ラウラ・ア・イスファル〜その過去と未来【3】
 雪は例年並にまで落ち着いていた。そこここに大雪の頃の雪掻きの名残を残してはいたし、完全に止んだわけでもなかったが。アルメイスの冬に雪がなければ、それも異常気象だ。
 そんな、じきに年も書き換わろうという最後の月。金色の暴走リエラに紛れて、真夜中に静かに街を彷徨う影があった。
 いや、彷徨っているのではない。彼女は、自分の望むものがどこにいるかを理解しているのだから。
 微風通りの路地裏を。あるいは、アリーナの片隅に。
 彼女は探し、彼女は追い、そして見つけ出しては狩り立てた。
 多くの場合に誰もそれに気づかなかったのは、それは、人の生きる位相よりわずかにずれた場所での出来事だったからだ。どんなに破壊の力を撒き散らそうとも、人が眠る世界にそれが響くことはなかったからだった。
 ――そのときまでは。
「諦めるがよい。おぬしの位相がこれ以上にこちらに戻れば、もう逃げ切れまい」
「……余裕だな。俺が戻れれば、そんなにのうのうとはしてられまい?」
「その通りじゃ、アークシェイルの影よ。だから今しかないのじゃよ」
 彼女の傍らにいた銀の鷹は輝きを増して、翼を広げる。
「おぬしが完全にアークシェイルの影響下から出る前に、消えてもらう」
 人気のない修練場に、光が走った。もう、的となるアークシェイルの影……レアン・クルセアードの位相は限りなく現実の世界に近づいていたので、その光は現実にも漏れた。轟きと衝撃が。修練場の近傍に人家は少ないが、しかしそれは、その多くが飛び起きるに足るものだった。
「……俺に普通の攻撃は効かんと、いつになったらわかるんだ」
「細かいことを気にするでない。おぬしがおぬしである限り、消耗していけば、いつか効くであろ?」
「今は防御しきってるようだが、繰り返せば、おまえだって無傷ではすまなかろうに」
「心配してくれるのじゃな、すまぬの。じゃが、気遣いは無用じゃ……この体が消えても、次に宿るだけのことよ」
 確かに、しばらくは動けぬがの……と、彼女は金の髪を揺らして優雅に微笑う。
「それでも、おぬしと共にアークシェイルを滅することが出来れば、わしと違ってアークシェイルの復活までには時間がかかる。おぬしには礼を言わねばなるまいよ。彼奴らを従えようとした者はおぬしが初めてじゃ」
 今までは誰もが従属に甘んじておった……と。
 そんな会話も、誰知る者なき、時と世界に飲まれる記録。
 そして、再び光が轟いた。
 いくつかの光の後に、残されたのは、ようやく世界に現出した破壊の爪痕だけだ。
 そこで何が起こったのかを、そこからだけで推測出来る者は少なかった。

 フランは急速に、日に日にやつれていくように思われた。
「エリスさん」
 フランが頼った者は、そう多くはなかった。おそらくは、どんな方法を取っても自分を止められると思った者に。あるいは……
「お願いがあるんです」
 逆にフランは、自分に親しい者には、けして言わなかった。
 そして何にせよ、誰にも同じ願いを口にした。
 それでもその詳しくを、語ることはなかったが……
「……レアンさんを助けてくださいませんか」
 現世に戻ろうとする彼を狙う者の手から……と。


「どうなさるおつもりなのですか? 私はしばらく姿を隠しても構いませんでしたし、捕まっても……」
 青年の声には責める響きがあった。
「なるようになるよ。まあ、約束はしてきたからね。今後は、会長を交えてのみ話をすると」
 サウルはその責めをかわすように、肩をすくめる。
「応じますか? マイヤーが。お言葉ですが、私でしたら……」
「でも、彼は今、アルメイスの双樹会の会長だからね。学生たちの願いに応じないなら、応じないなりの対応がいるだろう?」
「本当にマイヤーが一緒でなければ、誰とも話をしないおつもりで?」
「挨拶くらいはするよ。人の話も聞かないと言っているわけじゃない。でも、質問には答えない……そういう約束だから、特別な人は作らないよ。誰の質問にも、彼の立会いのもとでしか答えない。だが、どんな質問にも、彼の前でなら答えよう。僕の知る限り」
 サウルの屋敷で、居間にいる人影は一つだ。サウルのものだけ。
 青年は声だけの存在だった。
 どこから喋っているのか、その場にいても判断はつきにくい。
「それは諸刃の剣です、サウル様。それでも、あちらが動きだすとは限りません。ここまでも、十分に慎重でしたから。動かなければ……本当なのでしょうか、姫がラウラ・ア・イスファル計画を利用して帝国の転覆を狙っているなど。もし違っていたら」
 疑問を吐露する声に、サウルは苦笑いを浮かべる。
「さてねぇ……でも、別に、違っていて困ることなんかないだろう? 間違いだった、それだけだ。間違っていたって、誰も困りはしない。帝国転覆のために誰も犠牲になることはなく、そのための戦いも起こらないだろう。それが明らかになるだけだ、良いことじゃないか」
「……私にはわかりません、姫が帝位を欲っしているのならば……」
「多分、欲しいのは単純に帝位じゃないんだと思うなぁ」
 声は沈黙した。
 違っていたときには彼の主の身が困ったことになることも、当たっていたとしても無事ではすまないかもしれないことも、わかっていたからだろう。


「申し訳ありません」
「あなたが謝ることではないわ……でも、あの人は気が付いていると思うべきかもしれないわね」
「どこまで……」
「わからないわ」
 学園長は考え込んだ。
「とにかく、ボロを出さないように気をつけて」
 それでも、答は出ない。だから、そう注意する以外にはなかった。
「肝に銘じておきます」
 ふう、と学園長は息を吐く。
「厄介ごとは続くわね」
「……はい。修練場の破壊の件ですが」
 マイヤは気を取り直して、報告に入る。
「破壊跡から調査するかぎり、殿下の危惧された通り、おそらくアークシェイルが関わっていることは間違いありません」
「でしょうね……レアンの自我が復帰して、破壊活動に入ったのかしら?」
「能動的な破壊活動の可能性よりも、防御能力の発動の結果の可能性が高いように思われます」
「誰かが、ちょっかいを出したということね? でも、死体は転がっていなかったし、該当する怪我人もいないわ」
「はい」
「……本当に続くわね」
 更に深く溜息をつき、学園長はマイヤに命じた。
「とりあえず、様子を見ていて。どうしたものかしらね……出来れば、巡回に学生を回したいけれど、危険だし。私も注意して見に行っておくわ。クレアはまだ諦めてないから、あの子が巻き込まれないようにしないと」
「しかし知って……いるのでしょう? なのに何故」
「……わからないわ、私には」

 ラウラ・ア・イスファル探しは、全体を見れば下火になりつつあった。ラジェッタと共に探していた者たちの動きは表立って見られなくなったためだ。
 だがクレアとランカークは、まだラウラ・ア・イスファルを、力を求めている。ランカークはそろそろ飽きてきていたが、フランの手前退けないようだった。だが型通りの噂以上のものを知らず、行く先も見当たらない。
 クレアのほうはと言えば、噂の意味にも気付いているのかもしれなかったが……それでも、動きまわることをやめない。
 そしてラジェッタは……
「おとうさん」
 違うことを考え始めていたようだった。
「おじちゃんは、だれとけんかしてるの?」
 父親はその問いには答えなかった。それを説明するのは難しかったからだろうか。
「ね……なかなおり、できない?」
 もしかしたら、ラジェッタはわかっていると思ったからかもしれない。
「できるかな……おじちゃんは、とても怒っているから……許してくれないかもしれないし」
 やっと……エイムは静かに答える。
「それに始まりは、おじちゃんが悪かったわけじゃないけれど……悪いことは悪いことだと言われるかもしれない」
「なかなおり、できない? ごめんなさいっていってもだめ? だれにごめんなさいっていえばいいの? だれがごめんなさいっていえばいいの?」
 ラジェッタには、やっぱり難しい話だろうか。
「おとうさん、しらない? おにいちゃんたちならしってる? だれにきいたらいいの?」
「……仲直り、できるといいね……」
 けれどだからこそ、思えることもあるのかもしれなかった。

 そんな年末が近づいたある夜。街の一角が光と衝撃に吹き飛ばされた。
 それによっていくらかの建物が崩れ……いくらかの罪なき犠牲者が出ることとなった。

 正義を定めるものは何で、悪を定めるものが何なのか。
 過去において、誰かが決めた正義が世界を作ってきた。
 過去において、誰かが決めた悪が歴史を作ってきた。
 過去において、それは確かに正義だった……しかしそこに絶対はあっただろうか。
 今、誰が決める正義が世界を選ぶのだろう。
 今、誰が決める悪が歴史を作るのだろう。
 誰かにとって、それは確かに正義だろう……しかしそこに絶対はあるのだろうか。

 たとえ激流の中で回りが見えなくても、望む世界があるのならば手を離してはならない。
 奪われた世界は、二度とその手には戻ってこないだろうから。
 たとえ誰かを泣かせても、たとえ誰かの屍を踏みつけても、たとえ絶対ではなくとも……あなたの望む未来を手にしたいのならば。
 もしも何も望まぬならば、静かに見つめるのも良いだろう。
 だが、もう一度考えてみてほしい。選ばれぬものになるかもしれぬ日のことを。

 あなたの正義は、どこにあるのだろう……?


■『ラウラ・ア・イスファルの過去』と『遠からぬ未来』■
 ラウラ・ア・イスファルにたどり着くことで手に入る力……かつて流されたその噂には、様々な解釈が隠れていた。いくつもの真実の中の一つ。その一つが、そこに至ればより高位の存在になれるというもの。そことはどこか……と考えた時、ラーナ教の主神リーラスの元だと考えるのは、ラーナ経を国教とする帝国臣民であれば普通のことかもしれない。そこは、神々の園の深き淵。
 多くのラーナ教徒と司祭たちが目指したところであったが、それを叶えたという明確な記録は存在していない。成功も失敗も。そう、真のフューリアの境地にたどり着いたという伝説以上に、わずかな伝説に痕跡を残すばかりだ。
 “冒険BOY”テムはリエラの力を借りたなら、その深淵まで行き着けるのではないかと考えたのだが……それに伴う代償の大きさを恐れもした。真に望むのならば、肉体も精神も魂さえも代償に捧げなくてはならぬかもしれぬ、と。それを可能かどうか確かめようにも……確かめたときには自らが崩壊してしまっていたのでは、意味がない。
 では、他に行った者はいないのだろうか。誰もしたことのないことが伝説や、ましてや噂になるはずもない。ならば、その者を探せばいいのではないだろうか。成功しても失敗しても、それに挑んだなら廃人になっているかもしれない……
 と、テムは病院を訪ねてみた。
 だが。
「最近は……いないわね」
「最近は?」
 若い看護婦や事務員に話を聞く間には、そんな人はいないという話ばかりだった。同じように考えた者はいないのかも、あるいは自分の考えは間違っていたのかも、とテムが思い始めた頃。老境に差し掛かった年齢の看護婦が、昔を思い出したかのように言った。
「昔はいたんだ?」
「ええ。昔は訓練中に意識を失ったっていう子が結構いたものだけど……最近の学生さん、相変わらず訓練中の怪我人はいるけれど、そういう子は見かけなくなったわね」
「昔、意識を失った、その人たちは?」
 そう聞いたテムに、看護婦はただ困ったような微笑みを返しただけだった。


 放課後。“風曲の紡ぎ手”セラは、急いでラジェッタのところに向かっていた。
 少し前には、二人は放課後には微風通りのあたりに必ずいたので、放課後に探すのもそれほど難しくなかったのだが。今は、違う。ラジェッタたちはどこと決まった場所もなく、どうしたらいいかわからないというかのように街を彷徨っている……迷っているのはラジェッタなのだろうが、エイムはただそれについていくだけだ。
 待っていてくれない居場所の定まらない相手を確実に捕まえるためには、初等部の授業が終わる前に初等部の教室近くで待ち伏せるしかない。時間の自由になる研究過程に既に属している者ならばともかく、普通に中等部高等部の授業を受けていたら、それは無理な相談だ……授業をサボらない限り。もちろん、サボることにあまり抵抗なさそうな者もいるわけだが。
 初等部校舎の入口で、セラは同じく走っている“猫忍”スルーティアと鉢合わせた。お互い、行き先はなんとなくわかる。
 そして二人が教室へ向かう階段を上がろうとしたところで、降りてくるラジェッタたちと行き会った。
 先に一緒にいた“爆裂忍者”忍火丸が、スルーティアに手を振る。他に先に合流して一緒にいたのは、“轟轟たる爆轟”ルオーとラシーネだ。こちらの二人はもう研究過程に入っているので、後ろ暗いことはない。
「ねえ、エイムさん……あれは、本当のこと?」
 あのとき、あの場所にいた者ならば誰もが少しは思っただろう。レアンの言葉のその真偽を、エイムの口から聞きたいと。
 嘘だとは思えない迫力だった。そう思い、白く濁る吐く息を整えながら、スルーティアは意を決してそう訊ねた。ラジェッタもその隣にいる。だが、今更隠しても仕方がない。あのとき、ラジェッタも聞いてしまったのだから。
 エイムはスルーティアの顔を見返し……
「嘘か本当か、ということなら本当ですよ」
 それだけを答えたところで、辺りを見回し、歩き出した。
「エイムさん、まだ聞きたいことが」
「私も聞きたいわ」
 ラシーネも、そこからだと考えた。だが、それはスルーティアへの言葉だ。
「あれがすべてだとは思えない。語られていないこともあるはずだわ」
 だが初等部の校舎の中は、エイムに告白させるのに適当な場所ではないだろう。
「でも……場所を変えましょ。こんなところで話すことじゃないわ」
 もっと、人の少ない場所へ。
「……どこがいいでしょうね」
 ゆっくりと話のできる場所へ。

 たどり着いた場所は、巡り巡って校舎の屋上に続く階段の踊り場だった。踊り場というよりは屋根裏のような広さがある。屋根の上には、雪も積もっている。ここなら、通りすがりの誰かに聞かれることはないだろう。彼らの話を聞きたいと思ってやって来た者ならば、同志だ。エイムが彼らに答えるならば、望む他の者にも答えるだろう。
「先ほど、嘘ではないとおっしゃいましたけれど……今現在のアルメイスでは、非道なことは行われていないのでしょう?」
 セラも、それを確認に来たという。
「昔はともかく現在は……それほどに非道なことは行われていないと思います」
 エイムは目を閉じ、しばらく考えて、答を決めたようだった。考えて答えた答に、嘘があるかないかは窺い知れない。
「あれがすべてなの?」
 レアンの主張のすべてを正しいとするのか否か。ラシーネが問うのはそこだ。
 エイムは困ったような顔をしていた。
「私が知っていることが、すべてではないかもしれません。私が知っているのは……エリアをフューリアにするための能力開発と、フューリアの能力開発を今も行っていることの、二つです」
 エイムは能力開発研究所に属する研究者だった。考えてみれば、まさに能力開発研究所はフューリアの能力開発を行う研究所だ。それ自体は隠されていたわけではない。隠されていたのは、その方法……あるいは過去だ。
「今も……?」
 セラは息を飲む。
「レアンが言っていたほどに過酷な実験は、現在は行われていないはずです。一部を除いて、学生に薬は処方されていませんし。ただ、実験は穏やかにはなりましたが、停止したわけではありません」
 だから、レアンにとっては続いているというだけで同じに見えるのだろうと。
「実験は継続しています。しかし、今の学園長になってからは……無理はしない、無茶はしない、そういう方針なので」
 学生に見えている部分が、ごく一般的であるのなら、継続していると言われる部分もわずかであるとは考えられる。しかし。
 やはり、続いてはいる。
 それをどう捉えるかが、問題なのだ。
 セラは、今が昔と同じではないということに息をついた。エイムが研究員として協力していたのだから、そうだろうと信じていたけれど……改めて確認できてほっとする。
「昔はあったんだ。そして……今もあるんだ、ラウラ・ア・イスファルは。やっぱり本当のことなんだね」
 スルーティアはあれが真実であると覚悟していたけれど、改めてその意味を噛みしめていた。まったく同じではなくても、形を変えて今もあるのだ。自分はどうしたら良いのだろうと、考え込む。
「結局、過去には何があったの? なぜあなたたちは殺しあうことになったの?」
 ラシーネにとっては、まだ話は始まったばかりだった。
 スルーティアはうつむきかけていた顔を、はっと上げた。それも聞きたかったことだ。だが、こうであって欲しいと思うことがあって……そうでなかったならと思うと、少し怖い。
「どこから話せばいいのでしょうか」
 エイムはフロアの向こう側でルオーと忍火丸と話をしているラジェッタを、どこか眩しそうに見つめながらつぶやいた。

 帝国がいつ、レアン・クルセアードの排斥を決めたのかはわからない。また、レアンがいつ明確に帝国のラウラ・ア・イスファル計画に気づいたのかもわからない。気づいた後、何をしようとしたのかも。
 ただ、レアンは二十歳過ぎで新兵として戦場に出て、アルメイスと前線を行き来しつつ、三年から四年程の間、軍に所属していた。その間の成績は極めて優秀なものだった。
 同じ頃にエイムも軍に所属した。だが実際には、レアンよりもエイムの記録のほうが曖昧である。それはエイムが所属した部署の性質の問題だった。
 エイムの出征記録は、除隊する直前に一度だけ。同作戦の際に、帝国軍人レアン・クルセアードは戦死が記録されている。
 同作戦においての生存者は一名。生存者もリエラの過重使用により精神障害を起こしているというところで、公式の記録は終わる。
「私がいたのは、表向きは憲兵隊になります。実戦部隊だったので、憲兵隊と言っても……軍の制服を着たことはありませんでしたが。所属後しばらく研修を受けたら、すぐレイドベック公国内に入りました。そこで何をしていたか……は、話さなくてもいいですね」
 レイドベック公国からやってきた彼の実の娘がいることから、エイムがレイドベック公国内に紛れて通常の生活を営み、諜報活動を行っていたことは、察しの良い者ならば既にわかっていたことだろう。本来ならばそのまま何十年も、敵国に紛れていくはずの任務だっただろうとも。
 それは胸を張って語れることではないと思っているのか、エイムはそのあたりは多くを語らなかった。だが、確かにそのときに彼はラジェッタの母親となった女性と出会い、子をなしている。
「三年ほど経ったある日、突然本国からの帰国命令を持った人が来ました。私の任務は基本的には一方的に報告を続けるだけのものだったので、突然のそれに驚きましたが……逆らうことはできなかった。本来的に命令拒否の権利などありませんし……当然、伝令が命令拒否を認めるはずもありません。しかも私が拒否したときには、その原因を断つように彼は命じられていました」
 エイムの視線はずっと、ラジェッタを追いかけている。
「エイムさん、それって……」
 スルーティアは、聞こうとしたことを飲み込んだ。エイムが祖国に帰りたがらない原因があるなら、それは……妻と子供が、もうその地にいたからだろうと。その原因を断つと言うのなら。
 エイムはただ、スルーティアに少し寂しげな微笑を向けた。
「そこから先の命令も、私には何一つ断れませんでした。本国に戻った私には、最前線の作戦参加が待っていました。当時戦争も終局だったので、その作戦が本当に必要であったかどうか、それすらも私にはよくわからない。そして共に作戦に参加する部隊の一つに、レアンもいました」
 この告白は、ここからが本番であることは聞いていた誰にも察することができた。ここから、レアンの告白と重なるのだから。
「私の所属した小隊には、秘密の命令が下されました。そこは、そのための小隊だった。作戦目標はレアン・クルセアードを亡き者にすること」
 なぜ殺しあうことになったのかというのならば、それ以外に選択肢がなかったからだ。
「おそらくは……狩る側の部隊にも生きて戻ってくることは期待されていなかったのではないかと思います。それほどに、レアンは優秀でした。普通に戦ったら、誰も勝てなかった。私をそこに入れようと考えたのが誰だったかはわかりませんが……私は全力のリエラ戦よりも転移を使った不意打ちを得意としていたので、それに賭けたのか……あるいは私が相手なら、レアンが手加減すると思ったのかもしれません」
 そうだろうとスルーティアは思った。いや、そうであってほしいと思っていた。だから二人だけは生き残ったのだと。だが、エイムの告白はそれを裏切るように続く。
「でも……私はレアンを殺すつもりでした。どんなことをしても、生きて帰りたかった。だから自ら望んで……当時、最も強い薬も飲みました」
 告白は、少しずつ重なっている。その薬は、無理やりにでも能力を引き出すものだったのだろう。引き換えに、精神を破壊するかもしれない薬。
「同じ小隊の大半は、それで自滅したんです……それでも、私は彼に刃を向けた。やっぱりレアンは手加減していたと思います。その後のことは、もうよく覚えていません。それは私が……そのとき初めて、融合に近い形で暴走したからです」
 今、エイムが自存型リエラと呼ばれる存在であることに、ここで繋がる。このときの薬が、それを促した。同じ薬を飲んだ者と命運を分けたのが、何であったかはわからない。適性であったのか、能力であったのか……それとも、執念であったのか。
「私がどのように回収されたのか、それは私にもわかりません。当時しばらくは、レアンは本当に死んだと思われていたようです。私は暴走状態から辛うじて戻ってきて……能力開発研究所で監視下に入りました」
「じゃあ、あなたが学園に残っていたのは監視下にいたから……ということなの?」
「そんな……それでは」
 ラシーネとセラの表情が険しくなる。エイムが自ら望んで学園に残っていたのでないのなら、やはりこの告白はレアンの主張がどこまでも正しいことを裏付けることになると。
「初めは。でも今の学園長が責任者に変わった際に、それは曖昧になってしまったようです。引継ぎが上手くいかなかったのかもしれませんが……わざと、曖昧にしてくれたのかもしれません。今の学園長がどんな人なのか直接には知りませんが……変わる前と後を知る身としては、今の学園長は心ある優しい人だと思います。結局、私は、それでも研究所に残りました……帰れなかった、怖くて。もし自我を失っている間に、大切な人を殺めてしまったらと」
 長い告白は、ようやく終わる。
「そんな私には、せめて研究所に残って研究に協力することくらいしか、できることはありませんでした」

「あのねあのね、おじちゃんにどうごめんなさいしたらいい?」
 誰かを前にして今のラジェッタが聞くことは、やはりこれだった。ラジェッタは、色々な事実を細かく正確に理解しているわけではない。だが、レアンが怒っていることと悲しんでいることだけは、理解したようだ。
 ルオーは女生徒たちの思いつめた顔からラジェッタに聞かせるべき話ではなさそうだと引き離したわけだが、そうしたらそうしたで、そんな質問をラジェッタから受けることになった。エイムの前ではそういうことは言わなかったが……離れた途端にだった。
「ええ、そやなあ……」
 ルオーは正直、返答に窮した。レアンをまっとうな道に引き戻したいというのはわかるのだが、伝え聞く今の状況では、正直ラジェッタを近づけたくないというのが本音だ。危険すぎる気がした。
「考えとくさかい、お返事は後でもええ?」
「いまはだめ?」
 可愛らしく首を傾げられると、ルオーには駄目とは言えない。しかし、すぐ答えられることでもなかった。
「おとうさんにきくとね、おとうさんかなしいの。だからね」
 エイムに聞いたら、エイムは悲しい顔をしたか……いや、おそらくは交信で悲しがっていると気づいてしまったのだろう。だから、離れたところで聞いたのだ。
「そっか……お父さんのいないとこでお返事したるから」
 うん、とラジェッタがうなずいたところでだった。
「ラジェッタ殿は謝る必要はないでござるよ!」
 忍火丸が口を挟んだ。
「胸を張って、レアン殿は孤独と戦ってきたと誇っていいと思うでござる」
 忍火丸自身が胸を張って、そう言う。だが、ラジェッタには少し難しすぎたようだ。
「ラジェはごめんなさいしちゃだめ? じゃあ、だれがごめんなさいすればいいの?」
「ごめんなさいはしないでござる」
「……でも、おじちゃん、おこってるの」
「それは……でも、帝国は拙者たちフューリアのために学校とか作ってくれて、それっていいことでござるよね? 改心したんじゃないでござるか? レアン殿だってわかってるでござるよ! だってラジェッタ殿を学園に連れてきたのは、レアン殿でござる」
 そういえばそうやなあ、と、ルオーも思う。学園が悪の根源だと思っていれば、ラジェッタを学園に預けるようなことをするだろうかと。ラジェッタなどどうなっても良いと思っていたなら、そういうこともあるかもしれないが……多分、それもない。ラジェッタは、そこまで自分をぞんざいに扱う者に、ここまで懐くこともないだろう。
 そもそもそんな冷たい人間は、ああいう怒り方はしない。
「……じゃあ、おじちゃんはなんでおこってるの? なにがかなしいの?」
 ルオーと忍火丸は二人で考え込む。
「……まず、おじちゃんを元に戻して、お話聞こうな。おじちゃんから、直接聞いたほうが間違いないで」
 結局、ルオーはそこに逃げた。それが間違いないと言えば間違いない。
 そのとき、階段の下から上がってくる足音がしていた。彼らがここに上がってきたところは、誰かが見ていたのだろう。顔を覗かせたのはコルネリアだった。
「ここにいたんですね」
 コルネリアはまだ悲しみの声の主を追おうと思い……同じように追っていたはずのラジェッタを探していた。少し前にはたくさんの人が追いかけていた『悲しみの声』も、ラウラ・ア・イスファルの探索が下火になると共に、忘れられかけているような気がしたからだ。声の主の悲しみが癒されたわけではないだろうとは思うのに……
「私も一緒に行っていいですか?」
 ルオーの声が聞こえていたのか、コルネリアは前置きなくそう言った。そう言われれば、他にいくつも行き先があるわけではない。ルオーと忍火丸はラジェッタの顔を見たが、ラジェッタはただうなずいた。
「ああ、うちらもやねん」
 その間に、パタパタともう少し賑やかな足音が複数階段を登ってきた。次に彼らのところに飛び込むように駆け上がってきたのは、“のんびりや”キーウィと“不完全な心”クレイだった。
「おじさんを探しにいくんでしたら、僕たちもいきますので……一緒に連れていってくださいね」
 そう言うクレイたちはもちろん自分たちだけでもレアンの戻ってきそうな場所を探していたが、誰のためかと言えばラジェッタのためだ。一緒に行こうと言うのも、ラジェッタを心配してのことだった。
 キーウィはレアンに纏わる戦いに、ラジェッタが巻き込まれることを恐れていた。それはラジェッタが『おじちゃん』を求めるならば、どうしてもつきまとう危険だ。その誰かは、ラジェッタの存在など意に介すことなくレアンを攻撃する可能性が高かったし……場合によっては、ラジェッタは利用されるかもしれない。
 キーウィに同行してやってきたクレイのほうはと言えば、もう少しレアンのことを考えていた。レアンには、彼が彼であるというだけで狙う者も戦いを挑む者もいる。これはキーウィの危惧と同じだったが、クレイは少なくとも学生が戦いを挑むことは間違っていると思っていた。
 なぜなら、レアン自身はアルメイスの学生に直接攻撃をしたことはないと、クレイは思ったからだ。これは異論のある者もいるかもしれなかったが、学生が一方的なレアンの攻撃を受けたことは確かにない。防衛ならばやむを得なくても、攻撃の意思のない者にいきなり攻撃を仕掛けるというのは乱暴すぎる気がしたのだ。
 そして、その考えはキーウィのものに共鳴した。乱暴な結果に最初に巻き込まれるのは、幼く無垢なラジェッタに違いない。
 後日になって振り返ったなら、キーウィとクレイのそれは、極めて的確な危惧だったと言えただろう。残念ながら、二人の想いだけでは防ぎきることはできなかったが……それは、また後の話。
「いつ行くん? やっぱり夜やろか」
 そう訊ねるキーウィに、ルオーが首を横に振った。
「夜は危険やからなぁ、ラジェッタちゃんはおんもに出ちゃあかんで?」
 夜が一番危険であることは、キーウィもわかっている。だが、昼間に人の気配の濃い中でレアンを探し出せるかどうかは疑問だった。いや昼間に出来るなら、そのほうがいいのは確かではあるのだが。
 ラジェッタは迷ったようにキーウィとルオーの顔を見比べて、結局ルオーに向かってうなずいた。
 ではどこへ行こうかと話し始めたところで、もう一人階段を上がってきた。この場所にやってきた者としては最後の一人となる、“真白の闇姫”連理である。
「おお、やっとおったの」
 連理にしてみれば回りに人が多すぎる気もしたが、あまり贅沢も言っていられない。
「頼みがあるのじゃがのぅ、レアンに関する物を何か持ってはおらんかの?」
「おじちゃんのもの?」
「直接の持ち物でなくとも良いがの」
「おへやにかえれば、おじちゃんにもらったぼうしがあるよ」
「帽子かの……お父上はなんぞ持っておらぬかの」
 ラジェッタは首を傾げた。一緒の部屋に暮らす父親だが、すぐに思い当たるようなものはなさそうである。
「本人にも聞いてみなければなるまいのぅ」
 何もなければないで連理には考えがあったが、何かあるならそのほうがいい。連理は、少し離れた場所で女生徒三人を前にして話をしているエイムに視線を投げかけた。


 エイムの話がひと段落したのを見計らったように、ルオーと忍火丸がラジェッタを連れて戻ってきた。いやセラたちが振り返ると、だいぶ人は増えている。
「話中のところをすまぬな、レアンに関わる物を持ってはおらぬじゃろうか」
 連理はエイムの前に進み出る。
「レアンの? ……いいえ、ないですね」
「そうかの。では頼みがあるのじゃが。お父上にもお許しをいただきたいのぅ。もちろん、ラジェッタにもじゃがな」
「許し……?」
 聞き返すエイムに、連理は周りにちらりと目を遣りながら答えた。
「ラジェッタで、予知をしたいのじゃ。本当はレアンの次に現れる場所を、レアンの縁の物でしたかったんじゃがな。ラジェッタでするならば、ラジェッタがレアンに会える場所を見ることとなるじゃろう」
 スルーティアやキーウィが、一瞬えっと顔をする。心配性の者には反対されるかもしれないとは、連理も思っていた。媒体に人を使うことや、論理矛盾を起こしそうな方法に。
 しかし、連理もどうにかしてレアンの元には行きたいのだ。そして彼を、この世界に引き戻したい。それは連理にとっては大切な“春の魔女”織原 優真の願いであるから。そして、ラジェッタの願いと優真の願いは……おそらく同じもの。
 できるだけ確実に、できるだけ安全に、その願いを叶えたい。それが連理の願いだ。
「ラジェッタ……どうする? おじちゃんと会える場所を探してくれるそうだよ。そのために、ラジェが必要なんだって……危ないことはないと思うけど」
 エイムが確認すると、ラジェッタは迷いなく答えた。
「いいよ、おねえちゃん」
「そうか、すまぬな。では、そなたの未来を見せておくれ……」
 ゆっくりと連理は交信を上げた。闇主を呼び出し、そして未来を見る。
 そこまでの十数分、さすがに周りの者も息を飲んで見守っていた。ここにいる者で、レアンと出会える場所に興味のない者はいない。
「……見えた」
 連理は見えたものを、ここで言うべきかどうか迷ったが……
「たくさん回りに人がおるな」
 見える限りが真実となるのならば、隠しても仕方のないことのようにも思えた。
「アリーナじゃな。六芒星を描いておるのか? 高天の儀とかいう儀式のつもりじゃろうか……しかしあれは、暦が合わぬじゃろうに。しかも、時は夜のようじゃのう……」
 連理はそこで黙り込んだ。そこから先は見えたものを、どう表現していいか迷ったからだ。
 レアンはそこで出現してはいる。
 だが……連理は唇を噛み締めた。
 そこから先が問題だった。
 どう言っていいか、わからなかった。
「アリーナで……高天の儀ですか?」
 エイムが確認するように繰り返す。
 震える唇を、連理はようやく開いた。
「……そなたたちは行ってはならぬ」
 ようやく搾り出した言葉はそれだけだった。
「ラジェッタちゃんが、おじちゃんに会うところが見えたのとちゃうのん……?」
 キーウィが、予知したはずのものを再確認する。ラジェッタがレアンに出会うべきところにラジェッタが行かなかったなら、それでは予知がやぶれるだろう。
 連理は、自らの予知を破れと言っていることになるのだ。
「な、何が見えたの?」
 明るさを装って、スルーティアが訊く。
「ああ、いや……もう見えぬ。出会えた後……なにやら混乱しているようじゃった。暗かったしのう。ラジェッタのところからの視点じゃったようでな、全体が見えていたわけではないのじゃ」
 ただ……この予知は、当たってはいけない気がする。そんな予感が、連理の脳裏に閃いていた。根拠はない。だがしかし。
 そのとき連理は、すべての最後までを見たわけではなかったが……
 闇主は見えない部分までもを、パートナーに危険を知らせるために伝えたのかもしれない。
 その予知は、限りなく正しかった。


■静かなる戦い■
「郵便でーす」
 そんな声が聞こえて、優真は玄関に出て行こうとした。ここはサウルの館だ。
 するとサウルが追うように廊下に出てくる。
「いいよ、僕が出る」
 サウルは自ら玄関に出て、郵便配達から手紙を一通受け取った。
 優真はすぐさまサロンには戻らずに、その様子を廊下で見つめていた。
 サウルはその場でその手紙の封を切り、ざっと中身に目を通したようだ。そして振り返って、まだ玄関先に立っていた郵便配達を呼び止める。
「ちょっと待っててくれるかい。今、返事を書いちゃうから」
「はい」
 郵便配達は嫌な顔一つせずに、そう答えて玄関ホールに立っている。
「ええと、封筒を……」
 ペンと紙は玄関横のサイドテーブルの上から取ったが、さすがに封筒までは玄関にはない。紙も覚書用の簡素なもので、普通手紙に使うようなものではなかった。
「あ、はい、どこに?」
 優真は振り返ったサウルが自分に封筒探しを求めているのだと気づいて、慌ててサロンと居間へ続くドアを交互に見る。
「居間のキャスターの引き出しの中に、少しあったと思う。蝋と封印も。持ってきてくれないかな」
 あくまでも、サウルは玄関先で手紙を書くつもりのようだ。優真は言われた通りの場所から言われた通りの物を取り出すと、玄関に戻った。
 すると何を書いたやら、その短時間にもう手紙は書き終わったようで、折りたたんだ紙を手にサウルは封筒を待っていた。サウルは優真から一式受け取ると、封筒の表にさらさらと澱みなくペンを走らせ、玄関のオイルランプの火で溶かした蝋を綴じ目に落として封印を押す。
 それで出来上がりだ。
「お待たせ。よろしく頼むね」
 郵便配達は手紙を受け取り、帽子を取って一礼すると、外へ出ていった。
「いつもの郵便屋さんと違いましたね」
 優真が何気なく言うと、サウルは、ただ微笑んでみせた。
「サロンに、お茶のおかわりを持ってきてくれるかい?」
 そして急に思い出したかのように、そう言う。
「はい」
 優真もそれ以上は問うことなく、台所に向かった。

 サロンでは、数人の客人がサウルが戻るのを待っていた。
 “翔ける者”アトリーズなどは、サウルから借りた本を熱心に読んでいるところだったので、さほどの時間だとは思わなかったようだが……“闇司祭”アベル辺りにとっては退屈で不愉快な時間だったようだ。優真と一緒に家事の手伝いに来たという“炎華の奏者”グリンダは、サウルがいてもアベルを追い返そうとする節があったが、サウルが席を立ったらさらに露骨になったからだ。
 もちろん、グリンダはアベルだけではなくてアトリーズにも同じ態度で接していたし、同じように既に“演奏家”エリオを追い返している。
 郵便配達の来る少し前に帰ったエリオは、自分から色々と推測を話してサウルの反応でそれの真偽を確かめようと思ったようだったが……笑顔を崩さぬサウルから、その意図を探るのは困難だった。聞けば嘘はつかなくても、表情は完全にポーカーフェイスである。常の顔つきや行動は単調と言っていいほどの物だ。
 アベルやグリンダにしてみれば、そのくらいの芸当はサウルの立場ならできて当然のことで、できなかったら軽蔑ものだ。そこに疑問を差し挟む余地もない。それがわからない者を前に色々話す気も起こらないので、そのときにはアベルもグリンダのするがままに任せていた。
 逆に判断してから言おうとしなかったなら、言うだけ言うつもりなら、サウルは遮らずにエリオの話も最後まで聞いただろう。カマをかけようとしたのが間違いで、更には雑談に気分が乗らないなら帰るなどと腰の引けたことをポロリと漏らしてしまったのは大間違いだった。これ幸いとグリンダにつけ込まれ、気がつけばエリオは玄関先に送り出されていた。
 さてエリオが帰ったら、当然ながらグリンダの次のターゲットはアトリーズとアベルである。まずは、まさに本を読むだけならここでなくてもいいはずのアトリーズに向かったが……
「でも、また雪が降っているし、本を濡らすと悪いから」
 だが、アトリーズは本を読んでいて人の話は上の空だ。熱心に何を読んでいるかと言えば、四大リエラのフューリアに関する研究論文だった。眉唾な論理展開もあるが、サンプルに集められた四大リエラとそのパートナーたちのデータは、アトリーズにとっては興味深いものだったようだ。
 その本によると、クロンドルの姿は積乱雲のような雲となっている。だが、そこを取り巻く風から『風のリエラ』クロンドルなのだろう。その巨大な雲の塊の中は外から見ることは叶わないが、一説には中心には浮島が隠れているという。もう一つの姿とされるのは風巻く要塞……その言葉はルーの持つリエラ、イシュリアルバスターを思わせた。
 アークシェイルのほうは、こちらの論文でも不定形とされていた。まさに水なのだ。形を取るときも、生物的に変化するのではなく形を取るだけ。多くは、空飛ぶ蛇、あるいは竜だという。
 蛇は帝国では多くの意匠に使われている。なぜなら、国教であるラーナ教の主神の意匠も蛇だからだが……
 読み進むうちに、もう一つの理由にアトリーズは思い当たった。クロンドルとアークシェイルの過去の主で最も有名な人物は、帝国を築いた開祖であるのだ。他国の侵略を退け、暗黒時代を終わらせ、現在に続く帝国を作った二人。それは帝室の者だと言われる、学園長のご先祖様であることになる。ならば、意匠に多く使われるくらいのことは自然なことだろう。
 それ以後も何度か皇子や皇女に四大リエラの主が出現しているようだが、その末路は極端に分かれているようだった。一つは他国との戦いに出て戦場の英雄となるか、もう一つは反逆者として処断されたり暗殺されているか。いや、その論文では、その両極の末路は皇子皇女に限らないとまとめられている。確かに論文中に上げられた数の反逆者が実在したのなら、誰であれ四大リエラを反逆のリエラと呼びたくなるだろうと思われた。論文はこのようにまとめている……四大リエラの主は『そういう形質を持っている』、あるいは『そういう形質を与えられる』、そのいずれかであると。
 極論であるように、一般的には思えた。
 アトリーズが論文に没頭している間、グリンダはそれを何度か揶揄するように話しかけていたが……反応がないので矛先は自然とアベルに向かう。そんなわけで、アベルには退屈で不愉快な待ち時間となった次第であった。
 そこに、ようやくサウルが戻ってくる。
「ただの郵便配達にしては、少々時間がかかりましたな」
 もちろん、ただの郵便配達ではないだろうと思いながら、アベルは声をかける。何も訊かないということは、ここにいる者たちの最低限の約束だ。
 だが、元来サウルはお喋りの気質なのかもしれない。進んで訊かなくても、ある程度のことは隠そうともしないで話してくる。
「ガイネ=ハイトから速達だったんだ」
 苦笑いをこらえるように、サウルは言った。
「ランカーク卿の紹介状を持った子が、ガイネ=ハイトの宮殿に行ったんだってさ。後、それとは別に、アルメイスの子が向こうに行って派手に情報を漁ってるみたいで。どう始末するか訊かれちゃったよ」
 その返事を急いで書いて、返したとサウルは言う。
「ほう」
「あらあら」
 学生の身で命知らずなと、アベルとグリンダも呆れ顔を浮かべた。何の情報を求めて帝都まで出ていったのか、わからなくもないが……正直、無茶をすると思う。
 サウルは諜報に従事する者としては大雑把に見えるが、普通こういう職業の者はそうではない。二人には、その者たちが帝都まで死にに行ったのと同じに思えた。そんな迂闊なことをするような者の正体には興味はないので、誰とは訊かなかったが。
「生かして帰してくれるようには、書いておいたけどね」
「お優しいですわね」
 いやみではなく、グリンダは言った。ただでさえサウルは自分一人で面倒を抱え込みそうなタイプだというのに、余計な負担をかける者もいたものだと。そんな同情と、それでも見捨てないことへの感想だ。
 だがグリンダのそれは本気の同情だとは受け止めていないのか、サウルは茶化すように切り返してきた。
「僕はいつでも優しいよ。それに、信用してるのさ。わざわざ僕にどうするか訊いてくるような意地の悪い連中だけど、腕はいいからね。ちゃんと帝都までを無駄足にして、安全に帰してくれるだろう。それならそれが、結果的には一番面倒臭くないさ」
 優秀な君たちの先輩たちだからね、と、意味ありげにサウルは笑う。アルメイスを出た後に、そういう道に進む者もいるだろうとは容易に想像できた。
 そこで、優真がお茶のおかわりのポットを持って戻ってきた。
「何のお話ですか?」
「なんでもないよ」
 サウルは、誤魔化すように微笑んで答える。
 優真は除け者にされたように思って、少し眉根を寄せた。
「なんでもないならいいですけど……サウルさんはちゃんと、ご自分を大事にしてくださいね? 自分のこと、どうでもよくないですからね?」
 話に繋がりがなさそうだが、これは優真が半分サウルを叱るように先日から繰り返し言っていることだ。
 優真は誰かの転落が望みだったのではないと、前にここで聞いたことは誰にも言わないと言って……そして、サウルを叱るという攻勢に出た。たとえ自分がどうなったとしても、別にどうでも良いと思っているサウルの投げやりな部分を優真は感じ取って、それはダメだとやんわりと叱った。
「……気をつけるよ」
 先ほどまでとは別の意味の苦笑を浮かべて、サウルは答えた。
 優真が本気でサウルを心配していることは理解しているようで、そして心配する者に心配をかけることを喜ぶようなサディスティックな趣味はサウルにはないようで。
「ちゃんとね、自分が困らないようにしてるよ」
 そう、言い訳するように言う。
 それからお茶が足されると、アベルとサウルは中断していたボードゲームを再開した。サウルの手番で止まっていたものだ。次の……待ち人が来るまでは、何も変わらぬ様子だった。


 さて、サウルの屋敷にいる者にとって待ち人とはマイヤのことだ。もちろん招待したというわけではないから、永遠に訪ねて来ないことも十分にありえる。実際に当初、マイヤには自らサウルを訪ねる気はなかった。
「会長」
 サウルとマイヤが奇妙な緊張状態になった後、すぐに“旋律の”プラチナムはマイヤに言った。
「あなたが学園長を守りたいと考えているように、私もあなたの力になりたいと考えています。よければ、あなたのお手伝いをさせていただけませんか」
 そう言うと同時に何があってもマイヤの味方でいようと、プラチナムは内心で誓いを立てた。その気持ちを否定や拒否しなくてはならない理由はなかったのか、マイヤはありがとうと素直に答えている。
 そしてまず最初の仕事とプラチナムが思ったのは、今回のことが広まってマイヤのところに来る者をあしらうこと。だが、その数はプラチナムが思っていたよりは多くはなかった。
 同時にプラチナムが意識していたのは、同じようにマイヤのそばにいることの多い“深藍の冬凪”柊 細雪だった。
 この一件の後、細雪に変わったところは一つだけ。さらにマイヤのそばにいる時間が長くなった。マイヤが学長室へ行くときと、必修の講義と、寮の部屋に帰るとき以外は、ほとんどマイヤの近くにいる。部屋に帰るときさえも、許しがあればついて行きそうな雰囲気だったが……男子寮の部屋なので、仮にマイヤが許しても寮長が許さないだろう。
 そんなわけだが、そばにいられるところではそばにいることにしているようだと、プラチナムの目にも見えた。警戒しているのは、同じものだろうと思われる。
 そんな様子になって、程なくのある日。会長室にサウルの姿が現れた。
「やあ、少し茶番に付き合ってくれないかな」
「君……」
「そんな暇はマイヤ殿にはないでござる。どなたが変化なさっておられるかはわからぬが、悪趣味なことはやめられよ」
 プラチナムが応対に出ようと扉に近づくより早く、細雪はにべもなく言った。プラチナムにも、それが本物でないことはわかっていたのだが。なにしろ声が違う。
「えぇ、話くらぃ……」
 “夢への誘人”アリシアは、リエラのアイシーラの変化を解かして言い訳しようとするが、細雪は取り付く島もない。プラチナムだとて、ここでアリシアの味方をする気にはなれなかった。
「話をしたいのであれば、まず礼儀を弁えられよ。こんなことでは、それ以前の問題でござる」
「そうですね。少なくとも出直してください」
 押し返すようにして、プラチナムはアリシアを会長室から出し、扉を閉める。
 話すことさえ許さぬとあっては、アリシアにはどうすることもできなかった。やり方がまずかったのは確かなようで、マイヤの助け舟もない。聞き手の機嫌を損ねたら聞いてもらえる話も聞いてもらえないということが、まだ幼いアリシアにはわからないのかもしれなかった。
 それからしばらく、会長室にも平和が訪れていたが……
 マイヤを守ろうとするプラチナムと細雪にとっては、次の相手こそが本命であった。
 “探求者”ミリーは正面から堂々とマイヤを訪問してきて、マイヤにサウルの元へと同行を願った。そこまでは細雪も想定していた範囲のこと。だが、その続きが違った。
「何故、マイヤ殿の同席が必要でござるか?」
 けんもほろろにに、細雪はそう突っぱねる。
 それを待っていたかのように、ミリーは訊ね返した。
「では、おぬしは何故じゃと思う?」
 細雪は顔を顰めた。
「マイヤ殿にも、お考えいただきたいのぅ。もしサウル殿がマイヤ殿にとって不利益な情報を持っていたとして、何故このような手を使うのじゃろうか」
 そう問われても、細雪には急に返事はできなかった。何故の答は、細雪自身にはない。自分にないからこそ、他の者も答えられないと思ったからこそ、それが真っ先に拒絶の口実になったのだから。
 納得できる理由がそこに見えていたなら、まっすぐな気質の細雪は納得してしまうだろう。
「決定的な情報ならば、それこそ噂として流せば、それで済むことじゃろう?」
 かつて噂を流し、学生たちを躍らせたこと。それがこれのそもそものきっかけだったとすれば、同じくらいのレベルで噂を流すことは可能なはずだ。
「ならば仮にあちらを訪れ、サウル殿の口から明らかになったとて、マイヤ殿がシラを切り通せば同じことじゃろうて」
 ミリーは、拒絶することに意味はないと匂わせる。
「しかし……マイヤ殿は多忙であられ、仕事も滞りまする。それは如何なされるおつもりか? 行かぬ理由がなくとも、行く理由もないでござる。貴殿の好奇心のために、会長御自らが付き合わねばならぬというのは、身勝手が過ぎませぬか」
 まだ、退くには早いと細雪は用意していたありったけの言葉で抵抗した。だが、ミリーのほうが一枚上手であったようだ。
「出歩くのもままならぬほど、多忙なのかの? おぬしらも手伝っておるのじゃろう? マイヤ殿、これは提案なのじゃがの。この機会を逆に利用し、サウル殿からマイヤ殿の聞きたい真実を聞き出そうと思うのじゃ」
 位置的には細雪とプラチナムを挟み、彼らを説得するようにしながら、ミリーはマイヤにも語りかけていた。
「無論、訊きたいようなことはないとおっしゃられるなら、それまでじゃがのう……この好機、逃す手はあるまいて」
 虎穴に入らずんば虎児を得ず。細雪は、ここでとうとう返す言葉を失った。行くのは危険だと、言い切る根拠はない。根拠も信念もなく、憶測を口にするのは愚行であると、そんな言葉を用意していたのは細雪自身だ。
 マイヤの判断を仰ぐように、プラチナムと細雪は振り返った。それに応えるように、マイヤは作業机の前の椅子から立ち上がった。
「わかりました」
 そして、ミリーの前までやってくる。
「今、これからでなくとも構いませんか?」
 それは、ミリーへの同行に同意したことを示す問いであるだろう。
「もちろんじゃ、急ぐわけではないからの。マイヤ殿の都合のよいときに合わせよう」
「会長……」
 マイヤは、何か言いたげに見つめる細雪とプラチナムに目配せをした。これが自分の意思だと含めるように。
「では、明日。またいらしていただけますか。その後、サウル君の屋敷にお邪魔しましょう。あちらも急に訪ねて行っては困るかもしれません、これから連絡を入れておきます」
「結構じゃ。では、また明日」
 また明日。そう約束して、ミリーは帰っていった。

 その明日が来て、約束通りミリーは学生会長室を再度訪れた。プラチナムと細雪がついて行こうというのは、ミリーにとっても予想の範囲内だ。逆に、それ以外には他にいないことが不思議ですらあった。
 サウルの屋敷では、お茶の支度をして彼らの到着を待っていた。
 サウルの屋敷で待っていたのは、サウル以外にはグリンダと優真、そして連理とアベルの四人だ。女生徒たちは家事の手伝いをしてくれているとサウルに紹介されたので、無関係の立会いというべき者は、アベルだけであると建前の上はなるだろうか。女生徒たちを加えても五人、加えなければ二人。マイヤと共に来たのは三人なので、どちらもどちらが多すぎるとは言えない程度の数だ。
「ようこそ、マイヤー。君とは、ゆっくり話したいと思っていたよ」
 社交辞令か本音なのか、サウルはそう言ってマイヤを出迎えた。なんにせよ、サウルがマイヤを待っていたことに間違いはない。役者が揃って……足りないものがあるとするならば、それは問う者だった。問う者がいてこその会談であったはずだ。
「さて……ルーは元気かい?」
 そう切り出したのは、サウルだ。アベルとグリンダは、その意味を察してサウルとマイヤの顔を見比べる。先制攻撃というところだろうか、マイヤの表情に緊張が走っていた。
「会長が来たから、今なら訊いてもいいということよね」
 と、グリンダは、ふと今までの疑問を確認することにした。思うところはあるが、サウルの口から確認したいと思っていたことだ。
「サウル、ルーとはどういう関係なの? 家族……とかなのかしら」
「ルーは妹だよ」
 なんでもないことのように、サウルは答える。
 マイヤは何も言わなかった。家族が家族だと称することを、他人が否定するのも肯定するのもおかしなことだからか……
 問題があるとするならば、サウルの身分を知る者には、それだけでルーの身分もわかってしまうということだろうか。
「まあ、あんまり仲は良くないけどね。僕は早くに宮殿を出されているし、ルーは普通より幼いときにリエラの守護を得て、それが特殊だったから……宮殿で隠されるように育てられて、一緒にいた時間はほとんどなかったからね」
 いや、サウルには、まったく隠す気はないようである。正直に答えることが美徳か否かは、人によって判断に迷うかもしれない。今回、この場ではそういう約束であったとサウルは言うだろうが……かつてカレンのことは知りながらも、彼女が隠しているという理由でランカークの従者であることを明かすのを拒んだことがあることを踏まえれば、今はルーの身分を明かすつもりで語っていることは明白だった。
 優真は、はらはらとサウルの様子を窺っていた。サウルが秘密を暴くことをどう捕らえているか、優真は知っている。この家族の話一つも、転落への序章なのかもしれないと。
 アベルなどは隠すよりも暴く側が面白いと正直に言って、サウルの傍にいるが。それについて、サウルはどうとも言わなかった。
「ふむ、特殊なリエラ、か。では、ルー自身が反逆のリエラの主ということで間違いはなさそうだな。残っているのはクロンドルか」
 アベルが呟く。ルーが学園長であろうということまでは、アベルにとっては言うまでもないことだった。
 事実は明かされるというよりも、確認されていくように見えた。
「そうだね。まあ、だから、ルーは慎重に育てられた。彼女自身が望まなければ、今もまだ宮殿の奥にいただろうと思うけど」
 しかし、望んでルーは宮殿を出てきた。身分を隠していたのも、半分はそれに由来するのだろう。
「マイヤーとも、こうして話すのは僕が宮殿を出たとき以来だね」
 先日立ち話はしたわけだが、それは数には入れないらしい。
 ミリーは、マイヤの様子を窺った。都合の悪いことはシラを切り通せばよいとそそのかしたが、さて実際にどうするつもりなのかと。
「……そうですね。お久しぶりでございます、サウル殿下」
 マイヤも意を決したようだと、周りの者は思った。薄々は察していた者も多いことで、この場にいるほとんどの者は、このくらいのことでは驚かなかった。
 ただそれは、確認されただけのことだ。
 だが、次のサウルの言葉には、その場のほとんどの者が驚いた。かつて、マイヤも宮殿にいたということ以上に。
「そこまで堅苦しい呼びかたはしないでくれ。僕は、君とも血が繋がっているんだし」
「これは驚いたわ。どういう関係なの?」
 グリンダはすかさず、そう訊く。
「僕とマイヤーは、いとこ同士だよ。僕の母はマイヤーの伯母だから。もちろん、ルーの母親は違う。僕の兄弟姉妹で母が同じ者は少ないよ。父上が好色だというよりは、それが父上の使命だった……と思っているけど」
 別に皇帝に寵妃が複数いるのは、隠されたことでもない。前例がないことでもない。まったくごく普通のことなので、言われてみれば、そういうことであっても何も不思議はなかった。
「僕は仕事で名前を名乗るときには、シャットストックを名乗ることもあるよ。皇族が臣に降りるときには、母方の氏族で扱われるからね」
「シャットストックって、有名な貴族の名前ではないと思っていたけど……私が知らないだけかしら。ああ、じゃあ、ルーの苗字もそうなのね」
 グリンダはちらりとマイヤを見た。表情に動きはない。穏やかとはお世辞にも言えない緊張感が、漂ってはいたが。
「サウル様……私をここに来るように仕向けたのは、昔話をするためですか?」
 とうとう耐えかねたように、マイヤが言った。様子を見ていたミリーも、そろそろ限界の頃合かと思う。話している者たちにとってはどうでもよさそうな雑談だが、マイヤを苛つかせる効果はあったようだ。
「ああ、まあ、別にそういうわけじゃないよ。でも、君と一緒に来た人が何も訊かないし」
 何かを訊くために来たのだろうと、ミリーの顔を見る。細雪とプラチナムを見なかったのは、彼らがただの付き添いであることがわかっていたからだろう。
「すまぬ、わしじゃな。じゃが、おぬしの期待しているような問いではないかもしれぬがのぅ」
 ミリーはここに来てようやく、挨拶以外のことを言った。
「別に構わないよ。君が気にすることじゃないさ……さて、何を訊きに来たんだい?」
「アルメイスに来た、おぬしの目的をじゃな」
 ミリーの問いは端的だった。
「ずばりきたね。まあ、約束通り答えるよ」
「ふむ、できればわかりやすく頼むの」
「努力しよう」
 それは予想の範囲の問いだったのか、答えるサウルに躊躇はないようだった。
「僕がアルメイスに来たのは、ルーがアルメイスをはじめとする施設と人員を利用して、帝国に対して反逆を目論んでいる……という情報を確かめるためにだよ」
 あっさりと言われたが、大事である。ミリーは続けて問いかけた。
「情報源はどこなのじゃ?」
「ごめん、それは秘密だ。さすがに、情報をくれた人を危険にさらすわけにはいかない」
 それに、マイヤは顔を顰める。それはそうだろう、マイヤが聞くことで、情報ソースの口を封じられることを危惧していると言っているのだから。
「ご心配なさらずとも、そんなことは起こりません。……そもそも、そんな話あるわけがないでしょう。アルメイスのどこを見れば、そんな計画があると思えるのです」
 失礼な、と、不機嫌そうにマイヤはサウルを睨み付けた。それにも、サウルは几帳面に答え始める。
「一年ほど調べさせてもらったけど……研究者側では、ちゃんと知らされている者はいないということはわかったよ。だが、現場にいれば察する者はいる。ある意味、わかりやすくはあるだろう。フューリアの能力開発は、副作用の強い物は一切停止している。しかしエリアのフューリア化能力開発はやめなかったね。やめないどころか、エリアへの実験数は抑えながらも、強く推進する方向は変わっていなかった」
 サウルは、淡々と語る。その中には、極秘であろうことまでも含まれていたが……それを驚いてみせる者は、この場にはいなかった。それが、ある意味サウルの言葉を裏付けている。
 察する者はいるのだ、と。
「実験数が減っていたから、数字上の見た目はルーが責任者になってから、全体的に緩やかな方向に見えていたが……実際には、エリアの志願者を使っての能力開発への力の入れかたは変わっていなかった。前より副作用が出ないように多少加減しているというだけだ。志願者の調達はスラム地区の出身者を通じて、その住人が中心になっていたようだから、実際の被験者の数は報告以上だった可能性もあるが……」
「違います!」
 そこでマイヤは、強く否定した。
「非人道的なことを望む方では……ありません」
「そのようだね。そういう証言も多かった。でも、それでいながらフューリア化……エイリア実験だけは、しつこく続けていた。それは何故だろう?」
 それは、答に行き着いている者の語りかただった。そして結論は、マイヤの返事を待つことはなかった。
「被験者数は減り、入れ替わりは多くない。被験者に一度なってやめた者は少なかったので、調べるのにてこずったけれど……被験者の男がね、エイリアになれれば貴族を倒せるのに、と言っていた。フューリアの力を得て、自らが貴族になりたい者もいたが……どちらかと言えば、エリアがフューリアになれれば、今のような貴族とスラムの住人のような差がなくなると思っている者が最も多かった」
 そんなに簡単なことではないだろうに、という声を落とした呟きは、サウルの個人的な感想だったようだ。声を戻して、続ける。
「被験者を募るときに、そう言って探しているんだね。貴族と平民……フューリアとエリアの差がなくなることは、今の体制ではありえない。帝国の頂点に立つフューリアの支配階級層は、エリアという被支配階級があって成り立つんだからね。それでもそれを望むのなら……」
 支配階級層の撤廃、あるいは大きな変換が必要となる。それは、今の帝国にとって反逆以外のなにものでもないだろう。
 そんなことを匂わすだけで、反逆を疑われても仕方のないことだ。貧民に力を与え、蜂起を促していると思われても仕方がない。
「……私は被験者を募集する任に就いたことはありませんので、わかりませんが。人を集める方便ではありませんか?」
 たとえ知っていたとしても、マイヤは認めはしないだろう。それは、この場の誰にもわかった。まさにこれは、シラを切りとおすしかないことだ。
「……かもしれない。さ、僕の話はここまでだ。まだ聞きたいことはあるかい?」
 視線はミリーに戻り、サウルはなにごともなかったかのように、また訊ねた。
「うむ。まだ話が途中のように思えるのじゃが。それで、お終いかの」
「続きがあると?」
 ミリーは頷く。
「わしが聞いたのは、おぬしの目的じゃ。それで、そうだったとき、どうするつもりなのじゃ?」
「それは……」
 わずかに、サウルは微笑んだ。それは、どこか自虐的にも見えた。
「そのときには、僕は僕の仕事を果たすだろう。僕には従う者の血が流れ、その気質を強く持っている。マイヤー、君がルーに従うように、僕の主はこの国で、この国に住む者だ。傷つかなくていい者も傷つくような……国内の混乱を防ぐことも、僕の仕事だ」
 マイヤは硬い表情で、それを聞いていた。
「まあ、父上や兄上たちのためにとは言わないけどね。皇族に生まれながら、能力の低かった僕だ。仮に刺し違えることになっても……それが開祖の再来とまで言われた妹となら、僕は本望だよ」

 その後、マイヤは程なくサウルの屋敷を辞した。その退席する直前に、アベルがふと思い出したかのように、サウルとマイヤの両方に訊ねたことがある。
「そう言えば、古の姫が目覚めつつあるようですが、手をうちますか?」
 その答えは、奇しくもどちらも同じだった。
「それが必要になるのならば」
 何を意味するかは、二人とも同じように察したようだ。
 どこか曖昧な答えなのは、何が最も被害の少ない方法であるかが、彼らにも見えていないからかもしれなかった。
 帰り道に、プラチナムが先日からの破壊活動について巡回班を組織することをマイヤに囁いた。
「……その、いくら学園長のクロンドルが強力でも、レアンやレディ相手では単独行動は危険だと思います。いざというときの大義名分として、組織は整えておくべきかと」
 迷いながらもマイヤは、既に準備を始めているというプラチナムに許可を出した。


■救える命のために■
 巡回班が組織されるよりも前に、有志での行動は行われていた。まずは街の一角が吹き飛んでしまったときに、いち早くその救出活動に集った者。“風天の”サックマンや“憂鬱な策士”フィリップなどだ。
 フィリップは破壊された跡に対して過去見を行い、その爆風がどちらからどちらに向かったかを調べ、どの建物がどのように崩れたかを見た。そのおかげでか、外辺部からは、サックマンとそのリエラ、リュンによってぎりぎりで下敷きになった者が救出される一幕もあった。
 “鍛冶職人”サワノバも、現場調査に協力していた。被害が少なければいいと思っていたが……その淡い期待は裏切られた。サワノバはそれからフランのところへも顔を出すつもりだったが、もたらせるのは悪い知らせになりそうだった。
 フィリップのパートナーであるセシルの過去見は植物に依存しているので、爆心地と思われる場所近辺の様子はわからなかった。瓦礫の中から植物の欠片を拾って見てみたりもしたが、正確にその場所を引き当てることは難しいようだった。
「原因がわからなければ、繰り返されてしまうのに」
 フィリップの苛立ちは募ったが、それはいたしかたないことでもある。
 そして、その様子を窺っている者もいた。同じくそこに過去見をしに来た者……“泡沫の夢”マーティと“銀晶”ランドだ。何故様子を窺っているかと言えば、フィリップに一度追い返されたからだった。フィリップはここは任せろと言って譲らなかったが、フィリップとマーティの過去見では決定的に違うところがある。フィリップのほうは本人に見えるだけだが、マーティの過去見は他人にも見えるのだ。この場合、より確実な過去の情報をより欲していたのはランドだったので、マーティにさせなければ意味がない。ましてや、フィリップにはランドの求めていた過去の様子は捉えていないようだったので。
 なので、彼らはフィリップがいなくなる隙を窺っていたのである。もちろん夜明けから次の夜明けまで、フィリップもそこにいるわけではなかったので……少し遅くなりはしたが、マーティにも過去見のチャンスは巡ってきた。
「いくわよ」
 その隙を逃がさぬように、マーティとランドは爆心地と目していた場所に走り寄った。マーティは急いで交信を上げ、スパイラルパストを呼び出す。
「ここが崩れたとき、何があったの? 誰がいたの? 見せてちょうだい……!」
 揺らめく姿は、少しだけここと違う世界を写しているのか。見覚えのある金の髪の少女と、銀の鷹。そして、同じように揺らめくのはレアン・クルセアード。その距離は近かった。だが過去見がその『瞬間』を映し出した途端、急にスパイラルパストは交信を途絶えた。マーティ自身も、崩れ落ちる。
「どうしたんだ?」
「え……何があったの?」
 マーティは目を開けると、きょとんとしていた。
「それは俺が聞きたい。今、お前は倒れたんだ。また忘れてるのか?」
「ええと……そうかもしれないわね。何を見ていたの?」
 この爆心地の様子だと、ランドは説明する。マーティはきょろきょろと辺りを見回した。
「どうして?」
「どうしてって、そこも忘れたのか!」
 ランドはそう言いながら、言い知れぬ不安が湧き上がってきていた。マーティが過去見の代償に肝心なことを忘れるのは日常茶飯事なことだが、ここまで選んだように関わる記憶をリエラに喰われたのは初めて見たからだ。しかも、リエラは意図せぬ中断のような形で消えている。
「マーティ……何も覚えてないか?」
「喰われちゃったものは、思い出せないわよ。でも……」
 マーティは考えこむ。
「フランちゃんの声が聞こえた気がしたわ。覗き見は良くないとかなんとか」
「なんだって?」
 マーティの過去見で、音は聞こえないはずだった。実際に、ランドにはそんな声は聞こえていない。ならばそれは、どこから聞こえたのか……
「何が起こったんだ……?」
 そして、スパイラルパストに何が起こったのか。まだ、その真実はランドたちにはわからなかった。
 ただ少なくとも、わかったことはこの場所の破壊にフランが関わっていたこと。何があったのだとしても、ここから行くべき場所は一つしかなかった。

 巡回班が組織されると、それまで自発的に動いていた者たちもそこに集ってきた。“闇の輝星”ジーク、“静なる護り手”リュート、“黒い学生”ガッツなどだ。少し目的は違っていたが、“CreepingThing”宮凪なども。
 ジークはその前に、カレンを誘いに行っていた。カレンはかなり長いこと迷ってから、ジークに付き合うことにしたようだ。
「もしかしたら、途中で付き合えなくなるかもしれないけど……」
 そういう条件付で。
「忙しいのか?」
「忙しいってわけじゃないのよ。ただ……心配なだけ」
 もうジークは知っているのだから、隠す必要はないということだろう。心配している相手は、当然ながら自分の主のランカークだ。“貧乏学生”エンゲルスがランカークにくっついて歩いて、なにくれと面倒を見てくれているので、最近は必要最低限以外放置しているとも言ったが。仕事を取られて微妙な気分なのかと思ったら、それはそれで面倒がなくていいとも言う。カレンは主に対して絶対服従の姿勢であると同時に、非常に淡白である。
「媚びるだけじゃなくて、彼、細かいところも面倒見てくれるからいいんだけど……」
 心配なのだ、と言う。
 巡回班に入った後は、決められた時間に危険そうな場所を巡回するわけだが、それ以外の時間にもジークとカレンは余裕があれば各所を回っていた。一人で巡るのは危険であるとして、複数で回るようにまとめ役のプラチナムからは言われていたので、当番の際にはカレンとジークに回復治療のできるリュートを加えて回ることも多かった。だから……少し込み入った雑談をしたいと思ったら、二人きりの時にとなる。ただ立ち話をするくらいなら、自発的に巡回でもしたほうがということだった。その辺りは二人とも無駄を嫌う傾向にあったので。
 雑談をするついでに巡回をするか、巡回をするついでに雑談をするかは、こだわることでもないだろう。カレンが心配だという話も気になったが、根掘り葉掘り聞き出すのもとジークは適当に自分の考えを話していた。流れが向くなら、聞くこともあるだろうと。
「この騒動の真実が知りたいというのは興味本位に過ぎないからな……俺は、レアンの元に辿り着く資格はないのかもしれないな。リエラの力よりは、人の力の可能性を信じている……真のフューリアとは正反対を向いているから」
 以前と今と状況は変わったが、けして良い変化ではない。しかし共通する部分は『レアン』というところで、ジークもカレンもレアンに関わる話からわかるその思想には、あまり共鳴できなかった。
「私は生まれ付いてのものがあるけど……あなたは、その気になれば、それなりの力を得られると思うわよ」
「その気になれんから、多分無理だな。考えを曲げてまで『会える資格』が欲しいわけでもない」
「資格がなければ絶対出会えないなら、心配はないんだけど……」
 ふう、とカレンは溜息をつく。そして心配の話に、話題は巡ってきた。
「何が心配なんだ?」
「ランカーク様が色々知ったとき、馬鹿なことを考えなければいいと思って」
 歩きながら、カレンはぼそっと呟いた。カレンの口から、ランカークを主として呼ぶところを聞いたのは、ジークも初めてのことだろうか。
「馬鹿なことって?」
 想像できるようなできないような、そんな気分でさらに問う。
「馬鹿なことよ。よくわからないまま、危険な人に変なことを言ったりとか、喧嘩を売ったりとか……自分より偉い人を嗅ぎ分けるのは得意だし媚びるから、鬱陶しがられなければ、その場は大丈夫だとは思うんだけど」
 自分の主を酷い言い様ではあるが、ジークにも適切な表現ではあるような気はした。問題は、危険な人とは誰か、であろうか。
「……危険人物に心当たりでも?」
「前に噂にもなったし、今回は彼女自身も動いているものね。あなたも見当くらいはついているでしょ? 少しは調べたわ。ろくなことはわからなかったけど……問題はあれね、お姫様に媚びて離れ時を見誤って、まとめて排除されると困るわ。うちの馬鹿殿くらい、どこぞの皇子様は遠慮なく切ってくれるでしょうし」
 すべて代名詞だったが、ジークにも楽々意味は通じた。
「切り捨てられるか。そうかもしれんが……あの皇子は姫を切り捨てるかな」
「わからないわ。でも切り捨てられるなら、切り捨てそうな人よ。それが出来て、それが必要ならするでしょう。出来ないなら、別の方法を考えるでしょうけど。馴れ合うほうが現実的なら、そうするでしょうし。あれはひどいリアリストよ、情よりも実を取るタイプ」
「よく理解してるな」
 カレンがいつになく饒舌なことに、ジークは少し複雑な気分になった。主の関わることであるからでは、あるのだろうが。最初から心配していると言っていたのだから、ここまでしばらくはずっと考えていたことなのだろう。
「一年観察してたし、嫌になるほど自分と似てたから、わからなかったら馬鹿みたいだわ。……最後までわからなかったのは、何を主と仰いでいるかだったわね。何のために行動しているのかが……まあ、結局は皇子様だったってことだと思うわ。国のためとか国民のためとか法に則ってとか、大義名分ぽいことが基準なの。それが性格や気質とあんまり噛み合わないから、そう判断するまで時間はかかったけど。ランカーク様はああいう人だから、どんな人に付くかは重要なのよ。出世しなくてもいいから、危なくない人を仰いで欲しいのよ……と」
 ここで、カレンも自分が饒舌過ぎたことに気づいたようだった。
「一人で喋りすぎね」
「まあ、気にすることはないさ。心配だとは前から言っていたしな」
「……気が重いわ。社会的な工作では絶対敵わないし、あの皇子様と正面からぶつかったら勝てないかもしれないし……不意を打つにしても」
 ぼそぼそと続いたカレンの言葉に、ジークは少し驚いてカレンの顔を見た。かなり危ない意味にも取れるが、本気かどうかはわからなかった。

 巡回班の存在を知るより前から宮凪は、自力でその破壊の犯人の姿を求めて聞き込みをしていたが、正攻法では、それと言える者を定めることはできなかった。ただ、その中でいつしか違う形で噂を聞くことはできた。
 この破壊にはフランが関わっているらしい……と。かつて流れた噂の再燃なのだろう。宮凪の聞いた噂には、宮凪が探していたような根拠はなかった。少なくとも宮凪に聞こえた範囲では。そう思って行動している者も、いるようだった。不愉快ではあったけれど、根拠がないまま判断するのは躊躇われた。宮凪は、怪しい者を尾行して調べるつもりだったけれど……
 フランの周りには、監視を宣言している者も含めて多くの者がいた。この中をぬってフランが行動しているとしたら、宮凪の尾行だって擦り抜けていくだろうと思われた。
 監視を宣言してフランの前に立ったのは、誰あろうランドである。怪しい終わり方はしたが、最低限必要なものはマーティの過去見で確認はできた。
 あの現場に、フランがいたということをだ。
 もちろんランドがフランの元に行く前から、フランの周りには人が大勢いた。それはかつてフランが暴走リエラとの関係を疑われたときを、まさに彷彿とさせる光景だった。かつてはそれをきっかけに、フランは人との接触を拒むようになったが。あの時と何か違っていることがあるとしたら……それは、フランが諦めていることかもしれない。
 かつて信じてもらえないことに酷く傷ついた彼女も、今はもう他人が自分を信じないのも当然のことという境地に至っている。
 だが、そんなフランを囲む者のすべてが、厳しい目でフランを見ていたわけではない。
 “七彩の奏咒”ルカは、日々フランの好物を用意して、ただフランのそばにいた。好きなものを食べて、少しでも元気になってくれればと思って。
「おいおい、栄養のバランスも考えろよ! 好きなものもいいが、健康に気を使わなきゃいけねえぜ」
 そしてその度に、“自称天才”ルビィとぶつかっていた。ルビィも日々フランのために栄養価の高い弁当を、自ら作って運んでくるのだ。
「フランさんは、これが好きなんです! 好きなものを食べたほうが元気が出ますよ」
「いいや、健康はバランスのいい食事からだ! この俺様の手料理は完璧だぜ!」
 そうなると、見るからにフランはおろおろと困っている。そして二人の喧嘩を仲裁すると、いつもフランは出されたものを残さず綺麗に食べた。自分のために作られたものを、拒絶するようなことはしなかった。
 そんなときのフランは、自らの余命を悟った老人のように見える。残り少ない時間を大切にするかように、静かで穏やかだった。
「……邪魔なら、言ってくださいね」
 食べるフランを見ながら、時折ルカが言う。
「ルカちゃん……ありがとうございます。でも、私のそばにはいないほうがいいですからね……」
 それがルカのためだからと、フランは言う。
 嫌われているわけではないのだと、それはルカにもわかる。邪魔だと言われればどこかに行けるかもしれないが、こんな風ではどこへも行けない。
 それはルビィも“紫紺の騎士”エグザスも同様だった。
 エグザスにしてもただそばにいて、フランの体を労わるしかない。
「ささ、こちらです、ランカーク様!」
 他にも、大きな花束を抱えたランカークが、毎日ではなかったが二日と置かずにフランに会いに図書館までやってきた。露払いはエンゲルスである。一緒に持ってくるプレゼントは、毎回違う食べやすそうなお菓子だ。
 頭の良くないことは時に幸いなことで、ランカークは事情をまったく理解していないので、本当にまたフランは具合が悪いのだと思っているだけだ。フランを元気づけるためにと、エンゲルスにそそのかされてやってきているだけだった。そそのかされてと言っても、わかっていないだけに純粋である。
「度々、ありがとうございます……あの、でも」
 だから、フランも拒みきれない。数日に一度は、それで花束に埋もれて帰ることになっていた。しかし、拒めないのはその善意だけで。
「フランさん、何か悩んでおられるならばランカーク様が、微力ながら俺もお力になりましょう。遠慮なくなんでも言ってください」
 ついでにエンゲルスはそう言うのだが、それにはフランは困ったような微笑を浮かべるだけだ。
 フランはランカークにはやっぱり何も言わなかったし、周囲も知らぬ者にまで知らせる気はない。ランカークがいる間は、かえってフランの周りは穏やかだった。
 エンゲルスはフランの相手にランカークを据えると、自分は調べものに行っていた。
 それは帝国の成立前後の書物に絞って、フューリアの始祖と呼ばれる人物のことを。正確には、始祖が狂って民衆の虐殺を行い倒された時からが暗黒時代の幕開けであり、帝国の成立期とは暗黒時代の終焉である。この間には、かなり長い時間がある。その始祖の倒されたくだりと、帝国成立期のその血を引くというエルメェス家について……エンゲルスが望むものに行き着くまでには、ずいぶんとかかりそうではあった。
 よく“陽気な隠者”ラザルスと机を並べて、エンゲルスは本をめくっていた。ラザルスはずっと図書館にいたわけではなかったが、エンゲルスとはよくかち合った。調べているものが、どこか似通っているせいだ。
 ラザルスは、以前にはラウラ・ア・イスファルの噂を流したサウルの関係者である男を調べていたが、それからは手を引いた。その後は、エグザスに頼まれてエルメェス家の調査を行っていた。こちらが調べていたのは心病みが出る間隔や、その後、正気に戻った者について。
 だが、心病みのことをエルメェス家が正しく記録に残すはずもない。密かに帝室や古い家柄の貴族たちの間では周知のことであったとしても、それを書き残すことは……事情を知っていれば禁忌なことだ。残っていたとしたら、深く事情を知らぬ者の無責任な記録だ。もちろんいくらかはあったけれども、前にも見つかっている程度のものしかラザルスは見つけ出せず、そこから知りたいことが得られたとは言えなかった。
 ただ……もしも、四大リエラの主たちの反逆の記録を調べていたアトリーズと、その得られたものを突き合わせることができたならば、違うものも見えたかもしれない。
 それは、四大リエラの主のうちの一人、ないし二人が反逆者として扱われた時代に、特にエルメェス家の心病みは集中しているのだと見えただろうからである。
 エンゲルスのほうは調べていく中で、「奔放なる者」……当時の言葉で「パティア」と呼ばれた始祖の話を、帝国成立期の記録からいくらかは集めていくことができた。だが、それが何かの役に立つかどうかは、まだわからない。
 始祖は一族共々滅ぼされたと、多くの記録には残っている。だからそれが一般的な者の、一般的な認識だ。そしてそれに四大リエラが深く関わっていそうであることくらいは、苦もなく拾い出せる。
 そこまでなら普通の話だ。だが、そうではない説もあることにも、注意深く探っていたエンゲルスはぶつかることができた。
 深き真に近づいた始祖の一族の長は、無限無謬とも言える理さえも書き換える力を手に入れた。そして深き真に近づきすぎたために、奔放なる者に変貌した。根源たる理さえも捻じ曲げる力の前に、世界の価値は軽くなってしまった。すべてを破壊してもすべてを創り直せる力の前に、畏れるべきものはなくなってしまった。
 しかし長はその奔放さゆえに、他のリエラとは起源を異にする四つの原始の理の化身によって、世界の理を守るために力を押さえ込まれたとある。力を押さえ込まれた後は、始祖の長は肉体の器を失い、深き血の床に捕らえられて眠りについたとあった。
 倒されたとも読めるが、そうでないとも読める。普通に倒されたというのとは、微妙に異なる表現だ。
 深き血の床とは流れた血ではなく、エルメェスの血筋のことではないかとエンゲルスは感じた。
 そして長が眠りから目覚めることについて、その本では、こう触れていた。
『深き血の贄が役目を忘れる時、深き血の贄が世界の理から外れる時、そして原始の理が争い狂う時、眠れる者は目覚めるだろう。眠れる者をこの世界に導く者は、その半身である銀の従者である。従者は眠れる者の目であり、眠れる者の耳であり、従者の作る道に眠れる者は導かれる。従者もまた、深き淵に近づきて力を得た者。もしも原始の理が歪み、眠りを妨げてしまったならば、銀の従者の理を曲げよ。従者はほどなく世界に帰還しようとも、再び眠れる者の道が整うまでには時を要する。その間に、世界を整えるがよい』
 エンゲルスは首を傾げた。難しい言葉で書いてあるわけではなかったが。
「世界を整える……?」
 そしてもうひとつ。
「四大リエラは起源が異なる? これを書いた人は、リエラの起源がわかっていたのかな……?」
 それについてはエンゲルスには、それ以上の記述は見つけられなかったが。


■進むべき道■
「エリス」
 “銀の飛跡”シルフィスは兄のところを回った後、エリスの姿を探した。シルフィスもまた、エリスと同じようにレアンを助けてくれとフランに請われたからだ。そのやつれ具合にさすがに驚いて、兄を蹴り倒しに……もとい、話に行くと、エグザスからも同じようにレアンを助けてやってくれと請われたのだ。それから、「銀の鳥を従える者に注意しろ」とも。
 何か知っている様子ではあるが、何をかはエグザスは語らなかった。どちらにしろ、レアンを助けたいとは思っていたが……
 シルフィスはアリーナに向かう途中で、戻ってくるエリスたちを見つけた。“ぐうたら”ナギリエッタと一緒にいるのは予想通りだったが、気が付けば“黒き疾風の”ウォルガもエリスと行動を共にしているようだった。
 実際にはウォルガがエリスと合流したのは、シルフィスが追いつく少し前だ。ウォルガもフランの願いに応えようと、エリスに協力を申し出たのだ。
 だが、シルフィスもウォルガも危惧していたことは、まずはエリスにその気があるか否かである。だがそれはウォルガがエリスの前に立った時点で、すでに決着がついていた。
 ナギリエッタもまた、エリスに同じことを望んだからだ。その際の会話は、当の二人しか知らぬことではあるが……

「ナギリエッタは、レアンを助けたいのね?」
 ナギリエッタの願いを、わざわざエリスは反復した。エリスはフランが望んだことの真意を理解していたし、何が起こっているかを正確にではなくとも察していた。彼女自身も四大リエラの主であり、かつてもう一人のフランと対峙したこともあるならば、それは難しい想像ではなかっただろう。
「レアンもだけど……レアンを狙う者も、だょ。もちろん、エリスだって!」
 欲張るナギリエッタに、エリスは微かに微笑みを浮かべた。幼子を見つめるような、慈愛の表情にそれは近かった。
「……ナギリエッタ、でも、全員は選べないかもしれないわ。フランはそのつもりで私に頼んだのだと思うわ……私なら、迷わず彼女を殺せると思って」
 だがその表情を引き締めて、エリスは残酷な見解を告げる。ナギリエッタはびくりと震えた。レアンを狙い、レアンと戦って、街に被害を出している者がフランの影のような存在であろうとはナギリエッタも察していたが。フランの覚悟までは、察しきれていなかった。
「そのとき、あなたは誰を選ぶ?」
「エリスだょ。ボクが一番大切なのはエリス。次は……誰を選ぶべきなのかな……」
「考えておいて、ナギリエッタ。私は……あなたや、私に願いをくれた人の願う未来を選びたい」
 エリスはポケットから、お守りをひとつ取り出した。それは“拙き風使い”風見来生が、寮を出る前にエリスに握らせたもの。皆と暮らす寮が、今はエリスの家だから……そこに無事に帰ってこれるように、と。
 帰ることを約束したから、エリスに死ぬつもりはない。後は、何を選ぶべきかが重要なことだった。
「それで、古い約束を破ることになっても」
「古い約束?」
「私がここに来るときにした約束。この国を変えることに、協力する約束……」
「レアンと?」
「いいえ、違うわ。その人はレアンとは昔、決裂して……今もそのまま。二人とも弱い者が強くなることは嫌ではないはずだし……弱い者を守りたいのは同じでしょうに……最良とするものが、少し噛み合わなかったのね。レアンには、帝国の中枢の者というだけで信じられなかったのかもしれないけど」
 自らの手で守るべき者という気持ちがより強いか、共に立とうという気持ちがより強いか、そこが分かれ目であったようだ。今のままではいけないという気持ちは、共通であったのに。
「願いが……すべてが、少しずつずれているのね。誰かが妥協しなくては、ぶつかり合うしかない。誰かが妥協するか……誰も妥協できないなら、誰かを排除するしかない」
「エリス!」
「フランとは、別の話よ。でも切り離せない話……」
 誰を選び、誰を守るのか。
 他の者たちにも、きっと守りたい者がいる。
 多くに選ばれ、守りきられた者には未来が与えられる。一方で選ばれなかった者は……そこで終わるのだ。
 全員が選ばれる道は難しい。その難しい道に挑む者もいるだろうが、それはAll or Nothingの、すべてを失うかもしれぬきわどい選択。
「考えておいて、ナギリエッタ」
 今は、レアンを。そして叶うならば、その襲撃者も。しかし極限においては、どちらを選ぶのか……

 それからウォルガが来て、レアンを助けたいかとの問いに、エリスは迷わずうなずいた。ナギリエッタとの問答で、そこまでは決まっていた。
「そうか。なら、できる限りの手助けはしたい。あと……できる限り、被害を減らしたい」
 アリーナや街の破壊がレアンが現れて戦っている痕跡ならば、その出現を可能な限り被害の少ない場所へと誘導したいとウォルガは考えていた。エリスもそれに同意する。
「だとしたら、このアルメイスの中に、その場所はアリーナしかないと思う」
 結界に守られた、リエラでも戦闘可能な広い場所。どうやってそこにレアンを誘導するかが問題ではあったが、選べる場所は一つしかないのだ。できないではすまされない。
「これから、マイヤのところに行って模擬戦終了後にアリーナを使う許可をもらおう。それから……ラジェッタのところに行ってみるか」
 ラジェッタのところにいる者たちならば、レアンと会うことができる方法がわかるかもしれないと。
 エリスにもナギリエッタにも、反論はなかった。しようもないところだ。ウォルガが合流して話は一気に具体性を帯びてきて……
 その後だった。シルフィスが彼らを見つけたのは。マイヤのところに行き、アリーナに行って書類上の手続きをし、それからラジェッタを探すために学園へ戻るところだった。
「アリーナでね……確かにそれが無難ね。とにかく、話が早くて助かったわ。私も、できる限りのことはするわ。いざというときには、私もめるちゃんの『麗しの水月』で……」
 そのとき、エリスは、はっと顔を上げた。
「リエラを出すのは……」
 リエラで防御しようと思っていたウォルガも、エリスを振り返る。
「あなたたちのリエラは自存ね。なら仕方がないし……大丈夫だとは思うけれど。できれば交信は上げないほうがいいと思うわ。ナギリエッタは……わかってるわね」
 ナギリエッタはエリスの言葉にうなずいた。
「わかってるょ。お姫様の前で、リエラは出さない。リエラを奪われて、操られちゃうかもしれないんだょね……」
「どういうこと、それ」
 シルフィスが眉を顰めて、問いただす。
「あの、レアンを狙ってる人は……他の人のリエラと交信して、コントロールを奪えるんだょ」
 詰め寄られたナギリエッタは、躊躇いがちに答える。
「なんだって……?」
 考えてもみなかったことに、ウォルガとシルフィスは眩暈を感じた。
「本当なの? それは。じゃあレアンは、どうしてるの」
「四大リエラは……パートナー以外の人の交信には絶対に応えない。応えないことで、彼女から身を守っているの」
「それって、そういう意味だったの?」
「いや、それよりも、すべてのリエラを操れるのか? 一度に何体も?」
「わからないわ。人の体だから、疲労はするはずだもの。上限はあると思うけど……いったいどれだけを操れるのか。二体までか、十体までか」
 エリスの言葉に、シルフィスもウォルガも息を呑む。
「どうしたらいいんだ……? それで、本当にレアンを守れるのか?」
 搾り出すように、ウォルガは言った。
「一番簡単な方法は、レアンが力尽きるよりも前に憑代を殺すことだと思うわ。別に、その場にレアンがいなくたって構わないでしょう。多分、不意を打てばいいの」
「エリス!」
 悲鳴のような声で、ナギリエッタが叫ぶ。
「殺して、終わるのか?」
「確率は半々らしいわ。次に宿った体が、既にリエラを扱える年齢に達していたら、負け。あるいは、繰り返し。でも、相手は旧王家という特定の血筋にしか現れないそうよ」
「……詳しいのね」
 ウォルガもシルフィスも、エリスを見つめる。
「私なら彼女に手を下せると思った人は、彼女自身だけじゃなかったのよ……その人が教えてくれたの。それだけのことよ」
 それは、古い約束の相手。世界を変える約束を果たす中に、それは含まれているのかもしれない。
「エリス……」
 しかしエリスはこうも言ったことを、ナギリエッタは知っている。約束を破ることになっても……と。
「でも、それは最後に回してもいいわ。他の方法を探しましょう」

 それから、言葉少ないままに四人はラジェッタのところへと向かった。あちらもうろついているので、見つけ出すまでに時間はかかったが……
 ちょうど、“飄然たる”ロイドがラジェッタとエイムにレアンを呼び出す方法を持ちかけていたところだった。送還の儀式である高天の儀の失敗を装って、レアンを召還しようというのだ。そしてその周りには、心配そうなルオーやスルーティアたちがいた。多くに知られたいことではなかったが、知った者とは口裏を合わせておけばいい。
 だがラジェッタの周りにいた者たちは、誰もが揃って不安気な面持ちでいた。ロイドにはその理由はわからなかったが……それは連理の予知が当たろうとしていることに、ラジェッタの周りの者たちは気づいていたからだった。
「その儀式、どこでやるんですか?」
 コルネリアが訊ねる。
「まだ決まっていないが……」
 そうロイドが答えたところで、後ろからウォルガが言った。
「やるなら、模擬戦の後のアリーナにしてくれないか。使用許可自体は、もう取り付けてあるから」
 ロイドはその声に微かに緊張して振り返り、そしてエリスの姿を認めて、息をついた。
「ちょうど良かった。エリス、君にも協力をお願いしたい。少し強引ですが、レアンを召還する際に空間を裂いて彼が戻る道を作ってもらいたいんです」
「……アリーナでいいのね?」
 場所は決めていなかったので、それが条件ならばとロイドも妥協する。
 そのやり取りを、複雑な表情でセラたちは見つめる。
 夜のアリーナで、高天の儀を模したもの。そこで、きっとラジェッタはレアンに会える。ラジェッタが行けば、予言は成就する。
 だが、それはどこか不吉な予言でもあった。
「おとうさん、おにいちゃん、おねえちゃん」
「……ラジェちゃん、行く?」
 スルーティアは見上げてきたラジェッタの前にしゃがみこんだ。
「うん」
 ラジェッタはうなずく。予言はラジェッタにとって、まだ理解しにくいものなのだろう。
「……そっか、ほな、お兄ちゃんが絶対ラジェッタちゃんを守ったるからな。安心しぃ」
 ルオーが、ラジェッタの頭を撫でた。
 後にこの二人もまた……このときに、どうしてもとラジェッタを止めなかったことを後悔することとなったが。
 もしもこのとき彼らがすべてを知っていたなら、世界はどのように変わっていっただろうか……


 クレアは日々、街やアリーナを巡っていた。もちろんルーも一緒に、それについて回っている。昼夜を分かたずというほどではなく、常識的な範囲でであるが。
 クレアと共に、またルーと共にという者も、やはり同じように街を巡っていた。“水の月を詠う者”セシアは、何故だかルーが一人かもと思ってルーのところに来たが、それは見当違いだった。多少の入れ替わりはあっても、以前と変わらぬ数がルーの周囲にはいる。その多くは“笑う道化”ラックや“抗う者”アルスキール、“怠惰な隠士”ジェダイトなど、クレアを慕って集っていた者たちだったが、一緒にいることに変わりはない。ルーを邪魔だと言う者はいないのだから。かなりの大所帯だ。
 ましてや、当然のように“天津風”リーヴァもルーの隣にいた。ルーが喜んでいるかどうかはさておくとして、セシアはリーヴァと比べたなら新参者もいいところだ。リーヴァはそこにいる者たちにとって、既に一緒にいるのがごく自然な顔である。ルーが嫌がっていそうに見えても、セシアにリーヴァをそこから追い払うのは無理なことだった。リーヴァがいつものリーヴァだったなら、無理にそんなことをしようとすれば逆にセシアが追い払われたかもしれない。
 さて、その『いつも』ではないリーヴァは、その頭に春が来たと噂されるほどに最近は様子がおかしい。ルーにあれやこれや話しかけているところは同じなのだが、クレアと話している者に断片的に聞こえることが……
「二人だけの秘密……ああ、何かいい感じだね……」
 とか。
「好きなものは好きだから、しょうがないのだよ」
 などと、今までよりも一歩踏み込んだ……と言うよりは、一本ネジの吹き飛んだ台詞だったりするからだ。
 いつも近くにいる者たちは、それを相手構わず言いふらすようなことはしなかったが、一足早く春が来たのかもしれないというぐらいの噂にはなっていた。
 そんな集団は他と比べて目的のない無軌道な行動にも見えたが、どこか言い知れぬ緊張感もあった。誰もが思い、誰もが考えている。そしてそれを切り出す機会を窺っていた。
 クレアに直接訊ねた者は、やはりクレアはラウラ・ア・イスファルを探しているのだと聞くこととなった。まだクレアがそれを探し続けることに、疑問を抱く者はいる。“緑の涼風”シーナが、やはりそうだった。
 だが、そんな疑問をはるかに超越して、クレアの意思が揺るぎないことも、彼女の周囲に集う多くの者は既に悟ってもいたのだが。
 そこに、“白衣の悪魔”カズヤが来た。
「クレア、まだ探してるのか?」
 きっかけを作るのは、バランスを崩す者だ。均整の取れた状況を破壊することで、変化は訪れる。カズヤはクレアに同行を申し出、ラウラ・ア・イスファルの噂の場所がレアンの幽霊の出現場所と重なっていることを指して、レアンの出現する場所、ひいてはレアンを調べてみようと提案した……そこで、リーヴァが眉を軽く吊り上げる。
「私は反対だが。レアンと遭うことは、危険だろう。ルー君も、クレア君が危険な目に遭うことは望むまい」
 どうこうと細かい話に移るより早く頭から反対を唱えられ、困ったところで、カズヤに意外にもラックから助け舟が出た。いや、助け舟とはちょっと違うか。
「クレアがレアンに会いたいんなら、会うのもええと思うで。せやけどそん時は遭遇やない、こっちから会いにいくんや」
 そのためにレアン自身を調べるような必要はない、とも言うので。結局、カズヤの案とはかなり違う。だが、正解はラックの言葉であったようだった。
「クレア、レアンと会いたいんとちゃう? せやから、まだラウラ・ア・イスファルを探しとんのとちゃう?」
 少し間があって、クレアはルーを見て……それから、クレアはうなずいた。
 ルーの表情に、緊張が走る。
「そういうことなのか。ラウラ・ア・イスファルなどはないと君は知っているだろうに、それでも探していた理由は」
 リーヴァも納得はしたようだったが、納得できることと賛成することは別のことだ。
「しかしね、やっぱり危険だろう」
 反対するリーヴァに、クレアは強く言い募った。
「私にとって、ラウラ・ア・イスファルの入口はその向こう側にあると思うんだ。これを越えなければ……私は本物のフューリアにはなれないと思う」
「それほどに『力』がほしいのかい? 今のままの君でも、こんなに慕われているのに。『力』を求めて、今のすべてを失ったとしても、君はそれで満足なのかね?」
 すべて、と言うところで、リーヴァはシーナとルーを見た。確実にクレアにとって特別だろうと思う、二人を。
「……失わないよ。失わない方法を探せばいいんだから」
 いつからクレアは、これほど頑固なまでに強い意志を持つようになったのだろうと、リーヴァは思う。
 その強い意志だけは、ジェダイトにもアルスキールにも疑うところはなかった。
「レアンのところへ行こう。クレアが望むなら、誰が反対しても絶対に俺が連れて行ってやる」
 リーヴァとクレアの間を割るように、ジェダイトが中に入った。クレアに譲れない何かがあることは、ジェダイトも察していたことだ。それが何なのか考えていたが……答が出たなら、どんなことにも協力しようとは決めていた。
「危険からは絶対に俺が守る。俺のこの身に換えても」
 ジェダイトの告白のような宣言に、リーヴァが反論を考えている間に、ラックが後ろからリーヴァの肩を叩いた。
「リーヴァ君、僕もレアンとは一度ちゃんと話しておかないといかんと思うで」
 リーヴァは辺りを見回した。どうやら、味方はいないらしい。強いて言うならルーだろうが、おそらく援護はないだろう。ここでクレアとその支持者たちを押し切れれば、ルーからの評価はぐんと上がるだろうが、残念ながら白旗を揚げる羽目になりそうだった。
「僕も、力になれるかどうかわかりませんが……クレアさんを見守っていますよ。……それで一つ、聞いてもいいですか」
 アルスキールもクレアの味方であると宣言し、リーヴァの旗色は更に悪くなる。情勢は変わらないだろうというところで、アルスキールがそこに割り込んで、気になっていたことを聞いた。
 今、クレアは『本物のフューリア』と言った。今までのことから、クレアが正規のフューリアでないことはアルスキールも考えてはいたが、これはやはり決定的だろうと。しかし、それには疑問が残っていて、それがアルスキールにはわからなかった。
「僕自身の考えも、ちゃんとまとまっていないのですが……クレアさんは正規のフューリアではないのですね? でも、フューリアとエリアの違いは交信できるかできないかだと思うんですが……クレアさんは交信できますよね? 交信できないからエリアと呼ばれるのであって、交信できたらエリアではありませんよね」
 ああ、やっぱり、まとまってない……と、アルスキールは首を振った。
 そのアルスキールの言葉を驚きの表情で聞いていた者もいたが、ほとんどは平静に受け止めていた。
「聞きたいことは、どうしてニムロードと交信ができたのかです。最初、どうやって?」
 アルスキールは外野には構わず、質問をまとめた。それが最終形のようだ。
「僕にはそもそも、『交信とは何なのか』がわかりません」
「私が昔いたところの先生は、交信っていうのは信じる心なんだって言ってた」
 クレアは、昔を思い出すように呟いた。そんな話は辛い過去ではないかと危惧する者もいたが、クレアの顔は不思議なほど穏やかだった。辛くなかったはずはなく、苦しくなかったはずも、おそらくはない。
 でも、それはクレアにとって必要な通過儀礼であったのだろう。そこを通ってしか、今のクレアは存在できない。それを、クレア自身が理解している。
「信じる……心?」
「フューリアは、生まれついてリエラの存在を信じられる『素質』がある者なんだって。エリアは、それが信じられないんだって」
 存在を信じられるか否か。それが二者を分ける境界にあるもの。
「エリアだって、リエラの存在を疑う者なんていないでしょう? 実際に目の前に現れるのに」
「私……なんとなくわかる気がするよ。信じられないのは、自分だけのリエラがいること。他の誰かでなく、自分に応えるリエラがいること。それがどんなリエラだか、エリアにはわからないんだ」
 記憶を巻き戻すように、クレアは目を瞑った。
「ニムロードが『見えた』とき、私がどこにいたのかは覚えてない。何をしてたのかも覚えてない。ただ、見えたんだ……あれが、リエラなんだ、と、初めて思った。アルスキールが聞きたいのは、そういうことじゃないかもしれないけど」
 自分に何を施されたのかは覚えていないと、クレアは言いたいようだった。
 ちゃんと比べて考えている者がいたなら、だんだんクレアは落ち着いてきていることに気がついただろうか。少しずつ、激しい喜怒哀楽が、穏やかになってきている。それでもまだ波はあるし、極端に上下に振れることもあるが。
「クレアさん」
 シーナが笑顔で言った。今の告白は、シーナにとって軽いショックがあった。シーナは少なくとも、クレアを、その存在を、疑ったことなどなかったのだから。
 クレアはまっすぐにシーナを見返した。少し、緊張した面持ちで。
「お願いがあるの。今みたいなときに言うことじゃ、ないかもしれないけど……」
「何?」
「わたしにとって、クレアさんは目標なの! だから、私と戦って!」
「……シーナ……」
 驚きの表情がクレアに浮かんだ。
「別に戦いが好きなわけじゃないけど……強くなりたいって思う気持ちは、わたしにもあるから。それに……クレアさんが手の届かないところに行っちゃうような気がするから……今のうちに、わたしと戦って」
 シーナは、ある意味覚悟しているのかもしれない。だから今、思い出を作ることを選んだ。それが今するべきことで、後に回すべきことではないと。
 そして、クレアの見開かれた瞳から涙が落ちる。
「クレアさん?」
 慌てたシーナに、涙を流しながらクレアは笑って見せた。
「いいよ! シーナ……ありがとね!」
 そして、シーナをぎゅっと抱きしめる。
「どこにも行かないよ。私はここにいる。ここにい続けるために、力がほしいんだもの。シーナ、ありがとう。シーナがいてくれたから、きっと私、強くなれた。シーナがいてくれたから……」
 クレアはシーナの肩を掴んで、ぐっと体を離す。そして、真剣な目でシーナを強く覗き込んだ。
「ずっとシーナと一緒にいたいから、私は本物のフューリアになりたい。シーナの隣にいて恥ずかしくないフューリアになりたい」
 自分に胸を張って生きていきたいと……
 ただ信じてくれる人が、ただ疑わないでいてくれる人が、そしてただ受け入れてくれる人がいるだけで、人は時に、とても強くなれる。隠し事を恥じ、強い人になろうと思える。きっとその人が、いてくれると思えば。
 今に至るところまでクレアを変えたのは、まさしくシーナだった。
 何も小細工などは要らない、そこにはただ想いだけがある。シーナはただそこにいただけで、クレアを変えたのだ。
 何も疑わぬこと。それは言葉で言うよりも、はるかに難しいこと……
「クレアさん……これからもずっと一緒にいられるよね」
「いるよ。私はここにいる」
 そして、シーナとクレアは笑顔を交わした。
「戦おう、シーナ」
「うん、クレアさん。アリーナに行こ。手を抜いたりしたら、絶交なんだからね!」
 約束を交わす二人を、周りは静かに見守っていた。
 一人唇を噛んで、そっぽを向いていたルーを除いて。そしてリーヴァだけが、その様子を横目で見ていた。


■運命の日■
 フランの周囲から、ほとんど人の姿が絶えることはなかった。フランが家に帰ったとしても、おそらく誰かがその戸口を見張っていただろう。だが、フランは家の中に入ると、夜はもうそこからは出てこない。
 家の中まで乗り込んで行って見張りたいという意向があったのはランドくらいだったが、それはエグザスやルビィによって阻止された。女性の寝室にまで踏み込もうというのかと。普通の感覚ならば、許容はされないことだろう。ランドが言う過去の光景が真実であろうと思っていても、それとこれとは話が別だ。
 なので夜は外で見張るしかなかったわけだが……フランは部屋から出てこなかったというわけだ。
 夜に何も起こらなかったかと言えば、そうでもない。しかし『その日』が来るまで、夜に彷徨う金髪の少女を見つけ出せた者はいなかった。ただ、突然に建物が崩れるような事件が起こり続けただけだ。少し変化があったとするならば、最初の時から比べてだんだん市街地からは離れていっているという点だろうか。
 しかし、それが次にどこで起こるか予測できた者はいなかった。衝撃のあった本当に直後に駆けつけることができたとしても、すべては終わった後の祭り。
 まあ、現場に居合わせた者がいなかったのは幸いなことだっただろう。その瞬間、その現場に居合わせたなら、その者は命を落としたであろうから。
 運命の日まで、長くはない日々が過ぎていった。
 見かけの上では変わらぬ日々が。

 その日も、フランのところを訪ねてくる者がいた。フランの前にはルビィの作った食事とルカの持ってきたお菓子が、今日も仲良く並んでいる。固定の顔ぶれは変わることなく、たとえ誰が望もうともフランと他の誰かを二人きりにするようなことはしなかった。ずっとそばにいた者は、今これから訪ねてくる者よりもフランのことを知っている。なら、立ち去る理由がどこにあるだろう。
 フラン自身も、自分のそばにいないほうがいいと言いながら、積極的に追い払うようなことはしない。監視を受け入れているのだとも思えたし、ずっと一緒にいてくれた者たちを巻き込むことを恐れながら縋っているようにも思えた。
 “六翼の”セラスがフランのところに行ったときには、フランの近くにはいつもの三人とサワノバが、少し離れたところにはランドとマーティがいた。誰も出て行くつもりはなさそうだったので、しかたなくセラスはフランの前に座ると、話し始めた。
「私、もう一人のフランと話したことあるんだよ」
 セラスの話にフランは驚いた。フランは知らないことだったからだ。
「いつ……」
「前にエイムさんが暴走してたとき」
 そこで、フランはうつむく。
「そうでしたか……」
「それでも別に、私はフランのこと怖いと思ったり、嫌いになったりしてないよ」
 フランはかすかに顔を上げ、少しほろ苦い微笑みを浮かべた。フランの中に強い二律背反があることに、気づいていた者はどれだけいたのだろうか。
「ちょっとキツい言いかたになるけど……親しい人がそのことを知って、自分を嫌いになるんじゃないかって心配をしているなら、その人を信頼してないことになるんじゃないかな……」
 セラスがそう言ったところでだった。フランの周りにいた三人が、いっせいに立ち上がった。
「お嬢さん、お帰りはあちらだぜ。フランはあんまり体調が良くないんだ。長話できなくて悪いな」
 にこやかにルビィはセラスを立たせ、その背中を押した。もうエグザスは、出口で扉を開けて待っている。
「フランさん、こっちのお菓子は如何ですか? もっと食べてくださいね」
 ルカはまるで何事もなかったかのような顔で、フランにお菓子を勧めていた。
「え、でも」
 戸惑うセラスをいいからいいからとルビィが部屋から押し出したところで、エグザスは扉を閉めようとした。今更フランが言いふらしたところで何になるだろう。必要な者とフランが近くにいることを許していた者はもう最低限のことは知っているはずで、これ以上はただ好奇の視線を集めるだけのことだ。それが繊細なフランを傷つけることは、想像に難くない。エグザスは、そんな事態は極力避けたかった。可能な限り、フランの心を守るためにも。
 しかしそこで、足を扉に挟んで閉まらなくした者がいる。扉を押し開けて、“蒼盾”エドウィンが入ってきた。
「面会謝絶ってわけじゃあないんだろう?」
 その後ろから、ケーキの箱をぶら下げた“蒼空の黔鎧”ソウマが続く。
「フランに話がある」
 飄々としたエドウィンはともかく、厳しい顔つきで入ってきたソウマに、エグザスはわずかに顔を曇らせた。
「まあ……疲れているから、あまり長い話はどうかと思うが。おっと、そうだ……レディフラン、ラザルスから栄養剤を預かっていたんだ」
 エドウィンたちに背を向けて、エグザスはフランに近づく。そして、懐から小瓶を出した。
「ラザルスの作ったものらしい。危ないものじゃないと思うが……飲みますか?」
 差し出された小瓶を、フランは受け取った。疑う素振りもなく、それに口をつける。誰の善意も、今のフランは受け入れた。誰かを差別することはなく。そこに、どんな悪意が隠れていようとも、どんな過酷な運命が隠れていようとも、自分にできることは信じることだけであるというかのように。
 クレアやエリスにあって、フランになかったもの。クレアやエリスにはなくて、フランにあったもの。おそらくそれが、彼女たちをそれぞれに変え、彼女たちの命運を分けた。
 その分岐まで、巻き戻せるのかどうか……それは今はわからない。ただ、それが、どんな形であれ、フランの心を救えるか否かを決めるだろう。たとえ肉体の器は救えなくても……その悲しい魂だけは。
 だがフランの心にとって厳しい現実は、この後にも続く。
「まあ、こんな話は人前でするもんじゃないのかもしれないが。……フラン、どこまで自分の状況を理解してるんだ? 俺は前のときのことから、フランがエルメェス家の血に宿る悪魔だかなんだかに、体を乗っ取られかけてると思うが……自分でもわかってるのか?」
 エドウィンは椅子を引いて座った途端に、そう滔々と喋りだした。まだソウマがルカに、土産のケーキを渡しているところでだ。
「……はい」
 フランは面と向かって言われたことを、短く肯定した。辛そうではあったが、前を向いていた。
 先を越されたソウマが振り返る。
「そっか」
「わかっているんだな!」
 そう言いながら、ソウマはエドウィンの隣の椅子を引く。
「逃げても解決しないぜ!」
 ソウマの声が大きいからか、その言葉の意味にか、フランはびくりとする。
「フランはどうしたいんだ?」
 エドウィンが問う。そして、ソウマが続ける……いや、この二人は一緒に部屋には来たが、まったくお互いのことは考えていない。並んで座った今も、てんでに自分の考えと問いを述べているだけだ。だが。
「人は支えあうものなんだ! 荷物が大ききゃ皆で持てばいい! アンタにはその価値がある!」
「血の悪魔に操られるか、殺されるか、それとも……そんなもの全部ぶっ飛ばして、自力で未来を拓くのか!」
 畳み掛けるように二人の声が、フランを揺さぶる。
「そんな……そんなこと、私には……」
 震えるように答えるフランに、エドウィンは反論の隙すら与えなかった。
「できるかどうかなんて関係ない。俺はフランがどうしたいかを聞いてるんだ」
 フランの瞳に涙がにじむ。
「俺は全力で正義をするぜ! アンタは何を願う!」
 二人が言いに来たことは、ある意味同じことだった。フランの真の願いを問いに。
「本当は……死にたくない……」
 涙をこぼしながら呆然と、フランはつぶやいた。
「まさか死ぬつもりだったのか?」
 フランがかつて名前を刺繍してくれたハンカチを出して、その涙をぬぐいながら、ソウマは問う。フランは両手で耳を塞ぐようにして、うつむいた。
「……ごめんなさい、私、自分で死ぬこともできない臆病者で……他人の血の上に生きているなんて、あってはならないのに……」
 ある意味人として当たり前の道徳の前に、フランは自分の罪を知っている。フランにとっては、今まだ自分が生きていることが罪だったのだ。少なくとも、このときまでは。
「人は償うことができる! 諦めるな!」
 ソウマの怒声に、フランはまたびくりとした。
「アンタの中の人は悪か? 心に正義はあるか?」
 だが、すらりとした手がソウマの前を遮る。ルビィの手だった。
「そのぐらいにしておいてくれよ、興奮しすぎるとフランの体に障るぜ」
「大切なところなんだ! 邪魔しないでくれ!」
 きっとソウマはルビィを見上げた。
「姫っちが正義か悪かなんて関係ないが、必要なら俺が答えてやる。悪じゃないさ」
 フランを見ながら、ルビィは言った。驚いたように、フランもルビィを見上げる。
「ただ強いだけだぜ。その人を革新した強さを見せてくれたことに、俺は尊敬してるし、感謝してる。だからフランも死ぬなんて考えるなよ」
 信じられない、という顔でフランはルビィを見つめていた。だが、続いた言葉に、今まで以上に動揺を見せる。
「でもな、やられっぱなしじゃ駄目だぜ。前にも言ったよな? フランも姫っちに、文句の一つも言ってやれよ。直接は無理だろうから、俺様が代返してやるぜ?」
「だ……! 駄目です、そんな!」
 彼女の怒りに触れたら、と言うフランは本当に蒼褪めて見えた。
「お願い、絶対に、絶対にしないで……」
 今までのように堪えるような泣きかたではなく、まるで子どものように泣きじゃくりながら、フランはそうこいねがう。
「わ、わかったよ。でも、俺が姫っちを尊敬してるのは本当だ。次に会ったら、ちゃんと話はするつもりだぜ。心配なら、できれば知ってることを教えておいてくれ。俺様も、知らないで失敗はしたくないからな」
 泣くフランをあやすように、ルビィは言い……フランもうなずいた。
「死ぬなんて考えるなというのは、俺も同感だ! 正義かどうかは、俺も本人に聞くことにする!」
「だな。死にたくないのが本音なら、死ぬ必要はない。そうならない道を探せばいいんだ。俺も全力で協力する」
 いささか不安になるような節はあったが、ソウマとエドウィンもそうくくった。
「ルカも……! できることがあるなら、言ってくださいね」
「私もだ」
 今まで黙って見守っていた二人も、それに異論があるはずもない。
「落ち着いたかのう……まあ、結論が明後日の方向へ行かなくてよかったがの」
 そこへもう一人、勢いの中に入りそびれていたサワノバが顔を出す。
「フラン嬢ちゃんも、もうわかったろうが。自分を大切にしていいんじゃよ。自分を幸せにしたいと思えん者は、周りも幸せにはできんぞい。嬢ちゃんが死ねば、少なくともここにいる連中は悲しむし、苦しむ。重圧が苦しいかもしれんがのう……精一杯支えるからの、頑張ってはくれんか……皆のためにの」
「……はい」
 祈るように、フランは答えた。


 模擬戦が終了して日が暮れた後、クレアたちはアリーナに残っていた。皆で、一緒にだ。
「クレア〜! ラジェッタたちも今、アリーナに来とるんやって。後で話聞きにいこー」
 修練場でシーナとの試合の準備運動をしていたクレアのところに、ラックが走って戻ってくる。
「何してるの?」
 そこからでは見えないが、見えない場所を覗きこむようにクレアは背伸びをする。
「よくわからへんね、アリーナの中や。こっちの試合、あっちが終わってからになりそうやで」
「そうなんだ」
「見に行ってみよか。見学席のほうから」
 円形のアリーナの中には、上部に見学席がある。普段はほとんど使われることはないが、大会時の決勝などは、そこから見学できるようになっていた。
 ルーは少し顔をしかめていたが、黙ってついてくる。一行は外から入る入口へと回りこみ、階段を上がっていく。そして出口が見えたあたりで、中の声が聞こえた。
 出口を出ると、一気に星空が広がる。月は半舷で既に高く、明るい。そして、すぐ前には人影が立っていた。
「……私に足りないものはなんでしょう……」
 来た者たちに問いかけたのではないだろう。人影は、後ろから来たラックたちに気づいたように振り返る。
「クレアさん」
 来生だった。
「儀式を見に来たんですか?」
「儀式?」
「ええ、高天の儀だと……私も、たまたま残っていて聞いたんですが。エリスさんとか、ラジェッタちゃんが参加するそうなので……ロイドさんやティルさんには見ないでくれとは言われたんですけど、気になっちゃって」
 言われた場所を見下ろすと、適当な六芒星が地面に描かれているような気がする。もうだいぶ暗くて、よくは見えないが。その周囲に人影は多かった。エリスと、ラジェッタたちと、いつも一緒にいる者たちだろうか。
「高天の儀って、昼やるものじゃなかったか?」
 ジェダイトが記憶を辿るように言った。
「それ以前に、皆既日食でないとダメだろう」
 リーヴァも目を細めて、下の様子を窺っている。
「……本当にそれ以前の問題やと思うなあ……高天の儀は送還の儀式やで。レアンを異世界に送還するなんて、そんなんラジェッタが協力するとは思えへんけど」
 ラックは先ほど見つけて、声をかけたときのラジェッタたち一行の様子を思い出す。どこか緊張感は漂っていた。
「ここで、レアンを呼び出す気なんや」
 思いつきを、ラックはポツリと口にした。

 ロイドの考えた『高天の儀』に協力するためにアリーナにいた“影使い”ティルは、周りの人の多さに、わずかな不安を覚えていた。
 ティルはこれから行う『高天の儀』が「残念な結果に終わるだろう」ことを知っていた。どのくらい残念な結果に終わるかはやってみないとわからないが、そのための双樹会への言い訳を考えていた身としては……この見学者の多さには危機感を感じざるを得なかった。しかし、エリスとラジェッタを連れてこようとした時点で、それは避けがたいことだったのは確かだ。
 見学者はそれだけに留まらない。巡回班の者たちも、聞きつけて見に来ている。これも、拒みようがない。
 もう一つ気になることは……と、ティルは見学席を見上げる。人影が見える。それはまるで計算に入れていなかったことだ。だがそれも……巡り巡れば、起こるべくして起こったことと言えようか。
 上から一部始終を見ていた者がいたなら、多分言い訳は効かない。これから行うことは、それだけ不自然なことであった。
「この人の多さは一体……」
 協力者の一人、ユリシア=コールハートも戸惑い気味である。
「人が多くても、仕方がないだろうが」
 “光炎の使い手”ノイマンは、いささか不機嫌そうに言った。聞こえてくる見学者たちの声からしても、レアンに同情的な者が圧倒的に多い。だが、無法は無法、罪は罪だ。ノイマンにはレアンを許す気はなく、そのためにロイドにも協力を約束した。だがやはり考えていた通り、レアンを呼び戻せたとしてもこの場で対戦とはいかないだろう。
「よろしく頼みます」
 そんな中、ロイドはエリスに近づいて、段取りをこっそりと確認した。ラジェッタには、ただおじちゃんを呼んで欲しいと言ってある。今までレアンには対抗的に動いてきたのに、今回それを転換したことを問われるかと思ったが、エリスもラジェッタの周りからもそれはなかった。ラジェッタはロイドの意図と言葉をまるで疑っていないし、エリスにとっては、これが罠であっても問題はないのだろう。
 計画したロイドにしてみても、不安は多い。深夜ではないが、もう陽は沈んだ。
 エリスとラジェッタの側の条件だったとは言え、夜が来る……

「疲れを癒す香草や薬草を仕入れてきたんだが、フランもどうだ?」
 “熱血策士”コタンクルは部屋の前にたたずむセラスを横目に、フランのいる部屋に入った。中の者たちは何か熱心に話をしていたが、コタンクルが扉を開けるといっせいにそちらを見た。だが気にせずにこやかに、コタンクルはフランに近づく。
 そのとき何をしていたかと言えば、エドウィンがイルズマリを問いただしていたのだが。しかしイルズマリの口は重かった。イルズマリは、フランの……というよりは、エルメェス家のリエラであるようだった。
「レアンをどうこうするにしても、その体力じゃ難しいだろう。元気が出る丸薬だ。飲んでくれよ」
 そう言って、コタンクルはその薬を渡した。
 フランは、自分に向かう善意を疑わない。誰の差し出す物も口に入れてきた。今回もだ。
 そして、それを飲み込んで……それからしばらくしてのことだった。
「え……」
 ソウマはその前から、酷い胸騒ぎがしていた。それは、虫が知らせていたのか。
 フランの体がふらついた。
「レディフラン?」
「フラン!」
「フランさんっ」
 倒れようとしたところをルビィとエグザスが支える。
 長いこと壁際で沈黙していたランドが椅子を蹴って立ち上がる。その瞬間が来たことを、悟ったかのように。
 ソウマは立ち上がったその勢いで、コタンクルの襟首を掴んだ。
「貴様、何を飲ませたーっ!」
「な、何って……仮死状態になる薬……」
「バカヤロウーっ!」
 叫びより速く、ソウマの拳がコタンクルの顔に飛んだ。
 意識がなくなれば出てくる者を抑えようとしているところで、意識を失くすような薬を騙して飲ませる。仮にそれで、もう一人のフランも抑えられると勘違いしていたとしても……いや、そんな勘違いは、ソウマはおろか、ここにいるすべての者に考えられないことだった。
「ありえねえ……」
 エドウィンは呆然と呟いた。
 フランは信じてそれを飲んだのだ。皆が、信じてくれと願う中で。どこまで、この運命は過酷なのだろう。
「負けるな! フラン! この大バカヤロウは俺が成敗したぜ!」
 コタンクルを突き飛ばし、ソウマもフランの前に近づく。
「しっかりしてください……フランさんっ」
 ルカがフランに縋りつく。
「しっかりするんじゃ! 吐けるかの? おぬし、水を持ってくるのじゃ」
 サワノバは、ルカに水をたくさん持ってくるよう頼んだ。間に合わないとは思ったが、少しでも薄められればと。
「……諦めたら負けじゃ。聞こえるか、わしらの声が」
 その間にサワノバも呼びかける。
「何があったの……?」
 飛び出して行ったルカと入れ替わりに、立ち去れずにいたセラスも中を覗く。
 だがもう、フランの意識は遠のくばかりのようだ……そんな中で、ただ黙っていたイルズマリが、銀色の光を帯び始める。
 そして……
「あまり汚い手で触れるでない」
 もう一人のフランは、ぱっと目を見開いた瞬間に、そう言ってエグザスの手を払った。
「あまり気分の良くない目覚めじゃが……まあ、動けんほどでもないわ」
 そして、優雅に立ち上がる。暗くなった窓の外を見て、奇妙なほど明るい微笑みを浮かべた。
「姫様! アークシェイルの主が呼ばれておりまする。如何なされますか」
 銀の鳥……今はイルズマリではなく、アルディエルは告げた。
「ふむ……まあ、タイミングは悪くないかもしれぬの。行くとしよう」
 そう言って、窓に向かって歩き出す。いや、その姿は歩きながら揺らめき始める。
「どこへ行く!」
 愕然とする状況に一番先に反応したのは、ランドだった。そのまま飛びついて、引き止めようとしている。そのとき、余裕だった姫の表情が一瞬に険しくなる。
「何をする貴様……? 離れや!」
 ランドを引き離そうとしているが、それは自分の手でだ。
「何故貴様がアルムの祝福を受けておる? アルディエル! この者をどうにかせいっ」
 その様子があまりに普通で、偉大なる者らしくなく、エグザスもルビィも逆に戸惑った。
 一方で、ランドも引き離されまいと踏ん張りながら助力を求める……特に、特定の一人に向かって。
「おまえも手伝えっ! おまえだおまえっ! おまえも持ってただろう、使ってないのか? こいつを行かせたら何が起こるかわかってるだろう!」
 その場の者で、それが自分を呼ぶものだと確信した者はいなかったが、それが必要だということは多くの者が思った。
「まてっ! おまえに正義はあるか!?」
 ソウマも飛びかかり、逆にルビィは姫からランドを引き離すために手を出す。エグザスも揉みくちゃになるフラン自身を守ろうと、交信を上げながらその中に混ざる。
「ええい、鬱陶しい!」
 我慢の限界が来たように、彼女はわめいた。そして、組み付いていたすべての者と共に、彼女はその場から姿を消した……

 その嘘の高天の儀は、前半は型をなぞっただけのものだった。そして、後半。揺らめくレアンの影が見えたように思う者もいた。
 そこに至って見ていた者のすべてが、そのおかしさを思う。それは、六芒星の中にアルムの姿が現れたとき。
 交信を上げきったエリスが、アルムを呼び、実体化したのだ。そしてその剣をある空間の一点をめがけて振るった。
 それは、優しいやり方ではなかったと思われる。空間を裂いたということは、その向こうにまで衝撃が飛ぶということ。
 だが斬られた空間の向こうに、苦痛に顔を歪めたレアンが見え……
 倒れこむように、その真下の空間にレアンの姿は現れた。
「おじちゃん!」
 ラジェッタとエイムがそれに駆け寄る。
 その様子を、不安ながら優真も連れてきて、連理は見つめていた。
 これは、あの予知で確かに見た光景。
 そして、この後……混乱は起こったのだ。
 金の髪のその場に少女が現れたのは、アリーナの地面の高さよりもわずかに高い、中空であった。そして、組み付いていた者をそこで振り落とす。
 そして、迷わずそのままにやっと起き上がろうとしていたレアンに向けて光を伴う衝撃を撃ちはなった。
 レアンは咄嗟にラジェッタの前に出る。光はそのまま弾き返されるというよりは、レアンの手前で拡散するような形で弾け飛んだ。跳弾のように光は走り、アリーナの逆側を貫いて吹き飛ばす。結界はどうなったのだと思うほど、派手に破壊される。幸い真横ではなく、上から下へ、下から上への角度があったことが、アリーナの中にいた者にそれが襲いかからずに済んだ理由だろうか。
 だが、いつまでもとはいかない。
「しぶといの……!」
「姫様! アルムとクロンドルも近くにございます! 危険ゆえ、ここからは一時撤退を……!」
「五月蝿いわ! 三方までなら、どうにか耐えられようっ。奴は限界まで弱っておる、今が好機よ! 奴さえ亡き者にすれば、しばらく一角が空くのじゃ」
 危険と好機とどちらを取るかで、彼女は好機を取ろうというようだった。力に自信のある証拠ではあるだろう。
 いつ第二波が来るかわからぬ中、逃げる者もいたが、多くは踏みとどまった。自分の大切な誰かを守るために。
 そんな中で、ナギリエッタが叫んでいた。
「皆、リエラを出しちゃだめだょーっ! 操られちゃうからー!」
 さて、“奔放なる者”フランの出現する直前の、見学席では……
「これは……」
 突然の事態に、息を飲んでいた。今、見えるところに探していたレアンがいる。
 まず、走り出したのはクレアだった。逃げるのではない、下に、レアンのところに向かうためだ。当然、ジェダイトもシーナも迷わず追いかける。そして、ルーも。
 全力で走るクレアから引き離されないルーの、その後ろにぴったりとついて、リーヴァも走る。
「やっぱり、君にとって彼女は実験材料などではないんだ。行って、守るんだね」
 リーヴァの囁きに、ルーは歯を食いしばっている。そんななかで、衝撃は起こった。
 クレアがアリーナのグラウンドに出たとき、そこは混乱の度合いを増していた。それでも、レアンに近づこうと進む。
 しかし……このままでは多くの者がレアンを狙うフランの攻撃に巻き込まれる。交信を上げて力場を作り身を守ろうと思っても、呼び出してはならないという声が聞こえる。
 混迷は深まっていた。
「レアン、まだ力は残ってるかい」
 そんな中で、レアンとラジェッタの近くにいた者は、エイムの言葉を聞いていた。
「残っている……だから逃げろ、おまえたちは」
 立ち上がることも苦痛な顔で、それでもレアンはそう言った。
「うん、逃げさせてもらうよ。君の戦いに巻き込まれて死ぬわけはいかない……この子たちは。だから、力を貸してほしい。皆を君の力で包んでくれ」
「エイム、おまえ」
「できるよ。僕も、深淵を覗いた者だ……ラジェッタ」
 ルオーが抱きしめていたラジェッタを受け取り、抱き上げる。
「ちょっと苦しいけど……我慢できるね」
「待てや! エイムはんっ!」
 言い知れない不安に、ラジェッタを奪い返そうとルオーの手が伸びる。一瞬にして足元が冷たい感触に包まれようとしていることにも、気づきながら。
 どこから水が湧き出したのか。巨大な噴水のようにアリーナは水に包まれた。
 そして、その水ごと……気が付くと、アリーナにいた者たちは拓けた草原のような場所にいた。暗くてわからなかったが、そこはアルメイスの外側だった。
「馬鹿野郎……俺まで連れてきたら……意味がないだろう……!」
 レアンはそこにいた。アリーナにいた者で、そこにいなかったのは、エリスと……ルー。そして、中空にいたフラン。
「助けて……くれ……」
 動けぬ者は、今はレアンだけではなかった。
 エイムが膝と手を突き、そしてその下に……
「ラジェちゃん!」
 スルーティアとルオーが転がるように駆け寄る。
 土気色の死人の顔をして、倒れているラジェッタに……
 力を使いすぎたのだ。余りにも大きな体積を一度に転移させたためだ。すべてを一つのものと認識するための触媒に、レアンの水を使ったのでその体積は飛躍的に増えていたはずだった。エイムは、自分とラジェッタの力のすべてを使ったのだろう。
「助けてくれ……ラジェを……」
 エイムは呟きを搾り出すように、そう言っていた。その力さえも、今は足りぬというように。
「誰か! 誰か! 回復のできる人!」
 スルーティアの悲鳴に、リュートが人垣を割って前に出てくる。
「僕が……」
 ラジェッタに注目が集まるその一方で、ラシーネはエイムを見つめていた。
 エイムも、立ち上がれぬままにラシーネを見た。銀の瞳に涙を溜めた、その顔で。
「……エイムさん」
「消え……たくない……助け……て……」
 その消滅の瞬間を、見つめていたのはどれだけいたのだろう。
 レアンと、ラシーネと。
 自存型リエラは消えても、また戻ってこれる。それは本当のことだろうか、と、ラシーネは改めて思った。
 次に帰ってくるとき、エイムは本当にエイムだろうか。
 違う。
 ラシーネは、かつてエイムと話した『そのとき』が、今来たのだと思った。
 エイムは銀色の光に霧散した。その後は、何もその場には残っていない。
 ラシーネは確信していた。
 今……
 ラジェッタの父であったエイムは、今、死んだのだ……と。


「動くか」
 寮の自室の窓から、遠い空をアルフレッドは見上げた。
「激動だな……そういう時代なのか」
 彼は、今すぐにも出て行くべきか否かを迷っていた。古い物が目覚め、それぞれに新しい時代を求め、それぞれの反動が起こっていることを、彼もまた気づいてはいたからだ。そして彼の関わるものを除く、四つの原理の三つまでもがその渦中にいる。
「こんな時代だからなのか」
 金色の幼子のバランスが崩れてしまったのも。彼女は、どこへ行くのだろう……と、革新を求める力の一方で、バランスの保たれた過去に巻き戻そうとする者たちのことも思う。
 だが、やはり彼は動かなかった。
「駄目だ。せめて私だけは、自らの理を守ろう……動かぬことが、大地の理」
 カーテンを閉じ、更に目を閉じる。
「どんなに辛くとも……」
 バランスが悪い時代の、せめてもの楔に。
 静か過ぎる火と、激し過ぎる水と、不自由な風。理を代弁する者の気質が真逆であるのは……
「どうか反逆の呪いに負けぬよう……導いてください、師匠……」


 アリーナに残っていたのは、ルーとエリスとフランだった。見る者なき戦いについては、多くは語られない。
 ただ、フランは程なく不意に体の自由を失って。
「く……? 先ほどとは別の遅効性の薬か……両方は少し厄介じゃな」
 消え去ったと、エリスは後に証言した。


■混乱の終章と序章■
 レアンに話をしたい者は多かったが、レアンのほうがそれに対応できる状態ではなかった。転移を助力したことでレアン自身も限界まで消耗していたし、エイムの目前での消滅もショックであったようだ。だが、消えはしなかった。位相は完全に一致して、彼は触れられる肉体を取り戻した。倒したいならばまさに今だ、とも言える。
 放置はできないが行き場に困る、そんな状態の中、真夜中のうちにアルメイスの外にいた者たちのところまで真っ先に駆けつけたのはサウルであった。
 そして憲兵隊長官としての身分で、レアンの身柄の確保を宣言した。
「サウルさん……!」
 サウルとレアンに話をさせて和睦の方法を探したかった優真は、それに不安を感じてサウルに訴えると。
「アルメイスは今まで半分治外法権だったから、憲兵隊の拘置所はないからね。僕の屋敷を代わりにする。まあ、君は、どうせ家事をしにくるんだろう?」
 事実上、屋敷に置いておくだけになるだろうということだ。高位のフューリアを完全に閉じ込めておく方法はない。そう……自由を与えたくないとなれば、殺すしかないのだ。
 そしてレアンは少なくとも当分の間、サウルの屋敷に滞在するという奇妙な事態となった。
 外周から目撃していた巡回班からの連絡を受けて、双樹会からも続けて人がやってきた。
 夜が明ける前には、すべての者がアルメイスに戻った。
 夜が明けて……また、日常が戻ってくる。
 それは、どこへ消えたのかわからない、フランのいない日常だった。


「ラジェちゃん……林檎食べる?」
 ラジェッタは黙ってうなずいた。初めてアルメイスに来たときのように、極端に口数が少なくなってはいたが……ラジェッタの体自体は回復に向かっていた。
 スルーティアのすりおろした林檎を、セラがラジェッタの口元に運ぶ。
「おとう……さん……」
 ラジェッタの口から、呟きが漏れる。
「おとうさん……」
「ラジェちゃん、まだ交信は」
 エイムを呼ぶラジェッタを、スルーティアとセラは止めた。まだ、そこまで回復しているとは言えなかったので。
「おとう……さん……!」
 だが、時が満ちていたようだった。
 セラたちの後ろに、いつのまにか長身の人影が立つ。
「おとうさん……!」
 あの日から初めて、ラジェッタの顔に笑顔が現れた。だが……それは一瞬の泡沫。
 ラジェッタの寝ていたベッドサイドにいたセラとスルーティアの二人の間を割るように、エイムの顔をした者はひざまずいた。
「君が僕のパートナー……だね。はじめまして」
「おとう……さん……?」
「君の呼ぶ声が聞こえたよ。僕の名は……」
 見知らぬ名を名乗る自存型リエラが、そこにはいた。……それはかつてエイムがパートナーとしていたリエラの名だった。

参加者

“福音の姫巫女”神音 “飄然たる”ロイド
“天津風”リーヴァ “蒼盾”エドウィン
“怠惰な隠士”ジェダイト “白衣の悪魔”カズヤ
“探求者”ミリー “光炎の使い手”ノイマン
“翔ける者”アトリーズ 神楽
“静なる護り手”リュート “笑う道化”ラック
“風曲の紡ぎ手”セラ “双面姫”サラ
“ぐうたら”ナギリエッタ “闇司祭”アベル
“紫紺の騎士”エグザス “風天の”サックマン
“銀の飛跡”シルフィス “黒き疾風の”ウォルガ
“水の月を詠う者”セシア “自称天才”ルビィ
“待宵姫”シェラザード “鍛冶職人”サワノバ
“幼き魔女”アナスタシア “六翼の”セラス
“闇の輝星”ジーク “銀晶”ランド
“深緑の泉”円 “餽餓者”クロウ
“闘う執事”セバスチャン ユリシア=コールハート
“熱血策士”コタンクル “抗う者”アルスキール
“陽気な隠者”ラザルス “蒼空の黔鎧”ソウマ
“炎華の奏者”グリンダ “拙き風使い”風見来生
“緑の涼風”シーナ “爆裂忍者”忍火丸
“貧乏学生”エンゲルス “猫忍”スルーティア
“七彩の奏咒”ルカ “のんびりや”キーウィ
“深藍の冬凪”柊 細雪 ラシーネ
“旋律の”プラチナム “轟轟たる爆轟”ルオー
“影使い”ティル “憂鬱な策士”フィリップ
“泡沫の夢”マーティ “黒い学生”ガッツ
“不完全な心”クレイ “夢の中の姫”アリシア
“春の魔女”織原 優真 “冒険BOY”テム
コルネリア “真白の闇姫”連理
“演奏家”エリオ “修羅の魔王”ボイド
“CreepingThing”宮凪