修学旅行〜Get Your Eternity〜
 宵闇の学園で。ここは学園長室……に、程近い、隠し部屋である。
 学園長ルチアルが執務をする場所は、学園長室よりもこちらが多かった。
「……どうしたものでしょうか」
「行かなくてはならないのだから、どうにかして行くわ。行かなければ、約束を反故にしたと言われるかもしれないでしょう?」
 あの兄は、そういうことを言うかもしれない……ルーは、まだサウルのことが信用しきれないといった風情だった。彼女がサウルに追い込まれたのも、方針変更を強いられたのも事実で、それはやむをえないことかもしれなかった。
「その間、決済は滞るけど……事前に出来る限りこなしておくしかないでしょう。緊急事態がなければ、それで一週間程度はもつでしょう」
 何の話かと言えば、ルーが帝都に行く話だ。
 そして。
「殿下、私は……」
「アルメイスを、二人とも空けるわけにはいかないでしょう」
「しかし」
 マイヤが食い下がる。それは行き先が帝都ということと、そしてそこに何をしに行くのかが……大きな理由であった。
 二人が離れることは今までにも数多くあったが、今回の帝都行きだけは同行を譲れないという態度をマイヤは見せていた。
「ただ宮殿にお戻りになるだけでしたならば、御命に従いもいたします。ですが、此度は譲れません。殿下の御意志が漏れれば……!」
 マイヤがルーに対して、ここまで堅苦しく、また態度を硬化させることは珍しい。何を言っても結局は、マイヤはルーに従う。だが、今回ばかりは決してという態度をマイヤは崩さなかった。
 当然と言えば、当然である。ルーがガイネ=ハイトに意思表明と弁明に行くということは、サウルとの折り合いからして今後の方針を父皇帝に相談に行くということでもある。そこで最終的な目的――ルーが権力を握って改革を成そうとすること――が皇位継承権を持つ他の兄弟に漏れる可能性も、否定しきれなかった。
 それは、そういったことを完全に放棄しているサウル以外の兄弟に正面から喧嘩を売るということで、知られれば生きて帰れないという可能性も少なくはない。いや、かなり高い。兄弟であっても、いや兄弟であるからこそ、容赦はないだろう。
 一国の頂点を争うと言うことは、そういうことだ。
 マイヤがそこについて行かないということは……ルーの身に何か起こる可能性を大きく引き上げる。そしてそれがあったときには、マイヤは耐えられるまい。
「二人ともアルメイスからいなくなったら、本当に学園の運営が止まっちゃうでしょう」
 だが、ルーもそれは譲らなかった。

 その数日は会長室を訪れれば、ふとした折に溜息をつくマイヤが見られた。その理由は知らない、わからない者が多かったが。
 少々珍しいものとして、マイヤをよく知る者たちの間では少し話題になっていた。
「大変そうだね」
 その日、その場に他に人はいなかったが、もしいたなら溜息どころの珍しさではない物が見られただろう。溜息の理由に心当たりのあるらしい訪問者が会長室の扉を叩いたとき、マイヤはそれをものすごい形相で睨みつけた。
「何の御用です」
「……おっかない顔だなあ、マイヤー」
 サウルは肩をすくめた。
「こんな顔にもなります」
 ふいと顔を背けた後、何か思いついたように、ゆっくりとマイヤは戸口のサウルに視線を戻した。
「まさか、あなたは、こうするのが目的だったんじゃ……」
「ああ……言われると思った。でも、違うよ。このまま誰かにルーを暗殺でもされて、自分の手を汚さずに妹を殺したって言われるのも本意じゃないな。だから、僕も出来る協力はしようじゃないか。今日はマイヤーに知恵を授けに来たのさ」
「知恵?」
 マイヤはサウルの言葉に、怪訝そうに顔を顰める。
「そう。ルーとは別にガイネ=ハイトに行く口実があればいいんだろう? ついでにアルメイスがその間どうにかなる、あるいはどうにかならなくても諦めがつく状態ならいいわけだ」
「どういうことです?」
「ほら、もうじきだろう。毎年恒例なんじゃないのかい?」
 マイヤははっとしたように呟いた。
「……修学旅行」
「正解」
 サウルは笑って言った。
「今年の行き先をガイネ=ハイトにすればいいんだよ。参加も、できるだけ呼びかければいい。アルメイスに残る者が少なければ、こちらでトラブルも起こりにくくなるだろう?」
「でも……ガイネ=ハイトでは場所がありません。戦闘訓練になりませんよ」
「やり方次第だよ。小規模だけどアリーナはあるし、第三段階まで上げないなら街中でも多少は大丈夫さ。見張りに人手は貸し出そう。暴走しそうなら、うちの連中に止めさせる」
 マイヤは考え込んだ。サウルは嘘は吐かない……他の意図を隠し持っていることはあっても。
「……どういうおつもりなんですか?」
「言った通りだよ。汚名を着せられるのは本意じゃない……それだけじゃ納得できないなら、もう一つ。僕も同じタイミングで帝都に帰る。レアンも一緒に移動だ」
「……なるほど」
 旧悪を白日の下に晒そうとするサウルにも、敵はいる。レアンかサウルか、どちらかでも永遠に黙らせることができれば、そういう者たちの目的は果たされる。
「生徒を弾除けに使うつもりですか? 巻き込まないでくださいよ」
「努力はするよ……その場にフューリアが多いってだけで、抑止力になるからさ。危ないのは行きの列車と降りてすぐだけだから、持ちつ持たれつでどうかなぁ。僕たちはアルメイスには戻らないから」
 そう微笑むサウルに、マイヤは無表情に答えた。
「……わかりました」
 と。


 それから数日のうちに、修学旅行のポスターが校内に貼り出された。
 行き先は、帝都ガイネ=ハイト。そして、訓練内容とそのルールも明記されていた。
 それは、異例なことばかりであったが……
『今年の修学旅行はガイネ=ハイト記念コロシアムを拠点にし、街中での逃亡と捕獲を訓練します。
 今回は女子生徒を赤組、男子生徒を白組と事前に定めます。
 白組は赤組からの逃亡と、捕獲された同組メンバーの解放を目的とします。
 赤組は白組の捕獲と、その維持を目的とします。
 捕獲者の拘留場所は、記念コロシアム内。
 最終日に白組の拘留されている人数と逃亡している人数を比較して、拘留されている人数が大きい場合は赤組の勝利、逃亡している人数が大きい場合は白組の勝利とします』

「なにこれ!」
 そのポスターに声を上げた者が一人。
「どうするつもりなの。この期間、アルメイスが空っぽになるわよ」
「いっそ二人ともいないのならば、空っぽのほうがよろしいのではないでしょうか。学園に残る者については、アルフレッド君に頼んで行きます。もうポスターは貼ってしまいましたし、日程は変えられません」
「私だって、連絡しちゃったわ」
「殿下は殿下のご予定でお動きください。僕は修学旅行の期間中、白組は赤組に捕まらなければ、どこにいても良いことになりますので……」
 うって変わってにっこりとマイヤは微笑んで言った。ここしばらくの間に、百面相を会得したような様子だ。
「……これ、男子、宿とかどうするのよ?」
「赤組と拘留者はコロシアム付属の宿泊施設を使用します。白組は逃げている間は自力で調達になりますね」
「あなたは良いかもしれないけど……職権乱用っぽいわ」
「謗りは如何様にも」
 マイヤは、やはり譲る気はないようだった。


「しゅうがくりょこうだって! たのしいのかなあ」
 ラジェッタがポスターを見上げている。
 今回は初等部も含んで、できるだけの参加を呼びかけているようだった。引率代表はカマー教授らしい。
「ラジェッタも行くの?」
 隣に立ったのはカレンだ。
「うん!」
 ラジェッタは元気良く頷く。
「おじちゃんにおみやげ、かってくるの」
「あー……この日程なんだ」
 背の低いラジェッタの後ろから、クレアがポスターを覗き込んだ。
「……ちょうどいいかな。やっぱ、心配だし」
「何が?」
 クレアの独り言をカレンが聞きとがめたが……
「ん、なんでもないよ!」
 クレアは笑って誤魔化した。クレアには運良くか、そこにもう一人通りかかってカレンの意識はそちらに向いたので、それ以上の追求はなくてすんだ。
「何を見ていらっしゃるんです?」
 通りかかったのはフランだ。
「フラン……フランも行くの? 修学旅行」
「え?」
 そこで改めて、フランはポスターを見て。
「今年はガイネ=ハイトなのですね……そうですね、自由時間がいただけるなら、お父様にご挨拶に行きたいかと……」
「行くんだ」
 カレンは繰り返し確認する。フランの動向は、カレンにとっては重要なことなのだ。
「じゃあ、私も行くことになるわね……」
 その人だかりの後ろを、黒髪の少女が通り過ぎていく。
「ガイネ=ハイト……ね」
 そのときエリスは何を思ったのか。
 それは誰もわからなかったが……修学旅行の名簿にはエリスの名前も載っていた。

「修学旅行は実地訓練です」
 実地訓練とは、実際の場で行われる訓練である。
「君の言う通りにしてしまったら、優しい訓練になってしまいますね」
 それは、“光炎の使い手”ノイマンの提案に対してのマイヤの答。
「アルメイスを卒業するまでに、君たちは最低限戦地や敵地で生き残れる智慧と技術を身につけていかなくてはならないのです。国内にあれば、相手とするのはエリアだけとは限りません。また、単独行動を命ぜられないとも限らない。危険な場所を避けられるとも限らない。隠密行動を不得意とする者にも、それが課せられないとは限らない」
 リエラの能力の全面的な使用禁止。帝都は危険であるので、白組にも安全な宿泊施設を。腕章をつけ、その腕章を奪うことによって捕獲とする等々のノイマンの提案は、マイヤによって却下された。
「向いている能力を持つ者は、良い成績を残すでしょう。それは当然のことです。向いている者に有利だから能力の使用禁止……そんなことは、ありえません。これは、例年に同じことが言えます。単純な戦闘訓練であっても、向き不向きはありますからね」
 転移を使って逃げる者がいれば、追う難度が高い。洗脳を使って捕らえる者は、追いつけさえすればほとんどの者を捕らえることが出来るだろう。だが、『だからリエラ能力の禁止』とは、なりえない。
 捕らえる側は誰をどう追い、どんな場合に諦めるべきかも考える必要がある。最終的な判断が数ならば、難度の高い者と低い者で対応を変えることも、重要な策の一つだ。
 修学旅行の実地訓練は、チームプレーも頭脳も求められる。
 頭を使わなくても良いようにしてしまったら、訓練の意味がなくなってしまう。
 それが、却下の理由だ。
 さて。ノイマンは禁止されないなら、自分も使う。そういうつもりでいたが。どうやら、そうは甘くもないようだった。
「当然ですが『捕獲』と『逃走』が目的ですから、必要以上の危害を加えてはいけません。学生に不可抗力以上の怪我をさせたり、無関係な人を巻き込んでも良いと思う者はいないと思っていたので、そういう注意は出しませんでしたが。それだけは追加で出しておきましょう。怪我は訓練である限り不可抗力な部分はあるでしょうが、危険な行為を行った場合には、相応であったかが検証されるでしょう。後は、常識で判断してください。どこでどうするか、判断すること自体が訓練です」
 どのように捕らえるか、どのように捕獲し続けるか、どのように逃げ続けるか。危険な場所に探しに行くか行かないか、どこに身を潜めるか。それを選ぶのは、生徒自身である。
「被害を考慮せず全力を出すことは、賢い選択ではありません。追われる側ならば能力的にも『常に全力で逃げ続けること』は不可能なので、大きく追っ手のかかるそれは自殺行為と言えます。追う側であっても、秩序の枠から出られるわけではありません」
 第二段階で能力を使用する場合も、破壊力の大きいものは目をつけられるだろう。街中では使えないものもある。それなりの力をある程度の範囲にとなれば、場所によっては周囲にも被害を出すからだ。まさにノイマンのはそういうタイプの能力だった。
「帝都において何が犯罪となるか、犯罪にならぬ範囲でどうすれば良いのか、それは常識で判断してください。破壊行為やその他の犯罪となる行為を行い発見されれば、法に則って処罰されるでしょう」
 周囲に被害を出せば、学生の訓練だと言っても犯罪になる。使いどころを、よくよく検討しなくてはならない。
 わずかの間をあけて、獄舎に入るだけですめば良いですが、と、マイヤはぼそりとつぶやいた。フューリアの危険人物は、その場で処理されることもあるのだ。
 もっとも、マイヤは一つ隠していることがあるのだが……
「不向きな方は、不向きなりに頑張ってもらうしかないですが。まあ、どうしても夜の危険は嫌ということであれば、一つ安全な方法をお教えしますので」
 最後に、とマイヤは微笑んで言った。
「訓練中、ずっと捕まっていれば安全ですよ」
 成績はよくならないだろうが。


■出かける前に■
「じゃあ、後は任せても平気でしょうか」
 “旋律の”プラチナムに、マイヤは修学旅行の進行を書き付けた書類を委ねた。
「実地訓練の免除は、教授に話を通しておきます。実行委員等は大きく募集はしませんでしたので、さほど集まらないでしょう。女性の副委員長は、やはりセラ君でしょうね」
 プラチナムはうなずいた。ここで“風曲の紡ぎ手”セラの名前が挙がるのは、予想通りのところだ。 
「彼女は救護班を作るそうですので」
「もう、お話があったのですか?」
 プラチナムは可能な限り急いで、一番先にマイヤの元にと考えてきたのだが、そうはいかなかったかと、かすかに嘆息した。企画書と危機管理のマニュアルと大物二つを用意するには、やはり多少の時間を必要としてしまったからだろう。
 しかもマニュアルはともかく、企画書はマイヤから丁寧ながら……丸々返された。参加告知がなされた時点でマイヤの作った企画書が教授会にも通っていて、帝都の関係各所とも連絡が取れており、他の案が入る余地はないというのが表向きの理由だ。
 その企画が、異例なほど秘密裏に迅速に作成されたことはプラチナムにもわかっている。理由もおぼろげながら察しているつもりだった。それには大きくマイヤの都合が関わっているので、内容を変えられないのだということも。ただ、ここまで融通がきかないものだとも思わなかった。
 なので、企画書を返された際にはプラチナムは食い下がった。
「会長は、学園長のサポートで手一杯のはずです。生徒のことを第一に考えて行動できる者が責任者となるべきではないでしょうか。修学旅行の全責任は私が負いますので、会長は会長の本業の方で手腕を発揮してください」
 それに対してのマイヤの答えはこうである。
「修学旅行の管理を任せることは、やぶさかではありません。旅行期間中の双樹会会長代行も、必要とあらば任命しましょう。ただし、条件があります」
 その条件とは、マイヤの作った企画の内容を変更しないこと。そして企画書の中には一般学生には公開されていない、『関係各所との約束』も記されていた。
「これを見るからには、普通に訓練に参加するとしても成績はさっぴかれます。その覚悟はありますか?」
「もとより紅白戦には参加しないつもりでしたので、それは問題はありません。企画が固まっているのであれば、それに従うことも」
 そして、最初に戻る。マイヤはプラチナムに書類の束を委ねた。
「セラ君は、紅白戦の範囲内で女生徒たちと行動するそうですので。多分、拠点となるコロシアム内での細々したことは任せて良いでしょう。プラチナム君は、対外的なことをするのが良いと思います」
 プラチナムは、表紙に『秘』と記された企画書をめくった。ざっと目を通して。
「これは……皆に言わないで良いのですか?」
「それも訓練のうちです。正しく判断する力があれば、困ることはないでしょう」
「これは、帝都の機能的に困らないのですか?」
「多少は困るでしょうね。でも、あちらもやりくりがつくと判断してのことでしょう」
 そこまで君が心配することはない、と、マイヤは首を振った。
「そうそう。書記には橙子君を推薦しておきます」
「橙子さん?」
 不意に話を逸らすかのように、マイヤは言った。そこで“縁側の姫君”橙子の名前を聞いたのはプラチナムには意外なことだったので、聞き返さないではいられなかった。
「旅行記を書きたいそうですから、記録のまとめついでに協力してもらうといいでしょう」
 プラチナムは了承の返事をしながら、周到な準備と迅速さの釣り合いについて考えていた。

 プラチナムに限らずだが、出かける前から修学旅行は始まっていると言えただろうか。
 行くか行かないか、行ってどうするのか、それを決めて準備をするだけでも一悶着ではすまなかった。
 また修学旅行の前後には同時にいくつかの事柄が進行していて、修学旅行は後から決まったことだったが一番大きな行事であったので、そちらへの注目が同時のできごとを覆い隠していた。それでも、それぞれに近しい者たちには隠し通すことは出来なかったが。
 予告なく姿を消そうとしている者たちのことを察して、見て見ぬふりは出来ない者……“春の魔女”織原 優真と“真白の闇姫”連理の二人は、出発前にルーを訪ねていた。
 学園長であるルーに用があると言っても、学園長室を訪ねたところでルーに会えるわけでもない。二人も、アリーナ近くでルーの姿を見つけることになった。
 一緒にいる顔ぶれは、あまり変わりない。クレアと“緑の涼風”シーナは一緒に先にアリーナへ行くと駆けていったので、ルーの隣に残ったのは“天津風”リーヴァだけだったが。
「退学したい?」
 二人がルーにもちかけた相談は、そういうことだった。
「はい。フューリアが学園に送られてくるのは、もう決まりごとのようなものですから、黙ってどこかに行けるわけではありませんよね?」
 アルメイスへの入学は、フューリアと判明した子どもにとっては義務化しており、半ば強制的に連れてこられる。そしてアルメイスに中途入学は多いが、中退は基本的にはない。
 従軍するか、研究施設に入るか。それ以外の道に進むにしても、区切りはやはり卒業だ。
「あなたは、もう研究過程だったかしら?」
 ルーは二人を眺めやって、首を傾げる。
「私はもう、高等部までの教養課程は終わっていますが」
「妾は今、中等部じゃな」
 不穏な空気を感じ取ったか、連理は憮然と言った。
「高等部の過程まで終わっていて、きちんと就職先が決まっているのなら、アルメイスを出て行くこともできないことはないけど……中等部の途中じゃ駄目ね」
「何故じゃ! 妾は優真がおらぬなら、アルメイスにいる意味はない」
 連理は声を上げた。渋られるかもしれないことは想像していたが、優真は良くて連理はいけないという事態は、連理は考えもしていなかったからだ。
「フューリアとしての教育を受けることに、十分意味はあるわ。フューリアというだけで、まだまだエリアとは異なる扱いを受けるもの。良いことも悪いこともあるけれど、それがどういうことかを学んでから、他の場所に行ったほうが良いのよ」
 帝国においても、教育を義務としているのはフューリアにだけだ。それはフューリアというだけで与えられる特権の一つであり、義務の一つである。
「そうじゃ、では、こういうことではどうじゃ? 妾がアルメイスを離れる許可の代わりに、ルーが必要なときに妾が予知をするというのは」
「…………」
 ルーはただ首を横に振った。そこに一切、迷いはなかった。一考する余地もないらしい。
「何故じゃ? ルーはこれから危険にさらされることもあるじゃろう? ルーの命に比べれば、アルメイスから学生が二人離れることなぞたいしたことではあるまい」
 連理は、食い下がったが……
「一度くらいじゃ意味ないわ」
 ルーは苦い微笑みを浮かべて、やはり答えた。
「一度では足りぬと言うのか?」
「一度では足りないし、十分な回数とでも、私の身と引き換えに解放するには大きすぎる危険ね」
「妾が危険じゃと? 外に出ることが妾にとって危険なのかの、妾が他の者にとって危険なのかの? どちらじゃ?」
「両方よ。あなたにとっても、まわりにとっても」
 ここまで言われては、さすがに連理も、いかに粘っても許可は得られそうにないと悟った。
「やむをえんのう……休みを利用して行くのは止められないのじゃろ?」
「そこまでは拘束しないわ」
 連理は諦めの吐息を吐いて、それから手間を取らせた分だと言いながらリエラの闇主を呼び出した。
「今回のは特別サービスじゃ。一度くらいサウルを驚かしてやるのも悪くなかろう?」
 そして、予知したものを耳打ちする。ルーはやはり、ただうなずいた。
 それを見届けて、優真も囁く。
「でも、サウルさんとは仲良くなさってくださいね。サウルさんは『荒っぽい方法を取らないなら、協力してもいい』って、前におっしゃってるんですよ」
 ルーは何か言おうと唇を開きかけ、やっぱり閉じた。考え込んではいるようだった。
「お二人とも優しいのですから。譲り合って、理解しあえれば、上手くいくはずです」
 連理と優真が去っていく際に、ルーはつぶやくように連理に言った。
「『私の命と比べれば、アルメイスから学生が二人離れることなどたいしたことではない』……まずは、これが間違っていることを理解してね」
 それがわからないうちは、まだまだ卒業には遠いと。
 二人を見送ってから、リーヴァはルーに囁いた。
「彼女は、君を説得する方法を間違えたね。自分の命のほうが他より重いと思うのなら、そもそも君は、ここにはいないだろう」
 少しリーヴァから距離を取りながら、ルーはつっけんどんに答える。
「どう説得されても、はいとは言わないわよ。どちらにしても同じことだわ」
「君の理想が教育で伝わると良いがね」
「……伝わってくれなければ、困るわ。私だけじゃ、また空回りだもの……」
 続く囁きには、溜息で答える。どこか遠くを見ながら。今までが空回りだったと認めたわけでもあるが、弱気になっている様子が窺えた。最近のルーには、そんな気もそぞろな様子が多かった。


「そ、それって……本当?」
 “猫忍”スルーティアは困惑する表情を隠すように、両のてのひらで両頬を包んだ。スルーティアの斜め下では、同じ顔でラジェッタが“黒き疾風の”ウォルガを見上げている。
 ここにも予告なく姿を消そうとしている者たちのことを察して、見て見ぬふりは出来ない者がいた。
「おじちゃんは、アルメイスにもどらない……の?」
「そうらしい。俺も、又聞きだけどな。サウルとレアンも、修学旅行の日に帝都に行くんだそうだ。レアンが帝都へ連行されるなら、もうアルメイスに戻ってくる理由はないな」
 ウォルガは屈んでラジェッタに視線を合わせて言った。
「もう……あえないの?」
「そんなことない、きっとまた会える。でも……しばらく、簡単には会えなくなる。この修学旅行がおじちゃんと一緒にいられる最後の機会だ」
 ラジェッタは顔を歪めた。泣きそうな顔だが、まだ泣かない。
「おじちゃんの近くにいると、危ない目に遭うかもしれない。それでも、もしラジェッタが修学旅行の間おじちゃんと一緒にいたいなら、俺、交渉してきてやるよ」
「いっしょにいられる?」
「わからない。でも、お願いしてくる」
 少し考えてから、ラジェッタはうなずいた。
「じゃあ、行ってくる」
「あ……ま、待って!」
立ち上がって行こうとしたウォルガを、スルーティアはその服の裾を掴んで呼び止めた。ウォルガが振り返ったところに、続ける。
「レアンさんのところに行くの?」
「ああ、まあ……教授のところに先に行くけど」
「じゃ、一緒に行く。レアンさんにお礼が言いたいから。ラジェちゃんも、行こ?」
 ウォルガの服の裾を握ったまま、スルーティアはラジェッタを顧みる。
「うん!」
 それには、迷わずラジェッタもうなずいた。

 三人は先にカマー教授のところへ行き、ウォルガは修学旅行後の人身御供を約束して、修学旅行期間中のラジェッタの別行動を頼み込んだ。結局カマー教授は、それに良い顔は見せなかったけれど……
「逃げ回ってる子や、追いかけている子のすべての動向を、アタシが管理してるわけじゃないわ。初等部の子なんだから、誰も捕まえられなくて成績が良くなくても仕方ないんじゃない? 危ないことをしないんなら、地元の警邏に咎められることもないかもしれないわ」
 と言って、三人を追い返した。良いとは言わなかったが、訓練の間に何をしていても自分は知らぬということだ。それは、見て見ぬふりをするということ。
 それに伴う、成績の降下を我慢できるなら。危険なことになって、警邏隊のお世話にならないなら。好きにしなさいということだ。
「わたしも、一緒でもいい?」
 次にサウルの屋敷に向かいながら、スルーティアは改めてウォルガに言った。
「良いのか? 成績、下がっちゃうかもしれないぞ」
「う、うん、でも……修学旅行の間はラジェッタちゃんと一緒にいようと思ってたから」
 ラジェッタと手を繋いで歩きながら、スルーティアはラジェッタと視線を交わした。心配そうな目がスルーティアを見上げていて、スルーティアも少し迷ったが。
「レアンさんのお土産、一緒に探そうね」
 そう言うと、ラジェッタも心配するのはやめたのか、にっこりと笑った。
 そして、三人はサウルの屋敷に着いて。
「レアンさん」
 スルーティアはラジェッタの手を引いたまま、一階のサロンにいたレアンの前に立った。
 以前は二階の寝室から出歩かなかったことを考えれば、レアンももう、体の具合もだいぶ良くはなったのだろう。暴走の果てに、この世界に引き戻され、この屋敷に連れてこられた最初の日は、まだ真冬だった。今は、夏の気配が近づきつつあるのだから……ずいぶん時間は経ったのだ。途中で、レイドベック公国への国境を越えるという無理をしたのはあったが。
「いまさらだけど……ラジェちゃんを連れて行ってくれて、ありがとうございました」
「連れて……? あのときのことか」
 ソファに腰掛けていたレアンは、少し不思議そうにスルーティアを見上げた。
「おまえが礼を言うようなことじゃないだろう?」
「で、でも……わたし、何もできなかったから。してくれたレアンさんに、お礼を言わなきゃって思って……お礼を言うのは礼儀だよ!」
 最後に意味もなく、力が篭る。
「気持ちはわかったが」
 まだ少し困惑を見せながら、レアンは答える。
「それでも。……ありがとうございました」
「おじちゃん、ありがとう」
 隣で、ラジェッタもスルーティアに習うようにぺこりと頭を下げた。
「……ああ」
 レアンは照れくさそうに顔をそむける。そこでやっと、スルーティアも笑みを浮かべた。
 その一方で。
 同じサロンの戸口のところでは、サウルとウォルガが話をしていた。
「帝都に着いてから?」
 帝都に着いた後、修学旅行の間可能な範囲で行動を共にしたいと。ウォルガがそうサウルに頼んだとき、サウルは本当に驚いた顔を見せた。
「そりゃまあ、行きは同じ列車に乗っていくけどね。一緒なのは帝都に着くまでで、僕たちはそこから憲兵隊本部に行くんだよ」
「すぐには無理でも、後から」
「いや……わかってるかい?」
 こちらも戸惑っている。
「レアンは留置場に行くんだよ?」
 それと一緒にいようということは、一緒に留置場に入るということだ。本気かと聞かれてもやむをえない。
「一緒に入る気かい?」
 ううん、とウォルガは唸った。
「それにしても、いまさら留置場なのか? レアンは、逃げはしないだろうに」
 逃げないとはわかっていても、最初から保釈というわけにはいかないということだ。それと……
「だって、留置場が一番安全なんだよ」
 サウルは吐息混じりに言った。


 出かける前に考え込んでいる者は、他にもいた。深刻な者と比べれば、軽い悩みかもしれなかったが。
 本人にとっては真剣な悩みだ。“轟轟たる爆轟”ルオーにとっては。
 性別が違うのでラジェッタと一緒に行動できないことが、ルオーの今最大の悩みだった。訓練中のラジェッタの前に立てば、捕まってしまうと思っていた。ルオーはこのときまだ、ラジェッタの修学旅行が微妙に変質していたことを知らないので、真剣にそれを悩んでいたのだ。
 そして、一つの結論に至った。
 そして、それは実行に移された。

「カマー教授は急に具合が悪ぅなりましてぇ、急遽私が代わりに」
 と、眼鏡と白衣のひょろっと長い男が、駅に集まっていた者たちに言った。
 言ったのは、ルオーである。
 このとき既に、ルオーは少ししまったと思っていた。引率代表のカマー教授を殴り倒して入れ替わる作戦だったが、代表ということは他にも引率の教授がいるのである。
「そんな連絡は……学園に確認を」
「列車来ちゃいますよ」
「君、どこの研究員だ?」
「あなた……?」
 ばれるのは時間の問題だ。いやもうばれているかもしれない。顔見知りもいないわけじゃない。
「カマー教授が来ないって? ……ルオー、どうしたんだって?」
 一応カマー教授との密約を気にしていたウォルガが走って来て、そう言った。何度も顔を合わせた者にばれないはずもなく。
「きゃー! カマー教授が縛られてトイレに倒れて……」
 どこかで“泡沫の夢”マーティの悲鳴が聞こえた。ちょっと転がしておくのが安全な場所すぎたか、と、後悔する。
「ルオー?」
 万事休す。
 完璧な作戦だったと思ったんやけどなぁ……と、ルオーは溜息をついた。


■出発のベルが鳴る■
「気をつけろよ」
 “創生の海”アルフィルが列車に乗り込むところを見送って、“演奏家”エリオは手を振った。
 隣には同じく見送りにきた寮長アルフレッドと、先程カマー教授を殴り倒して入れ替わろうとして捕まったルオーがいる。
「ラジェッタちゃーん……」
 ルオーはさめざめと泣き濡れているが、エリオは同情する気にはなれなかった。もう少し真っ当な方法で、ついていくことを考えればよかったのにと思う。
「本当に行かないのかい?」
 そこでエリオに、アルフレッドが訊いてきた。
「ヴァレリオを維持するのに、帝都みたいに人の多い都会はちょっと。アルメイスなら、理解があるけど……行けないのはつまらないけど、仕方ないな」
 エリオは肩をすくめてみせる。自存型リエラの消費を支えるのに、苦労のない者ばかりではない。
「そうか。しばらくアルメイスからも人が少なくなるが、その間よろしく頼むよ」
「雑用でも何でもするさ。授業だってほとんど休講だし」
 まだ列車は出て行っていない。窓から手を振っている者もいる。
「君も、本当に行かなくていいのかい?」
 アルフレッドはルオーにも聞いた。
「だって、名簿に載ってないんだろう? 切符だってないし」
 やっぱり仕方がないとエリオが言いかけたとき、出発のベルが鳴り出した。これが鳴り終わると、列車は動き出す。
 そこで、ベルに急き立てられたかのように、ルオーはきっと顔を上げた。
「……うんにゃ! 俺も行くで! 金なら持ってきてるっ! どうせ残っても休講やー!」
 ベルが止み、列車が動き出す。ルオーは、その列車の最後尾に飛びついた。
「すまへん、センセがなんかゆっとったら、旅に出たとゆうておいてや〜」
 と、言い残して。
「おやおや」
「……旅に出ます、探さないでください、と言ってたと言っといてやろう」
 去っていく列車には、エリオの返事は届かなかっただろうが……


「どうなさったんです?」
 橙子は走り出した列車の中で、取材活動を始めていた。ある意味、ここが最も安定して話が聞ける場所である。全員が揃っているのだから。
 中には列車が走り始めた途端に、眠気に負けてぐーすかという“爆裂忍者”忍火丸のような者もいたが。
 前夜、興奮しすぎて忍火丸は眠れなかったらしい。遠足前夜の初等部児童によくありがちな話だ。……いや、忍火丸は中等部の生徒なのだが、そういう小さいことにはツッこまないのが大人というものだ。
 初等部と中等部の子たちが集まっている車両は、賑やかだった。
 学園としてのアルメイスには初等部からあるが、その人数は元より多くない。そこまで幼くして、フューリアとして覚醒している子は、そう多くはないのだ。
 中等部、高等部と人数が次第に多くなって、大学部・研究過程になると数が落ちる。高等部を区切りにして、社会に出る者もいるからだ。
 救出されたカマー教授と一緒に、マーティと“銀晶”ランドが初等部の子どもたちと遊んでいた。遊ばれている、と言ったほうが正しいかもしれないが。マーティはともかく、ランドのほうは不本意な感じもした。それも、付き合いなのだろう。
 初等部の子たちに話を聞いてから、橙子は次の車両に移った。車両接続部の扉を開けて、車両の通路に踏み込むと、フランが目に入った。ちょうど橙子がそこまできたときに、“鍛冶職人”サワノバがフランの前から離れて、前のほうの車両へ行くところだった。
 何かと思って覗き込めば、サワノバは目覚まし時計のようなものを渡していたらしい。
 覗き込んだフランのまわりには、今までと変わらぬ顔ぶれがいた。橙子はフランのことに深く関わったわけではなかったが、サウルの屋敷で片鱗は目撃していたので、概ねそのときと変わらぬ顔ぶれがフランの前後左右にいると思った。
 フランの隣には、“七彩の奏咒”ルカが陣取っている。フランの正面に“自称天才”ルビィが座っていた。その隣に、ランカークがいる。微妙な組み合わせと言えば、組み合わせだった。
 ふと振り返ると、通路を挟んで隣の席には“紫紺の騎士”エグザスがいる。橙子が記憶する限り、フランのまわりでよく見かけたメンバーにほぼ過不足はなさそうだった。エグザスの奥、窓際の席に“闇の輝星”ジークとカレンが向かい合って座っていたが、彼らは関係なく、たまたまここの席にいるのだろうと思う。
 橙子はジークとカレン以外の彼らは、自らフランのまわりにいるのだろうと思ったが……正確には、最初エグザスは少し離れて座っていたのをフランが呼んだらしい。
 主に賑やかに話しているのはルビィで、ルカは合間にフランに帝都の話をねだっていた。
「フランさん、帝都の名所ってどんなところなんでしょう」
「名所と言っても、私にも良くわからないのですが……」
 ちょうど帝都の観光名所の話になっていて、橙子は一緒に聞かせてくれと頼んだ。事前にわかっていれば、取材もしやすい……いや、観光旅行記を書こうというのではなかったのだが。
「私たちの行く、記念コロシアムは名所ですね……」
 その続きは、聞かれてもいないのにランカークが語る。
「記念コロシアムにはアリーナがあって、頻繁にではないが、フューリアの武闘大会も行われるのだ。そういうときには祭りのようですな! まわりは公園でひらけていて、宮殿も良く見えるので、風光明媚なところだと……」
 フランは嫌な顔一つせず、ランカークの言葉に相槌を打っている。
「後はクィンズ通りのオペラホールなどが……」
 気を良くして、ランカークは喋り続けていた。適当なところまで聞いて、橙子はそこを離れた。
 車両を前に向かって進んでいく。
 “黒い学生”ガッツが暇つぶしに占いをしていたりした。そういえばと思い、橙子は良かったら編纂の手伝いをと誘ってみたりもしたが、ガッツはその誘いを断った。修学旅行は、いつになくヤル気だったのだ。
 ……ただし、占いの結果は吊られた男。あまりロクな運勢ではなさそうだったが……
 そんなこんなで橙子が列車の中を歩き始め、貸切車両もそろそろ終わりかという頃。
 橙子は、通路をうろうろしている男子生徒に行きあった。このままなら通路が通れないかと思ったが、その直前に男子生徒は席に戻って座った。
 座ったと思ったのだが、実際にそこを覗けば、座っているというよりは、椅子でうずくまるように考えこんでいる。事情を知らない橙子には、具合でも悪いようにしか思えない。
 うずくまっていたのは、“抗う者”アルスキールだ。
 その向かいの席では“貧乏学生”エンゲルスと“蒼盾”エドウィンが、訓練のために用意してきたのであろうメモを無心に整理している。あまりに真剣にメモを確認しているので、アルスキールの異常には気づいていないようだった。あるいは気づいていても、気にしていないか。
 橙子は気になるままに、声をかけた。
 アルスキールが青ざめた顔を上げる。
「いや、何でもないのですが」
「なんでもないって顔じゃないですよ?」
「……帝都に行くのが、少し気が重くて」
 胃の辺りを押さえながら、そう言う様子は少しどころではないのだろうと思われる。
「何か、帝都に嫌な思い出でも……?」
「ええまあその……そうですね」
 あまり意味を成さない返事をしながら、アルスキールは再度立ち上がった。
「マイヤさんはどちらでしょうね……」
 ふらふらと歩いていくのを、橙子も追うように歩いていく。
「そう言えば、ここまでお姿を見ませんでしたね。貸切はこの車両までじゃありませんでしたっけ」
 この先にも車両は続いているはずだが、そこにいるのは一般客のはず……と思いながら、アルスキールは次の車両への接続部の扉を開いた。
 すると、ちょうどそこにマイヤが立っている。
「会長」
「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ」
「一体どうして、帝都に修学旅行なんですか?」
 絡むようなアルスキールに、マイヤは苦笑を浮かべ。
「もう乗り物酔いですか?」
 そういなした。乗り物酔いで人に絡むような者は少ないだろうから、マイヤはわかっていてそう言っているのだろう。
「修学旅行の行き先は毎年違います。今年はたまたま帝都だっただけですよ。さあ、こちらの車両は貸切ではありません。お二人は戻ってください」
「でも」
 橙子はマイヤの背後、隣の車両の様子を、首を伸ばして窺った。
「生徒さんが、そっちの車両にもいるみたいです」
 制服姿が、ちらほら向こうの車両にも見えている。
「ああ……彼らにも戻るように言っているのだけど、聞いてくれないのですよ」
 君たちだけでも戻ってくださいと、マイヤは再度アルスキールと橙子をそこから押し戻した。

 マイヤが貸切ではないはずの車両に戻ると、ちょうど“銀の飛跡”シルフィスが憮然とした表情のルーに、ダーツを一本渡しているところだった。
「御用が終わったのなら、本来の席に戻ってくださいね」
 だがマイヤがそう声をかけると、シルフィスは意外そうな顔を見せる。
「あら。他にも、いっぱいいるじゃないの。私だけ戻らないといけないのはおかしいんじゃない?」
 そう言って、シルフィスは更に奥へ行ってしまう。
 席に座ったままのルーは、ちらりとマイヤを見たが、何も言わなかった。
 実際のところを言えば、最初にこの車両の席を取ったのはルーである。
 そして同じ列車の大半を力技で貸切にしたのはマイヤと、そしてサウルだ。生徒たちのいる車両は別に貸し切ったが、そのついでにこの車両も貸切に変えた。理由はレアン・クルセアードの護送のため。先に指定の切符を買っていた他の客には席替えをお願いしたが、ルーには直前まで知らせていなかった。
 なので、ルーの不機嫌はそのせいだ。
 本当ならば、この車両にはルーとサウルとレアンしかいないという手はずだった。刺客が紛れ込もうとしても、すぐわかるように。一等の個室ではなく二等の車両なのは、最初にルーが席をそこにとったせいだが。修学旅行用の貸切車両は一等の個室と寝台車なので、それから見るとランクダウンである。
 が、今、この車両はにぎやかだった――車両の端の窓際に座るルーのまわりは、そうでもないのだが。
 ルーの目の前には、眼鏡をかけた肩を覆うほどの黒髪の女生徒が一人座って静かに本を読んでいる。特にルーに話しかけるでもなく、そこが自分の指定席であるかのような顔でそこにいるだけだ。
 それは、“深藍の冬凪”柊 細雪である。いつも羽織っている羽織も今日は着ていないので、親しく付き合いがなければ、ぱっと見に誰だかはわからないだろう。
 通路を挟んで反対側には、クレアとシーナが座っていた。こちらも最初にルーをゲームに誘った以外には話をするでもなく……ルーはゲームをするのを断ったので、ただ二人でカードゲームをしているだけだ。
 マイヤは主の怒りに苦笑を浮かべ、シルフィスを追うように通路を進んで行った。

 マイヤの後ろ姿を見てから、ルーは手荷物の鞄を開けた。帝都までの時間を潰すのに自分も本でも眺めようかと考えたのだが、そこで見知らぬ封筒に気が付いた。いつ誰が、と警戒しながら、封を切る。
『いつも貴女を見ています』
 くしゃっと、即座にルーは手紙を握り潰した。
 サインはなかったが、誰からのものかはすぐにわかった。
 そして、きょろきょろとあたりを見回す。確かにいつも近くにいる顔が少し不足しているのはわかっていたが、こんな手紙を忍ばせるほど近くにはいるらしい……どこにいるのかと、期待ではなく警戒の顔でルーはリーヴァの姿を探した。
「……どうしたの? 何かあったの?」
 挙動不審なルーに、細雪が訊ねてくる。まるで普通の女生徒のような口調で。
「……なんでもないの。ただちょっと……」
 リーヴァに普通とは少し違う意味で特別な感情を抱きかけている自分に気づいて、ルーは溜息をついた。実はルーは本当に男性と向かい合うのが苦手なのだが、リーヴァはその枠を飛び越えつつある。苦手だからと逃げ続けていたら追い詰められそうな危機感が、立ち向かわなくてはならないという気持ちを呼び起こすようだった。
 前向きになるのも、弱点を克服するのも良いことだ。踏み台になる者が幸いかどうかはさておいて。
 ちなみにリーヴァの手紙は、マイヤの荷物にも忍んでいた。この後マイヤがそれを見つけて渋面を作ったが、リーヴァの姿を探すまでには至らなかった。
 姿の見えない問題よりも、まずは当面の問題のほうを優先させたからである。

 シルフィスはルーのそばを離れると、サウルとレアンの席の後ろまできて腰掛けた。後ろなのは、もう前も横もその向こうも満席だからだ。
 サウルとレアンは並んで座っている。この二人を引き離すというのは本末転倒な話なので、まず争われたのは二人の前の席だ。
 結局、ラジェッタをどうしても押し退けてという者はおらず、二人の前に座ったのはウォルガとラジェッタだった。二人ともリエラは自存型なので、そちらは背中合わせの後ろの席に並んで座っている。
 通路を挟んでラジェッタの隣に、スルーティアがいた。
 その更に隣では“蒼空の黔鎧”ソウマがいびきをかいていた。ソウマはレアンとサウルの近くにいようという者たちの席の取り合い、あるいは譲り合いの間に、とっとと二人の見える位置を確保して寝てしまった。寝てしまったので、もうそこから動かすことはできない。
 スルーティアとソウマの前には、優真と“炎華の奏者”グリンダがいた。サウルに対して一見積極的なのがどちらなのかと言えばグリンダで、通路側に座っているサウルの実質隣を取ったのはグリンダだった。その隣に、優真がいる。
 ここまでで、まわりの席はほぼ埋まっている。だが、行きの列車で二人のそばにいようという者はまだいて、この前後の席も埋めていた。
 ラジェッタ……代理人はウォルガだが、彼らとレアンとサウルの前の席を最後まで争ったのは“夢の中の姫”アリシアだった。アリシアは結局、スルーティアの後ろの席に横座りで腰を下ろした。そこならサウルとの距離と視線の位置は、斜め前あたりとほとんど変わりない。その向こう側にリエラのアイシーラがいる。
 不本意ながら優真の隣に座れなかった連理は優真の後ろの窓際の席で、優真を覗き込むように椅子に膝をかけて立っている。その隣に、優真のリエラのシャルティールが座っていた。優真と背中合わせになっているせいか、少し不機嫌そうだ。
 またシャルティールと向かい合い、連理の背中を見るように、“闇司祭”アベルが座っていた。
 アベルはサウルの影武者をしようとも申し出ていたが、この人数に囲まれた中では……実行しても無意味になる可能性が極めて高かった。まわりを取り囲む彼らは、偽者ではなく本物のサウルのまわりに集まるだろうからだ。少なくとも、この場では意味がない。
 連理と逆側の窓際の席では、まったく同じ格好で“白衣の悪魔”カズヤがいた。連理は身長が低いので、その格好でも高い椅子の背もたれからぎりぎり顔が出るだけだが、カズヤは長身なので胸から上はレアンの頭上に乗り出している。手持ち無沙汰なのかレアンの髪をいじっては、それが鬱陶しいらしいレアンに手を払われていた。
 シルフィスはその背中を見ている形だ。カズヤと並んで、同じ格好をする気にはなれなかった。
 後ろからマイヤがやってきて、苦笑交じりに十人にも届こうという団体行動逸脱者に元の席に戻るように告げたが、聞く耳を持つ者はいない。
「あら、私たちが駄目なら、サウルはどうなの? サウルだって学生でしょ?」
 グリンダがわかっていながら反論する。
「彼は修学旅行の参加者じゃありませんから。名簿にも載っていませんしね」
「書き忘れたんじゃない?」
「違いますよ」
 相手がサウルならグリンダには押し切れる自信もあったが、マイヤは少し手強かった。言い負かされたとしても、グリンダが腰を上げるわけではないので、状況が変わるわけではなかったが。
「もうサウル様はアルメイスの学生じゃありませんから」
 決定的な一言がマイヤの口から出て、その周囲の女生徒の七割がぴくりと反応した。
 予想はされていたことだったが、サウルの口からは一言も漏らされていなかったことだ。
 サウル自身もマイヤの情報漏洩発言に、ぎょっとその顔を向けたが……
 マイヤはどこ吹く風と涼しげな顔だった。
 必要があれば協力体制は組めても、どうもやはり仲が良いとは言い難いらしい。
「……無責任は良くないわよ、サウル?」
 シルフィスが淡々とした口調で口火を切った。
「まさかとは思ってたけど、私たちに一言もなしに去ろうとか思ってたわけ? 責任も取らずに?」
 その援護射撃を受けて、グリンダが攻撃態勢に移る。
「…………」
 サウルが黙っているのは、返答に窮しているからのようだった。困った顔をしている。
「僕が帝都に帰るのは、職務という責任を果たすためだよ」
 それでも黙り続けていたら、より窮地に立たされそうだと思ったのか、反論を試みることにはしたらしい。
「君たちには家事を手伝ってもらったりして助かったけど、でもそれだけだから」
 だが、グリンダやシルフィスがサウルをからかうつもりで言っているなら良いが、この様子では女の子を傷つける一言を口にするのも時間の問題のように思われた。
「悪いけどね……」
「勝手についていくわよ。恋する女の子から簡単に逃げられると思わないでね?」
 決定的な言葉を遮るかのように、グリンダは早口でサウルに告げた。これ以上はない恋の告白なのだが……当人にとっては、どんな威圧感のあるものだったのか。
 青褪めている。
 その敗色濃厚な顔を見せないようにか、サウルは顔を窓側に背けた。そして硬い声で、途切れた言葉をサウルは続けた。
「……本当に迷惑なんだ。勘弁してくれないか」
 ああ、とうとう言った――男性陣は、そう思いながら、それを聞いていた。予想はできていたせいか、どよめきはない。
 思っていても言ってはならないか、あるいは上手く言わなくてはならないという善良な意見を持つ男性陣の半分は、顔を顰めていた。残りの半分は、下手くそめ、と不器用な男への感想を内心に隠している。
 女生徒は無関係とは言いがたい者が多かったので、不機嫌と困惑が各人の主な表情だ。
 当のグリンダがわりあいに平然としていて、さほど傷ついたようにも見えないのが、まわりにとってはまだ救いだったか……
「あの、サウルさん……ご迷惑でしたか……?」
 そんなグリンダの向こうから、そっと優真が顔を覗かせた。少し不安気に……だがこんな中でもサウルをいたわる様子の声に、緊張した空気は少し和らいだ。
「でも、ご一緒させてください。お約束しましたから……わたしは、サウルさんを守ります。そのつもりで、退学届も出してきてしまいました」
「……え?」
「えー!」
 一瞬間をおいて、驚愕の声をあげたのが誰であったかは特定できない。複数の声が、幾重にも重なっていた。グリンダさえ、びっくりした顔で優真を振り返っている。しかし多分、一番驚いたのはサウルだろう。
「就職先が決まらないと、受理してくれないそうなんですが」
 そしてサウルは続く言葉に一瞬だけほっとした顔を見せ、すぐさま、また顔を青褪めさせた。帝都に定住してフューリアが就職しようとしたとき、雇うのは誰だといったら、その七割の部署で自分が最高責任者だということに思い当たったからだろう。
「これはびっくりしたわ。さすがに私も、学園を辞めるまでは考えなかったわね」
「グリンダさん、高等部までは修了しないと駄目だそうですよ。連理さんも、それで駄目だと」
 その間にも、グリンダが感心したようにつぶやいて、それに優真がのんびり答えている。
「あ、あのね、優真君……そんなに急いで学生を辞めることはないと思うよ」
「そうでしょうか?」
 それでもどうにか立ち直ったのか、ようやくサウルは説得の言葉をひねり出したようだった。その対応が困惑を見せながらも柔らかいのは、優真がグリンダと違ってサウルを単純に捕まえようとしているわけではないことも、わかっているからだろう。優真とグリンダとの違いは、優真にはこれで本当に他意がないという点だ。
 一口で言うなら、優真には下心がない。だから女性に束縛されることが怖いサウルでも、どうしてもと拒む理由がない。
「でも、近くでないと。それにサウルさんのお手伝いを、これからもしたいと思っていますので」
 だが。ここでサウルが頑張らなければ、そこをグリンダに付け入られるだろう。少なく
ともそのおそれがあることを、サウルは察している。……グリンダが果たして本気か、あるいは玉の輿の下心に取り憑かれているだけなのかは、関係がない。
 重要なことは、グリンダはそのために手段を選びそうにないということだ。
「いいかい? 僕はね、君たちが選んだ道に責任を負うことはできない。何を望まれても、何も報いてあげられない……僕を守ったって何も良いことはない、君たちが損をするだけだ。……だから、僕を守らなくてもいいんだよ」
 サウルは束縛されるのが嫌で、それゆえに自分を望む女性が怖いのだから。より怖いのは、したたかな女。
「グリンダ君も、頼むから諦めてくれ。君が僕のせいでどんな姿になったとしても、それと引き換えになるものは一つもないよ。……本当にだ」
 もはや窮するも極まったのか、サウルは情けない顔をしていた。
 それがどうにも不思議で、優真は困ったように心配するように首を傾げた。責任を取ってもらうとか報いてもらうとか、そういったことは、優真の中にはないからだ。存在しないものを恐れられているのは、やっぱり困ったと思うばかりで……サウルと話が噛み合わない。
「でも何も返してもらえないからって、サウルさんは誰かを守るのをやめたりしないでしょう。大事なものを守りたいのは、みんな同じですよ。守ったり、守られたりで、それでいいですよね? 大丈夫です、サウルさんに責任はないですよ」
 優真とグリンダが両極端だから、かえって追い詰められているのかもしれない。二人ともグリンダのようなら、たとえ酷い男と罵られてもはっきりと拒絶もできるだろう。なにしろ二人共に『責任を取る』ことは、帝国の一般的な法の上では不可能だからだ。あるいは二人とも優真のようなら、距離を置く必要もない。ただ善意に感謝して、好意を大切にすればいい。
「守らせてください。駄目ですか?」
「それなら、まずグリンダ君の手から守って……いや……」
「なによ、それ」
 思わず漏れたサウルの本音に、成り行きを見ていたグリンダが目を吊り上げた。
 しまったという顔を片手で覆うようにして、サウルは顔を伏せる。
 そんな撃沈寸前のサウルに、救命艇は列車最後尾からやってきた。ラジェッタの姿を求めて彷徨ってきたルオーだ。
「ああ、ラジェッタちゃん、やっとおった〜」
「え……! なんで君、乗っているんですか?」
 直前にルオーが起こした騒ぎの事情を知っているマイヤに問い質されるが、素知らぬ顔でルオーはカズヤの隣に、まったく同じ格好で収まった。
 その闖入で話は中断して、サウルはある意味救われたのだが……
 だが、その場の人数はさらに増えて、最初の問題に戻る。ルオーの到着で話が逸れたのは、ありがたいけれど……溜息も漏れた。
 数人まではともかく。サウルにとっては、ここまでの数は計算外である。
 マイヤにとっても、ここにこれだけの学生がいることは無意味か、あるいは彼らにとっての危険かで、微妙なところだった。
 この舞台設定からサウルの考えを察して、ここにいる者もいる。アリシアなどは、それに異を唱えるためにここに来たようなものだ。サウルのすぐ前にはいられなくなったが、この人数はアリシアの目的にはプラスの作用をしていた。
 グリンダに端を発した話が途絶えたことで、ようやくアリシアも自分の問いを持ち出す機会を得た。
「ねぇねぇサゥル、『旧悪を白日の下に晒す』のって、サウルが今しなきゃダメなこと?」
 そして、サウルの目的そのものにそう疑問を投げかける。
「この間まではわかるょ。実際に被害者が出てたし。でも今はルーが同じ道を歩んでるんだし、ルーならもっと安全に出来るときが来るでしょ。サゥルには、ぁんまり危険な事して欲しくなぃょ」
 だが、サウルがそれに答えることはなかった。ただ、微笑んで見せただけだ。先程からの疲労もありそうだが、本当に何も言わないのは言うべきでないと思っているせいだろう。レアンが答えてやれと言うように肘で突付いても、素知らぬ顔だった。
 むろんレアンとてサウルにやめると言わせたいわけではないだろうが、多分レアンは強い者や大人に厳しい反面、幼い子、とくに女の子に甘い傾向があるのだろう。
 一方サウルは相手の年齢や性別によって、態度や言い分を変えるようなことはない。同じように厳しく、同じように甘い。ルーが本物の男性恐怖症であるように、サウルも女性恐怖症を隠し持っている節はあるが、それでも必要ならば押さえ込む意志の力はあるのだろう。
 サウルの返事がないのを見て、同じく質問を抱えていたカズヤは、まず断りから入った。
「サウル、聞いて良いか?」
 斜め上から来た質問に、サウルは軽く顔を向けた。
「なんだい?」
 いいよとは答えずに、何かを問う。声の調子からすると、とりあえず先程の精神的打撃から立ち直ってはいるようだ。
「レアンは留置場に入れられるんだろ? あんたのことだから、あんま不遇な扱いはしないでくれるたぁ思うが。……いつ出てこれるかめどはあるのか? それと俺たちが、たとえば手紙を送ったりすることは可能なのか?」
「留置場はねえ……まあ、出られるめどは立ってないな」
 サウルは声を低めて、少し延びそうかなあと、独りごちる。視線はもう一つ先の車両へと向いていた。
 あと一両だけ、この列車には普通の客車がついている。学生以外が乗っているのは、そこだけだ。刺客も来るならそこから来るだろう……彼らのまわりに人が少なければ、きっと来ただろう。
 サウルは、刺客が二人を排除するために外から列車を吹き飛ばすような力技に臨まないよう、修学旅行の旅程と合わせたのだ。未熟であってもフューリアが数多ければ、どんな能力を持っている者が混ざっているかわからないからだ。それだけで失敗する可能性も、捕まる可能性も未知数になる。フューリアの暗殺者は足のつかない鉄砲玉とは違って、尻尾を掴まれれば主の身に危険が及ぶのだから……出来るだけ学生は巻き込みたくないのが、刺客にとっても本音になるだろう。
 同じ列車にいるだけで、その効果は上がるはずだったが。
 まわりにこれだけいると、薬が効きすぎる。
 列車の中、特に昼間には、仮に刺客がいても諦めるだろうと思われた。
 レアンが留置場に入っている期間は、周囲と本人にとって一番安全な場所が留置場であるという状況が変わるまでだ。今まさに、おそらく炙り出しに失敗した分だけ、少し長引くだろうか。最大は、裁判が終わるまで。
「早く出られるといいね。手紙は届くよ。差し入れも。中身はあらためられるけど、危険物でなければちゃんと届く」
 そうかい、とカズヤはそれで満足したようだった。


 夜になると、少し席の入れ替えがあった。ウォルガたちがラジェッタを連れて寝台車に戻ったからだ。あわせて五人減ったが、四人がけ二つが溢れる人数が残っていることには変わりなく、状況に大差はない。
 翌昼過ぎには帝都に着く。
 女の子たちはなんだかんだ言いながらも本気でサウルを守るつもりだったようで、だいぶ遅くまで起きて頑張っていた。だが当のサウルがかなり早い時間に眠ってしまっていたので、お互い幸いなことにか、あまり話はできなかった。
 レアンは、サウルよりは少し遅くまで起きていたが……やはり生徒たちより早い時間に目を閉じた。肝心の二人が寝てしまうと、一人、二人と睡魔に引き摺られていった。
 全員が眠りに落ちた頃。
 ソウマがそれを見計らったかのように、目を覚ました。ソウマも寝っぱなしではなく一度夕食時に目を覚ましていたが、配られたサンドイッチを平らげた後、また眠っていたのだ。
 そして、薄暗い車内に目を凝らして、レアンとサウルの様子を窺う。
「……起きたのかい?」
 静かに低めたサウルの声がした。それでも良く聞こえるのは、線路を走る列車の車輪と客車の揺れる音しか他にないからだろう。
「そっちこそ、起きたのか?」
 事情を知っていたら、寝たふりをしていたのかと問うところだったろうが、ソウマは実際に昼間は寝ていたので修羅場のことは知らない。
 ソウマが良く見たとき、サウルとレアンの二人は立ち上がろうとしていたところだった。
 何故かと考える前に、ソウマは一緒に立ち上がっていた。窓際の席から、寝ている優真とグリンダの前をすり抜けて通路に出る。
 そのときには、二人も通路に出て、先頭車両のほうへ行こうとしていた。
「どうしたんだい?」
 ついてくるソウマに、びっくりしたようにサウルは振り返る。
「お手洗いに行くだけだよ?」
 大きな声をたててはいけないと、ソウマは思っていた。
「わかってる」
 うなずきながら、ソウマは可能な限り声をひそめて言った。
「正義をしに行くんだな」
 彼の珍妙さはいい加減レアンもサウルも理解しているだろうが、今日の受け答えはまた格別だ。
 それでも二人が笑いはしなかったのは、それが実際には大きく外れてはいなかったからか。
 先頭車両と次車両の間に、小さな手洗い場がある。車両の接続はその手洗い場を抜けたところだ。そこの前に三人立って……先にレアンが入ることにした。サウルとソウマは前で待っている。
「やっぱり、俺にできることはないか?」
 時間が空いて、手持ち無沙汰になったからか、出発前にも聞いたことをソウマはもう一度サウルに聞いた。
「……特にないな。まあ、体に気をつけて」
「そうか、わかった」
 ソウマはうなずいて、それからサウルに背を向けた。そして、先頭車両のほうへと大股に歩き出す。
「え……待……!」
 サウルが止める間もなく、ソウマは交信を一気に第二段階まで上げた。
「黒装!」
 声と共にリエラがソウマを包み込む。
 更にもう一歩踏み出して、車両接続部を越え、ソウマはすぐ横の昇降部に振り返りざま蹴りを叩き込んだ。そこまでの流れは、ほんの数セグ。
「ぐ……!」
 うめき声が聞こえる。
 だが、ソウマに蹴られた……昇降場に身を潜めていた男も、実のところフューリアで、またそういうことの専門家だ。正面切って戦えば、まだ未熟なソウマに勝ち目はない。体勢を崩すには及ばず、反撃に転じる。当然ながら即座に交信も上げきる。そこまでに、やはり数セグ。
 サウルが走り、交信を上げきるのに同じく数セグ。
 サウルのリエラの力で中和されて、その場からリエラの力が消失する……リエラ自体は残っているが。
 短刀がソウマの急所に叩き込まれたが、弾力のあるリエラの実体に跳ね返される。打撃の衝撃すべては吸収しきれないが。
 その打撃に耐えて、ソウマは至近距離から相手の腹にボディブローを叩き込んだ。更に腕を取って固める。
 その……刺客の男は、ソウマの蹴りと拳がそう効いたようにも思えないほど、タフな男だった。ソウマ一人組み合っていたのでは、多少準備もあったとはいえ急の交信でもあって、いつかソウマのほうが押し切られたかもしれなかった。
「動くと危ないよ」
 だが、今は2対1だ。ソウマが押さえつけている間に、サウルは懐に入れていたらしい注射器を出して、その腕に刺した。同時にハンカチを丸めて、口に突っ込む。
「……それ、何だ?」
「薬だよ。死にはしないけど……明日中くらいは熱に浮かされて夢の中かな。効くまで、しばらく押さえててくれるかい」
 捕獲したフューリアには薬を使うもので、そうでないと逃げるために暴れられたら被害が出るのだと、少し疲れた顔でサウルは言う。以前にフューリアの盗賊を捕らえた時にも、サウルは捕らえた後に薬を飲ませていた。
 疲れているのは予定外の急交信のせいだ。それはソウマも同じはずだが、ソウマのほうがタフさでは上らしい。
 まだ二人とも交信は続けている……男が薬に意識を奪われるまでは、警戒は緩められない。
「終わったのか?」
 そこへ、レアンが来た。少し嫌そうな顔をしているのは、レアンはフューリアに薬を使うことに拒絶反応があるせいだ。状況的に、使われたであろうことは察して……それでも抗議することまではないのは、それが場合によってはやむをえないこともわかっているからだ。
「彼が、突っ込んで行っちゃって」
「……何故。何か先に動いて……?」
 サウルの答に、レアンは不思議そうに訊き返す。それには、ソウマ自身が答えた。
「正義の勘は外れないぜ! ここに誰かいて、機会を窺っていると思ったんだ」
「……根拠なかったんだね。普通の人だったら、どうする気だったんだい?」
 疲労の色濃い声で、サウルも改めて問う。
「正義の勘は外れないんだ」
 ソウマは気持ち胸を張って、自信に満ちた声で繰り返した。


■帝都着■
 中央駅。どこも同じでは混乱しないのかという名前の駅に降り立つと、生徒たちは一角に集められて、プラチナムが点呼を取っていた。さすがにここで行方不明を出すと、しゃれにならないというところだろうか。
 生徒たちは、ここから拠点となる宿泊施設の記念コロシアムへ向かう。訓練の始まる前には、男子にもちゃんと宿がある。
 サウルとレアンはここから先、行き先が違うので、ついて行きたいという者の点呼が終わるのをを待ってはくれなかった。
 点呼の後でも、宿泊施設までの移動は団体行動なので、二人についていくのは違反なのだが。修学旅行の成績や団体行動などどうでも良いと思えば、見失わずにすんだかもしれないが、二人を心配していた者には生真面目な者が多かったのはある。一人なら点呼をすっぽかすくらいはした者でも、慈愛と正義の使徒と一緒では堂々とはサボれなかった。
「どこかしら」
 点呼を取った後に抜け出してきたグリンダとシルフィスは、もう追いつけないかと思いながらあたりを見回した。幸運にもか、サウルと思われる人影が駅の前から離れていくところを見つける。
「あ、あそこ!」
 それが本人かどうかはわからなかったが、二人は追いかけていった。
「助かった……後は上手くやってくれ。あんまりやり過ぎないでくれよ」
 アベルに向かって助かったと言うサウルの声には、真情が滲んでいた。まだ、追う二人と先を行くサウルらしい人影も見えている。
 点呼の隙に衣服を変えて、そのあたりの労働者のような変装をした二人と、アベルは手早く話した。
「王子様も大変ですな。あまり御自覚はないようですが、婦女子の憧れの的ですからな……ほどほどに引っ張ったら解除しますよ。刺客の襲撃が、彼女たちを巻き込まないように」
「……頼むよ。二人を連れて、修学旅行にちゃんと戻ってくれると嬉しいが」
「気になりますかな?」
「一応ね」
 キャスケット帽を目深に被りなおして、二人はその場を離れた。アベルは、サウルに化けた天狗の後を追いかける。
 夜半にソウマが捕まえたという刺客は、意識のないまま担架に乗せられて先に運ばれていっている。
 刺客がその一人だけとは限らない……アベルの替え玉案が活きてくるのは、ここでこそだった。
 サウル自身と刺客の彼らは良くも悪くも同類で、襲撃したのが誰であるかを特定しただけで十分に黒幕も特定できるので、もう色々と手は打っているだろうとアベルは思っていた。もちろん誰かわかっただけでは大物を追い詰めるには至らないだろうが、そのくらいは当たり前のこと。後は、追い詰める側の手腕の問題だ。
 このままでは、邪魔になるものもあるだろう。たとえば、大局を見る冷静さを少々欠いた女生徒など。
 サウルを守ることも大切だろうが、自らとレアンと、おそらくはルーさえも囮にして、まだ息を潜めている邪魔者を炙り出そうとしているであろうサウルの目的を守ってやったほうがいいだろうとアベルは考えていた。
 影武者で襲撃者の一人でも釣れれば面白いが、と思いながら、アベルは人ごみを進んでいった。


 修学旅行の枠から外れた者がいささか多かったのは否めなかったが、それがすべてではない。多くはちゃんと団体行動に従って、記念コロシアムに到着して、明日からの訓練の準備を始めていた。
 改めて日程を整理するならば、初日昼過ぎにアルメイスを出発し、日程二日目昼頃にガイネ=ハイトに到着。そのまま、宿泊施設であるガイネ=ハイト記念コロシアムに移動し、その日の午後は自由時間となる。
 もっとも自由時間と言っても、もう訓練は始まっていると言っても良いかもしれない。この空き時間に、下調べをするのも準備をするのも、やはり自由だからだ。
 三日目の朝まで、そういう時間は続く。二日目の夜の宿泊は、男子も記念コロシアム内。ただし、コロシアムはいわゆる闘技場なので、女子と男子の宿泊施設は両側に別れていた。
 捕獲・逃亡訓練が開始される三日目朝から、訓練を終了する五日目朝までは、各々が行動に責任をもつことになる。
 訓練終了の日付に関しては当初六日目朝であったらしいが、最終的に一日縮んで五日目の朝となっている。それが何故なのかは、生徒たちには明かされていなかった。教授会を通る際に一日縮んだらしいという情報をマーティやランドはカマー教授と一緒にいて耳にしていたが、理由まではカマー教授も言わなかったので。
「男の子のためにって言うか……まあ、男の子のためだわねえ、確かに。帝都が危ないからってわけでもないのよ。危ないのは危ないけど、丸二日でも丸三日でも危険なことが変わるわけじゃないもの。お金持ってっちゃいけないってわけでもないし。そういう危険は、実際のところ、どうにかなるわ。ただね、女の子のほうが、やっぱり頭が良かったりするのよ。非力な分だけね」
 だから帝都出発の日の前の日に訓練終了を持ってきたのだと、カマー教授は言った。重要なことは訓練を三日間から二日間に減らしたことではなく、帝都から帰る日の前の日に終わることにしたことにあるようだった。
 多くの生徒に感謝されたのは、それによって訓練後にも自由時間ができたことにあるだろう。初日を準備に費やした者にも、最後に予想以上に時間が取れる見込みができたことだ。
 ――あくまでも、見込みであったが。
 アクシデントがなければ六日目の昼には帝都を発ち、七日目の昼にアルメイスに戻れるはずだった。


■準備はOK?■
「いいかな? 『ねこ』って言ったら『まっしぐら』って応えるんだよ?」
 記念コロシアムに着いた後、女生徒側に割り振られたロビーに訓練に参加する女生徒たちは集まっていた。そこで“六翼の”セラスが合言葉を決めようと言って、反対する者もおらず、合言葉案は採用という方向のようだった。
 捕獲された者を逃亡させるということだけをとっても、女生徒のエリアへの男子生徒の侵入は容易に想像できる。必ずしも、女子は攻める側ではないのだ。不埒な者だっているかもしれないが、それから身を守ることも自分で考えなくてはならない。
「それじゃあ、練習ねっ。ねこっ!」
「まっしぐらー!」
 セラスの後を、ラジェッタがついて唱している。そんな様子を、“探求者”ミリーは冷静に眺めていた。
「訓練中、コロシアムに残る者は多いのかのぅ?」
「私は、普段はこちらに残りますわ。何か問題がありましたら、出向きますけれど」
 セラがミリーの問いに答える。
 続けて“待宵姫”シェラザードが、はいはいと陽気に手を上げた。
「わたしも訓練中は、ずっとコロシアムにいるわよ。自由時間には出かけるけど……捕虜の男の子たちには、腕によりをかけてご飯を作ってあげるわ。逃げ出す気なんて、微塵も起こらないようにね」
 うふふ、とシェラザードは陽気に、そして妖艶に笑った。逃げ出す気などは起こさないように……何をするのだろうかと、ちょっぴり純情でない想像を起こさせる笑みだ。
「ルカとフランさんは、半分くらい外に出て、半分くらいコロシアムに見張りに残るつもりです」
 上手く交代しましょうとルカが回りを見回すと、“福音の姫巫女”神音がじゃあ自分とと言った。
「ボクはカズヤクンを捕まえたら、戻ってくるよ。後はずっと見張りしてる。他の人を捕まえるのは、お任せするから」
「はい。あたしは普通に外を回る予定ですね」
 “拙き風使い”風見来生がにこにこと言った。ごくオーソドックスに、来生は捜索と捕獲をすると言う。
「ボクも……ただ、夜から早朝にも探すつもりだから、夜もこっちには戻ってこないかも」
 そう言ったのは、“ぐうたら”ナギリエッタだった。
「まあ、気をつけてくださいね? 夜の帝都は危ないと聞きますから……でも、エリスさんがご一緒なら、大丈夫ですね」
 セラが注意を促した。だが、ナギリエッタ一人ではないだろうと、さすがにまわりの誰もが考えている。黙ってはいても、エリスが一緒なはずだ。
 それから“のんびりや”キーウィも、普通に外を回ると言った。コロシアムに残る者と外に行く者たちを比べたなら、外で白組の捕獲をするという申告がやや多かったが、見張りがいなくなることもなさそうだった。外に行く者たちには、必ずしも捕獲に行くためだけとは限らない節もありはしたが。
「ふむ、アンバランスなほどにはならなさそうじゃの。では、見張りは残る者に任せるとしよう。わしは、捕獲の仕事に専念する」
「まあ、任しておいて! 入り込んできた人も逃がしはしないし」
 セラスが軽くウインクをしてみせる。
「さてじゃあ、これからしばらくは自由時間かのう……」
 簡単な打ち合わせを終えると、いつのまにかまとめていたミリーが解散を宣言した。
「皆様、お食事の時間までにはお戻りくださいね」
 セラが、これからの自由時間に出かける者たちに声をかける。それを聞きながら女生徒たちは、わいわいとコロシアムの外へ出ていき……

 さて同じとき、男子のほうも男子生徒の側のロビーに集まっていた。
「荷物は、このコロシアムの宿泊施設であてがわれた部屋に置いておいて構いません。今夜と、五日目の夜はその部屋で宿泊です。訓練中に捕獲されたときには自室には出入りできませんから、必要なものは持ち歩いてください。貴重品は教授が預かってくれるそうですから、必要な方はこの後……」
 すらすらとプラチナムが注意事項を読み上げていく。
「何か質問があったらどうぞ」
 “翔ける者”アトリーズが手を挙げる。
「これから自由時間なんだよね? どこに行ってもいいのかい?」
「かまいません。あまり羽目は外しすぎないように気をつけてくださいね」
「図書館って、近くにあるかな?」
 プラチナムの返答に被さるように、アトリーズは続ける。帝都の地図が見たかったのだが、アルメイスの図書館には古いものしかなかったのだ。
「帝国中央図書館が、隣の敷地にありますね。……隣と言っても、結構遠いですが」
 ここがまさに、近隣にそういった施設が固まっている場所なのだろう。宮殿も近くに見える。敷地が広いので距離自体はあるのだが、割と近くに見えるのは間に挟まっているものが少ないからだ。公園の綺麗に整備された緑ぐらいしか、その間を遮るものはない。
 この周辺は、道も綺麗で、建物も大きい。まさに帝都の光の部分だ。周辺には貴族たちの上屋敷が建ち並んで、緑も豊かだった。
 駅の周辺の文化地帯。それを取り囲む商業地帯。駅を中心点にして、宮殿とは反対側に工業地帯がある。その更に向こうが貧民街となっている。
 ガイネ=ハイト。それは光と闇のある街。
「訓練中はどこに行っても構いませんが、終了時間が過ぎたら速やかに、ここに戻ってきてください。それと、立ち入りを制限されている場所に入ったり、危険行為や犯罪行為を行った場合、身分に関わらず当局の拘束を受ける可能性があります。白組の場合はその時点で、訓練の人数外になりますので気をつけて。……一緒にアルメイスに帰りましょう」
 罪状が重ければ、すぐに釈放とはいかないかもしれないことをプラチナムは匂わせた。
 質問があればとの言葉に“笑う道化”ラックが手を上げる。
「はーい。明日の訓練て、開始時間から逃げ始めるん?」
「いいえ。赤組が捜索を始めるのは、その時間からと決まっていますが」
 厳密な意味では、白組の開始時間は定められていない。配られた小冊子にも、そのようなことがぼかして書かれている。
「自分が適当と思う方法を取るのが良いでしょう。今夜の宿泊場所は保障されていますが、使用しなくてはならないとは決まっていません。逃げ始めるのと捜索し始めるのが同時では、逃げるほうが不利ですから」
「では、自由時間以降、戻ってこなくても構わないわけだ」
 ラックの隣にいたリーヴァの確認に、プラチナムはうなずいた。このルールは、マイヤが自分の自由を確保するために決めたものだ。が、他の者にも有効である。実際、もうその場にマイヤの姿はなかった。
「自己責任でお願いします。まとまった行動の必要な緊急事態になれば、避難はマニュアルを参照してください」
 そんな必要がある事態になったら、もう修学旅行どころではない。
「では、もう質問がなければ、解散です」
 マイヤが不在であっても、変わりなく物事は動いていくようであった。

 自由時間を実験に費やした“飄然たる”ロイドのような者もいたが、多くは外に出て行った。ロイドの実験は、残念ながら失敗に終わっている。
 同じような実験をしていた者にエグザスと“陽気な隠者”ラザルスがいたが、こちらもやはり失敗に終わった。
 エグザスはフランが実家に戻るのならそれについていくつもりだったが、実家に戻るのは最終日にするという話だったので。最初の自由時間にそれをしたのである。結局失敗したわけだが、ラザルスに実験に協力してもらった礼は、フランの屋敷への同行と蔵書の閲覧に口利きをすることだった。
 多分、フランはそのくらいならば快く了承してくれるだろうとは思われたが……それを頼むのに、エグザスがフランを男女共用のカフェに呼び出そうとしたら、もう一足先にルビィが呼び出していた。ルカとランカークが当然のように同席していて二人きりではなかったので、エグザスもそこに相席することにしたが……どうも積極性では、エグザス自身も、ルビィにまったく及んでないようだとは思わざるをえなかった。
 他の残った者たちも、男女の各フロアや共用のカフェで、めいめいに穏やかな時間を過ごしていた。
 一方、外に行った者の多くの目的は、翌日の準備だ。男子も女子も。
 ガッツは、罠を仕掛けに。
 “不完全な心”クレイは、帝都のガイドブックを買いに。
 “闘う執事”セバスチャンは女装用の服を調達に。
 シェラザードは、高級酒と薬を買いに。
 お古の制服を扱うちょっとイケナイお店へアルメイスの男子制服を調達に行ったキーウィが、同じ店に女子制服を調達にきた“冒険BOY”テムとはちあわせ……などという一幕もあったが。
 またわずかな自由時間に、遊びに出て行った者もいる。
 ジークはカレンを誘って、帝都の街へデートに出かけた。カレンを誘い出すその文句が、「実は帝都は初めてなんだ。案内してくれないかな」と言うものだったことをジークを良く知る者が聞いたなら、ジークもずいぶん色事で大人になったと思ったことだろう……なぜなら、ジークの出身地は帝都だからだ。
 ……もっとも、カレンが知ったら別の感想を持ったかもしれないが。『自分が手加減なく頭を殴ったダメージが、もしや記憶の欠落に出たのかも』……と。
 ともあれ、多くはスムーズに目的を果たして、夕刻には宿泊所に戻ってきた。

 少しだけ、戻らなかった者もいた。
 結局学生を巻いて憲兵隊本部に着いた、レアンとサウルを追ってきた者たちの一部だ。
 駅からの行程では、アベルの影武者にも、本物にも襲撃者はいなかった。実際に誰もいなかったのか、アベルのほうが偽者だと気づいて手を出さなかったのか、それはさだかではない。やっぱり予定は狂っているようだったが、他人を利用しようとしたなら、それは仕方がないのかもしれなかった。
「もう、帰りなよ」
 実際のところ、コロシアムと警兵隊本部はそれほど離れてはいなかった。庶民の警察でもある警邏隊の本部はもっと街中にあるが、憲兵隊本部は宮殿に程近い一角にあったので。
 もう帰れと言っているのは、サウルだ。留置場の『中』で、サウルがレアンと自分に面会に来た面々に言っている。
「僕もいるし、ここ以上に安全なところなんてないからさ」
 本来的には、留置場はそういう用途で使われるものではないだろう。だが。
「じゃあ、出てきなさいよ。あなた、ずっとそこにいるつもりじゃないでしょ?」
「いやだよ」
 グリンダの言葉に、サウルは頑なに首を振った。少なくとも、グリンダがここにいる間は嫌だということらしい。当番の看守が苦笑いをしている。
 先に約束があったウォルガと一緒にグリンダたちも入ってきてしまったわけで、鉄格子越しではあるが、面子は列車の中と概ね変わりない。グリンダが含まれていなければ、多分サウルもここまで帰れとは言わなかったかもしれないが……相当怖いと刷り込まれているようだ。
 アベルも後ろから、帰るように薦めている。思ったよりサウルが情けないと思いながらも、このままではサウルにとって不都合なばかりだろうとも思う。生理的に受け付けないものは誰しもあると、今は無理矢理自分を納得させて、ささやかに加勢していた。
「……もう帰るんだ」
 更にレアンが見かねたか、ラジェッタとウォルガに言った。彼らが戻れば、他も追随せざるをえなくなると思ってだろう。ラジェッタは檻の中にいるレアンを心配そうに見ながら、首を傾げていた。
「修学旅行を楽しんでおいで」
 ラジェッタがうなずいたので、ウォルガはラジェッタの手を引いた。
「また会いに来てもいいんだろう?」
「……そうだな、それが許されるなら」
 そうして、団体の面会者は、一応帰っていった。
 結局その中には、コロシアムには戻らなかった者もいたわけだが。

 他にもいくらかが戻らなかった。
 一度は戻っても、夕食の後には出て行った者もいた。
 夜半にいなくなった者も。
 早朝にも。
 訓練開始の間際までコロシアムにいた男子生徒は少ない。
 帝都着の翌、午前中――
 訓練開始の時間までには、男子の姿は見えなくなっていた。
「開始!」
 そして開始の笛が鳴ると、一斉に赤組の女子生徒たちも街へと出て行った。


■本番Fight! 〜一日目昼■
 この訓練は知恵比べだった。捕獲の瞬間、正面衝突したなら、力と力のぶつかり合いにはなる。だが、その前に赤組は白組を発見しなければならなかったし、白組は発見されなければよい。
 どこに行ってもかまわないということになっていたので、“影使い”ティルとロイドはティルの実家に、アベルも自分の実家に引き篭っていた。各人の実家を訪ねていくような女子はいなかったので、見つかりはしなかったが……訓練として考えれば、安易な選択過ぎたかもしれない。成績をつけている教授たちが察したなら、あまり良い評価はつけないだろう。
 実家組は他人に頼んだりして、コロシアム内の様子を偵察しようとしたが、これは上手くいかなかった。学園の貸切であったせいで、関係ない者は奥まで入れなかったからだ。入口付近で丁重に、カマー教授に追い返されることとなった。
 リエラを使って中の様子を窺おうとしたアベルも、失敗した。アリーナ部分はともかくとして、寝泊りするコロシアムの施設のほとんどには屋根があり、上からではよくわからなかったからだ。
 マーティとランドは、偽名を使って近くの高級ホテルに泊まっていた。なぜ高級なホテルを選んだかと言えば、安ホテルは捜索の対象になると思ったからだ。それは正解で、もう少しホテルのグレードを落としていたら、夜討朝駆けでホテルを当たっていたナギリエッタとエリスに発見されることになっただろう。
 身を潜める場所として、廃屋を探していたアルフィルは、コロシアムに近い場所ではそれを発見することはできなかった。少し離れた場所で倉庫を見つけ、そこに身を潜める。
 しばらくしてから、アルフィルはコロシアムに近づいた。多分、一回離れてからコロシアムに近づいた男子の中では、一番早かったと思われる。外で警戒している女子は多くはなかった。巡回しているセラスをやり過ごし、もう少しコロシアムに近づく。
 ……すると。
 コロシアムのまわりに、日持ちしそうな焼き菓子を皿に盛って置いていくセラの姿が見えた。
 やっぱり見つからないように隠れて、アルフィルは悩んだ。食事のための資金も多少持ってはいるが、そう多くもない。だが、やはりあれは罠だろうか……と。

 そのころ、中では。
「あからさま過ぎるわ」
「何がでしょう?」
 ちなみに、本当のところセラの置いた食料には毒物薬物は何も入っていない。だが、警戒されるだろうとシェラザードは指摘していた。料理で捕まえた男子を惹きつけておこうとしていたシェラザードからすれば、食べ物に警戒して手をつけないとなると不都合が出ることもあるだろう。
「困りましたわねえ……」
 だが、ある意味アルフィル以外で近くの偵察に成功した者はいなかったので……
 そして、アルフィルはコロシアム近くで行動しすぎたので。
 アルフィルは、基本に忠実に狩りに出ていたミリーに発見された。
 なのでセラには残念なことに、シェラザードには幸いなことに、セラの置いた男子への食事のサービスも、あまり白組の者たちに広まることはなかった。近付く者は大体、アルフィルと同じ運命を辿ったこともあって。
「よいぞ! 逃げる者は白組じゃ! 逃げない者はよく訓練された白組じゃ!」
 いつになくハイテンションなミリーに追われて逃げ、逃げ込んだ先で仕掛けられていた罠にかかってしまった。ロープが絡み、ちくりと針が刺さった気がして、それからしばらくすると。
「即効性の痺れ薬じゃ。無理はしないが良いぞ。なに、ここからは我がリエラによって運んでやろう」
「いや待て……そいつでか!」
 アルフィルは現れたリエラを見て、思わず悲鳴をあげた。声が上手く出ない気がするのは、薬のせいか。
「ん? リエラを外見で判断するでない……意外と気持ちいいと評判じゃぞ」
 うにうにと闇の触手が迫ってくる……その間際で、自分は男なのに、とアルフィルは思った。それは、今と関係あるようなないような考えであったが……
 多分、トラウマになりそうな予感がしていたのだ。

 宿を調達するという点では、クレイは堅実な場所を選んだ。まず教会に向かったのだ。
 ラーナ教徒として労働奉仕やお布施を払ったなら、そう詮索もされずに数日は泊まれる。その読みは当たっていて、宿の確保は上手くいった。だが、次に取った行動がクレイの運命を決めた……
 いや、クレイはそうなることを望んでいたのかもしれない。彼は事前に入手していたガイドブックを見て、近代的な蒸気機関や科学設備のある施設を見学してまわったのだ。
「ああ……マリーさんと一緒に廻りたかったなぁ……マリーさんが僕を追いかけて来てくれないかなぁ」
 などと、つぶやきながら。
 そう。修学旅行はともかく、訓練なんてどうでも良いと思っていそうなマリーの行きそうな場所にである。
「……あら?」
「……あれ? き、奇遇ですね……?」
 遭遇したものを逃がしたとあっては、さすがのマリーも成績が気になる。引率にはカマー教授を始めとして、蒸気研の教授も多いのだ。
 結果は……落ち着いて、いつも通りに行動しようとしてクレイは捕らえられた。当然だが、いつも通りではいけなかったからだ。
 クレイは大した抵抗はしなかったのだが……マリーはいつも全力だった。
 そしてマリーも捕らえられた。器物破損の罪で。赤組から出た、留置場送り第一号として。

 次に捕まったのは、意外にもキックスだった。こういったことにはむきになる……手加減はなさそうな少年であるが、やっぱり女の子に全力で抵抗とはいかなかったようだ。
 キックスを追ってきたのは、キーウィ。怪しい店から買ってきた男物の制服を着込み、帽子に髪を隠し……キックス一人に完全に的を絞って探して、追いかけて。見つけた後は、男子生徒だと油断させて一気に近づいた。
「つ、捕まえたで!」
 キーウィがキックスを捕まえたときには、ただ手を掴んだだけだった。キックスの手を掴むキーウィの手は緊張で汗ばんでいたので、力いっぱい振りほどけば逃げられるとキックスも思ったが。
「……もう逃がさへん」
 しっかと掴んでいる手を、振り払ってはいけないような気がしたのか。
 いや、これがネイあたりであれば、容赦なく振り払ったかもしれないが。
 なんにしろ、もう比較することはできない。
 キックスはその手に引かれて、コロシアムまで連行された。本当に、自分で歩いてだ。キックスを捕らえていたのは、本当にその手だけ……
 コロシアムの収容室となった部屋では、「捕まっていれば、夜露もしのげれば食事も出るし、悪くはないさ」と、やっぱりとっとと捕まって連行されてきた天文部のデイブ先輩に強がって語ったらしいが。そこでもずっとキーウィに手を握られていたのでは、いささか説得力は弱かったらしい。

 さて、そのデイブを捕まえてきたのは、来生であった。
 来生が捜索の場所としたのは商店街。と言うか、自分の買い物が主目的だった。
 そして、食べることが目的のデイブも商店街にいた。目的地が一緒だと、やっぱりはちあわせすることもあるだろう。
「あ」
 勝敗は一瞬で決まった。
 お買い物に精を出しながらも、男子を捕らえるという訓練の趣旨を忘れてはいなかった来生、VS食欲魔人デイブ。
 とりあえず食べ歩きにちょっと未練はあったらしいが、コロシアムでも飽食はできると踏んでデイブは来生に下った。
 概ね読み通りにセラとシェラザードが腕によりをかけてという料理が出てきて……成績は二の次でよかったらしい。

 そんな次第で日が暮れる前に、それなりの数の男子が捕まっていた。
 捕まった者が不運であったかどうかはわからない。
 中には、捕まったほうが良かっただろうと言う者もいたからだ。
 時間は少し遡って、自由時間へと戻す。このとき戻って来なかった者の中にガッツがいた。戻って来なかった者は、訓練での勝利を目指して早々に姿を晦ませた者と、訓練に参加するふりをして他の目的のある者と、前者二つ以外の者という、三種にわけられる。ガッツは最後に分類される者だった。
 ガッツは罠を仕掛けていた。女子を、あるいは囮にする自分以外の男子を、引っ掛けるための罠であったはずだった。魚肉ソーセージを仕掛けの一部に使ったのは、腹を減らした男子生徒を引っ掛けるためだったはずだ。
 罠の仕掛けは精巧だった。上手くできていて、見た目からは良くわからなかった。
 自由時間いっぱいを使って、罠を仕掛けて……完成後、一息ついた。
「よっし、終わった……これでオーケーだぜ」
 占いに出た『吊られた男』に従って、吊り下げ式の罠だ。鍵になる物に近づくと発動する。
 鍵は……樹の根元に置いた魚肉ソーセージ。
「終わったら、腹減ったな……」
 何か食い物は、と見回すと、樹の根元に置かれた魚肉ソーセージがガッツの目に入る。
「あ、魚肉ソーセージがあるじゃねぇか!」
 ……鍵は……
「あれ?」
 罠の仕掛けは精巧だった。見た目からは良くわからなかった。
「なんか景色が逆さまだぞ……? 周りに誰もいねぇし……ちッ! 罠を仕掛けるとは卑怯な!」
 いや、大丈夫だ。フューリアならば慌てず騒がず、リエラ召還。
 リエラ、特に非自存型がフューリアの願いを拒むことは、まずない。あるとしたならば、とても稀有な例だ。
 ……その稀有な例にガッツは当たったらしい。
 まあ、よくよく話を聞いたなら、多分ガッツのリエラ『パック』に非はないと、パックのほうに味方する者が多数を占めそうな事例ではあるが。
 ガッツは極めて稀なことに、自分のリエラに見捨てられた。
 言葉にならない交信で伝わってきた意思は、冷たかった。
「……『くだらない事で呼ぶな』ですか……」
 救ってくれる者がないとなれば、自分で自分を救うしかない。ガッツはぶら下がったまま、ポケットを探った。
 猫バッジが一つ、出てきた。
 この状況を救ってくれるもののようには思えなかった。
「だ、誰かが通りかかるのを待つしかねぇか……」
 そして、彼は自由時間が終わっても戻らなかったのである。
 一日目の昼が終わる時間までは少なくとも、彼は戻っては来なかった。
 更に翌日、病院から連絡があったらしい。警邏隊の巡回に保護されたアルメイスの学生がいる……と。

 ガッツのように特異な例で、救出が遅れたケースもあったが。
 ――警邏隊はだいぶ早い段階でガッツを発見してはいたのだが、訓練が行われることは警邏隊には周知されていて、かつ最初のガッツ発見時には訓練の時間外だったのである。一応フューリアなのだし、もしかしたら深慮遠謀があるのかもしれないと、様子を窺うこと一日。本当にくたばる前に、やっぱり事故かもしれないとなって、回収という経緯だった――
 帝都の憲兵隊及び警邏隊には、この二日間アルメイスの学生への監視と、必要があれば速やかに保護ないし補導の命令が下されていた。巡回は無理矢理なシフトで、通常の三倍に組まれていたという。
 保護であれば拠点に送り返し、補導であれば留置場に放り込め、という命令だったらしい。無関係な帝都住民の保護が主な目的だが、もちろん学生の保護も目的であったし……そして、それは訓練の一環で成績の行方を左右するものでもあった。逃げる側も追う側も、大都市で他人にそれを気取られるような方法を取ったなら、三流だということだ。
 これが企画書で、学生に明かされていなかった部分であった。
 留置場送り第一号のマリーの後、次まではしばらく時間が空くことになった。


■間奏曲、その一■
 ルーの帰る場所は、宮殿である。早くに宮殿を出て自分の居宅を持っているサウルとは違って、ルーは自分の家を持っているわけではないからだ。なので帝都に戻って、まず向かう場所は宮殿だ。そこに関わりない者がそのままついていこうというのは、大変困難なことである。
 駅での点呼を無視して、ルーについていこうとしたのは二人。細雪とサワノバだった。正確には姿が見えないだけで、近くにマイヤもいるだろうと思われたが。
 クレアはやっぱりルーを心配してはいたようだったが……団体行動から外れてまで付いていこうとはしなかった。ルーもそれを望んでいただろう。
 サワノバは距離を取って、細雪は隣に立って、迎えの馬車を待つルーのまわりを警戒していた。少し到着が遅れたらしい馬車が着くと、ルーはそれに乗り込む前に細雪を振り返った。
「ここまでね」
 一緒に連れてはいけないということだ。それを押してとまでは、細雪も言わなかった。
 馬車が走り去ってから、サワノバが細雪に近づいた。
「大丈夫かのう」
「……大丈夫だと思うわ。一人ではないし」
 サワノバはそれまで、その女生徒が誰だかよくわからなかったが、近づいて声を聞いたらようやくわかった。
「一緒に乗って行ったもんがおるのかの? わしは離れていて見えなかったが」
「最初から、御者台に乗っていたわ」
 最初に御者台には二人いた。そして、一人降りてきて、ルーのために扉を開け、その後一緒に乗っていった。夏だというのに頭から全身を覆うような外套を着ていたが、細雪には誰だかわかった。
「とりあえず戻るわ。ルーも帰りには、また合流するでしょう」
 マイヤはそう仕向けるだろう、と細雪は思って踵を返した。

 そのままルーは宮殿に入った。帝都の帝宮は要塞のような城ではなく、巨大だが繊細な城だ。生徒たちの目の届かぬ場所でのことは割愛する……
 生徒の目に触れぬものは割愛するならば、ルーのことは語り得ないことになるように思うかもしれないが、実はそうでもなかった。最初の自由時間に入った後、宮殿に侵入をはかった者もいたのである。それは、二人。リーヴァとラックだ。
 大まかに見当さえつけば、リーヴァのリエラ『ヴェステ・シャイン』の力を以ってすれば、ルーの居場所を見出すことは容易だ。実際密かに、今までにもそれが活かされていたとしか思えない状況は多々ある。今回その鮮やかな手並みを直接に見学したラックは、これは初犯ではないと確信を深めた……が、そんなことは言わない。ここでおこぼれに預かったほうが、ラックの目的を果たすのは楽だからだ。
 宮殿にて。ルーは面会の時間を待っていた。ここまでに、ルーを狙っての襲撃はなかった。サワノバが危惧したように学生を私兵に見立てて難癖をつけるのならば、『私兵』が帝都にいる間に、ルーにその罪を負わせなくてはならない。ただ、そのためには少なくとも憲兵隊や九老師、四侯家のいくらかを味方につけなくては事態を思うようには動かせないだろう。
 憲兵隊隊長はこの帝都への移動の片棒を担いでいて、未来永劫という約束は成り立ってはいないが、今はルーとは停戦中である。仮に憲兵隊隊長をしている弟から取り込みに来た者がいたとしたら、不運に見舞われることになっただろう。アルメイスで起こったこと、そして弟妹の動きに注意を払っていなかったことを後悔する羽目に。しかし、それもまた生徒たちの目には触れえぬことであったので、割愛する。
 後は九老師と四侯家――その一部は重複しているが――を取り込むことになるが、いかにルーの兄たちが優秀であっても、そこまでの時間はなかったはずだった。
 リーヴァは息を潜め隠れたままだったが、ラックはルーの前に姿を見せることにした。そうでなければ、宮殿で隠れ続けることはできないと思ったからだ。
 そして人の目を盗んで、テラスの窓の外に立つ。
「丸見えですよ」
 すぐ後ろに人が立ち、ラックは一瞬息を止めた。
 後ろに立った人影は外套の影にラックを隠すようにして、テラスの戸を開ける。
「どうやって」
 中にいたルーも立ち上がる。ラックの後ろに立ったのは、もちろんマイヤである。
「リーヴァ君に教えてもろたんや。他のとこではともかく、この中じゃ警備厳しいさかいなぁ」
 ここから先、一緒に連れてってくれないか、とラックは素直に頼んだ。
「無茶よ」
「あかん? 並んでってわけやないんや。隣の部屋とか控え室みたいなとこまででええんやけど」
「ここから先は無理よ。ここにいて。出るのは、出られるようにしてあげるわ」
 侍女がルーを呼びに来て、ルーは部屋を出て行った。マイヤもその後を追って出て行ったが、出る前にラックに囁いた。
「……見つかっても庇いませんよ」
 マイヤの部屋も、当然この中にはある。皇女の部屋とお付の騎士の部屋という、昔ながらの構造であるが。それを囁いていったのだ。
 皇帝との会談は、そう長いものではなかったようだった。


■本番Fight! 〜一日目夜■
 最初の夜を迎える時点で、問題となるのは寝床だった。
 女生徒に変装して街をうろついていたテムは、アルメイスにあるような異空間の入口がないか探していたが、帝都は広い。一番クサイのはアルメイスと同じく結界があるであろう記念コロシアムの周辺なのだが、このまわりが危険であることは言うまでもない。
 危険を避けつつ、歩いて歩いて……ここまで赤組に発見はされなかったが、寝泊りできそうな場所も見つからなかった。
 このままだと、徹夜である。
「うーん」
 テムは悩んだが、解決策は見つからなかった。
 さて、最も変わった場所を選んだのは、“暇人”カルロだ。それは屋根の上である。確かに、屋根の上には危険は少ないかもしれなかった。訓練中は普段も、食べるときも眠るときもずっと屋根の上だった。移動さえも。
 野宿組で最もオーソドックスであったのは、アトリーズだろう。アトリーズは普通に野宿を選んだ。それでも多分、一般的な意味で安全とは言い切れない。帝都は治安が良いとは言えない都市だ。
 だが、そのはるか上をエドウィンとエンゲルスはいっていた。彼らは、貧民窟をその寝床に選んだのである。それは、帝都で最も危険な場所……
 それは、エリスの故郷でもある。
 ナギリエッタとエリスは、夕闇のダウンタウンを歩いていた。
 アルメイスの冬の夜がやや長いのと逆に、夏の夜はやや短い。かなり遅い時間まで、薄暮という様子だ。
「大丈夫……? エリス」
 ここを見たいとエリスに言ったのは、ナギリエッタだ。だが、まさか黄昏時の貧民窟に案内されるとは思わなかった。
 そして、大丈夫かと問われたエリスは、大丈夫だとは答えなかった。
「昼も夜も、大して変わらないから」
 危険は、ということなのだろう。
「でも、本当に見たいのなら、夜のほうが正しいものが見える……」
 ナギリエッタが見回すと、道の端にはうずくまっている者がいる。
「道には、ほとんど死人はいないわ。家がないか、怪我人」
 夜のうちに死んだ死体は、朝のうちに処分されることが多い。昼間は、夕暮れまでに。放っておくと伝染病が流行るので、ずっと放置されるわけではないのだと……エリスは淡々と言った。ただし家がないような者は病人であり、やはり死を待つばかりだとも。
 路地の前には、あられもない服で立っている娘もちらほらといる。他の路地には餓えた獣のような目をした男がいる。
 ここが貧民窟だ。
 その様子を屋根の上から見ていた者もいる。カルロだった。
「これが……」
 興味があってやってきたが、カルロの知る街とは……比べることも失礼なような気がした。どちらにとっても。
「……いたわ」
「ぇっ」
 街を見下ろすには、カルロも屋根に貼り付いているわけにはいかなかった。エリスが気が付き、ナギリエッタも見上げる。気が付かれたと察したカルロは、煙玉を投げて逃走した。ナギリエッタを庇いながら煙玉を避け、それでもエリスはカルロの行き先を見ていたようだ。
「追ぅの?」
「いいえ……彼は戻ってはこないわ、多分。だから、追うまでの必要はないわね」
 そこで、エリスがここをねぐらにしようと考えた生徒を追い払うために来たのだと、ナギリエッタは悟った。
「エリス……ごめんね。やっぱり、嫌だった?」
「そんなことはないわ。私の言うことは聞くと約束してくれたし」
 ナギリエッタはここを見て、エリスと同じものを感じたかった。エリスがルーに同調した理由を感じたかった。だが、ただ見ただけではまだわからない……
 差別なんて、そんな簡単な言葉では言い表しきれないものが、そこにはあったからだ。

 二人合わせて、人呼んで“貧乏s”。エンゲルスとエドウィンは、かなり早い時間に貧民窟に入り込んでいた。
「ここは俺たちを上回る貧乏の本場……気をつけろよ、エンゲルス」
 エドウィンの言葉にエンゲルスは力強くうなずいて、彼らはそこに乗り込んでいった。
 彼らにとって貧乏は身近なものだ。寝る場所はエドウィンがリエラ『カルコキアム』を使って容赦なく脅し、チンピラから奪い取った。食事は、エンゲルスが周到な計画を立てていた。
 彼らは、アルメイスの生徒の中では最もこの街に馴染んでいたと言えるだろう。その手段も、容赦のなさも。彼らは決して、この街の生まれではないのだが……貧乏は、やはり同じように人格に作用するのかもしれない。
 食事の調達は夜になってからだった。それまでは寝床と定めた場所で息を潜めていた。
 ……ナギリエッタたちとは、入れ替わりになったわけだった。
 夕暮れの迫るころ、エンゲルスの主導で二人は商業区域のレストランの裏手へと来ていた。
「ここが評判のレストランですよ!」
 この時間なら、残り物が出始めているはずだと……エンゲルスはゴミ箱を開けた。数歩後ろでエドウィンは複雑な顔をしている。
 そしてその向こうの夕闇に、金色の目が光る。
 ぐるるるる。
 野犬だ。
 それは、エンゲルスにとっては予想されていた敵の襲来だった。
「来ましたね……! でも一歩も引けません! 俺たちも生活がかかってますから! エドウィンさん、食事の回収を任せます!」
 先手必勝とばかりに、エンゲルスは野犬に飛び掛った。
 その数歩後ろで、エドウィンは立ち尽くしていた。
 ――ここまで堕ちてもいいものか。
 どうも堕ちる方向が違うらしいエドウィンとエンゲルス。
 どちらも手段は選ばない男たち。さて、どちらがより深みか……

「ここで泊まっていきましょう。明日の朝早いでしょう? ナギリエッタ」
 やはり貧民窟をねぐらにしようとしていたルビィとやりあった後のことだ。ルビィを捕まえるには至らなかったが、追い払うことには成功した。ルビィは戻ってくるかもしれなかったが……エリスとやりあったことが広まれば、手を出す者もいないだろうとは思われた。
 もう、夜は更けていた。
「うん、でも……大丈夫?」
「他の人には薦めないけど、私と一緒なら」
 そう言って、エリスはナギリエッタの手を引いて、細長い建物に入った。貧民街の安宿に泊まるのは、他の者ならば命知らずというところだが。
「一部屋、お願いするわ」
 階段の影の管理人室にいた老婆は、エリスの顔を見て驚いたようだった。エリスが誰だか知っているのなら、下手な手出しはしてこないのかもしれないが……ナギリエッタは、管理人の老婆がエリスを知っていた理由を、ぼんやりと考えていた。
「……見るのなら、最後まで見ていって」
 そんなナギリエッタの気持ちを見透かしたかのように、エリスはつぶやいた。

 夜。
 この夜に捕まった者もいた。
 先に語るべきは、カズヤの行動だろう。カズヤは潜伏先に、女性の一人暮らしの家を選んだ。もちろん、家の主には同意していただいた上でである。一人暮らしの女を見つけ出すのは骨だったが、夕刻までには少し年嵩の女の住む一室に転がりこんでいた。
 もちろん、夜はそこでゆっくりするつもりだったのだが……夕食を終え、さて食後の運動でもという頃、扉を叩く者がいた。
 神音はカズヤの行動は読みきっていた。泊まるための宿をどのように探すだろうかということも。
「この辺に、なかなか美形のナンパ師が来なかったカナァ」
 神音は考えたくはなかったようだが、正しい読みは概ね正しい場所を捜索させた。そして、手遅れになる前には、その一室に辿り着いたのである。
「……誰かしら?」
「良いじゃん、出なくても。続けようぜ」
 カズヤは嫌な予感がして、出て行こうとする女を引き止めたが……執拗なノックの音に、女は扉のところへ出て行った。警戒しながら、カズヤはその様子を窺っていたが。
 扉が開いて訪問者が見えると、カズヤは窓から逃げるべく、ソファから降りようとした。当然神音も、逃がすわけにはいかない。部屋の主の女性の横をすり抜けて、タックルでソファに押し戻す。
「捕まえたヨっ! ……カズヤクン……上脱いで、何をしようとしてたのかナァ……」
「ま、ままて! 話せばわかる!」
 バンダナで腕を結び、振り払っただけでは逃げられないようにして、神音はカズヤを立ち上がらせた。
「ご迷惑をおかけしました。ボクの仲良しさんなんダ。連れて行くネ?」
 もちろんカズヤに選択肢はない。
 そうして、その夜にカズヤはコロシアムまで連行されることとなった。

 コロシアムと言えば、その頃、女装したセバスチャンが女子のエリアに潜りこんでいた。女装自体は完璧でそこからは見破られないと、セバスチャンには自信もあった。
 捕まった男子の見張りを引き受けようということにして、夜露をしのぐつもりであったのであるが。
 さてセバスチャンの予想以上に、これはあっさり見つかった。
「ねこ」
 と、見回りに来たセラスにいきなり言われたのだ。
「ま、まっしぐら」
 しかし、ここまではどうにか切り抜けた。合言葉は他人が言っているところを見ていれば、見当がつく。
 それを聞いて、セラスはニコっと笑った。それからじっと女装したセバスチャンを見て、セバスチャンに向かって手を差し出す。
 セバスチャンは何を求められているかわからず、その手を握り返してみた。
 もう一度セラスはニコっと笑った。
「つっかまえた☆」
「えっ」
 驚いたのはセバスチャンだ。何故わかったのか……それは、セラスが全員に配った目印のバッジのせいである。目立たないところにつけてね、と打ち合わせの際に配ったのだ。セバスチャンのような者が、必ずいると思って。
 セバスチャンは逃げようとしたけれど、セラスは当然、掴んだ手を離さない。
「逃げるのは賢くないよ?」
「あらあら……忍び込んでいらっしゃったんですね」
 そこへ、セラが食事を運んでくる。調理はシェラザードとの合作だ。材料に惜しみなく、腕によりをかけての豪華料理である。ここにいれば、訓練あけまでこの料理にありつけるというわけだ。
「逃げるなら、容赦はしないからね?」
 可愛らしく小首をかしげて言っても、セラスの手には木刀。物理的に足腰立たなくなるまで戦いましょう、というわけだ。
 飴と鞭は、人の心を動かす基本中の基本である。
 タコ殴りにあって動けなくなるよりは、ここは様子を窺って逃亡の時期を待とう、とセバスチャンが考えたのは無理もないだろう。逃がす時機が、逃げる時機になっただけだと思えば。
「さ、お夕食ですよ。デザートもありますわ」
 まだ薬の抜けないアルフィルには「あーんして」なんてこともしながら、ほのぼのと一夜目は更けていった。


■間奏曲、その二■
 会談が終わった後、マイヤはルーに修学旅行との合流を勧めていた。その辺りは、こっそりと覗いていたリーヴァが知っている。
 だが、ルーは渋っていた。自分が合流することで、生徒たちに危険が及ぶのではないかと心配していたのだ。
「場合によっては、殿下を心配する生徒が無茶をするかもしれません。侵入をはかる者が一人とは限りませんよ」
 修学旅行にはクレアも来ているのだから、とマイヤは囁く。
「でも」
「ここにいても、どこにいても、危険は変わりません。宮殿への侵入の罪は、無罪とはいきませんよ。もし、何かあって嫌疑がかかれば……」
「何かって」
「……色々ありますが」
 さて、そこでリーヴァは遠隔視聴を切った。疲労してしまうので、使い続けることはできない。
 まさにリーヴァは、宮殿内に潜むという危険を冒しているのだから。意図はどうあれマイヤの援護があるラックとは違って、見つかったらそこでアウトだ。
「あー……ヤバい」
 そして、リーヴァの危険は外ばかりにあるわけではない。自分自身の中にも、だ。
 その名を『生理現象』という。
 リーヴァは隠れていた一室から忍び足で出て、用心深く庭へ用足しに向かった。

 このとき、ちょうどアルメイスの生徒で三人目の侵入者が宮殿の庭にもぐりこんでいた。
 昼間の間は、普通に赤組の追っ手から逃亡していた“静なる護り手”リュートである。
 リュートはリーヴァやラックのように、目的をもって忍び込んだわけではない。いわば、ただの興味だった。昼間の間も見つからないように気をつけながら帝都観光をしていたリュートだったが、宮殿も見てみたいと思っていた。だが、リュートでは昼間の間には忍び込むことができず……
 夜闇にまぎれて、どうにかもぐりこんだ。
 多分、宮殿の警備責任者は夜が明ける前に、かなり泡を食っただろう。やはり、一晩で複数人の侵入者は多い。各方面の様々な思惑から、警備を緩めるような手を回されていたとしてもだ。不始末は不始末である。また、買収された者を洗い出すのは難しい。処罰は目に見えているから、口は割るまい。
 ――むろん、ばれなければ良かったのだが――
 リュートは宮殿を目指して、庭を進んでいた。夜になったら、隙をついて忍び込むことができ、上機嫌だった。さすがに自存型リエラのティスを連れてでは、昼間は人目に付きすぎてダメだったが。
 宮殿の中まで入ろうとは思っていなかった。中が覗ければいいな、くらいのものだ。
 リュートは庭を進み……そして不運と遭遇した。

 ルーの守りは固めているだろう。マイヤ一人ではなく、多くの護衛が。しかし、まったくルーから目を離さないですむわけではない。
「誰かナァ……」
 マイヤの手引きで控えの間に隠れていたラックにとって、最も難しかったのは『誰か』を見極めるということだった。
 誰かというのは……
 マイヤはラックの意図を知ってか知らずか、ルーのいない間にルーの部屋を見ることができる場所に案内してくれた。
 それで、どうにかわかったのだ。それは、可愛い顔の侍女だった。ベッドメイクを終え、水差しの水を取り替えた侍女を見て、ラックはリエラの力で姿を消すことにした。それから侍女が廊下ではなくバルコニーに出ようとするのを見て、そうっと後ろに近づいていった。もったいないなあと思いながら。
 戻ってくるまで、隠れているつもりなのだろうと思う。水差しに落とした薬は、毒なのだろう。
 気付かれる前に一撃で決着つけなくてはならないと思っていた。かつてアルメイスタイムズ社のロバートを襲ったときのように、加減はできないと思っていた。『彼女』もきっと、プロのはずだ。誰に仕えているのかはわからないが、そういう血筋に生まれて、主君のために務めを果たそうとしているのだろう……ただ金で雇われた素人のように、おどおどとはしていない。
 迷いなくルーを狙うのなら、迷っていれば負けてしまう。
 完全に消していたラックの気配と、姿に……相手も直前で気付いた。それは流石というべきだっただろう。
 だが、ラックは迷わずに力の限りアイスピックを振り下ろした。

 リーヴァは足元に転がっていたものに、思わず悲鳴をあげかけた。さすがに、すべては飲み込めず。
「君……?」
 最初に走り寄って来たのはリュートだった。その時点で万事休すな予感がした。
 近くまできたリュートは転がっているものが人の形をしていることに気づいて、ティスに回復を命じる。
 だが、もはや手遅れであることにもリーヴァは気づいていた。
 上を見上げる。
 上に見えるバルコニーがどこの部屋のものであるのか、リーヴァはわかったような気がした。そして、多分手を下したのはマイヤではないことも。
「誰だ!」
 リーヴァの生理現象の限界も来ていたために、そこからは逃げ切れそうもなかった。

「えーと、それで?」
「私は殺っていない」
「僕もやっていません」
「うん、それで?」
 その日侍女の変死体が一つ発見され、第一発見者で侵入者の歳若い青年と少年の二人が拘束された。
 アルメイスの学生であったのと、逃亡の意思は放棄していたので、そのまま留置場に連れていかれて尋問を受けることになったようだ。
「私は殺っていないってゆーに」
 大人の事情で変死体が転落死であると認定されるまで、それはもう長い戦いであったらしい。


■本番Fight! 〜二日目■
「クレアさん」
 早朝、宮殿の見える公園で。
 シーナとクレアは、白組の姿を求めつつ、散歩をしていた。半分観光で、半分は。
 相変わらず猫耳装備のシーナに呼ばれて、クレアは宮殿に向けていた顔を振り返らせた。
「朝食食べたら、どうする?」
「どうしよっかなあ」
 ぱらぱらと近くには女生徒の姿が見える。早めに起きた者が、朝食前に散歩しているのだろう。その中には結局宿が見つからずに徹夜でふらふらしているテムが混ざっていたりもしたが、遠目では男子だとはわからなかったようだ。
 そのとき……
「あ、会長!」
 近くを散歩していた来生が声をあげた。制服姿のマイヤが発見されたことに気づいて、リエラを呼んだところだった。即時召還なら、消耗も辞さないというところか。
「オルデ・コッタ・アリス――風見来生さん、まだ捕まるわけにはいかないんです。すみません」
 来生は呪縛されて、そこから動けない。
 クレアとシーナは、逃げたマイヤを追うことなく辺りを見回していた。――近くにいるのではないかと思って。
「ルー」
 やっぱりいたと、クレアはその名を呼んだ。
 制服を着たルーが公園を歩いてくる。
「……一緒にいると、危ないわよ」
 近くまで来て、ルーがぼそりと言ったが、クレアとシーナは構わないつもりだった。
「大丈夫よ」
 シーナが応える。
 何かあればクレアはルーを、シーナはクレアを庇う覚悟はあったからだ。


 二日目の昼には、訓練は膠着していた。
 捕まる者はもう捕まり、捕まらない者はここに来て捕まることはないというところだった。
 サワノバなどは、追っ手が思ったより来ないことを残念に思っていたほどだ。サワノバのところにあまり追っ手が来なかったのは、行動範囲が女生徒の想定したものと大きく異なっていたからである。
 二人、ミリーと忍火丸が迫ったが……
 忍火丸は普段から顔を半分以上隠しているので、サワノバもだいぶ近づくのを許してしまった。
「フハハハハ! 引っかかったでござるな!」
 一瞬捕まりかけたが、振り払うのは難しくはなかった。ここは気持ちの差だ。
 あらかじめ仕掛けておいた罠に誘導し、動けなくなったところで、詰めの甘さを諭してサワノバは逃げ延びた。
 次に出会ったミリーとは方針が同じで、罠のかけあい、追い詰めあいとなって、これはある意味相討ちとなった。獲物が無抵抗であるとは限らないと諭してやれるほどの余裕はなく、ミリーが罠に手間取っている間に、サワノバは麻痺しかかった体を引きずるように逃亡しなくてはならなかった。
 この二日目の昼に捕まった者と言ったら、ランカークくらいである。ちなみに一日目は、ランカークも帝都にある屋敷に引きこもっていた。
 誰とは言わないが手の者にフランが外に出たことを報告させて、わざわざその前に現れたのである。
「レストランとか怪しいですよ、男子も食事をするはずです」
 ガイドブックを手に、ルカはそう言ってフランを外に連れ出した。その目的は半分捜索、半分食べ歩きだった。昨夜その裏で犬と人との死闘が演じられた評判のレストランで、こちらは客として入って、お勧めメニューを一通り頼む。
 ……ちなみに、『一通り』頼んだのはフランだ。あまり知られていないが、フランはかなりの大食漢なのである。どこに入っているのかわからない、異空間のような胃袋の持ち主で。
 ルカはフランほどには食べられなかったが、デザートまできゃあきゃあと二人で平らげた後のことだった。
「これは奇遇ですね」
 と、ランカークが前に現れたのだ。男子を捕まえることはフランたちもわかっていたし、ランカークもわかっているはずだと……思ったのだが。唖然と二人はランカークを見つめた。
 二人の前に現れたランカークを、捕まえないわけにもいかなくて。
 そんなわけで捕まったランカーク以外に、二日目に捕まった者はいなかった。
 正確に捕まった者の数を把握できていた者はいない。だが、半数ほどは捕まっているのではないかと推測できた。
 残った者が、動くべきと考えたのは最後の夜だ。終盤で逆転する。それによって、赤組の巻き返しがはかれないように。助け出そうという者も、逃げ出そうという者も。
 だが、誰もがそう思うということは……
 当然、阻止する側も同じことを考えるのである。


 リエラは想念から生まれた存在ながら、物理的な事象として現実世界に現れる。ならば、現実世界も深淵と表裏一体の、想念に支えられた世界なのか。
 万有の法則と信じる科学すらも、物理法則への『信仰』に支えられる、想念によって生み出された事象の一つなのか――この今想う自分さえも、誰かの想念に支えられた虚像なのか。
 ロイドはそこまで想って、頭を振った。自らを支えるものは、自らの想念。自我だ。深淵は弱い自我を飲み込むが、打ち克った自我が残った例もある。
 多くは――飲み込まれてしまっても。克った者もいる。
 現実の世界にさえも、飲み込まれて消える自我もある。
 自我は在り、我は在る。
 そこまで想って、ロイドは考えるのを止めた。見やると、ティルが出かけるところだった。
「行くのか?」
「何もしないのも、なんですから」
 そして、ティルは白組の救出にコロシアムに向かった。
 アベルと合流し、ティルは下水道から忍び込む。アベルは他の者とも合流し組織的にと思っていたが、別途に逃げて連絡手段がない以上、それは少々無理があったようだ。
 同じようにジークが。エドウィンとエンゲルスが。エグザスとラザルスが。ルビィが。マーティとランドが。
 時間差はあったが、それぞれにコロシアムへの侵入を果たした。ここで重要なことは、侵入した彼らには、二人以上の連携はできなかったこと。経路も時間も、それぞれがばらばらに侵入したのだ。
 共通していたことは、奥まで不思議なほどスムーズに進んだことだ。それに、彼らは違和感を感じはしただろうか。
 目的地である、捕虜を拘束しているその部屋を窺ったところで、彼らは誰もが違和感の正体に気がついた。
 床には、捕虜たちが安らかに眠って転がっていたのだ。
「いらっしゃい、きっと来ると思っていたわ――」
 その夕刻、これからが行動を起こす時間だと読んで、眠り薬を捕虜たちに盛った女生徒……シェラザードは妖艶に微笑んで、侵入者を迎えた。
「助けに来たのだろうけど残念だったわね。まさかこの寝ている人たちを全員担いで逃げ出すわけにも行かないでしょ?」
 侵入者を待ち伏せしていた女生徒は、シェラザード一人ではない。逃亡を阻止するための見張りに、セラスもルカもいた。夜の拠点なんて、いない女生徒の数を数えたほうが多分早い。
「悪いけど、終わるまで寝ててちょうだいね」
 この読みは、シェラザードが一枚上手だったということだ。
 中にはそれでも、逃げ切れた者もいる。もともと外での陽動役だったアベルなどは、その罠にはかかりきらなかったので。
 だが……白組の仲間を逃がすためにと行った者は逃げ切れなかった。
 白組の敗北は、こうして決定した。


■旅の終わりに■
「みんな結構捕まったんだな」
 と言ったのは、アトリーズ。あとはカルロなどが逃げ延びた。割合奇をてらわなかった者が残った印象だった。
 自由時間は訓練が終わった朝から、その夜まで。翌日には、帰り支度をして列車に乗らなくてはならないからだ。
 捕まっていた男子たちの多くは薬が抜けるまでの間、午前中は動けないでいたが、ルビィとエグザス、そしてラザルスは実家に戻るフランにどうにかついていった。
「無理はなさらないほうが……」
「そうですよ?」
 フランは心から心配し、ルカはやや警戒し、そう言ったが彼らはくじけなかった。
 ラザルスはただ蔵書を見せてほしいというだけだったので、イルズマリを案内につけて書斎に行ってもらってそれだけだった。エグザスもただ付き添い、見守りに来ただけだ。
 ルカはお土産を渡して、やっぱり黙っていた。
 問題は、ルビィだった。
 フランの父に半ば無理やり面会を求めて、かの深淵に住まう者の件に関してエルメェス家からフランへ支援が見られなかったと……責めた。ルビィ自身はやわらかく告げたつもりだったが、誰よりもフランがそれに反応した。
「やめてください!」
 そんな風にフランが大きな声を出すとは、誰も思っていなかっただろう。
「私が弱いのが、弱かったのが悪いのですから」
 その胸の辺りを掴んで、泣きそうな顔をしている。
 そこに何が入っているのかは、誰も知らない。
 あの一年前の夏の日に、フランの元へ父から届けられた物を知る者はいない。
 エルメェス卿は、娘の頭にそっと手を置いた。
「君が呆れても、それはかまわない。ただ、我々になすすべはなかった。昔も、今も……未来においてはわからないが、多分ないのだろう。何が間違っていたかと言うのならば、エルメェスの幼子に情けをかけたことだったのだ」
 本当に皆殺しにしていたなら、血筋が残ることもなかった。途中でも血を絶やしてしまうべきだという意見がなかったわけではないが、非情な者ばかりではなく、結局保護される選択が選ばれてきた。
 あのとき、生きろと言ったのは誰だったか。
 これは二択なのだ。
 ルビィがどう思おうが、揺るぎない二択。
 生か死か。
 死ぬべきだと。すべてを絶やして終わらせるべきだと誰かが言ったなら、そんな未来もあったかもしれない――
「いつか君が。終わりにすることを選ぶ日が来たとしたら……一つだけ頼みがある。この子が苦しまないようにしてやってくれ」
「そんな日は来ません! ルカはそんなの許しません!」
 ルカが強く言った。――そうして、今に続いてきたのだ。


「はい、じゃあ、ちゃんと返したからね」
 サウルは修学旅行の間にはコロシアムには近づかなかったが、捕まった生徒たちを返しに最後に一度だけやってきた。
 釈放には微妙な嫌疑の者もいたが、事件ではないとは判断されているようだった。仮に濡れ衣を着せられたら、また真犯人をめぐって大変なことになるので、大人の事情というものだろう。宮廷闘争にはありがちな話だ。
 来たついでに、レアンはもうじき出られるよ、とウォルガとスルーティアに囁いていった。結局見届けることはできなかったが、炙り出した刺客から何か進展があったのだろうと思われる。そして、それはラジェッタにも伝わるだろう。
 戻ろうとしたサウルを優真が追いかけて止める。
「終わりましたか?」
「……まだだけど、まあ、上手くいくよ、きっと」
「お手伝いに行きますね。誰かが泣かずにすむように、わたしも出来ることをしたいですから」
 優真の言葉は素直に聞けるのか、サウルは少し微笑んだ。
「慌てることはないよ、学生でいられるうちに色々勉強すればいい。一年だけでも学生ができて、僕もそれだけは嬉しかった」
「……いつかこの国がもっと良くなって、サウルさんのお仕事が必要なくなったら、みんなで一緒に色んな所へ行けたらいいですね」
「そうだね……」
 そして、学生たちは帝都を発つ。
 列車は一日かけて、はや懐かしきアルメイスへ――

「覚えているかい? 去年の修学旅行を」
 帰りの列車の中の位置は、行きと大きくは変わらなかった……いや、いない者がいる分だけ、ほんの少し変わっている。
 やっぱりジークとカレンは、帰りの列車でも向かい合っていた。
「あのとき、初めて君に惹かれていると告白したんだっけな」
 一年前を思い出して、ジークが言う。
 一年の間に、色々なことがあった。
「カレン、君は俺のことをどう思ってるのか聞かせてくれないかな? ただの知り合いか? 友人? それとも……」
 一年の積み重ねの上に再び問う。
「それは……」
 カレンは、わずかに口元を綻ばせた。

 列車は走る――彼らの、アルメイスへと。

参加者

“福音の姫巫女”神音 “飄然たる”ロイド
“天津風”リーヴァ “蒼盾”エドウィン
“怠惰な隠士”ジェダイト “白衣の悪魔”カズヤ
“探求者”ミリー “光炎の使い手”ノイマン
“翔ける者”アトリーズ “静なる護り手”リュート
“笑う道化”ラック “風曲の紡ぎ手”セラ
“ぐうたら”ナギリエッタ “闇司祭”アベル
“紫紺の騎士”エグザス “銀の飛跡”シルフィス
“黒き疾風の”ウォルガ “自称天才”ルビィ
“待宵姫”シェラザード “鍛冶職人”サワノバ
“幼き魔女”アナスタシア “六翼の”セラス
“闇の輝星”ジーク “銀晶”ランド
“闘う執事”セバスチャン “抗う者”アルスキール
“陽気な隠者”ラザルス “蒼空の黔鎧”ソウマ
“炎華の奏者”グリンダ “拙き風使い”風見来生
“緑の涼風”シーナ “爆裂忍者”忍火丸
“貧乏学生”エンゲルス “猫忍”スルーティア
“七彩の奏咒”ルカ “のんびりや”キーウィ
“深藍の冬凪”柊 細雪 “旋律の”プラチナム
“轟轟たる爆轟”ルオー “影使い”ティル
“泡沫の夢”マーティ “黒い学生”ガッツ
“不完全な心”クレイ “夢の中の姫”アリシア
“春の魔女”織原 優真 “冒険BOY”テム
“暇人”カルロ “真白の闇姫”連理
“演奏家”エリオ “創生の海”アルフィル
“縁側の姫君”橙子