忘れられた彷徨い人【1】
 汽笛をあげて汽車はプラットホームに滑り込んできた。このアルメイスを訪れる多くの者は、この駅をこの街の玄関とする。
 悲鳴のようなブレーキの音が止み、黒光りする汽車は動きを止めた。その後ろに繋がった客車の扉の一つから、青黒いコートに身を包み、黒い襟巻きで口元近くまでを隠した男が降り立った。髪と目はやはり黒っぽい色の帽子の影に隠れていたが、銀色の髪が帽子の下からわずかに覗いている。
 男は、小さな手を引いていた。
 男に手を引かれ列車を降りた栗色の髪をした幼い少女は、毛糸の帽子の乗った頭をくるくると動かして、ものめずらしそうにあたりを見回していた。
「おいで」
 男はその手を引いたまま歩き出す。少女は言われるがまま、引かれるがままに歩いていった。


「また出たんだって」
「修練場? 微風通り?」
「今度はアリーナの近くだって」
 前々から噂は流れていた。
 銀色のリエラ。その肌は金属のような光沢を持ちながら、その動きはあくまで滑らかな、人の形をしたモノ。だが、誰が見てもそれはエリアでもフューリアでもない。
 人にあらざるもの……リエラだ。
 主を失い、暴走したリエラが、このアルメイスのどこかに潜んでいるという噂は、ずっと囁かれていた。だが、どこまでも噂だった。
 誰も、そのリエラの主だった者を知らない。失われたということは死んだということなのだろうが、誰もその死んだはずの生徒の名を知らない。
 暴走した銀色のリエラは、主を失ってなお、具現化を続けている。
 それは自存型だということなのだろうか。
 暴走した銀色のリエラは、逃亡し、跡形もなく姿を消すという。
 自存型ならば、まず姿を消したりはしない。
 それは、どこまでも噂だった。どこかが矛盾した噂。
 だが多くの者が、その噂は真実だと信じていた。
 なぜなら、銀色のリエラとの遭遇を自ら体験した者も多かったからだ……


「レディフラン、御足労いただきましてありがとうございます」
 双樹会会長マイヤは、丁寧にフランに対して礼を取った。
 いいえ、とフランは首を振る。その肩口で、イルズマリは羽ばたいた。少しいらついているようにも見えた。
 待ち合わせた場所、図書館の前から二人は歩き出した。二人が向かったのは、比較的アリーナに近い裏通りだった。計画都市であるアルメイスでも昼間にも人通りの少ない薄暗い裏通りはある。
 ただ、普段なんだかんだとアルメイス全体の運営に関わるマイヤはともかく、筋金入りのお嬢様であるフランがこのような裏通りで目撃されることはめったにない。
「こちらです」
「……これは」
 指し示された一角に視線をやり、フランは両の手で口元を覆う。息を呑む音を抑えるかのように。
「昨夜、『銀色のリエラ』が出たという現場です。目撃者はエリス嬢」
 角の近くまで来ないとわからなかったが、本来『角』であった場所は数アース向こうだったようだ。そこから手前が、綺麗さっぱり崩れている。
 何人かの生徒が駆り出されているのか、瓦礫を片付けていた。かなり運び出された後のようだ。
「エリスさんは」
「エリス君は無傷です。しかし身を守るためとは言え街中でリエラを出して派手に破壊しましたので、彼女には今日一日寮で謹慎していただいてますが」
 彼女がリエラを出して、この程度で済んだのなら、被害はほとんど出なかったと言ってもいいところですが……と、マイヤは聞かれるともなしにつぶやいている。
 実際に、エリスがリエラのアルムを出したのは、ほんの一瞬のことであったようだ。つい先日にも濡れ衣とは言え処分の対象になり損ねたエリスは、多少思うところもあったのか今回は彼女なりに事情聴取に協力的であるよう努力したらしい。
「壊れた建物に人は」
「倉庫でしたので誰もいませんでした。エリス君の謹慎が一日で済んだのも、そのためです。不幸中の幸いですね」
 崩れた倉庫の瓦礫を眺めやり、マイヤはフランの問いに答える。フランもその瓦礫を見つめ、しばらく迷った後、思い切ったように切り出した。
「それで、私に」
「失礼しました。本題に入りましょう」
 マイヤはフランに向き直り、うなずいた。
「銀色のリエラの噂はお聞きになったことがありますね?」
「はい」
「最近、銀色のリエラの目撃者が増加し、被害も広がってきています。なにかしら、対策を立てなくてはならないのですが」
 自存型のはぐれリエラであるのならば、リエラを本来の世界へと返す『高天の儀』で帰ってもらうのが一番良い。だが本当に暴走しているとなれば、それも難しい。また、そもそも『高天の儀』の助けとなる皆既日食は近々に起こる予定はない。
「その対策に……」
「はい、レディフランとイルズマリ殿に、御協力いただきたいのです。このたびの暴走リエラは自存型の疑いが濃いのですが、実体化をやめて姿を消すような証言もあります。完全に暴走しているのであれば、討伐するしかありませんが……」
 そこでマイヤはフッとため息のように息を吐く。
「可能ならば、討伐は避けたいのです。自存型のはぐれリエラの場合、一度討伐しても復活して再度暴れだす例もありますので。いたちごっこになってしまうのは避けたい」
「でも……高天の儀は」
「ええ、難しいですね。しかしどちらにしろ、このままにしておくわけにはまいりません。捕獲作戦は有志学生を募って既に開始しております。ですが、今回の件はわからないことが多い……自存型の更なる研究を含めて、お二方に御協力いただきたいのです」
 他の自存型リエラとそのパートナーにも協力は求めるが……と、いつもの微笑みを浮かべてマイヤは告げる。フランが否とは言わないことを知っているかのように、自信に満ちた声音で。
「はい……私たちにできることでしたら」
 フランの声は小さかったが、澱みなく答えた。
「ありがとうございます、レディ。……ときに」
 マイヤは再び礼をし、そして続ける。
「昨夜は、こんなところで何をなさっていらっしゃったのですか?」
 なんでもないことのように。
「……え?」
 だが、思いもかけぬ言葉に、フランは凍りつく。
「エリス君は、ここでレディフランの姿を見、それゆえここから先に逃げることを諦めたのだそうです。逃げ場を失って、やむにやまれずアルムを呼んだのですよ」
 それでもマイヤは、淡々と続ける。
「……私……?」
 呆然とするフランを、まっすぐに見つめながら。


「出たぞー!」
 銀色のリエラの出現は昼夜を問わない。
「アリーナへ追い詰めて!」
「建物は壊すなよー!」
 その日は、夕刻のことだった。陽の暮れかけはじめた黄昏時。
 双樹会で集めた有志の学生たちが銀色のリエラを追っていた。街に被害を出さないよう結界のあるアリーナに追い込むという作戦であったが、しかしリエラを出しては動き辛い学生もいて、なかなかに難しいようだ。
「誰か先回りしろ!」
「他の学生を避難させておいて!」
「わかったぁ!」
 声に答えて、赤毛の少女が走り出した。片手は、黒髪の少女の手を引きながら。
 そして二人は、アリーナでもう一人の黒髪の少女と出会った。
「あ! エリス! もういいのぉ?」
 捕獲作戦に参加したクレアは、昨夜の事件も聞いていたし、それでエリスが今日は謹慎処分をくらったという話も聞いていた。だから、陽が暮れたとは言え、出てきてもいいのかと素直に訊ねる。
「訓練は日課だから……」
 わずかにばつ悪そうにエリスは口ごもる。許可を得ずに出てきたらしいということはクレアにもわかったようだが、追求はしないでうなずいた。
「ああ、一日休むと調子悪くなっちゃうもんね! でも、もうちょっと待ってくれる? ちょっと今、捕り物中なんだ!」
「捕り物?」
 エリスが怪訝そうな顔を見せたので、クレアはにゃは〜っと楽天的な笑みを浮かべて解説した。
「銀色のリエラだよ! あれを、こっちに向かってみんなで追ってるの。ここに現れたら、取り囲んで捕まえるんだよ」
「そうなの」
 と、まだどこかはわからないその捕り物の様子を窺うようにエリスは周囲を見た。陽が沈み、あたりの色が暗く濃くなっていく。
 そんなとき……突然、こどもの泣き声が聞こえた。
「なに? あ、いけない! 他の人にも避難してもらわないといけないんだったぁ!」
「あっち、ですね……」
 ルーが、微かな声で泣き声のする方角を示す。行ってみよう、とクレアに促されて三人とも、その泣き声の聞こえるほうへと向かった。すると泣いている7つ8つかという少女の前に、女生徒が一人しゃがんでいる。少女に話しかけ、話を聞こうとしているようだが、上手くいっていないようだった。
「カレン? どーしたの、その子ぉ」
 クレアが真っ先に走り寄る。
「あ、クレア。この子、迷子みたいなんだけど……よくわからないの。泣いてるせいか、話が要領を得なくて」
 カレンが訓練を終えて修練場から帰ろうとしたとき、少女は道の端に座り込んでいたのだそうだ。時間も時間なので、声をかけてみた……すると、
「お迎えなの? って聞かれたから、違うって答えたら……こう」
 そこからはなにかが切れてしまったかのように泣き出して、話にならなくなってしまった……ということだった。
「カレン、ここ、これから危ないんだよ」
「危ない?」
 とにかく、クレアはカレンに急いで捕り物の話をした。泣いている少女に説明しても、そんなことはわからないだろうとは思えたので。
「じゃあ、この子は避難させた方がいいわね。……でも、お迎えが来るのよね。誰かここに残らないと」
 カレンは考え込んだが……それにはエリスが、すぐに答えた。
「私が残るわ。この子を、寮に連れていって」
 私なら、多少のことは大丈夫だと。仮にエリスと仲の良くない者であっても、エリスの実力を疑う者は少ない。
 エリスがそういうのならと、カレンは再び少女の前にしゃがみこんだ。
「ここは危ないから、私と一緒に行こう」
 だが、少女はいやいやと首を振る。
「おじちゃんがくるの、まつの」
「おじちゃん? お迎えが来たら、こっちのお姉さんが連れてきてくれるから」
 今は一緒に、暖かいところに行こうとカレンは少女の手を引いた。泣きじゃくりながらも、少女は歩き出す。
「あたしたち、捕り物のほう見てくるね! ちょっと遅いし」
 エリスを一人修練場の入口に残して、クレアとルーも走っていった。

 そして……夜半近くまでそこで待っていたエリスの前に、少女の迎えは現れなかったという。
 迷子の少女は、それからずっと寮にいる。保護者が見つかるまでという約束で、女子寮の一室に寝泊りをしていた。交代で、手隙な者がなにくれと面倒を見ている。
 保護者がいるならば保護者を……あるいは捨て子と決まれば引き取り手を捜さなくてはならないのだが、少女の話は要領を得ない。保護されてから数日が経っても、ラジェッタという少女自身の名と、『おじちゃん』と一緒にアルメイスに来たということ程度しかわかっていなかった。
 そして『おじちゃん』の行方は、知れなかった。


「逃げられたようですね」
 時は、カレンが少女をアリーナから連れ出した頃。アリーナに追い詰めるよりも前に銀色のリエラを見失い、捕獲作戦は頓挫していた。マイヤは報告を受け、有志のメンバーたちに集合をかけたところだった。
「もう少し、参加者を募りましょうか」
 人手が多ければいいというわけではないが、多ければできないことが減る可能性はある。そんなことを考え込んでいたマイヤに、そのときメンバーの一人が走りよって何事かを耳打ちした。
「わかりました。行きましょう」
 マイヤは即答した。そこから、そう離れていない路地に向かう。
 そして、そこには。
「レディフラン、こんなところで何をなさっているのでしょう?」
 やはり丁寧に礼を取り、マイヤはその路地にたたずんでいたフランに訊ねた。珍しく少しだけ、マイヤは苦笑しているようにも見えた。
「あの」
 一方で、フランは青ざめている。そして、つぶやくように言った。
「私、どうしてこんなところにいるのでしょう……」
 フランの肩にはイルがいて、そのフランが本物であることを物語っている。イルは、ただ黙ってフランの肩にとまっていた。


「どこに行っていた!?」
「申し訳ありません」
 ランカークはおかんむりだった。従者が出かけていて、彼が呼んだときに来なかったからだ。
「聞いたか!? レディフランにあらぬ疑いがかかっているらしいのだ!」
「あらぬ疑い、ですか」
 なんでも、銀色のリエラと何か関係があるらしいということだと、ランカークは唾を飛ばす。現場には何人も学生たちがいたので、噂が流れるのは防げなかったようだ。
「レディフランはさぞ傷心のことだろう。私が、その疑いを晴らさねば!」
「はあ」
「それで、私も銀色のリエラの捕獲部隊を編成する」
「…………」
「隊員を募集するので、ポスターを貼ってくるんだ」
「あの、双樹会のほうで、捕獲作戦が行われていますが」
 だめもとで、従者は言ってみた。いや、大体無駄なことはわかっているのだが。
「こちらはレディフランの名誉のために捕獲するのだ!」
 目的が違うのだと、ランカークは言い張る。だから、双樹会の捕獲部隊には先を越されてはならん! と。
「へえ……僕も参加しようかな」
 従者がため息を噛み殺しながらポスターに手をかけたところで、開いていた扉のほうから声がかかった。声の主は、先日からこの屋敷に居候を決め込んでいるサウルだ。
「ええっ、サ、サウル様が!? そ、そそ、そのようなこと」
「レディフラウニーなら、知っているよ。エルメェス家の令嬢だろう」
 にこやかにサウルは部屋に入ってきた。
「レディの力になるのは、紳士の務めだ」
 はっ、と緊張しながらランカークは答える。
「その通りであります!」
 そこで、この話は、本当に後には引けなくなった。
 そして二つ目の『銀色のリエラ捕獲部隊』の募集が、かけられることとなったのである。

 彷徨い人はどこから来て、どこへ行くのか。
 ここはその旅の始まりの地か、終わりの地か、あるいは通過点に過ぎないのか。
 忘れられた彷徨い人の旅は、いつ終わるのか……

■それぞれの選択■
 学園を二分する……というとおおげさだが、銀色リエラ捕獲部隊は双樹会マイヤの率いる正規のものと、ランカークが私設で作ったものとの二つが存在していた。
「ふむ」
 当然ながら双樹会の許可を得ていないポスターは、寮の伝言板やカフェの店頭などの、人目には触れるが双樹会の管理の及びにくいところを狙って貼られていた。姑息といえば姑息だが、上手いことやっているといえなくもない。
 なので人数的には双樹会の捕獲計画に参加している者のほうが多かったが、ランカークに協力しようという者が見劣りするほど少なかったわけでもなかった。
「フランを疑惑から守るために隊員を募集か……ランカークを誤解していたかもしれないな」
 今、ポスターを見上げる“伊達男”ヴァニッシュのように、その意図に賛同する者も多かったからだ。
 いや、ランカークの下心は丸見えであるのだが、同じくフランとよりお近づきになりたい下心のある男子生徒には、垣根の低さがあったのかもしれない。
 それはヴァニッシュもだ。
 いや、もちろん女子の参加者もいるわけで、それだけというわけではなかったが。
 同じように“闇の輝星”ジークも、ポスターを眺めてランカークの捕獲部隊に参加した一人だった。ジークは下心ではなく、募集に何か裏があるのではとかんぐったのだが……ランカークのところに行く前に一緒に参加をとカレンを誘いに行っているところは、ただの年頃の男の子であるのかもしれない。
 幸いというべきかカレンはずいぶん考えこんでいたが、結局断られることなく、二人で捕獲部隊に名を連ねることができた。

 二つある捕獲部隊の問題はといえば、結局二つの捕獲部隊の計画は『ほとんど同じ』であったということだろうか。これは双方にとって不利なことも有利なこともあったが、同じような場所で動く以上、そのままではぶつかりあうことは避けられない。
 そんな状況であるからして、当然どちらにも、お互いのために協力しあうべきだと考える者はいたわけだが……そうなると、この壁はランカークその人である。
 ランカークがマイヤに素直に協力しようなんて考えるならば、最初から自分で私設部隊を立ち上げようなんてことも思わないだろう。
「確かに協力したほうが、いいこともあるだろうね」
 “貧乏学生”エンゲルスは、直接自分からいってもランカークがその提案を呑むわけがないことは知っていた。だから、まずはサウルに話を持っていく。サウルからいってもらえれば、ランカークは応じるだろうと思ったからだ。
 サウルはいつものように笑みを絶やすことなく、エンゲルスに応じてくれた。
「ええ、ですからそれをランカークさんに」
「いってみたらどうだい?」
「……ええと」
 サウルはにこにこと笑みは崩さなかった。また、エンゲルスのいう意味を理解できないわけでもないだろうと思える。しかし、エンゲルスの願いには答えてくれないようだ。
「捕獲後には専門的調査をしなくちゃいけませんし、フランさんは銀色のリエラの影響を受けているのかもしれません。早く解決しなくてはならないと思うんです、だから」
「うん、だから、君がそう思うのならいってみるといい。レディフランのためだと思えば、彼も応じるかもしれない」
「あの……サウルさんから、いってはいただけませんか」
「僕が? どうして?」
「…………」
 そのいいかたは大仰ではなく、ごく自然だ。ティーカップを手に、あくまで優雅だった。
 理由はともかく、これはダメそうだということだけはエンゲルスにもわかった。そしてサウルを動かせなかったら、ランカークを動かせる見込みは薄い。
 ハァ、と落胆を隠すこともできずにエンゲルスは部屋を出て行く。ダメならダメで、やはり捕獲作戦の準備はしなくてはならない。
 その後ろ姿を見送って……
「存外、意地がお悪いんですね」
 サウルの横にいた“宵闇の黒蝶”メイアはいった。
「そんなことはないと思うけどなあ。僕は権力を振りかざすのって好きじゃないんだよ」
 サウルは心外なことをいわれたかのように答える。
「そうなんですか?」
 さらに意外だといいたげな目でメイアが応じると、サウルは今度は大げさに絶望したように片手で顔を覆って見せた。
「ああ僕は今、傷ついたな。権力になんて、本当に人を従わせる力はないんだよ。しょせん人は、自分の望むようにしか動かないんだから」
 芝居がかった発言に真意を測りかねて、メイアは黙ってそれを聞いていた。
「真面目な話をするとね」
 やりすぎを悟ったのか、サウルは肩をすくめて居住まいを正す。
「命じられて動くと、責任感が薄くなる。命じられたことだから仕方ない、ってね。まあ、それが必要になるときも、利用するべきときもあるのは認めるよ。ただ、好きか嫌いかでいうなら、好きじゃないなぁ。不本意な気持ちを押し隠していたり、自分に責任はないと思ったりしてるとね」
 ふっと普段とは少し趣きの違った笑みを浮かべ、サウルは続ける。
「人は裏切りやすいから」
「そうなんですか」
 だがメイアが答えた次の瞬間にはもう、サウルはいつもの笑顔に戻っていた。
「できるだけ自分で選択してほしいのさ。それは悪いことじゃないだろう?」
 いまだサウルの身分はおおやけにはされていないのだが、ランカークは知っている。だから、二人のやり取りを見られる位置にいれば、薄々それは感じ取れる。その身分でこの考えかたは、正統なのか異端なのか……といえば、若干異端であるかもしれない。
 個人の意志を尊重する。それ自体に問題はない。だがその意味する「自由」は、ときに「管理」や「規律」という言葉と対立する。今がそうであるように。
 そして、サウルの生まれは他人の自由を重んじる立場なのかといえば……
「ランカーク卿は、今回のことは自ら選んだんだ。僕はそれに口出しするつもりはないよ。もっとも、それが不都合だと思う人の邪魔をするつもりもないが。しかし、そちらに力を貸すつもりにもならないな」
 それはまるで傍観者の言葉だ。
 だが実際にはサウルは、ランカークの捕獲部隊に同行して、その作業に参加しようといってもいる。それは、ランカークが誘ったわけでもないという。
 ここまで来て理由なく……と思うことは、難しかった。
「では、サウル様の選択は?」
「僕? 僕はね、レディの力になりたいのさ」


 その後、双樹会側の捕獲部隊に名を連ねる“天津風”リーヴァと“清らの雫”フレディアスがランカークの元を訪れ、ランカークの私設部隊に双樹会への協力を求めた。だが、当然ながらランカークはそれを拒んでいる。
 最後には
「双樹会に協力しないと、各種許可は出ないかもしれませんよ」
 とリーヴァが脅しめいたことまでいったが、ランカークは揺るがなかった。……そのときには既に、頭に血が上っていたということも、あるかもしれないが。
「許可など必要ないわ! 我々は独自にやらせてもらう!」
 と強気にいい放った理由の中には、やはりサウルの存在はあるだろう。
 ともあれ交渉は決裂した。
 そして、二つの捕獲作戦は動き始めたのである。


■迷子の願い■
 アリーナで保護された少女、ラジェッタはけして活発なこどもではないようだった。見知らぬ場所で緊張しているということも、あるかもしれなかったが。ずいぶんとおとなしく、口数は少なかった。いくらか話したその喋りかたはたどたどしく、見た目の歳よりもかなり幼い感じがした。
 だが、まったく笑わない子でもなかった。最初の夜には泣き明かしていたが、一晩明けて落ち着くと、食事を持ってきたエリスに
「ありがと」
 と、笑顔を見せて、わずかだが食事もとっている。食が細いのは元々なのか、『おじちゃん』とはぐれた心細さからかはわからない。
 だが食べ物に強い執着のないところや、些細なことに礼をいえるところからは、飢えながら育った子ではないだろうということが察することができた。日々多少なりと食事が供される家庭で育ったであろうことが。
 しかし、ラジェッタは父親のことも母親のことも口にしない。ラジェッタをアルメイスに連れてきたのは『おじちゃん』で、そして今もラジェッタは『おじちゃん』が迎えに来るのを待っている。
 放っておけば、ラジェッタは寮の部屋で黙って窓の外を眺めていた。昼も、夜も。外に迎えの姿が見えるのを、ひたすらに待っているかのように。
 そんなラジェッタの行き先が決まるまでの間の世話は、女子寮で有志を募って交代で行うことになったのだが、面倒見のよい女子生徒は多かったようだ。保護者とはぐれた迷子という境遇が同情を呼んだのか、母性本能の強い者が多かったのか、希望者は多く、人手に不自由は起こらないようだ。
 中には母性愛が高じてか、ずっと面倒を見ていたいという者もいたが、望む者が好き勝手に相手をするのには“風曲の紡ぎ手”セラや“硝子の心”サリーなどが反対した。
 ラジェッタが寮に連れてこられた翌々日には、セラが世話役に立候補した女子を集めて交代の順番を決めようとしたが、三々五々話を聞きつけて集まってきた女子生徒たちが増えてまとまらない。
 そのままでは当番を決めてもいつの間にかラジェッタの部屋に人が増えてしまいそうだったので、ひとまず人畜無害そうな“拙き風使い”風見来生と第一発見者の一人であるエリスにラジェッタを任せて、サリーとセラでまず部屋の前に張り込んだところ……次から次へと手に手にお菓子やぬいぐるみを持った女子がやってくる。
 ひとまず二人はその行く手を阻んで、隣室に引っ張りこんで待機させた。
「どうして会わせてくれないのさ」
 “宵闇に潜む者”紫苑と連れ立ってきた“路地裏の狼”マリュウはそれに戸惑って、そう訴えたが、理由はほどなく察することができた。マリュウたちが来る前にもすでに“安全信号”紅楼・夢や“時刻む光翼”ショコラなどが部屋に連れ込まれていたのだが、その後にもどんどんと人は増えていったのだ。確かにこの人数が押しかけていたら、部屋は人であふれていたに違いない。
 “求むるは真実”ラシーネも不本意に行く手を阻まれた一人だったが、人数が多すぎれば少女がおびえるだろうことはラシーネにもわかっていたので、分担のために足止めを受けることはやむをえないと納得するしかなかった。
 部屋の人数が十人に達しようかという段になって、ようやくセラとサリーは諦めることにしたらしい。少女の部屋の隣の空き部屋は、普通の部屋だ。十人も入るといっぱいいっぱいである。
 部屋の中にいるエリスと来生に、面倒をみたいという者が来たら隣の部屋に入るようにと頼んで、セラとサリーは一同を待たせていた隣室に入った。まずはセラがトラブルにならないよう、ラジェッタの世話はきちんと分担を決めなくてはならないと告げる。好き勝手がいいという者はいなかったので、それは了承されたようだった。
「見知らぬ場所で、たくさんの見知らぬ人に囲まれるのって怖いんだよ。だから、あんまりお世話する人は多くないほうがいいと思うの。少ない人数で、まず慣れてもらったほうがいいよ。だから」
 だが、次にサリーがいったことには困惑する者もいた。それは、今ここにいる者にも遠慮してもらうかもしれないという提案だったからだ。自分がそういう経験をしたから、ラジェッタには怖い思いや混乱をさせたくないというところからで、サリーとて意味もなくそういっているわけではない。……自分から真っ先にラジェッタの世話を諦めるなら、これもやむをえない提案だ。
 ただ、自分は世話をしたいといったら、わがままだが。
「待って。わたしはあの子の『おじちゃん』を見つけたいだけよ」
 “待宵姫”シェラザードが、自分はラジェッタの面倒を見に来たのではないと、そこで口を挟んだ。
「こどもをほったらかしにするなんて、非常識なヤツに一言いってやりたい……っていうのもあるけど、それでもあの子がそいつのところに帰りたいなら帰してあげたほうがいいでしょ」
 マリュウやサリーも、それにはうなずく。
「でも、そのためにはあの子の話を聞かなきゃ始まらないわ」
 そして、それもその通りだった。
「でもいきなりはどうかしら。慣れて、落ち着いてからでないと」
 しかし“銀の飛跡”シルフィスは、シェラザードの主張をそう遮る。結局突っ込んだ話を聞くためには、ある程度ラジェッタと親しくなる必要があるだろうと。
「ラジェッタは、迎えを待っているんでしょう? なら、その話ならしてくれるわよ。ましてや、探しに行くのだとわかれば」
 ラシーネとしては、それをきちんとわからせることが大事だと思う。そう反論に反論が続いて、部屋はざわめいた。
「でも、やっぱりおじさんの話は仲良くなってからですよね? 私、外で一緒に遊ぶところから始めたいんですけど」
 勢い込んで、今度はショコラがいう。夢も観光に外に出るつもりだったというと。
「私、外に出るのは反対よ」
 今度はラシーネが、それに眉を顰めた。
「銀色のリエラとか危ないことがあるんだから、外へは出ないほうがいいわ」
「でも」
「私はラジェッタが望むなら、一緒におじさんを探しに行こうと思っていたんですけれど」
 そこにさらに紫苑が加わって……
 狭い部屋にざわめきが満ちる。
 そこで、ぱん、とセラが手を打った。
 ざわめきが止まる。
「迷子の保護者の方を探すには、迷子の話を聞かないことには始まりませんわ。それは当たり前のことです。ただ……外へは、黙っては行かないでくださいませ。外へ行くときには私にも教えてくださいな。黙って連れて行くのはやめてくださいましね」
 学級委員長気質で、セラはすっかりその場を仕切っていた。セラにそんな権利があるのか? というなら、そんなものはない。だが、まとまりを失った話し合いには、強い指導力でまとめる者が必要になる。そうでないといつまでも収拾がつかないからだ。
「あと、外に行く方は二点約束してくださいな」
 セラが銀色のリエラとのトラブル回避に提案したことは、日暮れまでには寮に帰ってくることと、人通りの少ない場所に行かないこと。ラジェッタを外に連れて行きたい者の中にそれを破る必要のある者はとりあえずいなかったので、これに反対は出なかった。出すとしたなら外出そのものに反対しているラシーネだったが、外出反対派はその場には一人だけのようで、分が悪いのを悟るとさすがにいいづらい。
 それからセラはさっさと分担と、当番の順番を決める話に入ってしまった。
 その場にいた中では先程自ら主張した通りに、シェラザードは話さえ聞けば『おじちゃん』を探しに行くつもりだったし、また“ぐうたら”ナギリエッタも同じくだった。
 セラは、それぞれの意思を手際よく確認していった。それではっきりわかったが、紫苑や夢や、“竜使い”アーフィあたりも、ラジェッタの世話をするというよりは、一緒に外で遊ぼうとか、『おじちゃん』を探しに行こうという意向のようだ。
 さて、これでラジェッタの世話をするつもりで来た者は、だいぶ絞り込まれた。今実際に相手をしている来生、ここにいるマリュウ、ラシーネ、ショコラ、サリー、シルフィス、それから夜一緒に寝てあげたいと希望してきた“眠り姫”クルーエル。セラを含めて7人。
 第一発見者のうちルー、クレアは銀色のリエラの捕獲のほうに時間をとられているし、カレンもなにやら忙しいらしくあまり顔を出せないらしい。エリスは今実際にラジェッタを見ているが……ナギリエッタによると、『おじちゃん』探しを手伝ってもらいたいと話をしたという。そんなわけで、第一発見者4人は計算に入れないのがよいようだった。
 二人ずつ3交代だと、ちょうどいい。一人あぶれるとなると……脱落者はほぼ自動的に『少人数』のいいだしっぺであるサリーだった。
「え……」
 困惑も反論も伝える余裕もなく、
「ではサリーさんは、誰か用事で入れないときとかに、お当番に入っていただくということで」
 と、セラに仕切られてしまう。この程度の数で交代ならラジェッタも混乱はしないだろうし、一人にかかる負担も少ないだろうと。後から来た者については適宜手伝ってもらうなり、追って当番に組み込むとして、ひとまずはこれでと。
 ただ、ラジェッタと一緒に出かけようと思っている者が複数いるのには、少し頭が痛かった。なにしろ複数が連れて行こうとしたところで、ラジェッタは一人しかいないのだから……それぞれに好き勝手に連れまわしたら、ラジェッタのほうがもたないだろう。なら、みんな一緒に行くしかない。
「とりあえず、今日はこれからご挨拶をしましょう。それから、少しお話して。出かけるのはせわしないので、また後日にしてくださいな。お出かけは皆さん一緒に日を決めて……連日長時間では疲れますからね」
 セラはそうまとめて、改めて隣室へ移動を促した。もちろん全員一度には入れないから、順番にだが。
 セラがノックすると、まず中からひょいと来生が顔を出した。
「お話は終わりましたですか?」
「そちらはいかがでした?」
「ラジェッタちゃんと、お人形遊びをしてました。あんまりお話するのは得意じゃないみたいでしたから」
 答える来生の、その腰のあたりに、ぴたりと栗色の髪の少女が貼りついていた。ラジェッタは来生の上着のすそを掴んで、顔半分だけ覗かせて、扉の外を覗いている。後ろにたくさんの人の気配に怯えている……という顔ではないが、興味が半分、戸惑い半分の様子は窺えた。
「こんにちは、私の名前はセラ」
 セラは屈んで、視線を下げた。こつんとおでこが触れ合うくらいに、顔を近づける。そしてそのまま、時間は経過していった。
 それで何をしているのかは……周囲の学生たちには、すぐわかった。その意味がわからなかったのは、ラジェッタだけだろうか。だがそれでも、なんらかの異変は察したようで、大きな目をさらに見開いた。
 セラは少女の胸の前に掲げた掌が淡く輝き、交信状態に入るとすぐに、それをやめた。それだけで十分だったからだ。
「怖くありませんわ、これは交信というんですの。ここの人なら誰でもできますし……あなたにもできますわ」
 交信はフューリアとエリアを区別する、ある意味唯一の手段である。リエラと交信できる者をフューリアと呼ぶのだ。転じて、交信できるということが、フューリアであるということの証明となる。
 まだ幼いこの少女は、自らの意思でコントロールして交信することを知らないようだった。あるいは、フューリアとはなんなのか、「交信する」ということそのものを知らないのかもしれない。
 だがセラが自分のリエラではなく、ラジェッタに求めた交信には、引きずられるように応えたのだ。
「あなたのリエラは……?」
 セラの問いに、ラジェッタは小首をかしげる。本当に、何をいっているのかわからないという顔だった。
「ごめんなさいね、まだわからないわね。また今度、お話しましょう。お勉強しましょうね」
 この歳ならば、フューリアでありながらリエラとの交信がなくても不思議ではない。もしも初めての交信でリエラを暴走させる前にアルメイスに縁を持ったのならば、幸いであるが。
 ともあれ、ラジェッタがフューリアであるかどうかは、まだ誰も確認していなかった。今もその素質があると確認されただけではあるが、アルメイスを訪れた理由としては、一つ妥当なものが判明したといえるだろう。少女がフューリアであるならば、それだけでアルメイスに連れてこられる理由になる。
 そこでセラは下がって、後ろと入れ替わった。次に前に出たのはクルーエルだ。眠たげな顔をしながらも、セラがしていたのと同じように屈みこむ。
「ハジメマシテ、ボクはクルーエル。……えーっと、なんてお名前だっけ?」
「……」
 ラジェッタが黙っているのは、人見知りしているのかと後ろに控えている者たちは思ったが。しかし、間近で顔を見ているクルーエルには、その顔は本当に何をいわれているのかわかっていないような……いわれたことを考えている顔に見えた。
「ん? お名前は?」
「……ラジェッタなの」
 迷った末に、ようやく返事があったという様子だった。
「んじゃラジェッタ、後でボクともお人形さんごっこしよ♪ 夜は一緒に寝よーね!」
 その『間』に少し違和感を感じはしたが、クルーエルは追求はしなかった。眠くて面倒くさかったからというのもある。
 続けて、次々と入れ替わって挨拶をする。少女は黙って、年上のお姉さんたちの名前を聞いていた。
 世話に当たる者たちの挨拶がすむと、今度は話を聞きたい者の番だ。
 ラシーネが改めてラジェッタの前に出て、後ろに控えている『おじちゃん』を探すために話を聞きに来た者たちがいることを説明する。
「あのね。この人たちが、これからおじちゃんを探しに行ってくれるのよ」
 おじちゃん、という言葉に反応してラジェッタは少しだけ身を乗り出した。
「それでね、おじちゃんを探すために教えてほしいことがあるの。まずは、おじちゃんてどんな人だったのかしら」
 だが、ラジェッタは考え込んでしまった。それは喋りたくないから黙っているというのではなく、なんといってよいのかわからないという顔だ。あるいは何をいわれているのかわからないという……
「おじちゃんて、どんな人だったの?」
 ラシーネは繰り返し聞く。
 ラジェッタの表情は、さらに困ったような雰囲気を強めた。
「どんな……?」
「そう、どんな」
 ラジェッタは「どんな」と繰り返して小首をかしげる。しかしその後に言葉は続かなかった。
 はらはらと周囲が……特に最初から問い詰めることに反対していた者たちが心配そうに見守る中、沈黙が流れていく。
「どうでしょう、あまり急に聞くのもストレスになりますから、休憩しては」
 期せずしてラジェッタの壁役となっている来生が、心配げにいう。
 ラシーネはため息をついたが、粘り強く話さなくてはならないだろうとは思っていたのだ。ラシーネとしては、まだ諦めるには早い気がする。来生に向かっては首を横に振り、意を決してさらに続けた。
「お話してくれないと、おじちゃんを探しに行けないわ。ちゃんと探しても、あなたのおじちゃんが見つかるとは限らないのよ?」
 続いたラシーネの言葉に、ぎょっとしたのは後ろに控えていたシルフィスやナギリエッタだ。他の者も大小の差はあれ、驚きに声を飲む。
 だがそんな背後の動きには気づかずに、ラシーネは続けた。
「おじちゃんは、このまま見つからないかもしれないわ。もう、おじちゃんとは会えない……」
「ま、待って待って待って!」
 ナギリエッタがラシーネに飛びついて、慌ててその口を塞いだが、少々手遅れだったようだ。
「いきなりそれはダメー!」
 ラジェッタは、何かいいたげに口をぱくぱくさせた。すぐに泣き出しはしなかった。やっぱり、少し考えていたようではあるが……不運にも、遅まきながらラシーネの言葉の意味を理解したらしい。そして、顔を歪める。
 ラジェッタは顔をくしゃくしゃにして、声を上げて泣き始める。
 シルフィスとシェラザードがナギリエッタに加勢してラシーネをラジェッタから引き離す。下げられたラシーネの場所に入れ替わるようにマリュウが飛び込んで、ラジェッタを抱きしめた。だが、それだけでは泣き止む様子はなく……
「何をしているんだ?」
 と、興味のなかった者まで、この泣き声に顔を覗かせる始末だ。
 そして結局この日は、やっぱり『おじちゃん』の話を聞き出すことはできなかったのである。


 とはいえ、女子は話を聞くにも手段の問題から考えればいいのだから、ハードルは少ないといえるだろう。
 さらに問題なのは……面倒を見たい男子生徒だ。ただのこども好きだったり、とってもこども好きだったり、他の理由があったりと様々だが、どちらにしろ彼らにはまず『女子寮』という高い高い障害が存在している。顔を合わせるところからして、難関なのである。
 そして女生徒たちが泣いてしまったラジェッタをあれやこれやあやしているころ、男子生徒たちは色々と少女の元を訪れる準備をしていた。そしてその間に、それは起こった。
 女装して女子寮に忍び込んだ男子生徒が捕まったのだ。それはつい先日騒ぎを起こしたばかりの生徒だったので、見過ごされるはずはなかった。
「何故、女装して忍び込む必要があったんですの」
 そういうわけで“滅盡の”神楽はラジェッタの元にたどり着く前にセラに見つかり、別室で女子生徒に囲まれて説教を受けることとなった。神楽はラジェッタの面倒を見たいのだと主張したが、女子生徒たちのいったい誰が、女装して女子寮に忍び込むような不審人物を少女に近づける気になるだろう。どんな感動的で素晴らしい言い訳も、変態行動の前には無力だ。神楽は球技大会の悪さで信用を失っているが……これで神楽が信用を取り戻す日は、さらに遠くなった。
 とりあえず今回はこれでしばらく謹慎の身だが、立て続けの非行は印象を加速度的に悪化させる。神楽は次に何か悪事を働いたなら、退学が検討される身分となった……といえるだろう。
 さて、当然ながら神楽は女子寮から追い出されたが、これを耳にして戦々恐々としたのは、少女の噂を聞いて力になりたいと思っていた他の男子生徒たちである。これを理由に警戒されて、男であるというだけで近づくことも許されなくなってはと。
「あのう」
 ライラックが寮長のところを訪ねたときには、先客が寮長と話をしていた。それは“轟轟たる爆轟”ルオーで、目的はどうやらライラックと大きくは変わらないようだった。
 ライラックが扉を少し開けて声をかけても、中の二人は気づかずに話を続けていた。
「部屋ん中にこもっとると、気ぃ滅入ると思うんや」
 ルオーの出身は帝国ではないのだが、どこで帝国語を習ったのか少し訛った言葉遣いで、寮長に力強くあれやこれやといい募っている。
「とはいえ、女子たちの意見を無視はできないからね」
 男子生徒の女子寮忍び込み……これは一般的に痴漢行為である……があったばかりで、女子寮に入るのは嫌がられるかもしれないと寮長は答えているようだ。
「ほんまなら、わざわざその子に足運ばせたくないんやけどなあ。中に入れんでも、せめて会わせてぇな。怖がられたり嫌がられたら、無理になんていわへんわ。せやけど、その子に聞くくらいさせてや」
 ルオーの希望は、少女を外で遊ばせることらしい。
 では女子に聞いてこようと寮長がいい、立ち上がったとき……今出て行かねばと、慌ててライラックは扉を押し開けた。
「あ、あのう! ボ、ボクもラジェッタちゃんに会いたいんです……けど……」
 語尾が弱くなったが、とりあえず『ついでに』許しを聞きにいってもらうのには間に合ったようだった。


「集会室ならええんやない?」
 結局ラジェッタの面倒を見る当番からは外れ、かといって『おじちゃん』探しに出かけるのも……という“のんびりや”キーウィは、ラジェッタを囲んでのお茶会を企画していた。
 どんなに望んでも、一度にラジェッタの回りにいられる人数は限られている。ラジェッタが寝泊りしている部屋は、普通の寮の空き部屋だからだ。4〜5人も入ればいっぱいで、ラジェッタを慰めたくとも、それ以上は部屋に入ることも難しい。当番2人は息苦しさを感じさせない妥当な数なのだ。限られた一部だけしかラジェッタと接触できないとなると、なんだか理不尽だが……物理的にやむをえない面はある。
 だからキーウィはラジェッタを慰める役回りにあぶれた人や、今すぐにすることのない者の中で常識的な人を誘って、望む者がラジェッタと話ができる場所を作るべく、支度をはじめた。それで集会室を使わせてもらえるように寮長のところへ許可をもらいに行くつもりだったから、寮長のほうから来てくれたのはありがたいところだった。
 男女共有の部屋にラジェッタを連れて行くから、そのときがいいのではないかと、寮長にもいう。今実際にラジェッタの面倒を見ている女子たちからも、お茶会をしようというのに反対は出ていないし、会場さえ押さえられればそれは実行できそうであった。
「お茶会ゆうても、そんな大層なもんやないねん。長い時間でなくてもええし。ただ、おじちゃんが見つかるまでの間、ラジェッタちゃんが少しでも気ぃ紛らわせるとええなあて思うて」
 ともあれキーウィのお茶会によって、ラジェッタには会いたいが、一人の不法侵入のために女子寮に入りにくくなって困っていた複数の男子生徒が救われることとなったのは間違いなかった。
「じゃあ、いつにするんだい。集会室には、前日には使用予定の張り紙をしておいてもらって」
「いつが空いてるん?」
「明日とか急にでなければ、ここのところはどこかのグループとかが貸しきって使う予定は入ってなかったよ。じゃあ、日を決めてくれるかい」
「ほな、決めて知らせにいくわ。張り紙も貼っとくし」
 寮長はうなずいて、それをルオーたちに伝えようと答えた。


 ラジェッタは泣き疲れて眠っていた。もう陽はとっぷりと暮れて、今部屋に残っているのはマリュウとクルーエルだけだ。
 ……起きていたのは、マリュウだけだったが。クルーエルはラジェッタを抱いて、一緒にベッドの中である。寝ついたのがどっちが早かったかは、クルーエルの名誉のために秘密にしておこう。
 その涙の跡の残った頬をつついて、完全にラジェッタが眠りに落ちたこと確かめてからマリュウは子守唄をやめた。
「やっぱり、おじちゃんのところに帰りたいんだよねえ……」
 ふとつぶやいてから、マリュウは寂しい気分になっている自分に気がついた。まだちゃんと出会って、一日も経っていないというのに。
 それでも、少女が願いが『おじちゃん』との再会であるのなら、それを叶えてやりたいと思うが……
 マリュウもあくびをし、立ち上がった。3人で寝るにはこのベッドは狭いので、自分の部屋に帰るかどうかを考える。鍵はかけていっても中からは開けられるから問題はないだろうが。
 少し考えてから、マリュウは部屋を出て行って、そして毛布を持って戻ってきた。そしてベッドサイドで毛布にくるまる。
 マリュウも、ほどなく夢の中に落ちていった。ラジェッタがまだ見ぬおじちゃんと一緒に笑っている夢の中へ……


■姫君の騎士■
 フランにあらぬ疑惑がかかっていることを聞いて、フランの元に急いだ者は実は少なくはなかった。他の者よりも早くと考え、急いだ者もいる。
 だが、いつもと同じように談話室にいると思ってそちらに足を運んだ者は、ひとまず一度無駄足を踏むこととなった。
 さて、ここ数日からフランが放課後どこにいたかといえば、研究所街区の中の一棟だ。噂が流れるよりも前に、フランはマイヤに対して自存型リエラの研究に協力することを約束していたからである。疑惑によって気まずくはなったが、フランは協力を反故にすることもなかった。そういう無責任なことは、フランもイルも望むところではない。
 また今回のことに際し、マイヤに対してフランの護衛……という名の監視……を申し出た者も数名いたが、マイヤは双樹会としてそれをフランに申し入れるつもりはないとそれらの申し出は断った。
「たまたま、その場にいただけですからね……あそこで何をしていらしたか、できるなら知りたいとは思いますが、憶えていらっしゃらないのでは仕方ありません」
 そういうマイヤはやはり苦笑いを見せていたが、それ以上のことは口にしない。
 フランが、現場で何かをしたところを見たという者はいない。今のところ公式の見解も、『たまたまその場にいただけ』だ。たまたまフランが、それを憶えていなかったとしても、だ。フランと銀色のリエラが関わりあるというのは、あくまで憶測であり、噂。
 フランが何もしていないことを証明することもできなかったから、噂となったわけではあるが。
 だが、憶測や噂を根拠に、マイヤがフランを見張りたい学生にお墨付きを出せるはずはない。フランのそれは『状況』でしかなく、『状況証拠』ですらない。
 また、フラン自身から要請されたのならまだしも、公的に一生徒に護衛をつける理由もない。アルメイスでは、貴族であっても公式には一生徒だからだ。貴族を特別扱いする規定はない。
 後は、個人で交渉するしかないわけなのだが……

 数日後の午後あたりには、ばらばらとフランのいる研究室を訪れる者の数も増え始めていた。研究棟の控え室には、普段では考えられないような数の学生があちらこちらに立ったり座ったりしている。
 その日そこまで、フランに望めば、複雑な表情を見せながらも、フランは誰に対しても一緒にいることに否とはいわなかった。
 だが、イルは。
「フラウニーと銀色のリエラの関係を、疑っているわけであるな?」
 はっきりと、そういう者に対して不快感を示した。当然というべきか、イルの反対の姿勢は堅牢だ。
「事件に巻き込まれているかもしれないから、警護したいというだけですよ」
 フランに正直に、警護させて欲しいといいに来た者は3人。イルのいう通り、銀色のリエラにまったく関わりないと思っていたら、フランの元には来ないだろう。フランの元に来たということが、関わりを疑っていることに他ならない。
 精神的にまいっていそうで心配だといいながら、護衛をといった者もいたが……自分の行動こそが疑われていると思わせて、フランの負担になることが、彼女にはわからなかったのだろう。
 同じように心配だといいながら……奇妙なほど一緒にいたがる者は他にもいたが。警護を希望した者のように真っ正直にいう者がいれば、フランがどんなに鈍かろうと『一緒にいたがる』のが何故なのか、考えもするだろう。
 そう、彼らの行動は同じだからだ。
 見張られている。
 それが真実であろうと、なかろうと……
 フランを見張る行動と同じだ。
「……どうだろう、フランも嫌がっているんじゃないかい?」
 警護を申し出た者に不快感を示すイルに対して、加勢したのは“翔ける者”アトリーズだった。
「彼女も不安なんだ。なのに始終誰かに見られてたら、不安が増長するよ」
 そのうえリエラを使って監視するなんてさらにとんでもない、と。
「どうしてもするっていうんなら、僕が明日から君にも同じことをしてあげようか? そうしたら、どれだけ嫌なことかわかると思うよ?」
 人のよさそうな笑みを浮かべて、アトリーズはいう。だが、加勢されているはずのイルは、酷く険しい表情で翼を広げていた。
 そう、なぜならアトリーズも同じように、ずっとフランにつきまとっていたからだ。
 見張られている……
 それにフランが気づかないと、思っているのだろうか。
「僕は話が聞きたいだけなんだけどなあ。記憶がないってときの前後とかね」
 にこやかなのに、どこか険悪な睨みあいがフランの回りでは続いていた。会話の順番待ちよろしく様子を見ていた“銀嶺の傀儡師”リオンが困ったようにつぶやく。
 すると今度は、“黒衣”エグザスが、それに対して首を振った。
 エグザスは、今フランの回りにいる中では、数少ない、長居しない客だった。毎日訪ねては来るけれど、一度に長居をすることはしない。
 また、エグザスは訪ねて来るときには必ず、その前に双樹会とランカークの捕獲部隊の本部を訪ねてから来て、何か進展があったかどうかをフランに報告していた。双樹会側もランカーク側もまだなんの情報も隠してはいなかったので……隠すような情報がないからではあるが……エグザスが聞いても答えてくれたのだ。
 長居をしないことによって、エグザスはある意味フランが唯一心から歓迎した客でもあった。誰に対しても穏やかなフランの態度から、それを察することは難しかったかもしれないが。
「事情聴取ならもう、マイヤ会長がしているだろう? 別に何も、もう聞く必要はないだろうと思うが。失礼だから、やめたほうがいい」
 今エグザスが話の邪魔をしたときにも、アトリーズのときとは少し違う、ほっと安堵したような表情をフランは見せた。それは疑わなくてもいいのだという気持ちの、現れに近いだろうか。
 話を聞くだけでもダメなのかと、リオンは頭を抱えるが。
「……こそこそ嗅ぎまわるよりマシかと思ったんだがな」
 そこで“怠惰な隠士”ジェダイトも、まわりに聞こえないようにぼやいた。やはり話をする機会を窺っていたのではあるが、どうやらその機会自体がジェダイトに回ってくる見込みがないらしい。
 そのうえ、関わる話をするだけでも咎められるのでは、フランについて過去視をしたいといったらどうなるか。想像に難くはなかった。押していっても、この状況ではフランに売り込みをかける偽善者のダシになるだけかもしれないと思うと、その気にもなれなかった。
 フラン自身は内心がどうあれ、過去視にも嫌とはいわないかもしれなかったが。
 その場の雰囲気は、極限的に悪かった。フランの穏やかで優しい、内向的な気質ゆえに、気づいていない者もいるだろうが。
 フランは疑われていることを、じりじりとその身に刻み込まれるがごとく、味わっていた。守るためにそばにいる必要がある。そういうこともあるだろう。だが結局そういう彼らも、「監視したい」という者と同じと判断されることをしていたからだ……
 疑っているのではない、という者もいるだろう。だが、どこで疑う者とそうでない者の区別をつければよいだろうか。
 同じ行動をしているのに。
 結局は同じ……そう思ったら、誰の善意も信じられなくなる。すべてが口先だけに思えてもこよう。
 フランはここ数日、特別に今まで親しかったわけでもないのに理由もなく研究所まで追いかけて来て、他愛もない話を語りかけてくる者たちの話を、曖昧なあいづちを打ちながら、ぼんやりと聞いてきた。『今』でなくてもいいような、どうでもよい話。何故その話を『今』しに来たのだろうと、いつまで話し続けるのだろうと……フランがそんなことはまるで考えないと、彼らは思っているのだろうか。
 フランはおっとりと優しいが、それは何も考えていないからではないのに。
 その心をフランが読めない限りは、人は行動で判断されるのだ。
 疑心暗鬼を打ち消せるだけの、優しい積み重ねがない限り……フランが今せめて平静でいられるのは、ランカークとそれに協力した者たちの存在があったからだともいえた。
 フランにとって、それは今となっては心の支えだった。フランの前に立ちこそしないが、ランカークの、また彼に協力する者たちの好意と善意は、フランにも間違いなく信じられる。いや目の前に現れないからこそ、その誠実さが信じられる。今なら下心だって好意の一つだと、思うこともできた。
 目の前に来た者たちが、不幸にも信じられないから、だが。
 人は、賢くなければ、もっと幸せになれるだろう……

 護衛するしない、話をするしないでしばらく紛糾した後、イルは耐えかねたように翼を羽ばたかせた。
「皆、同じである!」
 くわっとくちばしを突き出し、叫ぶ。それは形にできないフランの心の、代弁かもしれなかった。
「何をいっていても、フランを見張りに来ているのに変わりはあるまい……!?」
「イル!」
 フランがイルを抱きしめるように止めに入るが、イルは羽を膨らませて、その場の者を威嚇するのをやめない。
 そうしている間にも、ようやくフランの居場所にたどり着いた者たちが、次々研究所の扉を叩いていた。しかし新しく訪ねて来た者も、フランをめぐる険悪な雰囲気を察して足を止める。
 “蒼盾”エドウィンは花束を抱いたまま、入り口に立っていた。後ろからきた者につつかれ、エドウィンはのろのろと足を進める。
「取り込み中かな」
「あ……いいえ」
 あたりを見回して訊ねるエドウィンに、フランは曖昧に笑って答える。
「あのこれ……」
 気まずいながらも花束とお菓子を、エドウィンは差し出した。ほのぼのとした風景で、普段なら冷やかしの声の一つも上がりそうなものだが、そんな雰囲気ですらない。
「……ありがとうございます」
 フランにいたっては、イルを押さえていたために花束を受け取るのにも困っていた。結局はイルを離し、花束と菓子を受け取る。
「疑惑を晴らすためにも、銀色のリエラを退治する方法を探そう。俺もそれに協力したいと思ってきたんだ……けど」
 この異様な雰囲気は何か、と再度あたりを見回す。
 そこで、白衣の研究員がこの機会を逃すことはできぬとばかりに咳払いをした。
 そう、ここはリエラの研究をする研究所の一棟であるのだ。
「ところで、研究に協力なさらない方は、全員出て行っていただきたいのですが? レディフランの邪魔をなさる方々……ぶっちゃけ、ここにいる方、全員ですが」
 第三者からはしょせん、全員、邪魔をしているようにしか見えないということである。
「え……お話を聞くだけでも駄目なのかな? 私、フランさんにはとてもお世話になったから、今度は私がフランさんを助けたいんだけど」
 “光紡ぐ花”澄花は、戸惑い気味にそういった。しかしやはり澄花も、フランの心の負担になっていた一人だ。
 澄花が本当にフランの心労を取り去りたいと願うならば、澄花がするべきことは、自らフランの前を立ち去ることだった。しかしフランにとっては不幸なことに、それは澄花の選択肢の中にはなく……そして最も願ってはいけないことを願った。『常に共に行動したい』と。
 これで、澄花もフランの心から、遠ざかってしまった。
「ここに残られる方は、自存型リエラを連れた方で、自存型研究に協力なさる方だけで、お願いします」
 研究者は淡々と告げた。自存型を連れていたとしても、協力しないなら出て行けということだ。それから白衣の研究員は、フランの回りにいた者をすべて、追いたて始めた。
 フランを情緒不安定にさせるものはすべて、研究の邪魔であるとして。
「私もですか、私は自存型リエラの研究をしたいと思い……」
 リエラは自存型ではないが研究に参加したいと粘った“闘う執事”セバスチャンと、自存型を連れて銀色のリエラの対処のために研究への協力を望んだエドウィンがその場に残る。後日ここに当初協力を拒んでいた“悠久の奏者”アルベルトなどが加わったが、その後基本的には小ぢんまりと研究は進められていった。
 出ていく者がすべて追い出された後、急にがらんとした部屋で、フランは深く息をついた。……いかにも、これでようやく安心できると、ホッとしているように見えた。
 それが、今までどれだけ息を詰めていたかの証拠でもある。
「大丈夫かい……?」
 その様子を、残った二人は気遣うしかなかった。他の言葉は、もはや出てこない。
「あまり思い悩まぬほうがよろしいですよ。まずは自存型の研究に勤しみ、今回の解決策を模索することが第一でございましょう」
「……悩んでいたって、わからないものはわからないからな。自分から動いて、何が起こっているのか確かめて、銀色のリエラを退治しよう! 一人じゃ無理でも、フランには俺たちがついてるから」
 フューリア一人にリエラは一体。フランのリエラはイルなんだから、あのリエラを操ってるなんてありえないと……フランと銀色のリエラは、関係はないはずだとフランにいい聞かせるように、エドウィンは熱く語る。
 残った二人に、フランはうなずいた。
 姫君の騎士はまだいない。
 姫の小さな心に負担をかける者は、姫君の騎士にはなりえない。そして可哀想な姫君は、本当に守ってくれる騎士が自分にはいないという切ない事実に気づいてしまった。
 だが……これから、誰かが、優しさと誠意を積み重ねて行ったなら。いつか姫君が、無条件にかたわらに置いて信じられる騎士を得られる日も来るだろうか。
「はじめましょう、だいぶ遅れてしまいましたから」
 研究員が声をかける。
「はい」
 フランは、振り返って返事をした。息苦しさから、せめて今だけは解放されて、少し声に力が戻ってきたようだった。
 自存型の研究は、自存型であるリエラの協力なしには成り立たない。後は、何をどういおうと精神的に追い詰められつつあることは間違いないフランの負担を軽くするために、イルがどれだけ語るか……であるが。
 まだ、研究は始まったばかりである。


■狩人たちの支度■
「投網でリエラが捕まるわけがないでしょう……」
 エンゲルスはがくりと膝を突いて、床にうな垂れた。比喩ではなく、本当に絶望のあまり、膝を突いてへたり込んだのだ。
 目の前にあるものは投網やら皮袋やらで、暴走リエラを捕まえるためのものだとは、ちょっと考えにくいものばかりだった。
「私が用意するよういったのではない!」
 だが、アドリアン・ランカークの手にあるメモ書きには、今既に置かれているものの他にも色々書かれている様子だった。
「ところで、この『リエラ用眠り薬』というのは……」
 と、真顔でランカークが聞いてくるので、
「そんなものあるわけがないでしょうッ!」
 とあまりの情けなさに泣き崩れながら、エンゲルスは叫んだ。
「何を騒いでいるんだ、外まで聞こえるぞ」
 そこでちょうど外から戻ってきたジークとカレンが、何事かという顔でエンゲルスに事情を聞いた。ここでランカークに説明を求めないのは、経験と知識の賜物である。
 話を聞けば、ジークもカレンもエンゲルスと同じ台詞を口にしたが。
「リエラに効く眠り薬なんてあるわけないでしょう……」
「誰だ、そんな馬鹿なことを吹き込んだヤツは」
 はああ、と深い溜息をつく。
 しかし次々と馬鹿にされて、そこでランカークはキレた。
「なッ、私は銀色リエラ捕獲に必要であるといわれたものを用意しているだけでだなぁっ……!」
 私は悪くない! とランカークは暴れ始めた。それを制止しなくてはならなくなり……
 けんけんごうごう。かんかんガクガク。
 ランカーク私設銀色リエラ捕獲部隊の状況を一言に表すと、そのような感じだった。
 エンゲルスが必死にまとめようとしているが、誰も彼も好き勝手なことをいったりしたりしていて、『組織的』という言葉とは程遠い。かろうじてまとまって動いてくれそうな者を見繕い、元からのランカークの取り巻きも加えて数を水増しし、どうにか班分けしてみたが、穴だらけの印象はぬぐえなかった。
 ランカーク側の本部といえる場所は、もちろんランカークの屋敷の一室である。捕獲部隊に参加した者たちが、出たり入ったりを繰り返していた。
「何やってんだ……?」
 暴れるランカークを取り押さえたところで戻ってきたのは、“熱血策士”コタンクルだった。荒れた部屋をあきれたように見回し、息の上がっているランカークとエンゲルスに、
「ああ、蒸気自動車借りられたから」
 と報告する。銀色のリエラを追い立てるのに、使おうというわけである。参加している人数の割には人手不足なランカーク私設捕獲部隊には、蒸気自動車はだいぶ助けになるだろう。
「円は?」
 次にコタンクルは、情報収集に行ったはずの恋人の姿を探す。
「今帰りましたです、コタンクルさん」
 そしてその後ろから、“深緑の泉”円は戻ってきた。
「でも、新しい情報はありませんでした……」
 しょんぼりと、円は報告した。
 銀色のリエラは殺気を出して街を徘徊している。だが、どこから現れ、どこへ消えるのか知っている者はいない。銀色のリエラと戦ったことがある者は、実はけっこうな数になるが、言葉を交わした者はいなかった。
 円が集めてこれたのは、それぞれが銀色のリエラと遭遇した場所の情報だけだ。
「それでも十分だよ」
「そうですか……?」
 彼氏の優しい慰めに、うるると瞳を輝かせて円は気を取り直した。
「さて、情報が少ないのは仕方がないとしてだな」
 ランカークは、双樹会側よりも先に銀色のリエラを捕獲したい。だがコタンクルから見ても、ランカーク私設捕獲部隊に集った顔ぶれで、双樹会側を出し抜くのは難しそうだ。一人一人には優秀な人材もいそうだが……
 それでも、マイヤ率いる捕獲部隊に先んじるにはどうしたらよいか。
「我に秘策あり。お耳を」
 ふふふ……と悪人風な笑みを浮かべ、寄添う円から一歩前に出て、コタンクルはランカークを手招きした。
「我々が双樹会捕獲部隊を出し抜くことを考えても限界があります。ならば、どうすればよいか。双樹会側の捕獲チームが崩れればよいのです」
「ふむふむ」
「そこで“自滅姫”リッチェルを、双樹会捕獲部隊に送り込む手筈を整えました」
「ほほう!」
「これで双樹会側捕獲部隊の崩壊は、時間の問題!」
 とコタンクルは請け合う。
 横でそれを聞きながら、そんなに上手くいくかなあ……と思っていたエンゲルスは、そのときふと、ランカークがエンゲルス念願の双樹会側捕獲部隊との合流を許してくれそうな言い訳を閃いた。
 こちらの捕獲部隊が双樹会側の捕獲部隊と合流すれば、まとまりのないメンバーを投入できて、双樹会側が混乱し捕獲が失敗するかもしれない。ランカークが双樹会側の失敗を望んでいるなら……もしかして名案かも!? と、そう思ってから……即座にその閃きの欠点に気がついた。
「合流してから、ホントに俺らが邪魔になって捕獲作戦が失敗したら、意味ないじゃん」
 エンゲルスの悲哀は果てしない……


 ランカークの屋敷でてんやわんやしていた頃。双樹会側の捕獲作戦に集った者たちも、学園の空き教室で打ち合わせを行っていた。
 前から参加している者と新たに参加した者との話し合いは、必須だ。なければ、すれ違いの元になる。
 とはいえ、一部が額を突き合わせてああでもないこうでもないとやっている以外では、雑談などして親睦を深めているところもあったが。
 そんな中で、マイヤは次々と色々な提案を受けていた。そんな状況でもいつもの優雅さを失うことなく、マイヤは話をさばいていく。
 “悪博士”ホリィが自分の能力で色々覗き見ができることを売り込んでいった後、マイヤの前に立ったのは“深藍の冬凪”柊 細雪だった。
 そして、突然に朗々といった。
「サムライ、楼国が剣士は主に仕えてこそ、侍と呼ばれてそうろう」
「……なるほど」
 急のことで、さすがのマイヤもそうあいづちをうつにとどまる。だが、細雪はかまわずに続けた。
「侍は主君が命を下されることにて、真の力を発揮するものでござる。本件、マイヤ殿を主と以って、お仕えいたす。必ずや、良き報せを御前に奉じますれば、ご命令を」
 細雪は深々と礼をし、体を起こすと直立不動の姿勢で止まる。
 マイヤは一度深呼吸してから、いつもの微笑みで答えた。
「……とりあえず、楽にしてください」
「かたじけのうござる」
「今は班分けに希望を出して、他の人と調整してきてください。あなたの良い報告を待っていますから」
「はっ!」
 初の命に鋭角的に踵を返して、細雪は班分けに紛糾している中へと向かっていった。

「後方支援の班の人数が多すぎるな」
「適正でしょう、希望者だけなら」
 その紛糾している班分けで問題になっていたのは、希望の偏りである。“旋律の”プラチナムが班長を務める予定の情報収集・市民誘導・救護をまとめた後方支援班がやたら人数が多くて、それ以外がお寒い状況というのは普通に問題だ。希望だけをとれば、ぎりぎり適正数+αくらいで収まるとプラチナムはいうが。
「人には、適材適所というものがある」
 リーヴァはルーとクレアをそちらに回したいと主張していた。クレアが一緒ならとルーは了承したが、なら二人と一緒がいいと“笑う道化”ラックと“緑の涼風”シーナもいっていて……4人入ったら、明らかに人数オーバーだ。
「確かにルーさんは、前に立つには向きませんが……一人だけでは駄目なんですか?」
「それでよければ、そうして欲しいところなんだが」
 クレアと一緒なら、が条件である。いつもの二人を考えても、バラ売りに応じるとは思えない。リーヴァとプラチナムがちらりとルーのほうを見ると、クレアの後ろに半分隠れたルーが不安げにじっと見返していた。
「じゃあ、諦めるしかありませんね」
 最後にとばかりに、リーヴァはクレアとルーのほうを向いた。
「どうだろう、一人で後方支援のほうに回ってはくれないかな」
 ふるふる、とルーは半分以上クレアの影に隠れながら首を振った。
「……駄目か。いや、まあ……ルー君が危険に近づくのが、個人的に嫌なんだが……どうしても?」
「それって」
 顔を赤らめたのはクレアのほうである。
 ルーは、全部クレアの影に隠れて、すっかり見えなくなっていた。返事はない……


 情報収集に出た者たちもいたが、まだこれといって目新しい情報は得られなかったようだった。一部は戻ってきていたが、一部はまだ外にいる。
 中には自存型の情報をレダのアルファントゥに聞きに行った者もいたが、コメントは得られなかったようだ。何故かレダに、ランカーク側・双樹会側・独自行動に協力してくれと人が殺到したため、結局逃げ回られて話にならなかったのである。……逃げ回らなくてはならなくなったレダも不憫ではあるが。
「班分けは、このようなところで」
「ずいぶん苦労したようですね」
 リーヴァと“蒼茫の風”フェルが並んでマイヤに提出した班分け表は、後方支援班、捜索班、追い込み班、捕獲班、と、4つにわかれている。
 人数が増えたので改めて担当を組みなおしたのであるが、4つにもわかれるとなると一つの班は5〜7人というところだった。それを多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだ。
 救護関係を含む後方支援はコンポートが本当は別組織として対策本部を建てたいと、マイヤに提案したものだ。だが、同じものに関わって二つ以上の組織が存在すると対立が起こるとして新組織は却下された。それで、プラチナムの提案で、班として組み込まれることとなったのである。班長は立候補したプラチナム。やる気のある人が班長を勤めてくれるのは、コンポートとしても嬉しいところだ。
 それに、コンポートにはもう一ついいことがあった。『気になる人』も、同じ班に回ってきたからだ。……事実は、引き取り手がなくて何かあっても被害の小さそうなところに回されただけだったが。
 それが誰かというデバガメ的な話はさておくとして。
「では、これでよいのですね?」
「基本的には、本人の意向を優先しているし、違う場合も納得はしてもらいました」
 クレアが後押ししてくれたおかげでルーを後方支援班に入れることもでき、リーヴァには不満はない。不満があるのはルーと引き離されたラックだが、人数の関係だから仕方がないだろう。
 それから、マイヤは腰を上げた。
「情報収集に出た方々も、戻るにはまだかかりますかね。僕たちは出ましょう。結局、今のところ足で探す以外の方法はなさそうですしね」
 時刻は、じき夕刻というところだった。
「ちょっと待ってください、僕から少し」
 マイヤが動き始めたので、出て行こうとする捕獲隊員たちを“抗う者”アルスキールが呼び止めた。
「銀色のリエラが消える件ですが、変化か幻覚で見えなくなっているだけの可能性があります。だから消えたと思っても周囲をよく見て、直前と違いがないかを確認してください。後、近くにフューリアがいないか確認し、挙動に十分注意してください」
 消えるリエラ……自存でないリエラならば、操っているフューリアが近くにいる可能性が高い。……だからこそ、フランにあらぬ疑惑がかかった、ともいえる。
 フランのリエラ『イルズマリ』は自存型で、「エルメェス家に代々仕える」というある意味自存の中でも珍しいリエラだ。人にではなく、家についている……フューリアは生まれついてただ一つのリエラと交渉を持ち、そのリエラはそのフューリアが死ぬまでは、ただ一人と交渉を続けるといわれている。それにイルズマリは該当するのか……ということだ。
 いや、自存型すべてにおける疑問。確かにただ一人の相手だと、自存型リエラを持つフューリアの誰もが信じている。だが、それは真実だろうか? ただ、支配できないと思っているから、他のリエラとそのつもりで交信しないだけで。
 ともあれ、アルスキールの注意を聞き、ざわざわと捕獲計画に臨む者たちは、夕暮れ迫る街へと出て行った。


■かの夜の真実■
 かの夜についてエリスに改めて話を聞こうとしたのは、“炎華の奏者”グリンダ一人だった。エリスはマイヤに語ったままの話を繰り返して、そこから新たな進展はなかったが……
「フラン、様子おかしくなかった?」
 そのときの記憶がないというなら、エリスが見たときにはもうすでに、普段の状況ではなかった可能性がある。
「……私は慌ててアルムを呼び出さなくちゃならなかったから……」
 話しかたに若干歯切れが悪いのは、いつものことのように思えたので、グリンダもそれ以上強く追求はしなかった。
 だが、追求するべきだったかと、後日になって思いなおしもした。
 それは、フランについて……いや、エルメェス家についてアルメイス・タイムズ社に出向いて過去の資料を調べたとき、奇妙な話に行き当たったからだ。きっかけはエルメェス家に縁ある令嬢が、心病みでなくなったという記事からだった。本家ではなく、分家のどこかのようだったが。
 それは……少し古い噂話、ゴシップだということだ。当時も裏づけのない話ではあったらしい。その記事は、呪われたエルメェス家の話。エルメェス家には代々、突然粗暴な人格に変わったり、気鬱に陥ったりと、心の病を得る者が多いということだ。それはエルメェスの引く、始祖の血の呪いであるとくくられていた。


 現場検証はエリスと一緒に。
 “自称天才”ルビィの願いは、なかなか叶わなかった。エリスが忙しいといって、なかなか付き合ってくれなかったからだ。何をしているのかといえば、ナギリエッタに付き合って、迷子の保護者の『おじちゃん』探しだ。暇なときだってあるだろうと、何度も訪ねて行ったが……なんだか避けられているのでは、とかんぐりたくなるほど、捕まらなかった。
 実はルビィが現場に過去視をしに行くためにエリスを捕まえようとしている間に、先にこっそりと“銀晶”ランドと“泡沫の夢”マーティがエリスの証言を疑って同じことをしていたのだが、こちらはこっそりとだったので、まだ誰も知らなかった。
 マーティの過去視は周囲にも見えるので、たまたま通りかかった者でもいたら、見えたかもしれないが。
「どうしてエリスが付き合わなくちゃいけないんだ」
 “飢餓者”クロウがルビィの後ろを歩きながら、文句をいっている。ルビィはクロウを鬱陶しげに睨み付けた。クロウが邪魔をしたために、エリスに逃げられたことが一度二度ではなかったからだ。
 今は、エリスにナギリエッタとクロウがくっついてきて、ルビィには“鍛冶職人”サワノバと“闇司祭”アベルが付き添いで来ている。
「どの辺にフランがいて、おまえはどっちから来たんだ?」
 エリスは淡々とあちらからだと、もう片付けられた倉庫の跡地の向こうを指した。フランはこっちにいた、と逆を指す。
 角は辻になっているので、ルビィはちょうど角で過去視をすればよいかと考える。
「フランはその後、どこへ行ったんだ?」
「見てないわ。マイヤにもいったけれど」
 そうか、とルビィは鼻を鳴らし、過去視の準備に入る。これが終わったら動けなくなるので、付き添いが必要なのだ。
 ルビィの目は、ワイン・グレイスの輝きと共に、この倉庫の壊れた時間へと戻っていく。
 エリスが角の少し向こうに立っているのが見え、その向こうはよく見えなかった。じりじりと下がって、近づいてくる。長くかかりそうで、遡りすぎたかと思う。逆方向には人影はない。フランはいなかった。
 だが、エリスはタイミングを計っていたのか、銀色のリエラと思われるものが動いた瞬間、素晴らしい俊足で一気に下がってきた。目だけがあるルビィの前をよぎって、角を曲がる。だがまだ、フランの姿は見えなかった。
 エリスを追ってか、銀色のリエラが角にさしかかる。
 そのとき、エリスが急に足を止めた。路地から出てきた人影がある。フランのようだが、エリスの影になって、その顔はよく見えない。しかし交信しているようには思える。イルが銀色に輝いて……
 エリスはバックステップで下がり、そして……アルムを呼び出した。確かにその時点でアルムが倉庫にめり込み、倉庫が半分破壊されている。だが、同時に異なる衝撃もあったようだった。
 ルビィは確かに見ていたけれど、ルビィの位置からでは、顕現したアルムのせいでよくわからない。ただ倉庫が次の瞬間には全壊し……銀色のリエラはそれに巻き込まれたように思えた。砂埃の覆いがおさまった後には、銀色のリエラの姿はなかった。アルムも消え……そのときにはフランもういない。
 ただ、疲れ果てたエリスが途方にくれたように、かつて倉庫だったものを眺めていただけだった。
「エリス……」
 嘘吐きめ、とルビィは声なく唇の動きだけでつぶやいた。
「なにも嘘なんてついてないわ」
 エリスは、ただ、目を伏せる。その繋いだ手を、ナギリエッタは黙って握り締めた。


 また数日がたち、夕暮れに、フランが街中に持っているフラットへ戻るときのことだった。
 フランは寮にも部屋があるし、ランカークと同じように街中に別宅も持っている。ランカークの屋敷のように豪奢ではないが、隠れ家のような可愛い家だった。寮での生活は他の生徒と同じだが、こちらには年配のお手伝いが一人、ずっと住み込んでいる。
 噂になってからは……いや、もっとはっきりというならば、フランにつきまとう者が増えてから、フランは普段はときどき立ち寄るだけであった別宅のほうへ戻る日が続いていた。寮に戻るには、やはり人の目が気になるのだろう。
 フランの生活はすっかりと授業と研究所と、この家の往復をするだけになっていた。かつてはあれだけ入り浸っていた図書館にも、顔も出さなくなった。研究所に通い始めた当初には、本を借りに訪れることもあったが……それもなくなって。
 はじめは不安な顔は見せても塞ぎこむほどではなかったが、結局は噂に翻弄された者たちの挙動に、すっかりと不安は絶望にとってかわられたのか。
 足早に歩くフランの表情はすぐれなかった。まるで変質者の追跡を恐れるかのように、ときどき意味もなく振り返る。
 そこには、誰も見えなかったが……妄想という形なき追跡者が、フランの心には棲み始めてしまったのかもしれない。
 薄暮に別宅の庭を囲む生垣が見えてきたところで、フランは足を止めた。
「先日は失礼した」
 そこにエグザスが立っていたからだ。
 イルはやはり、警戒するように翼を広げた。
「すぐ立ち去るので、ご容赦を。イルズマリ殿……実は、イルズマリ殿とお話がしたいのだが、駄目だろうか?」
「イルと……? 私が一緒では駄目なのですか?」
 フランの瞳に不安が揺れる。些細なことにも、今のフランは揺れるのだ。
 エグザスは迷ったが、しばらくして口を開いた。
「私がときどき、銀色のリエラの捕獲情報のお話に伺うのもお邪魔だろうか? お邪魔であれば、考え直すので……ただ、ときどきお近くに寄らせていただいて、レディフランに嫌な思いをさせる不届き者を追い払いたいと思っているのだが。もしかしたら、こっそりとレディフランをつけまわすような破廉恥な輩がいないとも限らないので……」
 あくまで、もしかしたらですが、とエグザスは強調した。フランの気苦労は、もうすでに十分だ。もうこれ以上増やすこともあるまいとは、エグザスにも思われた。
「……あ、ありがとうございます。私は……」
 フランは肩の上にいるイルの様子を窺った。
「……ふむ、ときどきということであるならば……むろんフラウニーが嫌がらぬならであるが、よしとしよう」
 イルは膨らませていた羽を落ち着ける。
「貴公は礼儀を知らぬ者どもとは、一線を画しているようである」
「イルズマリ殿に認められるとは、ありがたきことだ。何かあったなら、遠慮なく声をかけてくれ。私にお役に立てることであれば、ご協力しよう」
「いいえ……こちらこそ、とても気を遣っていただいているようで、申し訳ありません。私は……」
 フランは何かいいかけて、やめたように思えた。
「レディフラン?」
 追って聞くべきかどうか、エグザスもこれには迷う。いいにくいことならば、追求は逆効果かもしれないからだ。
 しかししばらく迷って、フランは意を決したようだった。
「私は、そうしていただいて助かりますわ。何が起こるか……わかりませんから……」
「何が起こるか、ですか」
 銀色のリエラに関わることか、そうではないのか、エグザスにはフランの言葉の意味がすぐには汲み取れなかった。
「……本当は私が一番、私を信じられないのですわ、エグザスさん」
「フラウニー、何をいって」
 おたおたと、イルは飛び上がり、フランのまわりを飛んでいる。
 フランは、両頬を両手で挟みこむようにしてうつむいた。
「だって私がまだ狂っていないという自信が、私にはないんですもの……!」
 そして声を搾り出すように、つぶやく。
「フラウニー……」
「レディフラン……?」
「……いきなり変なことをいってごめんなさい」
 フランは、いきなりうつむいたまま走りだして、エグザスの横をすり抜けた。
 門に駆け込んだフランを、イルが追いかけて飛んでいく。
 エグザスは、その後姿をあえて追わずに、フランの残した言葉の意味を考えていた。
「狂って……?」

 門に駆け込んだフランは、一気に玄関前にまで走った。だが、
「……ッ!」
 玄関横の茂みが揺れて、声にならない悲鳴を上げて、足を止める。
「ごめんなさい、驚かせましたですか」
 なんだか大荷物を抱えて、茂みから顔を出したのは“七彩の奏咒”ルカだ。肩には鸚鵡型のリエラが乗っている。
「あ、あなた……今の……聞いてましたの……?」
「今のって? フランさん、急に走ってきたから、全然聞いてなかったです。ごめんなさい」
「いえ……いいんですの、聞こえていなかったのでしたら」
「フラウニー……そちらは」
 フランに追いついてきて、頭上に舞い降りたイルは、一難去ってまた……と丸眼鏡の向こうの目を険しくする。
「ええと。こんなとこで待ってて、すみません。でも図書館にもいなかったし、研究所にいるって聞いたから行ってみたけど、研究に協力する人じゃなかったら入れないって、白衣のお兄さんに追い返されちゃったし」
 寮にも戻らないと聞いて、ルカは彷徨ったあげくに、ここにたどり着いたのだった。
 そして、フランにまっすぐに向かう。
「ルカは、今回のことで考えたんです。フランさんは誰かに操られているんじゃないかと思うんです!」
「は、はあ……?」
 突然、フランの前で、握りこぶしにぐっと力を込めて、ルカはそう断言した。
「ひょっとしたら、夢遊病かもしれませんけど」
「…………」
 銀色のリエラの近くにいた理由を確かめようとフランにいった者は、今までにも、他にも、いた。
「もし、お泊りしていいなら、お泊りセットも持ってきたです。パジャマとか、歯磨きとか」
「…………」
 それを確かめるために一緒にいさせてほしいとフランにいった者は、その数倍にのぼる。いわずにそばにいようとした者も含めれば、その数はさらに膨れ上がる。
「フランさんが寝てる間にどこかに行こうとしたときには、ちゃんとルカが起こしますから」
「…………」
 ルカも、そのうちの一人に過ぎない……はずなのだが。
 しかしいきなり『操られていると思う』と切り出した者は、ルカ一人だ。まあ、普通はできない……だろう。これという根拠もないことだから、いい出した者がどこかおかしいと思われることもある。そう思ったらいえない。
 夢遊病を口にした者は前にもいたが、強くその可能性を考えていたわけではないようで、そのまま会話の中に流れてしまって、その後考慮する機会はなかった。
「お泊りは駄目ですか」
「ええと」
 ルカのちょっと飛躍した発想にあてられて、フランは返答に窮していた。
 ちなみにルカがここにいる間にエグザスも来て、何をしているのかと聞いてきたので、ルカはそれに答えている。「なぜ」「それは」と、そのときしばらく問答をしていた。エグザスが非論理的な少女との会話に耐えかねて待つ場所を変えた……という経緯があったかなかったかは定かではない。
 とりあえずここまで、フランは何をいわれても何を望まれても、自分から嫌だといったことはなかったが。いつになく、長く考え込んでもいた。
 イルは、はらはらとフランを見守っていた。この女生徒を家に入れるつもりなのだろうかと、くちばしをぎりぎり食いしばりながら。
 ふう、とフランは息を吐いた。
「とりあえず、中に入りましょう」
「フラウニー!」
 やっぱり、とイルは声をあげる。
「イル、夜はまだ寒いわ。ずっと待っていらして、冷え切っているのよ」
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げ、でも、とルカは続けた。
「ご迷惑だったら、やめておきますけど」
「いいえ、中に入ってくださいな。お食事もなさっていないでしょう?」
 フラン自身も諦めに近い面持ちではあるが、結局フランはここで女の子を寒い中に締め出せるような人間ではなかったということだった。


「……なにやら面妖なことになっておるの」
 夜半。むくりと寝台に半身を起こしたフランは、闇の中でそうつぶやいた。
 光は、窓の木戸の隙間から射し込む一条の月明かりだけ。それは、フランと同じ寝台で安らかな寝息を立てているルカの顔にかかっていた。
 それをフランは初めて見るもののように、まじまじと眺める。
「アルディエル」
 そして、その名を呼んだ。
「おそばに」
 その返事は、いつもはイルズマリと、あるいはイルと呼ばれているものからあった。
「これはなんじゃ」
「フューリアの娘にございますが、なにゆえ姫様のおそばにありまするかは、私にはわかりませぬ」
 姫様が知らぬ者を自身が知るすべはないと、幾度も繰り返した返事をアルディエルは彼の主君に告げた。
「おお、そうであったな……つい忘れてしまうのぉ」
「姫様、事情はそこなものにお訊ねになられるがよろしいでしょう」
「ふむ」
 そうアルディエルに答え、フランは視線を動かした。その先には、暗闇の中にルカのリエラ、リュームがいる。
 フランが起き出したら起こすように、リュームはルカから頼まれていたのだが……
「そなたはこの娘に従うものじゃな」
 何故ここにルカがいるのか、それを問われ、リュームは誤解のないよう細心の注意を払いつつ、できるだけありのままに答えた。
「見当違いなことを考えていても、ルカはあなたを心配してたんだよ、それだけは信じて欲しい」
「……まあ、よかろう」
 リュームは目の前にいる……恐ろしいフューリアの逆鱗に触れずに済んだことにほっとした。何よりリュームは、ルカを守ることが最優先だ。ルカの願いに答えられなくとも、それでルカを失うよりはずっといい。
 ……目の前の相手は、今ならばわかるが、リュームがそういう判断を下さねばならない相手であった。
「しかしの、わしが出向くことがそんなにも意外なことじゃろうかの」
「蒙昧な者どもの愚劣な頭では、姫様のご配慮が理解できないのでございましょうな」
 フランは不機嫌そうに鼻を鳴らした。そして再びリュームを見る。
「そなたはどうじゃ。そなたにも聞こえぬのか? あの叫びが。鬱陶しくて、おちおち寝てもいられぬ」
「…………」
「聞こえても、関与はせぬか。わしは哀れに思うがの。ひと思いに楽にしてやるのが、情けというものと思うぞ」
 そしてフランは、何もない闇を見渡した。
「……今はおらぬか」
「そのようで」

 夜が明けると、朝が来る。
 ルカはよく眠り、すっきりと目覚めた。起きたときには、隣にフランがすやすやと眠っていた。
「ん〜、おはよう、リューム。昨夜は何もなかったみたいだね」
「おはよう、ルカ。そうだね……」


■おじちゃんをさがして■
「おじちゃんは、お兄ちゃんより大きかったかな」
 今日はキーウィが支度していたお茶会で、集会室には人が集まっていた。中心にいるのはやっぱりラジェッタで、今まで伝言でしか話を聞けなかったような男子生徒がまわりを取り囲んでいる。
 そこで“憂鬱な策士”フィリップは自分の身長を示しながら、ラジェッタに訊ねた。フィリップの身長は二十歳前の男子としては、高いとも低いともいえない程度だ。
「うん」
 ラジェッタはフィリップの問いに、迷わずうなずいた。
「もっとおっきいだか? こっちの兄ちゃんくらいだべか?」
 フィリップより大きいのかと、“土くれ職人”巍恩はあたりを見回し、今度はルオーの手を引いてラジェッタの前に引き出す。
 ルオーは花束を抱えて、それをラジェッタに渡す機会を窺っていたので、人に取り囲まれているラジェッタの前に引き出してもらったのはありがたかった。
 なので、ルオーは早速しゃがんで、ラジェッタに花束を渡そうとしたのだが。
「しゃがんじゃ駄目だべ! 立ってねぇと、身長がわからんべ!?」
「そない殺生な! ええやん、先に渡させてぇな。俺が花持っとるより、花も女の子に持たれたいで、ほんま」
 ちゃんと立っていないと身長がわからないからと、花を渡すのさえおあずけだ。それはひどいと抗議しても、情報収集に集中している巍恩は聞く耳を持たない。
「おめぇ、ちぃと黙って立っとるべ。これもおいちゃん探しのため、ラジェッタちゃんのためだべ。……さ、おいちゃんは、これより高いだべか?」
 ラジェッタは少し小首を傾げて考え込んでから……こくりとうなずく。
「もっとだべか。おめぇ、身長いくつだべ?」
 巍恩も考え込みながら、ルオーに聞く。
 ルオーはもういいやろかとそわそわ花束をいじりながらも、答えた。
「伸びてなければ59アーやな」
「おいちゃんは60アーはありそうだべ。だいぶ高いべなあ」
 ふむふむと考え込んでいる巍恩を横目に、ルオーはもうよさそうかと、いそいそとラジェッタの前にしゃがみこんだ。
「はじめましてや、ラジェッタ。俺はルオーや、よろしゅうな」
 これはプレゼントだと、やっとラジェッタに花束を渡す。さきほどから前に立っていたのでびっくり感はなかったようだが、ラジェッタは花束を受け取ると、パっと表情を明るくした。花が好きなのだろう。
「花好きなん?」
 つられてルオーもニコニコと笑みを浮かべ、そう聞くと、ラジェッタはこくこくとうなずく。
 だが、そんなほのぼのな時間は長くは続かなかった。
「ええと、次はおいちゃんの持ってたものだべ」
 質問再開である。
 一応このお茶会よりも前に女生徒が色々聞きだしているのだが、『おじちゃん』捜索は難航していた。原因の多くは、微妙にラジェッタの語彙が貧困なせいだ。女子が聞き出したときには、身長は「おっきい」、年齢は「わかんない」、髪は「みじかい」、髪の色は「さむいみずいろ」、瞳の色は「ふつうのみずいろ」、どうやってアルメイスに来たかは「ぽっぽ」。……と、どこか微妙な表現が混ざっていた。
 わかれたときの服は、帽子をかぶっており、黒っぽいコートを着ていたらしい。
 シェラザードが手にした情報からモンタージュを作ろうとしたが、微妙すぎてさすがに答えには近づけなかったようだ。
 それで今、男子生徒たちが中心に、もう一度ラジェッタに話を聞いているのである。
「おいちゃん、何か持ってなかっただべか?」
「…………」
 ラジェッタは考え込んでいる。
 何かいいたそうではあるが。
「なんか持ってたべか?」
「あんま根詰めないで、疲れるさかい、ゆっくりとがええよ。ラジェッタちゃん、ケーキ食べはる?」
 キーウィが苦笑いしながら、ケーキを台ごと持って横まで来た。ラジェッタはうなずいてから……ナイフを指さした。
「ナイフ?」
「ながーいの」
「……剣?」
 と、キーウィもナイフをまじまじと見た。
「片刃の剣やろか」
「片刃の剣ていうとなんだべな。サーベルとか? 剣を持ってるってことは軍人だべ」
 護身用に短刀くらいならともかく、長剣を持ち歩く商人は多くないだろう。
「おじちゃんとはどんなお話をしてたべ?」
「ことば」
「へ?」
「おべんきょうしてたの」
「……言葉の勉強? んだら、元は別の国から来たんだべか」
 レヴァンティアース帝国内でも、地方によって言葉には多少の差異がある。帝国の歴史もそれなりに長いので、キーウィや巍恩の言葉のように現在は訛り程度の名残であるが。
 隣接諸国の言葉も、まったく異なるわけではないが同じとはいえない言葉が多い。通じないほどには違わないが、同じではない、というところだ。もう一つ国を隔てれば、楼国のようにまったく系統の違う言葉を主流とする国もある。
「ラジェッタちゃんのおうちは、暖かいところだべか?」
 ラジェッタはうなずいた。アルメイスは、帝国の比較的南に位置する。つまり、ラジェッタは少なくとも、アルメイスより南。おそらくは、隣接国のどこかから来たということとなる。
「生国の違う迷子は難儀だべな……」

 ひとまずはお茶会は続いていたが、わずかながらも得られた新しい情報を持って、『おじちゃん』捜索隊は出て行った。おじちゃん探しをしている者はおおむね、微風通りからアリーナにかけての広範囲で地道に聞き込みをしている。中には“踊る影絵”ジャックのように、アリーナで張り込んでいる者もいるが。
 だが全員が出て行ったわけではなく、茶会にはまだかなり人が残っている。そしてあれやこれや他愛のない話をしているうちに、残った者も外に出ようという話になった。
「ラジェッタもおじちゃんを探しに行きたいんじゃないですか?」
 そう紫苑が聞いたのがきっかけだ。ラジェッタも本当は探しに行きたかったようで、こくこくとうなずいて、自分から椅子を降りた。
「ほなら、気晴らしも兼ねて皆で行こうや。ただ街中をうろうろするよりええやろ。人多ければ、危なくもないで」
 それに誰より乗り気だったのはルオーで、そのつもりのなかった者にまで声をかけ、こぞって出かけるように声をかけてまわる。
「あれや、ついでに外で食事でもしてこようや。俺がおごったるさかい」
 そのあまりに豪気な提案に、えええー! と集会室がどよめく。減ったとはいえ、結構まだ人数は残っている。
「マジ!?」
 マリュウは勢い込んで、ルオーに真偽を問う。ルオーはさりげなく後ろを向いて、財布の中身を確認してから、おもむろに胸を張った。
「男に二言はないで。女の子の笑顔に引き換えられるもんはないさかい」
 おおおー! とどよめきが微妙に変わる。
 これで話がしたいのにラジェッタを連れて行かれると不満を持つ者も出ず、反対もなくて、時間の都合の悪い者を除いて全員で外に出ることになった。
「若い娘がこんなええ天気に部屋に篭っとるなんてもったいな……いやいや、健康に悪いさかいな」
 心で財布の中のアルム札に別れを告げつつ、それでもルオーの笑顔は満足そうだ。
 ……彼の幼子への愛は、金では量れないものらしかった。


 『おじちゃん』捜索のポイントは、駅・アリーナ・微風通りなどの飲食店となっていた。だが、各人の聞き込みでは、まったくといっていいほど芳しい情報は得られていない。
 微風通りには、ナギリエッタとエリス、そしてクロウがいた。そこへルオーがラジェッタを肩車して、ぞろぞろと学園から出てきた者たちがやってきた。
「ほな、差し入れやで。ええ話でもみっかったやろか」
 屋台の焼き菓子の包みを受け取って、ナギリエッタはううん、と、首を横に振る。
「見たかもって人もいるけどぉ……違う人のことかラジェッタちゃんのおじちゃんのことか、区別つかないっていうかぁ……よくわかんなくて」
 店の店員などには、そういう特徴の男性を前に見たことがある、という者がいたりもしたのだが。それがラジェッタが保護されるよりも、ずっと前だったりもするのだ。
「おじちゃんはいますか?」
 紫苑がラジェッタに聞くが、ラジェッタはふるふると首を振っていないことを示した。
「ゆっくり歩いて、アリーナのほうに行きまっか」
「そうだね! ラジェッタ、途中でおじちゃん見たら教えてね。あと、何か欲しいものがあったら遠慮なくいうんだよ」
 マリュウはニコニコと上機嫌にラジェッタに話しかけ、
「このおじちゃんが、何でも買ってくれるからね!」
 とルオーを指さす。だが、おじちゃんと呼ばれたことにさすがのルオーもがくっときた。訂正を要求する……最後の歳とはいえ、十代なのだから。
「……なんでも買ったるけど、おじちゃんは紛らわしいさかい、勘弁や……お兄ちゃんにしといてーな」
「ええー? でもラジェッタから見たら、ルオーだって、おじちゃんじゃない?」
 それを聞いていたナギリエッタが、あ、と気がつく。
「そっか。おじちゃんていっても、若いかもしんないねぇ」
 二十歳も過ぎれば、幼いラジェッタから見たら一律『おじちゃん』かもしれないということだ。
「……そうね」
 エリスも、言葉少なに同意した。

 ラジェッタを連れて歩き回っていた一行は、うろうろ観光がてら、買い物がてら、街を歩き回って夕刻ごろアリーナに着いた。
 その間にラジェッタが『おじちゃん』を見つけ出すことはなく、ふと『おじちゃん』はもうアルメイスにはいないような気がしてくる。そういうことも十分にありうることではあるのだが……
 さて、もう陽が暮れるので、寮に帰らなくてはならない。陽のあるうちは人も多いから、今話題の銀色のリエラが出ようともそうそう危険な事態になることもないが、冬のアルメイスで陽が暮れれば人通りはめっきり減る。
 アリーナに着いて、一行がここから寮へと戻ろうとしたとき、ちょうどジャックの『出勤』とかち合った。
「今日はお出かけですか?」
 ジャックはラジェッタのことを聞いた後から、ずっと夕方から朝方まで夜を徹してここで『おじちゃん』が戻ってこないかラジェッタの代わりに待っているのだ。それをラジェッタが聞くと、
「さむくない?」
 とても喜んだが……自分がここで寒かったのを覚えているのか、心配もしてジャックにまとわりついている。
「大丈夫ですよ」
 ジャックは安心させるように請け合って、さてそろそろ今度こそ……と一行が寮へ戻ろうとすると、今度はマーティとランドの二人連れに行きあった。
「あらあら、お出かけぇ?」
 と、声をかけられて、また足を止めた。わらわらと挨拶をする。
「あら、おじちゃん探しなのねぇ……ねえラジェッタちゃん、どうしてもおじちゃんに会いたいかしら?」
 マーティは、自分の力を使えば他の人におじちゃんの顔を伝えられるけど、どうするかと訊ねた。マーティの過去視は、まわりにいる者にも同じものが見えるからだ。
 おりしも場所はアリーナの入り口。ラジェッタもおじちゃんに連れられてここの入り口をくぐったはずで、『その時』を見れば、おじちゃんの顔もわかる。
 ラジェッタにはマーティのいっていることの意味はよくわからなかったようだが……おじちゃんを探すことができるという説明には、大変乗り気になった。
 意味がわからないまま過去視をするのはどうか……というムードもあったが、『おじちゃん』の顔を見られるということは魅力だ。
「おじちゃんと別れたのって、どこ?」
 それで、ラジェッタが示したのは、入り口のすぐ外だった。中までは入っていないらしい。そこから、おじちゃんにいわれた通りに修練場の入り口の前まで行って、ラジェッタはお迎えを待っていたということだった。
「じゃあ、ここねぇ。じゃあ、ランド、後はお願いねん」
 任せておけ、とランドが請け合う。マーティは過去を見るたびに、自分の過去を一つ失う。納得づくでしていることなのだからそれはよいとしても、場合によっては肝心なことを忘れてしまうので、リエラの能力を使うときには、付添い人が必須だ。
「あと、あたしのまわり3アースにいる人にしか見えないから、見たい人は近づいててよん。通りすがりの人に見えないように、壁作っててくれると助かるわぁ」
 準備を終えて、マーティは交信を上げていく。ラジェッタが、前にここを通ったとき。そこまで時を遡る……
「これが……?」
 普通には、その顔はよく見えなかった。襟巻きは顔の半分を隠していたし、帽子は目を隠していた。寒い冬のアルメイスなら、不自然な姿形ではないので、街を歩いていたら見過ごすかもしれない。
 だが、帽子から覗く氷のような銀の髪に見覚えのある者はいた。ある程度身長の低い者は、帽子の下を覗き込むこともできた。
 そして、少女の手を引いてきて、ここで別れた『おじちゃん』の顔をよくよく見たなら、名前を知っている者もそこにはいた。
「レアン……」

 まだ動揺している生徒もいたが、陽が暮れるので急いでラジェッタを連れた一行は寮へと帰っていった。
 マーティはラジェッタに対して、
「……あらぁ? どこの子?」
 などといいはじめたため、残ってランドが面倒を見ている。なくなる記憶は完全にランダムだが、ときには試練としかいいようのない記憶が喪失することもある。今回は、さほど悪影響のなかったほうだろう。
「本当は、ここに何しに来たかは憶えているか?」
「それは……多分憶えてるわ。やーね、忘れっぽくて。さっさとやっちゃいましょうか」
 忘れっぽいとか、そういう問題ではないのだが。
「まだ何か見るんですか?」
 残っていたのは、後はジャック。何をしているのかとマーティたちに聞いてきた。見える範囲にいると、見せる気がなくても見えてしまうので、マーティは隠す気もないようだった……が。
「ええと……なんだっけ?」
 ランドは頭を抱えた。横から奪い取るように説明する。
「さっきのより、もっと遅い時間を見てみるんだ。もしかしたら、戻ってきてたかもしれないだろう? エリスは見てないっていったらしいが、ここまでは来てたかもしれない。他にもあるが」
 近くでは、銀色のリエラの捕り物が行われていた。学園の生徒がいたために、近づけなかったということもあると……判明した人物ならば、十分に考えられることだ。
「でも、時間と場所の指定が難しいわよねぇ……」
 いつ来ていそうか、どこまで来たか。それを絞り込まなくてはならない。マーティには無制限に過去が見られるわけではないのだから。
「なるほど。手助けにはならないかもしれませんが……僕は、ここのところずっと夜はいますが、ここに彼が来たことはありませんね。彼を探しているという人は来ましたが」
 ジャックが見かけたのは、“桜花剣士”ファローゼである。ただ、自分のリエラに匂いを追わせるという考えにはそもそも無理があったようで、うまく行っていないようだった。
 そのときは、ずいぶんと無茶なことを考えているとジャックは思ったが、当たらずも遠からずであったのかもしれない。
 もう、来ないのでしょうか……と、ジャックはすっかり暗くなったアリーナに目を凝らした。


■始祖の血の見る夢■
「自存型リエラの発生の起源が、今回の事件の鍵ではございませんか」
 担当であるというエイムという研究所の研究員と、セバスチャン、エドウィンなどの協力の中、自存型リエラの研究は進められていた。だが、自存型リエラは自らの生まれについて語ろうとはしない。セバスチャンの問いには、それはあまりに古い話であるからだと、人が生まれたときのことを憶えていないのと同じだろうと、多くは答えた。
「そもそも……リエラ自体に起源と呼べるものはないと思われるのである」
 イルは難しい顔でそう語った。
「自存ではないリエラは、フューリアとの交渉があって初めてこの世界に現れるのである。自存型は……」
 そこで考え込む。
「カル、お前はどうだい?」
 エドウィンが自分のリエラに、その最初を問うと。
「エドウィンは初めて会ったときを憶えてないんだにゃ」
「……ごめん、俺は物心ついたときには学園にいたからなあ……そのときにはもう、カルは一緒だったし」
 思いがけず悲しい目をされて、エドウィンは慌てた。
「カルはエドウィンが呼んだから来たにゃ。前に戻ってから、エドウィンが呼ぶまで、ずっとこっちにはいなかったにゃ」
「……向こうはどんなとこ?」
「説明できないにゃ」
「カルはいつ生まれたんだい?」
「生まれたときのことにゃんて、憶えてないにゃあ」
 だが、もしかしたら彼らは本当は知っているのかもしれないと、そういう気分にもなる。憶えていないという彼らは、何か微妙な様子だ。憶えてないといいながら、でも知っているのかもしれないと。
「では、リスクを背負ってもこの世界に現れるのは何故なのでございましょう?」
「呼ばれたからだにゃー」
「呼ばれなければ、来ないのでございますか?」
「うにゃ……? こないにゃあ。ほかのは知らないけどにゃ」
「じゃあ、銀色のリエラも呼ばれてきたのでございましょうか……ですが、銀色のリエラに主はいないのですね……」
 そのとき急に研究員の体調が悪くなって、フランが付き添って別の部屋に行って休むことになった。イルは残ったので、今しかないとエドウィンはイルに聞く。フランは自存型の主としては真面目な限りで、自らイルと遠くに離れることはないからだ。イルが自分から離れた場合にも、他の者が空を飛んでいるイルを捕まえて話をするのは困難である。
「ちょっと聞きたいことがあったんだけど……イルズマリはフランが出歩くのを止めなかったのかい」
「む……それは……吾輩も憶えていないのである。吾輩も眠っていたので」
「イルも?」
 自存型には食べたり眠ったりするものもいる。イルもそうだというのは、別に珍しくもないだろう。
「フラウニーの眠っている間は、ほとんど吾輩も眠るのである」
「そうなんだ。じゃあ、あのときフランは眠ってたんだ」
「……そうであるな」
「じゃあ、銀色のリエラに操られてあんなところにいたんだとしても、イルは止めてやれないんだな」
「ううむ……」
 イルは微妙な顔で唸っている。
「どうしました?」
 そこで、フランが戻ってきた。
「いや、なんでもないよ」


 その日、フランが研究所を出るとランドと、“幼き魔女”アナスタシアが待っていた。二人は示し合わせていたのではない。それぞれに調べたことを、フランに伝えに来たのだ。
 アナスタシアが調べたことは、やはりエルメェス家についてだった。旧王家と呼ばれる古い家系であり、九老師という役職につくことのできる家系の一つだ。エルメェス家が代表とするリエラは、やはりイルズマリ。他は様々で統一感はない。もっとも、リエラとフューリアは一対一が通常なので、統一感がないのがおかしいわけではないが。
 このあたりは、図書館で並んでアベルも調べていた。初めて銀色のリエラの目撃談が出た頃と、フランがアルメイスに来たときとの一致が見られず、調査の手を伸ばしたことによる。
 アベルは得た情報を持って、ここではなくサウルのところに行っているが……そちらは、サウルには目新しい情報ではなかったようだ。サウルは銀色のリエラとフランの間に、直接の因果がないことを知っているかのようで。
 呪われた伝説、心の病……これについてはアナスタシアも行き着いた。さすがに同じ話に行き着いたグリンダは、こんなデリケートな話を本人に直接いったり聞いたりする気にはなれなかったが……
「すまない、勝手にエリスがフランを見たところを過去視したんだが……」
 最初に切り出したのは、ランドだった。
「え……」
「何をいってたのかはわからないんだが、君はイルと交信して……多分、銀色のリエラを攻撃していたと思う。エリスはそれに巻き込まれて、確かにアルムを出さざるを得なかったのは本当だった。力場がなければ吹き飛ばされていただろうからな……これを憶えていないというのなら、ある種の病気ではないかと思うんだが」
 蒼白な顔で、フランは立ち尽くしていた。それはそうだろう、知らぬところで人を殺しかけていたといわれたのだから。
「とにかく、マイヤに相談することを勧める」
 フランから、返事はない。アナスタシアはイライラしたかのようにいった。
「本当に憶えておらぬのか。イルズマリは記憶を喰らうリエラなのかの? 我のリエラもそうじゃが」
「吾輩は違う」
 むうと顰め面で、これにはイルが答えた。さらにイルはそのことを憶えていないかと問われ、イル自身も覚えていないことを気まずそうに答える。
「ふむ。二重人格という心の病があるがの。リエラにもそれは存在するのかの?」
 イルはむうと唸った。その横で。
「私……私……」
 フランは顔を覆っていた。
「ごめんなさい……」
「フラン?」
「私……生まれてきてごめんなさい……」


■二つの道■
 『双樹会銀色リエラ捕獲部隊』と『ランカーク私設銀色リエラ捕獲部隊』は、それぞれに動き始めていた。
 銀色のリエラが現れる場所と時間は、いまだ法則性が見つかっていない。あるいは法則など、ないのかもしれない。そんな中では、効率よく銀色のリエラを狩り出すことなどはどちらの部隊にしても不可能である。
 今のところは地道な巡回しか、獲物と出会う手段はなかった。
 双樹会側の捕獲計画では、銀色のリエラに遭遇したのち、ただ追うのではなく、その逃走経路を順に塞いでいって、アリーナに追いこむことになっている。この追い込み班が最も人数を必要とし、連携が必要となる。こちらに人手を割いたがために、捜索が甘くなったのは否めないか。
 ランカーク側は個人行動が多く、完全に統制は取れていない。蒸気自動車による機動力だけが、取り得という状況であったが。
 永遠に誰も出会えないのなら、この事件はある意味解決であるわけだが……銀色のリエラが現れ、街中などで戦闘状態になるから、今回の捕獲に至ったのであるわけで。
 しかし。
 目標との遭遇は、完全に運だ。
 二つの捕獲部隊のうち、最も幸運……というのが正しいかはわからないが……だったのは、“蒼空の黔鎧”ソウマと“冥き腕の”バティスタだった。
 そこは、まだ明るい微風通りの路地裏で。
 気配がすると、突然にソウマがいい出したのが最初だった。
 そして、その勘は当たっていた。
 暗い路地裏の奥に、夜の闇を映したリエラが立っている。
 ソウマは交信を上げた。かなり無理をして、急いで上げる。
「開放だッ! 交信をみんなに知らせてくれ! ……黒装ッ」
 一緒にいたバティスタにソウマは叫びながら、もう銀色のリエラへ最初の一撃を放とうとしていた。
 だが、能力発動の動作に手間取っている間に……銀色のリエラは逃げるのではなく、ソウマの懐にまで走りこんできた。ソウマの殺気に反応したのか。
「ぐぁあ!」
 どぅっ……と、体当たりにソウマは倒れこむ。
「ひ、卑怯だぞ!」
 ダメージはソウマの体を包むように現れているリエラが吸収してくれたが、交信を上げたままでは起き上がることができない。下げても、交信を急いであげたので多分すぐには動けないだろう。
 ソウマは歯軋りして、銀色のリエラをにらみつけた。
「くそっ!」
 だが銀色のリエラは、とどめを刺しには来なかった。そのまま、路地の奥へ消えていく。
 通りで近くにいる者たちを呼んだバティスタが路地に戻って来たときには、銀色のリエラは路地の奥で角を曲がるところだった。
「く……」
 追うかどうか。倒れているソウマを前にバティスタは一瞬躊躇したが、
「……すぐ他の者が来る!」
 このまま逃がして一般のエリアに接触したときのことを考えて、バティスタは見失わない程度にと追いかけ始めた。

 銀色のリエラ出る。
 その情報は双樹会側にも伝わって、ランカーク側のみならず、捕獲班は急激に動き始めた。
 そんな中のことだった。
「どっちかな!?」
 微風通りにいた者がまず最も現場に近いわけで、シーナはクレアに耳打ちした。
 とにかく双樹会側では、まだ今日は、銀色のリエラに接触した者はいない。まず、その姿を捉えるところからだ。
「クレアさん、あっちに回って!」
 銀色のリエラを見つけた後の作戦は、道を塞いでいって逃亡先を誘導するというものだ。行き先は、やはりアリーナ。アルメイスの中で、そこ以外に被害をある程度考慮する必要のない場所はない。
「わかった!」
 クレアがそういって走っていく。
 ……少し遅れて、その後ろをラックが走っていった。本当は、ラックも別の道を塞ぎに行かなくてはならないのだが。
 シーナは逆の通りを走る。多分、銀色のリエラはこちら側に出てくるだろうと思っていた。でなければ、どこかで挟み撃ちにできるだろうと。
 だが……シーナはここでクレアから離れたことを、ひどく後悔することとなった。

 バティスタが追った銀色のリエラは、次にジークとカレンの二人組に遭遇していた。そこで、バティスタは連絡と周囲の避難誘導へ向かい、銀色のリエラの追手は入れ替わっていた。
 ジークは交信を上げ、リエラのトイフェルリュストゥングの能力で銀色のリエラを呪縛できるかどうか試したが、それは叶わなかった。だがそれだけで諦めることはない。そのときのための次の準備も、怠りなく行っていたからだ。
 蒸気自動車で駆けつけたコタンクルが、カレンとジークの追う銀色のリエラの行く手を塞ぎ、通りに出ようとしたところを押し返した。再び銀色のリエラは路地へと戻る。
 ジークはある路地の一画まで、銀色のリエラを追い込むつもりだった。アリーナまでとは思っていない。だが、もう双樹会側のメンバーもランカーク側のメンバーも追跡と追い込みに混ざっていて、お互い違うことを考えているから、なかなか上手くいかなかった。
 中には追い込みの邪魔をする者もいて、混乱が広がっていた。
「待って……無闇に威嚇するのはよくないと……あっ」
 追うジークを止めようと、進路の邪魔をしようとした“せせらぐ流水”水華を、カレンが体術で軽く転ばせる。
「行って」
 カレンの言葉にうなずき、ジークはさらに追跡を続けた。
 そして、ようやく罠の場所へと追い込む。
「これでどうだ……!」
 ジークは再度交信を2レベルに上げ、磁場を操る。銀色のリエラに、あらかじめ路地に置いておいた屑鉄が一気に引き寄せられた。その重量を枷にして、銀色のリエラの動きを止めようというのである。
 もくろみはあたったかに思えた。
 銀色のリエラの足が止まり、膝を突く。
 そこへ、後ろから、また逆から、他の者もたどり着き……
 次にそこへたどり着いた細雪には、足の止められた銀色のリエラは好都合だった。交信を試みたかったからだ。
『おぬしは、何を目的に動いているでござる?』
『…………』
『おぬしの仕えるべき主はいずこ? 何者であるか?』
 それは声ならぬ意志のキャッチボール。
『……わからない……わから……お……れ……どうし……こわ……い……やだ……や……』
 答えはあった。だが、迷う答が。

「向こう……?」
 騒がしさを頼りにクレアは走っていた。
 路地をすり抜けようとしたとき、前を塞ぐ人影を見つける。路地の壁に寄りかかった、その男は……
「貴様は手を出すべきではないな。これは奴の試練だ。貴様みたいな半端者が関わるのは失礼というものだろうよ」
「…………!」
 男の姿に、声なき悲鳴が上がる。
「クレア……! 下がって……!」
 後ろから来たラックの声は聞こえなかったか、一瞬の交信によってニムロードが狭い路地に降臨し、隣接の建物を削りながら地響きを立て前に走る。
 暴走だ。これを暴走といわずに、なんというか。
「脆い……脆すぎる」
 そんなつぶやきが妙にはっきりと聞こえた。
「これでフューリアなどとは片腹痛いな」
 ニムロードは突き当たりに体当たりしたところで消えた。クレアが崩れ落ちてきた瓦礫に倒れ、意識を失ったからだ。
 ラックはその体を火事場の馬鹿力で抱え上げると崩れてくる瓦礫を器用に避けながら、人のいる通りへと急いだ……

「あれは……あっちか」
 銀髪の男はいつの間にか違う路地にいた。そしてあらぬ方向を眺めやる。
 そして歩き出した。

「姫様、近くに奴がおります」
「またあの男か……こしゃくな。またしても、わしの邪魔をしようというのか……?」
「こちらに向かって来ておりまするぞ」
「やむをえん。もうやつも消えるじゃろう、今日は戻る」
 フランは街に現れていた。
 一度家には帰っていない。
 研究所からそのまま、そこに向かったようだ。だが現場近くには現れず、途中で引き返している。
 それは住人の避難誘導をしていた、“六翼の”セラスが目撃していた。
「フラン! こんなとこにいたら危ないよ! また例の銀色リエラが出たんだって」
 そうセラスが声をかけたとき、もうフランは現場から離れるべく移動していた。
「失敬な」
 フランは振り返り、険しい顔を見せた。
「ぬしに我が名を呼ぶことを許した憶えは……」
「姫様……!」
 イルが急かした様子で、フランは舌打ちした。そしてそのまま行ってしまう。
 様子がおかしいのでセラスはフランに近づきたかったが……セラスはもうリエラのフェムライズを呼び、自分の体のコントロールはフェムライズのほうにあったので、自分の思い通りには動けなかった。
 それでも、いつもならフェムライズはセラスの願いに応じてくれるのだが。
「なんで……? フェムライズ、私はあっちに行きたいのに」
 意に反して、フェムライズに操られる体は、違う方向に向かう。
「なんで……?」

 どぉん……ごごごご……ががん!
 近くで異様な崩壊音がした。それが拮抗したバランスを崩すきっかけとなった。
 そのとき、その場にたどり着いたシーナも何事かと気を奪われる。……ひどく胸騒ぎがした。
 そして……
 やはり動くことは叶わなかったのか。
 銀色のリエラは、その場で消えた。
「消えたでござる……」
 細雪はつぶやいた。
 鉄屑を振りほどいて、どこかに行ったのではなく、その場から忽然と消えたのだ。
「消えたか……」
 ジークは目を離すことなく、それを見ていた。
 鉄屑が、今まで銀色のリエラがいた場所に、ぐしゃりと団子状に固まる様子を。
 それは、そこから物体が消失した証拠だった。

参加者

“飄然たる”ロイド “眠り姫”クルーエル
“天津風”リーヴァ “蒼盾”エドウィン
“怠惰な隠士”ジェダイト “せせらぐ流水”水華
“蒼茫の風”フェル “白衣の悪魔”カズヤ
“探求者”ミリー “少女が趣味”シュルツ
ライラック “光炎の使い手”ノイマン
“弦月の剣使い”ミスティ “舞い踊る斬撃”慈音
“翔ける者”アトリーズ 神楽
“喧噪レポーター”パフェ “笑う道化”ラック
“朧月”ファントム “風曲の紡ぎ手”セラ
“双面姫”サラ “光紡ぐ花”澄花
“ぐうたら”ナギリエッタ “闇司祭”アベル
“紫紺の騎士”エグザス “風天の”サックマン
“銀の飛跡”シルフィス “桜花剣士”ファローゼ
“黒き疾風の”ウォルガ “タフガイ”コンポート
“硝子の心”サリー “清らの雫”フレディアス
“自称天才”ルビィ “待宵姫”シェラザード
“鍛冶職人”サワノバ “伊達男”ヴァニッシュ
“幼き魔女”アナスタシア “六翼の”セラス
“銀嶺の傀儡師”リオン “闇の輝星”ジーク
“銀晶”ランド “安全信号”紅楼・夢
“深緑の泉”円 “冥き腕の”バティスタ
“踊る影絵”ジャック “餽餓者”クロウ
“悪博士”ホリィ “悠久の奏者”アルベルト
“闘う執事”セバスチャン “血剣”嘉島・熱人
空羅 索 “見守られる者”リーリア
“時刻む光翼”ショコラ ユリシア=コールハート
“熱血策士”コタンクル “白銀の皇女”アンジェラ
“氷炎の奏者”シンキ “天駆ける記者”カリン
“抗う者”アルスキール “陽気な隠者”ラザルス
“のんびり屋”レープル “水月の天使”ガブリエラ
“路地裏の狼”マリュウ “双剣”紫炎
“蒼空の黔鎧”ソウマ “茨の城主”フォルシアス
“土くれ職人”巍恩 “竜使い”アーフィ
“炎華の奏者”グリンダ “宵闇に潜む者”紫苑
“自由少女”華架 “拙き風使い”風見来生
“緑の涼風”シーナ “彷徨い”ルーファス
“完璧主義者”レイディン “銀嶺の氷嵐”サキト
“宵闇の黒蝶”メイア “貧乏学生”エンゲルス
“鋼鉄騎女”ゾディア “慈愛の”METHIE
“魔弾”カイ “七彩の奏咒”ルカ
“久遠の響”キーリ “のんびりや”キーウィ
“白き風の”エルフリーデ “深藍の冬凪”柊 細雪
ラシーネ “旋律の”プラチナム
“燦々Gaogao”柚・Citron “轟轟たる爆轟”ルオー
“影使い”ティル “憂鬱な策士”フィリップ
“泡沫の夢”マーティ “星屑の落し物”沙織
“nightmare bringer”α