事のようにように思えた現実が、目の前にやってきて……のほほんとしていられなくなったのだ。
「お手紙が一通きておりますよ。後、お留守の間に、お客様がみえました。贈り物とカードを置いていかれましたが」
 手紙は、図書館で幾度か会ったライラックからだった。事情は良く知らないが、図書館にフランが来ないので寂しいと、素直に綴られていた。
 ケーキと、カードにメッセージ……こちらは“自称天才”ルビィのものだった。元気を出して欲しい、お茶会に同伴したい、困ったときは俺様に任せろ……フラン宛ての文章は、自信家の彼らしいものだったが、嫌な気分にさせるものではなかった。
 だが、もう一枚、イル宛てのものは……
「うむむむむ……」
「どうしたの? イル」
「いや、フラウニー、なんでもないのである」
 イルはフランに自分宛てのカードは見せなかった。そこに書かれていたのは、
『過去見により、貴公たちの行動は概ね理解した。協力するから、何でも言ってくれ』
 と、あったのである。
 そこから悪意は感じられないが、イルですら、彼が過去見で見たときのことは記憶にないので……
『これは何をどう理解したか確認せねば、フラウニーには見せられぬであろう』
 と、ひとまず書斎にカード隠すことにする。
「あら、またお客様……?」
 そのとき、ノックの音がした。
 ランドがフランに逃げられたことをまだ知らない“泡沫の夢”マーティが、その日最後の客だった。
 我々は勘違いしていたかもしれない! このままではアルメイスが滅亡する! なんて彼の口癖を知っていたら、フランは絶対にマーティに会わなかったかもしれないが……
 マーティには幸いなことに、マーティが過去見をしたこともランドの友人であることもフランは知らなかったので、おそるおそるながら会おうとしてくれた。
「あのね、過去見したことはランドちゃんが言ったかしら?」
 だが、それらは最初にマーティ自身の口から暴露されたので、フランは即刻に後悔したが。しかし、逃げ出すまでには至らなかった。差がどこにあるかといえば……ランドのときには、直接フランを脅かす書物があったからだ。それにここには、嫌な話を聞かれたくない、フランに優しい人はいない。
「見たのですか……」
「ウン。だからね、おそらくフランちゃんは銀色リエラを倒そうとしてる何かに、体を乗っ取られてるの」
 かちゃかちゃとティーカップの中でスプーンを掻き回しながら、おかまのマーティは澱みなく言った。
「あたしは見たから、わかるのよ」
 イルは、先ほどのメッセージもそういう意味かと考えたが……ちょっと違うような気がする。一方、フランは真剣な顔で、マーティを見ていた。
「客観的に見れば、悪いのは銀色リエラよね。多分はぐれリエラだし、そうじゃなくてもリエラ単体でうろうろしちゃいけないってなってるんだから。アレをどうにかするのは、悪いことじゃないわけよ。だからね……フランちゃんは銀色リエラをどうしたいかしら?」
「それは……あんな風に彷徨わないで、人を驚かしたり傷つけたりしないでくれればいいと……」
 搾り出すように、フランは答える。
「そう、わかったわ。多分、銀色リエラがどうにかなると、乗っ取られるのはおさまるんじゃないかしら? だって、フランちゃんを乗っ取ってるものも、アレをどうにかしたいだけだと思うもの。だって今まで、フランちゃんが誰かに迷惑かけたことはなかったんだし。貴女に嫌な思いをさせたらしいってのは、ランドちゃんから聞いてるわ。だからあたし、貴女の機嫌が良くなるなら、記憶が全部飛ぶまで過去見してもいいと思ってるの」
「えっ……」
「銀色リエラが現れるところから、消えるところまで。きっとどこかに手がかりがあるわ。それで、必ず正体を暴いてみせるから」
「でも……突然現れて、突然消えるなら」
「消えるところは見られたらしいけど、現れるところは未確認よ」
「でも……私なんかのために……」
 記憶喪失は、リエラに伴う最も重いデメリットの一つだ。なにしろこれで失った記憶は、まず返ってこない。無理をすれば人格まで喪失する可能性もある。
「貴女がどうにかしたいのなら、協力したいの。あたしが協力したいのよ」
 まだ十三歳の、性倒錯者の少年は真剣だった。真剣だということは、フランにもよくわかった。人の好意を信じにくくなってしまったフランだったが、マーティが自分のために危険を冒そうということは理解できた。
 この子のために拒むべきかと思いながら、フランは丁寧に頭を下げた。
 淑女たれと育てられたフランは、騎士の誇りと覚悟は受け入れるべきと教えられた。マーティの覚悟には、それに通ずるものがあったので。
「どうか無理は……しないでくださいね」


■おとなの事情■
 レアンやフランの姿を求めて、街を彷徨う者の数は多かった。銀色のリエラが現れたときがチャンスだ……そう思う者も多かった。
 だがマイヤの率いる捕獲部隊もサウルの率いる討伐隊も、銀色のリエラがでた……となれば、単独行動で彷徨う者を同時に保護していった。ぶっちゃけた話、関係ない者がいると邪魔だからだ。
 ……便乗して自分の目的だけを達成しようとして、邪魔をするとなれば、働く側からすれば排除されても仕方がない。
 マイヤのほうにはルビィが入れ知恵をして、サウルのほうにはグリンダが提案して自らそれを行った。うろつく者の総数に比べて保護・追い出しに回る者は少なかったが、ほとんどそのエリアから追い出す者のほうが先手を打てるため、効果自体は上がっていたようだ……少なくとも、捕獲・討伐の両隊に参加していなかった者が、レアンに出会えることはなかった。ある、一度を除いて。
「ここはダメよ、危ないから。戻って」
 ロイドもラシーネも、グリンダによって追い帰された。
「そんな子、連れてこないでくださいませ」
 ラジェッタを連れたマリュウとルオーなどは運悪く“桜花剣士”ファローゼに捕まって、手ひどく追い返された。これが捕獲班の班員だったなら、注意はされてもラジェッタと契約させる話が進んでいるので、見逃してもらえたのだが。
 ……誰もがどこかで足止めを喰らって引き返したり、迂回したりと自由に行動はできなかった。
 彼らが自由にならない間に……銀色のリエラは追っ手から逃れていつのまにか姿を消し、結局レアンも見つからなかった……ということが、何度か繰り返されている。
 どうにも双方、決め手に欠けることは否めなかった。討伐隊では、一部が囮になると暴走して後ろが追いきれず、いつのまにか銀色のリエラを見失ってしまった、なんてこともあった。サウルのリエラが相手の能力を封じれるのにも、距離的限界がある。能力を発動させたまま走れるだけでも大した力なのだが……先導がそれを振り切って独走してしまうのでは意味がない。討伐隊はその役目を入れ替えて、仕切りなおしである。
 捕獲隊の方は、討伐隊に競り負けて、いい結果は上げられていなかった。討伐隊よりも相当速く身柄を捕獲しないと、捕獲隊の作戦は中途で乱入者に必ず邪魔されてしまうからだった。


「私、あなたに会いたかったわけじゃないんだけど」
 そんな誰にとっても上手くいかない日々の中のある日……
 シルフィスは路地裏で、ゆっくりと下がった。手にはナイフがあるが……これはレアン用に用意したものだったし、この程度のものは目の前にいる銀色のものには効かないだろうとも思えた。
 シルフィスが会いたかったのは、レアンだ。その姿を探して路地裏を歩いていて、違う姿とばったり会った。まあ、この姿のそばには、レアンが現れるとも聞いたが……被害者になりたかったわけじゃない。
「……こっちよ」
 背後から、どこかで聞いた声が聞こえた。
「緊張を緩めて、静かに下がって……あれに背中は向けないで」
 下がって下がって、路地の角まで下がると、真横の壁に黒髪の少女がはり付いていた。その後ろに、最近はセットで緑の髪の少女がいる。
 そのまま少女たちのいる路地に入ろうと横に動いたところで……
「いた……!」
 路地の反対側から声が上がった。向こう側に現れたのは、討伐隊の“冥き腕の”バティスタ。ファローゼが後ろにいたらしく、知らせに行くと声だけ聞こえた。
 バティスタのほうに行ってくれれば、シルフィスはこの場から撤退できたのだが……残念ながら、その声に反応してしまったシルフィスのほうへと、銀色の影は弾丸のように突っ込んできた。
 躊躇う余裕はなく、三人も走り出す。
 それを銀色のリエラが追い、そして見失わぬようにとその後ろからバティスタが追う。
「リッジ……! 来い!」
 バティスタは交信を少しずつ上げ、闘う準備をしながら、追っていった。

 エイムが具合が悪いと休憩室に度々引っ込んでしまうのに、後から来たカイゼルやアーフィも慣れた頃のことだ。
「ごめんなさい……なんだかすごく眠くて」
 フランが強い眠気を訴えて、机の上に突っ伏してしまった。
「こんなとこで寝ると、風邪ひいちゃうよ。ねえ、フランさん、今年の風邪は性質悪いんだから。私たいへんだったんだもん」
 カイゼルとルカが揺り起こし、フランに移動するように言う。
「休憩室、借りましょう? エイムさんが一緒かもしれないですけど」
 まだ意識は残っているが、ふらふらのフランに二人で肩を貸して、移動する。イルも飛んでいられないのか、フランの肩の上に止まってうずくまっている。見ていられずに、その両脇からエドウィンとセバスチャンが手を貸した。
「おや? エイムさんいないですね……別の部屋に行ったんでしょうか」
 とりあえず、休憩室のソファーにフランを横にする。ただ女性の寝顔を眺めているのも気まずいので、男性陣はそこで退出して……
「毛布借りてきますねぇ」
 ルカも出て行って、残ったのはカイゼルとシュレイアーの二人だった。
 そしてルカが戻ってきたときには、本当にカイゼルたちだけになっていた。
「あれぇ? フランさんは?」
 ルカの声に、振り返ったカイゼル呆然と言った。
「どうしよう……フランさん、様子おかしかった」
「え?」
「出て行っちゃったの。フランさん起きたから、普通に話しかけようとしたら、無礼者って。それでシュレイアーが謝ってくれて……急いでるから、今回は許すって」
 それで出て行ってしまったのだと……混乱した様子のカイゼルは言う。
「どうしよう……そうだ、追いかけないと」
 話は聞いてしまったから、あれがフランに拠り憑いた何か別の人格であることはカイゼルにもわかった。
 だが、歩き出そうとしたカイゼルを、シュレイアーが背中から抱きしめて止める。
「ごめんなさい、カイゼル。でも、あの方に近づいては駄目……本当に危険な方なのです……」
 それが“奔放なる者”についての、初めての証言だった。

「お願いがあるんです」
 “六翼の”セラスは再び、フランの前に立っていた。フランの様子がおかしいことはわかったから、それについて考えもした。多くと同じように、結論は二重人格……であったが。
 次に会ったら、挨拶から始めてみようと考えていて……そして、銀色のリエラが現れた今また、フランと出会った。
 考えは概ね当たっていたようで、挨拶をして、名前を名乗り、名前を聞き……初めて会う者の手順を踏んで、本題にたどり着く。
「ふむ、セラス。ではわしのことはフランと呼ぶことを許そう」
 自分に礼儀正しい者にはそれほど厳しくもないのか、もう一人のフランはそう言った。
「姫と呼んでも良いが」
「……フランと呼ばさせていただきます」
 そのほうが、誰かに見られたときにまだしも怪しくない。
 それで、と切り出し……セラスは願いを伝えた。
「あれを始末して欲しいと?」
「はい。私たちには手に余るようですし」
 銀色のリエラを始末すること。それがセラスがフランに願ったことだ。セラスは討伐隊には所属していないが……所属を変わらぬままに、自分で決めたことだった。
 なぜフランにそれができると思ったかは……セラスのフィムライズが怯えたからだ。だから今は、フィムライズを呼んでいない。
「その代わり、私がそこに至るまでの障害は退けますから」
「……よかろう。あやつが来たときには、そなたに気を引いてもらうことにしようかの」
「じゃあ……」
「行くぞえ」
 セラスを先導に、フランは再び進みだした。

「撒いたかしら」
 路地裏に息を潜めて、シルフィスは呟いた。
「そうね……」
 エリスは来た道を窺う。ざわめきは離れていくように聞こえた。
「どうしてあんなところにいたの?」
 一応、礼儀としてシルフィスは聞いてみた。あんなところを歩いている理由なんて、多くはないだろうが。
「多分、あなたと同じよ」
 多くの者が探しているが、いまだに誰も会えていない、反逆の徒……レアンを探していたということだろう。
 “宵闇に潜む者”紫苑が毎夜以前の隠れ家に通っていたとか、ジャックが今の隠れ家に踏み込んだが逃げられたとか、そんな話もあったが……
 レアンを探す多くの者に理由はあっても、レアンのほうに会う必要などはないのだろう。ここまでに、彼の興味を誘える者もいなかったようだった。
「……俺になんの用だ?」
 そして、現れるときには突然だった。
「レアン……!」
 路地の奥から、銀髪の男は現れた。シルフィスはレアンのほうに体を向け、身構える。
「……あの子が迎えを待ってるわ」
 エリスはただ突っ立ったまま、それだけ言った。
「あの子を迎えに行くのは俺じゃない」
 レアンは苦笑いしているように見えた。
「どうなの……あなたは、あの子をどう思ってるの? ただの道具!?」
 語気も強く、シルフィスは詰問する。レアンは怒った様子はなかったが、かなり長いこと沈黙していた。
「……知人の子だな」
「え……」
 意外な答えに、シルフィスは少し戸惑ったが、まだ警戒は緩めない。
「じゃあ……あの子を学園に置いていくつもりなの? 連れて帰るつもりなの?」
「それは、ここに置いていくさ。あの子に帰る家はもうない。母親は死んだ」
「あなたは? あんなになつかれてるのに」
「俺と一緒にいて、こどものためになると本気で思ってるのか?」
 またレアンは、苦笑を見せる。なつかれていることに気づいてはいても、困惑が先に立っているのかもしれない。
「そんなこと思っちゃいないけど……なら、会って、あの子にそう言って。さよならってわかるように」
「……悪いが、会う気はない」
「……そう」
 シルフィスの声が怒気をはらむ。
「じゃあ、むりやり会わせるまでだわ!」
「……!」
 エリスが驚いて止めようとしたが、シルフィスの手からダーツが離れるほうが速かった。レアンは鮮やかにサーベルでそれを叩き落としたが……仕込まれていた仕掛けはその瞬間に発動した。
 閃光がレアンを包み、爆発音が響き渡る。
 だが間近にいながら、エリスやナギリエッタは体に衝撃は受けなかった。ただしばらく目が開かないだけだ。
「音と光だけよ……音も大したことないわ。でも目はしばらく見えないわよ」
「やってくれたな……」
 見えてはいないはずだ、レアンは苦しげに目を覆っていた。だが、それなのに足取りは確かに、後ろに下がる。
「……うそ」
 目を閉じていて被害を受けなかったシルフィスは、それを見て、驚愕する。
「視界は、彼にはもうあまり意味がないの」
 エリスがそれに答える。
「どういうこと?」
「見ているものが……多分、違うのよ」

 閃光と音は、確かに人の目を引き寄せた。リーヴァ、ロイド、ラシーネ、マリュウ、ルオー……そしてラジェッタ。他にもたくさん。
 レアンもこんな場所で囲まれる気にはなれなかったようで、今日はかなり真面目に逃亡したらしい。それでも四方から近づいて来る者のすべてを避けきることはできなかったが。
 それが幸いした者もいる。
 そう、フランだ。
 閃光……レアンに注意が引き寄せられている間に、セラスとフランは路地を抜けて銀色のリエラを追う者たちに近づいていた。今のフランには銀色のリエラの居場所がわかるのか、迷わずに最短距離を進んで行った。
 ひそかに、サウル、メイア、バティスタ、ノイマン、サワノバ、ミリーという討伐隊の半分が顔を揃えた、特殊能力を封じられた空間でのリエラの格闘戦という珍しいものを繰り広げていたところへだ。
 彼らは街中の路地は抜け、空き地と道と倉庫の続くエリアに入っている。そのままアリーナに追い込んで、終わると思っていた矢先のことであった。
 その接近に真っ先に気づいたのはアベルだった。道の向こうから、金髪の二人が近づいてくる。二人なことは少々解せなかったが、派手な閃光に迷わされずにここへ来ることが、フランに秘められた力の証拠だとアベルは考えていた。
 フランが来る。それはアベルにとっても期待していたことだったが……しかし乱戦の最中で、しかも能力を封じられる空間の中では、フランのためのお膳立てをすることはできない……自分のリエラを送り込んでも能力を打ち消す空間内では。
 まず、サウルが邪魔だ。内心で舌打ちして、アベルはサウルに呼びかけた。
「レディフランが来ておりますぞ!」
 だが、この一言はサウルに想像以上の影響を与えたようだった。
「なに……!?」
 視線だけをめぐらせ、サウルはその金髪を確認すると、迷わずに叫んだ。
「みな退け! 下がるんだ!」
 大声を出すサウルは、メイアも初めて見た。
「散るんだ、早く! 交信を第三段階に上げろ! 力場を! セイントゥノーでは防ぎきれない……!」
 キャンセラーであるサウルのリエラでは、防ぎきれない力が襲ってくる。その警告をまったく無視した者はいなかった。戦闘していた者たちも、とっさに散開し、交信状態を上げる。何が来るか……それがわかっていた者はいなかったが。
 戦闘から一時的に解放された銀色のリエラも、脅威が近づいていることだけはわかったのか、反撃に出ることなく迷わず逃亡した。程なくキャンセラーの空間から出るが、サウルにも追う余裕はない。
「アルディエル!」
 いつもはイルであるものは銀色に輝いて、交信は第三段階にあるように思えた。
 だが……攻撃は行われなかった。
「また消えたか。往生際の悪い」
 それよりも前に、銀色のリエラが消えたからだ。幸いにも、周囲の建物に八つ当たりしようとは思わなかったようで、攻撃直前だったエネルギーは異界へと四散したらしい。
 もしもずっと囲んでいた者が闘い続け、足止めを続けたなら、ここですべてが終わったかもしれなかったが……この場所には慰霊碑が必要になったかもしれない。
「大丈夫ですか? サウル様」
「ああ……いや、まあ、まだ大丈夫って言うには早いかもしれないけど」
 酷く疲れたように息をつくサウルを後ろから支えるようにして、メイアが訊ねる。サウルは気を取り直したように、ざっと髪を整え、フランに向かって淑女に取る礼をした。
「レディフラウニー、このような場所へのお出まし、如何なされましたか」
 どちらのフランにか……それは、どちらにも取れるように。だが答えを待たずにサウルは続ける。
「このような路上でのお話もなんですので、私が滞在しております屋敷においでになりませんか? 屋敷の主も光栄に思うことでしょう」
 怪しいほどにこやかに、サウルは手を差し伸べた。

「ラジェッタちゃん、おじちゃんだよ!」
 マリュウが指した先に、レアンの姿があった。エリスとシルフィスから近くに来たレイへ、次にラシーネへ、そしてラジェッタを抱いて走るルオーとマリュウへ。伝言は飛んで、そこまで彼らはたどり着いた。ラジェッタのためにレアンを探そうという者のネットワークが、たどり着かせたのだ。
 銀色のリエラのところへと、その出現を知らせてくれるウォルガには悪いけれど、ラジェッタの回りにいる者たちにはレアンのほうが優先だ。
「……おじちゃん!」
 ルオーの手から降りて、ラジェッタも走る。ルオーとマリュウはそれを追いかけた。レアンは走ってくるラジェッタに気づいて……だが足は止めなかった。
「おじちゃん、おこってる? ラジェッタずっとまってなかったからおこってる?」
「来るな、ラジェッタ」
「おじちゃん……」
 来るな、と言われたのがわかったのかラジェッタは止まる。
「おまえを迎えに行くのは、俺じゃない。俺とは、もうお別れだ」
「……いや! いっしょにいくの……」
「駄目だ、お別れだ」
「いっしょにいくのぉ……」
 泣き出したラジェッタを抱きしめて、マリュウはラジェッタの代わりにレアンを見る。
「どうしてもダメ……!? ねえ、連れてってあげてよ!」
「駄目だ……この学園が正しいとは言わないが、ここが一番フューリアにとって安全な場所だ。おまえたちも、知らないわけじゃないだろう」
「ほんでも……ラジェッタがあんたと行きたいって言ってるんや! 連れてったれや!」
 ルオーがレアンに掴みかかる。本当ならば、その身に触れさせるようなこともないだろうが、レアンはルオーが襟を取るのに任せたままでいた。
「おまえも、本当に連れて行くのが良いと思っているわけじゃないだろう」
「……俺も一緒に行くからええんや」
 ルオーの苦し紛れの反論に、ふっとレアンは笑う。
「ラジェッタ、ここにいればまた俺と会うこともあるだろう。おまえが強くなったとき……まだ俺と来たいのならば、来るがいい。だが、誰かに守られている間は駄目だ」
 自分一人でたどり着ける力、それが条件だと。
 泣きながら……ラジェッタはうなずく。
 そしてレアンは一つ、謎の言葉を言い残していった。
「ラジェッタ、呼ぶ相手を間違えるな。おまえの声が聞こえないから、やつは迷い続ける……」
 そのとき、レアンを求める他の者も路地に姿を見せた。捕まる気はないと、ルオーの手を払いのけ、レアンもそこから走り去る。
「行かせへん」
 ルオーはそのまま、レアンを追ってきたリーヴァとロイドの道を塞ぐ。
「退け……!」
「いやや」
 ラジェッタのために、今日だけはレアンの味方だと。
 マリュウはラジェッタを抱きしめたまま……
「……ラジェッタちゃん……一緒に強くなろうね」
 呟いた。


■隣り合わせの真理とお茶会■
「お茶会の警備……? いいわよ」
 ラジェッタの気が晴れるようにと、ランカークの開催するお茶会へラジェッタも参加させてもらえるようにしたのだと、“ぐうたら”ナギリエッタはエリスに説明した。色々なことが未解決の現状で心配なことも多いので、ナギリエッタはお茶会に警備として参加するという。そこで、エリスにも来てほしいとナギリエッタは頼んだのだった。
 屋上に続く階段でお昼を食べながら、その話をして……
「お茶会にはフランが来るし……あとぉ……エリスが最初に銀色のリエラに遭遇したときのこと」
 先に食べ終わったナギリエッタは立ち上がったが、エリスはビーフボウルをつついて黙っている。聞いていないのではないと、ナギリエッタは続けた。
「完全に事実ではない証言だったけどぉ……エリスはフランを庇っただけだから、全然悪くないと思うょ……」
 ナギリエッタはぎゅっとエリスを背後から抱きしめた。
「……ありがとう。でも、いいのよ」
「エリスぅ」
 そこで、ふと気がつく。
「そのビーフボウル、食堂のじゃなぃね」
「レイがくれたの。お茶会のメニューの試食用に作った物を、もらったんですって。ずいぶん前のこと、気にしてたみたいね……」
「そぅ……よかったねエリス」
 素直な気持ちで、ナギリエッタは微笑んだ。
「……お茶会のメニューにビーフボウルがあるっていうから手伝うんじゃない、わよ?」
「……エリス……」

「フラン様のお席はここでよろしくて?」
 劇や演奏をする舞台がしつらえてあるのは、ホールの右手側だった。“貧乏学生”エンゲルス……台詞がおかしいような気がするかもしれないがエンゲルスである……は、ホール中央に下りてくる二つの階段の舞台に近い方の影にいる。舞台は見えるが、ホールの半分以上からは階段の影になって見えない。
 今も特設舞台では、茶会で演奏を行う“静なる護り手”リュートと“闇の輝星”ジーク、“黒衣”エグザスの三人がリハーサルをしていた。
「ううむ、こんなところでは失礼にあたらんか!?」
「ですけど、今のフラン様はまわりに大勢いらっしゃると落ちつけないと思いますわ。できるなら、まったく他の方から見えないお席が良ろしいでしょうけれど、さすがにそれでは劇も見えませんもの」
 元々、そのためにサロンや広間ではなく、玄関に繋がるホールという変わった場所に舞台を設置して茶会をするのだ。奥の広間とは扉を開放して繋げて、立食のテーブルを置くことにはなっているが。
 結局茶会の準備を取り仕切っているのは、エンゲルスだ。
「いや……それはわかってるが……」
 むううとランカークは唸る。
「それにしても、その喋りかたはどうにかならんのか……正直、気持ちが悪いぞ」
 ランカークは話を変えて、エンゲルスの喋り方をただす。
「あ、あんまりですわ、ランカーク様……っ!!」
 だが、エンゲルスはよよよ……とその喋り方のまま泣き崩れた。エンゲルスがランカークに泣かされていることは多いが、今のは演技が入っているだろう……と信じたい。
「わたくし、劇の練習があまり取れませんもの……いつでも役作りしていなくては、準備が間に合いませんの……!」
 ちなみに、顔と服はそのままだ。
「わ、わかったわかった、好きにしろ。私はちょっと厨房を見に行ってくる」
 あたふたと逃げるようにランカークは厨房へと走っていった。
「ランカーク様……つれないお方」
 それを涙ながらにエンゲルスは見送ってから……
「すみません、俺も気持ち悪いです、ごめんなさい」
 改めて泣き崩れた。

「準備はいいか、もう明日だからな」
 気を取り直して、ランカークは調理と給仕、そして護衛のメンバーを並べて叱咤した。警備も一緒くたになっているのは、“蒼空の黔鎧”ソウマやカレンなどの室内の警備は給仕の格好をしているからだ。
「はいっ」
 勢い込んだ返事がある。どこか思いつめた顔の“白き風の”エルフリーデだ。ここに集まった者には多かったが……フランが落ち込んだ原因の一部が自分にあると思っているからだった。“光紡ぐ花”澄花も、ここにはいないが役者として入った“翔ける者”アトリーズもだ。もちろん、ランカークはそんなことは知らないが。
「よかろう、料理はどうだ」
「試食をどうぞ」
 “紅髪の”リンが深皿を差し出した。
「うむ……しかしやはり、ビーフボウルは茶会には向かないのではないか?」
「見世物などに時間がかかるので、小腹を満たす料理も必要かと」
「む……まあ、味は悪くないな」
 いいだろう、と偉そうに言って、ランカークはがつがつと半分食べた残りの皿をリンに返す。
「さあ、最後の準備を急げ!」
 そして、号令の手を上げ……

 翌日。
 それぞれ最後のリハーサルは続いていた。
「完璧だぜ……!」
 ハンドタオルをあごの下で結ぶように顔に巻き、チリトリを持って何かをすくい上げるように踊る“伊達男”ヴァニッシュ。
 それはわざわざ図書館で調べてきた、南方の踊りだ。
 リハーサルの間に準備のスタッフたちが見ては顔を逸らし、ふき出すのをこらえている。
 完璧だ、とヴァニッシュは思った。
 恥ずかしくなんてない。すべてはフランの笑顔のためなのだから。
 ヴァニッシュが終わり、最後の準備は、劇のリハーサルだ。
 もう“熱血策士”コタンクルと“深緑の泉”円は、フランを蒸気自動車で迎えに出発している。つい先日にも、外で会ったと言ってサウルが不意にフランを連れてきていて、茶会に来ることは確約されていた。
 そんなぎりぎりに、最後のリハーサルだ。
「なんで俺が……」
 舞台の袖で当日が来てもいまだにぼやいているのは“白衣の悪魔”カズヤで、それを宥めているのは“福音の姫巫女”神音だ。
「いいじゃん、今更〜ね、似合うよカズヤクン!」
 カズヤは神音が一緒に茶会に行こうと誘ったから来ることにしたのだが、了解したら劇に出ることになっていた次第だ。
「似合うさ。だけどそういう問題じゃねーんだよ」
 豪華絢爛のドレスを着たカズヤの役は、『継母と義姉に虐められていた少女がリエラの力で美しく変身して、出かけた舞踏会で皇子に見初められた』という伝統ある御伽噺の継母役である。ちなみに隣にいるアトリーズが意地悪な義姉役、神音は皇子役だ。そして主人公は、エンゲルスである。
「お義母様……」
「女装もごめんだが、なにより俺にこんな娘がいるなんて耐えられねえ!」
「ゴムタイな〜お義母様〜」
 げしっと入ったカズヤの蹴りに、あああ〜とエンゲルスは泣き崩れる。
「そりゃボクも、カズヤクンが相手のほうが良かったけど」
「こいつとホントに血が繋がってるとか、こいつに虐められるのはもっとヤダね」
 ということで、こういう配役なのであった。
 女性でありながらもエルフリーデの馬車馬のような働きで、既にテーブルや椅子の配置は終わっている。今回の茶会は純粋に客として招かれている者は少なく、テーブルも以前の茶会よりはずっと少ないからできたとも言えるが。また奥の広間の立食のテーブルは余興に出る者のためのものだ。
 ランカークとしては、関係のない割り込みのラジェッタなどは立食で十分と言っていたが、フランが気にするからと丸め込まれて、結局その席だけは用意され……
 ホールには、舞台よりに椅子のある重要ゲストとホストのランカークのためのテーブルが三つ。一番はじで階段の影にかかっているのがフランの席だ。その後ろには余興の出演者たちのための椅子だけが並んでいた。
 茶会の時刻が近づくと、舞台の上から役者が消えて、BGMの演奏のためにジークが舞台に登った。彼を知る者は容姿はともかく中身は無骨な戦士のように思っていることが多いので、華麗にピアノを弾く姿は意外に映るかもしれない。なにしろ、ピアノもジーク自身の持込品だ。
 そうして……外に蒸気自動車の止まる音がした。フランと、フランの付き添いということでエイムを乗せてきた蒸気自動車だ。
「ええと……フランさんが到着しましたです」
 頭に木箱を載せた円がおどおどと先導しながら、中に入ってくる。その後ろから、円に負けず劣らずおどおどとイルを肩に乗せたフランが入ってきて、ランカークが出迎える。そして、控えの間もないままに奥の席へと案内された。
 エイムも同じテーブルの、手前側に座る。
「待って待ってですー」
 と、そこで駆け込んできたのはルカだ。
 蒸気自動車に乗ってきたのではなく、別にやってきたのである。ランカークには嫌な顔をされたが、ルカはまったく気にしないでフランと同じテーブルについた。
 お茶を淹れて、澄花がテーブルに置きに行く。フランの前にカップを置くとき、
「こんなことしかできなくてごめんね……前に断られちゃったけど、それでも私にできることがあれば、いつでも協力するね」
 と囁いていく。
 しかしフランは、気まずそうに俯いただけだった。
 これで人間不信が少しでも和らげばと思っていたが、そう簡単にはいかないかと、舞台に上がりかけていたエグザスは内心でため息をつく。
 舞台の手前で進路を変え、フランのテーブルの前に立った。
「あなたのために弾きましょう。気に入っていただけると良いが」
 フランの少しだけほっとした顔を確認してから、エグザスは舞台に登った。
 そこで、ラジェッタを連れたシルフィス、セラ、シェラザードが到着した。ラジェッタを舞台正面のテーブルへとつかせ、セラとシルフィスが保護者としてちゃっかり椅子を引く。シェラザードは一人下がって、後ろから様子を見ることになっていた。
 シルフィスが見上げれば、ちょうど前にヴァイオリンを弾くエグザスの姿が。
 そこでふと、シルフィスは昔はその隣で踊っていたことを思い出したが……
 かしゃん。
 そんなカップとソーサーの鳴る音で、意識を引き戻される。
 振り返ると……何かに魅入られたかのように、ラジェッタとエイムが見つめあっていた。


「それじゃ、研究所のエイムはんがそうっぽいんやね」
 ラックはマイヤが調べてきた話を聞いて、腕組みした。自分でも聞き込んだが、マイヤと違う話は仕入れられなかった。
「君の言った時期と、前線から帰ってきたというのでぴったり合うのはそうですね」
「前線で、結婚してたんやろか?」
「彼は、軍籍のあった時期の記録がありません。通常、記録が残らないということはないのですが……諜報関係だと、記録が消されることがあります。そちらの任務についていた可能性はありますね。彼は、学生時代は非常に優秀な生徒だったようですし……レアンと並ぶくらい」
「へぇー」
「諜報部員として長期にわたって他国に生活する場合、そこで家庭を持つことはあるらしいです。彼は四年かそこらで戻ってきていますが、病気で予定が変わったのでしょうね……何も知らせていなかった妻子は置いて帰ってきた……とすれば、理屈は通ります。ただ」
 ただ? とラックは首を傾げる。
「彼のリエラは金属系ですが、人型ではありません。これは学園の記録に残ってましたから、間違いありません」
「へ?」
「つまり……彼ではないのか。それとも、ただ暴走しているのとは違うのか」
「そらどういうことや?」
「僕にも、詳しくはわかりませんが……」


「フランちゃん……!」
 闖入者は、エグザスと入れ替わりにヴァニッシュが特設舞台に上がろうとしたときに現れた。
 マーティの記憶が正確にどれだけ失われたのか、他の者にはすべてはわからないし、本人にも……忘れてしまっているのだから……わからない。だが、その中には同じグループの仲間の顔や名前、故郷や家族の記憶までも含まれていた。それでもフランのことと、彼女を救いたい気持ちを忘れなかったのは執念だろうか。
「あたし見つけたわ」
 何度もろくに休みもせずにリエラを召還し、力を使い続けたからか、マーティの足元はおぼつかない。それでも、よろよろとフランに近づこうとする。
「だ、誰かこいつをつまみ出せ!」
 ランカークの声に、ビーフボウルの皿を抱えたソウマとカレンが走り出す。
「フランちゃん……! 銀色のリエラはそこにいるわ」
 カレンとソウマに両脇を取られながらも、マーティは喋り続ける。
「今、貴女の隣にいるわ。あなた……貴方よ。あたし見たわ。貴方と水銀みたいなリエラが融合するところ」
 ホールがざわめく。
「それで、銀色のリエラになった。他は転移して、現れるばかりだったけど……でも、あの夜はそうだったでしょう!? あのエリスちゃんと会った夜は」
 カレンはマーティの腕を引いて、外へと向かうが……ソウマはそこで手を離した。
 そして名指しされたエイムに近づく。彼の中の正義が、マーティの言葉を信じたのかもしれない。
「おまえか?」
 エイムは青褪めた顔で頭を抱えていた。
「私……私は……!」
 そして、滲み出すように周囲に銀色の水が浮かぶ。それがエイムの本来のリエラの形だ。
 それが……
 滲むように溶けて。
 エイムの姿は透けていく。
 代わりに同じ場所に、銀色の、流線型の、人型の……
 リエラが現れる。
 ソウマは即座に交信を上げた。
「……客を逃がせ!」
 一斉に椅子から立ち上がる音が、ホールに響き渡る。
 フランもまた立ち上がり……後ろによろめいた。エグザスが降りていた舞台の端から走りより、フランを支える。フランは意識はあるものの、ひどくぐったりした様子だった。
「頼むぜシュバルツ!」
 無理してでも今でなくてはとソウマは一気に交信を引き上げ、舞台からはジークが飛び降りてきてこちらも交信を上げる。
「今度は逃がさん!」
 ここはランカークの屋敷。討伐隊の本拠地でもある。反対の席にはサウルもいる。
 逃げられる条件ではなかった。
 そんな中で銀色のリエラはゆらりと立ち上がり、そして、下を見下ろす。
 すぐ隣の、ラジェッタがいた場所を。
 シェラザードが駆け寄って、その小さな体を抱きかかえて離れようとしたとき……
「ぱぱ?」
 ラジェッタは銀色のリエラに手を伸ばした。
「ぱぱ?」
 ただ、そう繰り返す。
 父親の顔など、覚えてはいないのに。だがわかったのだろう……それは、魂が繋がったからだ。
「……ラジェッタ」
 銀色のリエラが生の声を発したのは、これが初めてのことだ。
「私を……赦してくれるのか……?」
 いや、その姿は明らかに変わり始めていた。
「私を、呼んでくれるのか……?」
 銀色のリエラから……銀髪と銀の瞳、銀の爪をした男性の姿へと。それは髪と瞳と爪の色が違うだけの、エイムの姿へ……
 誰もが息を呑み、囁き、それを見つめていた。
「ようやく終わったか……世話の焼ける」
 その囁きの中にあった一つ。
「レディフラン?」
 だが、その囁きは、間近にいた者に辛うじて聞こえただけのものだった。
 そして、銀色のエイムは、自分の抜けるように白い手を見つめて呟いた。
「ああ……そうか私は……もう人ではなくなったのか……」
「ぱぱ……?」
 それがレヴァンティアース帝国で公式に初めて記録された、自存型リエラの誕生の瞬間だった。

■真実の罪■
 銀色のリエラは街に現れなくなった。それに伴って、街を彷徨うフランの姿も見られることはなくなった。
 銀色のリエラの事実が知られ、そこにフランが直接関わっていなかったことがわかり、フランに関わる噂は沈静化に向かっている。
 フランも……自分のために大きな犠牲を払った者の気持ちに触れて、少しずつだが心を開いているようだった。
 再び談話室で、その姿を見かける日も遠くはないだろう……

 ラジェッタは女子寮に正式に部屋を貰い、学園の初等部に通っている。
 彼女がいつも連れている自存型リエラが、元々フューリアであったことを知る者は多い。そしてその中には、彼女の実の父であるらしいと知る者もいる。
 それは、若きフューリアたちに衝撃と困惑と苦悩を与え……
 真理に近づく道の一つを示した。

参加者

“福音の姫巫女”神音 “飄然たる”ロイド
“天津風”リーヴァ “蒼盾”エドウィン
“怠惰な隠士”ジェダイト “せせらぐ流水”水華
“白衣の悪魔”カズヤ “探求者”ミリー
ライラック “光炎の使い手”ノイマン
“翔ける者”アトリーズ “静なる護り手”リュート
“笑う道化”ラック “風曲の紡ぎ手”セラ
“双面姫”サラ “光紡ぐ花”澄花
“ぐうたら”ナギリエッタ “闇司祭”アベル
“紫紺の騎士”エグザス “風天の”サックマン
“銀の飛跡”シルフィス “桜花剣士”ファローゼ
“黒き疾風の”ウォルガ “暴走暴発”レイ
“自称天才”ルビィ “待宵姫”シェラザード
“鍛冶職人”サワノバ “伊達男”ヴァニッシュ
“幼き魔女”アナスタシア “六翼の”セラス
“闇の輝星”ジーク “銀晶”ランド
“深緑の泉”円 “冥き腕の”バティスタ
“踊る影絵”ジャック “餽餓者”クロウ
“闘う執事”セバスチャン 空羅 索
“熱血策士”コタンクル “海星の娘”カイゼル
“抗う者”アルスキール “陽気な隠者”ラザルス
“堕天の翼”雪奈 “路地裏の狼”マリュウ
“蒼空の黔鎧”ソウマ “紅髪の”リン
“土くれ職人”巍恩 “竜使い”アーフィ
“炎華の奏者”グリンダ “宵闇に潜む者”紫苑
“拙き風使い”風見来生 “緑の涼風”シーナ
“爆裂忍者”忍火丸 “宵闇の黒蝶”メイア
“貧乏学生”エンゲルス “七彩の奏咒”ルカ
“のんびりや”キーウィ “白き風の”エルフリーデ
“深藍の冬凪”柊 細雪 ラシーネ
“旋律の”プラチナム “轟轟たる爆轟”ルオー
“影使い”ティル “憂鬱な策士”フィリップ
“泡沫の夢”マーティ “不完全な心”クレイ
“鼠の召使い”シモン