宵闇の学園で。ここは学園長室……に、程近い、隠し部屋である。 学園長ルチアルが執務をする場所は、学園長室よりもこちらが多かった。 「……どうしたものでしょうか」 「行かなくてはならないのだから、どうにかして行くわ。行かなければ、約束を反故にしたと言われるかもしれないでしょう?」 あの兄は、そういうことを言うかもしれない……ルーは、まだサウルのことが信用しきれないといった風情だった。彼女がサウルに追い込まれたのも、方針変更を強いられたのも事実で、それはやむをえないことかもしれなかった。 「その間、決済は滞るけど……事前に出来る限りこなしておくしかないでしょう。緊急事態がなければ、それで一週間程度はもつでしょう」 何の話かと言えば、ルーが帝都に行く話だ。 そして。 「殿下、私は……」 「アルメイスを、二人とも空けるわけにはいかないでしょう」 「しかし」 マイヤが食い下がる。それは行き先が帝都ということと、そしてそこに何をしに行くのかが……大きな理由であった。 二人が離れることは今までにも数多くあったが、今回の帝都行きだけは同行を譲れないという態度をマイヤは見せていた。 「ただ宮殿にお戻りになるだけでしたならば、御命に従いもいたします。ですが、此度は譲れません。殿下の御意志が漏れれば……!」 マイヤがルーに対して、ここまで堅苦しく、また態度を硬化させることは珍しい。何を言っても結局は、マイヤはルーに従う。だが、今回ばかりは決してという態度をマイヤは崩さなかった。 当然と言えば、当然である。ルーがガイネ=ハイトに意思表明と弁明に行くということは、サウルとの折り合いからして今後の方針を父皇帝に相談に行くということでもある。そこで最終的な目的――ルーが権力を握って改革を成そうとすること――が皇位継承権を持つ他の兄弟に漏れる可能性も、否定しきれなかった。 それは、そういったことを完全に放棄しているサウル以外の兄弟に正面から喧嘩を売るということで、知られれば生きて帰れないという可能性も少なくはない。いや、かなり高い。兄弟であっても、いや兄弟であるからこそ、容赦はないだろう。 一国の頂点を争うと言うことは、そういうことだ。 マイヤがそこについて行かないということは……ルーの身に何か起こる可能性を大きく引き上げる。そしてそれがあったときには、マイヤは耐えられるまい。 「二人ともアルメイスからいなくなったら、本当に学園の運営が止まっちゃうでしょう」 だが、ルーもそれは譲らなかった。
その数日は会長室を訪れれば、ふとした折に溜息をつくマイヤが見られた。その理由は知らない、わからない者が多かったが。 少々珍しいものとして、マイヤをよく知る者たちの間では少し話題になっていた。 「大変そうだね」 その日、その場に他に人はいなかったが、もしいたなら溜息どころの珍しさではない物が見られただろう。溜息の理由に心当たりのあるらしい訪問者が会長室の扉を叩いたとき、マイヤはそれをものすごい形相で睨みつけた。 「何の御用です」 「……おっかない顔だなあ、マイヤー」 サウルは肩をすくめた。 「こんな顔にもなります」 ふいと顔を背けた後、何か思いついたように、ゆっくりとマイヤは戸口のサウルに視線を戻した。 「まさか、あなたは、こうするのが目的だったんじゃ……」 「ああ……言われると思った。でも、違うよ。このまま誰かにルーを暗殺でもされて、自分の手を汚さずに妹を殺したって言われるのも本意じゃないな。だから、僕も出来る協力はしようじゃないか。今日はマイヤーに知恵を授けに来たのさ」 「知恵?」 マイヤはサウルの言葉に、怪訝そうに顔を顰める。 「そう。ルーとは別にガイネ=ハイトに行く口実があればいいんだろう? ついでにアルメイスがその間どうにかなる、あるいはどうにかならなくても諦めがつく状態ならいいわけだ」 「どういうことです?」 「ほら、もうじきだろう。毎年恒例なんじゃないのかい?」 マイヤははっとしたように呟いた。 「……修学旅行」 「正解」 サウルは笑って言った。 「今年の行き先をガイネ=ハイトにすればいいんだよ。参加も、できるだけ呼びかければいい。アルメイスに残る者が少なければ、こちらでトラブルも起こりにくくなるだろう?」 「でも……ガイネ=ハイトでは場所がありません。戦闘訓練になりませんよ」 「やり方次第だよ。小規模だけどアリーナはあるし、第三段階まで上げないなら街中でも多少は大丈夫さ。見張りに人手は貸し出そう。暴走しそうなら、うちの連中に止めさせる」 マイヤは考え込んだ。サウルは嘘は吐かない……他の意図を隠し持っていることはあっても。 「……どういうおつもりなんですか?」 「言った通りだよ。汚名を着せられるのは本意じゃない……それだけじゃ納得できないなら、もう一つ。僕も同じタイミングで帝都に帰る。レアンも一緒に移動だ」 「……なるほど」 旧悪を白日の下に晒そうとするサウルにも、敵はいる。レアンかサウルか、どちらかでも永遠に黙らせることができれば、そういう者たちの目的は果たされる。 「生徒を弾除けに使うつもりですか? 巻き込まないでくださいよ」 「努力はするよ……その場にフューリアが多いってだけで、抑止力になるからさ。危ないのは行きの列車と降りてすぐだけだから、持ちつ持たれつでどうかなぁ。僕たちはアルメイスには戻らないから」 そう微笑むサウルに、マイヤは無表情に答えた。 「……わかりました」 と。
それから数日のうちに、修学旅行のポスターが校内に貼り出された。 行き先は、帝都ガイネ=ハイト。そして、訓練内容とそのルールも明記されていた。 それは、異例なことばかりであったが…… 『今年の修学旅行はガイネ=ハイト記念コロシアムを拠点にし、街中での逃亡と捕獲を訓練します。 今回は女子生徒を赤組、男子生徒を白組と事前に定めます。 白組は赤組からの逃亡と、捕獲された同組メンバーの解放を目的とします。 赤組は白組の捕獲と、その維持を目的とします。 捕獲者の拘留場所は、記念コロシアム内。 最終日に白組の拘留されている人数と逃亡している人数を比較して、拘留されている人数が大きい場合は赤組の勝利、逃亡している人数が大きい場合は白組の勝利とします』
「なにこれ!」 そのポスターに声を上げた者が一人。 「どうするつもりなの。この期間、アルメイスが空っぽになるわよ」 「いっそ二人ともいないのならば、空っぽのほうがよろしいのではないでしょうか。学園に残る者については、アルフレッド君に頼んで行きます。もうポスターは貼ってしまいましたし、日程は変えられません」 「私だって、連絡しちゃったわ」 「殿下は殿下のご予定でお動きください。僕は修学旅行の期間中、白組は赤組に捕まらなければ、どこにいても良いことになりますので……」 うって変わってにっこりとマイヤは微笑んで言った。ここしばらくの間に、百面相を会得したような様子だ。 「……これ、男子、宿とかどうするのよ?」 「赤組と拘留者はコロシアム付属の宿泊施設を使用します。白組は逃げている間は自力で調達になりますね」 「あなたは良いかもしれないけど……職権乱用っぽいわ」 「謗りは如何様にも」 マイヤは、やはり譲る気はないようだった。
「しゅうがくりょこうだって! たのしいのかなあ」 ラジェッタがポスターを見上げている。 今回は初等部も含んで、できるだけの参加を呼びかけているようだった。引率代表はカマー教授らしい。 「ラジェッタも行くの?」 隣に立ったのはカレンだ。 「うん!」 ラジェッタは元気良く頷く。 「おじちゃんにおみやげ、かってくるの」 「あー……この日程なんだ」 背の低いラジェッタの後ろから、クレアがポスターを覗き込んだ。 「……ちょうどいいかな。やっぱ、心配だし」 「何が?」 クレアの独り言をカレンが聞きとがめたが…… 「ん、なんでもないよ!」 クレアは笑って誤魔化した。クレアには運良くか、そこにもう一人通りかかってカレンの意識はそちらに向いたので、それ以上の追求はなくてすんだ。 「何を見ていらっしゃるんです?」 通りかかったのはフランだ。 「フラン……フランも行くの? 修学旅行」 「え?」 そこで改めて、フランはポスターを見て。 「今年はガイネ=ハイトなのですね……そうですね、自由時間がいただけるなら、お父様にご挨拶に行きたいかと……」 「行くんだ」 カレンは繰り返し確認する。フランの動向は、カレンにとっては重要なことなのだ。 「じゃあ、私も行くことになるわね……」 その人だかりの後ろを、黒髪の少女が通り過ぎていく。 「ガイネ=ハイト……ね」 そのときエリスは何を思ったのか。 それは誰もわからなかったが……修学旅行の名簿にはエリスの名前も載っていた。 |
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