『高貴なる茶会』への招待状
「いいか、くれぐれも粗相があってはならん!」
 学園都市アルメイスにおいて上流階級の子弟で作られた集い『貴族連合』の長であるアドリアン・ランカークは、彼の従者に唾を飛ばしつつ、くれぐれもと繰り返していた。
 それが何度目であるか従者は律儀に数えていたが、それを主人に言い述べるようなことはしない。そんなことをすれば、ただでさえ興奮気味の主人は癇癪を起こすかもしれなかったからだ。
「危険のないよう、陰ながらお守りするのだぞ。私も、あの方がこのアルメイスにいる間は、出来る限りご一緒する」
 あの方というのが実際に誰であるのか、ランカークは言葉を濁しているので、従者にはよくわからなかったが、とにかくエライ人であるようだ。わかっているのはそれと、帝都から来るということだった。
「後は、茶会の支度だ。招待状は発送したか?」
「はい、名簿の通りに」
「先方のご希望だからな。『学園に所属する、高貴なる茶会に相応しき者』を招待し、学園の中庭を使って、盛大なガーデンパーティーだ。そちらの準備も滞りなく行わねばならん」
 そのとき、時計塔の鐘が聞こえた。
「おお! もう時間だ! 駅に向かうぞ」
 ばたばたとランカークは部屋を出て行く。その後を、音もなく従者はついていった。


「…………」
「お父上からの手紙に、なにが書かれていたのであるかね? 浮かない顔をしておるが」
 イルズマリ……イルが肩に舞い降りると、フランは手紙を閉じた。
「アルメイスにお客様がいらっしゃると」
「フラウニーに会いにであるか」
「いいえ、そういうわけではないんですけど。お父様がわざわざお知らせくださるというのは」
 アルメイスは帝国にとって重要な施設である。政府高官がたびたびこっそり視察に来るということも、常々噂されているところだ。フランの手にある手紙に書かれていることも、その噂されるような出来事の一つであるとも言えたが。
 今までに、フランは父から事前にそんな客人がアルメイスを訪れることを知らせる手紙を受け取ったことはなかった。これは、いつにない、珍しいことだった。
「そうである、フラウニー、もう一通手紙が来ている」
 イルはサイドテーブルの上を示した。そこまでイルが運んできて、それからフランの肩に乗ったらしい。
「もう一通?」
 手に取ると、貴族趣味な豪奢な透かしの入った封筒だ。封を切るとふわりと良い香りがした。
「アルメイスを視察にいらっしゃった貴人をおもてなしする、お茶会……」
 差出人はアドリアン・ランカークだ。フランは悪い人ではないと思っているが……ランカークの回りの評価も知ってはいる。
 しかし、茶会。これほどに大々的に、大っぴらに、視察をしていった高官が、過去にはいただろうか。理由を問われたなら答えられない、そこはかとない不安が、フランの心に影を射していた。
「出席しますかな? フラウニー」
「ええ。御招待をお断りする理由はありませんから……」


「……何? これは」
「招待状のようです」
 学園長は白い封筒の封を切って、眉をしかめた。すかさずその問いに、横にいた双樹会会長、マイヤが答える。
「そういえば、茶会の会場に中庭を使う許可を求める書類は出ていたわね」
「ずいぶんたくさんの者に招待状を出したようです。僕のところにもまいりました」
 視察に来た貴人の歓迎のために催される茶会。だがその肝心のところの、歓迎する主賓は誰なのかは、ぼかして書かれていた。もちろん、学園長は訪れる者の名を知らないわけはないのだが。招待状の文面は生徒たちに配られたものと、同じなのだろう。
「そう。欠席の連絡をしておいて」
「よろしいので?」
「あなたが行くのなら、それで問題はないでしょう」
 淡々と、学園長は次の書類を手に取る。
「御心のままに」
 マイヤは、深く頭を垂れた。


「招待状、来た?」
「ううん、来てない」
「あの人のところには、来たんですって」
 すでに、そんな囁き声がアルメイスのあちこちで聞こえる。
「私には縁がない話ね」
 研究所の買出しのために微風通りを歩きながら、マリーが呟く。そう思ったところで、足元に封筒が、絡まった。風に運ばれてきたようだ。
 前を見れば、ルピニアン劇場からの出張か、ビラ配りをしている赤い髪の少女と黒髪の少女がいる。名前くらいは知っている相手だった。クレアとルーだ。
「これ、クレアの?」
「へ? ううん〜あたしのじゃないよぉ」
 もらってないもん、とクレアは首を振る。
 汚れてはいるが、これが噂の招待状であることはすぐにわかった。噂の足は早いので、封筒がどんなだかくらいは、アルメイスの学生ならばほとんどが知っているだろう。
「ルーの?」
「……いいえ……招待されてませんから……」
 招待されても、行かないけれど……とルーは俯きがちに呟くように言う。
 クレアはマリーと一緒に首をかしげて、考え込んだ。
「通りを歩いてった人のかも」
「宛名、読めなくなっちゃってるわね」
 マリーは目の上に封筒をかざしているが、汚れて宛名は見えなくなってしまっていた。
「落とした人、困ってるかな」
「うーん、じゃあ、探してあげよ!」
 クレアがにぱっと笑って、そう言うが……
「私、買い物の途中なんだけど」
「えー、ダメ?」
「…………」
「…………」
「……わかったわ、乗りかかった船だし。失くして困ってるなら、聞いていけばすぐわかるでしょ」
 ふう、とマリーは息を吐く。
「そーだよ! 探すの手伝ってくれる人もいるかもしんないしね!」
 もちろん自分たちも手伝う、とクレアは言う。ビラを配りながらだが。
 マリーはなんとなく貧乏くじを引いた気分になりながらも、道行く人に声をかけ始めた。


「ようこそいらっしゃいました」
 揉み手せんばかりの態度で、ランカークは駅で列車を降りた客人を迎えた。
「出迎え、ご苦労様」
 黒髪の、黒衣の青年は人当たりの良さそうな笑みを浮かべ、ランカークをねぎらう。
「普通の列車でいらしたんですね」
「特別列車を仕立てたりはしないよ、お忍びだからね」
「そうですよね! もちろん」
 ランカークにエスコートされ、駅の前に停められていた馬車に乗り込む。このまま、アルメイス一の高級ホテルに向かうのだ。
 馬車の中で腰を降ろしたところで、黒衣の青年はランカークに訊ねた。
「ところで……」
「なんでしょう、サウル様」
「頼んでおいたことはしておいてくれたかな」
「はい! 招待状は出し終えております。ここに名簿も」
 ランカークから渡された名簿に軽く目を通し、ふむ、と黒衣の青年、サウルは息をついた。
「この名簿には、彼女たちの名前がないな」
「ええ!? どなたが漏れてしまったのでしょう」
 招待客の選別は完璧に行ったつもりだったのに……と、ランカークは緊張のせいかわなわなと震えている。
「ええと、クレアと言ったかな、あの赤毛の娘は。後、その子と一緒にいる、ルチアルって娘だ」
「クレアとルチアル……」
「必ず、彼女たちも連れてきておくれ」
「わかりました! これから招待状を送りましょう。この招待を断ることはありますまい」
「必ずだよ、いいね」
 はいっ、とサウルの言葉にランカークはかしこまる。
「それから……警備の人手は惜しまないように。レアンと言う不心得者がアルメイスを騒がしていると聞いているよ」
「はっ」

 自分の屋敷に帰り、ランカークはうろうろと部屋を歩いていた。
「人手か。ええと、手隙の学生に命じて……」
 頭を悩ませているのは、サウルの身の回りや茶会の警備の増強の問題だ。
 それから、クレアとルーが出席を拒んだ際に、どうするか。
「おい!」
「なんでしょうか」
 影のように控えていた従者は、呼ばれて、一歩前に出た。
「クレアとルーという娘が招待を断った場合は、さらってでも連れて来るんだ。なに、茶を飲むだけだ、怪我をさせようというわけじゃないからな」
「わかりました」
 従者は微かに眉根を寄せ、目を伏せた。

 それは冬には雪の多いアルメイスで、珍しくよく晴れた日のことだった。
 道のはじにはまだ、昨日降った雪が残っている。
 日差しは明るかったが、例年の冬と同じに、冷え込みは厳しかった。
 通りの道は綺麗に雪かきされて、歩行するのに不便はないが。油断すると、凍った路面に足を取られるだろう。
 だから、その招待状は原型を残していられたのだろう。
 汚れて、宛名が失われることは避けられなかったけれど……


■微風通りの全員集合■
「え? 招待状なら」
 “海星の娘”カイゼルは、ごそごそと自分の懐を探った。そしてカイゼルを呼び止めた“求める者”グルガーンに、白い封筒を差し出す。
「ほら、私のはここにあるわ」
「そうか。呼び止めて悪かったな」
「あ、待って!」
 片手を上げ、そう言って立ち去ろうとするグルガーンの服の裾を、カイゼルはすかさず掴んでグルガーンを止めた。
「何をしてるの? 招待状を持ってるかって、いきなり……招待状をなくした人を探してるの?」
「ああ」
 引き止められたグルガーンは一瞬だけ困惑の表情をひらめかせたが、うなずき返す。
 そのとき、通りの一ブロック向こうの角から、グルガーンを呼ぶ声がした。
「ねー、いたー?」
 角を曲がってきた声の主はクレアだ。その後ろから、ぞろぞろとアルメイスの制服の集団が現れる。制服ではない者も、自存型リエラを連れている者もいるので、ぱっと見よりもざわざわと騒がしく感じる。
 今度は明瞭に、グルガーンは困惑の表情を見せた。
「ずいぶん増えたな」
「うん、みんな探すの手伝ってくれるんだって」
 走ってくる先頭のクレアがグルガーンの前近くまで来ても、角から制服の影が続いている。いったい何人いるんだと、グルガーンが目を細めて数えようとしているそばから、
「あんたも暇そうだな。手伝わないか?」
 通りすがりにその奇妙にも見える集団を興味深げに眺めていた“眠り姫”クルーエルに、“銀嶺の氷嵐”サキトが声をかけている。
「えー……? いいけど、何のお祭りなのかな? これ」
「お祭りじゃない。人探しだ」
 噂のお茶会の招待状を落とした人を探すのだとサキトに言われて、クルーエルはへえぇといつもは眠そうな目を輝かせた。
 ただの人探しでも、みんなで何かをするのは面白げだ。それが今ちょうど噂になっているお茶会の参加者を探すのだと言うのなら、興味も湧いてこようというものだ。なにしろクルーエルのところには、噂のお茶会の招待状は届いていない。クルーエルはそれがどんな封筒に入っているかも知らなかったし……
「ねえ、そのぐらいにしておきなよ」
 いくらなんでも勧誘してまで増やすことはないと、“飢餓者”クロウがサキトを止める。クレアたちと同じバイトに入っていて、最初から経緯を見ていたクロウが知る限り、放っておいても、どんどん人探しの仲間は膨れ上がっていったのだから。
 クロウの目論見としては、あまり増えるとちょっぴり困る……ということはあったが、それは言わない。
 とにかく、そんな経緯で行列は一人増えた。
 グルガーンも、そこでこの人探しの急激な参加者増加に納得がいった。
「それで?」
「うん、マリーがね、なんか人増えたから、もっと分担をしっかりして、手分けしようって」
「私じゃないわよ」
 クレアの言葉を、すぐ後ろにいたマリー自身が遮る。
「彼女がね、これじゃあいくらなんでも効率が悪いからって」
 そう言って、マリーは“ぐうたら”ナギリエッタを指す。
 眠そうな目をしたナギリエッタだが、頭は寝ていないらしい。急激に捜索隊が増えていくのを見て取ると、マリーにこのままじゃあ情報が集まっても混乱しそうだと訴えたのだ。またクレアではなくマリーに訴えたあたりも、各々の性格を的確に見ていると言えるだろう。
 クレアときたら、
「適当に聞いていけば見つかるって!」
 という主張だったし、招待状の持ち主探しに早くに合流した者たち……グルガーンや“のんびり屋”レープルなどの間では、とりあえず『高貴な人』に手当たり次第に聞いて回ればいいのではないかという意見が多数を占めていた。だから、てんでに声をかけて回っていたのだが。それがこうも膨れ上がった理由の一つだろう。
「……そうなの。人探しなら、私も手伝うわ」
 そして今も一人、事情を察したカイゼルがルーに向かって、そう申し出ている。
 人が増えるのは、悪いことではない。ならば善意の申し出を断る意味はない。これからも、また人は増えていくだろう。
 だとすれば。
「とりあえず、手分けしようょ〜。誰がどこに、誰に聞きに行くのかとか、何を調べに行くのかとか、整理しないと効率悪いよぅ。でないと、同じところに何度も聞きに行っちゃうかもしれないょ」
 ナギリエッタの言うことはもっともで、理系のマリーはすぐさまそれに同意した。そもそもこの人探しの中心人物はマリーなので、マリーが同意するなら話は早い。それにマリーは、この人探しは早く終わってほしいのだ。
 マリーに「帰ってもいいよ」と言った者もいたのだが、さすがに善意で手伝ってくれると言う者たちを「そうですか」と置いて帰れるほどマリーは冷たくもなかった。
「まあ、もっともだな」
 聞いていたグルガーンもうなずく。
「ですから、私のベンヌで、過去を見るのが早いと先ほどから申し上げておりますのに……」
 “麗しの翼”華瑠螺が、わずかに不満げに柳眉を顰める。だが、それには「先ほどから言って」いながら実現しない理由があるのだ。
 そしてやはり今回も、華瑠螺の主張には“風曲の紡ぎ手”セラが首を横に振った。
「それは最後の手段にいたしましょう、華瑠螺様。過去を覗くことは、プライバシーの侵害になるかもしれませんわ。誰しも、知られたくないことはありますもの……この招待状が主の手を離れた理由が、そういったことでないとは限りませんのよ」
 闇に、セラはこの招待状が『落とされたもの』ではなく『捨てられたもの』である可能性を示唆している。その可能性が0であると、誰も否定することはできないだろう。
 これからひらかれる『高貴なるお茶会』に批判的な者は、けしてゼロではない。また、はっきりその意思を示している者ばかりでもない。様々な理由で、黙っている者もいるはずだった。面倒くさいのか、事を荒立てたくないのか……なんにせよ、そういう者が招待状を手にしたなら、欠席の理由として最も簡単なものは『手元に招待状がない』ことである。
 もしもそういう経過が、この拾われた招待状にあったのなら……
 招待状の持ち主を探す、この場に集った者たちの善意は、落とし主にとってはありがた迷惑なのかもしれない。
 だが、普通に探し出して、届けられたのなら、少なくとも体裁は悪くならないだろう。本人の意図が他人に知られることはない。
 だが過去見の力では、そういったこともすべてを明るみに出してしまうおそれがあるのだ。
 華瑠螺にとっては、今このような集団で地道に人探しをしていることは、回りくどく見えるのだが……
 回りくどいことにも意味はあるのだった。
「……話は聞かせてもらいました! それではセラさん、そしてマリーさんっ」
 突然の声に、呼びかけられたセラとマリー以外にも幾人かが振り返る。見ると、そこには“ザ・フォレスト”MAXがいた。彼を知らない者でも、私服ながら自存型のリエラを連れているところからアルメイスの学生だということはわかる。
「その、プライバシーが侵害されなければいいんでしょう? ここは俺に任せてください。こーいう人探しは得意なんです」
 自信満々で、胸を張る。もちろん得意だと言うのは、MAX個人の能力ではないだろう。それが連れている双頭の鷲のリエラの力だということは、誰しもわかった。
「さ、ショコラ、お願い。また力を貸してね?」
 それは彼が突然ここに現れたことと、彼が『蒸気研のマリー』に大変ご執心なことを合わせて考えると、なんとなく気になる発言ではあったが……それにはあえて突っ込まずに、セラは懐からチョークを出そうとしているMAXを引き止めた。
「待って」
「大丈夫だよ。ショコラの力でなら、『招待状を失くして嘆く声』を探すこともできるから。これなら、失くしたときのことは見ないですむし」
 きりりと最大限に引き締めた顔で……セラに答えているのだが、視線はきっちりマリーに投げかけつつ、MAXは言う。
「でも、こんな大通りでリエラを使うって言われてしまいましたら、止めざるを得ませんわ……校則違反ですもの」
 ……セラの言葉に、ピキーンとMAXは凍りついた。
「え。いや、あの、それは路地裏でこっそりと……」
「…………」
「…………」
 はたと気付いて、きょろきょろとMAXがあたりを見回すと、仲間たちの注視の他に普通の野次馬の目もしっかりある。
 そのMAXの肩に、ぽんと“鍛冶職人”サワノバが手を置いた。
「まあ、後で機会もあるじゃろう。これから分担しようと言っておるところじゃからの」
 サワノバの歳に見合わぬ年寄りじみた渋い口調が、一層ずっしりとMAXに圧し掛かる。
 がくり。ここで愛しい少女の評価を上げておきたかったMAXだったが、一歩進んで二歩下がった気分で、うなずくしかなかった……

 さて、ナギリエッタの方はMAXをさておき、分担をするという話に戻っていた。分担と言っても難しい話ではない。基本的には、それぞれに何をしにどこへ行くのかを申請してもらおうというだけだ。そして得られた情報を一ヶ所に集めるよう、報告に帰ってきてもらう。
 さて、そのためには情報を集めておくステーションが必要で。もちろん、微風通りに残って情報集積係となると立候補したのはナギリエッタである。これでナギリエッタは動かないですむ……“ぐうたら”の名に相応しい怠けっぷりだ。
 いざ分担、となって。
「ええと、私は寮に行くわ。荷物も置きたいし」
 “六翼の”セラスは、うーん、と考え込みながら言った。
 とりあえずマリーと同じく買い物途中だったセラスは、大きな袋を持っている。これを持ち歩いて人探しは、なかなか辛い。
「ああ、俺も寮に戻る。張り紙してきてやるよ。どうせ持ち主は学生なんだろうし」
 と、サキトも手を上げた。
 ふむふむと、ナギリエッタはそれを聞いてメモしている。
 次は、セラが名乗り出た。
「私、知り合いにランカーク様のところでアルバイトしている方がいますの。ランカーク様御本人には、無理かもしれませんけれど……準備している方になら、お願いできるかもしれませんから、名簿を見せていただきに行こうと思いますわ……マリー様も、御一緒にまいりませんこと?」
 招待客の名簿が見られれば、少なくとも範囲が決まる。それ以外が落としたということはないのだから。それに招待状そのものも持って行ったほうが良いと、マリーも誘う。すると自動的に、MAXもついて来ることとなったらしい。
「あとは、みんな、この辺で探すの?」
 ナギリエッタの呼びかけに、うん、とホノカ・ミスノリアがうなずく。
 ルーとクレアはバイトがあるので、ここからは離れられない。それに付き合って、大半は微風通りでの聞き込みに残るということになったようだ。
「一緒に頑張って探そうね、ルーさん」
 人探しには見るからに不向きなルーを、見捨てられないという気分はあっただろう。ルーにあれこれ声をかけているのは、カイゼルだけでもない。
「じゃぁ〜、通りの端っこの方から、分担だょ〜」
 と、ナギリエッタが地区分けをして、それからそれぞれの場所へと学生たちは散らばっていった。
 ……もちろんこのときには、ルーとクレアにランカークの元から迎えが来るなどと言うことは、まだ誰も知らないことだった。


■貴き人の奇妙なお話■
「護衛と毒見をする、エドウィンです」
「身の回りのお世話をします、カリンです」
 黒衣の貴人の前には、二人の学生がいた。
「護衛はともかく、毒見役とは仰々しいね。アルメイスの敵は、毒殺までするのかい?」
 毒見役こと“蒼盾”エドウィンは、どう答えるべきかを逡巡した。
 実際のところ、敵というのが誰なのか、明確な定義はない。周囲には『レアン・クルセアード』という男を仮想敵にしている節はあったが、必ずしもそれだけが予想される災いではなかったはずだった。
 そしてなにより、エドウィンが毒見役を名乗り出たのは『毒殺のおそれがある』からではなかったので。
 ただ、エドウィンはアルメイス一の高級ホテルの最上級のフルコースを味見してみたかっただけだ。こんな機会でもなかったら、一般生徒であるエドウィンに、そんな珍味や美味を味わうことなどできはしない。エドウィンの目的にとって他の選択肢はなく、迷わず毒見役として挙手した……というわけである。
 それを採用したのはアドリアン・ランカークだ。毒見役を置くという提案は、ここで完璧を期したいランカークにとっては納得いくものだったのだろう。
 なので、この毒見には、明確に想定される『敵』は存在していなかった。
 エドウィンはここまでの経緯を一通り回想し、改めてそのことを確認すると、黒衣の貴人……サウルに答えた。
「毒見は念のため。何事にも油断は禁物なので」
 なるほど、とサウルはうなずく。大仰だとは言ったが、おかしいことだと言うつもりではないようだった。
 ランカークはサウル到着の後、非常に勤勉に、このもてなしの準備を行っている。エドウィンや隣にいる“天駆ける記者”カリンも、人手を集めに学園に舞い戻ったランカークと会って、それからここに連れて来られたが、既にランカークは学園にとんぼ返りしている。
 明後日の会場の方は、今も警備の増強に余念がないらしい。そうでなければ……ランカークが、今ここにいないこともなかっただろう。
「ランカークさんは、他の支度が終わり次第、また挨拶に来るそうです」
 けして使い慣れたものではない丁寧な言葉を捻り出し、エドウィンはこのアルバイトの雇い主からの伝言を伝えた。
「ああ、無理しなくていいって言っておいておくれ。色々やることはあるだろうしね」
「はあ」
 さて、とりあえず身の回りの世話に真っ先に名乗り出た二人を、ランカークは割と何も考えずに採用したらしい。採用は難関かもしれないと、ランカークを口説き落とす方法を考えていたカリンには、拍子抜けだったが。
「そうですね。ランカークさんがいなくても、私たちが色々と御案内しますから」
 しかし、すべてがカリンの思惑通りには進まなかった。
「お茶会の前にも、学園内を色々ご案内しますね! 学園長室とか……」
 カリンの言葉に、くすりとサウルは笑った。何故笑われたのかは、カリンにはわからない。
「学園長からは、多忙だからと茶会の欠席の返事が来ているそうだよ」
「は、はあ……なら、会いに行けば、いるんじゃないかと」
「学生は、学園長室には近づいちゃいけないことになってるんじゃないの?」
 サウルは笑みを絶やさない。笑顔で問いかけてくるのだが……奇妙な威圧感をカリンは感じていた。
「ええと、それは……自分の学び舎ですもの。知らないより、知っていたいですから」
「僕をだしにするのは、おやめよ」
 そう言うサウルの顔は、微笑みのままだ。顔だけ見ていれば、カリンを責めているようには見えないが。
「僕から会いに行けば、そりゃあ、学園長室にだって入れるだろうがね。僕はアルメイスの運営の邪魔に来たんじゃない。会う必要がないと向こうが思うのなら、こちらから会いに行くつもりはないよ……学園長には、ね」
 茶会への招待状を出し、必要な礼儀は示した。それに対して多忙につきと正式に欠席の返答があった以上、押しかけるなんて無作法はサウル自身の矜持にも関わること。たかがカリンの興味のために、利用されてやることなどありえないというのだろう。
 笑顔に乗せた、強い拒絶があった。
 おそらく学園長室という言葉を出したときに、サウルはカリンの意図を察したのだろう。学園長の姿を見た生徒はいない……双樹会会長のマイヤを除いて。それは、アルメイスの学園の、有名な謎の一つだ。
 そんな二人のやりとりを、エドウィンは黙って眺めていた。
 夕食の時間までは、まだ間があった。
 茶会は明後日の午後で、明日はアルメイス市内の視察だと、エドウィンはランカークから聞かされていた。帝都に帰るのは、明後日の遅い列車らしい。
 毒見役を引き受けた以上、その間はエドウィンはサウルの泊まるこのホテルで寝泊りする。サウルのいるのはスウィートルームだが、その控え部屋をランカークに取ってもらった。
 カリンの方は、女性であるからか少し部屋が離れている。
 エドウィンは、カリンがお茶の支度をしにいっている間に……
「リエラは、見たことがありますか」
 ふと、そんなことを話しかけた。
 エドウィンの足元には、自存型のカルコキアムがいる。猫の獣人型だ。
 サウルは一度エドウィンの足元に視線を落とし、それからエドウィンの方に微笑みを戻して、うなずいた。
「ガイネ=ハイトでも、リエラは見られる。アルメイスほどではないけれど、フューリアは結構いるよ」
 アルメイスを卒業した後の進路の半分近くは、帝都に向かっている。確かに、少ないはずはないだろう。
「……あなたは?」
 にこりと、サウルは笑った。先ほどのような威圧感は感じられなかった。
「僕にも、大切な連れ合いがいる」
「連れ合い……ですか」
「生涯を共にするんだから、連れ合いだろう? 結婚する相手よりも、ずっと長く付き合うんだ。もっとも、君の子とは違って僕の相手は無駄なお喋りはしてくれないが」
 喋るんだろう? とカルコキアムを示す。自存型の大半は人語を解し、人語を話すからだった。非自存型は、声を発せず交信のみで意志の疎通を図るものも少なくない。それは自存型と非自存型の、今わかっている明確な違いの一つである。カルコキアムも怠惰ながら、自分の意志を言葉で示す。
 これでこの貴人が、フューリアだということはわかった。今の言葉が、嘘でない限り。隠すつもりもなかったらしい。やたらに秘密主義というわけでもないようだった。
 カリンと話していたときにはかなり高慢な印象があったのに、なんだか今はなんでも聞けば答えてくれそうな気がした。同じ笑顔が、まったく印象を変えている。
「フューリアなら……アルメイスへは」
 エドウィンの口から放たれた、アルメイスに来た理由を問う言葉は、ふと躊躇して途中になった。
 帝国内の各地から、フューリアとして目覚めた者はアルメイスに集められる。それは、身分の上下を一切問わない。だから、アルメイスの中に貴族連合などという集団があるのだ……ここにいる者は、その貴族連合の長が下にも置かぬもてなしをするような身分の相手ではあるが。
 サウルは、教師と言う年齢には見えなかった。エドウィンよりも、わずかに年上なくらいだろう。
 サウルは、にっこりと笑った。


■前々日の混乱■
 お茶会は明後日の予定だったが、もう準備と警備を引き受けた生徒たちはバタバタと走り回っている。
「では、よろしいでしょうか」
「うむ、派手になりすぎぬよう、招待客を退屈させぬよう、気をつけるんだぞ」
 会場予定の中庭の隅では、“七彩の奏咒”ルカと“WasserMeister”エルナの二人が、当日の余興にそれぞれ音楽を披露する許可を取り付けている。
 エルナはいたって普通にバイオリンの演奏だったので問題はなかったが。ルカのほうはリエラのリュームの力を使っての二重唱をという提案だったので、ランカークを少し悩ませた。
 だが、
「ランカーク様は、とても良いお声ですわ。その高貴なお声での二重唱で会場を満たすことは、主賓の方への一ランク上のおもてなしになるのではないでしょうか」
 このように言われては、ランカークと言う人物には、それでも否とは言えない。ルカはこれ以外にも、心にもあるのかないのか定かではない褒め言葉を、礼儀作法の心得を最大限に駆使して披露してみせた。
「そ、そうか……おまえの言う通りかもしれんな」
 リエラを使うことをしぶっていたランカークが、顔を軽く上気させ、そんな風に意見を翻すまでには、そう時間はかからなかった。

 一方、ランカークが当日の余興の相談をしている間にも、警備の準備は進んでいた。
 準備というのは、正確ではないかもしれない。前々日から警備は始まっていたからだ。
 さて、まずは少し前の話である。
 明日の学費のためにランカークに雇われた“貧乏学生”エンゲルスは、自分の提案を持って『警護班の責任者』に掛け合おうとしたところ、まだ責任者たる者が決まっていないという現実に直面して愕然とした。部分的に横で繋がっている者たちもいるはいるが、警備に参加する者たち全体には分担したり協力したりという、打ち合わせがない。まったく自由にやるつもりの者もいるようで。
 このままでは烏合の衆よりも悪いことになりそうな、そんな予感がエンゲルスの脳裏をよぎる。これは、エンゲルスが悲観的なことだけが理由ではないだろう。
 エンゲルスがそんな悪い予感に打ち震えている間にも……

 それは、準備の間に襲撃されることを警戒し独自に見回りを始めていた“タフガイ”コンポートに用があると話しかけ、いきなり銃を突きつけた者がいたことに始まったようだ。
「……主賓は、どこにいるんでしょう」
 “永劫なる探求者”キサは……いくら知りたいことがあるとはいえ、手段を選ぶ常識が欠けているようだ。
「少し、知っていることを教えてもらえるだけで結構なんです」
 なんて銃を突きつけながら言われて、はいそうですかと言える護衛がいたら、それは護衛失格……というか、それ以前の問題だ。幼いからと狙われたのかもしれないと思う気持ちが、なおコンポートを燃え上がらせた。
 キサが同じ銃使いであることも、拍車をかけただろう。コンポートはけっして口を開くものかと唇を噛み締める。
 そうして、コンポートが隙を窺っている間に、そろりそろりと後ろに回っていた“土くれ職人”巍恩が、キサに飛び掛った。
「怪しいやつだべ〜!」
「きゃっ!」
 一瞬気がそれれば、キサは二人がかりでなら押さえ込めない相手ではなかった。
 さらに人を呼んで、縛り上げる。
「ま、まだ始まってもいねえのに、都会のお茶会はおっかないべ……」
 今、護衛の申し込みに来たところだと言う巍恩は、ふうっ、と息をつく。
 縛り上げられたキサは、お茶会の真意を知りたいだけだと訴えているが、それでテロ行為に走られてはたまったものではない。これがお茶会当日であったら、アルメイスの面目は丸潰れだ。
 そこで、敵はレアンだけではないらしいということとなった。いったい何に気をつければ良いのかとランカークに聞いていた“双剣”紫炎も、ここで
「不審者だ。不審者すべてに気をつけるんだ!」
 とランカークまでも言い出したので、『不審者全般』という曖昧な対象を警戒することになってしまった。想像以上に広い範囲の、そして厳重な警戒を求められ、紫炎は困惑は感じたが、すでに実際に騒ぎを起こす者がいたとなればいたしかたない。
 そして、ほどなく二人の『不審人物』がお縄となった。その二人とは、“黒衣”エグザスと“賢者”ラザルスである。
「な、なんかの間違いだよ!」
 すぐに警備に入ることになっていた“路地裏の狼”マリュウとその仲間たちが駆けつけてきて、この二人は誤解だと弁明したが……
「ラザルスさんはグループの仲間で、エグザスさんはラザルスさんを通して、私が誘ったんだから!」
「じゃあおまえらも仲間なのか!? こいつらは、アレと同じことしてたんだ! こそこそと嗅ぎまわって! 怪しいに決まってるじゃねえか!」
 アレと言われたのはキサで、キサは暴挙に出る前までは、そういうことをしていたのだ。そのときにはそれでも許されていた……わけだが。
 探す人物などの目的の違いはあれ今捕まった二人も、同じような行動をしていた。会場の近くで危険人物として捕まった者と同じ行動、だ。キサのことがあった後では、疑われてもやむを得まい。
 当然、今唾を飛ばして反論している“蒼空の黔鎧”ソウマは疑ったし、一度酷い目を見たコンポートもだ。マリュウとその仲間たち以外は、と言うべきかもしれない。
 不審なだけであると言えば確かにそうだが、一度疑いを持たれた者を茶会近くに置くほどランカークは心広くはない。マリュウは捕まった者を見捨てることなく最後まで仲間だと主張したので、結局仲間と目された者すべてに対し茶会に近づくことを禁じ、もう一度会場近くで発見されたら茶会終了まで拘束すると処断した。

 これを聞いて、エンゲルスはため息をついた。きちんと指揮を執り、警護にあたるメンバーを管理する者がいれば、まだましだったかもしれないが……過ぎたことは仕方がない。
 茶会会場ですべての指揮を取っているのはランカーク自身なのだ。いつもと比べれば勤勉ではあるが、完璧に手際が良いとは言えなかった。
 とにかく、他に指揮を執る人物がいないとなれば、このエンゲルスの提案書はもう、ランカークのところに持っていくしかない。
「あのう」
 おそるおそるランカークの前に立ち、エンゲルスは警護のメンバーを管理し、シフトを組んで三交代制で夜も警備を続ける提案を話した。
「夜も仕掛けとかされると困りますし、でも、寝ないで警備を続けることはできませんから……きちんと交代制にして、人がいなくなることのないようにしませんか?」
 ランカークはもっともだ、とうなずいている。
「さっきみたいな騒ぎにもなりますから、一緒に参加している警備が誰なのか、ちゃんと把握しておかないといけないと思うんです」
 シフトを組むには名簿を作り、顔合わせをしなくてはならない。それに参加しない者は不審者扱いでもやむを得ないだろうが。そこまで話をしたところで、ランカークはぽんとエンゲルスの肩を叩いた。
「おまえの言うことは、いちいちもっともだ。任せるから、好きに準備するがいい」
「は、はあ……あ、あの……準備ですか?」
 俺が? という言葉を、エンゲルスは辛うじて飲み込んだ。
「そうだ。おまえを責任者にしてやる。名簿を作ってこい」
 ありがたく思え、という感じがありありと伝わってくる。これはもう、嫌だと言う余地はなさそうだということはエンゲルスにもわかる。
 では、避けようがないとして。
「あ、あの……責任者手当て……とかは」
 “貧乏学生”を標榜するエンゲルス。俗っぽかろうが、お金は大事だ。
「……ふむ。働き次第だな」
 だがまあ、貴族のくせにどこか吝嗇なランカークである。太っ腹に払ってやる、とは言わなかったが。
「俺、頑張ります!」
 エンゲルスには、十分にニンジンの役目を果たしたらしい。


■もう一人の貴人■
 フランは図書館の談話室にいた。いや、今日は話があると言う者がひっきりなしに彼女を訪ねてくるので、私語禁止の閲覧室にはいられなかったのだ。
 お茶会には興味があるが、招待状はもらえなかった。そういう者たちがフランの元に集まってきたのである。
 フランなら、絶対に招待状をもらっているはずだ。その予測は容易い。
「だって、一人じゃ心細いでしょ? 最近物騒だから、いざということもあるかもしれないじゃない? 護衛よ、護衛」
 “炎華の奏者”グリンダはたたみかけるように喋って、フランに迫る。フランと一緒にお茶会に入りたい、と言うのだ。
 まったく同じ目的でフランのところを訪れた秋雨も、グリンダの積極性にちょっとたじろいでいた。
「ええと……利用するみたいで悪いんだけど、今回は警備も厳重なんだし、フランさんも護衛の一人や二人、連れて行っても大丈夫かな? って思ったんだ。お茶を楽しみたいっていうのはあるんだけど……もちろん、お茶会の間、君を守るよ。約束する」
 気を取り直して、秋雨もフランに訴えてみる。
「…………」
 だが、フランは戸惑い顔だ。グリンダの勢いに押されているだけでもないようだった。
「なーに、なになに? フランちゃんを困らせちゃダメじゃないっ」
 と、そこへ、ぬっといきなり茶色いショートカットの髪が間に割り込む。こぼれそうな大きな瞳が、悪戯っぽく見上げていた。
「困ってるわけじゃないのよ」
 言葉とは裏腹に、どこか困ったような表情を浮かべて、“喧騒レポーター”パフェにフランは答える。
「そうなの? じゃあ、ね、パフェにお茶会の取材させて!」
「え?」
 パフェの発言を受け、ここでフランの戸惑いは困惑に進化した。
「それは、そもそもフラウニーに許可を求めるべきことではないのではないであろうか? パフェ殿?」
 フランが固まったのを見て、イルが代わりにパフェに答える。
「もちろん、お茶会自体の取材はアッちゃんに頼むよう。許可下りるかわかんないけど」
「アッちゃん……」
 秋雨が横で考え込んでいるが、正解はアドリアン・ランカークの略でアッちゃんである。アドリアンちゃんは言いにくいので、自然な短縮系というものだろう。
「記事はフランちゃんを中心にして書きたいの。フランちゃんとイルちゃんが困らない程度で、一緒にいさせて?」
 ね? とパフェは可愛らしく小首を傾げるが、実際のところ押しの強さはグリンダと変わりなさそうだ。
「記事は事実だけを書くよ。新聞に載せる前には見せて確認するからね」
 ここで信用を失ったら次の機会に協力してもらえなくなってしまうので、嘘はつかないだろうとは思える。
「ランカークさんが取材をお許しになるなら、私は……」
 気を抜かれたような様子で、フランはつぶやくように答える。
「やあったあ!」
 飛び上がって喜ぶパフェを押しのけて、グリンダは再度フランの前に顔を出した。
「じゃあ、私のは?」
 じゃあ、という問題ではないのだが、押しの強さに惑わされたのか、フランはグリンダにも同じ答えをしてしまった。
「で、では、そちらもランカークさんがお許しになるのなら……」
「やったあ! ありがと! フラン」
 フランの手を取って、グリンダは振り回す。秋雨はそれを、苦笑しつつ眺めていた。
 そんな様子を、ちょっと離れて見ていた者がいる。
 うろうろ、うろうろ。
 はたから見たら、フランに声をかけたそうにしているのは明らかなのだが、フランの周りにいる騒がしい女生徒の勢いに気圧されて、近づくこともできないらしい。
 彼の名はライラック。ようやくグリンダとパフェの攻勢が終了したらしいことを察して、自分もフランに……と一歩前に出ようとしたときだった。
 ライラックの横を女生徒が二人、小走りに抜けていった。
「フランさん! 私もお茶会に連れて行ってもらえないかな」
 ライラックは、再び先を越されたらしいことに気がついた……
 ライラックを追い越していった女生徒は、“光紡ぐ花”澄花だ。二人に見えたのは、リエラが自存型で、フューリアと見た目が変わらぬからである。
 澄花は、少々深刻な顔をしていた。それというのも、自分が取りまとめを勤める茶屋の仲間たちにあらぬ疑いがかかったかららしい。誤解だと仲間たちからは聞いたが、タイミング悪く疑われるようなことをしてしまった事実はなくならない。今回の茶会は諦めて大人しくしているとしても、今後もランカークから危険な集団だと思われては、他の仲間たちの立場も悪くなってしまう。
「それは、大変ですね……」
「今は、私一人で行ったらまた誤解されちゃうかもしれないよね。だから、フランと一緒に連れて行ってもらえないかな」
「そういうことでしたら」
 微笑みを浮かべて、フランは応じた。基本的にフランは善人で、困っている人を見捨てるようなことはない。
「良かった。行ったら、まず誤解させるようなことをしたのを謝って、お詫びに給仕とかお茶会のお手伝いをさせてもらえるように、お願いしてみるね」
 ほうっ、と息を吐いて、誤解が解けるといいけど……と澄花が言うと、フランも、
「私からもお願いしてみますね」
 と応じる。フランの言葉ならきっと聞いてくれるだろうと、澄花もうなずいた。
 そして、ようやく……
「あ、あの……ボクも……」
 ライラックの番が回ってきたらしい。
 もう邪魔は入らないだろうかときょろきょろとあたりを見回しつつ。最後に足元の幼い竜のリエラを見て。
「招待状はもらえなかったんだけど……ボクとカゥも、一緒に行っちゃダメかな……」


■空白の招待客■
「ええと……お茶会の準備をしている人は誰でしょう?」
 “滅盡の”神楽はお茶会会場予定の中庭の手前で、きょろきょろしているところを巡回の学生に呼び止められた。
「なんの用だい?」
 呼び止めたのはコンポートである。実は神楽はコンポートにとっては少々顔見知りではあるのだが、このお茶会に関しては色々あったので、やはり警戒心を完全になくすことはできなかった。
「当日のお天気の予報を知らせに来たんですよ」
 神楽も怪しまれるだろうとは思っていたので、用意してきた言い訳をする。うーん、とコンポートは腕組みをして、
「準備をしている人? ランカークさんじゃなくて」
 と確認した。
「仕切っている人がいいんじゃないかと思いますが」
 神楽の答にうなずいて、コンポートは神楽をエンゲルスのところへと連れて行った。
「天気予報?」
 エンゲルスもいきなりの話に首を傾げたが、とりあえず聞いておこうとノートを取り出す。
「ええと、今は晴れてますけど……明後日のうちには天気は崩れるかもしれません」
「え? 雪降るんですか? どうしよう……テント用意しといたほうがいいですかね」
「そうですね、参加者に女性が多いなら。ちょっと、名簿を見せてもらえませんか」
「名簿は……」
 エンゲルスは、ちょっと眉根を寄せる。
 そのとき、別の方向からエンゲルスを呼ぶ声がした。
「責任者、キミにお客だよ」
 警備に参加している“拒む者”アトリーズが優雅に連れて来た客は、セラを先頭にしたマリーとMAXの三人だった。
「エンゲルス様」
「あれ? セラさん」
「実はお願いがあって参りましたの。ランカーク様も御一緒だとよろしいんですが」
「どうしたんですか?」
 実は……と、セラはマリーが拾った招待状の話をし、名簿を見せてもらいたい旨を説明する。
 エンゲルスは青い髪を掻いて、神楽とセラを交互に見た。それから、決断したように神楽に向かう。
「じゃあ、俺が、名簿確認しておきますから。天気予報、ありがとうございました」
 ぺこりと神楽に頭を下げて、次にセラをランカークのところへ連れて行くと言う。
「さすがに、俺の判断だけじゃ名簿は見せられないんで、すみません……」
 神楽はセラたちを連れて来たアトリーズに任せ、そこからランカークのところに向かう。ランカークは、そろそろサウルのいるホテルに会食のために戻るというところで、ぎりぎりを捕まえることとなった。
「名簿? 部外者に見せるわけには……」
「招待状を拾ったのよ」
 マリーもランカークとは知らぬ間柄ではない。まあ、親しいというわけではないが。極端に仲が悪いというわけでもなかった。
 だからか、ずばりと本題に入る。
「この茶会の招待状か?」
「今、他にどこの招待状があるのよ? でも、宛名が読めないの。名簿を見せてもらえれば、最悪一人一人に失くしてないか聞いて回れるってことなんだけど……面倒臭いから、そっちでやってくれるなら、それでもいいわ」
 返すわよ、とマリーは招待状をランカークに突き出す。
「マリー様……」
 あけすけなマリーの発言に、苦笑を浮かべてセラがマリーの袖を引いた。
「ううむ……こちらにもそれほど人手はない。他に方法はないのか?」
 さすがのランカークも迷ったようだ。
 そこで、先ほど止められたMAXが挙手をした。
「俺のショコラの遠見で」
 現場からかなり離れたので少々心もとないが、「招待状を探す声」を探してみたらどうだろうと改めてMAXは提案してみる。
「あるじゃないか、方法が」
 それを聞いてランカークは、意味もなくえらそうに胸を張った。
「ですが、先ほどは大通りでしたので」
 しかし、セラの反論に空気が抜けたようにまた萎んだ。
「ううん、じゃあ、今やればいい!」
 ランカークに急かされて、MAXは魔方陣を描きはじめる。それから呪文のようなものを詠唱し……
 しかし結果は。
「すみません、それらしい声は……探してそうな人も見えなかったし」
 ううむ、とランカークは唸る。他に選択肢がなさそうだと思ったのか、
「やむをえんな……名簿を見せる」
 ついてこい、とランカークは踵を返した。

「名簿を?」
 綺麗な手作りの装丁をされた名簿を持っていたのは、受付役を引き受けた“銀晶”ランドだった。受付に出るのに不手際がないよう、事前に準備が要るからとランカークから受け取っていたものである。
 茶会の受付に出るというのは、普通の貴族の屋敷であれば執事の仕事だ。名簿は実は頭に入れておいて、それ自体は開くことなく来客を確認しなくてはならない。学生にそこまで求めるのは酷であろうが……
 とりあえず、努力は求められる。なので、ランドは今日一日名簿を持ち歩いていた次第だ。
「どうぞ」
 と、自分の大学ノートと重ねて持っていた名簿を、ランドはランカークに差し出した。
「どうしますか? 俺、もう今日のシフト終わるんで帰りますけど、返しておいた方がいいですよね?」
「ああ、そうだな。覚えられたか?」
「……明日には」
 そう言ってランドは立ち去り、残された者は名簿を開いて覗き込んだ。
「なんでおまえまで、覗き込んでおるんだ」
「いや、俺は、天気予報が雪だというので……」
 その中にエンゲルスが混ざっているのを見て、ランカークは「ん?」と怪訝な顔をする。
 かくかくしかじかしどろもどろと事情を説明すると、ランカークはくわっと歯を剥いた。
「馬鹿め! それなら名簿は関係なかろう。男女の別なく客は貴人なのだ。テントの用意と上掛け物と暖房器具の手配を急げ!」
「はい〜っ!」
 走り出しつつ、これって自分の仕事なのかなあとエンゲルスは心のどこかで思ったが、もはや手遅れだった。『貧乏くじ』という運命にはまってしまったのだから……
 その間にも、セラたちは名簿の確認をしていた。
「ほとんど学生ね」
「教授がいるなあ」
「でも、教授も全員じゃありませんわね」
 法則に首を傾げつつ、どのみち書き写していくしかないだろうということになった。
「ああ、教授は尊敬するべき方々だから御招待したが、フューリアでない方には招待状は出しておらん」
 エンゲルスを追い払ったランカークが、聞かれてもいないのに説明をする。
「じゃあ、参加者はフューリアだけ?」
「例外は学園長だけだ。どちらかわからんのでな。学園長からは欠席の連絡が来ているので、正直ほっとしたが」
 ほっとした……というところで、名簿を見せてもらっている三人は顔を見合わせた。
 まるで、本当は呼びたくなかったかのような言い草だ。
「学園長は、本当は招待したくなかったってこと?」
 ストレートにマリーが訊く。それで自分で言い出したくせに、ランカークはたじろいだ。
「む、ううむ……フューリアかどうか、確認のしようがなかったのでな」
 偉い人のお達しで『招待客はフューリアだけ』と決まっているらしい。
 何故フューリアだけなのかは……
「フューリアは、この帝国を建国した者の末裔だからだろう」
 うぉほん、とランカークは咳払いをしている。実際のところどうしてなのかは、ランカーク自身も知らないようだった。
 とりあえず参加者の名前をメモして、三人は微風通りに戻ることにする。後は人海戦術で総当りをかけてもいいだろう。
「もう、日が暮れますわね……」
 セラは、傾きかけた陽の染める赤みのかかった空を見上げた。

「僕の護衛?」
 その日、陽の暮れる時刻。学園では双樹会会長室を、一人の少年が訪ねていた。その少年“笑う道化”ラックは、ノートを一冊携えていた。
 用件はと言えば、双樹会会長マイヤの、茶会への護衛に立候補すること。仮に茶会の招待客の基準がどんなであっても、双樹会の長たるマイヤがその選出から漏れていることは考えにくい。招待状のもらえぬ身では、結局誰かの護衛の名目でもぐりこむのがもっとも簡単……と、そのあたりは他の者と考えは変わらない。
 ただ、ラックの目のつけどころは変わっていたのか、それまでに同じ目的の者がマイヤの元を訪れた形跡はなかったようだ。
「僕に護衛は必要ないと思いますが」
「そう冷たいこと言わへんと〜。ボクは色々役に立ちまっせ」
 純粋にマイヤのことが心配で……というわけではないことは、取り繕うとはしなかった。楽観的なのもあったし、嘘をつく意味もなかったからだろう。
「そうそう、ある人からもろうたんやけど、これなあ、茶会の名簿の写しなんや」
 それまであまりラックの存在自体に興味を示す様子のなかったマイヤだったが、そこへきて、『茶会の名簿』には興味を示した。
「知り合いがやなあ、今回の茶会は怪しいとこ多いし、できれば事前に会長サンに招待客をチェックしてもろたほうがええゆうてな。ボクに持ってけって」
 そう言いながら、ラックはパラパラとノートをめくっている。
「……わかりました。そのノートはいただいておきましょう」
 にっこり笑って、マイヤは手を伸ばした。
「ほな、渡しとくね。高貴な人を招待て言われとるけど、中には不思議な人もいるみたいや。ルーとか、クレアとか……あの二人って貴族様やったっけ? まあ、元々こんな寒空に中庭で茶会しよなんて、えらい変わった人の決めたことやろし」
 よくわからない基準があるのかもしれないと、ラックは一人で納得しながら、マイヤにノートを手渡す。
「それでは、僕は、ちょっと出かけますが……護衛の件は、主催者側が認めてくれるのならば、構いませんよ。それで、入れてもらえるかどうかはわかりませんが」
 最後まで責任は取れないが、ついてくるのは構わない。そう言ってマイヤはノートを持ったまま会長室を出、ラックも一緒に部屋を出た。先を行くマイヤの後ろをちょこちょことついていきつつ。
「マイヤ会長、会長は、今回の主賓の貴族のことは知っとるの?」
 名前とか……と、ラックが聞くと、マイヤは、どこか別の方向を見るようにしてそれに答えた。
「名前は存じ上げていますが……それだけですね」
 ふうん、とラックは鼻を鳴らした。

 彼らが出発したときには、まだ陽は傾いてはいなかった。
「この二人で行くのか」
 “天津風”リーヴァは、共に行動する相手の顔を見た。ハロルド=ネイマンもリーヴァを見返している。
「そのようだな」
 さて、リーヴァは事情を聞いて自ら名乗り出、ハロルドはランカークに命じられてときっかけは異なっていたが、目的は同一である。
 その目的とは、クレアとルーをお茶会に出席させることだ。
 ランカークの元で集合した二人は、学園を出て、まずは寮に向かう。
「私が聞いたときには、他にランカークの従者が一人同行するということだったが……キミか?」
 ランカークに命じられたのは、ハロルドの方が早かったようだ。いつごろの話かを聞いてから、リーヴァは首を横に振った。
「私のことではないな。貴族に名を連ねる者として、ランカーク卿の子息のことは十分知っているし、それなりに付き合いもあるが……従者と呼ばれるような関係ではないね」
「そうか、じゃあ、変わったのか」
「私が希望したので、入れ替わったのかもしれないな」
 ふむ、とハロルドはうなずいた。
「自ら望んだのか」
 訊くともなく、ただ復唱するだけのような調子でハロルドは言う。
「それがアルメイスのためだよ。この学園を作り、管理しているのは、この帝国そのものだからね」
 アルメイスはこの国の最先端の技術と財力を注ぎ込まれ、他の都市よりあらゆる面で優遇されている。直接には財も実りも生み出さぬ、非生産の都市でありながら。研究都市であり、この地で開発された新しいものが他の土地にもたらされることもあるが、まだ少数の事例だった。
 だが、ただ金がかかるだけなら投資は行われない。見合う見返りが帝国にとって存在するから、アルメイスは大切にされているのだ。そしてその見返りとは、フューリアそのものだった。
 支配階級として、優秀な軍人として、帝国に寄与するフューリアを送り出すからこそ、アルメイスには価値がある。フューリアに、利用価値があるから……では、反抗的なフューリアに利用価値があるだろうか。
「視察に来た方の機嫌を損ねれば、アルメイス全体に不利益が生じかねないだろうね」
 対効果が乏しいと思われれば、投資額は減るかもしれなかった。それはこの都市の不便に繋がるだろう。言うことを聞かせようとするなら、締め付けが厳しくなることも考えられた。それは学生の不自由に繋がるだろう。
 あるいは……もっと非人道的な手段に出ないとも限らない。帝国が、アルメイスに『利用価値』という意味だけを見ているのなら。その選択も、リーヴァには、ないとは言えなかった。
「……そうか」
 ハロルドは無感動に答えた。
 それ以上は話も続かない。リーヴァのほうはけして人付き合いの悪い性格ではなかったが、ハロルドのほうがあまり他人に関心を寄せないタイプであるようだった。
 二人はその後は必要最低限の言葉を交わすだけで、歩いていった。そして寮に赴き、クレアとルーの不在を知る。
「クレアとルーなら、今頃はアルバイトだと思うわ。今日は微風通りのほうで、ビラを配っているはずよ」
 ちょうど女子寮の入口の前で行き会った女生徒、カレンの口から二人の目的の人物の不在と行き先はもたらされた。
「ありがとう」
 リーヴァはカレンに礼を言い、今度はその足で微風通りに向かう。
 微風通りまで来ると、ルーとクレアを探しだすのは困難なことではなかった。
 微風通りには普段よりもアルメイスの制服が大量に見られたが、混乱するほどでもなく。
「クレア・エルグライドさん、ルチアル・ティンダーズさん、招待状をお持ちした」
 まず、淡々とそう言って二人の少女に招待状を差し出したのはハロルドだった。
「金貨の導きによると、君たちを茶会に連れて行けば、私にとって幸いとなるらしい。共に茶会へ出席してはもらえないだろうか」
 その一瞬は、ルーも、クレアも、周囲にいた学生たちも、驚きの瞳でハロルドとリーヴァを見返した。
 そして声を発するより前に、ルーはクレアの後ろに隠れてしまう。
 しかし、人見知りの激しいルーの行動としては、それ自体はおかしなことではなく……
「茶会の主賓の方が、君たちに会いたがっているらしい。今回の視察にいらした方は、影響力のけして小さい方だとは思われない……その方の意向に背くようなことをすると、アルメイス全体にも悪い影響が出かねないだろう」
 ハロルドに説明したことを、リーヴァはこの場でも繰り返した。
 取り巻く学生たちからも、息を呑む気配がする。悲観的とは言い切れぬ予測に、眉を顰める者もいた。
 他の土地では……特に帝国外では、フューリアは恐怖の対象である。帝国内でさえも畏怖される立場に変わりはない。化け物扱いの土地もある。アルメイスは、その点においては揺るぎなく、フューリアにとって安寧の地だった。学生の時間を終えても、研究者などになり、このアルメイスに定住を望む者は後を絶たない。学園の歴史ゆえにまだ少数であるが、この先、老いてこの安住の地に戻って来る者もいるだろう。
 そのアルメイスの存亡がかかるのならば。
 それが大げさだと言い切れるのなら、良いのだが。
 使者たる彼らに大儀たる理由がなかったならば、二人を取り巻く学生たちは短気に手を出したかもしれなかったが……このアルメイスに住まう罪なき者にも悪影響を及ぼすと諭されてまで、手を出せる者はいなかったようだ。理不尽だとは思っても、ここはそのために造られた街。
 だが、ルーはなおクレアの後ろに隠れている。クレアの制服の背中をぎゅっと強く掴んでいる様子が窺えた。
 クレアは困ったように背中のルーの気配と、目の前の使者を比べている。
「ルーさん、クレアさん、どうするんだい?」
 見かねて、招待状探しを手伝っていた“優しき氷皇”ファルコが問うと、ルーはただ俯いた。
「あたしは行ってもいいけど……ルーはそういう人の多いところ苦手だし、ルーが行かないなら放っておけないしね」
 てへへ、とクレアは笑って見せる。
「ルーさんは、どうしても嫌なのかな?」
 ファルコは少し屈むようにして、ルーを覗き込んだ。
「私は……」
 ただそう言って、ルーは視線を逸らす。
「どうしても嫌だって言うのなら、無理強いはできないけど……僕も、できるなら、行ったほうがいいと思う」
「そうですね……私も、行ったほうがいいと思いますよ。どうしても、駄目なんでしょうか?」
 “荒れ狂う大地”高坂・錬も、渋るルーに囁きかける。
 他に困る人が出るのならば。そのとき原因となった者は、今了承するよりも、はるかに辛い立場に立たされるだろう。ここは応じるのが、先々を考えに入れれば二人のためである、と思えるところだった。
「そんな……ルーさんは、行きたくないんだろう? 無理強いするのは良くない」
 だが、“蒼茫の風”フェルが間に入る。しかし……理路整然と述べられた使者の言葉に、とっさには上手い反論は思いつかなかった。
「確かに、そんなふうに言っても、ルーさん困っちゃうわね」
 更にそこで間に割り込むように、カイゼルが入った。
「私も、ルーさんと一緒にお茶会に行けたらいいなって思うけど……一人で行ってもつまらないし」
 でも、今は視線が集中して、あがり症のルーは緊張で返事などできる状況ではないだろうとカイゼルには思われた。
「あのね、もうちょっと落ち着けるところでお話しない? あと……男の人をもう少し少なく……ね」
 みんなには悪いんだけど、と、カイゼルはあたりを見回す。対人恐怖症の男性恐怖症の節のあるルーに、この状況は辛すぎるだろう。これでは、答えられるものも答えられない。
 それで……
 近くのカフェで一番大きな丸テーブルを囲むときには、茶会の使者、リーヴァとハロルドを除いては女性だけになっていた。男性陣は外に待機である。
「もしも、出席したくない理由があるのならば、教えてもらえないだろうか。君たちに出席を願うのはアルメイスのため。不満がある状態で出席しても、結果的に主賓の機嫌を損ねるような態度を取ってしまうのなら、意味はないんだ。出たくない理由があるのならば、気持ちよく出席できるように、解決するよう努力しよう」
 リーヴァの言葉に、カイゼルはうなずいた。
「クレアさんは、問題なかったのよね。ルーさんのほうは……理由は、人の多いところが苦手だからかしら」
 深く俯いたまま、ルーはこくりとうなずく。
「注目されるのが苦手なんだよね」
 にゃはは〜とクレアは場を和ますように笑って見せる。
「注目されないようにすればいいんだろうか。裏から入ったりとか、主賓が話をしたがったときには余興などで目を逸らしておくとか、そういう手配くらいはできるだろう」
 そこで、しばらく考え込んで、リーヴァは提案を続けた。
「それでも、どうしてもルー君が人ごみが駄目なら、クレア君だけでも来てくれないかな? ルー君が出席できないことは、私からも主賓にお詫びするよ」
「え!? あたし一人だけでもいいの!?」
 そのときクレアは本当に驚いたような声をあげ、そしてルーははっとしたように顔を上げた。
「クレア君、どうだろう? 歌や演奏の余興もあるし、美味しいお菓子もある。少し堅苦しいところもあるかもしれないが、そんなに長い時間ではないし、不手際のないよう私が責任持ってエスコートしよう」
 リーヴァはあくまで紳士的に誘いをかける。大きな瞳を輝かせて、クレアはうっとりと言った。
「歌いいなあ〜。ええっと、あたしは別にいいんだ……けど」
 クレア自身は、お茶会に心惹かれている様子だ。だが、やはりルーが気になる……というところだろう。
「どうしよっかな……」
「……た」
 そこで、ルーの声が微かに響いた。
「……わかり……ました」
 聞き取れるか聞き取れないかという声で、出席します、と。

 当日また寮まで迎えに行くと約束して、使者たちは帰っていった。もう陽は深く沈みかけ、空の朱は紫へと移りつつあった。
「良いのかね?」
 サワノバがカフェからルーに確認したが、ただルーはうなずいただけだった。
 話を終えてカフェから出てきたリーヴァたちに、ユウ・シルバーソードは今いる全員を一緒に連れて行けと無理難題をふっかけたが、それは目立ちたくないというルーの意向にそぐわない。だが、せめて護衛としてついて行きたいという希望を“闇の輝星”ジークなどが訴え、1〜2名程度ならばランカークに交渉しようという約束を取り付けることができた。望む全員は無理だろうから、当日ルーたちの元に迎えが来るまでに誰がついてゆくかを決める必要があるが。
 そして、リーヴァたちが去り……
「そんなことがあったの?」
 マリーたちが戻ってきた。学生寮へ行っていたセラスたちも。
「ああ……」
 ジークは戻ってきた者たちに説明をしようとして……
 急にしゃがみこむ。
 そして、近くの建物の上に向けて鋭く石を投げた。
 急のジークの奇行に、話を聞こうとしていた者たちは目を見張った。
「な、なに?」
「……いや、気のせいだったみたいだ。誰か、いたような気がしたんだが」
「誰かって、屋根の上に?」
 セラスがあきれたように言う。
「いないみたいだな。気のせいだったんだろう」
 立ち上がって、ジークは膝についた霜を叩いた。それから、説明を再開する。
 マリーなどにはあまり関係ない話だからだろう、ふーんと言ってそれ以上の追求はなかった。
「ところで、名簿見せていただいてきたのですけれど」
 明日も手伝ってくれる人がいるのなら、訊いて回って持ち主を探しましょうとセラは言う。もう夜が迫っていることで、これで今日は落とし主探しも、お開きにしようということとなった。


■夜の狭間で■
 アルメイス・タイムズ社には、その昼、客人が二人訪れた。
 一人は“静なる護り手”リュート。彼は帝都から来た客人について、知りたいと言った。
 もう一人は“幼き魔女”アナスタシア。彼女は“運命改革者”レアンの行方を知りたいと言った。
 リュートの願いは、僅かながら、ほどなく叶えられた。
 今アルメイスを訪れている青年は、皇家の血に連なる者であるらしい、と。だが、現在中央政治の表舞台に立つ、皇太子のような立場ではない。タイムズ社で得られた情報は、彼は今まであまり表立って活動していない3番目か4番目の皇子であろうというところまでだった。
 リュートが彼の名前を知っていたなら、何番目の皇子であるかもわかっただろうが……
 ひとまずは、そこまでだった。
 アナスタシアの願いは、夜の帳が降りる時分まで、何一つ得られなかった。
 だが、アルメイス・タイムズ社の局長は、敏腕であることで有名だ。その情報はあらゆるところからもたらされる。夜が空を支配する頃、局長は、ただ一つだけ情報を持ち帰ってきた。
 それは、レアンらしき人物を微風通りで見たという話を。そして、学園生徒らしい黒髪の少女と接触したという話を。
 それが誰なのかは……

 セラスは招待状探しが解散した後、ある人物の姿を探していた。
 その人の名は、エリス。
 セラが「最後の手段」だと止めた過去見を、セラスは寮で知り合いにこっそりやってもらったのだ。直接見えるのではなく、過去を自動筆記するのならプライバシーも侵さないだろうと……自分を納得させて。
 だが微風通りに戻ったとき、それを黙っていたのは、得られた情報がセラスを悩ませるものだったからである。
 『微風通りでマリーに拾われた茶会の招待状の、持ち主』と言う問いの答として記されたのは、二つの名前。それは……『エリス』と『レアン』。
 どちらが正しいのか。それとも、両方が正しいのか。
 ひとまず探すべきはエリスの姿だった。

「お姫様から呼び出してくるとは珍しい」
 夜の闇の中からひっそりと、彼は現れた。
「誰かに見られたら、疑われて大変だろうに」
 微風通りの人通りのない路地裏で、エリスは佇んでいた。
「……なら、私の目の前に現れないで欲しかった。昼間出会わなければ、こうして話をしようとも思わなかったのに」
 何かに耐えるように目を伏せ、エリスは呟く。
「君が用があると言わなければ、もう午後にはアルメイスを離れようと思っていたんだが」
「……そう。じゃあ、無駄だったかもしれないわね」
 エリスは、懐に手を差し込む。
 そして……怪訝そうに眉を顰め黙り込んだ。
 そのとき。
 その路地裏へ一歩踏み出すべきかどうか、セラスは迷った。それでも、エリスが今何を悩んでいるか、わかってしまったから……一歩踏み出そうとし。
 それを止めるべく後ろから伸ばされた小さな手に驚いて、小さく悲鳴を上げた。
「きゃ……!」
 止めようとしたアナスタシアは、口を塞ぐ手が間に合わなかったことに舌打ちした。幼いアナスタシアのほうがセラスよりも小さく、腕が短いからだから、やむをえないが。
 路地裏の二人が、この声に気付かないはずもない。
「誰だ……!」
 ゆっくりと、だが鋭い問いに、アナスタシアは今度は、セラスの手を引いて前に出た。
「邪魔してすまぬな。だが、何もせんし、させぬゆえ、勘弁してもらえぬかの」
 エリスもレアンも慌てることなく、セラスとアナスタシアを見ている。
「そちらのお嬢さんは?」
 まだ戸惑っているのはセラスだけだ。レアンは、セラスのほうへと問う。
「私は……エリスさんに。どういうことだかわからないけど、招待状がないんじゃないかしら」
「そう……どこかで落としたみたいね……知ってるの?」
「マリーさんが昼間拾ったの。宛名は見えなくなっていたけど……エリスさんのなの?」
「私のじゃないわ。私のところに来たものだけど、お門違い。会わなければ渡そうとも思わなかったけど」
 そう言うエリスの視線の先には、レアンがいる。
 それはいったいどういうことなのか、セラスにはまだわからなかったが。
 レアンには、先にその意味がわかったようだ。笑いを堪えきれぬという風情で笑っている。
「ずいぶんあからさまな罠だと思っていたが、そこまでされると、誘いに乗らないと失礼にあたるような気はしてくるな」
「……マリーさんが拾った招待状は」
「彼宛のものが、一回り大きな封筒に入って私のところに届いたのよ。私宛のものとは別。開けてみればはっきりわかると思うけど、差出人も多分ランカークじゃないわ」
 とてもよく似た白い封筒ではあったが。並べて比べるなどして、よくよくに調べてみたならその違いもわかったかもしれない。
 レアンを招待する意味は、その場の誰もわからない。ランカークがしたことでないのなら、それをした者は、いや、それができた者はただ一人だ。
「拾ってもらったのね……今、手元にはないけど……招待状はいるかしら?」
 エリスの問いに、レアンは首を横に振った。
「罠に違いはなかろうよ」
 だが、挨拶に行くくらいは考えてみてもいいかもしれないと言い、レアンは歩き出そうとする。
「待ちや……おぬしに聞きたいことがあるんじゃがの」
 それを、アナスタシアは呼び止めた。
「人前では言いにくいかもしれんが」
 レアンは黙って振り返る。
「おぬしの目的はいったいなんじゃ? アルメイスの……いや、帝国の崩壊か?」
 レアンは、にやりと笑ったような気がした。
「それとも、真のフューリアとやらの覚醒か? ……あるいは、もっと別の何かかの」
「考えてみるといい」
 自らの歩む道が誤りではないかどうか。
 流れ行く運命に逆らう者。それゆえに、レアンは“運命改革者”の二つ名を持つ。
「帝国が、このまま誤った道を辿るのならば、いつか鉄槌は下されるだろう。そうあるべきだ。だが、過ちが正されるのなら、異なる道もあるだろう」
 何が正しく、何が間違っているかを見極めることも、また力。
「真のフューリアであれば、帝国の過ちは見極められようよ。帝国が、いかにフューリアの真理に背こうとしているかは」
 そしてレアンは闇に溶けた。
 もう見えないその背中に語りかけるように、エリスは呟く。
「正義も真実も一つじゃないわ……」
 気がつけば、怜悧な視線はアナスタシアに向けられていた。
「あの人の正義が、あなたの正義と同じだとは限らない」
 フューリアの血筋を頂点とする帝国の正義が、彼の正義と同じではなかったように。
「釘を刺さんでもわかっておるわ。まだまだ、判断を下すのは早いということはな……」
 幼さに似合わぬ言葉で、アナスタシアは答える。
 ……返事の代わりに、エリスは目を伏せた。


■どこまでも透明な朝に■
「まあ、落とした方、見つかりましたの?」
 セラスは翌朝、エリスと共に、寮で今日も落とし主探しをするべく集まっていた者たちのところを訪れた。
「どうやって……」
 と、問われ、それはその、とごまかしてはみたが、知り合いに過去見をしてもらったことはばれてしまった。
「最後の手段と申し上げましたのに……」
「ずるいですわ、セラス様! 私、止められましたのに」
 華瑠螺とセラに責められて、ごめんなさいっと頭を抱える羽目にはなったが。
「とにかく……それは私の落としたもののようね。返してもらえるならば」
 だが、探していた仲間の中からは「やっぱり証拠がないのではないか」と異論が上がる。名乗り出たのがエリスだから……ということではないのかもしれないが。
「証拠なんて言い出しちゃうと、きりがないのに」
 連れて来たセラスは困惑したが、エリスはもっともだとうなずいた。
「別に返してもらえなくても構わないわ。でも、それこそ過去見で見てもらっても構わない」
 事情を知るセラスは驚いたようにエリスを見たが、エリスは平然と続けている。
「それは昨日、微風通りの屋台で買い物をするとき財布を出して、それと一緒に出て落ちたのだろうと思う」
 心当たりの店の名前とその場所も、エリスは語った。それで華瑠螺が、結局見てみることになり……
「確かに、エリス様が落としていますわ」
 華瑠螺の確約を経て、招待状はエリスの手に戻ることとなった。
 それで、今日の捜索は終了となったわけだった。
 エリスの手に招待状が戻った時点で、エリスの回りには人が集まっている。お茶会に行きたかったり、興味のある者たちだ。
「ねぇねぇ、ボクも一緒に行っていい?」
 クロウの攻勢には、エリスは一歩引き気味だ。クロウは口は回るが、結局理屈らしい理屈にはなっていないので、口下手なエリスには答えようがないのだろう。 
 他にも、行かないなら招待状を譲ってくれと言う者がいたりと、エリスの回りはにわかに喧騒状態だ。
 エリスが今黙っているのは、困っているからだった。実際にはそんなに行きたいと思っているわけでもない、しかし行かないわけにもいかない気がする茶会の話。そんな中で、
「あのねぇ〜、お茶会に行ったら、お茶会に出てきたお菓子がどんなだったか、後で教えて?」
 ナギリエッタがエリスの袖を引き、そうふんわりと言ったのが、凍り付いていたエリスを溶かした。
「……わかった」
 それは、エリスにとって茶会に出る理由になり得るものだったので。

「サウル様、お迎えが来ました」
 カリンがドア向こうからサウルを呼ぶ。中からエドウィンがドアを開け、そしてサウルは廊下に出た。
 今日は、これから市内の視察に出かけるのだ。修練場や学園付属研究所など主要施設を回る。ランカークも今日は同行し、むろん警備も増える。
 ホテルの重厚な扉が開いて、中から人影が現れると、ホテル前で待っていた馬車の御者台から“無神論者”バティスタも道へと降りた。
「本日警備につかせていただきます、バティスタと申します」
 そして、黒衣の貴人に一礼する。
「ありがとう、ご苦労だね。それほどかしこまる必要はないよ」
 サウルは穏やかに応じて、緊張しないようにバティスタに告げた。
「今日も天気が良いから、御者台は寒そうだ。気をつけて」
「はい」
 ランカークは扉のところで待ち構えていて、あらかじめ中を暖めてある馬車の扉を開けるタイミングを計っている。
「ささ、サウル様、中へ」
 付き従ってきたエドウィンは御者台で、カリンは中だ。ここは女性が優遇されるのは、やむを得ないところだろう。
「前に来たときから、アルメイスの様子は何か変わっているかな」
「はあ……」
 窓の外を見ながら、サウルは言う。御者台にも、わずかに中の会話は漏れ聞こえた。
「初めて来たんじゃなかったのか」
 バティスタは馬に鞭を入れながら、隣に座ったエドウィンに聞くともなく、呟いた。
「……実は、結構来てるらしいよ」
 エドウィンも、答えるともなく答える。サウルはアルメイスの情勢について、かなり詳しいと。
「ほう? 初めて知ったな……前のときには話題になってなかったってことか」
「そうだな……お忍びで高官が視察に来てるって言うのは、よく言われてる。その中の一人だったってことなんだろう」
 ふうん、とバティスタは流した。
 心の中に、疑問は増えてしまったが……何故、わざわざ色々と騒がしいと知っていて来るのか、という疑問がバティスタにはあった。ただの視察なら事件の解決を待って、落ち着いた後に来ればいいものをと。今までは他人に知られることなく、こっそりと来ていたのなら、なおのこと……
 だが、自分には直接は関係のないことと、バティスタは疑問を飲み込んだ。
 自分の今の役目は、警備をすることだと。
 そして、馬車はアルメイスの街を走っていった。何事もなく。静かに……
 誰も、その行く手を妨げることはなく。


■高貴なる茶会■
 お茶会当日、もっとも忙殺されていた者はと言えば、雑用や準備を引き受けた者だっただろうか。ただでさえ規模のわりには裏方が少なくて忙しいのに、ランカークは容赦なく無茶を言うのだ。
 自ら望んで準備を引き受けた者は少なく、“静けき月夜の”カウェルと“白夜の月雪”コーリアの兄妹の希望通りにすべてを学生の手で準備することは叶わなかったが、その分希望は通りやすかった。
 丸一日あったおかげで、コーリアは、同じくランカークに雇われたバイトの“紅髪の”リンと手分けして、かなりの数の焼き菓子を焼くことができた。
 初めは、微風通りにある菓子店にケーキを注文してあるとランカークは主張したが、
「材料はランカークさんが、良い物をそろえてくださるんですよね?」
 とコーリアが言ったのに、ランカークがついうっかり、
「もちろんだ!」
 と答えてしまったために、なし崩しに認められたという経緯だ。
 ともあれアルメイス中の菓子の材料を買い占めてきたような食材の山はかなり消費されて、今度はあらゆる焼き菓子の山に姿を変えている。
 今日は朝から昨日のうちに搬入されて業者と共にカウェルが配置したテーブルにクロスをかけて、いったいランカークはどこから調達してきたのかと首を捻るような花をコーリアが活ける。
 茶の用意は、フランの口利きで準備に入った澄花がしていた。彼女の管理する茶屋の仲間は茶会の終わるまでは会場に近づいてはいけないとランカークが言うので、茶の支度は澄花だけでしなくてはならない。
 だが、ここできちんと勤め上げなくては、後に禍根を残す。ランカークに悪印象を残しては、やっぱりこの学園では何かと動きづらくなるのだ。次にこういうことがあったとき、今回には関わらなかった仲間が邪険に扱われるような事態は、澄花は避けなくてはならなかった。
 そしてリンが、各テーブルに皿に盛った焼き菓子を配っていた。
「こういう菓子は、暖かいほうが美味いだろう」
「これから、暖めるので……?」
 中のしっとりとした、厚みのあるクッキーを指して、ランカークが言う。
 リンは困惑したが、結局は学食の厨房を借りて直前に温めることになった。
「あの、ピラコッテとファンティーニは?」
 焼き菓子全部を暖めるのかとリンが聞くと、ピラコッテは暖める必要はない、とランカークは言う。
「薄いクッキーも暖める必要はない。あれは、さくさくした歯ざわりを楽しむものだからな」
 なにか、こだわりがあるらしい。
 よくわからないまま、リンは皿を回収していった。
「今から暖めて、間に合います?」
 様子を察して飛んできたコーリアが問うと、リンはため息まじりに答えた。
「この仕事を引き受けた以上は、ランカーク殿は雇い主だ。可能な限りは、その希望を叶えなくてはならないだろう」
 しっとりしたクッキーや、ふわふわのファンティーニは、確かに焼きたての風味が美味しい。特に、今日は外で、寒い中の茶会だ。
「でも、もう一番早いお客様はいらっしゃるかも……」
 コーリアが心配そうに受付の方を窺う。
「今から順に暖めて、暖めたものから持ってくる。かごに入れて持ってくるので、配ってもらえるだろうか」
 リンの提案に、にこりとコーリアは応じた。
「わかりました。熱々を配りますね」
 カウェルと二人で配ると。

 警備のほうは、当日に来て、二人の不審者を捕らえていた。
 “自称天才”ルビィは一度は正面から堂々と乗り込もうとして、受付のランドにすげなく追い返され、その後忍び込みを企んだようだ。
 もう一人、“銀の飛跡”シルフィスも会場に潜入しようとして……
 二人とも、結局はあっさり警備に捕らえられた。
 その頃には、ぱらぱらと客人が訪れ始め、立食の茶会はさざめく喧騒の中に包まれていこうとしていた。
 昨日まで晴れていた空は、今日は重い雲が覆っている。天気予報は、当たるかもしれなかった。
 そしてそれぞれの迎えは、それぞれの場所に向かう。
 クレアとルーの迎えは、寮へ。
 サウルの迎えは、ホテルへ。

「お迎えにあがりました」
 クレアとルーの前には、リーヴァとハロルドが立った。そしてクレアとルーの後ろには、護衛の権利の激戦を勝ち残ったらしいジークとサワノバがいる。
 まだ、ルーは浮かない顔をしていたが……
「これから、お茶会ですか?」
 そのとき、寮の前にいた彼らに声をかける者がいた。振り返れば、マイヤだ。その後ろではラックが鞄持ちをしている。
 リーヴァが、ええ、と答えると、
「では、会場まで御一緒しましょうか。僕たちもこれから行くので」
 マイヤは朗らかに言った。

「お迎えにあがりました」
 今日は、バティスタはホテルの入口まで出向いてサウルを出迎えた。ランカークが一緒でなかったせいだ……正確には、ランカークがこうしろと言ったせいだ。
「今日もご苦労様。楽しみだね、お茶会」
 サウルは朗らかに言って、馬車に乗り込む。
 バティスタは、昨日よりも緊張していた。襲われるならば、実は茶会ではなく、その行きではないかと思っていたからだ。
 だが、黙って馬の尻に鞭を入れる。
 馬車は流れるように走り出し……

 フランは少し恥ずかしそうに会場に入った。お供の名目で連れている者が3人。ちょっと多いかもしれなかった。周囲はフラン自身ほどには、そういったことは気にしてはいないのだが。
 実際には澄花のためにかなり早くから会場近くにいたのだが、入ったのは茶会に客が入り始めてしばらくしてからだ。フランが会場内に入った頃には、もうだいぶ招待客の姿も増えていた。フランは、ゆっくりとあたりを見回している。
 会場内に入り、秋雨がお茶をあれこれ飲み比べて良いのを受け取り、フランのところに戻ってくる。そのとき、やはりフランがどこか浮かない顔をしているように秋雨には思えた。
「フランさん?」
「あ……すみません」
 はっと気がついたようにカップを受け取り、フランは取り繕うように微笑む。
 カップに口をつけ、ライラックがもらってきたお菓子の皿からピラコッテを一枚もらって……普通に振舞っているようだったが。
「何か、気になることでもあるのかな?」
「そういうわけではないんですけれど……やっぱり、エリアの教授はご招待されてないのかもしれないと思いまして……」
 フューリアに対して、エリアとは、リエラと交信できぬ者を指す。
「やっぱり?」
「……いいえ、なんでもないんです」
 フランは、思い過ごしのようだと、もう一度微笑んだ。

 ……そのころ。フランよりも少し早く会場入りした“闇司祭”アベルも、同じことを考えていた。
「エリアの姿は一人もいない」
 貴族の端くれとして、自分が招待客の中に入ったことは、アベルにもわかった。ならば他には? と、招待客の基準を直に見極めようと、アベルは目を凝らしていたのだ。
「学生は貴族と、成績優秀者……か?」
 招待状を受け取りながら欠席している者もいるようだったし、何らかの手段を用いてもぐりこんだ者もいるようだったので、決定的だと言うことはできなかったが。
「教授陣を見る限りは、フューリアであることが最低条件か」
 おそらくは、フューリアでも、より優れている者。
 貴族の血筋も、血の濃い方が優秀なフューリアが出やすいと昨今は囁かれている。血が薄まったがゆえに、フューリアの数は昔よりも減少したと。もっとも、貴族の血が拡散したがゆえに、昔はフューリアを生み出すことはなかったと言われる貧民窟からも、フューリアが目覚め現れ始めた……とも言われている。
 いや、それも、通説の一つに過ぎないものではあるが。
 しかしその説を信じるのなら、今回の茶会で招待された『貴族』とは、『血の濃いフューリア』という言葉を置き換えたに過ぎない。その最後に行きつくのは……『優秀なフューリアの血』を集めた……というところだろうか。
 アベルは、これを確かめてみたい衝動に駆られた。フランのように、心の奥底にしまいこむのではなく。

 寮から出向いた者たちのほうが、会場には早くついた。約束通り、リーヴァはルーたちを裏手から中へ入れるように手配してあり、注目を集めることなく一行は中庭の片隅に入る。
 もちろんマイヤは普通に、正面から入っている。
 そのとき、手配されていた通りルカが歌い始め、招待客の視線は見事にそちらに集まっていた。上手いは上手いのだが、何よりランカークの声で上手に歌っている鳥が『これは何!?』というような意味での注目を集めていたのである。
 そして、ほどなくして主賓の登場となった。
 会場がざわめく。サウルの周囲には出入り口でサウルを出迎えた“踊る影絵”ジャックらを加え、結構な数が取り巻いていた。
 サウルは回りに微笑みかけながら進み、エドウィンを通して捧げられたお茶を受け取る。
 貴人に話しかけようと、多くの招待客がサウルに近づこうと試みるが、そのほとんどはジャックなどの客の振りをした警護の者たちに巧妙に阻まれていた。
 一人、二人とサウルが相手をするのに不快にならない程度の数が、その網を潜り抜け、サウルの近くまで到達していた。
「お目にかかれて光栄です、サウル様」
 難関を突破したアベルは、作法に則って、周囲から聞こえた名を呼び挨拶した。
「ごきげんよう、君は?」
「アベルと申します。盛大なパーティーの開催、おめでとうございます」
「ありがとう。でも、僕ももてなされる側だからね。それはランカーク卿に言ってあげるといい。喜ぶよ」
 大変だったようだから、とサウルは笑顔で軽く言う。
「ですが、このパーティーは、あなたの御希望なのではないのですか……?」
 アベルはそこで、声を落とす。回りには聞こえぬように。
「優秀なフューリアの血だけを集めた、このパーティーは」
 サウルは笑顔のままだ。そして、言う。
「子供は親の血を引くからね。優秀な血が出会う機会は一回でも多いほうが、帝国の未来のためだ……そうは思わないかい?」
「かもしれませんな」
 まだアベルは話を続けたかったが、そこで近づいてきたリーヴァが連絡らしいことをサウルに囁くと、余興が始まるとサウルが示したので会話は中断された。
 アベルが見ると、バイオリンの演奏のようだ。エルナが楽器を調律を終えて、挨拶しようとしているところだった。挨拶の言葉が終わると、演奏だ。
 そこで、アベルはサウルに視線を戻したが……そのときには護衛の半分と共に、サウルは姿を消していた。

 それは、既に会場の外だった。
 中庭に出入りできる場所は多い。その一つから、一度はお茶会に入ったルーとクレアは、再び外に出た。
 クレアはお茶と暖かいお菓子をもらって、既にご機嫌だ。ルカの歌に合わせて歌いだしたりしたので、人目を引かぬように引っ込んだという次第である。
 本当ならば、リーヴァとしては主賓のところに挨拶には出向きたいところだったが……目立たないということを考えると無理そうだ。
 それで、ルーとクレアが来ていることはサウルに伝えに行き、どうするかを問うたのだが。
 サウルは、無精者ということだけはないようだ。すぐに、答はあった。自分から行こう、と。
「久しぶりだね」
 会場の外に出るということは、学科棟に入るということだ。空が曇っているので、中庭の明るさも、白っぽく見える。学科棟の渡り廊下はほの暗かった。
 その暗さの中を歩いてきたサウルは、ルーとクレアの二人を見てそう言った。
 ルーはただうつむいたままで、クレアはそのときはっとしたようだった。
「君たちの様子を見たかったんだ。呼びつけてすまなかったね。元気だったかい?」
 サウルが、一方的に喋っていた。
 クレアさえも、ただうなずいただけだ。
「それは良かった……色々報告を聞いたから、心配していたんだよ……もう駄目なんじゃないかと」
「そんなこと……!」
 クレアは声をあげかけ、ルーはクレアの服の裾をぎゅっと掴む。
「そんなことがないなら、いいんだよ。色々と調べたけど、やっぱり最後は君たち二人に、直接会わなくちゃいけないと思ってね」
 サウルは微笑みを崩さなかった。
 遠く近く、取り巻いていた者もそれは見ていた。
「僕はね、君たちの事を心配しているんだ。それだけだよ」

 短い会談でも、サウルは満足したようだ。その直後は、クレアは少し不機嫌だったが……様子を見に来たカイゼルたちが持ってきたお菓子で、機嫌を直した。
「ジークさんも、せっかくだから、お一つどう?」
「あ、ああ……」
 もらってきた菓子を配りながら、カイゼルはジークがあらぬ方向を見ていることに気がついた。
「なにを見ているの?」
「いや……視線を感じたんだが……いない、な」
 見えない視線が、自分たちを見張っていたような気がしたのだと……

 大方の予想を裏切って、茶会はつつがなく終わった。
 雪は、茶会の終わり間際になってから、舞い散り始めていた。


■終幕の挨拶、あるいはカーテンコール■
「何事もなく終了して、なによりだね……レアン・クルセアードも茶会には姿を見せなかったか」
 ホテルに戻る馬車に乗り込んだところで、サウルは言った。それがなんだか残念そうに見える……と思ったのは、エドウィンの気のせいだろうか。
 エドウィンが行きと違って御者台ではなく、馬車の中に入っているのは、
「終わった後というのが、一番気が弛んでいるんだ! この隙を襲われることもあり得る!」
 家に帰るまでが遠足だ、的な主張をしたソウマに御者台の席を乗っ取られたからだ。手綱を握っているのは今もバティスタで、その仕事を譲ってはもらえなかったから、エドウィンは中に入るしかなかった。
 馬車は行きと同じく、通りを静かに駆けていく。
 その途中でだった。
「ヤツだ!!」
 ソウマは絶叫と共に御者台で腰を浮かせた。
 往来の真ん中に人が立っていたからだ。
 さらさらと降る雪の中に立つ、青みのかかった銀の髪の男。
 このまま馬車を走らせたなら、馬は彼を蹴り、馬車は彼を跳ね飛ばすだろう。それは人道的に許されることではない。
 いや、ソウマはあれが誰であるか知っていた。だからこそ……そんな決着はよしとしなかった。
 あれが、レアンだ。レアン・クルセアード。
 バティスタは手綱を引き……
 馬車は止まった。
「貴様!」
 すかさずソウマが飛び降りる。気が高まっている様子は見て取れた。
 だが……
「どこだ!?」
 道の真ん中にいたはずの、レアンの姿はもうどこにもない。
「ちっ……逃げたか!」
 しばらく警戒しながら様子を見ていたが、何も襲ってくるような気配もない。
「……馬車を出して」
 サウルが命じ、そして再び馬車は走り出した。
「い、今のはなんだったのでしょうか」
 ランカークが汗を拭き拭き、サウルに訊ねる。
「挨拶か……あるいは、警告かな」
 やっぱり、サウルは微笑んでいた。
「思い通りに踊るつもりはないと言いに来たのかもしれないね。罠ってわけじゃ、なかったんだけどなあ」
「はあ……?」

 午後の遅い列車で、サウルは帝都に帰っていった。最後に同道した者は、そこまで見送り、学園へと帰る。
 エドウィンは、最後にサウルにもう一度訊ねた。先日ホテルで聞いたことをだ。
「あの、先日の話は本気で……?」
「ああ、あれ? 本気だよ」
 あっさりとサウルは肯定する。
「次に会うときには、僕も学生だ。そのときには、こんな馬鹿騒ぎはしないから、安心おしよ」
 そうして、黒衣の貴人は来たときと同じ普通の急行列車に乗り込んだ。
 アルメイスにささやかな波紋を広げる小さな石を投げ込んで……


 同じ頃。
 エリスはナギリエッタの前にいた。
 大判のハンカチに包んだ、茶会のお菓子を持って。
「わぁ……持って来てくれたんだぁ」
 じゅる、と出そうになるよだれを慌てて拭いて、ナギリエッタはハンカチを受け取る。
「あ、待ってぇ。良かったら一緒に食べよぉ。もぅ、おなかイッパイ?」
 返事はせず、エリスはただ足を止める。
「お茶いれるね〜」
 ナギリエッタはエリスの袖を引いて、部屋の中へと戻る。
 窓の外を白く染める寒さに、カップからは白い湯気が立ち……
「このお菓子、美味しぃ〜」
 その向こうでナギリエッタは、焼き菓子をほおばっている。
 エリスは黙ってカップに口をつけた。普通のメオティーだったが、なんだか茶会に出たものよりも、ほっとできて美味しい気がした。
 知られているものも、知られていないものも、迷惑なものも、奇妙な黒衣の貴人はいくつもの波紋をアルメイスに残して去っていったが……
 このカップの波紋は、悪くはないなと、エリスは思った。

参加者

“飄然たる”ロイド “眠り姫”クルーエル
“麗しの翼”華瑠螺 “天津風”リーヴァ
“蒼盾”エドウィン “流転流道”フレキ
“怠惰な隠士”ジェダイト “蒼茫の風”フェル
“白衣の悪魔”カズヤ “探求者”ミリー
ライラック “永劫なる探求者”キサ
“神翼の刃”ティエン “光炎の使い手”ノイマン
“弦月の剣使い”ミスティ “翔ける者”アトリーズ
神楽 “喧噪レポーター”パフェ
“静なる護り手”リュート “笑う道化”ラック
“鮮烈なる銀狼”透夜 “朧月”ファントム
“風曲の紡ぎ手”セラ “双面姫”サラ
“光紡ぐ花”澄花 “昏き光”クレス
“泡沫の無幻”ユーリ “ぐうたら”ナギリエッタ
“闇司祭”アベル “優しき氷皇”ファルコ
“紫紺の騎士”エグザス “教団の巫女”マリア
“風天の”サックマン “銀の飛跡”シルフィス
“黒き疾風の”ウォルガ “季節の放浪者”エロール
“暴走暴発”レイ “タフガイ”コンポート
ホノカ・ミスノリア “硝子の心”サリー
“清らの雫”フレディアス “自称天才”ルビィ
“待宵姫”シェラザード “鍛冶職人”サワノバ
“伊達男”ヴァニッシュ “幼き魔女”アナスタシア
“六翼の”セラス ハロルド=ネイマン
“闇の輝星”ジーク “銀晶”ランド
“安全信号”紅楼・夢 “凛々しき瞳”ティアリス
“深緑の泉”円 “冥き腕の”バティスタ
“踊る影絵”ジャック “餽餓者”クロウ
“悠久の奏者”アルベルト “闘う執事”セバスチャン
“血剣”嘉島・熱人 空羅 索
“見守られる者”リーリア “茶仙”アルトリンデ
“時刻む光翼”ショコラ “純粋なる探求者”ユノ
“熱血策士”コタンクル “海星の娘”カイゼル
“白銀の皇女”アンジェラ “氷炎の奏者”シンキ
“馬耳東風”リューク “天駆ける記者”カリン
“陽気な隠者”ラザルス “銀の叫び”ヴィンセント
“のんびり屋”レープル “堕天の翼”雪奈
“水月の天使”ガブリエラ “路地裏の狼”マリュウ
“双剣”紫炎 “荒れ狂う大地”高坂・錬
“蒼空の黔鎧”ソウマ “ザ・フォレスト”MAX
秋雨 “悪夢の姫”シーネル
“過剰破砕者”ケイオス “茨の城主”フォルシアス
“蒼き乙女”神代 深礼 “紅髪の”リン
“土くれ職人”巍恩 “影操りの人形姫”ミオ
“炎華の奏者”グリンダ “求める者”グルガーン
“突撃美少女”メルン “宵闇に潜む者”紫苑
“WasserMeister”エルナ “狭間の女王”コトネ
“拙き風使い”風見来生 “響く躍動”エミリオ
“緑の涼風”シーナ “遊び人”シャイニア
“白夜の月雪”コーリア “静けき月夜の”カウェル
“彷徨い”ルーファス “銀嶺の氷嵐”サキト
“探求する者”シャイン “幽焔”フェア=スノール
“唱喚士”エセル “西風”ヴァレンシアナ
“燻る光炎”稲月 ユウ・シルバーソード
“宵闇の黒蝶”メイア “貧乏学生”エンゲルス
“翼の道標”凛 “魔弾”カイ
“七彩の奏咒”ルカ