学園都市アルメイスに普通の日々が戻ってから、数週間が経とうとしていた。 ただ、普通の日々というのは、何もない日々の事ではない。
学食でいつものようにサラダを頬張りながら、ネイはふとキックスに言った。 「そう言えば、そろそろ夏季球技大会の季節だねぇ」 アルメイスには「球技大会」と呼ばれる行事が夏と冬の2回ある。冬季の方は昨年から始まった比較的新しい行事だが、夏季の方は反対に割と昔からある古い行事だ。 「あー、そうだな。……で、今年は何をやるんだ?」 キックスがやる気なくそう尋ねた時、そこにネイとは別の声が響いた。 「ネーティアさん! 勝負ですわ! 今度の夏季球技大会で、決着を付けませんこと?」 それは、リッチェルだった。彼女の手には一枚の紙。それを見たネイは、至って冷静にリッチェルに告げる。 「リッチェル。もう演技はいいんだってば」 「そうですの? 折角雰囲気を盛り上げようと思いましたのに」 リッチェルはネイの従者に戻り、改めて手に持った紙を見せる。それは、掲示板に貼られていた通達の写しであった。 「ネーティア様お待ちかねの、夏季球技大会の種目が発表されましたわ」 ネイはリッチェルから紙を受け取り、目を通す。 「うーん。今年は『ノーブルクレイ』か〜」 ネイがそう言うと、キックスがネイから紙をひったくる。 「……ようやく来たか」 そう言うキックスの顔は、真剣だった。 「ネーティア様。キリツ様はいったいどうされましたの?」 リッチェルはキックスの態度に驚きながら、そう尋ねる。すると、ネイはキックスの方を見ながら、ぽつりと言った。 「騎士、だね?」 「……ああ」 頷くキックス。状況を飲み込めないリッチェルは、ネイに説明を求めた。 「……5年くらい前から、球技大会でノーブルクレイが行われたら、ただの1度も負けない人がいるの。重量とスピードを伴ったライジングショット『ルーサーンハンマー』で、並み居る強敵を打ち倒してきたんだ。その強さに敬意を表して、その人は『クレイコートの騎士』と呼ばれるようになった」 ネイがそこまで言うと、キックスが続ける。 「……あれは2年前の夏季球技大会だ。準決勝で俺はそいつと当たった」 「どうなりましたの?」 リッチェルの問いに、キックスは首を振る。 「……次は勝てる。その時の俺はそう思った。だから、今回は勝つ」 そこまで聞いたネイは、こくりと頷いた。 「私のことは心配しなくていいよ? 誰か、別のパートナー見つけてダブルスに出るから」 「……んなことは心配してねぇ」 キックスがいつものようにツッコむと、リッチェルもネイに尋ねる。 「それは、わたくしがネーティア様のパートナーと言うことですの?」 「見つからなかった時にはお願い。無理強いはしないけどね」 こうして、今回の球技大会はキックスがシングルスに、ネイとリッチェルはそれぞれダブルスに出場することとなった。
ものの本によると、ノーブルクレイとは『ネットを境にして相対し、ラケットを用いて所定の区画内に黄色のフェルトで覆われたボールを打ち合って得点を競う競技』とある。古くは貴族達の家の庭で行われていた球技と言うこともあり、特に貴族達の間で人気が高い。 さて、今大会でのノーブルクレイのルールは、運営時間の都合もあってか次のようになっている。
・試合形式は、シングルスおよびダブルスの1セットマッチトーナメントとする。1ゲームは4ポイント先取。3ゲームを先取したチームがセットの勝者となる。お互いに2ゲームを取った場合は、次のゲームをタイブレーク方式で行い、勝者をセットの勝者とする。 ・学生は、シングルスとダブルスのどちらか片方にしか出場出来ないものとする。 ・試合は、男子・女子・混合の区別は行わないものとする。また、ダブルスにおいては「フューリアとリエラ」というペアも許可する。但し、試合中のリエラの特殊能力および技の使用は、リエラとのペアを組む組まないに関わらず全面的に禁止する。 ・試合会場はアリーナに特設したクレイコートとする。また、練習用として1週間前からこのコートを開放する。 ・優勝者には栄誉を讃えて『ゴールデンラケット』を贈るものとする。
賞品が金目の「ゴールデンラケット」と聞いて俄然やる気を出した学生がいたのは、ある種当然といえるだろう。 例えば、ランカークが「あのような高貴な輝きを持つラケットは、高貴なる者にこそ相応しい」と言って、従者に優勝賞品奪取命令を出した事は想像に難くない。事実、「ランカークがゴールデンラケットに高額の報酬を用意している」と言う噂が、早い段階で生徒の間に流れている。
他にも、賞品に目がくらんで球技大会への出場を決意していた者がいる。誰かというと、マリーである。 「やっほー。マリー〜 球技大会、どうするの〜?」 レダが蒸気研に来た時、マリーは奇妙な行動を取っていた。右手にはノーブルクレイのラケット、左手にはねじ回しを持ってうろうろしていたのだ。 レダは不思議そうに尋ねる。 「……どうしたの?」 「ハイヤードの技術大祭が近いのよ〜。でも、球技大会も近いのよ〜」 よくよく話を聞くと、数ヶ月後にあるハイヤードでの技術大祭に向け、マリーは資金調達を図ろうとこの球技大会に出場を決意したらしい。なにしろ、噂ではあのラケットの価値は10万シナーは下らないだろうとのことなのだ。 「だから、ダブルスで出て優勝賞品のラケットを2本手に入れられればと思ったわけ」 だが、マリーは忙しかった。技術大祭用の制作に加え、蒸気式演算回路組込型自動得点掲示板改『EXカウンター2』のメンテもあり、てんてこ舞いになっているらしい。 「大祭用の制作は他の人に任せられないし、ノーブルクレイのパートナー探しや練習もしなきゃならないし……」 困っているマリーを見て、レダは大丈夫だと頷いた。 「じゃあ、ボクが代わりにダブルスに出るよ〜。優勝賞品はマリーにあげるから」 そう言うと、レダは元気よく蒸気研を後にし、パートナー探しにと出かけていった。
それから数日後、ネイとリッチェルは食堂で食事をしていた。 「やっぱり、騎士みたく格好良い必殺技が欲しいねぇ。高位置からの高角度スマッシュ『メテオソード』とかどうかな」 「……それはトリムラリーの技ですわ」 リッチェルはネイの与太話に冷静に突っ込んだ後、ネイに尋ねる。 「ところで、先日からずっと気になっていたことがあるのですけども」 ネイが視線をリッチェルに向けると、リッチェルは自分の疑問を話す。 「クレイコートの騎士様って……どなたなのですの?」 すると、ネイはさも当然といった顔で、こう告げた。 「あれ? 言ってなかった? アルフレッド・フォン・ライゼンバード。寮長だよ」
その頃、キックスは球技大会の参加受付に来ていた。そこには、受付作業を手伝っているアルフレッド寮長の姿があった。 彼はまるで誰の挑戦でも受けると言わんばかりに、受付で穏やかに微笑んでいたという。キックスはそんな寮長を鋭い目で見つめながら呟いた。 「……向こうがハンマーなら、こっちは槍だ」 |
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