反逆のさだめ
 金庫には鍵がかかっていたという。
 その金庫のあった部屋自体にも、鍵はかかっていたという。
 その部屋に窓はなかった。
 二つの鍵は何かで壊されていたという。
 金庫の中に入っていた試験問題が荒らされ、そこにはエリスの生徒手帳が落ちていたという。
 確認のために呼び出されたエリスは、一切弁明しなかったという。
 そうして今、エリスの放校処分が話し合われているという。


 良くない噂の流れるのはなお早いのか、アルメイスの生徒はゴシップ好きなのか、エリスが試験問題を盗んだらしいという噂は十分に広まっていた。だからだろうか、エリスを取り巻く空気はいつにもまして微妙だった。
 エリスがいつものように修練場に入ると、ざわめきが走る。だがエリス自身はそんなことは気にもとめない様子だった。いつもと同じように黙々とトレーニングをしている。修練場にこの時間にいる者は、みんな自主トレーニングをしに来ているので、特に親しくなければ声を掛け合うこともなく過ごす。
 ざわめきはざわめきのままに流れていった。
「ねえねえ」
 赤い髪をリズミカルに揺らして、クレアは言う。
「エリス、本当に学校辞めさせられちゃうのかな」
 リズミカルに飛んだり跳ねたりしながらのトレーニングだが、息は乱れていない。ダンスが得意なクレアは、トレーニングも踊るようだ。
 話しかけられているのは、もちろんルーだ。ルーはこの修練場にいながら、ただクレアの近くに立っているだけだったが。
「……わからない、けど……」
「ホントに試験問題とったのかなあ? エリス、実技は問題ないじゃん」
 別に筆記が少しくらい悪くたって、落第したりはしないだろう。それ以前にエリスの成績がそんなに悪いと聞いたことは、クレアにはなかった。良いという話も聞かないが、話題になるほど良くも悪くもなかったのではないかと思われる。
 成績の良し悪しを言うのなら、クレアの方が悪そうだ。クレアは、ルーがいつも筆記試験の時は面倒を見てくれるから、落第しないですんでいる程度である。
 逆にルーは筆記で実技のマイナス点を補っている。ルーは、実技はほとんど0点だからだ。
 及第すれすれのきわどいところにいるという意味では、ルーとクレアの方が危なっかしい。
 それでも……
 試験問題を盗んだのはエリスだ、と言われている。
「わからないわ……私には……」
 いつものように俯きがちに、ルーはつぶやく。
「エリスがなにも言わないんじゃあ、しかたないのかなあ……」
 自らにかけられた嫌疑を、エリス自身が晴らそうとしないのならば。けれど、クレアは何か引っかかっている顔だ。
「そう……ね……でも」
 ルーは小さく疑問を呈した。
「どうして、放校処分なのかしら……」


「どうして、放校処分なのです?」
 双樹会会長マイヤの問いに、学園長はちらりと視線を向けた。
「教授会の話がそういう方向で進んでるからよ」
 そして、端的に答える。
 学園長の手には教授会の議事録がある。学園長自身は教授会には出席しないので、後から議事録の提出を受けるのだ。
「まだ、意見は割れてて決定はしてないけど。次の会には結論を出すそうよ」
 今頃根回しでもしてるんでしょう、と、学園長は議事録を机の上に放り出した。
「よろしいので?」
「教授会で決定したなら、やむを得ないでしょう」
 いかに伝説の四大リエラの主といえど。
 いや……伝説の四大リエラの主だから、か。
「伝説のリエラは、反逆のリエラ。反抗と破壊と……やっぱりあれも、そのさだめからは逃れられないのかもしれないわ」
 やっぱり、あの娘も。思いに耽るように、学園長は目を閉じた。


「いらっしゃるぞ!」
 バタバタバタと上品な貴族とはとても思えない足音を立てて、ランカークは走っていた。
 誰が来るか、というと、先日アルメイスを騒がせて帰っていった奇妙な客人、サウルである。帰ったと思ったら、すぐまた来るとランカークに連絡が入ったらしい。
 どこからか現れた彼の従者は、控えめにランカークに落ち着くように言った。
「今回もおもてなしを?」
「いや、今回は急の用事だということだ。しばらく我が家に滞在なさりたいとおっしゃっている」
 ランカークは寮生ではなく、金にあかせて市街地に邸宅を持っている。そこにしばらく泊まりたいということならば、前回よりは長居をするつもりなのかもしれなかった。
「警備は……」
「ほどほどにということだ。前回のがお気に召さなかったのだろうか……」
 ランカークは一人悩んでいる。従者は、おそらく気に入らなかったとか、そういう意味ではなかろうと思ったが、それは言わなかった。
 しばらく後の予定だったものが、急に来ることになったのだから、なにか用件があるのだろう。しかも、ああいう身分の者が、直接だ。ランカークにだって自分のような従者がいるのだ。彼にいないはずはない。それでも来るのだから、どこかしら他人任せにできないような用件なのだろう。それでわんさか警備に囲まれていたら、動きにくいだろうから……
 もっとも、従者にも、サウルが今このときにやってくる理由まではわからなかった。
 ランカークに連絡したら、すべてを内密には進められまい。ランカークはやっぱり警備に何人かは調達してくるだろうし、なにかしらもてなしの支度を用意するだろう。それもある程度、計算の内なら……
 サウルは、翌々日の早い列車で到着するということだった。


 エリスは、荷物をまとめていた。
 このアルメイスを出て行くとなれば、帰る場所はあの貧民街しかない。他の行き先は……思い浮かべて、エリスは一人、首を横に振った。
「行くの?」
 扉の隙間から、覗く顔があった。赤い髪が揺れている。
「いや……まだ」
 一人かとエリスが聞くと、クレアは頷いた。
「ねえ、教授に頼んでみようよ」
 エリスは黙っている。
「……あたし、頼んでくる! 他の人にもお願いしてさ」
 待ってとエリスが手を伸ばすのは間に合わず、クレアは走って行ってしまった。

 反逆とは、今あるものに逆らうこと。
 今ある形を壊すこと。
 今はない何かを求め、今はない形を目指す。
 自らに何がなせるかを求める者は、誰もが常に『今』への反逆者だ。
 それが改革と呼ばれるのか、革命と呼ばれるのか、反逆と呼ばれるのかは……
 本当は、それが行われるときには、まだ誰も知らない。

■ともだちのために……一日目■
 盗難事件が噂になる中、試験延期の張り紙が出ていた。全部問題を作り直すので、事件そのものからは数日も経ってから、結局間に合わないと判断されたらしい。教授やら講師たちは、ばたばたしていた。
 クレアは、普通にしていてもどこか騒がしい少女だ。いつでも躁状態かといえばそうでもなく、暗くなるときには盛大に暗くなるのだが、とにかくどちらにしろ存在感は強い。今回もばたばたと走っていって手近な教授を捕まえて、教授の困惑をよそに「エリスを退学にしないで」とわめいていたから、周囲からかなりの注目を集めていた。
 途中で行きあった“緑の涼風”シーナと“怠惰な隠士”ジェダイトがクレアについてきて一緒にいたのだが、シーナが聞こうと思っていたことも満足に聞けないありさまだ。
「あ、あの、どうしてエリスさんは試験問題を荒らさなくてはならなかったんでしょう? なにか理由でも……」
 隙を縫って、シーナは教授にそう聞こうとしたが、クレアのせいで教授はおろおろするばかりだ。
「落ち着きなよ、クレア」
 そんなクレアを引き止めたのは“眠り姫”クルーエルだ。どこか不機嫌そうな顔で、クレアの手を引いて引き離す。
 そこでクレアの剣幕から解放された教授は、これ幸いと行ってしまう。シーナは追いすがったが、忙しい最中にもう一度捕まる気はなかったようであった。
「だって……!」
「落ち着きなってば。うるさいんだから」
 一方で、クレアの声で中庭での昼寝から目覚めたクルーエルは、クレア以上に不機嫌な声でうなるように言った。それでクレアも一瞬たじろいで、いったん口を閉じる。
「だって」
 それでも納得はできないのか、行ってしまった教授の後ろ姿をきょろきょろと探しながら。
「だからさあ、言いたいことはわかるんだけど。教授に直接言っても無駄だってば」
「え?」
 クルーエルの言葉はクレアには意外なものだったようで、ここでようやくクレアは話に耳を傾けようという顔をクルーエルに向けた。
「こんな厳しい処分がおかしいとは思うよ。でもさ、それを決めようとしてるのは教授たちなんだもん。つまり……」
 そこで、クルーエルは少しだけ声を落とす。
「教授会がこの事件を仕組んだのかもしれないじゃない? 犯人にやめてって言って、やめてくれると思う?」
 あ、とクレアは目を見開いた。そんなことは露ほども考えていなかったらしい。
「でも……それは最初にエリスさんを放校にしようって言い出した教授ではないのかしら。それは」
 教授を追うのを諦めたシーナも戻ってきて、会話に加わる。
「誰がなんて、わかんないよ。あの教授かもしれなかったじゃない」
 その場にいた四人の視線は、教授が消えた方向へと向けられた。
 確かに、ちゃんと聞いてみなければ誰がエリスの放校を言い出したのかも、それを誰が推し進め、それに誰が賛成し、誰が反対しているのかもわからない。
「落ち着いたか?」
 そのクレアの肩を、叩く手があった。
「あ、リーヴァ」
 クレアが振り返り少し見上げると“天津風”リーヴァがそこにいた。
 リーヴァはクレアが教授に突っかかっていくところから見ていたので、あらかたの事情は把握していた。もちろん噂は耳に入っていたし、この処分はどこかおかしいとも思っていたから、興奮してわめいていたクレアの言葉からも何がしたいのかはわかった。
「うん……」
 眉根を寄せて、考え込みながらクレアは言う。
「じゃあ、どうしたらいいの? あたし、みんなに教授会にお願いに行くって言ってきたし。後から、カイゼルとかも来てくれるっていってたし」
 クレアはクルーエルのほうに向き直って、そう訊く。
「うーん、まず双樹会のほうがよくない? マイヤ会長なら、なんか考えてくれるかも」
 クルーエルはそう提案する。
「そうだな、それも一つの手だろうが」
 リーヴァはうなずいて、しかし、と続ける。
「会長に任せきりというわけにもいかないな。教授にも話はしなけりゃならない。タイムリミットは次の教授会までだろう? なら、それまでに俺たちで調査するしかないね」
 調査するにも、勝手にはできない。複数で臨むのならば、調査したい者をまとめて、調査する側にも不正のないように管理する必要がある。不正があれば、仮にこちらの望むような証拠が出ても、その力が弱くなってしまうだろう。
「クレア君、他に誰が協力してくれるって?」
「ええと、カイゼルとアルスキールが他の人にも声かけてくれるって言ってて、他にはアルベルトとか、索とか」
 シーナとジェダイトの他にも何人か協力してくれるという者はいた。今彼らが同行していないのは、それぞれに準備を始めたからだった。
 エリスは過去にまつわる噂のせいで学園内では孤立気味だから、放課後の寮から校舎までの道すがらでここまで捕まえられたのは、多いほうなのか少ないほうなのか微妙な数だ。もちろん、その道すがらクレアは、その数倍にのぼる生徒に断られてここに来ている……
「じゃあ、とりあえずその全員を集めよう。他にも今回の事件に関わって何かしようという者がいたら、いったん待つように言ってくれ。何を捜査するにも教授たちの許可が要る。その前に勝手なことをすると、トラブルの元だ」
 それからマイヤのところに行く者は行き、教授たちのところに行く者は行き、現場に向かう者は向かえば良い。
「騒ぎになる前に押さえられればいいがな」
 先に誰かに騒ぎを起こされては、手順を踏む意味がなくなる。わずかな不安を口にしつつも、リーヴァはクレアの背を押した。


 クレアが行ってしまってからエリスは再び荷物をまとめようとしたが、一人二人とエリスの部屋を訪れる者が現れて中断を余儀なくされた。女子寮であるので、はじめは女子ばかりであったが、おいおい寮長に許可を得て訪ねてきた男子学生も加わって結構な人数に膨れ上がっていったのだ。
 最初に訪ねてきたのは、“ぐうたら”ナギリエッタと“拙き風使い”風見来生の二人だった。ナギリエッタと来生は示し合わせて来たわけではなく、扉の前で行き会ったのだが。その目的は、大きくは変わらなかった。
「エリスぅ……今、いーい?」
 ナギリエッタがまず、施錠されていない扉から顔を出した。エリスは支度の手を止め、うなずいてみせると、ナギリエッタが部屋に入ってきた。そして、その後ろから来生が続く。来生は、お茶とクッキーの乗ったお盆を持っていた。
「なに?」
「うーんと〜、一緒にお茶でも飲もうと思ってぇ」
 ナギリエッタは、いつもの眠そうな顔でほにゃっと笑った。
「……何故」
 今、とエリスは続けたかったのかもしれないが、そこまで声は続かなかった。
「お茶飲むのに、理由なんてないですよー。少し休憩して、お話でもしましょうよ」
 同じくのんびりと来生はテーブルにお盆を置いて、ストーブの上のポットを取った。
「急ぐわけでもないでしょう?」
「それはそう……だけど」
 確かに、明日出て行かなくてはならないというわけではない。まだ処分は出ていないのだから。
「ダメ? こないだのお茶会の話とか、聞かせてょ。他にも」
 エリスが楽しかった話を。ナギリエッタの言葉に、しばらく時間はかかったが、エリスはうなずいた。
 小さなテーブルを三人で囲み、少しぎこちないながらも小さなお茶会は始まった。他愛のない話をしながら、お茶に口をつける。
 だが、平穏な時間はわずかの間だった。
「エリスさんはいらっしゃいまして?」
 次の客人が訪れたからだ。
 そして、次の客である“桜花剣士”ファローゼは、大声は出さないもののたいそう怒っている様子だった。
 エリスは無言で立ち上がり、ファローゼの対応に出る。ナギリエッタも心配で、その後を追って扉のところまで出て行った。
「エリスさん、試験問題を返していただきましょうか」
 ファローゼは、エリスに向かって手を突き出した。その丸眼鏡で甘く見えがちな顔は、真剣だった。
 エリスとナギリエッタはその顔とその手を見つめたが……言葉は出てこなかった。
「お持ちなのでしょう? これから学園を出て行かれる方が、試験問題を持っていても意味はありませんわよね? 問題を返してくださいませ」
 ならば返してから出てゆけと、ファローゼは眉間に皺を寄せる。
 エリスは、ただ黙っている。
「返さないおつもりですの?」
 ただ、少し困ったように黙り込んでいるだけだった。
「あの、エリスは犯人じゃないと思うょ」
 見かねて、ナギリエッタが口を挟む。来生もこれはさすがに気になって、エリスの後ろまで出てきた。
「部外者は黙っていていただけません? 私はエリスさんに聞いていますのよ」
「部外者ってぇ……!」
 ファローゼの声は大きくはなかったが、はっきりとしていてよく響いたせいか、廊下では自分の部屋から顔を覗かせて様子を窺っている者もいる。
「なにを騒いでおるのじゃ」
 そのうちの一人であった“幼き魔女”アナスタシアは、とうとう廊下に出てくると、不機嫌そうな声でファローゼとエリスの間に割り込んだ。
「あなたにも関係は」
「やかましいと言っておる」
 冷え冷えとした視線を、アナスタシアはファローゼに向けた。
「我もエリスに用があるのじゃ。おぬしだけがエリスに用があるわけではない」
 出てきたついでとは言わず、アナスタシアはファローゼを後ろに押しのけ、さらに前に出た。
「聞いておかねば始まらぬところから聞くがの。おぬしが問題を盗んだわけではなかろう? そんなことをして、得られるものなどないはずじゃしな」
 だが……やはりエリスは黙っている。ここであっさりと肯定するのならば、尋問した教授たちにだって答えただろう。この後にも多くの者がこの質問を口にしたが、エリスがこれに答えることはなかった。
 ふん、といかにも不機嫌そうに鼻を鳴らし、アナスタシアは息を吐いた。
「濡れ衣を着せられて、流されるままになるのがおぬしの正義かの」
 エリスがしたわけではない。そう考えているからこそ、アナスタシアは腹立たしいのだろうが。
 エリスは答えの代わりに目を伏せる。
「我はおぬしを買いかぶっていたようじゃ」
 そして再びアナスタシアを見たときには、迷いなく言った。
「話は、それだけ?」
「……そうじゃ」
 アナスタシアは続けるべき言葉を失って、顔を歪めた。
 その頃になると、騒ぎを気にして廊下に出てきた女子や、許可をもらって女子寮に入ってきた男子たちが、アナスタシアの後ろにまできていた。微妙な雰囲気のために、声はかけにくい。それでも、ここで問わなくてはならないと思った者たちが、勇気をもってアナスタシア越しに後ろからエリスに呼びかけた。
「なぜ何も言わないの? 本当の犯人だって言い訳はすると思うんだ」
 自分はエリスが犯人だとは思っていないが、エリスの態度は不自然なのだと“硝子の心”サリーは言う。
「そうだな、黙っている理由が聞きたい。誰にも言えないのかい」
 “鉄の氷竜”レクスもそう続ける。だがエリスはやはり黙っていた。
 黙っている理由を言えるのならば、黙秘する理由もない。そういうことだ。エリスはけして、駆け引きには強い少女ではない。
 だが、それは納得いかぬ。そう考える者はいる。
「答えてくれるまで離れませんよ」
 と、“永劫なる探求者”キサが言い、
「……では、私はエリスさんが問題を返してくれるまで、エリスさんをずっと見張らせていただきますわ」
 と、後ろに追いやられていたファローゼも前に出てきてそう告げる。
 そんな様子をナギリエッタと来生は、はらはらと見守っていたが……
「僕も、話してくれるまでここを動かねえべ!」
 と、“土くれ職人”巍恩が言うまできて、
「えぇー!?」
 さすがにナギリエッタたちも動揺した。居座りの宣言をした前の二人は女子だが、巍恩は男子。男が女子寮に居座るというのは、それ以前の問題がある。
 声を上げたのはナギリエッタだった。
「ずっといる気なのぉ〜! そんなことしたらぁ」
「なにか問題がありまして?」
 さらりと答えたのはファローゼだ。
「エリスが休まらないょ! エリスにもゆっくり考えたいことだってあるょ。そんなことしてたら、学園に残りたいなんて思えなくなっちゃぅ〜」
 ファローゼは、エリスを犯人と決め付けていることを明言している。そんな人物やら男子やらがずっと一緒にいては、エリスだっていたたまれないだろうということは容易に予想できた。
 だがナギリエッタの抗議にもファローゼは譲らない。
「犯人ならば、問題用紙は返せるでしょうと申し上げているのですわ。返せないのなら、犯人ではないかもしれませんけれど」
 ファローゼはあっさりと真理をつくのだが、やはりその言葉は冷たく響く。
「今のままでは、エリスさんは信用できませんもの」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
 そこで、人垣の後ろから、あきれたような声で“寄添う緑”スプートニクが声をかけた。
「俺もだめもとで聞きに来た口だから、人のことは言えないんだが。今まで弁明してきてないんだから、エリスさんが俺たちにあっさり事情を話してくれると思うかい?」
 いたってあっさりした感性のスプートニクには、「エリスが話すまで頑張る」というしつこ……いや、情熱的な者たちのことは理解しづらかった。エリスから何も聞けないときには他に行こうと思っていた者としては、あきれるというか、カルチャーショック的なところであろうか。
「いや、事件の容疑者に話を聞くのは筋ってもんだぜ」
 それには“流転流道”フレキが答える。
 ここにいる者は、エリスがやったのではないと考えていたとしても、必ずしもエリスの気持ちを思いやる者ばかりではない。ただ問う者には、エリスの堅く結ばれた口を開く力のある者はいなかった。
 北風は、けして旅人の上着を脱がせることができないように。
 エリスの心は、『力』には屈しない。それが物理的な力であれ、心を傷つける力であれ。だから、ただの言葉の繰り返しや圧力では彼女の言葉を引き出せない。……傷つく傷つかないは別の問題として。
「私はお話を聞きたいとは、もうしておりませんけれど」
 ファローゼの反論も、もう大したことではなくなりつつあった。
「……エリスさん」
 “飢餓者”クロウもエリスと話をするために、ここに来ていた。だが、もう聞かずとも答えが出てしまったような錯覚に囚われていた。
 クロウがここに来たのは、エリスに放校を望んでいるのかいないのかを問うため。そして、その望みを叶えるためだ。
 だが、今エリスを取り巻いている状況は、エリスにこの学園に残りたいと思わせることができるだろうか。信じていると言う者はいても。彼女の願いを問う者はいない……
「せめてこれは答えてくれないかな」
 クロウは、正直聞くのが恐ろしかった。
「エリスさんが出て行きたいって望んでるなら仕方がないけど、ボクは出て行って欲しくない……でも……エリスさんは、学園を出て行きたいのかな!?」
 それでも出て行きたいと言われたら、そのために力を貸すつもりだった。
 少しの間をおいて、エリスは口を開いた。
「出て行くべきでないのなら、出て行かないわ。だけど出て行かなくてはならないのなら、その理由ができてしまうなら、出て行く」
 どのように形を変えても、意味は同じだ。それはエリスが常に求め続けていること……昔も、今も。迷いはなく、すべては見定めるもの次第。
「私は、私がなすべきことをするだけ」
 そうなんだ、と、少し寂しそうにクロウは答えた。


 クレアたちが今回の盗難事件に関して何かしている者、協力してくれる者を改めて探している間に、リーヴァは一足早くこの事件の調査に当たった教授や、エリスの放校にいまだ賛成していない教授を求めて動いていた。調査の許可を取り付けるためだ。
 自分の研究室を持たない助教授以下の講師のいる教員室では、そっちこっちで盗難事件が話題になっているようであった。それに聞き耳を立てながら、リーヴァは用があるようなふりで教員室の通路を抜けていく。
「どうしてこんな性急に、あやふやなまま放校処分を出そうとしているのです?」
 その通路の横手で、“白夜の月雪”コーリアは、一人の助教授を捕まえて、そう詰め寄っていた。
「処分はまだ決まっていないし、調査はされている。残念ながら、弁解がなかったことは確かだ。身の潔白を証明する努力を怠っては、なにごとも良いようには解釈されない」
 放校処分はちょっと重いと思うがね、と、事情は知っているらしいその助教授は応じていた。続けて噂に踊らされるのは良くないとコーリアをたしなめる。
「では、私も放校処分になさいますか? 教授に対し知人の処置に対する疑問を口にしたという理由で」
 むっとしたようにコーリアが反論すると、助教授は苦笑して「落ち着きなさい」と、またたしなめた。
「あまり喧嘩腰で話をしていては、庇いたい友達の印象まで悪くなってしまうよ」
 今はその印象が大切なときだろうと。
 それを聞いて、コーリアが立ち去ってから、リーヴァはその助教授の前に立った。
「盗難事件について、調査担当の教授が誰だか、ご存知でしたら教えていただきたいのですが」
 独断で学生に調査してよいと許可の出せる教授は、おそらくいない。どこを経由しても許可が出るまでにはしばらくかかるが、それが最も短時間ですむのは、調査を直接担当した教授に話を持っていくことだ。
「……もしも可能なら、放校処分は重いと思っている他の教授についても」
 処分があっさり決まっていないということは、放校に反対している教授もいるということ。そういう教授の賛成も得られれば、学生の調査の許可も出やすくなるだろう。
 逆にてんでばらばらに許可を求めていけば、どこかでやはり喧嘩腰で臨んで、味方になりうる教授を逆に怒らせる者も出るかもしれず、リーヴァは急ぐ必要を感じていた。
 一方そのころ、“七彩の奏咒”ルカも、放校反対派と賛成派の教授の名をいくつか担任講師から聞き出したところだった。
 適当に選んだ相手に話を聞くよりも、意向を同じくするとわかっている人物から聞き出すほうが、こういったことは効率が良い。だから、この次に向かうところは反対派の教授のところだ。
 てけてけとルカは、そこに向かう。反対派の教授の中でも女言葉で馴染み深い変人カマー教授を選んだのは、多分彼が一番生徒にフレンドリーな態度で接してくれるからだ……が。
「失礼しまーす」
 ルカはこの教授でよかったかなあ、とすでに半ば後悔しつつ、研究室に入った。中に入って扉を閉めようとすると、扉を押さえる手があって、閉まらない。手の主を見上げると、リーヴァだった。
 さて、学生二人を前にして、カマー教授はふうんと意味ありげに鼻を鳴らす。
「聞きたいことって?」
 リーヴァの用はすぐ終わるものだったが、先客に先を譲った。それで、ルカから話を始めたわけだが。
「テストが盗まれた話なんですけど。金庫って何で壊されていたんですか? 金庫壊すのって大きな音がするけど、誰も気づかなかったのかな」
「工具か何かでこじ開けてあったの。工具は残ってなかったわ。やられたのは夜のうちで、校舎に人はいなかったし。それにあの部屋は古い資料庫とか、書庫とか物置とかの並びにあるの。人がいる部屋で一番近いのは、学園長室なのよねぇ」
「学園長室……」
「で、学園長はそのとき不在だったそうよ」
「第一発見者は? 落ちてたっていう手帳は、本物だったの?」
「第一発見者は、シラス教授。テストを作り直したから入れ替えに行ったんですって」
 シラス教授、と言ったところで、カマー教授はわずかに皮肉気に顔を歪めた。
「手帳は本物よ。発行番号も正しかったし。ただ……」
 今度は、フッと哀れむような表情を見せる。
「あの子の生徒手帳はたくさんあるから」
 これには返答にも相槌にも窮して、ルカもリーヴァも遠くを見つめた。
「どうしてあの子ったら、物落としても全然気がつかないのかしらねぇ」
 ドジなんだから。だからこんなことに……とブツブツ教授は言っている。
「ええと……この事件の前からお休みしてる生徒っていませんか」
「んー? それはアタシだけじゃわかんないわね。学生課にでも行ってらっしゃい」
「じゃあ、最後に。放校は厳しすぎると思うんです。なんとかなりませんか。先生なら、どういう処分が妥当だと思います? もし、真犯人を捕まえれば、なんとかなりますか?」
 たたみかけるように言われて、カマー教授は鼻を掻いている。
「そうねえ……ホントなら妥当なのは停学ってとこかしらね。なんか言ってくれれば、そのくらいに落ち着いたでしょうに……学園に残して辛い思いをさせるならいっそ、って意見もあるけど」
 ここは普通の学校じゃないから。……そう聞こえるか聞こえないかという声で呟き、ふぅーと息を吐く。それから教授は続ける。
「他に犯人がいれば、いくらなんでも放校にはならないわよ」
 そうですか、とルカは答えて、礼を言った。
「そっちは?」
 ようやく順番の回ってきたリーヴァは、学生の手による再調査の許可を求めているという説明を手短にする。
「試験問題を盗むという行為そのものに、意味はありません。問題は変更されるんですから。試験は延期になるようですが……被害はそれだけ。だから、盗難には別の意図があったと思うんです。もう調査を担当した教授に申請はしてきましたが、教授にもお願いしたいんですが」
「ふうん……まあ、いいでしょ。アタシからも言っておいたげる。でも、もう終わりだって言ってる人もいるから、どうなるかわからないわよ……あと」
 大切なことだけど、と、カマー教授は付け足した。
「今回のことはね、エリス自身がこれ以上の詳しい調査を望まなかったのよ。つまり調査の仕方によっては、彼女にとっては放校になるよりもずっと困ることが暴かれるかもしれないってこと、理解しておいてね」
 リーヴァとルカは、沈黙でそれに答えた。


 クレアの元には、協力者が集まっていた。呼び集めた者と、自らクレアの元に来た者といたし、その胸に思うことは様々だったが、エリスの放校処分を撤回しようという目的は一つだ。
「署名活動をしよう」
 集まった者たちからは、そういう意見も複数出ていた。とくに熱心だったのは“飄然たる”ロイドが提案したと言って、今にも走って行かんばかりの“暴走暴発”レイたちだった。
 だが、“貧乏学生”エンゲルスと“風曲の紡ぎ手”セラがそれを引き止める。
「待ってください。校内で署名を集めたりビラを撒いたりするなら、双樹会に許可を求めないと」
 エンゲルスは、気のはやっているレイの腕を取って止めた。許可なく行っては、印象は逆に向かうこともありうる。
「まずは署名を集める方々の名簿を作りましょう。それでマイヤ会長にお許しを得てまいりましょう」
 落ち着いて、とセラが続ける。堅苦しいかもしれないが、署名を集める場所に校内および関連施設を含むのならば、セラの言う手順が正しい。
「後で、私たちの活動が正規の手順であったことを、会長から教授会にお口添えしていただくのがよろしいですわ」
 そうすると今日はまだ、準備が整わない。活動開始はどんなに早くても、明日の朝からとなるだろう。
「そうだ。それと、クレアさんとルーさんにも、署名の関係のお手伝いをお願いしたいんですが。ルーさんは人前苦手でしょうから、あんまり人前に出ないですむ仕事をお願いしますので」
 エンゲルスは日銭稼ぎで培われた手際で、協力してくれる人の分担を始めた。今日のうちにポスターやビラを作り、明日許可が下り次第始められるようにと。
 程なく、リーヴァがルカも連れて、約束していたクレアのところに戻ってきた。それで、先に教授たちのもとを訪れている者もいるということがわかったが……もう陽は落ちている。
 マイヤや教授たちのところに行くのも、明日の朝一で。三々五々に訪ねて、忙しいマイヤや、教授たちの時間を奪い続けてはやっぱり得られるはずの協力も疎かになるかもしれなかったので、訪ねて行く者はできるだけ一緒にということとなった。


 結局エリスを巡る寮での騒ぎは、夜になる前に収束した。直接的にはクロウが、寮長に通報したせいだ。その時点でエリスの意思を尊重して穏健に話をしようという者以外は、寮長とそれをいくらなんでもと思う者の手で追い払われることになった。
 女子については最低限本人の許可なく部屋の中に立ち入るのはやめるよう、また部屋の前も近隣の部屋の者に迷惑だからと諭し、男子の居座りは問答無用で外につまみ出された。女子寮の中で女装までして張り込もうとしていた者も発見されて追い出され、ひとまずエリスのすぐ目に触れる範囲からは、ぶしつけな視線は追い払われることとなった。
 それでも窓の下には、部屋の様子を窺う者の気配はなくならなかったが……
 すっかりと陽が暮れたころにエリスの部屋に残っていたのは、やはりナギリエッタと来生だった。
 そこにまた、ノックの音がする。
 エリスよりも先に、警戒心もあらわにナギリエッタが出て行くと、女生徒が一人立っている。
「なんの用ぅ?」
「……エリスは?」
 “求むるは真実”ラシーネは、別人が出てきたことに首をかしげる。しかしすぐエリスがナギリエッタの後ろに立ったので、納得したように続けた。
「出て行く前に聞いておきたいことがあるの。あなたのリエラは遥か昔、神々に反逆したというけど、何故そんなことをしたのかしら」
 それで面食らったのは、エリスのほうだ。そして、ナギリエッタはため息をつく。この期に及んで訪ねてきた者がこんな質問を投げかけるとは、エリスにはやっぱり友達が少なかったんだと、改めて再確認した気がした。
「悪いけど、アルムが昔何をしたかまでは知らないわ」
 エリスは真面目に答えているが、その様子もなんだかナギリエッタには切なかった。
「そうなの? じゃあ……他の4大リエラの主について、心当たりはない?」
 エリスはその質問には少し間をおき、深く深呼吸してから、答えた。
「水のアークシェイルはレアン・クルセアードの元に。それ以外は、言えないわ」
「言えない……知ってはいるのね」
「そうと言わない者には、言わない理由があると思う。だから私からは何も言えないわ」
 それは断固とした言葉だった。もしも昼間訪ねてきた者たちが聞いたなら、なんと言っただろうかとナギリエッタは思う。
 何故言わぬとエリスに訊ねた者たちは。
 言わない者には、言わない理由があるのだ。
 ラシーネはそこで立ち去った。
 二人も、部屋の中に戻る。
「外は、冷え込むわね」
 エリスは外を気にしている。外で張り込んでいる者がいるだろうことには気づいていたし、今は他にもエリスに気にかけさせることがあった。
「気になる? あたし、修練場まで見てきましょうか?」
 それは、エリスに決闘の申し込みを置いていった者がいたからだ。しかも、別々に二人。一人は今夜、そして一人は明後日を指定してきた。
 来生の言葉に、エリスは首を横に振る。アルメイスの冬の夜は寒い。それだけでも代わりに行ってきてくれと気軽に頼める程、楽な仕事ではない。
「大丈夫だょ。行かないって伝言はしたし、こなかったら諦めるょ」
 ナギリエッタはエリスを励ますように、努めて明るく言った。
「どうしても気になるなら、しないって言いに行ってもぃぃし」
 付き合うょ? とナギリエッタは言い、来生もうなずく。
「いいえ、いいわ。行ったら、退けなくなるかもしれないから……決闘はもうしない」
 エリスは目を伏せ、カップに口をつける。
「もう?」
 来生が首をかしげる。もう、というのは経験者の言葉だ。
「…………」
「あ、言いたくないならいいんですけど。エリスさんは大きい力を持っているから、人を傷つけないように、人を寄せ付けないようにしてるうちに、そんなふうに人と付き合うのが不器用になっちゃったのかなあって思ったから……」
 はっとして、そこで来生は口元を押さえた。
 エリスが苦笑いともつかない微妙な表情を浮かべていたので。怜悧な表情を崩さぬエリスには、ごく珍しいことに。
「買いかぶりね。私はそんなに、あなたたちのように善人じゃないわ」
 汚いことも平気でしてきた。そんなエリスにまつわる噂は、来生の耳にも入ったことがある。
「……決闘に負けて、私はここに連れて来られたの。誰にも負けると思っていなかった、あのころの自分の無知が今も恥ずかしいだけ。ただ……それだけよ」
 ひゅう、と風の音が窓の向こうで鳴っていた。


■落ち始めた砂時計……二日目■
 朝から学園は騒がしかった。“喧騒レポーター”パフェが無料で新聞を配っていたのもある。いささか演出の強い新聞に、学生の動揺はあったようだ。しかし、それで何かが急に変わるわけでもなかった。
「朝早くから、皆さんご一緒で」
 双樹会会長、マイヤは訪れた者たちを笑顔で迎えた。ここに来た者は、みんな今回の盗難事件でなんらかの頼みが、マイヤにある者だ。
 まずはセラとエンゲルスが、署名運動に関わる許可を申し込む書類を提出する。
「結構でしょう。ポスター類は許可印を押すので、並べてください。他には?」
「マイヤ会長も、教授たちへのお願いに、一緒にきてくれませんか?」
 続けて、“抗う者”アルスキールはそう願った。
「何故です? もう他の人が行っているのではないのですか?」
 実際のところ、今もう教授陣のもとへ行く者たちはすでに行っている。
「そうなんですけど。リエラの使用許可が欲しいんです。黙って使ったら、その使う原因になったエリスさんの立場が余計に悪くなってしまうでしょう?」
 アルスキールは、リエラを公式に使うのに、マイヤの口添えが欲しいということだった。
 アルメイスの中ではリエラを呼ぶまでは制限されていないが、その力を行使するとなると話は別だ。リエラの力をみだりに使うことは、その結果が法を犯す行為や倫理的に問題のある行為に繋がりやすい。
 リエラの使用という手段が問題なのではなく、その目的や結果が問題なのである。緊急時に怪我人を癒す行為は処罰の対象にならないが、遠隔視聴で異性の着替えを覗いたら処罰の対象というように。
 罪の疑いを持たれる行為も、当然ながら自粛が必要だ。エリアの前でリエラを使おうとしたら、それだけで脅迫と受け取られてもやむを得ない……理念のない力は恐怖を生む。それを教える場所でもあるアルメイスでは、自律が求められる。だからこそ、今この問題が浮上しているのだとも言える。
 この『放校』という処分も、罪を犯した生徒に対して厳しすぎはしないという意見が実際にあるから、議論の対象となりうるのだ。
「リエラを使って、何をしたいのです?」
 マイヤはアルスキールに問う。
 マイヤの口添えを得るということは、マイヤがその全責任を負うと約束することだ。当然、安易にうなずくことはできない。犯罪の保証人にはなれないのだから。
「それは……」
 アルスキールはマイヤに問われて口ごもる。
「そんなの、過去見をするに決まってるじゃないの」
 それに何を当たり前のことをと言わんばかりに答えたのは、“病弱娘”フィーだった。
「それで、すべてを明らかにするのよ」
「僕も過去見がいいと思う」
 そう、“蒼茫の風”フェルも同意する。
「ふむ。それはもう決めているのですか?」
「僕は、過去見には限りませんけど」
 アルスキールは付け加えるが、もちろん過去見が含まれていることに変わりはない。
 そこで、ふん、と“混沌の使者”ファントムは鼻を鳴らした。
「リエラの力に頼っても、嘘を暴けるかどうかなんてわかりはしませんよ」
 そして警鐘を鳴らす。高度な嘘には、安易に真実を求める者こそ引っかかりやすいと。
「なるほど。ファントム君、あなたにはその危険がわかっているようですね」
 マイヤは、それにうなずいて見せた。
「過去見の見せるものが、真実とは限らないことが」


「なんで過去見を使って、真偽を確かめなかったんだ?」
 ちょうどそのころ“自称天才”ルビィが、不満気に調査担当の教授に同じことを訴えていた。
 そして、その答えは。
「エリスが望まなかったからだ」
 共犯がいるのかもしれないと、その教授は思っているようだった。それをかばって、エリスは黙り込んでいると。
「でも、わたしもエリスさんの生徒手帳持ってるんだよ!」
 “久遠の響”キーリがそう言うが……それは、その場の生徒のほとんども知っているように、所詮『エリスの生徒手帳』の一つでしかない。現場で拾われたものもそうだったように、キーリの手にあるものも、調べてみれば本物に違いはないだろうが。
「学生課に問い合わせて、確かにあきれたが……そこに一つあるとしても、現場のものが本人が落としたものではないという保障にならない。それだけたくさん落として再発行を受けているということが、現場でも落としうることの可能性を上げるが、どう思うね?」
 浅い言葉では、エリスを庇うのは難しい。問い返されて、なお反論できるだけの力は生徒手帳からは生まれないようだった。
「あの、それはちょっと意地が悪い見方かと……私も、これ拾ったの。これはもう一つ他の人から、預かってきたもの。生徒手帳が複数あるのなら、やっぱり誰か拾った人がエリスさんに罪を押し付けようと考えて、置いていったのではないかしら」
 “海星の娘”カイゼルがフォローしたが、それに調査担当の教授たちは動揺しなかった。認めはするが、全面的に肯定するわけではない。それは考えられた範囲のことで、生徒手帳が証拠の一つであることを揺らがせるものではなかった。エリス自身が実際に、古いものと新しいものを含めて、複数の生徒手帳を所持していたのだから。
「そういうこともありうるだろう。だから、それだけが決め手になったわけではない」
 何も弁解をしなかったことが、最も問題だったのだと教授は告げる。
「それで、学生たちの調査は許可してもらえるのでしょうか?」
 このままでは埒のあかない問答になりそうな雰囲気を察して、リーヴァがすでに申し込んでおいたものの回答を問う。それについて、教授の口からは最後の確認が出た。
「私は徹底して調べるべきだと思ったが、望まぬならば過去見まではするべきではないと言う教授もいる。確かに他人の見るべきではない過去は存在するし、罪を犯した者には個人の秘密を守る権利もなくなるとまでは、私にも言えない」
 真実が明らかになったとき、仮に放校処分が不適当となっても、学園にいたくなくなるようなことになったら意味はないと……
 この教授は、エリスに対し悪意があるわけではないのだ。エリスには事の真偽に関わらず、その身を賭けても守るべきものがあると察しているだけで。
「わかっています。過去見は、必ずしも物的証拠にはなりませんから」
 リーヴァは、過去見に安易に頼るつもりのないことを告げる。
「では、他の教授からも口添えがあったので君たちの手による調査を認めるが、やりすぎないようにしなさい」
 エリスは弁解をしなかった。そのことは、何かをそこに隠していることを示している。
 真実が露見することを望まない、何かを。


 別の場所にも、情報を集めようという者はいた。
「放校を最初に言い出した教授は、誰なのじゃろうか」
 “賢者”ラザルスは、不自然にならないように気を遣いつつ、それを担当教授へと訊ねていた。
「フェン教授だな。そんなことを聞いて、どうするんだね?」
「いや、なんでもないのですがの……」
 ラザルスはごまかし、その場を立ち去る。次は聞き出した教授を、見張りに行くのだ。
 一方、やはり別の場所で、担任講師に同じことを聞いている者もいた。こちらは、“深藍の冬凪”柊 細雪だ。細雪のほうが、聞き方がストレートで講師を困らせていた。
「誰だったかな……フェン教授だとか聞いたけど」
「フェン教授はフューリアでござったかな」
「いや、エリアだね。厳しい方だよ」
 厳格な教授であると、講師は言う。
「エリスとは、元々仲が悪かったのでござるか?」
「いや、特別にそんなことはなかったよ」
 細雪の妙な言葉遣いとあいまって、そろそろ講師は困惑気味だ。だが、一応細雪の問いに答えてはくれた。
「最近どなたかと接触した形跡はないでござるか? 今もでござるが」
「接触って……君」
 絶句した講師に、細雪はたたみかける。
「これは大切なことなのでござるよ!」
「教授を疑っているのかい? だとしたら、お門違いだと思うよ。フェン教授は厳格な人だ。厳格すぎるきらいはあるが、不正はちょっと考えられないな。……今回の件ではシラス教授とよく話してたみたいだけど、それは処分の話だろうし」
「では他の教授を買収したりとかは」
「とんでもないよ。フェン教授は、そんなことはしていない」
 こころもち、「フェン教授は」というところに講師は力を入れて言ったようだった。
「そうでござるか……厳しい処分も、厳格が故にでござろうか」
「だと思うよ。結局、同じことが繰り返されることを防ぎたいんだろう」
 甘い処罰で許せば、その程度ならと罪が繰り返されるかもしれないからだ。リエラを使えば、明るみに出ることなく同じことができる者が、実際にこの学園には複数存在する。たとえば、場所さえわかれば遠隔視聴で覗き見ることができる者も、予知で問題を知ることができる者もいる。過去見でだって問題が作られた後ならば問題を知ることができ、読心は言わずもがなだ。すべて簡単にではなくとも、不可能ではない。
 講師は苦笑いを見せ、窓の外を見やる。外では、まだパフェが新聞を配っていた。
 その見出しは、『教授会の決定は不当だ』『これを許すと今後さしたる理由もない不当な放校がまかり通るようになる』とある。
「君は、本当に不当だと思うかい?」
「……人情には欠けた採決でござるな。情状酌量の余地がないのならば、ともかくとして」
 細雪は言葉を濁した。
 では情状酌量はどこに求めればよいのか。弁解せぬ者に、その余地はあるか。
 この学園にある者は、すべからく力ある者。それを律するためには、ある程度には厳しさも必要なのだろう。処罰自体は、不当とまでは言い切れないのかもしれない。
 次があれば、やはり最も厳しい処分に『放校』はあげられることだろう……それは学生たちが、知らずに罪を犯さずにすむよう、知らなくてはならない事実なのかもしれなかった。


「……んぁ。そーいや、放校処分ってどの教授が一番主張しとるん?」
 リエラを使うこと、とくに過去見についての話し合いは、容易にはまとまらなかった。マイヤは基本的には反対の立場であるようだったし、過去見をと主張する者も節を曲げない。
 “笑う道化”ラックは動かぬ状況に飽きがきたようにあくびをし、話に割って入って違う話題を振った。もともとラックはマイヤのところへはこれを聞きに来たのだが、ただ待っていてはいつまでも順番が回ってこないようだったので。
「一番主張……ですか」
 マイヤはそれまでの話を中断して、ラックを見た。
「そうや。誰かおるん?」
「熱心に教授会の意向をまとめるべく、根回しをしている方がいらっしゃいますね」
 皮肉ともつかぬ微笑みで、マイヤは答える。
「シラス教授です。現場の第一発見者でもありますが」
「へー……」
「そうなのか?」
 訊いたラックよりも“悪博士”ホリィのほうが、この話には強く反応した。
「放校は度が過ぎた処罰だと思うが、その者には他に意図があるのではないかな」
「僕は、放校処分自体は度が過ぎているとまでは思いません。自らを律せられぬフューリアは、危険ですから」
 無実かもしれないという不確定なままに下すには、厳しい処分とは思いますがね、とマイヤは続ける。その処罰の揺れ幅は、微妙なところだ。
「ですから、今回の問題は罪が確定できないところにあるのです。罪を確定できないままに処分を推し進める……それには問題を感じます。正しい処分には、正しい罪の確定が必要です」
 マイヤはいささか気まずそうな、複雑な表情で言った。こういうと、また過去見の話に戻っていく。マイヤはエリスが過去見を望まなかったことを知っていたし、またそれだけではと真実は明らかにならぬと主張していたが、何故やらぬという意見は根強く堂々巡りだった。過去見を主張する者は、過去見で真実が明らかになると思っているからだ。だが。
「だから、単純に過去見で見えるものが真実だとは限らないんですよ」
 少々疲れたように、ファントムは言う。それは、嘘吐きのファントムだからわかるのかもしれないが……
「わざわざ手帳を残していった……それが意図的に行われたとは、思えないんでしょうかね」
「そんなの、当たり前じゃないの」
 フィーはだからこそ過去見をと主張するが、ファントムはそれをあさはかだと断じる。
「ならばこの学園の者が、過去見という能力があることを知らないと思いますか」
 知っているだろう。ならば、何も小細工なしに手帳を置いて去ったなら、過去見ですべては明るみに出ることも知っているはずだ。
「あなたたちは、こんなこともわからないんですか?」
 ファントムはため息のように言った……


「エリスさんの放校処分反対の署名に、ご協力お願いしまーす!」
 朝を過ぎると、あちこちでそんな声も聞こえ始めた。校門のところでは“黒衣”エグザスが、廊下では“爆裂忍者”忍火丸が、寮では“黒き疾風の”ウォルガが、カフェテリアではユリシア=コールハートが。“紅髪の”リンは、そんな彼らに差し入れをして回っている。そして、ロイドとレイも、手分けをして署名を集めていた。
 クレアはルーとジェダイトと共に校内でポスターを貼っていく仕事から始めていたが、そんな中でジェダイトから囁かれた。
「……あのさ、俺のリエラの能力を使えば、過去を知ることができるんだけど」
 クレアは、目を見張った。
「俺のリエラを使えば、エリスの疑惑は晴らせるかもしれないが……どうする?」
 使うか、使わないか。これは秘密の相談だ。
 そしてクレアは、首を横に振った。ルーはただ黙って、それを見つめている。
「……わかった。でも、俺はできることをしないで仲間を見捨てたりはしたくないからな。どうしようもなさそうだったら、使う……一応、言っとくぜ」
 そうジェダイトが告げ、改めてクレアの顔を見ると、クレアはひどく顔色が悪かった。ルーは先に気づいたようで、そんなクレアの背中をさすっている。
「どうしたんだ、クレア?」
 具合でも悪いのかとジェダイトが聞いても、ただクレアは首を振るばかりだった。


 エリスも処分が下るまでの間、謹慎を申しつけられていたわけではない。普通の生活を送っていた。
 授業にも出ていたし、だから“双剣”紫炎や“西風”ヴァレンシアナのように放課後は一緒に修練場へ行こうと誘う者もいた。あまり何も言わずに一緒にいるだけの来生やナギリエッタも共に、校舎を出て行こうとする。
 エリスの様子に変わりはなく、塞ぐこともはしゃぐこともなく、相変わらずに怜悧なままの表情を崩すことはなかった。
 ……そのときにも。
「エリスさんには身内もいないんですよ! 学園を追い出されたら、どこに行けばいいんですか!」
 校舎の昇降口前を通りかかると、そんなレイの声が聞こえた。署名を求めているらしいことは、続く声からも判断はできる。だが、人の流れが止まる気配はなく、あまり見向きはされていないようだった。
 エリスは、学園では孤立しているからだ。多くの学生には、今回の事件もゴシップ以上の意味はない。署名は各地のすべてを集めても、パフェが授業も出ずに煽り立てているだけ、わずかに集まっているに過ぎなかった。
 エリスはそのとき、ほんの少し、歩みを止めただけだった。
 そこで驚くほど顔色を変えたのは、ナギリエッタだ。
「なんでそんなこと言うのょー!?」
 レイに走りよって、手を振りかざす。ナギリエッタのこんな様子は、およそ誰も見たことがあるまい。普段はいつも寝ているか、食べているかという少女だ。
 ……きっとエリスが怒らないからだろう。きっとその代わりに腹が立つのだ。
 自分が恵まれていたりすると、他人の心には無頓着になるのかもしれない。昨日からエリスと一緒にいるだけで、ナギリエッタはずいぶんとそう感じていた。エリスは憐れまれることなんて、望んではいないだろうにと。私にだけは本当のことを言ってと、望んでもいい者がエリスにはいるのだろうかと。どうして些細なことが、思いやれないのだろうと。どうして、こんなに誰もが無神経なんだろうと。
 どうして、この世界はエリスの味方じゃないんだろうと……
 透明な絶望が視界を塞ぐ。
 だが、その手は振り下ろされることはなかった。
 その手は振り上げたところで追いついたエリスの指に絡めとられ、標的を射抜く瞳はエリスの指に覆われたからだ。その瞳からあふれた涙のすべても、覆い隠すように……
「怒ることはないわ」
 本当のことだから……エリスはナギリエッタの耳元に囁き、突然のナギリエッタの様子に驚いているレイのほうに視線を向けた。
「ごめんなさいね」
 いつもの顔で、エリスは告げる。
 そしてナギリエッタの手を下ろさせると、それを引いて歩いていく。
「行くわ」
 ヴァレンシアナたちのところまで戻ると声をかけたが、歩みは止めなかった。
「……ああ」
 紫炎と来生も、その横について歩き出した。
 誰も、ただ、何も言わずに歩いていく。
 その行く道には、ナギリエッタのしゃくりあげる音だけが、聞こえた。


「……エリスさん」
 ルーが修練場に姿を見せたのは、紫炎との手合わせを終えたところでだった。
 署名活動から一人で抜け出してきたのか、他の者は一緒ではなかった。クレアもだ。
「…………」
 エリスは、ルーのほうを黙って見た。
「……エリスさん……」
 相変わらずうつむきがちで、小さな声だったが、ルーがエリスに何かを言いに来たことは間違いないようだった。
 クレアも一緒でないのに、一人で。
「言ってください……本当のことを……」
 だが、やはりエリスは黙っている。問う者が誰であろうと、それは同じだ。
「か、過去見を……されるかもしれないんです……だから……」
 模擬刀を納め、エリスはうなずいた。
「大丈夫よ」
 その会話の一部始終を紫炎は見ていたが、どこか腑に落ちない感覚にしばらく悩まされた。
「見られるなら……同じでしょう……?」
「同じじゃないわ」
 奇妙な感覚が抜けなくて、あたりを見回すと、男子生徒が一人、遠巻きにエリスを見つめているのに気がついた。だが、紫炎が気づくと、そそくさと立ち去ってしまう。
 そんな間にも、ルーとの会話は続いていた。
「……それとも……行くんですか……?」
 ふっと、ルーは顔をあげた。紫炎の目に入ったそれは、意外にもおどおどした顔付きではなかった。声は相変わらずだが、どこかキッと引き締まった顔だ。だが、すぐに伏せられた。
 そしてそれには、エリスは答えない。
「……行かないでください……あなたの居場所は……ここですから」
 目を閉じ、ただ大丈夫よ、とエリスは繰り返した。


「過去見を?」
 ルビィは、現場検証の場所に過去見をしようという者たちが現れたことは少し意外だった。
「エリスはそれを望まなかったと聞いているが、それでも?」
 ルビィにとっては願ったりなのだが、マイヤと共にやってきた一行の面持ちは難し気で、楽観的に喜べるのかいささか迷う。飄々とした顔をしているのは、ファントムくらいだった。
 現場では“鍛冶職人”サワノバ、ユウ・シルバーソード、“翡翠の闇星”ガークス、“弦月の剣使い”ミスティなどが鍵の壊された金庫と、部屋を調べていた。
 その部屋は生徒たちには知る者の少ない、隠し部屋のように思えた。いや、知る者が少なかったことは確かだ。
 そこは印刷の版を組む小部屋の横に通路があって、奥で曲がり、さらについたてに隠されるように入り口がある。鍵が壊されていたのはここだ。手前の部屋には一切の痕跡がないので、犯人はまっすぐに金庫のある部屋に向かっていることは間違いない。
 二つの鍵は、教授からの情報通り、工具のようなもので壊された跡が残っていた。かよわい女の子の手でできるか……といえば微妙なところだが、エリスがかよわいかというと、多分そんじょそこらの男子生徒よりは強い。怪力無双というわけではないが、力を入れるべき場所を心得ているので、無駄のない作業をするだろう。ここからエリスを除外するのは難しい……
 現場からはあまり、芳しい調査結果は出ていなかった。落ちていた髪の毛がいくらか集められたが、出入りしていた教授のものか、犯人のものかの区別はそのままではつかない。
 調査は、行き詰っていた。
 なのでこの状況を打破するのに、ルビィは過去見に期待をかけたいところだったのだが……
「これが問題の金庫です」
 マイヤの説明に、フェルとアルスキールはうなずいた。ここに来る前に、彼らは担当教授のもとを訪れ、過去見をすることを告げてきた。この一回においての責任は、マイヤが取る。無論アルスキールはマイヤ一人に責任を負わせるつもりはなかったけれど、力がある者には責任も伴う道理だ。
「これが壊されたときを見ればいいと思う」
 金庫が破壊された瞬間。そのときこの金庫に触れていた者は、誰であろうと犯人には違いない。
 フェルはそう言って、フィーを見る。
「任せておきなさいよ。ヴァルト!」
 ソーセージを出して、フィーは不定形の自分のリエラの前にちらつかせる。
「いい? 終わったら肉饅頭もあげるわ。だから、私に見せてちょうだい。この金庫の鍵が壊れたときの様子よ……」
 そうして、ヴァルトがソーセージを飲み込んだあと、自分の頭をヴァルトの柔らかな体に埋め込む。
 昔、ヴァルトはフィーの連れ合いになる前、そうしたフューリアの頭を喰らったことがあると聞いたので……いつも過去を見るときには、フィーはどきどきした。
 それでもヴァルトから、金庫の持つ過去の記憶を得て……
 フィーはしかめ面で顔を上げた。
「見えたわ」
 取り囲む者たちは、息を呑む。
「……エリスが」


 学生に広まった噂が、この騒ぎの元だ。噂自体は教員室から漏れ出したものだ。噂の元をたどるのは困難だったが、「噂となるとネイ」という発想のもと、ネイを訪ねる者もいた。
「ガセネタを流す気はありませんですよ」
 中には嘘の噂をネイに流させようとして、断られた者もいる。
 同じ目的でアルメイスタイムズ社を訪れた者も多かったが、情報を扱う者には意図的に偽情報を流すことや、ただ利用されることを嫌う者も多い。ましてやアルメイスタイムズ社は新聞社である。嘘の記事など書けるはずもなく、記事になる前の情報をすべて漏らしたら新聞の意味がないことを忘れている者もいた。
 アルメイスタイムズ社でできることは過去の新聞資料を探したり、大きな事件に繋がりうる情報を与えて記事にしようと思わせることだ。あるいは金を払い、新聞広告を出すこと。その経過で望む情報を得られることはあるかもしれないが……それが学園の中の事件ならば、その情報は学園の中の情報屋より遅い。
 そして、失敗は一つでいい。
 それだけで、気まぐれな情報屋の機嫌を損ねるには十分なのだ。
 ただ協力が得られないだけならば、まだしも……
 ネイは訪れた者に、一つだけなら教えてあげようと必ず言った。
「事件当日の夜、事件のあった校舎から出てくるエリスさんを見たって人がおりますのです。これはホントですよ?」
 にしし……と笑って、ネイは行ってしまう。
 それが噂になるのも、時間の問題だった。


 学園はエリスに関わる騒ぎに包まれていたが、そんなこととは関係なさげにランカークは客人のために走り回っていた。もう既に、客人は今朝早くに列車に乗って帝都を発ち、アルメイスに向かっての旅の途中だ。帝都とアルメイスは地図の上では近く見えても、実際には容易に往復できる距離ではない。だからこそ急の訪問にも、ぎりぎり対応できる時間があるわけだが。
 とりあえず大したもてなしができない以上、綺麗どころを数人。と、ランカークはサウルの身の回りの世話をする者を女性と限定して集めた。
 次に護衛だ。ランカークの自宅ならば、さほど追加する必要はないが……念のためと、これも数人。
 応募者の目的はどうあれ、この募集にはすぐ十分な応募があった。
 応募者を美貌と作法と能力で選別し、交代を含めた数を選び出す。それから前に並べて、ランカークは声を張り上げた。
「いいか! くれぐれもそそうのないように……!」
 気持ち、声がひっくり返っている。
 ランカークの前には、きちんと制服を着た男女が八人。内訳は女五人の、男が三人だ。
 きちんと制服を着ることは、ランカークが全員に出した条件である。非常にそれが辛そうな“路地裏の狼”マリュウのような者もいたが……
「そこ! 着崩してはいかんぞ!?」
「ひゃっ」
 苦しいのでタートルネックの襟元を伸ばして緩めようとしただけでも、ランカークの叱責が飛ぶ。
「おまえは汚名返上をしたいというから、特別に入れてやったんだからな」
「わ、わかってるよ」
 けしてサウルの前で乱れた服装はいかんと言いつけて、ランカークは細々とした注意を読み上げていった。
「意外だったわ、メイド服でも着せられるかと思ったのに」
 と、その退屈な説明の合間、“炎華の奏者”グリンダは、隣に立っていた“宵闇の黒蝶”メイアに囁く。
「うーん、ランカークさんの趣味でないとか……」
 答えは、反対隣に立っていた“白銀の皇女”アンジェラからあった。
「制服は、正装だからよ」
 一応、貴人の前に出て恥ずかしくない服装であるからだと。
「うぉほん! サウル様の前では、あまり無駄口はたたかないこと! いいな」
 ランカークの咳払いに、女性陣は居住まいを正す。
「警備も、交代で、誰もいなくなるようにはするなよ。お呼びがあれば、すぐ参上するんだぞ」
 警備に採用されたのは、前回の実績を売り込んだ“蒼空の黔鎧”ソウマ、“踊る影絵”ジャック、そして腕っ節を強く売り込んだ“闇の輝星”ジークの三人だ。
 あとは、いつどこで誰がという大まかな打ち合わせだった。
 明日の早朝には、列車は中央駅に着く。


 過去見によって、エリスが見えた。これを答とするのならば、この事件はここで終わることができる。
「たった一人の裏付けのない証言で罪が決まるのなら、冤罪もでっち上げ放題だな」
 だが調査にあたっていたリーヴァは、その過去見をした者の言葉自体に証拠能力などないと突っぱねた。過去見の能力を証拠とするためには、見た者がけして偽証しないという保障が要るからだ。
「それ以前の問題ですね」
 と、ファントムなどは肩を竦めるが。
「でも、本当に見えたのよ」
 フィー自身も訝しげな主張に、マイヤは頷いた。
「あなたが嘘を吐いているとは、思ってはいませんよ」
 これは、既にわかっていた結果であると。
「どういうこと……?」
「簡単なことです。僕が犯人で、可能であるならば、当然こうしますよ」
 説明を引き受けたファントムは、眼鏡を押さえて、薄く笑った。
「まずは、リエラの能力の幻覚や変化でエリスに化ける。それで鍵をこじ開け、手帳をわざと落とし、立ち去ればいい。リエラが懐に入る程度の大きさなら、過去見で見てもバレはしないでしょう。これでこの嘘は完成する……どれだけ長く見ていられるか、どれだけ長く化けていられるかという競争はあるが、安易に過去見で見えたものが真実だと信じる愚か者ばかりなら、そこで真犯人の勝ちです。真犯人に追究の手は届かず、エリスには見事濡れ衣が着せられるという寸法ですね」
 この程度は、予想されうる範囲であるべきだとファントムは告げる。安易なリエラの能力の使用は、犯人の罠にはまるだろうと。
 ここはフューリアの学び舎、アルメイス。悪意と意図があれば、真実を覆い隠すことなど容易な者たちの集う場所だ。
 真実を見極める力は、リエラの力ではない。フューリアの持つ理性と思慮だけが、真実を掴みうる。
「能力が及ばなければリエラを呼びながらは動けないが、リエラが自存型であるか、動けるだけの身体能力があればいいんですからね……そういう者が、このアルメイスにいないわけではない。ここまで理解して言っているのなら良いのですが」
 過去を見ただけでは、答えには辿りつけないのだと。
 過去見を主張していた者たちは、示された可能性に眉を顰めた。そこまで考えていた者は、その場にはいなかったようだった。
 むろん、現実に見えたものが……真実ではない保障もない。見えたものが本物のエリスである可能性もあるが。それは、今すぐには誰にも判断できることではなかった。


 そんな中……
 “福音の巫女姫”神音は、教員室で爆弾発言を落としていた。
「あれは、ボクがやったんだ」
 本当なのかと慌てて講師が、報告やなにやらで走っていく。
 しばらくあっちこっちに人が走り回って、神音はその場に結構長いこと放置されていた。神音自身は決意して言ったことなのに、と、なんだかひどく理不尽な気分になった。
 神音はまだ知らなかった。既に、エリス以外に真犯人がいるとしたら実行犯か共犯に必ず『姿を変えて見せる能力の者』がいるということが、判明していることを。
 だから、じきに神音の嘘はばれることになるのだったが。
 もちろんその間に、エリスのところまで確認は出向いていた。
 神音の自首の真偽を問われたエリスは、一度ため息をついた。
「違うわ。その子は私を庇おうとしているだけよ」
 それが真実であることは、程なく立証されるだろう。
 では神音の行動がもたらしたものは、何だったのか……と言えば。
 それは、エリスの決意だったのかもしれない。


■女優の退場■
 時刻は夕食時だった。生徒たちが夕食を取りに寮の食堂に集まっている時間。
 そんな時間に、何も持たずに……いや、わずかな現金だけを持って、エリスは堂々と寮を出た。
 寮では食べたくないから外に食事をしに行くと行き先を問う者には答え、同行を望む者には断った。彼女の気持ちを本当に想う者には、この場所が彼女にとって今は安息を得られる場所ではないことも理解せざるを得ないからこそ、正面から追いすがれる者はおらず……
 エリスは、一人で寮を出た。
 大通りに出ると、エリスは屋台で安い揚げ菓子を買った。その包みを抱えて、闇に包まれゆく街の中、だんだんと細い通りに入って行く。
 そのころには黙ってエリスを追う者たちも、だんだんとお互いの存在に気づき始めていた。
 狭い道で同じ人物を追うのではやむをえないが、中にはまったく尾行に不向きな者もいて。エリスが尾行の存在に気づいていないとは、追跡を得意とする“宵闇に潜む者”紫苑や“銀晶”ランドには思えなかった。
 道が狭くなってくれば、その二人もお互いの存在に気づきあう。
 人目もなくなったころ、エリスは足を止めた。
「もう、ここまでで帰ってくれないかしら」
「いやですわ」
 ファローゼは即答する。ファローゼあたりには、尾行しているというつもりもなかったのかもしれない。自存型の犬の姿をしたリエラが一緒にいる。
「ボクは……エリスが迷惑だったら……」
 ずだぶくろを背負ったクロウは、沈み込みながらも笑みを浮かべ答えた。クロウの大荷物のせいで、ずいぶん大通りでは注目を集めた。その時点で尾行は失敗だったと言ってもいいかもしれなかったが、クロウ自身にはやっぱり尾行しているという自覚自体なかったのかもしれない。
 この二人の存在は本気で尾行していた紫苑とランドにはいい迷惑だったが、だからやめろと言うこともできなかったので、どうしようもなかった。
 そして、結局まとめてエリスと対峙している。
「あなたが、このまま学園に帰ってくれるなら、やめてもいいですが」
 紫苑は、エリスの行き先を問う。
 エリスは、やはり答えないが。
「……俺は、おまえが行くのは止めないが」
 最も冷たい答だったのは、ランドのものかもしれない。
 実際にはランドは、沈黙するエリスの望まぬ真実を明かしたがる者たちよりは、エリスの願いをくんでいたのだが。ランドは彼女自身に過去見をかけようという者が近づいたなら、いつでもそれを追い払えるようにと考えていたのだから。
「おまえが望むとも望まずとも、必ずおまえに接触してくる者がいるだろう。俺は、用があるのはそっちだ」
 だが、それは伝わりにくい真実。
「良い御学友を持ったものだ」
 声がした。
 その声は、聞いたことがある者もない者もいたが、聞き覚えのある者にとっては……
「どこっ!?」
 敵の声であるかもしれなかった。ファローゼは声だけの敵に身構える。
「もういいだろう、姫君。ここはおまえの居場所じゃない。自ら困苦を望む必要はない。利用されてやる必要はない。おまえを利用しようという愚か者を、従えうるだけの力と素質がおまえにはあるだろう……?」
 囁きにも似た声が、あたりに響く。
「卑怯者ッ! 姿を見せなさい!」
 ファローゼの声に応えるように、路地の奥、エリスの背後から銀の髪の男はフラリと姿を見せた。
「八光!」
 そしてファローゼは、迷うことなくリエラに命じた。
「やめ……!」
 それに最も慌てたのは、エリスだったように思われた。一瞬に脇を駆け抜けようというファローゼのリエラの前に飛び出そうというほどに。
 レアンがサーベルを抜くよりも早く、ファローゼのリエラ、八光はレアンのもとにたどり着くかと思われたが……
 路地は狭かった。
 八光はエリスを跳ね飛ばす。
「エリス!」
 クロウの叫びが路地に響く。
 路地の壁に全身を打ちつけ、エリスは力なく崩れ落ちた。八光はそれさえ関係はないと無視するような気質ではなく、急制動をかけ、そこで止まる。
「退くがいい。おまえには助けられまい」
 歩いてくるレアンに向かって八光は唸るが、しかしレアンの言葉が事実であるからか、次第に下がっていく。
 完全に機会を逸した紫苑とランドは、ファローゼとクロウが邪魔で前に出られない。
 レアンが抱き起こすと、エリスは薄目を開けた。それが見えて、クロウはこんな状況でもほっと息を吐く。
 だが、八光を越えて更に一歩前に出ようとして……
「来ちゃだめよ……」
 エリスの苦しげな声に足を止めた。
「しゃべるな。仕掛けてこなければ、俺から手は出さない」
「……連れて行って」
 目を閉じたエリスの言葉が聞こえたクロウは、唇を噛んだ。
「……もう行くんだね」
 どさりとクロウの手からずだぶくろが落ちて、その中から不定形のものが流れ出す。
「みんな絡めとれ! エリスの願いをかなえるんだ……!」
 振り返りざまに、クロウは願う。そしてクロウのリエラは飛び散るように空中まで一気に広がり、その場のリエラとフューリアの上に襲い掛かった。
「きゃあ!?」
「今のうちに行って!!」
 半泣きのクロウの声を背に、レアンはエリスを抱きあげて立ち上がった。そして路地の奥に消えていく。
「……ありがとう……」
 そんな力ないエリスの声は、クロウのもとまでは届かない。
「あなたに、じゃないわ……勘違いしないで……私、怒ってるのよ……」
 エリスはぼんやりとした目で、しかしレアンをじっと見ていた。
「だから……利用することに……しただけ……あなたを……」
 そうか、と答えたレアンの声も。


 エリスはそしてその夜、寮に戻っては来なかった。
 主の戻らぬ部屋の前に、いくつかの影が訪れては去っていった。
「結局、ボクも同じ……エリスのために、何もできなかった……」
 後悔のつぶやきを残して。


■知恵の輪の行方……三日目■
 出迎えの馬車が早朝の駅に乗りつけた後、ほどなく列車も到着した。朝早い駅には昼間ほどの人影はなかったが、列車が着くとにわかに活気付く。降り立った旅人や商人が、それぞれの目的地へと移動していった。
「サウル様!」
 ランカークは黒衣の貴人に駆け寄った。一緒に迎えに来たのは、護衛の男子三人だ。
「出迎え、ご苦労様。変わりはないかい?」
「はい!」
 何も考えることなく、ランカークはそう答えた。実際、ランカークにとっては何も変わったことなどないのだろう。
 そのまま、馬車に乗り込もうとしたところで。
「ま、待って!」
 マリュウがその場に走りこんできた。
「な、なんだ!? ……おまえかぁ〜!」
 屋敷で待っていろと言ったのに! 服もちゃんと着ないで! とランカークの雷が落ち、マリュウは頭を抱えたが、ここで負けてはいられない。
「あぅ! ごめん、でも、急いでサウル様にお話があるんだよ!」
「何を言っているんだ! 何を急いで申し上げる必要が……」
 行きましょう、とランカークはサウルを馬車に乗せようとする。だが、サウルはいいよ、と笑って言った。
「そんなに急いで話って、僕に何を?」
「そ、それは……」
 マリュウは一度息を整え、それから一気に言った。
「エリスがいなくなっちゃったんだ!」
 エリスに窃盗の疑いがかけられて、放校処分が話し合われていたこと。そして昨夜とうとう自ら姿を消し、戻ってこなかったこと。
「それがなんだと……」
 怒るランカークをまあまあと制し、サウルはマリュウの手を取った。
「お乗りなさい、お嬢さん。中でゆっくり聞こうか」
 ランカークが、あ? え? う? とおろおろしている間に、サウルはマリュウの手を引いて馬車の中へ消えてしまった。慌ててランカークも後を追って馬車に乗り込む。あと一人、ジークが馬車に乗り込むと、馬車は定員だ。
 ソウマとジャックは御者台に登って、今回はソウマが手綱を取った。
 馬車は勢いよく走り出す。
「おい! もう少し静かに……!」
 中からランカークが乱暴な走りを怒る声が聞こえたが、ソウマの辞書に手加減という言葉はなかった。そのまま、馬車はランカークの屋敷へと向かってゆく……
「それで、エリスが疑われてたんだ。でも、エリスは無実だって信じてる人はたくさんいるんだよ? エリスが連れて行かれるのを手助けした人は、マイヤ会長が口添えして処分保留になってるっていうけど」
 それはレアンと遭遇し、単独で喧嘩を売りかけた生徒が無傷で戻れただけでもマシだから、ということのようだ。戦いを止めた生徒を強くは咎めまいと。
 また、エリスがそれに巻き込まれて、怪我を負ったという話まではマリュウの耳にすら入ってきた。ただ、それはレアンをかばったからだと言われている。そして、エリスは望んで姿を消したのだとも。
 状況はエリスの不利になっていった。新しい噂や、伝え聞く限りでも、マリュウにだってそのぐらいのことはわかるくらいに。
 どちらにせよエリスが姿を消したことは、事態を決定的にするかもしれなかった。
 マリュウは初めて聞くサウルにもわかるようにと、丁寧に説明をしていた。うんうん、とサウルはやっぱり初めて説明を聞くかのように、それに耳を傾けている。
 一通り話し終わってマリュウが黙ると、ずっとそれを見聞きしていたジークがぼそりと言った。
「あなたがアルメイスに戻ってこられたのは、今の話に関係してのことかと思っていました」
 サウルはジークの方へと顔を向けた。
「帝都での仕事は、だいたい片付けてきた。次の任命も出たし、後任に引継ぎも終えたし……だから、これからしばらくはアルメイスにいるよ。ガイネ=ハイトにいる間に転入の手続きまではしてこれなかったが、それはここでできるし」
 サウルはさらりと答えたが、その返答は本当にジークの問いの返答になっているか微妙なものだった。
「学生としていらっしゃったんですか」
「今はまだ違うけどね。そうなる予定だよ。……アルメイスと帝都は遠い。帝都にいると、なかなかアルメイスのことはわからない」
 サウルの言葉にはのらりくらりした印象はあったが、少しずつ核心に近づいてはいるような気にもさせる。
「でも知らないわけにもいかないんで、どうせなら開放的にしようと思って。こないだからは、知っての通りだよ。警備とか迷惑かもしれないが、ひた隠しに秘密が多いとつけこまれるからね。あまり隠し事がなければ、暴かれる心配もない」
 これはこれで、不都合はあるが……と言いながら笑う。言葉には、わずかに皮肉がまぶされているようにも思えたが、ジークにどこがどうと指摘できるほどでもなかった。
「さて……もう一日早く仕事が片付いたら、間に合ったんだろうが」
 これは、エリスのことだとはわかった。
「伝説の4大リエラの動向は、帝国も常に気にかけているということですか」
「気にはかけているね……味方ならいいが、敵に回ったら厄介だからね。そのときには、速やかに対処を考えるだろう」
「対処、ですか」
 隠し事はしないと今言ったとはいえ、あまりに率直過ぎる答かと、ジークは片眉を吊り上げた。世界で最も強大な力が反旗を翻した場合の『対処』が、膝を突き合わせて穏やかな話し合いであるとはジークには思えない。
 マリュウも息を飲んでいる。
「まだ間に合う」
 言葉にならぬ問いに答えるように、サウルは言った。
「アルメイスの情報が帝都に届くまでには、多少時間がかかる。確認が取られて、確定した情報と判断されるまでには、もう少しかかる」
 情報にはタイムラグがある、と。
「それまでに連れ戻せば、間に合うよ」
 帝国と、焼き尽くす炎のアルムが、決定的な決裂を起こす前に……と。


「エリスは、行ってしまいましたが……」
 マイヤの問いかけともつかぬ言葉に、学園長はいらつきを隠すこともなく答えた。
「はやまったことをしてくれたわ」
「しかし……」
「あの娘は、わかっていないのよ! ただ放校になるだけだったら、あれの尻尾さえ掴めれば、復学させることだってできたのに」
 ぎり、と学園長は険しい顔であらぬ方向を睨む。その壁の向こうには……まだ姿の見えない敵がいる。
「ですが……噂になり過ぎました。その前に、いろいろと不都合が出るのは避けられません。ならば私であっても、この判断をするかもしれません」
「……あなたがそんな失敗をするとは、思っていないわ。ごめんなさい、少し興奮しすぎたわね」
 学園長は頭を振り、落ち着きを取り戻そうと努めている。
「悪い偶然も重なったわ。でも、言ったっていいのに……あの娘ったら。私たちもはめられたことは間違いないのよ。あの男としては、期待以上の成果になったのかもしれないわ」
 エリスが本当に手に入るとは、レアンも思っていたかどうか、と。
「これも反逆のリエラの呪いかしら……いつのまにか、まるで決まっていたことのように、その道を歩いているのよ」
 学園長は、皮肉に笑う。
 すべては、自分で選んだことのはずなのに。
「いつのまにか、何かに抗う道を選んでいるの」
「それは……」


 ラーナ教は元来、フューリアの宗教ではない。フューリアを生み出した一族には元々は、体系的な宗教はなかったものと思われる。
 自然を超える力を行使するフューリアに、神は必要なかったのだろう。あるいはかつては、リエラこそが神であったのかもしれない。
 幾人かはこれを機会に伝説と神話をたどってみたが、はっきりと事件に繋がると思われるような記述は現れなかった。
 帝国の伝説を綴る書物からは、リエラの長を従えるフューリアがその強大な力でラーナ教信者の崇拝を集め、悪しき為政者を倒し、後に指導者として立ったという話が見つかる。それは英雄伝説だ。
 4大リエラの反逆を示す言葉は、ラーナ教の書物に見られるだけだった。
『世界を分かつ力は、統制を嫌い、混沌を求む。その求む心の強き者に力を与え、混乱と変革を世に齎す……』
 確かに神話の中には、4大リエラは神に抗ったとある。神の定めた理を打ち破り、望むままに暴れる4大リエラが倒された物語もある。だが、リエラに滅びはなく、世を越えて再び現れるとされていた。それは人にもたらされる、超えるべき試練であると。
 歴史書は支配者から見た歴史を綴る。
 教典は神の教えに沿う記述を綴る。
 人は誰しも、自らの目に見えるものを知りうるのみ。自らの心に映ったものを語るのみ。
 ……今もまた。
 この出来事の正しい全容は、まだ誰にも見えないままに、過ぎゆこうとしていた。


「サウル様、お茶をお持ちしました」
 到着したばかりには、ランカークの屋敷には護衛や身の回りの世話を引き受けた者が多くいた。この後は交代していくので、入れ替わり、人も減るが。最初のうちには興味があるのだろう、当番ではない者まで控えていた。
「お聞きになりましたか? 炎のアルムの主が出奔したこと」
「ああ、馬車の中で聞いたよ」
 グリンダからカップを受け取り、サウルはうなずいてみせる。先を越された、とグリンダは内心思ったが顔色は変えない。
「あんな強力なリエラを持つフューリアを、野放しにしていいのか?」
 だが代わりに、手綱を取っていたせいか、馬車の話は切れ切れに半分ほどしか聞こえなかったソウマが聞く。
「良くない」
 サウルは苦笑いしながらも、即答した。
「こいつはレアンが仕組んだことなのか? 得をするのはヤツ一人だろう」
 結局目に見えて得した者は誰なのかと言えば、エリスという4大リエラの主を手に入れたレアンだろうか。
 帝国がエリスを疎んじていたのなら、追放のために仕組んだとも言えなくはないが……
 今、このアルメイスにあって帝国の意思を代表する者はというなら、このサウルだろう。そのサウルは、この事態を凶事という。
 しかし、レアンと事件自体を結びつけるものは、いまだなに一つない。
 何を信じ、どう判断するかは、それぞれにゆだねられている。
「良くない、と申しますと」
 話相手にと控えていたアンジェラのほうが、その理由を問いかけた。
「帝国にとっても彼女にとっても、お互いに不幸だということだ」
 争うことを望まないならば、間違いなくこれは不幸な結果になるだろう。
「可能ならば、止めたいが。その方法は、具体的には一つしかない」
 それは、一刻も早くエリスを連れ戻すこと。
「どうやってでしょう……?」
「さて。容易ではないね」
 サウルは肩を竦めた。エリスが自分の意思で出て行ったのなら、むりやりに連れ戻しても同じことを繰り返すだけだ。
「とりあえず、疑われたから出て行ったのなら、容疑が晴れないことには戻れないね」
 正確には、疑われたから、ではないかもしれなかったが。しかし、元はと言えば、やっぱりそうかもしれない。何かを隠し守ろうとしていることも、混乱を避けたいことも、疑われなかったなら起こらなかったこと。
「だが彼女が戻る気になったなら、レアンもむりやり遠くへさらっていくことはできないだろう。つまり、まずは彼女の容疑を晴らしてあげる必要があるわけだね」
 そうは言っても、やはり「どうやって?」という問いが出てきそうだった。
「それについて、できることは……ちょっと置いておこう。後は、エリスの居場所を突き止めておくことは必要かな」
 これもまた「どうやって?」だ。
 今はまだ、なにもかも机上の空論でしかなかった。
 そんな話が終わり、それぞれ持ち場なり、茶器の片付けなりに、いったん部屋を出て行く。
「サウル様……」
「なんだい?」
 出て行く前に、ジャックはサウルに声をかけた。
「お使いやお供、あと、僕のリエラの力が必要なときにはいつでもお呼びください」
 これを言っておかなくてはと。
「うん? 君のリエラの力って?」
「変化です」
 そう、とサウルは笑顔を見せる。
 その後……
「サウル様……お休みですの?」
 暇つぶしにカードを持ってきたというメイアに、扉に近いところの壁際の椅子に座っていたジャックはしぃーと言うように口元に人差し指を立てた。
 ベッドにはサウルが横になっている。
「長旅で疲れたから、寝るそうです。しばらく誰も来ないようにって言っておいてくださいな」
 ジャックは声をひそめて、そう言った。


「試験、延期だって」
「え? どうして?」
 ベッドの上で、包帯を全身に巻いて横になる少年は少し驚いたようだった。
「何かあったらしいけど……よく知らないや」
 見舞いに来た方の少年は、少し困ったように答えた。
「そっか……延期なら追試には間に合うかなあ」
 エリスの出奔があっても事件の影響は大きくは変わらず、試験は準備のしなおしのぶんだけずれ込んで実施されるようだった。いろいろ浮き足立ってはいるが、一応10代のほとんどの生徒たちは、今は試験前の貴重な時間だ。
 そんな話をしている、そこは病院だった。アルメイスで最も大きな病院の一室で。
「間に合うさ。十日くらいでずいぶん良くなったじゃないか」
 リエラの暴走によって命を落とす。そんなこともフューリアには隣り合わせの現実だ。実際、年に何人かは暴走に巻き込まれて病院に担ぎ込まれる。
 横になっている少年も、まんまその通りの次第だった。
ただフューリアはエリアよりも多少丈夫なことが多いので、命を取り留めれば回復は比較的速い。
 この少年も、そうだろう。
 そのとき、ノックの音がした。
「お邪魔しまぁす」
 ルカはお見舞いの花を持って、病室に入った。
「君は……?」
「えーと、ご存知ないかもしれませんが、後輩です。長くお休みなので、お見舞いに」
「どこかで会ったっけ……?」
「先輩はご存じないですよ、多分」
 そうルカは応じる。それもそのはずだ、事件のちょっと前から休んでいる者を訪ねてきただけなのだから。ただ……怪我人の彼の名を追う途中で、奇妙なことを教員や事務員から聞いた。
 事件のあった本当に直後、それは事件が大きく噂になる前……エリスがやはり彼の名を聞きにきた、と。
「まだ動けませんか」
「まだ無理かな」
 そんな当たり障りのない会話をしていると、先に見舞いにきていた少年がルカの手から花を受け取って、
「俺、花活けてきてやるよ」
 と、病室を出て行った。
「試験には間に合いそうですか?」
「追試もずれ込むなら……少し包帯が取れればなあ。ノートはアレンが取ってきてくれてるし」
 アレンというのは、さきほどの少年だ。
「いいお友達ですね」
「ああ、俺、成績悪いから。この怪我だと実技は絶望的だしなあ。筆記の追試は受けさせてくれるって言うのも、あいつがかけあってくれたんだし。でも、センセが成績つける前に受けないといけないからなあ」
 なんでか知らないけど試験が延期になって良かったよ、と、まだ包帯の痛々しい怪我人は言った……


 フェン教授はここのところ、ずっと立腹している状態が続いていた。窃盗の容疑をかけられた生徒が、何も弁解をしなかったときからだ。
 特別な力を持っているから、特別扱いを受けると思っているのならば、それは間違っている。酌量するべき理由があるとしても、言わなくてはわからない。無実と言うなら無実を申し立てなくてはならないし、事実であったとしても理由があって反省があるならくむことができるかもしれない。
 だが、何も言わないでは始まらないのだ。むろん、その過程において悪質であることがわかるならば、繰り返さぬためにも強い罰が必要になる。もしも黙っているならば、無罪を立証することを自ら拒むならば、最も重い罰が与えられるかもしれないことも、知らなくてはならない。
 事件後初の教授会の前に彼と学生の罰はもっと重くあるべきではないかと語りあったシラス教授が、その後奇妙に早くそれを推し進めようとしていることも、少し気に入らなかった。
 そして、その生徒は何も言わぬままに姿を消した。
 フェン教授は立腹していた。
 ラザルスはその様子を影からずっと窺っていたが、教授が不機嫌である以外には、特別なことは何もなかった……


 シラス教授はここのところ、ずっと多忙であった。教授会の意見は、すべてが厳しい処罰を肯定するものではなかったからだ。証拠不十分だと言う者も、学生に更生の機会をと言う者も、強いフューリアであるがゆえにおもねる者も、様々な理由があったが。
 シラス教授は根気良く一人ずつ、それを説得し、あるいは懐柔していった。
 ラックがその様子を窺い始めた後にも、それは続いていた。それが中断されたのは、エリスの失踪の報が入ってからだった。エリスのいなくなった後には、急にはその必要がなくなったからか、そんな動きは止んだが。それがなくなると、その話に関わっている間はできなかったからか、机の整理整頓を始めた。
 まるで、死を前にした者が身辺整理を始めるがごとくに。
 とにかく、シラス教授は多忙だった。
 特別なことは何もなかったが……


「これちゃう……これもちゃう……」
 “のんびりや”キーウィの部屋には、紙くずが山をなしていた。それは各教授の部屋から出たゴミだ。それを集めて、何か手がかりがないかを探していた。
 意味はないかもしれない作業だったが、そして気の遠くなるくらい地道な作業だったが、キーウィは昼夜をわかたずゴミを回収してきては、それを頑張って漁った。
「……これ、なんやろ」
 そしてときには、誤って捨てられた意外なものに巡りあうこともある……
 それは古い手紙だった。黄ばんだ紙が、時の長さを語っている。宛名はジェイル・シラスとなっていて、封筒には差出人の名はなく、内容から卒業生から来た手紙だと判断できた。中に書かれた名はレアン・クルセアード……そこには苦悩が綴られていた。
『私はフューリアに関わる、恐ろしい計画を知ってしまいました。このことを、先生にご相談するというわけではないのです。知らせれば、先生も巻き込むことになるかもしれません……』
 キーウィは、ぼんやりとそれを読んだ。
 今回のことに直接関係あるとは思えない内容だったが、無関係だとは言い切れない名前だ。
 そして、世に出すべきものなのかどうか……
『私は、このことを告発しようと思います。この計画にフューリアの学び舎であるアルメイスが無関係であるとは思えませんし、これは人として許されざることだと思うのです。困難かもしれませんが、必ずやり遂げるつもりです』
 これを書いたときが、何年前かはわからない。だが、時の流れは人を変えるのだろう。
 手紙の向こうに見える差出人の印象と、今語られるテロリストのレアンとは、あまりにかけ離れている。
 だが、かつてアルメイスの生徒であったレアン・クルセアードの存在を知る者も、確かにこのアルメイスには存在しているのだ……
 そう、ひっそりと。


 捜査は、まだ続いていた。学生の手による捜査が始まってから実際問題一日しか経っていないし、エリスがいなくなったからといって事件がなくなったわけではないのだから。
 そして、諦めないことが、解決の糸口を捕らえることもあった。
「マイヤ会長」
 捜査の主導は各々の学生が分担するように受け持っていたが、マイヤも現場にほとんど入り浸っていた。
「もう一度、過去見をやってもらってもいいかな」
 昨日の過去見からフェルとアルスキールは、普通に過去見を使って正しい過去が得られないのなら、他の方法はないかをずっと話し合っていた。どちらかと言えば、フェルの意見をまとめる手伝いをアルスキールがしていたというのが正しいだろうか。
 そしてフェルとしては、肝心のときが偽の情報だとしても、すべてを覆い隠す方法はないという考えだった。
 そして……
「何を見ようと?」
 それにはアルスキールが答える。
「生徒手帳です。この部屋に置かれたときではなく、もっと前。いや、もう少しだけ前です。1ザーンも前じゃなくていい」
 エリスを装ったとしても、そんなに長い時間続けていたとは思えないということだ。
「そのとき生徒手帳がどこにあったのか、正確な場所はわからないんだけど……そういう過去見ができる人はいないかな」
 過去見の形は様々なので、場所ではなく、そんな風に物に依存した見方ができる者はいないか……と。
「ふむ。その方法ならば、犯人を見ることができるかもしれませんね。場所が離れても大丈夫な者もいるでしょう。でも、昨日過去見したフィーさんは、しばらくは無理のようですよ」
「誰か……いないかな。俺はできないんだよ」
 フェルのゼフィルスには、そもそも過去見はできない。
「ええと、ここにいる人だと……ルビィ君」
「ええっ、俺!?」
 美人のエリスがいなくなったことで、原動力となっていた下心の行き先を失い、めっきりやる気をなくしていたルビィは急に声をかけられて飛び上がった。
 過去見をしてわかるのなら、そりゃもちろん歓迎だが……と、じりじり逃げ腰だ。
「俺、一回使うとかなりキッツイことになるんだよ! 他にいねぇの?」
「今ここには……どうでしょう、できませんか? できないなら仕方ありませんが」
「馬鹿言ってんじゃねぇ! 天才の俺様にできないはずが」
 そこまで買い言葉で言ってから、しまった、と口をつぐんでも遅い。
「使って大変なのは、倒れるだけ? なら、医務室に運んでおいてあげるから」
 フェルもすっかりその気で、ルビィに慰めにならないフォローをする。
「む……俺、あんまり場所離れてると大して遡れなくなるんだけど」
「それはやってみてから、考えましょう」
 逃げ場がなくなったことを悟って、ルビィは腹をくくった。
「わかったわかった、やってやらぁ! 手帳はどこだよ」
 調査に使うために教授から預かった生徒手帳をリーヴァから受け取ると、マイヤは外に出ようと言った。
「外のほうが、今回は必要な場所に近いかもしれません」
 校舎の外に出て、ルビィは交信を上げていく。その隣で、マイヤは指示するように囁いた。
「事件のあったときは7日前の夜です。これがそのとき、犯人の元から離れた物……離れたときから、1ザーン弱ほど更に遡ってください」
「指定が細けぇな」
「そこから見ていってください」
 ルビィのリエラ、ワイン・グレイスが奇妙な発光をしている。
「エリスじゃない」
 本当でやんの……と、ルビィはぎこちなく笑った。
「この校舎の手前だ……男だ!」
 手帳を持っているのは男子生徒。
 そして過去の中で、交信を上げ、小さな指輪のリエラを現し、長い黒髪のエリスの姿に変わる。
「そこまでで……」
 マイヤがルビィの言葉にうなずいて、過去見を制止した。
「いいのか……? 現場まで見なくて」
「長く見ても、あなたが大変ですよ」
 どの道倒れることに変わりはなかったのだが、エリスを騙った者の顔は見たので十分な気がルビィもした。
 交信をやめると、ルビィはその場に崩れた。フェルとアルスキールがそれを支える。
「どんなリエラだか見えましたか?」
「……指輪だ。古臭い黒い石がはまってたぜ」
「顔を見たら、わかりますか」
「もちろんだ」
 うなずくこともできなかったが、ルビィの声ははっきりしていた。
「では、その男子学生の見当がつくまで、休んでいてください」
 ルビィはまったく動けなくなっているので、担架で運ばれていった。本人もいささかこの厳しい代償には辟易していたが……フューリアの支払う代償が厳しいほど、リエラの能力は強くなるのだ。
「……待ってろよ、エリス」
 担架の上で、ルビィは空を眺めてつぶやいた。


 ごみ集積所で、シラス教授は探し物をしているようだった。捨ててはいけない物を捨ててしまったのかもしれない。
 そのときまでに、すぐにでも夜逃げができそうなほど、荷物がすっきり片付けられていたことも気になったが……
 だが、まだ何一つ決め手はなかった。
 あまり近づけないので、ラックが距離を置いてシラス教授の様子を覗いていると……
 横を通り過ぎる者がいる。それは、キーウィだった。ラックには止める理由もなかったので、通り過ぎるままに見送ると、集積所の手前からキーウィは慌てふためいて戻ってくる。
「な、なにしとんの? あの教授」
 戻ってきたキーウィは、ラックに声をかけてきた。他に聞く相手もいなかったからだが……ラックとしては内心勘弁してくれと叫んで、キーウィを更に物陰に引っ張り込む。
「な、なんやの〜」
「なんややないわ、気づかれるやんか」
 同じ地方の訛りでツッコミあいつつ、身を隠す。どちらも、教授にそのまま気づかれるのは避けたい身分だ。
「教授、何探しとんの……?」
 キーウィはどきどきしながら、懐に手をやった。そこには心当たりが一つ入っている。
 そろそろと様子を覗きに行くと……教授はまだ、集積所のところにいた。
 ただ、二人が隠れている隙に男子生徒が一人通り過ぎたらしい。教授の前にいる。
「教授、本当に良かったんですか? 俺は……」
「大丈夫だ」
 だが、少年は頭を振る。
「今、マイヤ会長たちが俺のこと探してるってクラスメートから聞きました」
 きっと、自分のしたことがばれたのだろうと。だから彼は、不安に煽られて教授の姿を求めた。
 だが、気にしなくていい、と教授は言う。
「……俺、あの日、実はエリスさんに姿を見られたんです」
 だから、すぐにバレるととうに覚悟していたと。
「どうして、あんなところにいたのかはわからないけど……」
 それが何の話なのか、キーウィにもラックにもすぐに見当がついた。
「やっぱりあなたがやったんですね」
 そして、アレン少年を追ってきたルカにも。
「テスト問題を荒らして、拾ったエリスさんの生徒手帳を落としておいた……試験を遅らせるためですか? でも、どうして教授も共犯なんですか……?」
 その場の誰もが不意のルカの登場に慌てたが、一番はシラス教授だっただろう。
「き、君……!」
 シラス教授はルカに歩み寄る。
「今の話は違うんだ……」
 その手がわなわなと震えていた。
 ラックは物陰から出て、ルカの後ろに立った。目撃者が一人なら、強硬手段に出るかもしれなかったからだ。
「皆さんこんなとこにおそろいで、何しとるんですかー?」
 明るく言っても、物陰から出てきたことに変わりない。
 そしてこそこそと、キーウィもその後ろに出てきた。
「……教授、探し物ってこれやの?」
「それは」
 黄ばんだ封筒だ。
「ここで拾ったんやけど」
 それはけして、証拠となる物ではなかったのだが……
 そのとき、アレンを探している者たちであろう、多くの足音が聞こえてきたからか。
 シラス教授は、諦めたように目を閉じた。


「彼は、私の指示したとおりにやっただけだ。試験の期日を延ばせないかと相談を受けたことが始まりだった。彼のリエラの力がわかって、話は現実的になった。エリスは犯人ではない以上必ず弁解をするだろうから、捜査は混乱するが、エリス自身も、そして彼も大丈夫だろうと言って」
 だが、教授はエリスが弁解しないだろうと知っていた。いや、正確には聞いていた。弁解しない期日に実行されたのだ、ということだった。
 ただレアンの接触については、シラス教授はそのすべてを明らかにはしなかった。
 その理由までは言わなかったが、教授自身は、半分放校になるのを望んでいたのではないかと信じていたとも言う。
 放校処分にすることで、学園に縛られているエリスを自由にするつもりだったと。それは身勝手な言い分であったが、教授にとっての嘘ではなかったようだった。
 結局はシラス教授が友人を想って相談に来た生徒を利用し、罪のない生徒に罪を着せたということで落ち着くようだった。免職は確定的であるが、教授はもう真実が明らかになる前からその覚悟はできていたのかもしれない。
 ラックが、見ていたように……
 実行犯となった生徒も処分を待つが、教授に利用されたことで、少し罰は軽減されるだろうと言われている。

■最後の一片■
「サウル様!」
 マリュウはどたどたと走ってきて、サウルの部屋に飛び込んだ。
「なんだい?」
 サウルは今は起きたのか、ベッドサイドに立っていた。
「あの、盗難事件の犯人が見つかったって」
「へえ……思ったより早かったなあ」
 淡々とサウルはそんな感想を述べた。
 そこで、あれ? とマリュウは壁際の椅子に座って眠り込んでいるジャックに気がつく。
「ああ、寝かしておいてあげて。疲れてるんだろう」
 揺り起こそうと手を伸ばしたマリュウを、サウルは止めた。
「これで、一応事件は解決したのかな」
「そうだと……やっぱりエリスは無実だったんだよ!」
 それなのに……と、マリュウは顔を顰める。
「色々と事情があったんだろうが……もう戻って来れるかな。さてね」
 君もお疲れ様、と、言いながら、サウルはサイドテーブルにあった便箋に置かれていた羽ペンでさらさらと走り書きをした。
「色々報告にきてくれるのは、助かるよ。だから君に、ご褒美をあげようか」
 そしてその便箋を、ひらりとマリュウの前に出す。
「これはね、アルメイスでのレアン・クルセアードの隠れ家の一つの住所だよ」
 そして囁いた。
「問題のお嬢さんは、多分まだここにいるよ。彼も怪我人を連れて一気に逃げ切れないなら、潜伏を選んだだろう。でも、彼と出くわすと危険だからね。できるだけたくさん、お友達を連れてお行き……いいね」


 その迎えの一行はだんだんと増えて、最後にはかなりの数になった。教えられた住所の部屋の一室で、エリスは横になっていた。そして、迎えの生徒たちに少し困惑の表情を見せた。
 だが、すがって泣く少女を振り切ってまで、どこかに行こうとはできなかったようだった。
 何がエリスを縛っているのか、それはわからない。
 けれど人は変わる。
 いつか驕りを恥じることを知ったように、愛を知らぬ少女が、それを知る日も来る。

 ここから少しだけ、エリスを縛るものも形を変えていくのかもしれない……

参加者

“福音の姫巫女”神音 “飄然たる”ロイド
“眠り姫”クルーエル “天津風”リーヴァ
“流転流道”フレキ “怠惰な隠士”ジェダイト
“蒼茫の風”フェル “白衣の悪魔”カズヤ
“探求者”ミリー ライラック
“永劫なる探求者”キサ “光炎の使い手”ノイマン
“弦月の剣使い”ミスティ “舞い踊る斬撃”慈音
“翔ける者”アトリーズ 神楽
“喧噪レポーター”パフェ “笑う道化”ラック
“朧月”ファントム “風曲の紡ぎ手”セラ
“双面姫”サラ “ぐうたら”ナギリエッタ
“闇司祭”アベル “優しき氷皇”ファルコ
“紫紺の騎士”エグザス “銀の飛跡”シルフィス
“桜花剣士”ファローゼ “黒き疾風の”ウォルガ
“暴走暴発”レイ “タフガイ”コンポート
“硝子の心”サリー “自称天才”ルビィ
“待宵姫”シェラザード “鍛冶職人”サワノバ
“伊達男”ヴァニッシュ “幼き魔女”アナスタシア
“六翼の”セラス “闇の輝星”ジーク
“銀晶”ランド “安全信号”紅楼・夢
“凛々しき瞳”ティアリス “深緑の泉”円
“踊る影絵”ジャック “餽餓者”クロウ
“悪博士”ホリィ “悠久の奏者”アルベルト
“闘う執事”セバスチャン “血剣”嘉島・熱人
空羅 索 “見守られる者”リーリア
“時刻む光翼”ショコラ ユリシア=コールハート
“熱血策士”コタンクル “海星の娘”カイゼル
“白銀の皇女”アンジェラ “天駆ける記者”カリン
“抗う者”アルスキール “陽気な隠者”ラザルス
“のんびり屋”レープル “堕天の翼”雪奈
“路地裏の狼”マリュウ “双剣”紫炎
“蒼空の黔鎧”ソウマ “ザ・フォレスト”MAX
秋雨 “硬質なる両翼”ナハト
“悪夢の姫”シーネル “蒼き乙女”神代 深礼
“紅髪の”リン “土くれ職人”巍恩
“炎華の奏者”グリンダ “宵闇に潜む者”紫苑
“拙き風使い”風見来生 “緑の涼風”シーナ
“白夜の月雪”コーリア “静けき月夜の”カウェル
“彷徨い”ルーファス “銀嶺の氷嵐”サキト
“幽焔”フェア=スノール “月読姫”ユウキ
“西風”ヴァレンシアナ ユウ・シルバーソード
“翡翠の闇星”ガークス “病弱娘”フィー
“爆裂忍者”忍火丸 “宵闇の黒蝶”メイア
“貧乏学生”エンゲルス “鉄の氷竜”レクス
“七彩の奏咒”ルカ “久遠の響”キーリ
“のんびりや”キーウィ “寄添う縁”スプートニク
“深藍の冬凪”柊 細雪 “慈しみと憎悪”リリク
“賢き愚者”ヴィルバルト ラシーネ
“耀鋼の牙”エドガー