汽笛をあげて汽車はプラットホームに滑り込んできた。このアルメイスを訪れる多くの者は、この駅をこの街の玄関とする。 悲鳴のようなブレーキの音が止み、黒光りする汽車は動きを止めた。その後ろに繋がった客車の扉の一つから、青黒いコートに身を包み、黒い襟巻きで口元近くまでを隠した男が降り立った。髪と目はやはり黒っぽい色の帽子の影に隠れていたが、銀色の髪が帽子の下からわずかに覗いている。 男は、小さな手を引いていた。 男に手を引かれ列車を降りた栗色の髪をした幼い少女は、毛糸の帽子の乗った頭をくるくると動かして、ものめずらしそうにあたりを見回していた。 「おいで」 男はその手を引いたまま歩き出す。少女は言われるがまま、引かれるがままに歩いていった。
「また出たんだって」 「修練場? 微風通り?」 「今度はアリーナの近くだって」 前々から噂は流れていた。 銀色のリエラ。その肌は金属のような光沢を持ちながら、その動きはあくまで滑らかな、人の形をしたモノ。だが、誰が見てもそれはエリアでもフューリアでもない。 人にあらざるもの……リエラだ。 主を失い、暴走したリエラが、このアルメイスのどこかに潜んでいるという噂は、ずっと囁かれていた。だが、どこまでも噂だった。 誰も、そのリエラの主だった者を知らない。失われたということは死んだということなのだろうが、誰もその死んだはずの生徒の名を知らない。 暴走した銀色のリエラは、主を失ってなお、具現化を続けている。 それは自存型だということなのだろうか。 暴走した銀色のリエラは、逃亡し、跡形もなく姿を消すという。 自存型ならば、まず姿を消したりはしない。 それは、どこまでも噂だった。どこかが矛盾した噂。 だが多くの者が、その噂は真実だと信じていた。 なぜなら、銀色のリエラとの遭遇を自ら体験した者も多かったからだ……
「レディフラン、御足労いただきましてありがとうございます」 双樹会会長マイヤは、丁寧にフランに対して礼を取った。 いいえ、とフランは首を振る。その肩口で、イルズマリは羽ばたいた。少しいらついているようにも見えた。 待ち合わせた場所、図書館の前から二人は歩き出した。二人が向かったのは、比較的アリーナに近い裏通りだった。計画都市であるアルメイスでも昼間にも人通りの少ない薄暗い裏通りはある。 ただ、普段なんだかんだとアルメイス全体の運営に関わるマイヤはともかく、筋金入りのお嬢様であるフランがこのような裏通りで目撃されることはめったにない。 「こちらです」 「……これは」 指し示された一角に視線をやり、フランは両の手で口元を覆う。息を呑む音を抑えるかのように。 「昨夜、『銀色のリエラ』が出たという現場です。目撃者はエリス嬢」 角の近くまで来ないとわからなかったが、本来『角』であった場所は数アース向こうだったようだ。そこから手前が、綺麗さっぱり崩れている。 何人かの生徒が駆り出されているのか、瓦礫を片付けていた。かなり運び出された後のようだ。 「エリスさんは」 「エリス君は無傷です。しかし身を守るためとは言え街中でリエラを出して派手に破壊しましたので、彼女には今日一日寮で謹慎していただいてますが」 彼女がリエラを出して、この程度で済んだのなら、被害はほとんど出なかったと言ってもいいところですが……と、マイヤは聞かれるともなしにつぶやいている。 実際に、エリスがリエラのアルムを出したのは、ほんの一瞬のことであったようだ。つい先日にも濡れ衣とは言え処分の対象になり損ねたエリスは、多少思うところもあったのか今回は彼女なりに事情聴取に協力的であるよう努力したらしい。 「壊れた建物に人は」 「倉庫でしたので誰もいませんでした。エリス君の謹慎が一日で済んだのも、そのためです。不幸中の幸いですね」 崩れた倉庫の瓦礫を眺めやり、マイヤはフランの問いに答える。フランもその瓦礫を見つめ、しばらく迷った後、思い切ったように切り出した。 「それで、私に」 「失礼しました。本題に入りましょう」 マイヤはフランに向き直り、うなずいた。 「銀色のリエラの噂はお聞きになったことがありますね?」 「はい」 「最近、銀色のリエラの目撃者が増加し、被害も広がってきています。なにかしら、対策を立てなくてはならないのですが」 自存型のはぐれリエラであるのならば、リエラを本来の世界へと返す『高天の儀』で帰ってもらうのが一番良い。だが本当に暴走しているとなれば、それも難しい。また、そもそも『高天の儀』の助けとなる皆既日食は近々に起こる予定はない。 「その対策に……」 「はい、レディフランとイルズマリ殿に、御協力いただきたいのです。このたびの暴走リエラは自存型の疑いが濃いのですが、実体化をやめて姿を消すような証言もあります。完全に暴走しているのであれば、討伐するしかありませんが……」 そこでマイヤはフッとため息のように息を吐く。 「可能ならば、討伐は避けたいのです。自存型のはぐれリエラの場合、一度討伐しても復活して再度暴れだす例もありますので。いたちごっこになってしまうのは避けたい」 「でも……高天の儀は」 「ええ、難しいですね。しかしどちらにしろ、このままにしておくわけにはまいりません。捕獲作戦は有志学生を募って既に開始しております。ですが、今回の件はわからないことが多い……自存型の更なる研究を含めて、お二方に御協力いただきたいのです」 他の自存型リエラとそのパートナーにも協力は求めるが……と、いつもの微笑みを浮かべてマイヤは告げる。フランが否とは言わないことを知っているかのように、自信に満ちた声音で。 「はい……私たちにできることでしたら」 フランの声は小さかったが、澱みなく答えた。 「ありがとうございます、レディ。……ときに」 マイヤは再び礼をし、そして続ける。 「昨夜は、こんなところで何をなさっていらっしゃったのですか?」 なんでもないことのように。 「……え?」 だが、思いもかけぬ言葉に、フランは凍りつく。 「エリス君は、ここでレディフランの姿を見、それゆえここから先に逃げることを諦めたのだそうです。逃げ場を失って、やむにやまれずアルムを呼んだのですよ」 それでもマイヤは、淡々と続ける。 「……私……?」 呆然とするフランを、まっすぐに見つめながら。
「出たぞー!」 銀色のリエラの出現は昼夜を問わない。 「アリーナへ追い詰めて!」 「建物は壊すなよー!」 その日は、夕刻のことだった。陽の暮れかけはじめた黄昏時。 双樹会で集めた有志の学生たちが銀色のリエラを追っていた。街に被害を出さないよう結界のあるアリーナに追い込むという作戦であったが、しかしリエラを出しては動き辛い学生もいて、なかなかに難しいようだ。 「誰か先回りしろ!」 「他の学生を避難させておいて!」 「わかったぁ!」 声に答えて、赤毛の少女が走り出した。片手は、黒髪の少女の手を引きながら。 そして二人は、アリーナでもう一人の黒髪の少女と出会った。 「あ! エリス! もういいのぉ?」 捕獲作戦に参加したクレアは、昨夜の事件も聞いていたし、それでエリスが今日は謹慎処分をくらったという話も聞いていた。だから、陽が暮れたとは言え、出てきてもいいのかと素直に訊ねる。 「訓練は日課だから……」 わずかにばつ悪そうにエリスは口ごもる。許可を得ずに出てきたらしいということはクレアにもわかったようだが、追求はしないでうなずいた。 「ああ、一日休むと調子悪くなっちゃうもんね! でも、もうちょっと待ってくれる? ちょっと今、捕り物中なんだ!」 「捕り物?」 エリスが怪訝そうな顔を見せたので、クレアはにゃは〜っと楽天的な笑みを浮かべて解説した。 「銀色のリエラだよ! あれを、こっちに向かってみんなで追ってるの。ここに現れたら、取り囲んで捕まえるんだよ」 「そうなの」 と、まだどこかはわからないその捕り物の様子を窺うようにエリスは周囲を見た。陽が沈み、あたりの色が暗く濃くなっていく。 そんなとき……突然、こどもの泣き声が聞こえた。 「なに? あ、いけない! 他の人にも避難してもらわないといけないんだったぁ!」 「あっち、ですね……」 ルーが、微かな声で泣き声のする方角を示す。行ってみよう、とクレアに促されて三人とも、その泣き声の聞こえるほうへと向かった。すると泣いている7つ8つかという少女の前に、女生徒が一人しゃがんでいる。少女に話しかけ、話を聞こうとしているようだが、上手くいっていないようだった。 「カレン? どーしたの、その子ぉ」 クレアが真っ先に走り寄る。 「あ、クレア。この子、迷子みたいなんだけど……よくわからないの。泣いてるせいか、話が要領を得なくて」 カレンが訓練を終えて修練場から帰ろうとしたとき、少女は道の端に座り込んでいたのだそうだ。時間も時間なので、声をかけてみた……すると、 「お迎えなの? って聞かれたから、違うって答えたら……こう」 そこからはなにかが切れてしまったかのように泣き出して、話にならなくなってしまった……ということだった。 「カレン、ここ、これから危ないんだよ」 「危ない?」 とにかく、クレアはカレンに急いで捕り物の話をした。泣いている少女に説明しても、そんなことはわからないだろうとは思えたので。 「じゃあ、この子は避難させた方がいいわね。……でも、お迎えが来るのよね。誰かここに残らないと」 カレンは考え込んだが……それにはエリスが、すぐに答えた。 「私が残るわ。この子を、寮に連れていって」 私なら、多少のことは大丈夫だと。仮にエリスと仲の良くない者であっても、エリスの実力を疑う者は少ない。 エリスがそういうのならと、カレンは再び少女の前にしゃがみこんだ。 「ここは危ないから、私と一緒に行こう」 だが、少女はいやいやと首を振る。 「おじちゃんがくるの、まつの」 「おじちゃん? お迎えが来たら、こっちのお姉さんが連れてきてくれるから」 今は一緒に、暖かいところに行こうとカレンは少女の手を引いた。泣きじゃくりながらも、少女は歩き出す。 「あたしたち、捕り物のほう見てくるね! ちょっと遅いし」 エリスを一人修練場の入口に残して、クレアとルーも走っていった。
そして……夜半近くまでそこで待っていたエリスの前に、少女の迎えは現れなかったという。 迷子の少女は、それからずっと寮にいる。保護者が見つかるまでという約束で、女子寮の一室に寝泊りをしていた。交代で、手隙な者がなにくれと面倒を見ている。 保護者がいるならば保護者を……あるいは捨て子と決まれば引き取り手を捜さなくてはならないのだが、少女の話は要領を得ない。保護されてから数日が経っても、ラジェッタという少女自身の名と、『おじちゃん』と一緒にアルメイスに来たということ程度しかわかっていなかった。 そして『おじちゃん』の行方は、知れなかった。
「逃げられたようですね」 時は、カレンが少女をアリーナから連れ出した頃。アリーナに追い詰めるよりも前に銀色のリエラを見失い、捕獲作戦は頓挫していた。マイヤは報告を受け、有志のメンバーたちに集合をかけたところだった。 「もう少し、参加者を募りましょうか」 人手が多ければいいというわけではないが、多ければできないことが減る可能性はある。そんなことを考え込んでいたマイヤに、そのときメンバーの一人が走りよって何事かを耳打ちした。 「わかりました。行きましょう」 マイヤは即答した。そこから、そう離れていない路地に向かう。 そして、そこには。 「レディフラン、こんなところで何をなさっているのでしょう?」 やはり丁寧に礼を取り、マイヤはその路地にたたずんでいたフランに訊ねた。珍しく少しだけ、マイヤは苦笑しているようにも見えた。 「あの」 一方で、フランは青ざめている。そして、つぶやくように言った。 「私、どうしてこんなところにいるのでしょう……」 フランの肩にはイルがいて、そのフランが本物であることを物語っている。イルは、ただ黙ってフランの肩にとまっていた。
「どこに行っていた!?」 「申し訳ありません」 ランカークはおかんむりだった。従者が出かけていて、彼が呼んだときに来なかったからだ。 「聞いたか!? レディフランにあらぬ疑いがかかっているらしいのだ!」 「あらぬ疑い、ですか」 なんでも、銀色のリエラと何か関係があるらしいということだと、ランカークは唾を飛ばす。現場には何人も学生たちがいたので、噂が流れるのは防げなかったようだ。 「レディフランはさぞ傷心のことだろう。私が、その疑いを晴らさねば!」 「はあ」 「それで、私も銀色のリエラの捕獲部隊を編成する」 「…………」 「隊員を募集するので、ポスターを貼ってくるんだ」 「あの、双樹会のほうで、捕獲作戦が行われていますが」 だめもとで、従者は言ってみた。いや、大体無駄なことはわかっているのだが。 「こちらはレディフランの名誉のために捕獲するのだ!」 目的が違うのだと、ランカークは言い張る。だから、双樹会の捕獲部隊には先を越されてはならん! と。 「へえ……僕も参加しようかな」 従者がため息を噛み殺しながらポスターに手をかけたところで、開いていた扉のほうから声がかかった。声の主は、先日からこの屋敷に居候を決め込んでいるサウルだ。 「ええっ、サ、サウル様が!? そ、そそ、そのようなこと」 「レディフラウニーなら、知っているよ。エルメェス家の令嬢だろう」 にこやかにサウルは部屋に入ってきた。 「レディの力になるのは、紳士の務めだ」 はっ、と緊張しながらランカークは答える。 「その通りであります!」 そこで、この話は、本当に後には引けなくなった。 そして二つ目の『銀色のリエラ捕獲部隊』の募集が、かけられることとなったのである。 |
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